[思考錯誤INDEX]
[新規発言] [掲示板内検索] [問答有用] [南京事件資料集][とほほ空間] [旧K-K掲示板][旧思考錯誤]
栗原証言・核心さんの付記の改訂 K−K 2004/01/07 00:03:45
└ご苦労様です。 靴屋 2004/01/07 11:59:53
└核心さんの付記について K−K 2004/01/07 22:14:52
└なるほど。 靴屋 2004/01/08 18:59:21
└再度、核心さんにご教示いただきました K−K 2004/01/09 23:32:03
栗原証言・核心さんの付記の改訂 K−K 2004/01/07 00:03:45 ツリーへ
└ご苦労様です。 靴屋 2004/01/07 11:59:53 ツリーへ
Re: 栗原証言・核心さんの付記の改訂
|
返事を書く
ノートメニュー
|
靴屋 <uypqsyhqon>
2004/01/07 11:59:53 |
ご苦労様です。
ところで改訂された核心氏による「付記」ですが、気になる箇所があります。当該ページの本多氏の記述から引用すると、
>当時描いておいたスケッチやメモの画帳を前にして語ったのであった。この画帳は南京陥落の翌年の漢口攻略戦で負傷して入院中に描いたもので、
とありますが、核心氏の付記では
>上記のスケッチは、父が毎日新聞の記者の方と話すためにそのころ描いたものです。
と本多氏の記述とは異なります。私も南京陥落翌年の入院当時描いたものだと思っていました。確認が取れるようでしたら、核心氏にご確認願いたい所です。
|
└核心さんの付記について K−K 2004/01/07 22:14:52 ツリーへ
Re: ご苦労様です。
|
返事を書く
ノートメニュー
|
K−K <ecoepxmujl>
2004/01/07 22:14:52 |
核心さんの付記について
>とありますが、核心氏の付記では >>上記のスケッチは、父が毎日新聞の記者の方と話すためにそのころ >>描いたものです。 >と本多氏の記述とは異なります。私も南京陥落翌年の入院当時描いた >ものだと思っていました。確認が取れるようでしたら、核心氏にご確 >認願いたい所です。
実は、私もこの点に疑問を感じ核心さんに確認したところ、核心さんがスケッチに疑問を感じ、栗原利一氏本人に確認した結果、今回の記述となったとのことです。 この点は、靴屋さんからも疑問があった旨を、核心さんにお伝えすることにします。
しかし、事実関係に変化があったことを考えると、もう少しこの点の事情に説明を加える必要があるかも知れませんね。
その点も併せて、核心さんにお伝えしようと思います。
※前回のHPの更新のとき、靴屋さんに紹介して頂いた田岡良一『戦争法の基本問題』を利用させて頂きました。改めてお礼を申し上げさせて頂きます。有り難うございました。 |
└なるほど。 靴屋 2004/01/08 18:59:21 ツリーへ
Re: 核心さんの付記について
|
返事を書く
ノートメニュー
|
靴屋 <uypqsyhqon>
2004/01/08 18:59:21 |
なるほど。
細かいことなのですが、南京陥落翌年に描いたというのはちょっと引っかかってたのです。スケッチをじっくり見ていると、私にはどうも説明用資料にも見えたんですね。もちろん、南京陥落翌年に描いた可能性を否定するわけではありませんが、こういうスケッチを何の為に描いたんだろうかと、納得出来ない部分がないではなかったんです。
取材の為に前もって描いたという方が私には納得出来るのですが、しかしだとすれば何故毎日や本多氏の記事では南京陥落翌年に描かれたものとなっているのか、栗原氏がそう言わなければそう書かれなかった筈ですし、毎日と本多氏の両方が聞き間違えたということも考え難いし、・・・うーむ。
以下は余談(ていうかただの愚痴)。 とあるサイトで三巻揃った『南京戦史』が出てますが、四万円とは・・・。手が出ません。欲しい人は今のうちですよ・・・って、くっそー(T_T)
|
└再度、核心さんにご教示いただきました K−K 2004/01/09 23:32:03 ツリーへ
Re: なるほど。
|
返事を書く
ノートメニュー
|
K−K <ecoepxmujl>
2004/01/09 23:32:03 |
再度、核心さんにご教示いただきました
栗原氏は、昭和36年、大腿部の銃創の手術(弾の摘出)をする時、入院先でそれまでの手持ちの資料をまとめるかたちで件のスケッチ等を書いたということです。 そのスケッチ帳には、次のように記されているとのことです。
「召されて24年前を記す、左大腿部盲管銃創弾を取る、病院にて」 「軽き身を重き任務の過去なれど、つたなきペンで後に残さん」 「お国の為に命をささげる心」
核心さんの見解では、本多氏の記述は、中国や飯坂の入院先で描いた資料と、戦後の手術時の入院で描いた資料を栗原氏が混同してしまっていて本多氏は栗原氏から聞いたままを書いたのではないかということです。
今までの資料批判にはないものであり、非常に興味深いお話だと思います。 |