[思考錯誤INDEX]
[新規発言] [掲示板内検索] [問答有用] [南京事件資料集][とほほ空間] [旧K-K掲示板][旧思考錯誤]
従軍慰安婦問題で1936年の業者有罪判決 指環 2005/02/24 00:16:54
├また、「海軍指定慰安所」とありますが、こ... とほほ 2005/02/24 01:30:37
├▼92/12/06東京朝刊26頁 とほほ 2005/02/24 01:51:36
│└とほほさん。早速のレスありがとうございま... 指環 2005/02/27 00:11:10
└「従軍」+「慰安婦」ということが、ビビッド... ピッポ 2005/02/25 16:27:53
└ピッポさん、初めまして。 指環 2005/02/27 00:21:43
└軍慰安所従業婦等募集に関する件。現代仮名... ピッポ 2005/02/27 02:24:25 (修正2回)
従軍慰安婦問題で1936年の業者有罪判決 指環 2005/02/24 00:16:54 ツリーへ
従軍慰安婦問題で1936年の業者有罪判決 |
返事を書く
ノートメニュー
|
指環 <uycczmnpew>
2005/02/24 00:16:54 |
政治家の介入によるNHK番組改変問題もあり、再び関心が高まっている従軍慰安婦問題ですが、↓の毎日新聞の記事がネット上で話題になっているようです。
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/02/02/20050202ddf001040007000c.html
毎日新聞 2005年2月2日 大阪夕刊
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
従軍慰安婦問題: 上海・慰安所売春、勧誘手口全容を初公表−−戸塚悦朗・龍谷大教授
◇1936年の業者有罪判決文、初公表−−邦人女性証言も
◇「仕出屋の女中奉公」「月五十円親に送金できる」
中国・上海の旧日本海軍向け「慰安所」に、日本人女性を「仕事は女中」などと偽って送り込んだ業者らを有罪とした1936年2月の長崎地裁判決の全文を、戸塚悦朗・龍谷大教授(国際人権法)が近く出版される学術誌「龍谷法学」で公表する。上告審の大審院判決(37年)は判例集で知られているが、詳細を記した下級審判決の全文公表は初。女性をだました手口の供述や、帰国費用がなくやむなく働いた女性の証言など、軍事侵攻に伴う慰安所の実態が分かる貴重な資料となる。
戸塚教授によると、戦前、日本の司法が慰安所関係者を有罪とした例は他に確認されていない。
判決は日本人業者ら被告10人に、旧刑法の国外移送誘拐罪を適用し、最高懲役3年6月を言い渡した。戸塚教授が02年、2審の長崎控訴院判決と一緒に地裁判決の写しを長崎地検で入手した。
地裁判決によると、30年から上海で海軍軍人を客に売春業を営んだ業者らは、32年1月の上海事変で駐屯軍人が増加したのに目を付け「海軍指定慰安所」を計画。長崎市などに在住の女性や娘を持つ親に「兵隊相手の食堂」「仕出屋の女中奉公」などと勧誘し、同年3〜5月、女性15人を長崎港から上海行き船に乗せ慰安所で売春をさせた。昭和恐慌下で女性らは「百五十円位(現在の約30万円)を前借するも、二、三カ月にて完済し得て尚毎月五十円位親許(もと)に送金し得る(原文は旧仮名遣い)」などと言われ、集められた。
予審判事らの尋問に対し、被告らは「女郎の如(ごと)き仕事をすると言えば嫌う者もある故左様な事は言わずに上海が景気なる故行きては如何(いかん)と申向けて勧誘」などと供述。被害女性らは「上海に行きたるところ同所は海軍軍人相手に専ら売淫(いん)をなす所なりし故(業者に)欺かれたる事が判(わか)り悲しくなり」「逃げ帰るにしても旅費無かりし故仕方なく醜業に従事した」などと証言している。
軍慰安所は、上海事変以降に設置されたとされ、上海総領事館の記録では、32年末までに海軍慰安所が17軒開業した。この慰安所もその一つとみられる。
戸塚教授は「慰安婦問題については『当時は公娼制度があり合法』とする主張があるが、判決が示す実態は甘言をろうした拉致だ」と指摘している。 【野上哲】
◇吉見義明・中央大教授(日本近現代史)の話
慰安所には、特に朝鮮、台湾から仕事内容を隠し、貧しい女性を送った例が多い。今回の判決文は、慰安所制度が当初から違法行為を前提に成り立っていたことを示しており、法的責任を認めない日本政府の姿勢に一石を投じるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上記の記事以上の詳しいことは分からないのですが、1932年の上海事変ですので、初期の慰安所の話です。 また、「海軍指定慰安所」とありますが、これが純粋の軍慰安所なのかどうかが上記の記事だけではよく判りません(ご存知の方、教えていただけないでしょうか?)。
なお、ネットウヨなどは上記の記事をもって、「これぞ、日本国家が悪質業者を取り締まっていた証拠だ」などと相変わらず見当違いのことを言っているようですが、背景に海軍の慰安所政策があったことは間違いないでしょう。 上記の長崎地裁判決からは慰安婦がどのような手段で集められ、どのように「海軍指定慰安所」に拘束されていたか、また、軍の慰安所政策が当時の日本内地でどのように受け止められていたかが分かるようです。 |
├また、「海軍指定慰安所」とありますが、こ... とほほ 2005/02/24 01:30:37 ツリーへ
Re: 従軍慰安婦問題で1936年の業者有罪判決
|
返事を書く
ノートメニュー
|
とほほ <csqrkrwfrq>
2005/02/24 01:30:37 |
>
また、「海軍指定慰安所」とありますが、これが純粋の軍慰安所なのかどうかが上記の記事だけではよく判りません(ご存知の方、教えていただけないでしょうか?)。
『従軍慰安婦』吉見義明著によれば以下のように書いてあります。文中『資料集』とあるのは『従軍慰安婦資料集』吉見義明編の事です。必要なら資料集のほうも持ってますので書き込みします。尚陸軍はこの海軍を参考に1932年3月から慰安所設置が始まったと言う事です。
--- 上海では、中国政府が公娼廃止に取り組んでいたので、日本外務省も対面上これに協力せざるをえなくなり、二九年、貸座敷(貸席)制度を廃止していた。しかし、日本は実際には抜け道として料理店酌婦制度をつくっており、事実上の公娼制が維持されていた。後年のものであるが、三八年末に上海総領事館が作成した「昭和一三年中に於ける在留邦人の特種婦女の状況及びその取締並びに租界当局の私娼取締状況」には、「上海事変勃発と共に我が軍隊の当地駐屯増員に依り、此等兵士の慰安機関の一助として海軍慰安所(事実上の貸席)を設置し現在にいたりたり」とある(資料集34)。上海事変のときに海軍の慰安所が設置されたと言うのである。
このときにつくられた海軍慰安所は数件程度であったと思われる。少しあとになるが、上海では、三六年末には、酌婦を抱える料理店は10軒(酌婦は日本人一〇二名・朝鮮人二九名)で、うち7軒が海軍専用であったという(「昭和十一年中における在留邦人の特種愚所の状況及其の取締」。『資料集』2)。この七軒は、「海軍下士官を専門として、絶対に地方客を〔民間人〕に接せしめず、且酌婦の健康診断も陸戦隊員及当館警察官吏立会の上、毎週二回専門医をして施行しあるの外、慰安所に対しては海軍とも協調を厳にし、且新規開業を許さざることとせり」(『資料集』2)というものであった。海軍専用とし、性病予防のために、軍と領事館(外務省)が関与して厳重な検針がおこなわれていたのである。この七軒が海軍慰安所であった。この段階では、軍のみならず、外務省もまた軍慰安所の監督に関わっていた。
このような状況であったため、日中戦争がはじまると、海軍はいちはやく慰安婦を送る。赤松小寅福岡県知事の報告によれば、三十七年一一月三〇日付けで二名の朝鮮人女性が上海北四川路の「海軍慰安所酌婦」となるために福岡八幡署から渡航証明書の発給を受けている(「支那渡航者に対する身分証明書発給に関する件」。『資料集』4)。早くも日本から在日朝鮮人女性が慰安婦として連れていかれたのである。 ---『従軍慰安婦』吉見義明著、岩波新書、15P〜16P--- |
├▼92/12/06東京朝刊26頁 とほほ 2005/02/24 01:51:36 ツリーへ
Re: 従軍慰安婦問題で1936年の業者有罪判決
|
返事を書く
ノートメニュー
|
とほほ <csqrkrwfrq>
2005/02/24 01:51:36 |
▼92/12/06 東京朝刊 26
頁 日追い深まる日本軍介入 朝鮮人慰安婦、国立公文書館の新資料 --- 今回、国立公文書館から発見された旧満州の従軍慰安婦関連文書の特徴は、朝鮮人慰安婦を管理した記述が、これまでで最も古く、日本軍が展開したのに合わせるように事実上の慰安所ができていったことだ。
政府が7月に公表した調査で、朝鮮人慰安婦の登場時期については「昭和11年(1936)末現在、酌婦数131名、うち内地人102名、朝鮮人29名」(外務省警察史、在上海総領事館)が目立つ程度だった。手がかりがほとんどなかった旧満州で、少なくとも3年さかのぼることが確認された。
また、これまでの資料は、ほとんどが「点」の情報で、1年以上の期間に及ぶ「線」で軍の動向が把握できる文書は、前例がない。事実上の慰安所設立の経緯から、診断実施要領の作成、検診結果の掲載、と日を追うごとに軍が介入し、管理していく様子がわかる。関東軍、上海派遣軍の性病感染率にも言及するなど、性病予防に軍が大きな関心を寄せていたことを示している。
また、記述の中では、朝鮮人の比率が日本人に比べて圧倒的に高い。検査の記録によると、日本人と朝鮮人の数が「3対35」「7対37」などとなっている。一方で、地元の遊郭について「有毒者多し」との理由で立ち入り禁止にするなど、性病を恐れて朝鮮人慰安婦の管理を強化していった様子がわかる。
政府は、7月に資料を公表して以降は、表向き沈黙を守ったまま、水面下で韓国政府筋と接触するなど「補償に代わる措置」を模索している。しかし、調査を指示した立場にある総理府が管轄している公文書館から膨大な文書が出たことで、アジア諸国などからの新たな反発を招く可能性もある。
●朝鮮人慰安所の開設時期に関する資料(◆印) 1931年 9月 満州事変 32年 1月 上海事変 ◆32年 上海で海軍慰安所設置=朝鮮人に触れず (政府資料) ◆33年 4月 旧満州で朝鮮人慰安所開設(今回の文書) ◆36年末 上海で朝鮮人酌婦29人 (政府資料) 37年 7月 盧溝橋事件、日中全面戦争へ ◆38年末 上海で朝鮮人酌婦20人 (政府資料) 41年12月 マレー半島上陸、ハワイ真珠湾攻撃 [朝日新聞社]
|
│└とほほさん。早速のレスありがとうございま... 指環 2005/02/27 00:11:10 ツリーへ
Re: ▼92/12/06東京朝刊26頁
|
返事を書く
ノートメニュー
|
指環 <uycczmnpew>
2005/02/27 00:11:10 |
とほほさん。早速のレスありがとうございます。
ちょうど現在、某所にて従軍慰安婦問題でネットウヨと遊んでいるところです。そのため、お返事が遅れてしまい、恐縮です(^^;
さて、吉見義明氏の研究によると
【引用開始】 日本軍人が利用した慰安所には三つのタイプがあった。第一は軍直営の軍人・軍属専用の慰安所、第二は、形式上民間業者が経営するが、軍が管理・統制する軍人・軍属専用の慰安所、第三は、一般人も利用するが軍が指定した軍利用の慰安所で、軍が特別の便宜を求める慰安所である。これらは典型的なタイプを類別したものだが、実際には、軍直営慰安所から民間の売春宿に近いものまで、多様な中間形態があったのであろう。 以上のうち、純粋の軍慰安所とよべるものは、第一と第二のタイプの慰安所であった。 【引用終了】 吉見義明・林博史編著『共同研究 日本軍慰安婦』(大月書店) p.6(吉見氏執筆部分)
とのことですが、毎日新聞報道の長崎地裁判決文にあるのは「海軍指定慰安所」との名称のようですので、吉見氏が言うところの第三のタイプ(一般人も利用するが軍が指定した軍利用の慰安所で、軍が特別の便宜を求める慰安所)なのかなぁ、と思ったのです。 細かいところだったかも知れません。
いずれにせよ、この長崎地裁判決文の「海軍指定慰安所」は、1932年の上海事変の際のものなので最も初期の形態の一つでしょう。 軍慰安所が大量設置されるのは、1937年末以降です。つまり上海戦終了後から南京占領にかけて、日本軍将兵による強姦事件が頻発し、その対策が必要になったからです(従って、この時期に派遣軍が軍慰安所の大量設置を開始したことは南京事件の傍証にもなり得ます)。 この頃からは、軍は、防諜などの理由から、民間の売春宿を指定して利用するより、自ら軍慰安所を設置することを好むようになったようです。 |
└「従軍」+「慰安婦」ということが、ビビッド... ピッポ 2005/02/25 16:27:53 ツリーへ
└ピッポさん、初めまして。 指環 2005/02/27 00:21:43 ツリーへ
Re: 「従軍」+「慰安婦」ということが、ビビッド...
|
返事を書く
ノートメニュー
|
指環 <uycczmnpew>
2005/02/27 00:21:43 |
ピッポさん、初めまして。
>なかった派の間では、「従軍」=軍から給料支給 だから「従軍慰安 >婦」ではない、と必死です。じゃあ、「従軍記者」はどうなる、とな >ると困っているようです。
「『従軍慰安婦』という言葉は当時なかった。慰安婦は軍属の身分ではなかった。それなのに『従軍慰安婦』という言葉を使うとはけしからん。『従軍慰安婦』という言葉は日本を貶める為の戦後の造語ではないか」といった辺りから、否定論を展開するのがネットウヨの通常のパターンです。 それに対しては「『従軍』という言葉に軍属の意味はない。従軍記者は軍属ではないではないか」と反論するのが通常ですし、私もこれまでそうしてきました(なお、慰安婦の大部分は確かに軍属の身分にはありませんでしたが、まれには軍属の身分の慰安婦もいたことが確認されています)。 ただ、最近は、むしろ「そうか。当時使われていた言葉なら良いのだな。それなら『軍慰安所従業婦』と呼ぶことにしよう。その呼び方には同意するか?」と反論した方が良いかな、と思っています。 「軍慰安所従業婦」は当時の公文書に出てくる名称です。↓ http://members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i01.html
重要なのは、軍との関係です。軍が「軍慰安所」なる軍人専用の売春施設を作っていて、そこに軍人のみを相手に売春に従事する女性がいた。即ち、軍自らが自分達のための管理売春を行っていたという点が大事です。 |
└軍慰安所従業婦等募集に関する件。現代仮名... ピッポ 2005/02/27 02:24:25 (修正2回) ツリーへ
Re: ピッポさん、初めまして。
|
返事を書く
ノートメニュー
|
ピッポ <vrfylenujm>
2005/02/27 02:24:25 ** この記事は2回修正されてます |
軍慰安所従業婦等募集に関する件。現代仮名遣い訳してみました。
============================== 資料6
陸軍省兵務局兵務課起案
軍慰安所従業婦等募集に関する件 1938年3月4日
起元庁(課名)兵務課
軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件
陸支密
副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案
支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或イハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或イハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少カラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス
陸支密第七四五号 昭和拾参年参月四日
==============================================================
(現代仮名遣い訳)
資料6
陸軍省兵務局兵務課起案
軍慰安所従業婦等募集に関する件 1938年3月4日
起元庁(課名)兵務課
軍慰安所従業婦など募集に関する件
陸支密
副官より北支方面軍および中支派遣軍参謀長宛通牒案
支那事変地における慰安所設置のため、内地においてこれが従業婦等を募集するに当り、 ▼いたずらに軍部諒解などの名儀を利用しそのために軍の威信を傷つけかつ一般民の誤解を招くおそれあるもの、 ▼あるいは従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集し社会問題を惹起するおそれあるもの、 ▼あるいは募集に任ずる者の人選適切を欠いたために募集の方法が誘拐に類し警察当局に検挙取調を受けるものすらある など注意を要するものが少なくない。
ついては
将来これらの募集などに当っては ▲派遣軍において統制し、 ▲募集に任ずる人物の選定を周到適切にして、
その実施に当たっては ▲関係地方の憲兵および警察当局との連繋を密にし、
軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たし。
命により通牒す。
陸支密第735号 昭和13年3月4日 =========================== http://members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i01.html
|