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  板倉由明版・百人斬り競争・六車政治郎証言 渡辺 2004/11/20 16:15:06  (修正1回)

  板倉由明版・百人斬り競争・六車政治郎証言 渡辺 2004/11/20 16:15:06  (修正1回) ツリーへ

板倉由明版・百人斬り競争・六車政治郎証言 返事を書く ノートメニュー
渡辺 <oogeblxyju> 2004/11/20 16:15:06 ** この記事は1回修正されてます
板倉由明『本当はこうだった 南京事件』に、下に引用するような記事があります。六車政治郎[1]証言をもう少し詳しく書いた記事をご存知のかたがいたら、お教えください。
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 常州で、歩九第一大隊副官だった六車政治郎少尉は、毎日新聞記者が向井、野田を撮影している所にでくわした。士官学校同期(四九期)の野田毅は「六車の方が第一線に出ているから手柄話もおおいだろう。一緒に写してもらおう」と言ったそうである。記者は六車に、「イヤ、有名になった二人だけでいい。貴方はあっちに行ってくれ」と弾き出され、若かった六車は悔しいやら羨ましいやら、面白くなかったそうである。
 この記者にモテなかったことが、後日の生死を分けた。
[板倉由明『本当はこうだった 南京事件』日本図書刊行会,2000年,p.122]
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 この記事は、六車氏が常州での写真撮影の現場にいたこと、百人斬り競争について常州で知っていたことを示しています。
 しかし、「有名になった二人だけでいい。」というのは、おかしな内容です。常州で会ったときには、まだ記事にはなっていないので、有名になってはいません。それ以後に起こった別の場所のことと混同しているのかも知れません。
 なお、現在進行中の訴訟で提出された六車氏の『鎮魂』記事[2]では、句容鎮付近で3ヶ月ぶりに野田氏に会ったとき知ったとなっています。
 オリジナルの六車証言を知りたいので、ご存知のかたがありましたら、お教えください。

註[1]六車政治郎 偕行S59.11月記事、『南京戦史資料集I』p.698では、六車政次郎となっている。 
註[2]
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「鎮魂 第3集」(陸軍士官学校四十九期生会発行)「野田大凱の思い出」(1967年)より

北支に上陸してからは、別々の戦場で戦うことが多くほとんど顔を合わせることはなかったが、中支に転じて南京攻略を目前にした一日、南京東部の句容鎮付近で珍しく一日だけ進撃の止まった日があった。聯隊本部へ命令受領に行くと野田君も来ていて、出征以来三ヶ月振りに会った。この時まで私はいつも聯隊本部から離れた第一線にいたので、新聞など見たこともなく、野田少尉と向井少尉との百人斬り競争の噂は知らなかった。戦斗の数は俺の方が多く、敵を斬った数も俺の方が多い筈だがとひそかに思ったものであった。
出所:[http://andesfolklore.hp.infoseek.co.jp/intisol/hyakunin2.htm]
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