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  12月13日の北京日報の記事より 熊猫 2003/12/20 01:33:07  (修正3回)
  「南京城区」 ゆう 2003/12/20 08:05:56 
   └南京城区=南京市街地区(南京市街地) 熊猫 2003/12/20 12:42:32 
    └さんざん悩みましたが・・・ ゆう 2003/12/20 22:22:00 
     └「南京特別市」のことでしょう 渡辺 2003/12/22 14:09:53 

  12月13日の北京日報の記事より 熊猫 2003/12/20 01:33:07  (修正3回) ツリーへ

12月13日の北京日報の記事より 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <xhcvsuquwp> 2003/12/20 01:33:07 ** この記事は3回修正されてます
【】内は熊猫のコメントです。
引用-------------------------------------------------------
  大虐殺前の南京の人口について日本の学者の謬論史料反論

  中新網12月15日電 12月13日は南京大虐殺で30万同胞の死より66周年の日となる。ここ数年来、日本の右翼学者はずっと南京大虐殺の人数を大げさに語り、いわゆる“戦前の南京の人口は20万説”を持ち出し、南京大虐殺の史実否定をしようとしている。南京師範大学の南京大虐殺研究センターの張連紅教授は《北京日報》の記事で、南京城陥落時は、南京城区の人口の総計36.7万〜46.7万程度で、南京人口の総計は53.5万〜63.5万人の間であると史実を指摘している。
  論文は指摘している、20世紀80年代より、日本の右派学者はずっと南京大虐殺の人数問題を大げさな論文の、その中の一つは特に困惑する論点で扇動し、南京陥落前夜の南京住民は20万であり、それに5万の南京防衛軍部隊を加えたとして、“どうすれば30万人を殺すことができるのか?”と指摘している。
  この謬論に対して、かつて多くの学者が強力に反論を行ったことがある。しかし、ここ数年来、日本の右派学者は“戦前南京の人口20万説”を検証せずに、相反し新しく出版した著作は、北村稔著《南京事件の探究》、東中野修道編集《日本“南京”学会年報》でこのこと【20万人説】を堅持して論証している。
  張連紅の論文は指摘する、1927年国民政府が南京に都を定めた後に、かつて南京市の地域の範囲は大きな変化が発生した。最初は、南京の地域の範囲はほぼ南京城区(明時代の城壁を界とした)を主とするだけであった。1935年3月、南京市の管轄地区はとても拡大され、もとは江寧県に属していた孝陵衛、燕子磯、上新河の3つの郷区の併せて21の郷鎮を南京市の管轄に入れた。南京を都に定めた後に、都市の人口の増長速度はとても速く、1937年6月には、南京市はすでに101.5万人を上回った。
  “八•一三事変”勃発後、南京は直接戦争の脅威にさらされた。安全を求めて、南京市民の一部は西へ、一部は長江以北へ船で渡り、自主的に地方に移り一部の城区市民も郊外の郷区へ避難した。5つの城区、2つの郷区の統計結果によれば、1937年8月から11月までの、城区の人口が流出する確立は48.9%で、郷区は17.6%である。1937年8月の人口統計をとるため流動人口の統計を含めた、これは1936年の統計を基数とした。1936年7月、南京の7つの城区の居住人口は741,667人と算出し、4つの郷区の居住人口は203,877人と算出することが出来る、1937年11月初め、南京城区と郷区の居住人口中で少なくともまだ54.7余万人は移っていない。この事実は日本の特務機関の報告で実証されており、その情報は10月下旬に南京にはまだ53万余人がいると言っている。
  上海陥落後、南京は第二次流出が始まった。第二次流出人員は主要な公務員が主である。全市の交通機関は国民政府が統制した、600台の自動車と220余隻の木造船を含んで、軍事と国民政府は西へ移った。輸送船が少ないために、乗船切符の価格は高騰し、実際に乗船切符を買って南京を離れることが出来る市民・農民の数は少なかった。11月中旬、かつて軍事委員会の後方勤務部は各関係機関を招集して会議を行い送還する難民問題について討論した、そして南京市政府の“送還するルートと人数と地区の手紙を後方勤務部へ即日提出する”ことになり、これに協力した。11月23日、南京市政府は手紙に書いている:“当市の調べでは人口は約50余万である。”この説明は11月初旬から11月下旬まで、決して南京市の居住人口は大きく変化しない。
   11月27日、米国大使館は国内の報告に南京市長の話では、まだ南京には30万〜40万の市民が残っていると返信に書いており、南京市長は南京城区の人口だと決して明示した報告をしていない、しかし11月23日に南京市政府の公文書には南京の人口は50余万と書いており、4日間だけで突然南京の人口が10万〜20万人流出し、その時の南京の運送能力(圧倒的多数の船舶がすでに政府の西に移っている)で遂行するなど不可能である。そのため南京市長が南京には、まだ30万〜40万人が居ると語ったのは、南京城区の人口数だと見なすことができる。
12月初旬に南京防衛軍司令官の唐生智は下関から浦口までの連絡船の取消し命令を下して、同時に南京の各城門も閉鎖した。その為あまり大きな人口数字の変化はありえない。【守城:南京防衛軍と翻訳しました】
  南京に第二次人口移動が現れる過程において、南京郷区の人口変化は非常に限られている。12月初旬、南京は一部分の市民が郷区から城区に移動する現象が現れた。これは南京市管轄の範囲内での移動で、南京市の人口総計に対して決して影響はない。
  “八•一三事変”以降より、“まちまちであるが毎日、千数百人ほどの各地の難民が次々と南京にやって来た”これらの避難して来た南京の難民は、南京駅で乗り換えて内陸部へ向かう者もいた。南京の運送能力の制限を受けるため、日本軍が南京を占領前の夜まで、殆どの難民は南京に滞在するしかなかった。外地から南京に滞在していた難民の人数は現在まだ正確な統計はないが、しかしもし最低の数字の毎日1,000人で計算するならば(事実上上海陥落後は、蘇州から南京の京滬線【北京−上海線】に沿って避難する人の流れは上海陥落前をはるかにを上回っている)、上海陥落から日本軍が南京を占領する間に、少なくとも3万人以上の外地からの難民が南京城区に滞留していた。
  南京が包囲された時の城内の中国将兵の人数問題について、戦争の状況と資料の遺失などの要因のために、今尚正確な計算ができない。しかしいくつか参戦部隊の南京防衛戦前後の兵力の比較的詳しい統計を通して、更には各参戦部隊の国民党将校の追憶を参考にすれば、大体の見積もりを算出することが出来る、南京防衛戦に参加した中国の将兵の数は総計すると少なくとも116,919人以上である、各部隊の損失兵力の報告の総計は47,382人以上で、損失兵力の中の防衛戦で死傷した将兵の総計は1万人にならないため、陥落時に城内避難していた将兵は少なくとも3.7万人で以上である。多くの資料と学者の研究発表において、この統計数字が実際的の数字と比較して偏って低いことがうかがえる。しかし城内に残った南京防衛軍の兵士数の3.7万人は最低数だと見なすべきである。【損失兵力:行方不明・逃亡・負傷・死亡した兵力】
  論文は指摘している、明らかに、日本軍が南京を占領する前夜に、残留も南京城内の人口に含むべきである:もとから南京に居住している市民は、人数は少なくとも30万〜40万程である:南京に滞在する外地の難民は、少なくとも3万人以上である:日本軍の捕虜と城中に包囲された中国の将兵の最低数字は3.7万人になる、このように、南京城陥落時の、南京城区の人口総数は36.7万〜46.7万人程度いたとみるべきである。もし移動変化の少ない南京郷区の人口16.8万人を加えれば、日本軍の南京占領前夜の南京の人口総計は53.5万〜63.5万人の間とみるべきである。
  論文は指摘している、日本の一部の学者は一方では自分の観点に対してただ有利な史料を選んで論証するだけで、当時の一部の新聞記者と安全区の西洋人の見積もりを事実と見なしている。他の一方では、彼らは論証過程において1つ非常に重要な概念をすり替えている、戦前の南京の人口を討論する時に、その“南京”の範囲を指すのは南京城区を除く南京市の概念である。しかし事実上、ただ南京城内の日本軍による大虐殺は南京大虐殺の1つの重要な構成部分でしかない。
  論文は指摘している、これらの日本の学者は試みは戦前の南京の人口の問題を大げさな論文で、その主な目的は本当に真剣に戦前の南京の人口の数字を別に討論する気は無く、その根本的な目的は南京大虐殺の死者数の“30万人”は不可能であると証明するためである。
(編集:華子)
終り-------------------------------------------------------
原文は文字化けしますので投稿は控えました。「文章指出」となっており、記事は張連紅氏の論文の抜粋だと思います。「文章指出」は「論文は指摘している」と訳しました。

  「南京城区」 ゆう 2003/12/20 08:05:56  ツリーへ

Re: 12月13日の北京日報の記事より 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/12/20 08:05:56
「南京城区」

この記事を見ると、明らかに、「南京城区」=「南京市のうち郷区を除く部分」(城内、およびその周辺の市街地)と解釈していますね。

私は、笠原氏の記述、

>南京特務機関『南京市政概況』によれば、南京攻略戦の前後で南京市(本書でいう南京城区)の人口・戸数は以下のように変化している。
一九三七年三月末 一〇一万九六六七人・・・
(「南京事件」P219)


から、「南京城区」=「南京市」と解釈していたのですが・・・。これ、明らかに、「郷区」を含む「南京市」の数字ですよね。


そのあとの笠原氏の記述を読み返すと、

>同調査(スマイス調査)では、市部(南京城区)では民間人の殺害三二五〇人、

との表現が見られ、記事と同じ範囲を考えているようにも見えます。

う〜ん・・・。とりあえず、笠原氏の本を読み返してみることにしましょう。

   └南京城区=南京市街地区(南京市街地) 熊猫 2003/12/20 12:42:32  ツリーへ

Re: 「南京城区」 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <xhcvsuquwp> 2003/12/20 12:42:32
南京城区=南京市街地区(南京市街地)
城区(cheng2 qu1)市街地区、都市中心部の意味で、近郊地区と区別するために使います。但し、年代や地域によって解釈は異なる可能性があるかもわかりませんが・・・・。
今回は、南京城区と訳しました。

    └さんざん悩みましたが・・・ ゆう 2003/12/20 22:22:00  ツリーへ

Re: 南京城区=南京市街地区(南京市街地) 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/12/20 22:22:00
さんざん悩みましたが・・・

笠原氏の「南京城区」の定義が、よくわかりません。

>南京特別市は、南京城壁内とその周辺地域からなる南京城区と、行政区として南京特別市に属する近郊県城と村を合わせた近郊区からなる。(P82)

を見ると、「郷区」を含むとも含まないともとれますし、P219〜P221の記述を見ると、「含む」記述と「含まない」記述が混在しているようにも見えます。

しばらく、私の「宿題」ということにしておきましょう。なおHPでは、よくわからない旨、注記を補足しました。

私見では、戦後の「南京城内およびその周辺」の人口はせいぜい30万くらいでしょうから、ここの「陥落時人口」を40〜50万と見るのはちょっと苦しいのではないか、という気がするのですが・・・。この10〜20万の「差」の説明が大変そうです。


中国側見解を知るための資料として、張連紅説についても、私のページに取り入れてみました。事後承諾で申し訳ありませんが、熊猫さんの投稿にリンクを張っておりますので、ご了解ください。

(最初の方の「日本の右翼学者はずっと南京大虐殺の人数を大げさに語り」は、ちょっと変な気も・・・。私は中国語を全く解しませんが、ひょっとしたら、「人数を大げさだと見なす文章を書き」という感じなのではないでしょうか?)

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/jinkou.html

     └「南京特別市」のことでしょう 渡辺 2003/12/22 14:09:53  ツリーへ

Re: さんざん悩みましたが・・・ 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/12/22 14:09:53
「南京特別市」のことでしょう

 『笠原氏の「南京城区」の定義』に問題があり議論を混乱させているのではないか、ということについて、以前どこかで話題になりましたね。
 「張連紅の論文」のいう「南京城区」は、結局、「南京特別市」の意味でしょう。
 1927年当時は、「南京の地域の範囲はほぼ南京城区(明時代の城壁を界とした)を主とするだけであった」とあります。ご存知のように、これは上元門、観音門、仙鶴門、麒麟門、高橋門、安徳門、江東門を結ぶ地域です。それが、「1935年3月、南京市の管轄地区はとても拡大され、もとは江寧県に属していた孝陵衛、燕子磯、上新河の3つの郷区の併せて21の郷鎮を南京市の管轄に入れた」ということでしょう。人口統計を議論するときには、この件をコメントしなくちゃいけませんね(^^;
 1935年の統計で人口が急増している要因の一つになっているかもしれません。

 歴史上の地名というのは難しいですね。行政地域と通称の違い、年代の違いなどから、資料作成者によって意味するものが違ってきます。
 特に「南京」の場合は、南京城内の人口が、その外に比べて圧倒的に多かったので、「南京」といえば、実質的に城壁に囲まれた地域と下関を意味していたことも、混乱に拍車をかけているようです。


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