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更新のお知らせ 「通州事件」への視点 ゆう 2003/11/09 16:46:06
├参考資料 渡辺 2003/11/09 21:51:49 (修正1回)
│└通州事件全く解決 ゆう 2003/11/11 19:38:08 (修正1回)
├ご存知とは思いますが 熊猫 2003/11/10 02:01:57
│└昔見たことがあります ゆう 2003/11/11 19:42:19
├「通州事件」増補改定版 ゆう 2003/11/17 22:21:27
│└ゆうさんへ(通州事件新聞記事) eichelberger_1999 2003/11/18 12:40:21
│ └ありがとうございました ゆう 2003/11/18 20:55:02
└「支那事変戦跡の栞」上巻陸軍恤兵部P66... 熊猫 2003/11/23 22:35:59
└またまた、悪い癖が出て古本屋で、「支那事... 熊猫 2003/11/23 22:48:00 (修正2回)
更新のお知らせ 「通州事件」への視点 ゆう 2003/11/09 16:46:06 ツリーへ
更新のお知らせ 「通州事件」への視点 |
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/11/09 16:46:06 |
毎度、更新のお知らせです。
「通州事件」は、しばしば「南京虐殺」との「相殺材料」として取り上げられます。この視点は一方的なものだと思うのですが、考えてみれば「通州事件」についてしっかりと説明したサイトって、なかなかないんですね。とりあえず、コンテンツをつくってみました。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/tuushuu.html
私自身、「通州事件」には「南京事件」ほどディープに突っ込んでいませんので、他にもこんな視点が必要ではないか、あるいはこの部分が間違っている、というご指摘がありましたら、ぜひお願いします。
できれば、最終的には、「通州事件」をめぐる議論をひととおり網羅したコンテンツに育てたいと思っています。 |
├参考資料 渡辺 2003/11/09 21:51:49 (修正1回) ツリーへ
│└通州事件全く解決 ゆう 2003/11/11 19:38:08 (修正1回) ツリーへ
Re: 参考資料
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/11/11 19:38:08 ** この記事は1回修正されてます |
通州事件全く解決
渡辺さんが、「通州事件はすでに解決済み」という趣旨のことを書かれていた記憶がありましたが、根拠はこちらでしたか。
●渡辺さんの投稿より
(1937年12月24日)
通州事件全く解決 未曾有の惨事として世人の記憶に新たなる通州事件の解決方に関しては冀東政府長官宋墨氏と日本大使館森島参事官との間に折衛が続けられてゐたが、廿四午後四時半池長官は北京大使館を訪問して公文を手交し、正式陳謝と将来の保障をなし、併せてこの事件に上る被害者に對する弔慰賠償金を手交し、森島参事官より右に對する回答文を手交、ここに同事件は全く解決を告げるに至った。
[読売新聞社編輯局『支那事変實紀 第五輯』非凡閣、昭和十三年一月十一日発行(1938年)、p.266] 同年12月23日の『東京日日新聞』(二)面に更に詳しい記事あり。
某掲示板で「中国は通州事件に謝罪すべき」などというアホな投稿を見つけましたので(そもそも何で今の「中国政府」が謝罪しなければならないのか、理解できないところですが)、この文も私のページに加えさせていただこうと思います。
時間を見て、当時の縮刷版を調べてきます。ありがとうございました。 |
├ご存知とは思いますが 熊猫 2003/11/10 02:01:57 ツリーへ
│└昔見たことがあります ゆう 2003/11/11 19:42:19 ツリーへ
├「通州事件」増補改定版 ゆう 2003/11/17 22:21:27 ツリーへ
Re: 更新のお知らせ 「通州事件」への視点
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/11/17 22:21:27 |
「通州事件」増補改定版
渡辺さんにご示唆いただきましたので、当時の新聞記事を調べてきました。「東京日日新聞」「大阪朝日新聞」「東京朝日新聞」の記事を、それぞれ追加で掲載します。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/tuushuu.html
マイクロフィッシュやら小さい字の縮刷版やらで、文字が潰れている部分も少なくなく、一部は■にせざるをえませんでした。当時の文章に通じていれば簡単にわかる部分だと思うのですが、私の知識では判読できません。もしおわかりの方、教えていただければ幸いです。
なお、「書論」という言葉も、随分と迷いました。「書簡」の方が意味の通りはいいのですが、潰れた字とにらめっこしていると、私にはどうしても「書論」としか見えない。これまた、どなたか教えていただけると助かります。
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│└ゆうさんへ(通州事件新聞記事) eichelberger_1999 2003/11/18 12:40:21 ツリーへ
Re: 「通州事件」増補改定版
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eichelberger_1999
<nbpkpodlzx> 2003/11/18 12:40:21 |
ゆうさんへ(通州事件新聞記事)
従軍慰安婦のほうの宿題を放置したままで、書き込むのは気が引けますが、こちらはすぐに投稿できそうだったので、書き込みます。
1.「書論」は「書翰」と思われる。「書翰」の意味は「書簡」と同じ。
2.二カ所の「■者」は「陳者」と思われる。「陳者:は「のぶれば」と読み、「さて(偖、扨)」などと同じ、手紙本文の書き出しに使われる定型句。
3.「■に重ねて」は「更に重ねて」ではないでしょうか? まったくの推測で、自信はありません。
4.「水上村■」の■には地名である字(あざ)名(漢字一字の)が入るか、そうでなければ、「在」または「内」ではないでしょうか。これも推測にとどまります。
あと通州事件では、条約上の開港地でない通州での日本臣民の居住と営業活動および北京議定書の付属協定に指定されていない同地での日本軍隊の駐留が国際法的にみて、問題なかったかどうか、検討する余地はあると思います。 |
│ └ありがとうございました ゆう 2003/11/18 20:55:02 ツリーへ
Re: ゆうさんへ(通州事件新聞記事)
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ゆう <pmyqfxtjon>
2003/11/18 20:55:02 |
ありがとうございました
言われてみれば全くその通り。助かりました。 「陳者」など、私にもそう見えたのですが、そんな言葉があるのかなあ、と悩んでしまい、つい「■者」にしてしまいました(^^;
早速、修正させていただいます。
*「幕府山の捕虜」の投稿は終わりましたが、あと投稿のネタがふたつばかり残っています。 連休までに、そのうち片方だけでも、投稿できないかな・・・。 |
└「支那事変戦跡の栞」上巻陸軍恤兵部P66... 熊猫 2003/11/23 22:35:59 ツリーへ
Re: 更新のお知らせ 「通州事件」への視点
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熊猫 <dhcvsuquwp>
2003/11/23 22:35:59 |
「支那事変戦跡の栞」上巻 陸軍恤兵部 P66〜P69
〔通州(トウン・チオウ)〕 通州と北京朝陽門の間は、坦々砥の如き良道(三十尺幅の鋪石道)が通じてゐて、一方又大運河の水運を擁し、白河を介して天津にも通航の便がある。昔の通州は中部支那方面の貢糧中継所として、北京の咽喉を扼する要衝であつたのであるが、鐡道開通の結果はその地位を失つたのと、北清事変の際兵燹にかゝつて、今なほ舊態に復しない。通州は今回事変に際して、後で述べるやうないはゆる通州事件の起こつたところで、何人も忘れ得ない恨み多い土地となつた。 城市は明代の初の創建にかゝり、更に清朝に至つて増築したのであるが、城垣も今は廃頽(はいたい)して、満目荒寥たるものがある。城垣には通運、朝天、迎薫、凝翠の四門があつて、流石に各門に通ずる十字街頭に立つてゐる鼓楼の残影には今尚往時の繁栄を語るものがある。八里橋は通州の東北約三哩の地点に在る石橋で、幅約四十八尺長百九十尺「長橋映月」の勝を以て聞えてゐる、通州八景の一つである。
〔通州事件〕 昭和十二年七月二十九日午前三時、冀東防共自治政府所在地通州に、未だかつてなき邦人大虐殺事件が起きたことは誰もが知る通りである。 事件といふのはかうである。長官殷汝耕の直接部下で、彼の最も信頼してゐた保安隊教導総隊が支那軍戦勝のデマを盲信して、二十九軍の敗残兵と共に、約三千名の兵力を以つて突如兵変を起したのである。 当時同地守備の任に当つてゐた我軍は、僅かに数百名の兵力であつたが、よくこれに応戦、急を知つた飛行隊ならびに萱島部隊の救援によつて三十日には敵兵を掃蕩して、市内の治安回復は完了されたのであつた。 しかしこの叛乱事件によつて、同地特務機関は細木機関長を初め、関員は全滅し、守備隊にも戦死十八名、負傷者十九名の損害を蒙つたのであるしかも暴戻なる支那兵は攻撃の目標を主として非戦闘員たる我居留民に置き、言語に絶する暴虐を加へ、その大部分を城門外に拉致して惨殺するなど我が居留民約三百八十名中死を免れ得たものは僅かに百二十余名、しかもその虐殺の前夜における鬼畜にも勝る惨虐(ママ)なる行為は、真に耳目を掩はしめるものがあり、我国民を悲憤せしめたのである。
〔悲惨を極めた特務機関〕 一度、通州特務機関と鮮か(ママ)に書かれた門をくゞると凄惨な籠城のあとに思はず身震ひさせられた。門の入口の部屋にゐた数名の機関員は銃声と共に甲斐少佐の命によつて応接室に駆けつけやうとしたが、庭に出るや否や機関銃の乱射にバタバタと撃ち殪(ママ)され、屍骸は石油で焼かれたとのことである。更に甲斐少佐の居室に入れば少佐が軍刀と拳銃を両手に持ち鉢巻姿のまゝ壮烈な戦死をとげてゐた。 応接室にはどす黒い血痕が飛び散り部屋は根こそぎかきまはされ鬼気人に迫るものがあつた。 その隣の事務室には黒板に書かれた「二十九日午前三時半襲撃さる」の文字も一入悲壮なものを感じさせた。 当時特務機関には四十挺余の拳銃、小銃があつたのだが、これを全部取り出すひまもない程突嗟(ママ)の間に襲撃されたが、関員は沈着よく五千発の銃弾を撃ち尽くしてゐたところを見れば、全く矢尽き刀折れての壮烈な最期であつたのである。 尚通州惨劇の中でも最も悲惨を極めたのは旅館近水楼だつた。 主人夫妻女中六名、それに宿泊客を合せて十余名が或は現場で、或は銃殺場に拉致されて惨殺されてゐた。こゝは女の被害者が多かつただけに、玄関や廊下を距てた三畳の間等には血痕のベットリついた髢が散乱して、一入凄惨な気を興へた。 しかし同地も七月卅(さんじゅう)日、萱島部隊の到着によつて、治安は全く舊に復したのである。
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└またまた、悪い癖が出て古本屋で、「支那事... 熊猫 2003/11/23 22:48:00 (修正2回) ツリーへ
Re: 「支那事変戦跡の栞」上巻陸軍恤兵部P66...
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熊猫 <dhcvsuquwp>
2003/11/23 22:48:00 ** この記事は2回修正されてます |
またまた、悪い癖が出て古本屋で、「支那事変戦跡の栞」上巻・中巻・下巻(陸軍恤兵部発行)非売品を買ってしまいました(笑)。昭和13年9月1日発行だから、中巻には南京戦の個々の戦いも書かれていました。当時の陸軍の認識が解るかと。 今度は当時の週報あたりから、通州事件の記述がないか探して見ます。 |