「南京」に関心を持ってはや2年半、およそ「南京」と名のつく本は片っ端から手に入れたつもりだったのですが(昭和13年発行『南京への旅』という本を見かけて、おお、これは、と注文して手に入れてみたら、ただの「旅行ガイド」だったりします)、あの落合氏が「南京本」を書いていたとは、恥ずかしいことに全く知りませんでした。
私でもこうですし、またこの本の話をネットの「南京」論議で見かけたことも全くありませんので、ご存じない方も多数いらっしゃるのではないかと思い、ここに紹介してみます。
この本は、1995年、落合氏が、上海から武漢までの間で、何人かの中国人から「日中戦争」被害の聞き取り取材を行った記録です。いちいち紹介すると大変な分量になりますので、最初の「証言」のさわりだけを書いておきますと、
『上海晩報』副総編集長 馮英子氏
「忘れもしない、あれは一九三七年十一月十九日、蘇州が陥落した日、私の妻と弟の嫁は日本軍兵士に輪姦された。場所は蘇州市内の前万力橋。私の妻は妊娠していたにもかかわらず輪姦されたのです。妻も弟の嫁もそのときは死ななかった。それが彼女らにとっては逆に悲惨でした。今はもうふたりとも死にましたが。
中国女性が戦争中強姦されたケースは数えきれません。しかし、全部が公表されているわけではない。なぜかというと、だれも言いたくないんです。中国人の道徳観で言うと非常に恥ずべきことだからです。だから輪姦されて辱めを受けても絶対に言わない。私自身、今までこれについて語ったことはなかった。しかし、今日はあなたが真剣に話を聞いてくれているのであえて言ったわけです」(P19〜P20)
こんな感じの「証言」が、上海、蘇州、南京、武漢、と続きます。おなじみの夏淑琴さんも登場します。本多氏の『南京への旅』を思わせる、構成と内容です。
面白いのは、「敗残兵狩り」における「民間人誤認殺害」の割合を推定させる証言があることです。
「今でもハッキリ覚えているのは、安全区の中に水穴が二、三あったんです。小さなダムみたいなものです。そこに日本軍は二百人ぐらいの中国人を連行して機銃掃射で全員射殺したのです。そのとき小穴の水が真っ赤に染まったのを鮮明に覚えています。セーフ・ゾーンの中で行われたのです。半分以上は一般市民でした。というのは遺体が近くの山に収容されたのですが、親とか家族が引き取ったのは百二十人ぐらいでした。ということは半部以上が南京の住民だったわけです。残りの百体ぐらいはたぶん国民党兵士だったろうというのが私の判断です」(P86)
これ、私の準備中のコンテンツ、「敗残兵狩りの実相」に使える(^^)
(さらに言えば、この「百二十体」は「紅卍字会」等の埋葬組織の関与しないところで埋葬されたものと思われ、「埋葬団体の埋葬数」を「死者の上限」とみなす議論への反証ともなりそうです)
他にも、『南京大屠殺』を著した徐志耕氏へのインタビューなど、結構読みどころがあり、お勧めの一冊です。
落合氏といえば、「UFOナチス起源説」というトンデモを言い出したり、ちょっと怪しいジャーナリスト、という印象を持っているのですが、こんな仕事もしていたとは、(私にとっては)驚きでした。「証言」や「中国側資料」を結構批判的に見ている部分も多くありますが、例えば「南京裁判」へのこんな評価が、氏のスタンスを物語ります。
>マス・ヒステリアの波に飲み込まれてフェアな裁判を受けることができなかった谷中将には気の毒ではあった。しかし、だからと言って日本の中国への侵略行為や南京での虐殺の事実は消えるものではない。いかに詭弁を弄しようが、侵略は確かにあったし、それによって中国側に多数の犠牲者が出たことは動かしがたい歴史的事実であるからだ。(P78)
私にも、納得のしやすいスタンスです。
ただし、(やむをえないことでしょうが)落合氏の「南京」に関する知識は、豊かとは言えない。中国側から提供された「特務機関資料」や「大田供述書」を「新資料」であるかのように紹介していますが、1995年時点では確かもうかなり知られた資料だったのではないかと思います。(今、手元に資料がない場所で書いていますので、正確ではないかもしれません)
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