大宅壮一の従軍記は、『外地の魅惑』(萬里閣、S15.7月)という単行本で刊行され、『大宅壮一全集
第十七巻』(蒼洋社)に収録されています。 史料としてみた場合、あまりたいした内容ではありませんが、 1)中山門が午前「三時過ぎだったかに」陥ちたと司令部より電話があったこと(板倉由明氏の、そんな時間に城壁に登れるはずはないという考察は誤りであることを示しています) 2)中山門の土嚢は占領時に取り除かれ、戦車が中山門から入っている 3)南京滞在期間は12月13日から「二、三日」 4)大毎・東京日日記者と行動を共にしたこと など、参考になるかとは思います。
『サンデー毎日臨時増刊 大宅考察組の中共報告』で、大宅氏が「入城前後、入城までの過程において相当の大虐殺があったことは事実だと思う」と言っているのは、確かに「入城前後、入城までの過程」についてしか見ていないかったということのようです。 なお、『外地の魅惑』は、山本七平の「十三・十四日にも、戦車がいるはずはない」という断言を批判するために、『ペンの陰謀』で引用されています。(pp.148-150,
高崎隆治「砂上楼閣の舞台裏」) 板倉氏の「中山門一番乗りをめぐる論戦」は『ほんとうはこうだった 南京事件』p.85
以下に掲載されています。
歴史の論考では、「そんなことはありえない」「あるはずがない」という言い方は、よほどの根拠が無い限りしないほうがいいようです。
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