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  「南京」以前 − 「出版警察報」より ゆう 2004/03/07 15:50:38  (修正1回)
  『出版警察報』出版者+追加 渡辺 2004/03/08 14:39:35  (修正2回)
  │└「新申報」についての情報 ゆう 2004/03/09 21:11:02  (修正2回)
  │ ├Re:「新申報」 渡辺 2004/03/10 01:05:29 
  │ └馬渕逸雄著『報道戦線』 渡辺 2004/03/14 01:59:11  (修正1回)
  とりあえず、ПPABЛAはПPABДA(プラウダ... ja2047 2004/03/08 20:22:48  (修正1回)
  ありがとうございましたm(__)m ゆう 2004/03/08 21:56:01 

  「南京」以前 − 「出版警察報」より ゆう 2004/03/07 15:50:38  (修正1回) ツリーへ

「南京」以前 − 「出版警察報」より 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2004/03/07 15:50:38 ** この記事は1回修正されてます
図書館で、「出版警察報」を調べてきました。

私が今回認識を新たにしたのは、「南京事件」以前にも、「日本軍の問題行動」が、山のように中国のメディアに報道されていたことです。(必ずしも正確なものなのかどうかはわかりませんが)

「当時中国側があまり問題にしなかった」ことをもって「南京事件」の存在を否定しようとする向きもありますが、これを見ると、初期の「南京事件」報道が、当時の感覚からすると「ああ、またか」という感じだったことは、容易に想像がつきます。

膨大すぎて全部はとても無理でしたが、そんな記事をピックアップしてみました。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8503/shuppankeisatu.html


ただ、「出版警察報」を作製した日本の機関名、「検閲」の内容(「発禁」「記事差し止め」など)の部分をコピーしませんでしたので、最初の一文が、

>「出版警察報」は、当時の日本側当局が、「検閲」によって「記事差し止め」「発禁」などの処分を行った報告をまとめた、日本側の記録です。

という、「固有名詞」を欠いた、何とも中途半端なものになっています。このあたり、ご教授いただければ幸いです。
(というか、渡辺さんが頼りですm(__)m)


また、ロシア文字など私は知りませんので、ロシア文字を出した部分が正確なのか、自信が持てません。もしご存知の方、いらっしゃいましたら、お願いします。


このあたりを確認の上、正式にコンテンツとしてアップしたいと思います。

  『出版警察報』出版者+追加 渡辺 2004/03/08 14:39:35  (修正2回) ツリーへ

Re: 「南京」以前 − 「出版警察報」より 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/03/08 14:39:35 ** この記事は2回修正されてます
『出版警察報』出版者+追加

ゆうさん、
>という、「固有名詞」を欠いた、何とも中途半端なものになっています。このあたり、ご教授いただければ幸いです。(というか、渡辺さんが頼りですm(__)m)

おいおい(^^;

 膨大なのに個別の記事は短いという、なかなか大変な資料であります。
 「外出禁止」がどういう規則に基付くのかさえ、いまだに知りません。
 しかし、日本国内でも「支那事変」に疑問を抱いていた人たちが、それなりに言論界で抵抗していたということがわかります。

 某図書館のデーターによれば、「原本の出版者」の変遷が下記のようになっています。

内務省警保局→警保局図書課→内務省警保局検閲課・情報局第四部第一課→内務省警保局検閲課・情報局第二部検閲課

 該当の記事が上のどの部分にあたるかまでは分かりませんが、とりあえず、共通部分の「内務省警保局」が出版者としてよいのではないでしょうか。

-- 追加(2004.3.8) --
 手元にある『出版警察報』110号と111号(1938年1,2月をカバー)は「警保局図書課」となっていました。
コピーするときは、扉頁、出版年と出版社が書かれている部分もお忘れなく。


  │└「新申報」についての情報 ゆう 2004/03/09 21:11:02  (修正2回) ツリーへ

Re: 『出版警察報』出版者+追加 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2004/03/09 21:11:02 ** この記事は2回修正されてます
「新申報」についての情報

そういえば以前、渡辺さんが「新申報」についての情報を求めていらっしゃいました。

今日たまたま読んでいた、昭和16年発行、馬渕逸雄著「報道戦線」に、「新申報」についての記述がありましたので、紹介します。


**************************************

 事変勃発当初上海には大小三十近い華字紙があつて猛烈な抗日態度を示し、十数の外字紙も亦日本に反抗を続け、上海以外の各地の新聞悉く抗日であつた。之に対し日本側では僅かにローカルの三紙があつたのみで、而も之等は敵の爆弾によつて工場が潰滅せられ謄写版でニュースを配給するに止まると云ふ有様で、新聞による宣伝は全く歯が立たない実情であつた。

 口では日本帝国の真意を支那人に闡明すると云つても、日本の考へを支那人に知らせる手段なく、戦闘には勝ちながら敵側の戦勝デマを拱手して見て居なければならないといふ有様で、華字によつて支那人に呼びかけるべく、日本側によつて華字紙を発行するといふ事が絶対に必要であつた。

 事変前「上海日日」は夕刊として華字版を出して居たが、事変勃発と共に発行を停止して居たので、軍報道部は其の工場並びに発行権を買収して新たに華字紙を発行する事にした。そして租界の一流紙「新聞報」と「申報」を兼称せしむる意味で「新申報」と名づけ、堂脇少佐、金子少佐が苦心の末、程克 初め有力な支那人を集め、論説委員として日高、山本氏等を招き、昭和十二年十月一日創刊した。

日本人の出した新聞を抗日意識に燃えた支那人が読む筈がないので、当初は全然その記述も体裁も支那人発行のものとして出し、南京、蘇州、上海等の要人に郵送したのであるが「斯の如き非愛国の文字を見るに忍びず」とて酷評を朱書して返送して来るものもあり、上海租界では売子が迫害せられ、売ることが出来なかつた。そこで飛行機によつて支那の戦線に撒布し、抗日支那将兵に日本のニュースを読ませることにした。

 赤松克麿君、高谷覚蔵君が報道部の応援に来て、力瘤をこの「新申報」の論説に入れて呉れ、申城、浥(パソコンで出ないので一番近い字)城の筆名によつて大いに論陣を張つたものだ。

 同文書院の久重福三郎教授は学生を激励するため自ら応召を志願し、一軍曹として柳川兵団の杭州湾上陸作戦に参加したのであるが、其の適材なるを惜しみ、杭州攻略の後軍報道部に配属を受け「新申報」に其の特有の技能を発揮せしめる様にし、高谷覚蔵君が社長、久重君が副社長と云ふ格で「新申報」の発展に努力した。次いで亀山嘱託も報道部に入り、専ら「新申報」の経営、紙面の充実に盡力した。

(「報道戦線」P223〜P224)

**************************************


これでやっと、「新申報」と題する章の6ページのうち2ページ。書き写すのに疲れましたし、以下もずっとこんな調子ですので、とりあえずここまでにします。


*例によって、旧字は新字に改め (そうしないととても書写できない(^^; )、また読みやすくするため随時改行を入れています。

  │ ├Re:「新申報」 渡辺 2004/03/10 01:05:29  ツリーへ

Re: 「新申報」についての情報 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/03/10 01:05:29
Re:「新申報」

ゆうさん、ありがとうございました。
 高めの価格で売られていたので、購入を迷っていましたが、さきほど清水の舞台からバンジー・ジャンプを敢行して注文しました。在庫がないとダメですけど。

 『租界の一流紙「新聞報」と「申報」を兼称せしむる意味で「新申報」と名づけ、...』の部分には、あれっと思いました。不自然な感じがします。普通に考えれば漢口に逃げてしまった『申報』の名前を利用し、新しい『申報』という意味の名前にしたと思われるんですけどね。
 しかし、上海ってどこの国にあったのか馬渕氏は忘れているようですね。こういう感覚だったので、中国で戦争ができたんでしょうけど。

 ところで、この本のどこかに、南京の宣教師が日本軍の暴虐を宣伝していたというような意味のことが書いてあるはずです。

>書き写すのに疲れましたし...

あれ?OCRじゃなかったんですか?

  │ └馬渕逸雄著『報道戦線』 渡辺 2004/03/14 01:59:11  (修正1回) ツリーへ

Re: 「新申報」についての情報 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/03/14 01:59:11 ** この記事は1回修正されてます
馬渕逸雄著『報道戦線』
に、ざっと目を通しました。
 『中帰連』22号の記事を書くために、上海での日本軍による言論統制について資料を集めたことがあるので興味く読めました。
 当然、当時(1941年)には書けなかったこともあると思いますが、南京の宣教師がデマ宣伝をしたとか、南京事件の報道が海外でされていたという事実が前提となっている部分もあります。まぁ、上海で外国報道陣に痛い目に会っていますから、印象が深かったんでしょう。
 それから、米国籍の漢字新聞「大美晩報」が微妙な立場にあったことが分かりました。1937年12月末の南京事件の報道に関して、工部局警察処資料に「アクションを取らず」(原文は英語)とのコメントが手書きでされていたものがあったのですが、これは同紙が工部局警察に監視されていたことを示しているようです。石川達三『生きている兵隊』の中国語訳を掲載したのも、確か「大美晩報」だったと思いますので、実物を見てみたいものです。
 報道部という制約からか、必ずしも日本軍の作戦や特務機関の活動を著者が知っていたわけではなく、また、1937-8年については回想ということもあって、事実関係がまるめられ、単純化されて書かれているように感じました。
 この本の刊行時点では、もはや欧米に気兼ねしなくてよいので、上海接収については、いさましい書き方になっていますね。
 他の資料と比較しながら読むと、当時の言論統制について理解が深まるのではないかと思います。

  とりあえず、ПPABЛAはПPABДA(プラウダ... ja2047 2004/03/08 20:22:48  (修正1回) ツリーへ

Re: 「南京」以前 − 「出版警察報」より 返事を書く ノートメニュー
ja2047 <zguiletmbk> 2004/03/08 20:22:48 ** この記事は1回修正されてます
とりあえず、ПPABЛAはПPABДA(プラウダ)でしょうね。
CДOBOはスドーヴォと読めますが、CЛOBO(スローヴォ)ではないでしょうか。
http://www.nauka.co.jp/rus/Guide2002/paper2.htm
スローヴォ自体ロシア語で声、とか新聞という意味のようです。

  ありがとうございましたm(__)m ゆう 2004/03/08 21:56:01  ツリーへ

Re: 「南京」以前 − 「出版警察報」より 返事を書く ノートメニュー
ゆう <pmyqfxtjon> 2004/03/08 21:56:01
ありがとうございましたm(__)m

さすが、渡辺さん。私の「つまみぐいコピー」と違い、かなりの部分をすでにお持ちだったようです。


さて、私がこの記事をとりあげた意図の説明が不十分だったかもしれませんので、補足します。


「南京事件資料集2 中国関係資料編」などを見ても、中国のメディアには、「南京事件」関係の記事は実に多い。

にもかかわらず、どうも中国要人の反応が鈍いのですね。蒋介石や宋美齢らが「南京事件」に関して当時から一定の認識を持っていた、という資料はいくつか存在しますが、「南京でとんでもないことが起こった」という認識が、どうも弱い。

私にとって、ちょっとした「謎」でした。


「出版警察報」との出会いは、私のそんな「謎」を氷解してくれました。

なるほど、これだけ似たような報道があったら、今さら「南京」の報道にぶつかっても、驚きませんね。最初のころは、「南京事件」がこんな大規模なものである、という認識もなかったでしょうし、「数多い日本軍の蛮行が、またひとつふえた」という程度の認識だったのかもしれません。


jaさんのご指摘とあわせ、暇になったら修正に取り組みます。ありがとうございました。


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