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  「南京事件」−地方紙の発掘を 渡辺 2003/12/25 01:16:09  (修正2回)
  私は九州(福岡)在住ですので今月より、「... 熊猫 2003/12/25 23:47:35 
  補足 渡辺 2003/12/27 00:07:05 
  │└「モーゼル銃」 ゆう 2003/12/27 10:19:55 
  │ └Re:「モーゼル銃」 渡辺 2003/12/28 01:52:09 
  新聞記事コレクション ゆう 2003/12/27 09:05:16  (修正2回)
  │└「無海■」は「無海關」では? 渡辺 2003/12/31 17:56:44 
  新聞記事コレクション2 ゆう 2003/12/27 09:06:10 
  新聞記事コレクション3 ゆう 2003/12/27 09:12:08 
  12月23日「大阪毎日新聞」 熊猫 2003/12/31 16:47:52 

  「南京事件」−地方紙の発掘を 渡辺 2003/12/25 01:16:09  (修正2回) ツリーへ

「南京事件」−地方紙の発掘を 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/12/25 01:16:09 ** この記事は2回修正されてます
 「南京事件」に関して、地方の新聞に郷土兵士の消息、手紙、講演、インタビューなど、まだ知られていない記事があるのではないかと思います。
 この、ヒントになったのが、例の「百人斬り競争」です。志々目氏の記事で、当時、地元の新聞でもとりあげられたとありました。確かに、地方紙なら大きな新聞にはない郷土の兵士の記事が詳しく掲載されているはずです。
 そこで、以前から気になっていた、1部がわずか4頁の、ある超ローカル新聞を調べたところ、南京攻略戦に関して、下関の17日の状況や、市内に半焼けの死体があったこと、敗残兵を揚子江岸へ連れていったこと(結末は書かれていない)、日本刀で敗残兵を斬りまくったことなど、それぞれの記事に比較的率直に掲載されていました。
 大きな新聞が大局的な話題を記事にするのに対し、地方紙は個々の体験を具体的かつ率直に記述しているのではないかと思います。
 これからも、機会を見て、マイナーな地方紙を調べてみたいと思います。身近な図書館で、1937-8年の地元の新聞が保存されていたら、是非、調べていただいて、結果をお教えいただきたいと思います。

  私は九州(福岡)在住ですので今月より、「... 熊猫 2003/12/25 23:47:35  ツリーへ

Re: 「南京事件」−地方紙の発掘を 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <xhcvsuquwp> 2003/12/25 23:47:35
私は九州(福岡)在住ですので今月より、「福岡日日新聞」の記事について調べ始めました。記事の内容は地元の第十八師団の記事が中心に書かれていました。第六師団の記事は「九州日日新聞(後の熊本日日新聞)」に詳しく書かれているのではないかと思います。
流通業なので、年内は厳しいですが年明けより「九州日日新聞」の記事を調べて見ようかと思っています。

  補足 渡辺 2003/12/27 00:07:05  ツリーへ

Re: 「南京事件」−地方紙の発掘を 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/12/27 00:07:05
補足

 「支那事変」初期のクライマックスは南京攻略で、1938年の初め頃の記事の話題も「南京」に集中しがちです。この頃から南京の様子が地方紙でも掲載され始め、比較的そのままの状況が記述されています。また、帰国した兵士や記者が講演会をしたり体験談を語るようになります。1938年5月頃には、関心がその後の各地の戦況に移り、南京の記事は急速になくなります。しかし、志々目氏が聞いた講演は、確か1939年だと記憶していますので、その頃までチェックしたほうがいいようです。
 ある地方紙に掲載されていた記事を一つ紹介いたします。伏字の○は必ずしも文字数を示していないようです。

-----
『新愛知(三河版)』昭和13年1月16日

 忽ち敵死體の山!
   縄梯子で逃げる奴を機銃掃射
     一色出身 中島水兵ら南京で

幡豆郡一色町出身○○陸戰隊所属
中島榮君より本社宛に大要左の如
き陣中便りを寄せられた
 小生は名譽ある上海特別陸戰隊
 の一員となり上海総攻撃に東部
 戦線に北部戰線閘北戰線等に轉
 戰數度又此の度は海軍陸戰隊中
 唯一部隊として南京総攻撃に海
 軍陸戰隊一番乗りの榮に浴しま
 した
小生達が南京城外下關に上陸する
や、陸軍部隊より攻め立てられた
支部兵が城壁より我先にと縄ばし
ごを連ねて逃走せんと致し居るを
下に待ち受けてゐたわれら陸戰隊
は一斎〇銃〇銃より火蓋を切り射
ちおとし敵兵の死人の山を築き全
く地獄でも見る事の出来ない様な
光景を呈しましたかく敗戰國の惨
めさを深く感じると共に祖國日本
を堅く守らねばならぬと云ふ信念
を一層感じたのです
 南京陥落一兩日中には敗殘兵は
 數知れず毎日數百を捕へ武装解
 除と同時に○○○したのであり
 ます當時の市中は死人の半焼人
 多数あり臭氣も鼻をつき惨の極
 に達して居りました
小生も敵兵より奪取したる独逸製
のモーゼル銃にて十數名も射殺致
しましたが支那兵も自分の武器で
自分が殺されるとは思ひもよらな
い事だらうと苦笑して居ります、
南京人城式後は敗殘兵も少くなり
ましたが一日十五名位は何處から
ともなく正規兵の服装で捕はれて
揚子江岸に引かれて行く有様です
 南京市内は全く炭坑の奴きトー
 チ力を利用致して居り殘敵掃蕩
 にも却々困惑して居ります、南
 京は水の便も悪く飲食物の不清
 潔もこの上も無いのであります
 が國民銃後の御加護に依りまし
 て至極元氣にて奮闘出來得る事
 を心から 感謝致して 居ります
(後略)
-----

<参考>
横浜「新聞ライブラリー」
http://www.pressnet.or.jp/newspark/libra.html
所蔵新聞の例
-----
鹿児島新聞 明治15年02月10日 1897/01 明治30年01月 1942/02 昭和17年02月 南日本新聞社
富山日報 1889/07 明治22年07月 1940/07 昭和15年07月 北日本新聞社

都新聞 1889/02 明治22年02月 1942/09 昭和17年09月 中日新聞社
國民新聞 明治23年02月01日 1890/02 明治23年02月 1942/10 昭和17年10月 中日新聞社
秋田魁新報 1889/05 明治22年05月 現在まで 秋田魁新報社
岩手日報 1897/04 明治30年04月 現在まで 岩手日報社
河北新報 明治30年01月17日 1897/01 明治30年01月 現在まで 河北新報社
東奥日報 明治21年12月06日 1888/12 明治21年12月 現在まで 東奥日報社
山形新聞 明治09年09月01日 1876/09 明治09年09月 現在まで 山形新聞社
山梨日日新聞 CD−ROM 1881/06 明治14年06月 1998/12 平成10年12月 山梨日日新聞社
新愛知 明治20年07月31日 1888/07 明治21年07月 1942/08 昭和17年08月 中日新聞社
名古屋新聞 明治39年11月03日 1906/11 明治39年11月 1942/08 昭和17年08月 中日新聞社
信濃毎日新聞 明治06年07月05日 1873/07 明治06年07月 現在まで 信濃毎日新聞社
北陸タイムス 1908/11 明治41年11月 1940/07 昭和15年07月 北日本新聞社
高岡新聞 1931/09 昭和06年09月 1940/07 昭和15年07月 北日本新聞社
北陸日日新聞 1933/10 昭和08年10月 1940/07 昭和15年07月 北日本新聞社
紀伊新報    CD-ROM 明治44年02月11日 1913/04 大正02年04月 1942/08 昭和17年08月 紀伊民報社
神戸新聞 明治31年02月11日 1900/07 明治33年07月 現在まで 神戸新聞社
山陽中国合同新聞1936/12 昭和11年12月 1937/08 昭和12年08月 山陽新聞社
中国新聞    CD-ROM 明治25年05月05日 1892/05 明治25年05月 現在まで 明25年5月〜昭30年5月分はCD-ROM 中国新聞社
海南新聞 明治09年09月11日 1879/09 明治09年09月 1941/11 昭和16年11月 愛媛新聞社
香川新報 明治22年04月10日 1889/04 明治22年04月 1941/02 昭和16年02月 四国新聞社
高知新聞 明治37年09月01日 1904/09 明治37年09月 現在まで 高知新聞社
土陽新聞 明治11年01月10日 1900/05 明治33年05月 1941/08 昭和16年08月 高知新聞社

  │└「モーゼル銃」 ゆう 2003/12/27 10:19:55  ツリーへ

Re: 補足 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/12/27 10:19:55
「モーゼル銃」

私は、「反日工作撹乱隊」や「モーゼル銃」をめぐる議論は、ネットの上ではもう「終わった」ものとして認識しています。

あまりの評判の悪さに耐えかねてか、当の東中野氏も、最近はこんな主張はしていないようですし・・・。

とはいうものの、各掲示板では、たまに「蒸し返し」投稿が散見されますので、私のページは一応残しておこうと思っています。

というわけで、この記事の「モーゼル銃」の記述も、私のHPに使わせていただきたいと思います。実際の作戦行動で「モーゼル銃」を使っていた、という記録は、他にありませんので、結構貴重なものです。

以上、よろしくお願いします。

  │ └Re:「モーゼル銃」 渡辺 2003/12/28 01:52:09  ツリーへ

Re: 「モーゼル銃」 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/12/28 01:52:09
Re:「モーゼル銃」

ゆうさん:>
>というわけで、この記事の「モーゼル銃」の記述も、私のHPに使わせていただきたいと思います。

 はい、どうぞ、コピペしてお使いください。

 南京での陸戦隊の行動について、当時、書かれたものは ほとんど知られていなかったと思います。証言と比較することで、意味が大きくなると思います。部隊名や個人名、場合によっては住所が町名まで記されている記事があります。もう少し、早い時機なら、直接会って話を聞く機会があったかもしれません。


  新聞記事コレクション ゆう 2003/12/27 09:05:16  (修正2回) ツリーへ

Re: 「南京事件」−地方紙の発掘を 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/12/27 09:05:16 ** この記事は2回修正されてます
新聞記事コレクション


「地方紙」ではありませんが、この時期の新聞記事から、面白いものをいくつか紹介します。


まず、守山義雄氏の「外人インタビュー」から。ベーツ、ラーベなどの名が見えますが、とりあえず「ラーベ」の部分です。

**************************************

「東京朝日新聞」 1938.1.5付夕刊

税金、物価高解消 甦つた”暗黒街”  南京外人の座談会

【南京にて三日守山特派員】

首都落城の歴史的戦火のなかに危険ををかして南京にふみとどまつた欧米人はアメリカ人十四名、ドイツ人四名、オーストリア人二名、白系露人二名、計二十二名を数えてゐるが、東亜をおほふこの大戦火が彼らの目にどううつつたか、異なつた印象のうちでも籠城外人たちが口をそろへて一様に唱へるのは南京の陥落が意外に早かつたこと、支那兵が優秀な日本軍に対して意外に頑強な抵抗を試みたことであつた。

記者は南京入城後にこれら外人に会ふごとにその談話をひろひあつめた、南京陥落をめぐる移動国際座談会である―

ベーツ氏 (略)


ラーデ氏 (ドイツ人、シーメンス商会在支代表社員、在支三十年、南京避難民国際委員会委員長)

日本の攻撃はすばらしかつた、われわれは南京がこんなに早く落城しようとは思はなかつた、私はアフリカに五年支那にすでに三十年住み数々の戦争を見てきた、しかしこんどのやうに激戦に終始してしかもわずか四ヶ月の間に大国の首都を陥落させたかがやける歴史をいまだ知らない、

私にとつては十三日のあさ堂々南京に入城してきた日章旗を見たことは忘れ得ない驚嘆である、日本軍が城壁に迫った十一日から十二日にかけて中山路を下関に向けて敗走する支那兵の一部が便衣に着かへて避難地区になだれこんだことはわれわれの仕事に大きな障害となつた、

南京が完全に日本軍の手に帰してから四、五日目のある夜どこからともなく「南京はまだ陥落せず、市中には電燈がつき水道も断水してゐない」といつた内容のラヂオ放送がきこえてきたが、それは恐らく国民政府側の笑止な放送であらう。

(以下略しますが、興味深いので、この投稿の末尾に記事全文を掲載します)

**************************************


しかし、実際にラーベが守山氏に語ったのは、こういう内容だったようです。「南京の真実」より。


**************************************

十二月二十日

午後六時、ミルズの紹介で、大阪朝日新聞の守山特派員が訪ねてきた。守山記者はドイツ語も英語も上手で、あれこれ質問を浴びせてきた。さすがに手慣れている。私は思っているままをぶちまけ、どうかあなたのペンの力で、一刻も早く日本軍の秩序が戻るよう力を貸してほしいと訴えた。守山氏はいった。「それはぜひとも必要ですね。さもないと日本軍の評判が傷ついてしまいますから」

(「南京の真実」文庫版P148)

*ゆう注 この翻訳はちょっと微妙なところですが、翻訳しなおすのも面倒なので、そのまま紹介します。まあ、大意は合っているようですので。

**************************************


守山氏はラーベの説明に同意したようですが、当然、守山氏はそんなことは書けません。「座談会」のような、どうでもいい内容になっています。

しかし、その後守山氏の書いた、「それとなく匂わせる」記事を発見しました。


**************************************

「東京朝日新聞」 1938.2.14付

鍋炭の偽装も不要 今や咲出す南京美人  平和の光に描く点景

【南京にて守山特派員 十二日発】

(略)

この超非常時の支那避難民の間にも最近ぼつぼつ花が咲いてきたといふのはこれまで支那人の美しい娘達は顔に鍋炭を塗り不美人にカムフラージュして屋根裏に隠れてゐたものだが平和の光りと共にやつとこの頃ぽつぽつ表に顔を出すやうになつた。

美しかるべき娘達が顔に鍋炭を塗らなければならなかつたはなしは哀れである、併しももうそんな必要はなくなつた南京に於る美人の数は南京平和のバロメーターだ

**************************************


見方によっては、「検閲の隙間を狙ったぎりぎりの記事」と言えるかもしれません。

*以上の記事は「守山義雄文集」には掲載されていませんが、最後の記事は、「支那事変画報」にも収録されているようです。




<参考 「東京朝日新聞」1938.1.5夕刊記事全文>

**************************************

「東京朝日新聞」 1938.1.5付夕刊

税金、物価高解消 甦つた”暗黒街”  南京外人の座談会

【南京にて三日守山特派員】

首都落城の歴史的戦火のなかに危険ををかして南京にふみとどまつた欧米人はアメリカ人十四名、ドイツ人四名、オーストリア人二名、白系露人二名、計二十二名を数えてゐるが、東亜をおほふこの大戦火が彼らの目にどううつつたか、異なつた印象のうちでも籠城外人たちが口をそろへて一様に唱へるのは南京の陥落が意外に早かつたこと、支那兵が優秀な日本軍に対して意外に頑強な抵抗を試みたことであつた。

記者は南京入城後にこれら外人に会ふごとにその談話をひろひあつめた、南京陥落をめぐる移動国際座談会である―


ベーツ教授 (アメリカ人、南京金陵大学歴史教授、在支二十数年)

永年支那に住んで若い学生たちに歴史を講義してきた私だが、この肉眼で今度の如き歴史の大きな動きを目認することにならうとは思はなかつた、南京落城は蒋介石が夢みた近代支那にとつて致命的な打撃であらう、近代支那をここまで建設してきた蒋介石はたしかに一個のナショナル・ヒーローであつた、しかし支那民衆の目に映つた蒋介石は必ずしも完全な為政者とはいへなかつたやうだ、

民衆は彼に対して二つの不安を抱いてゐた、その一つは蒋介石のやり方はあまりに独裁的な色彩が濃厚であつたこと、その二は抗日政策を実際的に指導する首領として彼が果して適切な人物であるかどうかといふ不安であつた、

だがすでに南京をゆづり渡した今日、国民政府の命脈は永くはない、上海から南京まで、いはゆる中国の財政的心臓をゑぐりとられた国民政府が早晩経済的破綻を来すのは目に見えてゐる


ラーデ氏 (ドイツ人、シーメンス商会在支代表社員、在支三十年、南京避難民国際委員会委員長)

日本の攻撃はすばらしかつた、われわれは南京がこんなに早く落城しようとは思はなかつた、私はアフリカに五年支那にすでに三十年住み数々の戦争を見てきた、しかしこんどのやうに激戦に終始してしかもわずか四ヶ月の間に大国の首都を陥落させたかがやける歴史をいまだ知らない、

私にとつては十三日のあさ堂々南京に入城してきた日章旗を見たことは忘れ得ない驚嘆である、日本軍が城壁に迫った十一日から十二日にかけて中山路を下関に向けて敗走する支那兵の一部が便衣に着かへて避難地区になだれこんだことはわれわれの仕事に大きな障害となつた、

南京が完全に日本軍の手に帰してから四、五日目のある夜どこからともなく「南京はまだ陥落せず、市中には電燈がつき水道も断水してゐない」といつた内容のラヂオ放送がきこえてきたが、それは恐らく国民政府側の笑止な放送であらう。


ボシバロフ君 (白系ロシヤ青年、二十五歳)

戦争は愉快だつた、面白かつたよ、僕はどつちが勝つてもいい第三者だがまづ日本軍をひいきにしたね、といふのは支那の憲兵司令部が僕を一週間とりこにして監獄にぶちこみやがつた、

理由は簡単なんだ、ただ一冊の日本書物が僕の書棚にころがつてゐただけで引つぱられたんだ なぜ日本の書物を大切にしまつてゐるかといつて毎日責めたてるんだ、その間毎日食物としては支那饅頭一つしかくれないんだよ、ひどいぢゃないか、

引つぱられたのは僕だけぢゃない、僕の女友達が哈爾濱で知りあつた日本の青年の写真をもつてゐただけでも拘引された、僕と同じ中山路の江蘇銀行ビルにある李民華といふ日本留学生の歯科医などはいい人だつたが漢奸の疑ひで殺されてしまつた、

九月までに南京で約二百人が日本のスパイの廉で殺されてゐる 無茶だよ、暗黒政治だよ、人心は戦々競々たるものがあつた、僕のボスのデンマーク人などびつくりして上海へ逃げて帰ったよ、

蒋介石なんて何の英雄なものか、戦争になつてからは臨時税の取立が大へんだつた、軒並みの小商人が月に三十円ぐらゐずつとられてこぼしてゐたよ、飛行機を買ふといふ名目なのだが実はみな支那の大将どののポケツトに入るんだよ、彼らは戦争に勝つよりもポケツトをふくらますことが大切なので、

君、南京上空の空中戦はすごかつたよ、日本の飛行機があまりポンポン爆弾をおとすので初めは僕も防空壕へもぐりこんでみたが、あんな暗いせまいところで辛抱できるものではない、しまひには飛行機がくると却て屋上へのぼつて見物したね、飛行機の爆弾なんか自分には中らんものと思へばいい


チール氏 (トルコ・タタール人、自動車技師)

我々にとつて生命を保護し職を与へてくれる土地が天国だ、そして物価は安いほどよい、日本の中支進出、大いに歓迎だね、

いま上海では砂糖一ポンド六シリングだとさ、戦争の始まる前は一ポンド二十シリングだつたから三分の一以下になつたわけだ、日本の砂糖が無海■でどんどん入つてくるのだから結構だよ、

早く南京もさうなつてもらひたいな、さうなれば生活費が安くなつて支那の民衆の生活も楽になるとおもふんだがどうだらうか

**************************************

  │└「無海■」は「無海關」では? 渡辺 2003/12/31 17:56:44  ツリーへ

Re: 新聞記事コレクション 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2003/12/31 17:56:44
「無海■」は「無海關」では?

実物を見ていないので、確かなことはいえませんが、「チール氏」のインタビューにある「無海■」の■の部分は「關」で、「無海關」と書いてあるんじゃないでしょうか。
「無税」という意味じゃないでしょうか。税関は通さないと輸入できなかったと思いますけどね。

---
チール氏 (トルコ・タタール人、自動車技師)
...
いま上海では砂糖一ポンド六シリングだとさ、戦争の始まる前は一ポンド二十シリングだつたから三分の一以下になつたわけだ、日本の砂糖が無海■でどんどん入つてくるのだから結構だよ、
---

  新聞記事コレクション2 ゆう 2003/12/27 09:06:10  ツリーへ

Re: 「南京事件」−地方紙の発掘を 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/12/27 09:06:10
新聞記事コレクション2

「安全区の敗残兵狩り」のいいかげんな「選別方法」については、井家日記、水谷日記などに記述されています。ここでは、「大阪朝日新聞」の記事を紹介しましょう。


**************************************

大阪朝日新聞 1938.1.9付
兵隊さんの赤毛布座談会 南京にて 近藤特派員 (一部抜粋)

清水上等兵
(略) 北支でも経験を積んだので、手に銃瘤のやうなものがある男、頭に帽子を被つてゐたらしい條の残つてゐるもの、それから下着に夏服を着てゐるやうな奴は大概敗残兵と見当はつくのですが、なかには巧く化けてなかなか判別のつかないのがゐる。

われわれも良民を引張つては可哀さうだと思ひ避難民中から数名の巡警を連れてきて敗残兵か良民かの判別をさせることにしたが、これがまた実に頼りない

ちよつとこちらで臭いなと思ふ奴を巡警の方で「良民だ」といふので「出鱈目いふと承知せんぞ、敗残兵に違ひないと思ふが、どうだ?」と念を押すと「はあ、この男は兵隊でした」と他愛なく答へる

**************************************



中国人の「巡警」が、日本兵の顔色を伺いびくびくしながら、いい加減な「選別作業」を進める光景が、目に浮かぶようです。

  新聞記事コレクション3 ゆう 2003/12/27 09:12:08  ツリーへ

Re: 「南京事件」−地方紙の発掘を 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2003/12/27 09:12:08
新聞記事コレクション3

南京において日本軍の暴行についての「デマ」が「乱れとんで」いる、という記事の紹介が熊猫さんからありました。このテーマに沿った記事を、三点ばかり紹介します。


**************************************

大阪朝日新聞 1938.2.17付

皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行
不逞支那人一味捕る

【同盟南京二十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。

右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。

この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、南京玉■村五〇号、上海路十四号、幹河路一〇六号の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。

一味は主魁呉堯邦のほか・・・の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。(ゆう注.氏名は一部判読困難、また書き写すのが大変なので省略しました)

**************************************


南京における「種々の暴行」を、ひとつの強盗団の仕業にしてしまおうという、苦心の発表です。そもそも「通訳の腕章」しかつけていないわけですから、「将兵」の「数々の暴行」を彼らのせいにしてしまうのは、無理があります。

「一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れた」という部分が、問わず語りで、なかなか笑えます。つまり、「日本人と信じきつてゐた」ら、中国人たちは日本側に「通報」することはしなかったようです。


**************************************

「東京朝日新聞」1938.1.29夕刊

米・対日抗議
「南京・抗州の権益侵害」

【ワシントン特電二十七日発】

米国国務省は二十七日米国政府が去る十七日グルー駐日大使を通じ日本政府に南京、抗州その他各地に於ける日本軍の米国権益侵害に対し抗議を提出せる旨発表した、

右はパネー号事件に関し日本より提出された十二月二十四日附文書における誓約に反するといふのであるが、同日グルー大使より国務庁に達したる公報によれば日本政府は米国政府の抗議に基き高級武官を南京に特派して調査せしめ適当なる処置をとるべく命令を発したる旨が併せて明かにされた、

尚米国の抗議と併行して英国政府も同様の行動をとつたものと解され、また発表が抗議の時から十日間も遅れた理由については何等の説明はなかつたが日本軍の外国人権益侵害に関する公報が年初以来頻々と到着 国務庁では事態を憂慮してゐる

**************************************


外国からの抗議を、何の批判的コメントもなしに報道した、珍しい記事です。この記事は、例の、「チャイナプレス」や「アベンド記事」で知られている「1月24日記者会見」の直後であり、この「記者会見」が日本の報道陣向けには行われていなかったことを伺わせます。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/higasinakano127.html



**************************************

「東京日日新聞」1938.1.7夕刊

南京城内の怪火は敗残兵の仕業
我が軍、一犯人を逮捕

【南京本社特電】(六日光本特派員)

南京城内では皇軍入城警備後も元旦のソ連大使館の怪火をはじめ城内の空家から頻々として怪火を発するので佐々木警備隊で厳重警戒中、五日午後三時ごろ中山路中央飯店北方の一民家に放火せんとした一支那人を発見、直ちに捕へた、

犯人は敗残兵でこれによつて今までの怪火は避難民にまぎれ込んだ支那敗残兵の所為であることが愈々確認され引続き敗残兵に対し捜査を進めてゐる

**************************************


「否定派」が飛びつきそうな記事です(笑)。

続報は全くなく、「飯沼日記」等当時の軍幹部の記録にも全く登場しないことから、当時の状況から推して、ある程度の「デッチ上げ」がある疑いが濃厚です。この逮捕を材料に過去の「怪火」まですべて「支那敗残兵の所為」にすることも、ちょっと無理でしょう。

  12月23日「大阪毎日新聞」 熊猫 2003/12/31 16:47:52  ツリーへ

Re: 「南京事件」−地方紙の発掘を 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <xhcvsuquwp> 2003/12/31 16:47:52
12月23日「大阪毎日新聞」
人民日報で騒いでた、光本氏の記事の内容は貴重なのでしょうか?
http://j.people.ne.jp/2000/01/25/newfiles/a1150.html


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