「福知山連隊史編集委員会」編、「福知山連隊史刊行会」発行の、「福知山歩兵第二十連隊第三中隊史」の中から、N・K氏(原文実名)の記述を紹介します。
1938年3月、「新郷地区」での出来事です。
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翌朝附近一帯の村落を掃射した。二十才以上三十五才位の男子を連行した。山麓において処刑の際「我們不是富兵老百姓」(ウオメンプスタンピンラオパイシン) 「私達は兵隊ではない百姓だ」と「言っております」 「分隊長本当の兵隊なら今頃この村なんかには居りませんよ、とっくに逃げております。そう思いませんか」 「殺せの命令だから仕様がない」初年兵の言葉など通る雰囲気ではなかった。
我が小隊に多くの犠牲者が出たので、この善良な百姓達は敵視され犠牲になったのに、この若い百姓にも年老いた両親や妻子があっただろうに、戦争は正常なる精神の者を狂人にしてしまう。翌日の日暮に射殺された遺体をその家族が戸板を持って引取りに来た。年老いた父や母、妻に子供も悲しさを越えた恨に焼えた目で我々を睨んでいた。自分は思わず手を合して目をそらした。とても正視出来る情景ではなかった。 (P309)
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これを中国人の側から見れば、本多勝一氏「南京への道」に取り上げられているような、「部落掃蕩」の光景になります。
掲示板を見ていると、「ネット否定派」の連中は、そもそも日本軍がそんな「事件」を起こすわけがない、という「思い込み」で本多氏を批判しているように思いますので、ちょっと取り上げてみました。
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