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  お知らせ KOIL 2003/11/27 23:11:57 
  百人斬り裁判支援サイト事実.com K−K 2003/11/28 23:44:57 
  「戦ふ日本刀」より四十七人斬り ゆう 2003/11/29 08:03:08 
  │├日本刀で切れるのは? 五番街 2003/11/29 15:50:17 
  ││└補足します ゆう 2003/11/30 16:44:11  (修正1回)
  ││ ├「あずみ」ちゃんについて・・・補足的むだ... 五番街 2003/12/02 16:26:53 
  ││ └変じゃないですか。 戦史おたく 2003/12/02 22:49:12 
  ││  └>山本七平の「私の中の日本軍」は「はじめ... タラリ 2003/12/03 12:29:57  (修正1回)
  ││   ├出る幕がなくなってしまいました ゆう 2003/12/03 22:04:25 
  ││   └論点は何? ローデシアン 2003/12/13 18:55:31 
  ││    ├Re論点は何? ゆう 2003/12/14 04:42:46  (修正1回)
  ││    │└下駄箱を動かせない時は爆破せよ ローデシアン 2003/12/16 00:46:23 
  ││    └今まで私が読んだ「否定派」たちの論点はす... タラリ 2003/12/14 12:12:02 
  ││     └私はバカなので余り複雑な思考は出来かねま... ローデシアン 2003/12/16 00:33:48 
  ││      └ローデシアンさんの主張は何ですか。 タラリ 2003/12/16 14:29:48 
  ││       └事実は誰が知るのか? ローデシアン 2003/12/16 21:10:38 
  ││        └>浅海記者も両将校も、元はそんなこと言っ... タラリ 2003/12/16 23:29:01 
  ││         └ジャムはどこに存在するのか、 ローデシアン 2003/12/17 16:44:45 
  ││          └>捕虜虐殺、陶物切り競争というのは推測が... タラリ 2003/12/17 23:27:51 
  ││           └疑わしきは被告人の利益に ローデシアン 2003/12/18 21:41:35 
  ││            └>疑わしきは被告人の利益に タラリ 2003/12/18 23:27:05 
  ││             └まるで読み取れていませんね。 ローデシアン 2003/12/19 21:37:48 
  ││              └さらに追加 ローデシアン 2003/12/19 21:42:45 
  ││               └>軍法、戦時国際法についてある程度知識を... タラリ 2003/12/19 23:19:41 
  ││                ├結局何も分かってないのですか ローデシアン 2003/12/20 10:35:48 
  ││                └志々目証言に関して ローデシアン 2003/12/20 14:40:23 
  ││                 └>結局何も分かってないのですか タラリ 2004/01/04 09:52:05 
  │└白兵戦について成瀬関次の従軍記より 渡辺 2003/12/01 01:44:54  (修正4回)
  │ └『中国の旅』脚注より KOIL 2003/12/14 07:00:11 
  │  └私の蔵書は、第1刷です。記述の変更はないよ... 熊猫 2003/12/14 15:36:52 
  12月2日の裁判傍聴記、inti-solさんが書... タラリ 2003/12/03 17:21:22 

  お知らせ KOIL 2003/11/27 23:11:57  ツリーへ

お知らせ 返事を書く ノートメニュー
KOIL <yyiivymypb> 2003/11/27 23:11:57
百人斬り裁判支援サイト 事実.com が完成しました。
http://www.jijitu.com/
と、とりあえずおしらせです。

  百人斬り裁判支援サイト事実.com K−K 2003/11/28 23:44:57  ツリーへ

Re: お知らせ 返事を書く ノートメニュー
K−K <ecoepxmujl> 2003/11/28 23:44:57
百人斬り裁判支援サイト 事実.com

 こんにちは、KOILさん。
 情報を有り難うございます。KOILさんの裁判傍聴記も載っていますね。
 私のHPにも、リンクを貼るつもりです。
 出来れば、何か資料などが見つかれば、提供していこうと思っています。
 

  「戦ふ日本刀」より四十七人斬り ゆう 2003/11/29 08:03:08  ツリーへ

Re: お知らせ 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/11/29 08:03:08
「戦ふ日本刀」より 四十七人斬り

実は、手元の資料をまとめて「百人斬り資料集」というコンテンツを作ろうかと構想していたのですが、「対抗言論のページ」でとっくに私の考えていた資料と概ね同じ資料が掲載されているのを見て、断念しました。まあ、裁判進行中とのことですので、おかしな資料を掲載して思いがけない迷惑をおかけしてもうまくありませんし・・・。

「中帰連」の次号に「百人斬り」特集が掲載される、とのことですので、楽しみにお待ちしましょう。


この問題については、渡辺さんの「問答有用」板の投稿に断然説得力がありますね。「問答有用」板はすぐにログが流れますので、こちらにアドレスを記録しておきます。未読の方、ぜひどうぞ。

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=24455&range=1

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=24472&range=1



さて、「百人斬り」論議に関しては、「日本刀で斬れるのはせいぜい3人まで」という、山本七平氏が広げた「伝説」がまかり通っています。その大きな根拠となるのは(どこの誰が調べたかもよくわからない怪しげな「実験記録」を除けば)、成瀬関次氏の「戦ふ日本刀」(昭和15年刊)であるようです。

折角ですので、この「戦ふ日本刀」に収録されている、「四十七人斬り」に関する記述を紹介します。「対抗言論」でも6行だけ、また「ペンの陰謀」でも洞氏が一部を紹介されていましたが、ここでは「全文紹介」です。

この話の「信憑性」はよくわかりませんが、少なくとも当の成瀬氏自身が、「日本刀で四十七人を斬った」話に特に疑いを持っていないことがわかるだけでも、貴重な資料だと思います。


******************************

或る暑い日であつた。開封城内の修理班へ時目といふ変つた姓の少尉が自身刀を持つて修理にやつてきた。苗田藩槍一筋の家に生れたと云つてゐたから、加賀百万石か、それとも支藩大聖寺、富山、上州七日市の前田かそれは聞き漏らしたが、無銘古刀の武家伝来らしいよい刀を持つてゐた。それで南京攻略の軍中三十七人を斬り、徐洲戦(「ゆう」注 「徐州」が正しいと思われますが、原文通り)で十人、都合四十七人を手にかけ、縛り首は一つも斬らなかつたといふ。少尉の物斬り話には、傾聴に値するものがあつた。

第一に、武道家は居合とランニングをやらにゃいかんと云つた。その理由は、南京物斬り三十七人中の三十人までは、後から追い縋り追い縋りして斬つた者で、ランニングの選手であつた賜物。次に居合の手にある”虎乱刀”即ち右足一足で抜き打ちに敵の背後から真一文字に切りつけ、左足一足でふり冠り、再び右足を踏んで上から切りつける。これを連続的に進行し乍らやる早業の動作であるが、その調子で斬つた。部下に中山博道先生門下の居合の達人が居て、戦地へ来てから習ひ覚えた。半年程のうちに、進行し乍ら抜打に切つて鞘に収める早業を、歩き乍ら実地にやつて見てこれも自信を得たと云ふ。つまり辻斬をやつたのだ。

刀を見ると、血糊で白くなつている。性質のよい古刀で骨ごと斬ると、必ず刄まくれの出来るのは一つの定則であるが、中央から上、物打下にそれも型の如くに出来て居り、刄こぼれも三ヶ所、刀全体がジツトリしてゐた。少尉は話をつづける。

「向ひ来る敵のどこが一番斬りよいかと云へばそれは敵の左右の肩で、その次が胸腹部の突きだ。敵が鉄兜をかぶつてゐる限り面打は断念したがいいし、胴と小手は実際には斬りにくいものだ。剣道では、その切りにくい面、小手、胴を目標とし、突きにくい喉を狙ふ事をやらせてゐる。困難な事に習熟させるのだと云つて了へばそれまでだが、僕かア君、切りよいところ、突きよいところを狙ふ稽古に、平生から熟達させて置いた方がよいやうに思ふね。どうだい君やア。」

この思ひがけない掘出物の戦場武道家は、僅か中学校で剣道をやつただけだといふ。驚きの目をみはるると、

「いや、もつとえらいのがゐる。それ、新聞にも出たらう。アノ百人斬りの先生は会社員で、重いものは算盤一挺といふ人間だよ。」といふ。

最後の名説はかうだ。

「対敵中は物さへ見えればそれで勝つ。この修練だけは実際に場数を踏まぬと困難だ。目の見える結果は、本能的に多勢を避けて少なきに向ひ、足もとの危ない所をよける。それから・・・」と声を落して、「強きを避けて弱きに向ふ。つまり弱さうな奴から先に片づけるんだね。」と話を結んだ。

成る程、宮本武蔵でも近藤勇でも、乱刄渦中で闘つた記録は絶対にない。あるとすればそれは小説だ。瞬間に自己の有利な安全な場所に就き、間一髪の間に敵の破綻を見破つてつけ込む。さうした機動的な刀法を使つたのも畢竟”目が見えた”からであって、武蔵が『兵法至極して勝つには非ず、自ら道の器用ありて天理を離れざる故』と云つた一面の機微の一つは、まさにその点にもあるのだ。次郎長の剣法も、彼が子分によく云つたといわるる『喧嘩して敵の両足が見えたら勝負はこつちのものだ。』という言葉に盡きてゐる。

目の見えるといふ事は落ちつく事で、武道修練といふ事もその条件であり、無意識の意識がさせる別作用である。

(P77〜P79)

******************************



さて、これだけはっきりした「日本刀三人限界説」への「反証」に対して(何しろ「根拠」とした当の成瀬氏がこの「説」に賛成しそうにないのですから)、当の山本七平氏がどのようにコメントしているかというと・・・。


******************************

そしてここにも「百人斬り」的自慢をする一少尉が登場して、四十七人斬りを披露し―この百人とか四十七人とかいう数が面白い―さんざん自慢した後で「いや、もつとえらいのがゐる。それ、新聞にも出たらう。アノ百人斬りの先生は会社員で、重いものは算盤一挺といふ人間だよ」といっている。言うまでもなく浅海特派員の「虚報」のことである。

ところが相手が専門家とわかったためか彼の大言壮語がだんだん変になっていく。氏は皮肉な調子で彼の「・・・最後の名説はかうだ『・・・つまり弱さうな奴から先に片づけるんだね』と話を結んだ。成る程、宮本武蔵でも近藤勇でも、乱刄渦中で闘つた記録は絶対にない。あるとすれば小説だ・・・」と記している。こういう書き方は、戦争中の言論統制下独特のもので、わざと「名説」といい、そして「乱刄渦中で闘つた記録は絶対にない。あるとすれば小説だ・・・」と記して、それ以上は何もいわないのである。白兵戦はいうまでもなく乱刄渦中である。

ではなぜこういう言い方になるか。当時の軍人と今の新聞記者とはやや似た位置にあったと思われる。というのは今では「大記者」の記事を「フィクション」だなどといえばそれこそ大変で、ガリ版刷りの脅迫状(?)まで来るわけだが、当時は軍人が明言したことを「小説(フィクション)」だなどといえばそれこそ大変であった。従って「宮本武蔵でも近藤勇でも」その「記録は絶対にない」あればフィクションだと氏は言っているのであって、この少尉の言っていることをフィクションだと断言しているのではないのである。そして、それをどう判読するかは、読者にゆだねているわけである。

(「私の中の日本軍」(下)P101〜P102)

******************************


繰り返しの多いダラダラした文章で、読んでいると頭が痛くなりますが(もう少しスッキリと書けないんですかね)、山本氏の文を読んだあとでもう一度成瀬氏の文を読み返すと、山本氏がかなりの無茶を言っていることがわかると思います。


どうみても「相手が専門家とわかったためか彼の大言壮語がだんだん変になっていく」という雰囲気ではありません。だいたい、刀の修理を頼みにきたわけですから、初めから「専門家」だということはわかっているはずです。


また、山本氏は「乱刄渦中で闘つたという記録は絶対ない。あるとすれば小説だ」の部分をつかまえて、何となく成瀬氏が時目少尉の話を「フィクション」であると考えているような雰囲気をつくろうとしています。しかしこれも読めばすぐわかる通り、明らかに山本氏のミスリードもしくは捻じ曲げです。

少尉は、「四十七人斬り」は、対等の条件での「白兵戦」の中で行ったものではなく、結局は逃げる敵を「後から追いすが」ったり、「弱さうな奴から先に片づけ」たりして行ったものだ、と告白しています。成瀬氏はこれを受けて、「乱刄渦中で闘つた」わけではない、と言っているに過ぎません。


いずれにしても、山本氏の文は、成瀬氏が「四十七人斬り」を「ありうる話」として考えていた、ということを否定するものではありません。


*この文を書き終えてから「ペンの陰謀」の洞氏の文を読み直したら、洞氏も当の山本氏の文を批判していました(P273〜)。お持ちの方、あわせてご参照下さい。

  │├日本刀で切れるのは? 五番街 2003/11/29 15:50:17  ツリーへ

Re: 「戦ふ日本刀」より四十七人斬り 返事を書く ノートメニュー
五番街 <mppuzvobdp> 2003/11/29 15:50:17
日本刀で切れるのは?

>「日本刀で斬れるのはせいぜい3人まで」という、山本七平氏が広げた「伝説」がまかり通っています。

私も、実は、日本刀で切れるのは、3、4人程度と思っていました。ただし、「多数との戦闘」でとか、「一時期」にという条件がつきますが。

この考えの根拠は何か、と言われると困るんですが、敢えて言えば、同様なことを繰り返して読んだり、聞いたりしたこと、になると思います。ある人から、血糊によって刀の切れ味が鈍るからだ、と教えてもらった記憶がありますし、また、室内で多人数の追っ手を迎え撃つ時に、一本の刀は、2、3人を切ったら使い捨てにするために、何本も刀を畳に刺して戦うということも聞いたことがあります。じっさい、そのようにして戦う場面を描いた古い映画がを見て、なるほど、と思ったこともあります。

ちなみに、忠臣蔵の実話では、赤穂方の最強の武士であった不破数エ門の刀はボロボロに刃こぼれし、衣服はズタズタで、斬り捨てた相手は、3人程度だったように記憶しています。

山本七平の主張は、よくあるような詭弁の一種で、「一時的に」という不可欠な条件を隠蔽しているように思います。

また、47人を斬ったという成瀬氏の説明でも、【それで南京攻略の軍中三十七人を斬り、徐洲戦(「ゆう」注 「徐州」が正しいと思われますが、原文通り)で十人、都合四十七人を手にかけ】と、長期的に斬った数が47人と述べており、これはあり得ることだと思います。

  ││└補足します ゆう 2003/11/30 16:44:11  (修正1回) ツリーへ

Re: 日本刀で切れるのは? 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/11/30 16:44:11 ** この記事は1回修正されてます
補足します


「(一本の)日本刀で斬れるのは3、4人程度」ということを証明できる、信頼できる資料があるのかどうか、というのが、とりあえずの私の関心事でした。私も何となく、そんなものかと思い込んでいましたので(^^;

しかし、言い出しっぺの山本七平氏の「私の中の日本軍」を読む限りでは、どうも決定的なものがない。

途中までは、自分の体験談と、怪しげな実験記録なるもの(どうやって「実験」したんだかさっぱりわかりませんが)が中心。

連載中に「日本人・中国人・台湾人」の3人の読者から(本当かな?)それぞれ「戦ふ日本刀」の存在を教えてもらって、途中からはこれが最大の「論拠」になります。


ところが「戦ふ日本刀」は、洞氏の言葉を借りると、

>成瀬氏は、日本刀は一人斬っただけで使いものにならなくなるとか、斬れるのはせいぜい三人までだなどとは、けっしていっていない。(「ペンの陰謀」P277)

という「資料」です。「日本刀三人限界説」を証明する資料としては、ちょっと使えそうにありません。

洞氏も、

>一本の刀で「斬れるのはせいぜい三人」とは、これはまた、ずいぶん日本刀の性能をみくびったものである。(「ペンの陰謀」P270)

と結論づけています。



五番街さんのおっしゃる通り、山本氏には、「一本の刀で」と「一回で」の意図的な「混同」があるのかもしれません。また、「白兵戦」と「捕虜の据え物斬り」との違いも、当然あるでしょう。


「ペンの陰謀」では、洞論文のあとに、実際に「据え物斬り」を多数経験した鵜野晋太郎氏の文が載っています。氏によれば、

>刃がしっかりし、折れ・曲りの少ない刀の場合は、一挙に五名乃至十名の連続斬首は十分可能と思われる。(同P377)

なんだそうです。「一回」で「五名ないし十名」ということであるようですね。


では、「一本」ではどうかといえば、そのあとに「藤井曹長」という方の話が載っています。藤井軍曹によれば、

>差し料(自分の所持している刀剣)が普通程度のものであれば、白兵戦で敵と渡りあってガタガタにならない限り、据え物だった相手が抵抗できんように痛めてあるから、一〇〇人位十分殺れるんじゃないですか。(同 P379)

ということです。


まあ実際にどうだったのかはよくわかりませんが、少なくとも「日本刀(一本)三人限界説」には十分な根拠はない、と考えてよさそうです。

  ││ ├「あずみ」ちゃんについて・・・補足的むだ... 五番街 2003/12/02 16:26:53  ツリーへ

Re: 補足します 返事を書く ノートメニュー
五番街 <mppuzvobdp> 2003/12/02 16:26:53
「あずみ」ちゃんについて・・・補足的むだ話

>まあ実際にどうだったのかはよくわかりませんが、少なくとも「日本刀(一本)三人限界説」には十分な根拠はない、と考えてよさそうです。(ゆうさん)

そうですねぇ。据えもの斬りの場合だと、100人くらいだったら一本の刀でも可能という証言がありますからね。据えもの斬りの場合は、首を切り落とすのだから、血がほとんどつかないので、刀の機能が劣化しないのでしょう。

ところで、NYのあるラーメン屋さんに、週末だけ漫画本を置く店がありまして、そこで、「あずみ」(だっかけな)という漫画を読むことが出来ます。

この主人公の「あずみ」ちゃんは、小さい頃から「じい」から徹底した隠密教育を受けて、憎き家康を殺害し、さらに、徳川方の刺客や悪党をばったばったと切り捨てるという、ある種の痛快時代劇です。たしか、最近に映画化もされたようです。

で、巻8では、数人の男をあっと言う間に斬り捨てますが、あずみちゃんは、「斬るスピードが早いので、刀に血がつかない」と言いながら、くるくると刀を回して、鞘に収めます。

「なーるほど!」だから、何人でも斬ることができるということで、作者も考えてますなぁ、とちょっと感心しました。ちなみに、あずみちゃんは、あるとき、50人の悪党(だったっけな)を一挙にやっつけています。



  ││ └変じゃないですか。 戦史おたく 2003/12/02 22:49:12  ツリーへ

Re: 補足します 返事を書く ノートメニュー
戦史おたく <krdmutcwqm> 2003/12/02 22:49:12
変じゃないですか。
山本七平の「私の中の日本軍」は「はじめに」にも書かれているように、東京日日新聞の百人斬りの記事が虚報であるということを書いたもので、その記事の「・・・向井少尉は奮然起ってその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を切り伏せた。・・・」に対しての論であるので、一本の刀で一夜の戦闘で五十五名を切り伏せたと解釈するのは当然のことではありませんか。それに反論するのですから五十五人を一夜で斬れるような資料が欲しいじゃないですか。それなのに皆さんの資料では五十五人斬りは無理といってるように見えますがいかがでしょうか。記事からは据え物ということも虚報の内になる様におもえますが。

  ││  └>山本七平の「私の中の日本軍」は「はじめ... タラリ 2003/12/03 12:29:57  (修正1回) ツリーへ

Re: 変じゃないですか。 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/12/03 12:29:57 ** この記事は1回修正されてます
>山本七平の「私の中の日本軍」は「はじめに」にも書かれているように、東京日日新聞の百人斬りの記事が虚報であるということを書いたもので、その記事の「・・・向井少尉は奮然起ってその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を切り伏せた。・・・」に対しての論であるので、一本の刀で一夜の戦闘で五十五名を切り伏せたと解釈するのは当然のことではありませんか。

いいえ、別に。
ゆうさんたちの議論は山本七平氏が「日本刀では三人も斬れない」と主張をしたこと
に対する反論、反証を挙げているのですから問題ありません。

戦史おたくさんの論点とはまた別なのです。よろしいでしょうか。
それはそうと、戦史おたくさんには山田支隊の機関銃装備数について教えていただき
ありがとうございました。

さて、山本七平氏の議論は散漫なので三人斬れないという根拠がなかなか見付けにくい
のですが、確実なのはここですね。

「私の中の日本軍」
台湾人S氏の手紙より
−同封の切り抜きは去年の九月二十八日付朝日新聞のものですが、この中にも「日本刀
で本当に斬れるのはいいとこ三人」という、殺陣師の談話があります。− p73

殺陣師って人を斬る職業なのでしょうか? 

あとは山本七平氏自身が戦友の遺骨を持ち帰るために手足を日本刀で切り取ったという
体験からの話ですよね。これは氏自身が「日本刀には統一された品質というものがない」と言っているのですから、問題になりませんよね。

  ││   ├出る幕がなくなってしまいました ゆう 2003/12/03 22:04:25  ツリーへ

Re: >山本七平の「私の中の日本軍」は「はじめ... 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/12/03 22:04:25
出る幕がなくなってしまいました

タラリさん、私の代弁、ありがとうございました。

ところで、私のページに掲載した「高野源治論文」に、「百人斬り」に関係した記述がありますので、紹介しておきます。
たぶん、ネットでは初出でしょう。


******************************

私の在所のS氏が南京中山門を目前にして負傷して帰り、老衰で去年死亡、もう一人のH氏も、たしか輜重兵(金沢市野田)に属して出征し、有名な百人斬り競争の二少尉のどちらかが、中国人を迎えては斬るのを見ていた話を聞いたが、そんならと聞き取りに行こうとしたら、家の評判が悪くなるとて息子に反対されたからと断られ、行かずにいたら去年亡くなった。雑談の中で彼のその話を聞いた者は私一人ではないのだが、今となっては取返しができない。

******************************

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/hokuriku.html

  ││   └論点は何? ローデシアン 2003/12/13 18:55:31  ツリーへ

Re: >山本七平の「私の中の日本軍」は「はじめ... 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/13 18:55:31
論点は何?

本来、百人切りというのは捕虜虐殺ではなく、戦闘中に一番槍よろしく敵部隊に突撃し、バタバタ敵兵を切り倒した、というのがもともとの新聞記事でしょう?
結局、山本七平氏が何を言っていてそれが間違っていようと、もともとの記事にあるようなことが果たして可能なのかというのとは別の問題でしょう。
>戦史おたくさんの論点とはまた別なのです。よろしいでしょうか。
というのは本来の百人切り論争とは別に、日本刀で百人切ろうと思ったら色々工夫すれば切れますよ、ということであって、現実に新聞記事に書かれたようなことが可能かどうかというのとは別である、と結論できますね。

私に言わせれば、百人切りを「できる」とするために捕虜を切ったんだとか切っては研ぎに出せば切れるんだとか、んなこと言う前に百人切りなぞ記者の創作であって、両将校の任務から考えてもそんなこと不可能だし、実際に切ってなどいないのだと考えた方がすっきりしますが。

  ││    ├Re論点は何? ゆう 2003/12/14 04:42:46  (修正1回) ツリーへ

Re: 論点は何? 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/12/14 04:42:46 ** この記事は1回修正されてます
Re 論点は何?

まず断っておきますが、私のスタンスは、「事実と判断できることを積み重ねて全体像を捉える。現在の自分の知識で事実と判断できないことについては判断保留とし、極力言及を避ける」というものです。

「百人斬り」について言えば、「白兵戦の中で百人斬ったかどうか」ということは、今の「百人斬り」論争の論点ではないでしょう。論点は、「捕虜の据え物斬り」という形で「百人斬り」に近い事実があったのか、それともそんな事実は何も存在しなかったのか、ということだと思います。

私は、今の時点では、そのどちらとも断定できるだけの材料を持っていません。とりあえずの関心は、「存在しなかった」派のいう「日本刀3人限界説」が正しいかどうか、ということだけでした。その上で、とりあえずは、「正しいとする決定的材料は存在しない」という結論を出しています。

まあ、それだけの話です。


>私に言わせれば、百人切りを「できる」とするために捕虜を切ったんだとか切っては研ぎに出せば切れるんだとか、んなこと言う前に百人切りなぞ記者の創作であって、両将校の任務から考えてもそんなこと不可能だし、実際に切ってなどいないのだと考えた方がすっきりしますが。

まず「記者の創作」という表現には、無理があると思います。紹介した「週刊新潮」の記事の通り、「本人が言ったままを記事にした」と考える方が妥当でしょう。記者が「事実でないとわかっていながら記事にした」という非難も、少なくとも浅海氏本人は否定していますし、決定的な「根拠」はないと思います。

また、「任務から考えても<不可能>」と簡単に「断定」してしまうことにも、賛成できません。「日本兵が夏服を着ているからこれはニセ写真」「モーゼル銃を持っているからこれは日本兵に偽装した中国兵」など、浅はかな「常識」が「事実」によって裏切られる例を、私はいくつも経験しています。もし「断定」を行うのであれば、山本氏のような感覚的なレベルではなく、もっと綿密な「考証」を積み重ねるべきでしょう。(私はこの点については、まだ「保留」です)

(「ラーベ日記」批判によく見る、「軍医が戦場の最前線に出ることはありえない」という「常識」に対する「反証」をふたつばかり発見したのですが、これはまた別の話。そのうち機会があれば投稿します)


いずれにしても、「南京事件」論議全体を考えた場合、「百人斬り」が事実であろうがなかろうが、たいした問題ではありません。

もともと、本多氏にとっても、「百人斬り」は軽いエピソードであるに過ぎませんでした。

山本七平氏は、「諸君」誌上での本多氏との論争の中で、「百人斬り」エピソードは中国人が語る「伝説」にすぎない、とする「勇み足」をやらかしました。本多氏から当時の新聞記事などの存在を指摘されて引っ込みがつかなくなり、「日本刀の性能」やら「任務として不可能」やらの説得性の薄い「根拠」をもとに大論争を仕掛けた、というのがこの「論争」の発端だったと思います。

その意味では、「百人斬り」を世に広めた「責任者」は山本氏である、と言えるかもしれません。

  ││    │└下駄箱を動かせない時は爆破せよ ローデシアン 2003/12/16 00:46:23  ツリーへ

Re: Re論点は何? 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/16 00:46:23
下駄箱を動かせない時は爆破せよ

私は上記のような思考をしております(元ネタはフルメタルパニックですが)。
もし、不振な物体があったとして、それを処分することも安全な場所へ動かすこともできないとき、入れ物もろとも爆破してしまえば安全である。
論がどうにもこじれて収拾がつかないとき、前提ごと吹き飛ばしてしまえばすっきりして一から考え直せます。つまりそういうことです。

>また、「任務から考えても<不可能>」と簡単に「断定」してしまうことにも、賛成できません。

私は断定してしまってよい、と思っています。
少なくとも、彼らが任務外の白兵戦闘を行い日本刀を振るったという明確な証拠が無い限り。

>もともと、本多氏にとっても、「百人斬り」は軽いエピソードであるに過ぎませんでした。

本多氏にとって〜というのは本人の勝手ですが、私はベトナムや文化大革命の件を見て氏の主張は信用できないと判断しております。

  ││    └今まで私が読んだ「否定派」たちの論点はす... タラリ 2003/12/14 12:12:02  ツリーへ

Re: 論点は何? 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/12/14 12:12:02
今まで私が読んだ「否定派」たちの論点はすべて鈴木明、山本七平のもの、特に後者
の論点を利用しているようです。

私が山本七平氏に対して持つ印象は、旧日本軍における豊富な体験を持ちながらも、
その体験を経験主義的、感覚的なレベルにおいてしか総括できず、ついぞ論理的な
次元での総括ができなかった三流知識人というものです。

山本七平氏の議論の要旨は

浅海記者(ら)の記事は
Y1.歩兵砲小隊長、副官であることを伏せた
Y2.日本刀であることを伏せた
Y3.何を斬ったか伏せた
Y4.指揮系統を伏せた

から、創作記事であり、これは

Y5.「戦意高揚」のプロパガンダであり
Y6.記者の新聞社本社への「アリバイ」

というものです。

この論旨は「私の中の日本軍」の数百ページの中に切れ切れに見いだされる論点を
私なりに要約してみたものなのですが、私に言わせれば論理を構成していません。

Y1.については確かに伏せてあります。しかし、Y2.3.は直接書いていなくても
明らかに日本刀、敵兵しか指し示していません。Y4.は百人斬り競争にとって書く
必要のないことです。

そして、Y1−4に対して同意が得られたとしても、それが浅海記者(ら)の創作記事
であるという必要十分な論証をなしていません。Y1−4は精々が「記事の不備」に属
することであって、創作記事の証明にはなりません。ところが、否定派諸氏といくら
論争しても、Y1−4だから創作記事だ、という答えしか返ってこないのです。

浅海記者(ら)が
K1.(白兵戦における百人斬りは不可能という)事実を知っていて
K2.(なにごとかの意図をもって)事実と違うことを書いた、
という立証は一切されていないのです。

ここでローデシアンさんの論点に戻せば、
【 戦闘中に一番槍よろしく敵部隊に突撃し、バタバタ敵兵を切り倒した 】ことが
不可能であるとして(事実その通り)、それで創作記事であるということの証明には
一切ならない、ということです。

例をあげましょうか?
今回のイラク侵攻戦の前にアメリカの新聞、ニューヨーク・ポストが
「イラクで大量破壊兵器の証拠が見つかった」
と書き立てました。
では、この記事はニューヨーク・ポストの創作記事でしょうか。

これは政府発表をそのまま記事にしたのであり、イラクに特派員を送って独自取材
したわけではありませんね。創作記事と言うには、N.P紙が「証拠がなかった」
ことを知っており、かつ「何らかの意図」を持って事実と違うことを書いた、ことを
証明しなければなりませんよね。

「百人斬り競争」に関する歴史的資料は限られています。それらを読み込んで合理的
な解釈、判断をすることが求められています。そして端的にいえば、それは三段論法
によって表現されるべき性質のものだということが出来ます。

三段論法とは
1.大前提
2.小前提
3.結論
という構成です。

A.私が百人斬り競争はあったという論証の核となる部分を三段論法によって示します。
1.大前提 白兵戦において日本刀を振るっての人斬りのみで百人斬りを行うのは
      不可能である。

2.小前提 ・・・であるにも関わらず、向井遺書では野田少尉が百人斬り競争を
      記者に言ったこと、そして、これが「公平な人が記事を見れば明らか
      に戦闘行為であります」と書いている。

3.結論  したがって白兵戦と異なる状況での百人斬り競争があったことを両少尉
      自身が証言しており、それは捕虜(敗残兵、投降兵、あるいは敵に通じ
      たと判断された民間人)の据え物斬り競争であったとしか考えられない。
      
B.創作記事であったか、両少尉がホラを混じえた武功話をそのまま書いたのか。

これは記者が「両少尉の話すことをそのまま記事にした」と証言しており、向井元
少尉も
「記事が正しければ報道せられまして賞賛されます。書いてあるものに悪い事は無い
のですが頭からの曲解です。浅海さんも悪いのでは決してありません。我々の為に賞
揚してくれた人です」
と書いているので一目瞭然です。


山本七平氏の論理構成は

A.百人斬り競争はなかった

1.大前提 白兵戦において日本刀を振るっての人斬りのみで百人斬りを行うのは
      不可能である。
2.小前提 浅海記者(ら)は白兵戦における百人斬り競争を記事にしたから虚報
      である。
3.結論  虚報であるから、百人斬り競争はなかった。

#つまりは、「白兵戦における百人斬り競争がなかった」ということだけを言って
 いるのであり、捕虜の据え物斬り競争を否定する論理は【ない】のです。

#ついでにいいますと、あえて三段論法の書法にそって書いたのですが、この論理
 構成は 正確に言うと1.だけで成り立つ「一段論法」であり、言い方を工夫する
 と「循環論法」「同義語反復」になるだけです。

B.創作記事であったか、両少尉がホラを混じえた武功話をそのまま書いたのか。

虚報であるから、創作記事である。

#両少尉がホラを混じえた武功話をそのまま書いた可能性についてはまったく触れて
 いません。

あとY5.Y6.についてはまた日を改めて書きます。

  ││     └私はバカなので余り複雑な思考は出来かねま... ローデシアン 2003/12/16 00:33:48  ツリーへ

Re: 今まで私が読んだ「否定派」たちの論点はす... 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/16 00:33:48
私はバカなので余り複雑な思考は出来かねますが…

大前提:両将校は百人切りを行ったのか

ここまで立ち戻った論はあるのでしょうか?
山本七平氏が何を言ったかというのは本来問題ではないはずです。

>これは記者が「両少尉の話すことをそのまま記事にした」と証言しており、向井元少尉も「記事が正しければ報道せられまして賞賛されます。書いてあるものに悪い事は無いのですが頭からの曲解です。浅海さんも悪いのでは決してありません。我々の為に賞揚してくれた人です」と書いているので一目瞭然です。

これ自体、少尉が浅海記者をかばってあげたという可能性に関しては検証されていますか?
もし創作記事を書いたとしても、それによって浅海記者が非難されるのは忍びない、自分らを誉めてくれたことだし、という人情もありましょう。

それに、仮に百人切りは大げさとしても、両将校が語ったことを浅海記者が記事にしたとして、一体何が問題なのでしょうか?
記事どおりであればそれは立派な武勇であって、非難されることではないと思いますが。
結局、百人切り=捕虜虐殺という図式の上で有った無かったを論じるから歪みが生じるのであって、百人切り=武勇であれば何も問題はないのですよね。

  ││      └ローデシアンさんの主張は何ですか。 タラリ 2003/12/16 14:29:48  ツリーへ

Re: 私はバカなので余り複雑な思考は出来かねま... 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/12/16 14:29:48
ローデシアンさんの主張は何ですか。

>大前提:両将校は百人切りを行ったのか

>ここまで立ち戻った論はあるのでしょうか?
>山本七平氏が何を言ったかというのは本来問題ではないはずです。

前提とは事実のことで、疑問点、問題点は前提とはいいませんが、それはさておき、
その問題を論じているはずですが?

否定派:白兵戦による百人斬り競争も捕虜据えもの斬りもない。
肯定派:捕虜据え物斬りによる百人斬り競争であった。

ではなかったのですか。前回までのローデシアンさんの議論は山本七平氏と同じです。
ですから、同じ論旨で反論しました。

>>これは記者が「両少尉の話すことをそのまま記事にした」と証言しており、向井元少尉も「記事が正しければ報道せられまして賞賛されます。書いてあるものに悪い事は無いのですが頭からの曲解です。浅海さんも悪いのでは決してありません。我々の為に賞揚してくれた人です」と書いているので一目瞭然です。

>これ自体、少尉が浅海記者をかばってあげたという可能性に関しては検証されていますか?
もし大前提:両将校は百人切りを行ったのか創作記事を書いたとしても、それによって浅海記者が非難されるのは忍びない、自分らを誉めてくれたことだし、という人情もありましょう。

私が証拠材料として取り上げたということは、私が真実だと考えたから以外に
受け取りようがないでしょう。それに対してあなたの具体的な検証による反論が
なければ議論を構成しません。


>それに、仮に百人切りは大げさとしても、両将校が語ったことを浅海記者が記事にしたとして、一体何が問題なのでしょうか?

はて、私は「両将校が語ったことを浅海記者が記事にした」ことをいつ問題にしましたか?

>記事どおりであればそれは立派な武勇であって、非難されることではないと思いますが。

記事どおりでないことは否定派、肯定派とも同意済みのはずですが。

>結局、百人切り=捕虜虐殺という図式の上で有った無かったを論じるから歪みが生じるのであって、百人切り=武勇であれば何も問題はないのですよね。

はい。あなたの文章の意味はこうですね。
◆1.歪みが生じるから【 捕虜の据え物斬り競争と言ってはいけない 】。
◆2.百人切り=武勇であれば何も問題はない

これって反論ですか? 反論ではありえませんよね。
「百人斬りは捕虜虐殺であった」というのが私の主張なのですよ。
これに対するあなた自身の反論を示さないとと議論になりませんね。

相手の主張が示されたとき、《それを言っては歪みが生じるから言ってはいけない》。
これが反論なら何にだって反論できますよね(^O^)。

《百人切り=武勇であれば何も問題はない》−「武勇」という意味は白兵戦での百人斬り競争という意味ですね。

では、まず、次の質問にお答え下さい。
1.白兵戦での百人斬り競争なら、実行不可能である。
2.捕虜の据え物斬り競争なら、実行可能である。

  ││       └事実は誰が知るのか? ローデシアン 2003/12/16 21:10:38  ツリーへ

Re: ローデシアンさんの主張は何ですか。 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/16 21:10:38
事実は誰が知るのか?

>1.白兵戦での百人斬り競争なら、実行不可能である。
>2.捕虜の据え物斬り競争なら、実行可能である。
1についてはほぼ不可能である(絶対とは言わない)、
2については不可能ではない(ただし周到に準備をした上で)、と思います。

さて、私は別にタラリさんらが何を主張しようと構わないのです。
私の主張はどこに有るのかといえば、捕虜虐殺というのであれば、その証拠はどこにあるの?
浅海記者も両将校も、元はそんなこと言っても書いてもいないでしょう?
というだけのことなんです。

1.百人切りをした。

2.戦闘においてそれをすることは不可能である。

3.捕虜を虐殺したからできたのである。

というルートは1が正であるという仮定のもとでしょう?

1’白兵戦で数人を切った

2’両将校の間で「百人切り競争」として話が膨らむ

3’浅海記者が武勇伝として仕立てた

ということも有るのでは?
特に2’で「中国兵は白兵に弱い。百人だって切れる」という話題となることは十分ありうるでしょう。
「絶対に」無いというのであれば、両将校が「絶対に」捕虜虐殺を行ったという証拠が必要なのでは?

私に言わせれば、全くまっさらな状態から浅海記者の記事を読み、順繰りに話を追っていくと、捕虜虐殺という結論に行き着くのはありえないと思うのですが。

  ││        └>浅海記者も両将校も、元はそんなこと言っ... タラリ 2003/12/16 23:29:01  ツリーへ

Re: 事実は誰が知るのか? 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/12/16 23:29:01
>浅海記者も両将校も、元はそんなこと言っても書いてもいないでしょう?
というだけのことなんです。

>1.百人切りをした。

>2.戦闘においてそれをすることは不可能である。

>3.捕虜を虐殺したからできたのである。

>というルートは1が正であるという仮定のもとでしょう?

上の図式の1.は不適切。「百人切りをした」ではいきなり、白兵戦か、捕虜か、
決定しないまま「百人斬り」という事実があったことを認めれば混乱を招きます。

したがって解釈を交えない事実関係から出発するとすれば「浅海記者らが両少尉が
百人斬り競争をしたと報道した」と書くべきです。

しかも記者たちは、両少尉が伝える「百人斬り競争」の言ったままを記事にした、
と証言しています。向井遺書では「書いてあることに悪いことはないのです」と書
いています。また、別の文では野田少尉が言ったことが記事になった、とも書いて
います。野田遺書では向井少尉が言ったことが記事になったと書いています。

百人斬り競争の記事は4回にわたって、光本、浅海、鈴木各記者と佐藤カメラマンの
写真によって書かれています。記者たち(浅海、鈴木)の戦後の証言を読みますと、
百人斬り競争は彼らの側から持ち込んだ話であり、4回にわたって、殺人スコアを彼
らの方から記者を捜しては報告して来ていると言います。

その「競争」のスコアの付け方として、佐藤振寿カメラマンはこう述べています。

−あの時、私がいだいた疑問は、百人斬りといったって、誰がその数を数えるのか、
ということだった。これは私が写真撮りながら聞いたのか、浅海さんが尋ねたのか
よくわからないけれど、確かどちらかが、“あんた方、斬った、斬ったというが、
誰がそれを勘定するのか”と聞きましたよ。そしたら、野田少尉は大隊副官、向井
少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。その当番兵
をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ、という話だった。 ――それなら話
はわかる、ということになったのですよ。私が戦地でかかわりあった話は、以上だ。
               『週刊新潮』昭和47(1972)年7月29日号 p.35

したがって、なにごとか「日本刀」による「競争」が事実行われていることは疑う
余地はないでしょう。

白兵戦での人斬りは1回の戦闘で3−4人が限度。しかも白兵戦は1回くらいしか
しなかった(野田−志々目証言)ですから、その実態は捕虜の据え物斬り競争しか
考えようがないでしょう。

また、向井遺書では「公平な人が見れば戦闘行為」であるところの競争を行っている
と書いています。白兵戦での人斬りは「誰が見ても戦闘行為」であるのは明白です。
では「誰が見ても戦闘行為」以外の【公平な人】だけが「戦闘行為」と認定する種類
の「戦闘行為」とは何なのでしょうか。

当時の日本軍将兵は正式な捕虜、つまり日本軍自身が捕虜と認めたものたちさえ、
殺害することをときに「戦闘行為」と呼んでいました。また、日本軍が自らは捕虜と
は認めていなかったところの投降兵、敗残兵(これらは戦意を喪失し日本軍の手に
落ちた時点で日本軍の権内にあるので国際法上の捕虜に当たります)については
もちろん、堂々と殺害していました。

そして、日本軍が彼らを殺害するときには好んで日本刀による斬首を行ったことも
事実です。


また、鵜野晋太郎「日本刀怨恨譜」の中で50人斬ったとも100人斬ったとも伝えられる藤井曹長というひとの発言が紹介してあります。

−しかし将校さん方から時々、白兵戦で何人も何人も斬ったという話が流れるが信じませんね。 ……そうでしょう。刀ほど危ないものはないですよ。一対一でも着剣小銃手と闘っても勝てないですよ。 ……まして一対二なら一辺ですよ。ツンゴピン(中国兵)が本気になったら怖いですよ。だから私は、据え物で何十人斬ったと言うのなら信じますがねえ。

つまり、
1.当時の風潮として将校はしばしば白兵戦で何人も斬ったという種類のホラを言った。
2.それに対して人斬りのプロである藤井曹長がそれはあり得ない、据え物で斬ったと
  いう話ならわかる、という認識を示している。

ということで、両少尉に似た言動がしばしば見られたが、自ら白兵戦でも据え物斬り
でも活躍した軍曹の言によって、そういう場合は据え物斬りをそう吹聴していると
判断されるということがわかります。

  ││         └ジャムはどこに存在するのか、 ローデシアン 2003/12/17 16:44:45  ツリーへ

Re: >浅海記者も両将校も、元はそんなこと言っ... 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/17 16:44:45
ジャムはどこに存在するのか、
なにがジャムなのか、
どこからどこまでがジャムなのか、
そういうことがわからないのでは、対処のしようがない
神林長平「グッドラック・戦闘妖精雪風」

捕虜虐殺、陶物切り競争というのは推測が混じっているでしょう?
確かに彼らが捕虜を虐殺したという記録はあるのですか?
彼らが白兵戦を交えたにしても、捕虜を切ったにしても、公式の記録がちゃんと残っているはずでしょう。

浅海記者が確かに事実を書いたのか。
向井、野田少尉が語ったことは確かに事実なのか。
これらに関しては果たして証明されたといえますか?
野田少尉が語ったことなのか、向井少尉が語ったのか、それすら明らかでない。
また、浅海記者は彼らの話をそのまま記事にしたわけではないでしょう。
新聞の記事になるように手が加わっていることは確実です(現代でもそうなのですから)。
>したがって、なにごとか「日本刀」による「競争」が事実行われていることは疑う
>余地はないでしょう。
余地が無いって、そう断言できる根拠や物証はあるのですか?

>向井遺書では「公平な人が見れば戦闘行為」であるところの競争を行っている
>と書いています。白兵戦での人斬りは「誰が見ても戦闘行為」であるのは明白です。
>では「誰が見ても戦闘行為」以外の【公平な人】だけが「戦闘行為」と認定する種類
>の「戦闘行為」とは何なのでしょうか。
これって曲解ではありませんか?
「公平な人が見れば」ということはつまり法的に問題が無いということでしょう。
もし彼らが捕虜を切ったとしても、それは違法ではない、全く問題が無い行為であったということになります。
こうなると「百人切り」という問題自体が問題でなくなるわけでして、一体何が問題なのです?

  ││          └>捕虜虐殺、陶物切り競争というのは推測が... タラリ 2003/12/17 23:27:51  ツリーへ

Re: ジャムはどこに存在するのか、 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/12/17 23:27:51
>捕虜虐殺、陶物切り競争というのは推測が混じっているでしょう?
>確かに彼らが捕虜を虐殺したという記録はあるのですか?
>彼らが白兵戦を交えたにしても、捕虜を切ったにしても、公式の記録がちゃんと
>残っているはずでしょう。

公式の記録が残されていない戦闘というのはいくらでもあります。記録がないから
といって捕虜の虐殺がなかったということにはなりません。

>浅海記者が確かに事実を書いたのか。
>向井、野田少尉が語ったことは確かに事実なのか。
>これらに関しては果たして証明されたといえますか?
>野田少尉が語ったことなのか、向井少尉が語ったのか、それすら明らかでない。
>また、浅海記者は彼らの話をそのまま記事にしたわけではないでしょう。
>新聞の記事になるように手が加わっていることは確実です(現代でもそうなのですから)。

具体的な論点を提示して下さい。例えば「浅海記者は事実を書いていない」と主張
されるのなら、その論拠を示して下さい。やみくもに疑問を呈しても議論は一歩も
進みません。

「新聞記事に手が加わっている」と主張されるのなら、どの部分がそうか、論拠を
示して下さい。

>>したがって、なにごとか「日本刀」による「競争」が事実行われていることは疑う
>>余地はないでしょう。

>余地が無いって、そう断言できる根拠や物証はあるのですか?

根拠は今までに示した通りです。物証はありません。物証がなくても資料から
推定されれば歴史的事実として認められます。資料から推測されることを
すでに書きました。

>>向井遺書では「公平な人が見れば戦闘行為」であるところの競争を行っている
>>と書いています。白兵戦での人斬りは「誰が見ても戦闘行為」であるのは明白です。
>>では「誰が見ても戦闘行為」以外の【公平な人】だけが「戦闘行為」と認定する種類
>>の「戦闘行為」とは何なのでしょうか。

>これって曲解ではありませんか?

曲解であるという貴方の論拠を示さずに、疑問を呈しても議論は一歩も進みません。

>「公平な人が見れば」ということはつまり法的に問題が無いということでしょう。
>もし彼らが捕虜を切ったとしても、それは違法ではない、全く問題が無い行為で
>あったということになります。

「法的に問題が無い」、それが、向井元少尉の「認識」であったということです。
捕虜の斬殺は当時も今も立派な国際法違反の虐殺行為です。向井元少尉はそれを
知らなかったから堂々とやったと言っているわけですね。

>こうなると「百人切り」という問題自体が問題でなくなるわけでして、一体何が
問題なのです?

本人が犯罪行為と思っていなくても犯罪行為は成立するのです。
それとも、ローデシアンさんは「自分が犯罪行為と思っていなければ何をやっても
犯罪行為を構成しない」と考えているのでしょうか。

  ││           └疑わしきは被告人の利益に ローデシアン 2003/12/18 21:41:35  ツリーへ

Re: >捕虜虐殺、陶物切り競争というのは推測が... 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/18 21:41:35
疑わしきは被告人の利益に

結局、絶対に断言できることは何一つ無いわけですね。
出だしからあやふやではどうにもなりませんよ。
野田少尉も向井少尉もある程度の部下を持つ階級ですし、現に当番兵に数えさせるといっていますから、その当番兵に話を聞くなり部下をあたって裏はとってあるんですか?

>公式の記録が残されていない戦闘というのはいくらでもありす。
>記録がないからといって捕虜の虐殺がなかったということにはなりません。
あったということにもなりませんね。
こんな言い方では何とでもいえるんです。

>根拠は今までに示した通りです。物証はありません。物証がなくても資料から推定されれば歴史的事実として認められます。資料から推測されることをすでに書きました。

私は何にも思いませんけど。
確実なことが何も無い砂の楼閣ですからねえ。
>曲解であるという貴方の論拠を示さずに、疑問を呈しても議論は一歩も進みません。
つまり砂の楼閣を作る様が曲解というのですよ。

>本人が犯罪行為と思っていなくても犯罪行為は成立するのです。
>それとも、ローデシアンさんは「自分が犯罪行為と思っていなければ何をやっても犯罪行為を構成しない」と考えているのでしょうか。
その前提には、両将校に法的な知識が一切無かったという前提が無いと成り立ちませんね。

  ││            └>疑わしきは被告人の利益に タラリ 2003/12/18 23:27:05  ツリーへ

Re: 疑わしきは被告人の利益に 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/12/18 23:27:05
>疑わしきは被告人の利益に

はい、これは裁判の論理です。今は歴史的な事実の問題を議論している
わけであり、向井、野田両元少尉の裁判をしているわけではありません。

現実に起きているのは本多勝一氏、朝日、毎日新聞社を被告とする裁判
です。この裁判は被告人の利益が優先されます。

>結局、絶対に断言できることは何一つ無いわけですね。
>出だしからあやふやではどうにもなりませんよ。
>野田少尉も向井少尉もある程度の部下を持つ階級ですし、現に当番兵に数えさせると
>いっていますから、その当番兵に話を聞くなり部下をあたって裏はとってあるんです
>か?

そういうあなたは、いかなる百人斬りも絶対なかったということを断言できますか?
当番兵に百人斬りは絶対なかったと確認していますか? そうではないですね。

ということは、現在も可能な議論は、現在残されている資料から最も妥当な判断を下す
ことでしかありませんよね。

1.「据えもの斬り」について
  捕虜の据え物斬りがあったという仮説となかったという仮説のどちらが蓋然性が
  高いか。

向井少尉は「戦闘行為」はあった、と発言している。日本刀を使っての競争はあったと
佐藤振寿カメラマンの証言、石美喩裁判官はブランデーを賭けた競争をしていたことを
証言している。

当時、捕虜の斬首が盛んに行われていたことを示す資料がいろいろある。また、多くの
下士官・将校が据え物斬りをも白兵戦のように言いふらすことがあった。

両少尉が4回にわたって記事の内容となることを進んで提供したと見られる。

野田少尉自身が志々目氏に対して据え物斬り競争であったことを告白している。

よって、据えもの斬り競争はあった。

2.「記事の創作」について
  向井、野田少尉の遺書、回想メモの内容と記者の証言とどちらが真実かで、両少尉
  の言うままを書いたのか、記者が創作したのかが決められる。

野田回想メモは不自然であり、記者の証言の方が遙かに信憑性が高い。


>>本人が犯罪行為と思っていなくても犯罪行為は成立するのです。
>>それとも、ローデシアンさんは「自分が犯罪行為と思っていなければ何をやっても犯罪行為を構成しない」と考えているのでしょうか。

>その前提には、両将校に法的な知識が一切無かったという前提が無いと成り立ちませんね。

もう一度いいますよ。法律的な知識があろうとなかろうと、犯罪行為を犯せば
犯罪であり、処罰されます。

  ││             └まるで読み取れていませんね。 ローデシアン 2003/12/19 21:37:48  ツリーへ

Re: >疑わしきは被告人の利益に 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/19 21:37:48
まるで読み取れていませんね。

>もう一度いいますよ。法律的な知識があろうとなかろうと、犯罪行為を犯せば犯罪であり、処罰されます。
そういうことではありません。
向井少尉が自分たちは問題のない戦闘行為をしたと証言していて、しかも彼らは一兵卒ではない、仕官である。
軍法、戦時国際法についてある程度知識を持っていたであろうに、なぜ自分らの行為を違法だといわなかったのか。
それとも彼らは仕官でありながらそういった法的知識は何も無かったというのか、ということです。

>日本刀を使っての競争はあったと佐藤振寿カメラマンの証言、石美喩裁判官はブランデーを賭けた競争をしていたことを証言している。
ここまでは良いです(でも確かにそうか、と確認はしてませんね。物証も無い)。
>当時、捕虜の斬首が盛んに行われていたことを示す資料がいろいろある。また、多くの下士官・将校が据え物斬りをも白兵戦のように言いふらすことがあった。
だから彼らが絶対にした、ということにはならないでしょ。物証を持って来ましょうよ。

>野田少尉自身が志々目氏に対して据え物斬り競争であったことを告白している。
告白した状況はどういう状況ですか?
向井少尉もそれに同意したのですか?
なんらかの強制、心理的圧力はありませんでしたか?
これが絶対に正しいと確証が取れているなら、現在まで疑問が提示されることは無いはずでしょう。
野田、向井少尉の刀を手入れした刀鍛冶に証言を求めましたか?

  ││              └さらに追加 ローデシアン 2003/12/19 21:42:45  ツリーへ

Re: まるで読み取れていませんね。 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/19 21:42:45
さらに追加

彼らがどこで百人切りを行ったか、戦闘記録は残っていませんか?
兵卒ではない、士官がみずからやった行為ですよ。
場所、日時まで明らかになってしかるべきでしょう。
部下の兵は捕虜を切るのに加わらなかったのですか?
本来は兵がやるべき仕事ですよ。
彼らの証言はどうしたのですか?

  ││               └>軍法、戦時国際法についてある程度知識を... タラリ 2003/12/19 23:19:41  ツリーへ

Re: さらに追加 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/12/19 23:19:41
>軍法、戦時国際法についてある程度知識を持っていたであろうに、なぜ自分らの
行為を違法だといわなかったのか。

アホですか。自分の行為を違法だと告白する被告人がいますか?

>それとも彼らは仕官でありながらそういった法的知識は何も無かったというのか、
ということです。

日本軍においては国際法の知識はなかった、あるいはあっても無視していました。例えば両少尉らの所属する中島師団長からして「捕虜はとらぬ方針」として捕虜の虐殺を肯定していました。

>>当時、捕虜の斬首が盛んに行われていたことを示す資料がいろいろある。また、多くの下士官・将校が据え物斬りをも白兵戦のように言いふらすことがあった。

>だから彼らが絶対にした、ということにはならないでしょ。物証を持って来ましょうよ。

【質問】物証? 何が捕虜の斬首の物証たりえますか?

物証は裁判では重視されますが、文献資料がある時代において歴史の資料になることは
滅多にありません。私の主張は当時の時代背景、記事の内容、両少尉の証言・遺書、
記者らの証言による判断です。歴史資料はこれだけですから、これから判断をしてい
ます。

ところで、あなたは浅海記者が「武勇伝として仕立てた」と主張しましたが、物証が
ないといけないという考えをお持ちなら、ローデシアンさんの方こそ「物証」を提示
しなくてはなりませんね。

>>野田少尉自身が志々目氏に対して据え物斬り競争であったことを告白している。

>告白した状況はどういう状況ですか?

小学校の講演において自由に発言されたものです。小学生相手という気安さから一大
武勇伝になったことを恥じて、素直な告白をしたものと思われます。これは戦後に
なって伝えられた証言です。

>野田、向井少尉の刀を手入れした刀鍛冶に証言を求めましたか?

もし、刀はほとんど傷んでなかったとか斬ったあとはなかったという証言の可能性が
あれば、両少尉が証言者を探したはずと思われます。それがなかったということは
両少尉にとって不利な証拠があったと思われます。

>>日本刀を使っての競争はあったと佐藤振寿カメラマンの証言、石美喩裁判官はブランデーを賭けた競争をしていたことを証言している。
ここまでは良いです(でも確かにそうか、と確認はしてませんね。物証も無い)。

石美喩裁判官が言ったことは裁判での証言ですから、当然彼らに、確認をとったはず
です。また、石美喩裁判官の証言した「ブランデーを賭けた」という発言には、具体性
真実性があります。佐藤振寿カメラマンの証言も、どうやって確認するのか、という
当然の疑問に対して、その場で咄嗟に口から出たとは思われない周到な答えであること
に驚かされますし、佐藤氏も疑問に対する十分な回答を得られた、強い印象が述べられ
ていることから真実と判断されます。

ところで、あなたの証言に対する考え方は非常に雑です。「確認をとる」といいます
が、一体どうやったら「確認」と言えるのでしょう? また、証言に対する物証とは
何なのでしょう。

>彼らが白兵戦を交えたにしても、捕虜を切ったにしても、公式の記録がちゃんと残っているはずでしょう。

そのような記録が現存している可能性は低いと思われますが、もしあったとして、
捕虜を斬っていないという記録があったとしたら、両少尉はそれを証拠申請した
はずだと思われます。それをしなかったということは記録が存在しないか、あるいは
不利な記録が残されている可能性が高いと見られます。

>彼らがどこで百人切りを行ったか、戦闘記録は残っていませんか?

敗戦のときに戦争に関連するあらゆる資料は焼くように指令が出ているのを
ご存じないですか? もっとも、焼却を逃れた資料もたくさんあるにはありますが、
資料というものは必ず失われ、減っていくものです。

それから、もっとも詳細な戦闘報告は戦闘詳報ですが、これは部隊の戦闘命令に
対応して書かれるものであり、戦闘命令とは「△△隊は○○方面の敵を撃破せよ」
というような形でかかれます。何々の方法で捕虜を殺せとか、どこどこの戦場で
白兵戦をせよ、とかいう命令は出されないのです。

追加。
「疑わしきは被告人の利益に」
これは、裁判の論理であって、歴史の論理ではありません。歴史は特定の個人を
断罪することを目的に書かれるのではありません。

また、向井、野田両少尉については判決が確定しているのであり、もし、かれらの
「無罪」を主張するならば、無罪であったことの証明は被告人側が行わなくては
なりません。

通常の一審では被告人はdefaultが無罪ですが、有罪判決の出た以後はdefaultが
有罪の立場になります。この意味であなたが、両少尉の有罪証拠を求めるとすれば
それは越権であり、無罪証拠はあなたの側が提示しなければなりません。

  ││                ├結局何も分かってないのですか ローデシアン 2003/12/20 10:35:48  ツリーへ

Re: >軍法、戦時国際法についてある程度知識を... 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/20 10:35:48
結局何も分かってないのですか
私は、彼らが単独で百人切りをしたというのはありえない。
部下や同輩に話を聞くなり、上官にどのような報告が行われたか調べるなり、幾らでも検証方法はあると言っているのですが。

  ││                └志々目証言に関して ローデシアン 2003/12/20 14:40:23  ツリーへ

Re: >軍法、戦時国際法についてある程度知識を... 返事を書く ノートメニュー
ローデシアン <gdvrfogsqn> 2003/12/20 14:40:23
志々目証言に関して

この証言を正しいと考えても、捕虜を切ったのではなく投降兵を切ったことになります。
捕虜にする前ですから殲滅しても問題ありません(連合軍においても頻繁に行われたことですし、連合軍が不問に記されていますから日本も同様です)。
また、中国兵はわざわざ切られるのを黙って見ていたのでしょうか?
投降しても殺されるなら、反撃するか逃亡するかしなかったのですか?
逃亡や反撃できないよう、周囲を部下に固めさせていたなら、やはり部下の証言を得るのが先ではありませんか?

  ││                 └>結局何も分かってないのですか タラリ 2004/01/04 09:52:05  ツリーへ

Re: 志々目証言に関して 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2004/01/04 09:52:05
>結局何も分かってないのですか

わかっていることはわかっています。捕虜の百人斬り競争があったというのが
私の結論。理由は述べましたよね?
それに対するローデシアンさんの反論は な・か・っ・た。

>私は、彼らが単独で百人切りをしたというのはありえない。
>部下や同輩に話を聞くなり、上官にどのような報告が行われたか調べるなり、
>幾らでも検証方法はあると言っているのですが。

人情から言っても元の戦友に対して不利な証言をすることはほとんどありません。
その逆に、百人斬りはしなかったという証人を一人でも立てることができましたか?

>志々目証言に関して
>この証言を正しいと考えても、捕虜を切ったのではなく投降兵を切ったことになります。

このような疑問を出されるからには、あなたは志々目証言が本当である可能性も
考慮されているということでしょうか?
国際法における捕虜の定義は「敵の権内にあるもの」です。
「捕虜として収容する」あるいは「捕虜として収容することの宣言」をもって
捕虜とするのではありません。
武器を捨て戦意なく投降する兵を処刑することも明確な国際法違反です。

>また、中国兵はわざわざ切られるのを黙って見ていたのでしょうか?

ニーライライと言って投降を勧めておきながら、だまして処刑したのは卑怯です。

  │└白兵戦について成瀬関次の従軍記より 渡辺 2003/12/01 01:44:54  (修正4回) ツリーへ

Re: 「戦ふ日本刀」より四十七人斬り 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/12/01 01:44:54 ** この記事は4回修正されてます
白兵戦について 成瀬関次の従軍記より

ゆうさん:>
>実は、手元の資料をまとめて「百人斬り資料集」というコンテンツを作ろうかと構想していたのですが、「対抗言論のページ」でとっくに私の考えていた資料と概ね同じ資料が掲載されているのを見て、断念しました。まあ、裁判進行中とのことですので、おかしな資料を掲載して思いがけない迷惑をおかけしてもうまくありませんし・・・。

資料もだいぶあって、整理が必要ですね。
本多勝一氏が何を書いたかも、巷ではかなり「流言蜚語」が飛んでいるようです。
そういう意味で、資料集や、どこに、どういう記事があるかというような情報は必要ですね。

もう一度、自分で調べてみたら、本多氏はかなり控えめにしか「百人斬り」について述べていないようです。
今回の裁判は、内容的には「ガス室」裁判にも匹敵しないのではないかと...(^^;

『戦ふ日本刀』は、すんでのところで目の前を通り過ぎたりして、なかなか実物にお目にかかれないのですが、この本を書くきっかけになったと思われる、『刀と劍道』という雑誌に4回にわたって掲載された「従軍記 血刀修理行」は入手していますので、ご紹介いたします。『戦ふ日本刀』にも同じ内容の記事があるかも知れません。
白兵戦について、成瀬関次氏は次のように語っています。(/\の記号は繰り返し記号です。例えば「ぬる/\」は「ぬるぬる」となります。)
----
[『刀と劍道』第一巻第八號、雄山閣、1937年12月]
従軍記 血刀修理行(二) 成瀬關次

- p.150 -
 これは今度の事變ばかりでなく、日清日露から西南役維新戦争に遡って見て、實際亂戰中に敵とわたり合つて血戰した事實は、小説や講話にあるやうにさうザラにあつたものでは無いらしい。殊に今度の事變などでは、いざ接戦となると敵は逃げ足となり、一人斬つて二人目に及ばんとする時は、早二間も三間も離れて居るといふやうな場合が多く、實際十人も二十人も斬ったといふやうな話は、例へぱ敵を城壁城内際とか袋路地のやうな所へ追ひつめ、ひしめき合ひわめき合ふのを片つ端から滅多斬りに斬り捲つた時などの事で、さうした将兵の血刀を手にし、状況を聞いて見るに、四五人斬つたかと思ふ頃、多くの場合血がぬる/\と柄に傳はつて来る。斯様な時に、昔の柄巻の有難さが本當にわかるもので、殊に小倉木綿をそのままたゝんで巻いたのなどは、手がすべらなくてよい。柄糸の上をぴか/\と漆で塗つたり、皮革で巻いたりしたものは、ぬめつて困るといふ。
 ある尉は、濟南に居た時、保強の為にと、柄の上を竹刀の柄のやうに牛皮で縫ひくるめ、さて濟寧攻撃の時の白兵戦で柄に血がつたはり、手がぬめつて仕方がなくて手に土をつけては持ち直したと白状し、「やつぱり昔のまゝがいゝ、柄は丈夫一點張りだけでもいかん。理想は、同じ柄を二つ持つて來る事ぢや。」と述懐したのなどは、貴い體驗だと思ふ。
 血刀記録はまだ/\あるが、それは次々の條下で述べる事として一時筆を措く。
-----

実際に見た白兵戦と、白兵戦の後と思われる状況の部分です。凄まじい様子が描かれています。
-----
[『刀と劍道』第二巻第四號、雄山閣、1938年 4月]
従軍記 血刀修理行(四) 成瀬關次

- p.132 -
 二度目に飛び下りた支那兵は、一寸尻餅をついた格好であった。右手には拳銃様のものを特つてゐた。最後に廻れ右のやうな形で後ろを向いた動作は、心では撃つつもりでやつた事かも知れぬ。曹長は、飛び下りる時、「野郎」とも「やあ」ともの判明せぬ“おめき聲”をたてた。追ひすがりざま刀の柄ごとどしんとぶつかつて、次に抜打に斬つた時は、明かにその刃が光つて見えた。支那兵がキリ/\舞の
- p.133 -
やうな姿で後ろを向いた時に、一人の兵隊が直向から銃劍で胸のあたりを突き、次いで二三名が銃劍を揃へて殪れるところを突き刺した。
 これは後の事であつたが、川上部隊長、河野部隊長、石丸部隊長はじめ、前線の将士中に、軍刀を昔ざしにしてゐるのをよく見受けた。まことに戰ひよいさうで、やつぱり先祖の殘した形式には、我々は無條件に従ひ得るものが多いと云つてゐた。

- p.137-
 思はず深入りしたのに氣づいた自分は何となく心細くなつて引かへさうとしてゐると、その窪地の南の方へ車輌の擔架隊が来てゐて、四五名の兵隊が擔架でしきりに友軍散華の尊いなきがらを運んでゐる。
 「手つだつてくれや。」と無造作に聲をかける。二日二晩寝ずのぶつ通しでどうにもならんといふ。
 「ウ、よし。」とばかり自分は窪地から上つて行くと、低い土手の陰にもあるらしいといふ。草の深い土手を下りると、何か収穫したらしい畑地で、そこに圖らずも彼我白兵戦の結果とも思はるゝあるものを見た。
 支那兵には珍らしい大兵肥満の大男が一人、北向きにうつ伏して殪れてゐる。その五歩程東に、一人の支那兵に折り重なるやうにして、皇軍の勇士が一名すでに縡切れてゐる。血に染まつた日本刀を右手に持つたまゝ、刀緒がかたく其の右手にからみついたままで。
 巨漢支那兵の頭のところには、これも血に染まつてどす黒くなりかけてゐる大青龍刀の恐ろしくひねくれたのが一振投げ出されてゐる。
-----

  │ └『中国の旅』脚注より KOIL 2003/12/14 07:00:11  ツリーへ

Re: 白兵戦について成瀬関次の従軍記より 返事を書く ノートメニュー
KOIL <yyiivymypb> 2003/12/14 07:00:11
『中国の旅』脚注より

>本多勝一氏が何を書いたかも、巷ではかなり「流言蜚語」が飛んでいるようです。
>そういう意味で、資料集や、どこに、どういう記事があるかというような情報は必要ですね。

その流言蜚語の一つが、阿羅健一に代表される以下のような言説ですね。
------------
このとき、改めて、ふたりは戦意高揚の記事のために処 刑されたことが明らかにされましたが、朝日新聞と本多 勝一記者は、その記事を単行本にし、さらに平成十一 年、本多勝一氏は「南京大虐殺否定論13のウソ」(柏 書房)にも書き、しかも途中からは、ふたりが捕虜の据 え物斬り競争をしたと書くようになりました。
http://www.senyu-ren.jp/100/002.HTM
------------

以下に、本多勝一『中国の旅』(朝日新聞社)の単行本の脚注から引用します。
私が引用した本は、昭和47年7月29日発行の第9刷です。ちなみに、第1刷は昭和47年3月25日発行です。
本多勝一氏が相当初期から、百人斬り競争は捕虜の据え物斬りだと認識していた事がわかります。
------------
<注4263ページ> 『東京日日新聞』の昭和十二年十二月十三日付紙面
に、この件に関する次のような記事が出ている。

(KOIL:注 以下、東京日日新聞の記事が転載されている。)


 また、ここに到るまでの経過については、同紙の同年一一月三十日紙面に第一報、一二月六日の紙
面に第二報が出ているので、これは第三報に当たる。また、月刊誌『丸』の一九七一年一一月号には、
この第三報を送稿した鈴木二郎記者が、両少尉から取材したときの状況を「私はあの”南京の悲劇”
を目撃した」として、報告している。さらに月刊誌『中国』(徳間書店)の一九七一年一二月号では、
野田少尉が故郷の小学校をたずねて、このときのことを語った自慢話が、直接きいた志々目彰氏(中
央労災組織推進部)によって紹介されている。それによると、野田少尉は次のように語っている。
「実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない。占領した敵の塹壕にむかって
『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろ出てこちらへやってくる。それを並
べばせておいて片っぱしから斬る。百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆
どだ」
 このニ少尉は戦後、国民党蒋介石政権によって南京で裁判にかけられ、死刑が決定野田毅被告は
一九四七年一二月八日、向井敏明被告は一九四八年一月二八日午後一時、それぞれ南京郊外で処刑さ
れた。(二人の各出身地である山口県玖珂郡由宇町役場および鹿児島県肝属郡田代町役場の戸籍係の調査から)
 もと陸軍将校の機関誌『偕行』には、一九七〇年七月号から一九七一年一月号までの七回にわたっ
て、野田毅被告の遺言が連載されている。
-------------本多勝一/『中国の旅』/昭和47年 p298−299

  │  └私の蔵書は、第1刷です。記述の変更はないよ... 熊猫 2003/12/14 15:36:52  ツリーへ

Re: 『中国の旅』脚注より 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <xhcvsuquwp> 2003/12/14 15:36:52
私の蔵書は、第1刷です。記述の変更はないようですね^^
すっかり、忘れていた記述を読み直す機会を与えて頂きました。有難うございます。

  12月2日の裁判傍聴記、inti-solさんが書... タラリ 2003/12/03 17:21:22  ツリーへ

Re: お知らせ 返事を書く ノートメニュー
タラリ <vgezpxzsqe> 2003/12/03 17:21:22
12月2日の裁判傍聴記、inti-solさんが書かれました。

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=24574&range=1

まだ、序論のようです。


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