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  語彙集「兵隊中国語」(試作版) 渡辺 2004/02/09 01:01:35 
  >ウオデー 熊猫 2004/02/12 00:48:06  (修正1回)
  >カイカイデー/クワイクワイデー 熊猫 2004/02/12 01:18:29 
  │└快快地 渡辺 2004/02/12 02:13:29 
  │ └なるほど、「清国人」の可能性もありますね... 熊猫 2004/02/12 02:50:41 
  >マラカピー/マラカツー/マラガツー/マ... 熊猫 2004/02/12 01:47:03 
   └Re:>マラカピー/マラカツー/マラガツー/... 渡辺 2004/02/12 02:18:21 

  語彙集「兵隊中国語」(試作版) 渡辺 2004/02/09 01:01:35  ツリーへ

語彙集「兵隊中国語」(試作版) 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/02/09 01:01:35
 日中戦争当時の従軍日記や回想記を読む上で必要になる兵士が使用した「兵隊中国」の語彙集・試作版を公開いたします。
 これは、昨年作成したものですが、私の非力から十分に意味や元になった中国語が解明できない部分があり、そのままになっていました。しかし、むしろ皆さんのご意見を伺ったほうが良いとのではないかと思い、今回公開いたします。
 まだ、語彙の収集も特定の資料に偏っている状態ですので、今後、更に追加したいと思っています。

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説明:
 これは、従軍日記や回想録にみられる、日中戦争時に兵士や軍属が中国人との意志疎通に使った「中国語」を例文と共に収録した語彙集である。
 当初の目的は、兵士が使った「中国語」が戦地の地方語を基にしているのか、北京語によるものかを調べる目的であったが、実際に収集してみると、ほとんどは北京語であった。これは、ラジオ放送などにより北京語が普及し、特に首都南京では北京語が主流であったことによると思われる。
 語彙能力や発音は、話者の中国語能力により左右されるのは当然である。明らかに中国語が堪能な筆記者による例文も掲載したが、すべての兵士が例文のように話すことができたというわけではない。
 「メシメシ」「シンジョウ(進上)」のように、日本語が住民に使われ、それが中国語と思われて兵士に使われたものや、「サイコサイコ」のように、いわば日中共通の隠語として使われた表現も、ここでは「兵隊中国語」として収録した。
 
 1行目の見出し語は、カタカナ表記の発音としている。複数の表記が考えられるものは/記号で区切って列記した。「ッ」「ュ」「ャ」のような促音便の表記は、戦前の一般的表記である「ツ」「ユ」「ヤ」に統一した。
 2行目は、中国語表記があるものは、その漢字と説明。複数の語が考えられる場合は|記号で区切って列記した。
 3行目は発音(該当のない場合は空欄)、4行目は意味、5行目から7行目は例文。例文の末尾に→記号があるものは、例文中に別の語を含む場合、その見出し語を示した。
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アイヤ/アイヤー
口へんに挨の右+呀、または口へんに愛+呀
ai ya
ああ、おお(感動詞)
『ロ愛呀々々[アイヤアイヤ]!』と、城壁上からも、支那兵の断末魔の悲鳴が聞えて来る。(「硝煙中に悲壮の点呼」『支那事変 忠勇談・感激談』キング三月号附録,p.179)



アイヨー
口へんに挨の右+口へんに約、または口へんに愛+口へんに約
ai yo
ああー、おおー
捕虜は恐怖におののき、「シーさん助けてくれ」「アイヨー、アイヨー」と周囲の兵を拝んでいる。(『揚子江が哭いている』p.119)→シーサン



ウオデー
我?(「私」または「我々」の意味で使われているが元の中国語は不明)→ニーデー
wo ―
我々、私
休憩になると彼らは再三こう訊ねた。――オウデー、スラスラ?(私は殺されるのか?)――(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.304)→スーラ/スラ(死了)



カイカイデー/クワイクワイデー
快快地(「快快的」と表記されていることがあるが、正しくは「快快地」。)
kuaikuai de
速く
「来い。快々的[カイカイデー]!」青年は素直に歩き出し、二人の兵がその後に従った。(『生きている兵隊』p.10)
日はとっぷりと暮れ、私は青年に「快々的[カイカイデー]」と叫んで激励した。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.237)→マンマンデー(慢慢地)


カンカン
看看
kankan
見ること。女性の性器を見ること。
「誰か、やったのかい?」「いや誰もやらなかった。カンカンしただけだよ。」(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.220)→ピーカンカン
女を捕まえるとな「カンカン、サイコ」言うんや。カンカン言うたら大事な所見せろちゅうことや。サイコサイコ言うたらもうすることや。(太田俊夫『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p.294)→サイコ


クーニャン/クーニャ
姑娘
guniang
娘、女の子
殊に生肉の徴発は姑娘[クーニャ]を探しに行くという意味に用いられた。(『生きている兵隊』p.45)
・・・クーニャンはピーカンカン、サイコサイコ、カンホシテーハヲをおこなって竹槍等にてさゝれたのわ[は]おもしろくない(「高橋光夫陣中日記」『南京大虐殺を記録した〜』p.291)


クワイ/カイ

kuai
速く
中国人を何人かひと固まりに引き出して、十〜十五人ぐらいの日本兵が中国語で「クワイツオウ!」〔快走、速く行けの意味、日本兵たちはだいたいこれぐらいは言えた〕と言ったら、中国人達は揚子江に向かって走り出した。(太田俊夫『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p.122)→ツオウ(走)



コアイチエン/クアイチエン
塊銭
kuai qian
通貨単位の「円」は、会話では「塊」と言う。末尾に「銭」を付けて用いる。
イ尓公うれしさうに「一円[イーコアイチェン]」「一円」、「謝々」と、うれしさうににやにや笑ってゐた。(『日中戦争従軍日記』p.405)→モチエン(毛銭)



コウカン
(日本語の「交換」)

交換、日本語の「交換」を中国人が使ったため、日本人に中国語と誤解された。
陥落から十〜十五日して、難民区へ行ったな。そいで、「残飯とピーの交換や」て言って、するところに鍋を持っていって、これと交換やと。女に「メシ・メシ・シンジョウ」とか、「ピー・コウカン」と言うのや。そしたら女がその残飯くれと。(『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p.107)→シンジョウ、メシメシ、ピー



サイコサイコ/サヰコサヰコ/サイコ/サヰコ
(日本語で「さあ行こう、さあ行こう」が転化した言葉)

女郎屋や慰安所に行くこと、性交のこと
「さいこさいこでい、くうにゃん、アハハ。」と云つて笑ふ。さいこさいこでい、といふのも日本語から転化したもので、『さア行かうさア行かう。』ががその語源であるが、今では支那全体にわたつて、"悪所通ひ"の意味になってゐるのだ。(「成瀬関次「血刀修理行」『刀と剣道 昭和十四年十二月号』p.152)
市内へ見物に出る。支那のおやまもみました。ぴーかんかん、さゐこさゐこ、ゐも銭(五十銭)でやりました。[「おやま]は、方言で「娼妓」のこと。](「上羽日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.18)→ピーカンカン


シーサン/シサン/シエンシヨン/シエンシヤン
先生
xian sheng (シーサンは、「中支」の発音)
有徳の人に対する尊称、さん、様
汽車途中駅に止まれば子供が、シサン[先生]、キャラメル、進上進上。あわれなり。(「上羽日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.35)→シンジョウ(進上)
捕虜は恐怖におののき、「シーさん助けてくれ」「アイヨー、アイヨー」と周囲の兵を拝んでいる。(『揚子江が哭いている』p.119)→アイヨー
どこかで、かすかに、「佐藤先生[ツオトンシエンシヨン]!! ツオートーン!!」と誰かが呼ぶ声を夢心地に聞いた。(『日中戦争 ある若き従軍僧の手記』p.158)

シエシエ/シエーシエ
謝謝
xiexie
ありがとう、「多謝」も同じ→トーシエ(多謝)
老人はそれをうけとると、しばらくのあいだためつすがめつしていたが、ようやくそれが銀貨であることを確認したのか、何度も謝辞の言葉をくりかえした。「謝々、謝々、多謝」(シェシェ・シェシェ・トーシェ=ありがとう、ありがとう、たいへんありがとう)(『上海敵前上陸』p.201)



シンク/シンクウ
辛苦
xing ku
苦労、ご苦労様
老夫婦は僅かに表情をやわらげ「辛苦[シンクワ]々々」とをくりかえしていた。[「シンクワ」はママ](朝香進一『初年兵日記』p.183)



シンジョウ/シンジョー/シンジョ
(日本語の「進上」)

差し上げる(日本語の「進上」を中国人が使ったため、日本人に中国語と誤解された。)
…夕飯をたべて一休みしていると、小輩[孩](子供)が沢山よって来て、メシ進上進上とたかってきた。「メシ有無」、「タバコ進上」、「小牌[孩]ニタバコイコペン」、「ワタクシ煙草スフ」。わたくしといふ言葉がつかへるのだ。(『日中戦争従軍日記』P.99)
陥落から十〜十五日して、難民区へ行ったな。そいで、「残飯とピーの交換や」て言って、するところに鍋を持っていって、これと交換やと。女に「メシ・メシ・シンジョウ」とか、「ピー・コウカン」と言うのや。そしたら女がその残飯くれと。(『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p.107)→メシメシ、コウカン、ピー


スーラスーラ/スラスラ
死了死了
sile,sile
「殺すんだ」の意味と思われれる。(「了 le」は、この場合、断定・決定を表すと思われる。)
休憩になると彼らは再三こう訊ねた。――オウデー、スラスラ?(私は殺されるのか?)――(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.304)→ウオデー



ターター/タタ
多多
tuotou
多く、多い
『対岸には敵がターターゐるだらう』(今吉茂「永定河を渡る」『皇兵』P.25)



ターターデイ/ターターデー/トートデイ/トートーデ
多多的|多多地
tuotuo de
多い|多く(「地」は副詞接尾辞、「的」は、修飾語を名詞の前に置くときに使う)
両鬢をうんと短かく刈り上げて貰はうと思つて、そこを刈り取る手つきをし乍ら「多々的[ターターデイ]」と云へば「明白[ミンバイ]」と答へる。ところが此の支那語に対する彼の解釈は反対で、沢山毛を残せといふのだらうと考へたらしく、鋏刈りを始めたので、あわてゝバリカンを持たせる。(「成瀬関次「血刀修理行」『刀と剣道 昭和十四年十二月号』p161)



ターターユー/タタユー/ターターヨウ/トウオトウオヨウ
多多有
toutou you
たくさん有る/いる
「イ爾[ニイ]!南京、好姑娘[ハオクーニャ]、多々有[ターターユー]?
いつ迄も此処で長閑な生活を続けて行き<たい>気持は「多多有[タタユー]」である。(『日中戦争従軍日記』P.360)



ターレン
大人
daren
目上の人に対する敬称。
私達の忠実なる二人の苦力は私達を見失ふまいとして「大人」「大人」と叫び乍らついて来た。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.273)
奥から支那人の主人が出てきて、皿を指しながら「大人、好不好?[ターレン、ハオブハオ]とニヤッと笑顔を見せたので私は「ハオ、ハオ」と答えた。(朝香進一『初年兵日記』p.167)



チーフアン
吃飯
chi fan
食事をする
テンソクで足の不自由な老婆が、時々、ワンの中にカユのようなものを作って「吃飯[チーファン]」するように私にすすめる。(朝香進一『初年兵日記』p.183)



チヤンチユー
(中国の蔑称である「チャン」に酒[チュー]を付けた和製中国語)
N/A
中国の酒




チユウミン/チユウミンチユウミン
救命
jiu ming
助けてくれ、人命を救助する
三中隊の兵がニイを殺している。水の中へ逃げて、救命救命[チュウミンチュウミン]〔助けてくれ〕というものを追いかけて行っては、なぐり殺している。(『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p.80)→ニイ



ツオー/ツオウ

zou
行く、歩く、逃げる、行け、歩け、逃げろ
私は彼女達を裏口へ連れて行き私の腕時計を見せて十二時に指示し、「ニイデー、ツオー」と言った。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.257)→ニイデー
河辺で並んでいる中国人に向かって私が「一起走ロ巴[イーチーツオウバ]」〔一緒に行けの意味〕と言い、三十三聯隊が撃ちました。(『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p.122)


テンハオ/テンホ
挺好|頂好(資料には「天好」と表記されているものがある。)
ting hao |ding hao
とても良い|最も良い
二時頃指揮班で昨日造つたかめ風呂に入る、とても具合が良かつた、テンハオ。(「大寺隆陣中日記」『南京大虐殺を記録した〜』p.199)
「東さん、天好[テンハオ]ぢゃろうがな。酒[チュウ]はあるし、姑娘は居るし。それから、サイコサイコ ホウホウデーですわ」と言いつヽ杯をあけた。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.257)→サイコサイコ、ホウ(好)
郷に入りては郷に従うべしとあきらめて「頂好[テンハオ]」「頂好」とほめてやり、一両[イーリャン]の散髪代を払ってやった。(『日中戦争 ある若き従軍僧の手記』p.37)

トンヤンピン
東洋兵
dong yang bin
日本兵(ここでの「東洋」は、日本を意味する軽蔑的意味を帯びた俗語)
折りから水田中、膝まで没して逃走中の支那女を発見。トンヤンピン□□□□ニーライライと呼べど振り返りつつも尚逃走せるにより、距離三百メートルにして一発射てばヨロヨロと水中に倒れ、そのまま再び起たず遂に死せり。(「梶谷健郎日記」」『南京戦史資料集U』p.434)→ニーライライ



ニイ
イ尓、イ爾
ni
(中国人に向かって)お前、中国人→ニイデ、ニイコウ、ニイヤ
「さっきのイ爾[ニイ]、殺[や]ったのかい」「やったさ。あンの野郎……」と彼はまだ放火されたのが口惜しそうであった。(『生きている兵隊』p.13)



ニイデー/ニーデー/ニイデ/ニーデ
イ尓?(「デー」「デ」の部分の元の中国語は不明)
ni −
お前(達)→ウオデー
私は彼女達を裏口へ連れて行き私の腕時計を指し、「ニイデー、ツオー」と言った。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.257)→ツオー(走)



ニイコウ/ニーコウ/ニイコ/ニーコ
イ尓公、イ爾公(和製中国語)

中国語の二人称の代名詞「イ尓」に「公」をつけた、中国人に対する蔑称
小隊長が地図を落されたので拾ひに行くとどの家もイ尓公が殺されてゐる。(「北山日記」『南京事件 京都師団関係資料集』pp.64-65)



ニーヤ/ニヤ
イ尓呀(「イ尓」に語気詞の「呀」が付いた「君はだね〜」という表現が、中国人を差す言葉に転化したものと推測される。)
niya
中国人/(中国人に向かって)お前
スヽキの藁を燃料にとやってゐたら、中からニーヤが出て来て一同吃驚した。早速それを使役して藁をはこばせた。(『日中戦争従軍日記』P.52)
僅な間の警備であつたが、支那馬車徴発、牛馬の徴発、ニーヤ徴発と出発準備に毎日多忙を極めたが、先の苦労を思へば、むしろ愉快な気持で働らけるのであつた。(今吉茂「禮賢鎮警備」『皇兵』p.22)
・・・皆ニヤを雇って居るので一ケ中隊が倍になつて居る。(「大寺隆陣中日記」『南京大虐殺を記録した〜』p.192)


ニーライライ
イ尓来来
ni lailai
あなた(お前)、来なさい
折りから水田中、膝まで没して逃走中の支那女を発見。トンヤンピン□□□□ニーライライと呼べど振り返りつつも尚逃走せるにより、距離三百メートルにして一発射てばヨロヨロと水中に倒れ、そのまま再び起たず遂に死せり。(「梶谷健郎日記」」『南京戦史資料集U』p.434)→トンヤンピン
部落民だと思つて、西原通訳と金尾伍長の二人は隠れ場所を離れて、橋の切断箇所まで歩いて行つて、『イ爾來々。』と手招ぎして見せた。途端!支那人は家の中に走りこんだ。(「通訳も銃を執つて戦ふ」『支那事変 忠勇談・感激談』キング三月号附録,p.197)
しばらくすると、「イ尓来々」(ニーライライ=やい、でてこい)と表で声がした。私はとっさに、中国兵がなかにいる中国兵に「イ尓来々」というのはおかしい、と気がついた。おそらく表にいるのは日本兵で、私たちを中国兵とまちがえているのだろう。(『上海敵前上陸』p.202)

ハオブハオ
好不好?
hao bu hao
よろしいか?、良いか?
奥から支那人の主人が出てきて、皿を指しながら「大人、好不好?[ターレン、ハオブハオ]とニヤッと笑顔を見せたので私は「ハオ、ハオ」と答えた。(朝香進一『初年兵日記』p.167)→ターレン



ハオ/ホウ

hao
よろしい、良い
奥から支那人の主人が出てきて、皿を指しながら「大人、好不好?[ターレン、ハオブハオ]とニヤッと笑顔を見せたので私は「ハオ、ハオ」と答えた。(朝香進一『初年兵日記』p.167)→ハオブハオ



ピー
尸+穴看看/尸+必)
bi
女性の性器。
誰かが叫んだ。「ニーデー、ピーカンカン」彼女はしっかりと己が手で身をかかえて、毒を呑まされたやうに目を引き吊り、青くなり、ふるえ、喘ぐやうにひからびた声で何かしゃべった。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.219)→ピーカンカン、カンカン
・・・クーニャンはピーカンカン、サイコサイコ、カンホシテーハヲをおこなって竹槍等にてさゝれたのわ[は]おもしろくない(「高橋光夫陣中日記」『南京大虐殺を記録した〜』p.291)


ピーカンカン
尸+穴看看/尸+必看看(和製中国語)
bi, kankan
女性に対し「性器を見せろ」の意味。「ピー」は、女性の性器のこと。
誰かが叫んだ。「ニーデー、ピーカンカン」彼女はしっかりと己が手で身をかかえて、毒を呑まされたやうに目を引き吊り、青くなり、ふるえ、喘ぐやうにひからびた声で何かしゃべった。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.219)→カンカン
・・・クーニャンはピーカンカン、サイコサイコ、カンホシテーハヲをおこなって竹槍等にてさゝれたのわ[は]おもしろくない(「高橋光夫陣中日記」『南京大虐殺を記録した〜』p.291)→クーニャン、サイコサイコ


ブヤオ/プヤオ/プヨウ
不要
bu yao
いりません
欲に目の無い支那人ながら、番台の男は「不要[ブヨウ]」と云つて取らない。(「成瀬関次「血刀修理行」『刀と剣道 昭和十四年十二月号』p.153)
…帰宅を促す私に「不要費心[プヤオフェイシン](お気づかいは無用です)尉先生処に居ることさえわかっておれば、一ヶ月帰らなくても私の父母安心しております。…(『日中戦争 ある若き従軍僧の手記』p.70)


マラカピー/マラカツー/マラガツー/マラガバツー
媽拉个子、媽拉个巴子(「マラカピー」の「ピー」には他の字であるのかも知れない)
malegezi, malagebazi
ばか、ちくしょう
しゃくにさわった私は、彼らにきこえるような大きな声で「マラカピー!」とどなってやった。マラカピーとは、母親と姦通する子供という意味だそうで、人倫の道を説く儒教の訓えを尊ぶ中国人には最大の侮辱のことばであった。(『上海敵前上陸』p.177)



マンマンデー/マンマンデイ
慢慢的|慢慢地
manman de
ゆっくりした|ゆっくりと(「地」は副詞接尾辞、「的」は、修飾語を名詞の前に置くときに使う)
「支那の鼠はマンマンデイですよ。のろまでゐて性質[たち]がずつと悪い。」(「成瀬関次「血刀修理行」『刀と剣道 昭和十四年十二月号』p.142)
・・・仕方がないから掩護兵をもらい、ここでマンマンデー(漫々的)していたのだ。(朝香進一『初年兵日記』p.214)


ミンパイ/メンパイ
明白
ming bai
分かった
ある時、自分は水筒に湯を一ぱい満して置く必要を感じたので、『湯』と指で書いて見せていつぱいに入れてこいと命ずると、『明白々々[ミンバイミンバイ]』と云つて出て行つた。(「成瀬関次「血刀修理行」『刀と剣道 昭和十四年十二月号』p.153)
「泊めるのが嫌ならお前たちの家を叩きこわし、火をつけるぞ」と仕草で示すと、彼等も「明白[ミンパイ]々々」と承諾する他はなかったようだ。(朝香進一『初年兵日記』p.182)
その時「日本軍天津々帰、貴又此処勿来」と書いたら「メンパイメンパイ」とうなずいて、皆んなと握手して帰った。(『日中戦争従軍日記』P.80)

メイフアーヅ/メイフアーズ/メイフアーツ
没法子
mei fazi
仕方がない
・・・まとめて買ふと、三厘位に値切つても、『没法子[メーフアーヅ]』と云つて売つて了ふ。(「成瀬関次「血刀修理行」『刀と剣道 昭和十四年十一月号』p.99)
「没法子[メーフアーズ]」〔仕方がない〕の観念で諦めがよいのか「救命 救命」といえばワァーっと歓声あげて拍手する。(田中次郎『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p.82)→チユウミン(救命)


メイユ/メイユー/メイヨー/メイヨウ
没有
mei you
無い、ありません→ユーメイユー(有没有)
「吾要、鶏蛋!」(ウォーヤォ・チータン=卵がいるんだ)と私がいうと、「没有、没有、等々没有」ふたたび同じ返事がかえってきた。(『上海敵前上陸』p.200)



メシ/メシメシ
(日本語の「飯」)

飯、日本語の「飯(めし)」を中国人が使ったため、日本人に中国語と誤解された。
…夕飯をたべて一休みしていると、小輩[孩](子供)が沢山よって来て、メシ進上進上とたかってきた。「メシ有無」、「タバコ進上」、「小牌[孩]ニタバコイコペン」、「ワタクシ煙草スフ」。わたくしといふ言葉がつかへるのだ。(『日中戦争従軍日記』P.99)→シンジョウ
陥落から十〜十五日して、難民区へ行ったな。そいで、「残飯とピーの交換や」て言って、するところに鍋を持っていって、これと交換やと。女に「メシ・メシ・シンジョウ」とか、「ピー・コウカン」と言うのや。そしたら女がその残飯くれと。(『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p.107)→シンジョウ、コウカン、ピー


モチエン/マオチエン
毛銭
mao qian
通貨単位で、10銭を会話では「毛」と言う。末尾に「銭」を付けて用いる。
…漁夫の一人が、「売売一個一毛銭[ウルウルイヽコイモチエン]」と、日本語と支那語のちやんぽんで云つてゐる。一尾十銭といふのだ。(成瀬関次「血刀修理行」『刀と剣道 昭和十四年十一月号』p.98)→コアイチエン(塊銭)



ヤオ/ヨウ

yao
いります
「吾要鶏!」(ウォヤォチー=おれたちは鶏が入用だ)それにたいして老人は首をかしげて、ちょっと気の毒そうな表情で答えた。「没有、没有、等々没有」(メイユ・メイユ・トントンメイユ=ありません、ありません、そんなもの全然ありません)(『上海敵前上陸』p.200)→メイユ(没有)



ヤオブヤオ
要不要?
yao bu yao?
いりませんか?
『酒[チユ]、要不要[ヤオブヤオ]』と云ふから、『要[ヤオ]』と答へて水筒を差出すと、直に一ぱいづゝ持つて来てくれた。(蓮莱辰巳「九人の斥候兵」」『皇兵』p.165)



ヤンチヨー/ヤンチヨ/ヤンチヤ
洋車
yang che
人力車(日本から伝わったので、「東洋車」dong yang che とも言う。「東洋」は日本のこと。)
人力車(洋車[ヤンチヨー])が門前にずらっと市をなす有様で、お客の奪い合ひをする。(『日中戦争従軍日記』p.221)
…芦田と二人租界へ洋車(ヤンチョ)を走らせる。支那人街を走る時、それでも拳銃の安全装置を撃発にする。(「北山日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.46)

ユーメイユー/ユウメイユ/ヨウメイヨウ
有没有
you mei you
有りますか?→メイユー(没有)
暫くして委員会の腕章を付けた支那人に「イ尓支那兵有没有[ニーツーナピンユーメイユー]」と聞くと向の大きな建物を指差して「多々的有」と答へる。(「増田六助手記」『南京戦史資料集T』p.416)



ユンブユン/ヨンブヨン
用不用
yong bu yong
召し上がりますか?「用」には召し上がるの意味(敬語的用法)がある。
女の子はまだ母親が路上で眠っているものと思ってか「リャンスイユンブユン。」(水がほしいの)といいながら家へ戻っていき、小さな両手にで瓶の水をすくって母親のところへ持って行こうといたしました。このいたけない幼児の動作を見ていたたまれない気持ちでした。(三松秀一『担架の小隊長』 p.77)→リャンスイ



リヤンスイ
涼水(「良水」と表記されている資料があるが、「良」と「涼」とが同じ発音のため、良い水の意味だと誤解されたと思われる。)
liang shui
生水、冷水
営兵所に定めた家の主人である支那人に良水[リャンスイ]を汲んでこいと云ふと、汚い水を汲んできた。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.229)
女の子はまだ母親が路上で眠っているものと思ってか「リャンスイユンブユン。」(水がほしいの)といいながら家へ戻っていき、小さな両手にで瓶の水をすくって母親のところへ持って行こうといたしました。このいたけない幼児の動作を見ていたたまれない気持ちでした。(三松秀一『担架の小隊長』 p.77)→ユンブユン


ロートル
老頭児
lao tour
(男性の)老人
木戸を開けると部屋の片隅の寝台に白髪の老頭児[ロートル]と老婆が淡い灯火に写し出された。(朝香進一『初年兵日記』p.182)
宮沢一等兵が上衣の物入れから薄よごれた札束を取り出し見せびらかした。「ロートルが見ているぞ、早くしまえ!」と、分隊長が叫んだ。(朝香進一『初年兵日記』p.186)


ワンラ
完了
wang le
終わりました
木製、の丸椅子に腰掛けて、小一時間床屋のするがままに身をまかせていた。やがて「完了[ワンラ]」と言って、小さな手鏡をとりだして、調髪の出来栄えを見せてくれた。(『日中戦争 ある若き従軍僧の手記』p.36)
患者名簿の方は「完了[ワンラ]」。それで西塚君のやってゐた陣中日記[誌]を引受けてやる事になった。(『日中戦争従軍日記』P.343)

  >ウオデー 熊猫 2004/02/12 00:48:06  (修正1回) ツリーへ

Re: 語彙集「兵隊中国語」(試作版) 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <xhcvsuquwp> 2004/02/12 00:48:06 ** この記事は1回修正されてます
>ウオデー
>我?(「私」または「我々」の意味で使われているが元の中国語は不明)→ニーデー
>wo ―
>我々、私
>休憩になると彼らは再三こう訊ねた。――オウデー、スラスラ?(私は殺されるのか?)――(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.304)→スーラ/スラ(死了)

我得 wo3dei1 では?
得:推測を表す助動詞
きっと…になる,きっと…だ
オウデー、スラスラ(私はきっと殺される)(私はきっと死ぬ)
意味が変わってきますが。日本人の耳にはその様に聞き取れると思います。あと、我的も考えられないことはないですが、後の分とつながらないと思いますので、【得】だと思います。

  >カイカイデー/クワイクワイデー 熊猫 2004/02/12 01:18:29  ツリーへ

Re: 語彙集「兵隊中国語」(試作版) 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <xhcvsuquwp> 2004/02/12 01:18:29
>カイカイデー/クワイクワイデー
>快快地(「快快的」と表記されていることがあるが、正しくは「快快地」。)

元になった中国語は
【快点児】kuai4dian3er2だと思います。クァイディアール
快,快点児(儿)。意味は同じです。

チャンコロ   不謹慎な例えで申し訳ございません。
中国人
zhong1guo2ren2(チョングォーレン)が日本人にはチャンコロに聞こえたのではないでしょうか?

  │└快快地 渡辺 2004/02/12 02:13:29  ツリーへ

Re: >カイカイデー/クワイクワイデー 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/02/12 02:13:29
快快地

熊猫さん、レスありがとうございます

>元になった中国語は
>【快点児】kuai4dian3er2だと思います。クァイディアール
>快,快点児(儿)。意味は同じです。

 なるほど、「快(一)点児」ということですね。
 「点児」は「児化」しない南部だと「点点」(多分「点点児」で「児」の無いもの)になるようです。
 「慢」の反対語が「快」ですから、「慢慢地」の反対語として「快快地」でいいのかなと思いましたが...

>チャンコロ   不謹慎な例えで申し訳ございません。
>中国人
>zhong1guo2ren2(チョングォーレン)が日本人にはチャンコロに聞こえたのではないでしょうか?

 この言葉は日清戦争頃に存在して「清国人」が語源だという説があります。いずれが本当らしいのか、まだ確かめていないので「チャン」のところには書きませんでした。

  │ └なるほど、「清国人」の可能性もありますね... 熊猫 2004/02/12 02:50:41  ツリーへ

Re: 快快地 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <xhcvsuquwp> 2004/02/12 02:50:41
なるほど、「清国人」の可能性もありますね。日本人には聞き取りにくい発音だと思います。・・・私も随分泣かされています。
省略しましたが【慢点児】ではないでしょうか?
日本人には「マンデー」と聞こえるのではないでしょうか。

的と地の使い分けは、以前、中国旅行したときに現地の方から1930年代の的と地の使い分けの話を聞いた記憶がありますが、内容は全く覚えていません。その頃は南京事件にも関心がありませんでしたし、渡辺さんの投稿を見るとは・・・・・。既に運命だったのかも。今度、中国に行ったとき詳しく聞いてみます(反省)。

  >マラカピー/マラカツー/マラガツー/マ... 熊猫 2004/02/12 01:47:03  ツリーへ

Re: 語彙集「兵隊中国語」(試作版) 返事を書く ノートメニュー
熊猫 <xhcvsuquwp> 2004/02/12 01:47:03
>マラカピー/マラカツー/マラガツー/マラガバツー
>媽拉个子、媽拉个巴子(「マラカピー」の「ピー」には他の字であるのかも知れない)
「ピー」は性器の【尸+穴】です。
ちなみに現代は女性の性器を【×】と表示します。伏字という意味だそうですが、中国人の間では、×と書いた時点で意味が通用します。

操イ尓媽× cao4ni3ma1bi1 「母親のアレとやりな!」
中国語では猥褻な言葉で相手を罵倒します。(英語のファックユウ)

   └Re:>マラカピー/マラカツー/マラガツー/... 渡辺 2004/02/12 02:18:21  ツリーへ

Re: >マラカピー/マラカツー/マラガツー/マ... 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/02/12 02:18:21
Re:>マラカピー/マラカツー/マラガツー/マラガバツー

>>マラカピー/マラカツー/マラガツー/マラガバツー
>>媽拉个子、媽拉个巴子(「マラカピー」の「ピー」には他の字であるのかも知れない)
熊猫さん:>
>「ピー」は性器の【尸+穴】です。
> ちなみに現代は女性の性器を【×】と表示します。伏字という意味だそうですが、中国人の間では、×と書いた時点で意味が通用します。

 私もそうではないかと思ったのですが、辞書で「マラカピー」に相当する表現が見つけられませんでした。ありがとうございました。


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