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  「大サービス:『曽虚白自傳』アップ」に訂正追加 渡辺 2004/01/15 01:44:46  (修正1回)
  有難うございます。 岡田 2004/03/25 02:11:40 
   └お役にたててなによりです 渡辺 2004/03/26 01:29:03  (修正2回)
    └『日軍暴行記実』は1947年国防部訳 渡辺 2004/04/01 02:20:41 

  「大サービス:『曽虚白自傳』アップ」に訂正追加 渡辺 2004/01/15 01:44:46  (修正1回) ツリーへ

「大サービス:『曽虚白自傳』アップ」に訂正追加 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/01/15 01:44:46 ** この記事は1回修正されてます
当掲示板に投稿しました「大サービス:『曽虚白自傳』アップ」に一部、訂正追加をいたしました。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/7/hreqrf/hreqrf.html

ご利用いただいた、みなさまにはご迷惑をおかけいたしました。
現時点では、Timperleyは、他のジャーナリストと共に 1937年11月末から1938年1月初めまで香港と漢口にいたと考えられます。(これで、複数の資料のつじつまが合います。)
なお、まだ未公開の資料に依っていますので、ご了承ください。

  有難うございます。 岡田 2004/03/25 02:11:40  ツリーへ

Re: 「大サービス:『曽虚白自傳』アップ」に訂正追加 返事を書く ノートメニュー
岡田 <gyrkbjgbsq> 2004/03/25 02:11:40
有難うございます。
電脳日本の歴史研究会掲示板に書き込む際に、アップされていた『曽虚白自傳』を参考にさせていただきました。
# ちなみに、書き込んだのは以下のような文章です。
−−−−−
 スマイス報告を否定するのに「曾虚白の自伝」を持ち出す人がいますが、
「曾虚白の自伝」については以下 a)〜f) が判明しています。

−−−
a)「曾虚白の自伝」は自伝と言う性質上、自慢話/手柄話が多く含まれる。
 該当の箇所も「私はこんなに凄い活動を行っていたんだ」という自慢話/手柄話である。

b)「曾虚白の自伝」には、事実に反する記述が多い事が指摘されている。

c)「曾虚白の自伝」で「スマイス報告」の信頼性を否定する根拠は下記の
 わずか2つの文だけである。
 「かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由で
 スマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、
 印刷して発行することを決定した。この後ティンパーリーはその通りにやり、
 二つの書物は売れ行きのよい書物となり宣伝の目的を達した」

d)上記文の直前の文は事実に反している。
 上記文の直前には「ティンパーリー氏とスマイス氏が南京が当時南京に滞在していた」という
  記述がある。(ティンパーリー氏は南京陥落時や占領後の南京にいなかった)

e)「スマイス報告」に触れた上記の文中にすら、事実に反する点が複数ある。

 事実に反する点その1
  「曾虚白の自伝」によれば「スマイス報告」は「日本軍の南京大虐殺の目撃記録」とされている。
  実際に「スマイス報告」を読んでみれば分かるが、スマイス報告はサンプリング調査の報告であり、
「虐殺の目撃記録」では無い。
  (「スマイス報告」を読み直してみましたが、本文中には「目撃記録」に該当する
   記述は一切ありませんでした。)

  そもそも、「スマイス報告」は「南京大虐殺」を非難するような報告ではない。
  市民が殺された件について触れられているのは、本文26ページ中で、
  4ページほどだけです。(都市部での死傷者数{2ページ弱}と、農村部での
  暴行事件による死亡{1/2ページ}、および支部と農村の比較{1/2ページ})。
  これは農地や作物の被害(5ページ余り)の記述よりも少ない。

  「スマイス報告」はとうてい「虐殺の記録」「目撃記録」とはいえず、
  「曾虚白 自伝」に書かれているような「日本軍の南京大虐殺の目撃記録」とは
いえませんな。

 事実に反する点その2
  「曾虚白の自伝」によれば「印刷して発行することに決定した」という記述があり、
   国際宣伝処が発行した事になっている。
  しかし、否定派の東中野の調査では国際宣伝処が印刷/発行した本のリストに
  「スマイス報告」はないそうです。

f)「曾虚白の自伝」には「南京で虐殺があった」「惨劇が目撃された」という記述がある。
−−−

 「曾虚白の自伝」には事実に反する記述が多く、問題の「スマイス報告」について
書いてある部分にすら複数の間違いがあります。

 以上に示すように、「曾虚白の自伝」でを根拠に「スマイス報告には国民党の息が
かかっている」という主張には説得力が無いようですな。

# 曾虚白じいさんの話は、ただのほら話(事実に反した自慢話/手柄話)のようですな。

   └お役にたててなによりです 渡辺 2004/03/26 01:29:03  (修正2回) ツリーへ

Re: 有難うございます。 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/03/26 01:29:03 ** この記事は2回修正されてます
お役にたててなによりです

岡田さん、
 返信ありがとうございます。

>しかし、否定派の東中野の調査では国際宣伝処が印刷/発行した本のリストに「スマイス報告」はないそうです。

 『スマイス報告』は「南京国際救済委員会」が発表したものですから、国際宣伝処とは関係ないと考えられます。
 "Chinese Recorder"(教務雑誌) にも掲載されているといことですから、各方面に送付されたものでしょう。
 報告の最後にある「読者の方々に」を読めば、この報告書の趣旨は明らかであると思います。
 この報告には、救済活動のために多額の寄付が必要であったという事実が背景にあります。そういった事情をよりはっきりさせたいと思い、上海での救済活動に着目しています。国際赤十字、紅卍字会、YMCA、ジャキノ神父、ティンパーリー、宗子文、工部局警察など、ここで接点があるわけです。

 『曾虚白の自伝』で言及されている書名が『外国人目睹之日軍暴行』ではなく、南京軍事裁判で言及されている『日軍暴行記実』であることも、ひっかかります。 
 『日軍暴行記実』という別版が、後日、刊行され、それが1940年頃ではないかと疑っています。この点について論じた記事はないでしょうか?
 ティンパーリーが南京にいたという部分も、資料に典拠して曽虚白が書いたものではないでしょうか。

 それから、『曽虚白自伝』の、もう一つの間違いを指摘しておきます。
 それは、p.201(『南京事件の探求』p.44) で、 泛太平洋新聞社(Trans Pacific News Servise )が、あたかも表面上は国際宣伝処とは関係ないように装われ、ティンパリーが責任者であったかのように読めるのですが、同時代資料『曽虚白工作日記』↓では「公開之官方」と明示さています。(これは、日本の外務省資料でも確認しています。)
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/7/vzmqrf/pbcqrf.html

># 曾虚白じいさんの話は、ただのほら話(事実に反した自慢話/手柄話)のようですな。

 たしかに、国際宣伝処が積極的に活動したように書かれていると思います。しかし、回想にある間違いの狭間には、それなりの真実があると、私は考えています。
 ティンパーリーは、1938年の8月から12月頃までに米国に行っていますが、その当時の事情を反映しているのではないかと推察しています。1939年4月に重慶に入り、『アジア』誌の顧問編集者を辞し、この頃、中央宣伝部の顧問になったと推察されますから、時期的にはつじつまが合います。
 (なお、曽虚白はティンパリーが国際宣伝処の「工作同人」に成ったのは、「抗日戦争継続拡大後」p.183 としています。)



    └『日軍暴行記実』は1947年国防部訳 渡辺 2004/04/01 02:20:41  ツリーへ

Re: お役にたててなによりです 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/04/01 02:20:41
『日軍暴行記実』は1947年国防部訳

自分:
>『曾虚白の自伝』で言及されている書名が『外国人目睹之日軍暴行』ではなく、南京軍事裁判で言及されている『日軍暴行記実』であることも、ひっかかります。 
>『日軍暴行記実』という別版が、後日、刊行され、それが1940年頃ではないかと疑っています。

 『日軍暴行記実』とは何かという、長らく持っていた疑問が、あっさり解けました。
 別件で『侵華日軍南京大屠殺档案』(江蘇古籍出版社, 1987年)を何げなく見ていたら、『日軍暴行記実』の「日本軍の姦淫部分リスト」という個所について、次のような註が付いていました。
「此件系1947年民国政府国防部翻訳室根据1938年英文本翻訳。」P.359(これは、1947年民国政府国防部翻訳室が、1938年の英文書に基づき翻訳したものである。)

 これは、うっかりしていました。
 南京軍事裁判では、英語版から一部分を国防部で訳して、裁判の証拠とし、そのときの"What War Means" の題名が『日軍暴行記実』であったわけです。
 と、いうことは、『曾虚白の自伝』には、やはり、後年の資料の内容が回想に混入しているようです。

 なお、1940年代に別版が出版されたのではないかという疑いはまだ晴れませんので、『抗戦時期重慶的〜』の著者に、どういう資料に基づくのか問い合わせてみたいと思います。


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