従軍慰安婦問題をめぐっては、特に1993年の日本政府の謝罪談話(いわゆる河野談話)に対して、「証拠がなく、裏付けも取れない『証言』だけをもとに強制を認めたのはけしからん」といった攻撃がなされています。 典型的なのは、↓の「つくる会」のサイトのものです。 http://www.tsukurukai.com/02_about_us/2_maso/maso01_file/undogaaru_p248.html
ここに掲載されている河野談話発表当時の官房副長官、石原信雄氏に対する産経新聞のインタビュー記事では、強制性のあったことの根拠が元慰安婦の証言だけであったとして、鬼の首でも取ったように「『強制連行』証拠なく」としています。
※なお、河野談話の全文は↓にあります。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
また、ネットウヨなどは、「証言は裏付ける証拠がなければ証拠とならない」などと言ったり、何かの一つ覚えのように「裏付けがない。裏付けがない」と言って、証言を否定した気になっているようです。
そこで、証言を証拠や歴史資料として扱うのに「裏付け」なるものが必要なのか、言い換えると、証言はそれ単独で証拠や歴史資料になりうるのか(証拠や資料になる資格の有無)等について、前にもちょっと書いたことですが、あまりに妄説が多いので、再度、考えてみます。
先ず、そもそも刑事裁判においてでさえ、証言(供述証拠)というのは、それ単独で証拠能力が完全に認められています。証明力の制限もありません。例えば、犯行目撃証言は主要事実(例えば、殺人)を直接的に証明する証拠です。裏付ける証拠など必要とされていません。 また、供述証拠と物的証拠の違いは、主として伝聞法則の適用を受けるかどうかという点です。即ち、供述証拠は、反対尋問によるチェック、または反対尋問によるチェックに代わる信用性の保障などが要求されますが、これさえ満たせば、証拠能力が完全に認められます。 供述証拠と物的証拠で、証拠法上の証明力(証拠価値)に違いはありません。証明力の判断は、裁判官の自由心証に委ねられています。 歴史学と刑事裁判では次元が全く異なりますが、刑事裁判でさえ、証言に「裏付け」など要求していないのです。 刑事裁判では証言に「裏付け」など要求しないのに、歴史学では証言に「裏付け」を必ず要求するのでしょうか? いくら何だって、そんな馬鹿なことはないと思います。
それでは、証言が単独で資料になりうる(資料としての資格を有する)として、証言の証明力(資料としての価値)については、どのように判断したら良いのでしょうか?
私の考える基準を示しますと、
@証言に臨場感、写実性、具体性などがあるか。即ち、自己の体験供述と言えるか、といった証言それ自体の信憑性。 A他の文書資料との符号といった客観的事実との合致。 Bいつ、どのような状況で、供述がなされたか。
というもので、あくまで@の基準が基礎で、これをAとBの基準で検証するのが妥当と思われます。 そして、Aの要素が備わっていない場合でも、@とBによっては高度の証明力が肯定できると思います。
私は、歴史学についてはド素人ですが、以上のように考えるのが良いのではないかと思います。如何でしょうか?
河野談話の根拠になった慰安婦証言に戻りますが(この証言は公表されていませんが)、前記の「つくる会」のサイトに載っている産経新聞(1997年3月9日)のインタビューで石原信雄・元官房副長官は下記のように発言しています。
【引用開始】 その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で16人に聞き取り調査をしたところ、「明らかに本人の意思に反して連れていかれた例があるのは否定できない」と担当官から報告を受けた。16人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。
(中略)
当時、外政審議室には毎日のように、
元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣き叫ぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側が話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており
当事者の供述には強制性にあたるものがあると認識している。 【引用終了】
派遣された日本政府の担当官が「時間をかけて面接して」いるというのですから、慎重なヒアリングが行われたようです。反対尋問と同様のチェックがなされたわけです。
前記の「つくる会」のサイトには1997年3月31日付け朝日新聞の河野洋平・元官房長官へのインタビューの抜粋も掲載されています。 そこには下記のような発言があります。
【引用開始】 半世紀以上も前の話だから、その場所とか、状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。相当な強圧があったという印象が強い。 【引用終了】
証言の信憑性は極めて高いようです。
なお、石原信雄・元官房副長官ですが、1997年4月9日、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(当時の代表は中川昭一氏、事務局長は安倍晋三氏)の勉強会に講師として招かれ、そこで下記のように発言しています。
【引用開始】 ここの下りですけれども、これは主として十六人の元慰安婦の方々の聞き取り調査の結果、このようなことが明らかになったということであります。なお、この点につきましては、外政審議室の係官二人が責任者としていきまして、それから現地の日本大使館の職員も一緒にいって、韓国側の協力の下に非常に静かな雰囲気の下で相当時間をかけて当人のお話を聞かせていただきました。 その結果は実はプライバシーの問題がありますので、一人ひとりの発言内容を公表しないという前提で聞き取り調査を行っておりますので公表はしておりませんけれども、誠に聞くに耐えないような状況の下で承諾させられた、あるいは募集に応じさせられたというケースがありまして、ヒアリングを行った担当官の心証としては、これは明らかに本人の意に反する形での募集があったということは否定できない、という報告でございました。そういうことをベースにして、このような要約を行ったわけであります。 【引用終了】 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問』(展転社)P.307〜308
ここでも慎重なヒアリングが行われ、明らかに強制があったとの心証を日本政府の担当官も抱いた、ということが述べられています。
最後に、慰安婦の証言の信用性について裁判所がどのように判断しているかも見ておきましょう。「関釜訴訟」の山口地裁下関支部の判決文からの抜粋です。
【引用開始】 慰安婦原告らの陳述や供述の信用性 前記(1)ないし(3)のとおり、慰安婦原告らが慰安婦とされた経緯は、必ずしも判然としておらず、慰安所の主人等についても人物を特定するに足りる材料に乏しい。 また、慰安所の所在地も上海近辺、台湾という以上に出ないし、慰安所の設置、管理のあり方も、肝心の旧軍隊の関わりようが明瞭でなく、部隊名すらわからない。 しかしながら、慰安婦原告らがいずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかったことに加えて、現在、同原告らがいずれも高齢に達していることを考慮すると、その陳述や供述内容が断片的であり、視野の狭い、極く身近な事柄に限られてくるのもいたしかたないというべきであって、その具体性の乏しさのゆえに、同原告らの陳述や供述の信用性が傷つくものではない。 かえって、前記(1)ないし(3)のとおり、慰安婦原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、本訴に至って初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消しがたい原体験に属するものとして、その信用性は高いと評価され、先のとおりに反証のまったくない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。 そうであれば、慰安婦原告らは、いずれも慰安婦とされることを知らないまま、だまされて慰安所に連れてこられ、暴力的に犯されて慰安婦とされたこと、右慰安所は、いずれも旧日本軍と深くかかわっており、昭和20年(1945年)8月の戦争終結まで、ほぼ連日、主として旧日本軍人との性交を強要され続けてきたこと、そして、帰国後本訴提起に至るまで、近親者にさえ慰安婦としての過去を隠し続けてきたこと、これらに関連する諸事実関係については、ほぼ間違いのない事実として認められる。 【引用終了】 |