Re:田中軍吉の件
熊猫さん:> >『証言・南京大虐殺』や『南京事件資料集2中国関係資料編』を読んでも大雑把な経緯しか判りませんでした。『皇兵』を読む限りでは証拠とするにはあまりも不十分であると思います。
はい、そのとおりです。 1947年10月28日に、『皇兵』p.16の「掃討」を書いたと供述しているようです。[胡菊蓉『中外軍事法廷審判日本戦犯』南開大学出版社,1988年,p.168]しかし、この記事のどこが問題か分かりません。 また、12日には、「前線殺過人」「還在正定、広済以及南京的西方一帯殺過人」と供述したとあります。判決書に12月12日の速記を見よとあるのは、この部分かも知れません。[『2中国関係資料編』p.363] なぜ田中軍吉が軍事法廷の知るところとなったのかも不思議です。2・26事件に連座したり、有力者と人脈があったようなので、何か事情が背後にあるのではないかと疑っています。恨みを持った人が密告したこともあるようですから。
>田中軍吉氏が人を斬るところの写真とされているものは見ましたが、私にはそれが田中氏であるとは確認ができませんでした。
判決書によると、写真については本人が認めていますが「ただほかの場所で一人殺したことを証明しているにすぎない」として南京のものであることは否定していました。ワイシャツ姿だから南京攻略の冬ではないという主張です。
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