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[5406]原剛氏の「国際法」論議 ゆう 08/4/6(日) 8:04
[5433]吉田・東中野論争 新コンテンツのご案内 ゆう 08/4/14(月) 20:37
[5566]「便衣兵」と「国際法」 ゆう 08/7/5(土) 11:09
[6477]Re(1):「便衣兵」と「国際法」 Apeman 09/5/5(火) 22:25
[6144]各論客の戦時国際法認識について かず色 09/1/11(日) 15:27
[6478]アンケート(の一部)についての解説 岡田 09/5/8(金) 3:17

[5406]原剛氏の「国際法」論議
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 ゆう WEB  - 08/4/6(日) 8:04 -

引用なし
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   錦正社より、軍事史学会編『日中戦争再論』が発売されました。平成9年に発行された『日中戦争の諸相』の続編です。

「南京事件」に関しては、『日中戦争の諸相』では板倉由明氏が『南京事件 虐殺の責任論』の論稿を寄せていました。『再論』では、板倉氏に近い立場の原剛氏の、『いわゆる「南京事件」の不法殺害 その規模と要因』と題する論稿が掲載されています。


原剛氏は、「不法殺害数2万人」を主張する、いわば「中間右派」的立場の方です。この論稿では、「大虐殺派」(今では「史実派」と呼ぶべきでしょうか)と「虐殺否定派」双方に対する、激しい批判が見られます。

秦郁彦氏が「南京事件 増補改訂版」ですっかり日和ってしまい、「否定派批判」のトーンを裏に隠してしまったのに比較して、原氏の「否定派」に対するはっきりした物言いは、大変面白いものがあります。


実は今、東中野氏「再現 南京戦」批判の続編として、「「敗残兵狩り」は合法か? 吉田・東中野論争をめぐって」のコンテンツを準備中です。原氏の以下の文章はそこに掲載しておこうと思ったのですが、まだまだ時間がかかりそうですので、とりあえずこちらでご案内しておきます。



原剛氏「いわゆる「南京事件」の不法殺害」より

三、不法殺害(虐殺)の定義

不法殺害 ( 虐殺 ) をどのように定義するかにより、大虐殺派と虐殺否定派は大きく意見が分かれる。大虐殺派は虐殺を極めて広範囲に捉らえ、虐殺否定派は極めて狭い範囲に限定して捉らえている。これら両者とも、自分らの主張する不法殺害規模に都合のよい定義をして、自分らの主張を正当化しようとするもので、説得力に乏しい。

大虐殺派の論者は、敵を包囲してその退路を断ち、組織的抵抗力のなくなった敗残兵を追撃したり砲撃などして撃滅するのは、虐殺に相当するとして、下関付近で中国軍を包囲撃滅したことや、揚子江を船・筏などに乗って逃げる中国兵を射殺したのは虐殺に当たると主張している。

組織的抵抗力を失い逃げる兵士を射殺などするのは虐殺であるという論は、ハーグ陸戦規則の「第二三条ハ項」を根拠にして主張しているようであるが、この項は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト」を禁止しているのであって、降伏の意思表示もせずに逃げる敵兵は、この禁止事項には該当しないのである。

敵を包囲撃滅することも、降伏の意思表示もせずに逃げる敵を追撃することも、世界各国共通の軍事常識であり、正当な戦闘行為である。したがってこの論は、虐殺数を多くするための詭弁であると言わざるを得ない。


虐殺否定派の論者は、捕虜や便衣兵を揚子江岸などに連行して射殺もしくは刺殺したのは、虐殺ではなく交戦の延長としての戦闘行為であり、また軍服を脱ぎ民服に着替えて安全区などに潜んでいた便衣兵は、ハーグ陸戦規則の第一条「交戦者の資格」規定に違反しており、捕虜となる資格がない故、殺害しても不法殺害にならないと主張している。

しかし、戦場で捕えた捕虜や便衣兵を、武装解除して一旦自己の管理下に入れておきながら、その後揚子江岸などへ連行して射殺もしくは刺殺するのは、戦闘の延長としての戦闘行為であるとは言い難い。捕虜などが逃亡とか反乱を起こしたのであれば別であるが、管理下で平穏にしている捕虜などを、第一線の部隊が揚子江岸などへ連れ出して殺害するのは不法殺害に相当する。捕虜などを捕らえた第一線の部隊には、これを処断する権限はないのである。

ハーグ陸戦規則第四条に「俘虜ハ敵ノ政府ノ権内ニ属シ、之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ権内ニ属スルコトナシ」と明記されている。しかし当時の日本軍人の多くは、捕虜は捕らえた部隊の権内にあると思っていたようであり、陸軍における国際法教育が不備であったことを示している。

国際法違反者について、当時の国際法学者の立作太郎は「凡そ戦時重犯罪人は、軍事裁判所文は其他の交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。」と述べているように、捕虜ならば、後述する、師団以上に設置された「軍法会議」の裁判、捕虜でないならば、軍以上に設置された「軍律会議」の審判に基づき処断すべきものである。

特に捕虜は捕虜として保護すべきであるにもかかわらず、殺害したのは明らかに不法殺害に当たる。また、便衣兵は国際法違反者であるから処罰されるのは当然であるが、処罰即殺害ではない。

軍法会議は早くから国際的に制度化されており、軍律会議も国際的に慣習化されていたので、日本も既に日清戦争の時からこれに類するものを設置していた。軍律会議は、 軍の作戦地域などにおいて、軍司令官以上が作戦の遂行上交付した「軍律」に違反した日本人以外の人民を審判するため設置されたもので、軍律として「反逆行為・間諜行為・軍事行動妨害行為などを為す者は軍罰 ( 死・監禁・追放など )に処す」と定められていた。この軍律会議のような軍律法廷は、ハーグ陸戦規則の第三款に根拠を有するものである。

当時日本軍は、中支那方面軍、上海派遣軍、第十軍にそれぞれ軍律会議が設置されていた。したがって、便衣兵は捕虜の資格がないとするのであれば、それぞれ所管の軍律会議で審判し処断すべきであり、第一線部隊が自分の判断で処断すべきものではない。

しかし、軍法会議・軍律会議とも本来少人数の違反者を対象にしたもので、多数の捕虜集団や便衣兵の集団を裁判しあるいは審判することは能力的に不可能であった。予想もしない大量の捕虜・便衣兵が発生してこれに対応できなかった点は斟酌すべき面もあるが、、だからといってこれが合法であったとは言い難い。

また、第一次世界大戦前後にドイツで唱えられた、軍事的必要 ( 危機 ) の場合、国際法規慣例の遵守よりも軍事上の必要性が優先するという「戦数論」を援用して、大量の捕虜・便衣兵の殺害は危機回避のため正当であると主張する論もあるが、多くの国際法学者はこの「戦数論」に反対している。立作太郎もこれを認めることは、「戦時法規の自殺に外ならぬ」と言い、さらにこの論は「交戦法規全般の拘束力を微弱ならしむるものである。此説はドイツの一部の学者の唱道する所に止まり、国際慣習法上に於て認められたる所ではないのである」と論じている。

南京占領時の日本軍は、当時の「戦闘詳報」・「陣中日誌」・将兵の日誌などを見る限り、捕虜や便衣兵を殺害しなければならないほど、危機に瀕してはいなかったのである。したがって、たとえ軍事的必要 ( 危機 ) 論が一部に認められていたとしても、この論は適用できないと言わざるを得ない。
(『日中戦争再論』P143-P145)

最初の「大虐殺派批判」はちょっとどうかと思いますが(吉田裕氏あたりは、必ずしも「国際法」に依拠して「虐殺」認定を行っているわけではない)、後半の「否定派批判」は痛快です。

特に最後の部分、そのまま、東中野氏の「再現 南京戦」に対する痛烈な批判ですね。
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[5433]吉田・東中野論争 新コンテン...
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/4/14(月) 20:37 -

引用なし
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   「国際法」をめぐる吉田・東中野論争を材料に、「再現 南京戦を読む 「敗残兵」狩りは「合法」か」をアップしました。

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen8.html
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen8.html

今回興味を持って両者の一連の論稿を精読してみたのですが、いや、正直な話、ここまで吉田氏が「圧勝」しているとは思っていませんでした。


本コンテンツの主要論点は、次の通りです。

1.否定派の大御所、東中野氏すら、「便衣兵殺害合法論」は唱えていない。東中野は、南京には便衣兵はいなかった、と明言している。

2.代わって東中野氏は、「違法戦闘員」だから「殺害」は「合法」という、特異な理論を振りかざす。しかしこの珍論は、吉田氏によって完全に撃破されてしまった。


今回のコンテンツ、後半は東中野氏の「珍論」を追ってみたわけですが、とにかくわかりにくく、「解読」にほとほと疲れました。

精一杯わかりやすく「翻訳」したつもりではありますが、それでも、この種の議論に慣れていない方には読みにくいものになったかもしれません。


なお私は、正直な話、ネットの国際法論議にはほとんど目を通していません。今回は「吉田・東中野論争」の一点に絞ったことを、お断りしておきます。
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[5566]「便衣兵」と「国際法」
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 ゆう WEB  - 08/7/5(土) 11:09 -

引用なし
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   今さらの資料ではありますが、みすず書房「続現代史資料6 軍事警察」と小川関治郎「ある軍法務官の日記」を読んでみました。

読みにくいカタカナ混り文ですのでこれまで何となく敬遠していたのですが(^^;、書き写しながら精読してみると、これ、結構面白い。私が書き写してみた部分は、下記の通りです。
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/ogawasekijirou.html
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/gunjikeisatu.html


(私が不案内な)「国際法」論議では常識なのかもしれませんが、北支において、「軍律違反」は現地に於て処断することなく「軍律会議」に送付すること、という通牒が出ていますね。

「現地部隊が勝手に判断して殺してはならない」という根拠はこれか、と再認識しました。ネットでは見たことがありませんので、参考までに。

方参二密第二八号

軍律実施上注意の件通牒

昭和十二年十月六日 北支那方面軍参謀長 岡部直三郎

今般方面軍司令官に於て軍律軍罰令竝軍律会議審判制規則を制定施行することに定められしに付之が実施上左記の諸件を貴隷(指揮)下各部隊に徹底せしめ置かれ度く依命通牒す

左記

一、軍律及軍罰令制定せられしを以て爾今支那国人(敵対行為をなす者及捕虜を除く)に対する事件は一切現地に於て処断することなく軍律会議に送付し該会議に於て審判処理せしむる事とす

二、支那国人以外の外国人に対する対□(ママ)事件に干しては外交問題となりたる場合我方の立場を有利ならしめる事肝要なるに鑑み出来得る限り確実なる物的証拠を蒐集確保し置くこと 緊急にして必要に応じ相手国に其の実証を提示し得る様準備し置くを要す(「軍事警察」P213-P214)

また、これも今さらではありますが、「便衣隊」を「戦律罪」と認識している資料もありました。中支那方面軍の軍律制定時、「参謀部第二課」が、「便衣隊」については「厳罰に処す」べきである、という「意見」を提出しています。

中方軍令第一号

中支那方面軍軍律左記の通定む
昭和十二年十二月一日
中支那方面軍司令官 松井石根

中支那方面軍軍律

第一条 本軍律は帝国軍作戦地域内に在る帝国臣民以外の人民に之を適用す<但し中華民国軍隊又は之に準ず軍部隊に属する者に対しては陸戦の法規及慣例に干する条約の規定を準用す>

第二条 左に掲ぐる行為を為したる者は軍罰に処す
 一 帝国軍に対する叛逆行為
 二 間諜行為
 三 前二号の外帝国軍の安寧を害し又は其の軍事行動を妨害する行為

第三条 前条の行為の教唆若くは幇助又は予備、陰謀、若は未遂も亦之を罰す 但し情状に因り罰を減軽又は免除することを得

第四条 前二項の行為を為し未だ発覚せざる前自首したる者は其の罰を減軽又は免除す(P194)


軍律制定に関する意見

参謀部第一課

意見なし


参謀部第二課

左に該当する者は厳罰に処す

一、日本軍の位置、兵種、兵力、行動等を他に漏らしたるもの

二、流言蜚語を放ち治安を妨害せるもの

三、日本軍の布告文「ポスター」等の貼付を拒否妨害、毀損したるもの

四、便衣隊、密偵、兵器等を隠匿せるもの

五、混乱の機に乗じ掠奪暴行を敢てし罪を日本軍に帰せしめたるもの

六、治安維持を拒否し又は之に当れる支那人の行動を妨害せるもの

七、兵器を所持するもの(「軍事警察」P194-P195)

そして、小川日記の方に「便衣隊に対する裁判事例」が3件掲載されていることは、K−Kさんが指摘している通り。
http://wiki.livedoor.jp/kknanking/d/ÊØ°áʼ¤ËÂФ¹¤ëºÛȽµÁ̳04


ついでに、「小川日記」「軍事警察」を離れますが、海軍大臣官房 『戦時国際法規綱要』にも立「戦時国際法」と同様、戦時重罪には「審問」が必要、との記述があります。

海軍大臣官房 『戦時国際法規綱要』
(ハ)処罰

(1)戦時重罪は、死刑又は夫れ以下の刑を以て処断するを例とす。

之が審問は、各国の定むる機関に於て為すものなるも、全然審問を行ふことなくして処罰することは、慣例上禁ぜらるる所なり。

(2)上官の命に従ひて、戦時重罪を犯したる者を処罰し得べきや否やの問題あり、多数の意見は命を承けて為したる行為は之を処罰することを得と為す。(P53)


外務省に強い影響力を持っていた(内海愛子氏による)という立作太郎と、海軍大臣官房が、全く同じ認識を持っていたわけです。


「本当に国際的に「裁判」が慣習になっていたのか」という、ややこしい議論にはとりあえず立ち入りませんが、最小限、「日本は「便衣隊」を含む「戦時重罪」については、その処罰のためには裁判が必要である、という国際法解釈を行なっていた」ということは言えると思います。


あと、細かく読むと、「民間人26名殺害事件」とか、「婦女暴行殺害事件」とかの「いかにも」という感じの事件、あるいは、上砂勝七(「憲兵三十一年」の筆者)が「近頃強姦事件不起訴に付せらるるもの多く 憲兵が折角検挙せしものに斯く致さるることとなると努力の甲斐なし」とボヤいていたり、随所に興味を引かれる記述が出てきます。

*上砂勝七「憲兵三十一年」についてはこちら。
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/kenpei.html


そのうち何かのテーマに絡めて、私のサイトで扱うのも面白いかもしれません。
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[6144]各論客の戦時国際法認識につい...
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 かず色 E-MAIL  - 09/1/11(日) 15:27 -

引用なし
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   【まぼろし派・中間派・大虐殺派 三派合同 大アンケート】
 *月刊誌『諸君』2001年2月号特集記事より一部引用
 
 [アンケート項目]
 (6):安全国逃げ込んで潜伏した中国兵は便衣服(平服)に着替えていました。その中国兵士を便衣兵とお考えですか。正規兵とお考えですかそれとも市民とお考えですか。
      1.便衣兵 2.正規兵 3.市民 4.その他
 (7):前問で、便衣兵とお答えの方にお尋ねします。戦時国際法によれば(信夫淳平氏『上海戦と国際法』丸善 昭和7年刊行 113P)、便衣兵は「一般市民と識別し難き服装にて本邦人の多数に居住する方面に潜入し、多くは民家に隠れて(略)突如多くはピストルを放って対手を狙撃するもの」と記述されていますが、陥落後の南京の中国兵士はこれと同じとお考えでしょうか
------------------------------------------------
【1:渡部 昇一】
 (6)1.(便衣兵)を選択
 (7)分からない。そうする者もいただろうし、助かりたくて、抵抗する気もなく民間人の真似をする者もいただろう。
【2:鈴木 明】
 (6)4.(その他)を選択。南京にいた中国兵は、近郊の農民などで借り出された新兵も多く、訓練も不十分だった。だから正規兵もいただろうが、単なる市民的な人もいた。
 (7)「南京」の場合、便衣兵を定義するのは不可能。
【3:阿羅 健一】
 (6)1.(便衣兵)を選択
 (7)陥落後の南京の中国兵士は便衣兵と同じです。
【4:小林 よしのり】
 (6)便衣服に着替えていたというのなら、これは便衣兵でしかあり得ないという事になるから、しいて言えば1.の便衣兵と言うしかないけど。
 (7)便衣兵となってしまえば危険と言うしかない。放火したり撹乱工作をしたりする可能性があった訳で、単なる民間人ではない。
【5:富士 信夫(東京裁判研究家)】
 (6)1.(便衣兵)を選択
 (7)南京陥落後一部の中国兵が中国一般民の着衣を奪ってまとい、一般民間人の如く装って安全区内に入り、後に日本軍による検査により一般民間人でない事が暴かれ処刑されておりますので、この様な処置に出た中国兵は便衣兵であると考えます。
【6:高池 勝彦(弁護士)】
 (6)一般論としては便衣兵である。
 (7)前問で「一般論としては」と回答したのは、本問と関係があります。実際に難民区から大量の武器が押収され、将校が指揮をとって日本兵の犯罪と見せかける違法行為が行われていました。この意味で、難民区に隠れた中国兵は一般論としては便衣兵と考えて良いと思いますが、個々の兵士にとってはそれぞれ別個の考察が必要で、その為日本軍による選別が行われたのです。
【7:田中 正明】
 (6)1.の便衣兵である。
 (7)12月9日、松井大将は敵将唐生智に対して「南京の平和的開城」を呼びかける宣伝ビラを散布したが、唐はこれに応ぜず、そこで翌10日の正午を期して総攻撃に移った。南京が陥落したのは13日である。唐司令官はその前後、南京を脱出、逃亡した。軍司令官不在の中国兵は軍服・軍帽を脱ぎ捨てて、住民の衣服を奪って安全区に侵入した。ピストル小銃、手榴弾等兵器は隠匿して、時に日本兵を狙撃した。これは戦時国際法の違反である。その処刑は当然である。この点、信夫淳平先生の意見と同じである。 
【8:大井 満(戦史研究家)】
 (6)1.(便衣兵)を選択
 (7)白紙
【9:松村 俊夫(南京事件研究家)】
 (6)次の(7)の答えを参照されたし。
 (7)この時の将兵には1.訓練されて最初から安全区への潜入を図った便衣兵2.正規兵として戦ったが南京陥落後予め準備されていた便衣服に着替えて再起を図っていた者、3.ただ命惜しさに便衣を難民から強奪して安全区に逃げ込んだ者、という三種のカテゴリーに分かれる。これは何れも降伏したのではないので、市民とは云えない。従って、彼らは戦時国際法が想定していなかった特殊な立場だったから外国人達はその処刑を不法殺害だと言えなかった。そしてただ「ここはアジアだ」と自分達の感覚では理解不能であると協調した一因ともなった。  
【10.藤岡 信勝(東京大学教授)】
 (6)2.(正規兵)を選択
 (7)白紙
【11.原 剛(元防衛研究所戦史部主任研究官)】
 (6)2.(正規兵)を選択
 (7)白紙
 [注]:原氏は質問項目(8)に於いて、戦時国際法に関する見解を披瀝しております。以下、参考までにご紹介させて頂きます。
   ------------------
「戦時重罪人は、軍事裁判所又は其他の交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ」[立作太郎『戦時国際法論』(日本評論社、昭和13年)49P]捕虜等の処断を見た外国人等は、裁判等を経た合法的な処断と見ていた(不法な処断と知らず)為、国際法違反と明記出来なかったと考える。大量の処断は夜間主として揚子江岸で行われた為、これを目撃した人は殆どいなかったと思う。<以上>
   -------------------
【12.中村 粲(獨協大学教授・昭和史研究所代表)】
 (6)1.と2.(便衣兵と正規兵)を選択。組織(便衣隊)に所属するか確信犯的便衣兵。単に逃亡する為便衣に着替えた正規兵。この両方が居た。
 (7)「本邦人の多数に居住する方面に潜入」していた訳ではないので、この点で上海戦に於ける便衣兵とは同一には論ぜられない。便衣隊に属する確信犯的便衣兵と共に、狙撃を企図せず単に逃亡目的を達成するため便衣を着用していた便衣兵も居た。これは戦時国際法で論ぜられる平服の狙撃者としても「便衣兵」とは区別されるべきものである。また便衣兵を即時処断し得るのは「現行犯」の場合に限られることを忘れてはならない。
【13.畝本 正己(戦史研究家】
 (6)1.(便衣兵)を選択
 (7)ピストルを放って狙撃するとは限りませんが、武器、弾薬を隠匿、携帯しており、いつでも危険分子になれる状態であった。占領直後は、全く統制がとれていなかった。
【14.岡崎 久彦(博報堂岡崎研究所所長)】
 (6)1.と3.(便衣兵と市民)は、ケース・バイ・ケースによる。
 (7)この定義に該当するものも存在したであろう。
【15.櫻井 よしこ(ジャーナリスト)】
 (6)2.(正規兵)を選択
 (7)白紙
【16.田辺 敏雄(昭和史研究家)】
 (6)1.(便衣兵)を選択
 (7)明らかに違うと思います。はっきりと説明出来ないのですが「逃亡兵」に近いのではと思います。命が助かるかどうかだけが関心事で余程の事が無い限り反抗せず、命の危険を感じれば、武器をとって戦う「戦意無き兵」とでもいうのでしょうか。
【17.藤原 彰(一橋大学名誉教授)】  
 (6)4.(その他)を選択。戦意を喪失し、武器を捨てた元兵士。
 (7)白紙
 [注]:藤原教授は質問項目(8)に於いて、戦時国際法に言及しております。参考までに以下、ご紹介させて頂きます。
   -------------------------
 問題なのは、当時の日本特に軍において、国際法違反という認識を欠いたことであった。下級幹部や兵士には国際法についての知識が無く、高級幹部には知識があったが遵守する意思が無かった。従って国際法違反についての責任は高級幹部にあった。この件に関しては、陸士、陸大の教育内容とその変化及び、ハーグ条約、ジュネーブ条約に対する陸軍の態度を見ればいい。尚、参考として、最近の研究では左記がある。伊香俊哉『《戦争違法化と日本》研究序説』(日中歴史研究センター1999年度報告書)。<以上>
   -------------------------
【18.江口 圭一(愛知大学教授)】
 (6)4.(その他)を選択。武器不携行の戦意喪失の一種の敗残兵である。
 (7)白紙
【19.井上 久士(駿河台大学教授】
 (6)4.(その他)を選択・便衣兵か正規兵かという区別は無意味である。戦意を喪失し武器を捨てて逃げ込んだものであるから、いずれにしてもこれを捕虜として扱うべきであり、まして軍事裁判も無しに殺害してよいというものではない。
 (7)占領後の南京で実態として便衣兵による武装抵抗は殆ど存在しなかった
【20.姫田 光義(中央大学教授)】
 (6)4.(その他)を選択。実際に抵抗した「便衣兵」は少数で、殆どは逃走用に「便衣」に着替えた敗残兵。
 (7)白紙
【21.笠原 十九司(都留文科大学教授】
 (6)4.(その他)を選択。便衣兵とは戦う意思を持って公然と兵器を携行している兵のことである。安全区に逃げ込んだ中国兵は、既に戦いを放棄し、兵士と看做されて殺害される事を恐れて(日本軍は捕虜、投降兵も殺害した)、武器を捨て、軍服を脱いで民間人服に着替えて生き延びようとした敗残兵であり、便衣兵とは明らかに違う。安全区国際委員会も元中国兵士を武装解除した上で難民として安全区に収容した。
 (7)白紙
【22.高橋 隆治(評論家)】
 (6)2.(正規兵)を選択。
 (7)白紙
【23.吉田 裕(一橋大学教授】
 (6)4.(その他)を選択。戦意を失った正規軍の敗残兵。それを軍律法廷の手続きもなしに処刑した為、兵士と誤認された一般市民まで処刑されることにもなりました。
 (7)白紙
 [注]:吉田教授も質問項目(8)に於いて、戦時国際法問題に言及しております。以下、ご紹介させて頂きます。
   ----------------------
 当時の国際法解釈については、拙著『現代歴史学と戦争責任』(青木書店、1997年)及び共著『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房、1999年)で詳述しておきました。尚、中支那方面軍法務部も少なくとも1938年1月末以降は敵対行為を為した中国人を軍律法廷で処刑しています(小川関治郎『ある軍法務官の日記』みすず書房、2000年)。処刑には軍律法廷の手続きが本来必要なことを示しているといえるでしょう。 

<以下省略・終>
396 hits

[6477]Re(1):「便衣兵」と「国際法」
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 Apeman E-MAILWEB  - 09/5/5(火) 22:25 -

引用なし
パスワード
   http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090426/p2#c
および
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090504/p2#c
でこのスレッドが話題になったために気づいた点なのですが、みすず書房の『続・現代史資料 6 軍事警察』では中支那方面軍軍律の第一条が


第一条 本軍律は帝国軍作戦地域内に在る帝国臣民以外の人民に之を適用す<但し中華民国軍隊又は之に準ず軍部隊に属する者に対しては陸戦の法規及慣例に干する条約の規定を準用す>


とされているのに対し、『南京戦史資料集I』の467ページに掲載されている中支那方面軍軍律の第一条では<但し中華民国軍隊又は之に準ず軍部隊に属する者に対しては陸戦の法規及慣例に干する条約の規定を準用す>という但し書きが省略されています。同書469ページには

>(以上「中支那方面軍軍法会議陣中日誌」『続・現代史資料』6軍事警察所収)

と出典が示されているにもかかわらず、但し書きの省略については断り書きがありません。私の不勉強で周知の事実に驚いているのかもしれませんが、この無断省略は過去に問題にされたことがあるのでしょうか?
321 hits

[6478]アンケート(の一部)について...
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 岡田 E-MAILWEB  - 09/5/8(金) 3:17 -

引用なし
パスワード
   かず色さんの紹介したアンケートの一部について、解説をつけて見ました。

▼かず色さん:
>【まぼろし派・中間派・大虐殺派 三派合同 大アンケート】
> *月刊誌『諸君』2001年2月号特集記事より一部引用
> 
> [アンケート項目]
> (6):安全国逃げ込んで潜伏した中国兵は便衣服(平服)に着替えていました。その中国兵士を便衣兵とお考えですか。正規兵とお考えですかそれとも市民とお考えですか。
>      1.便衣兵 2.正規兵 3.市民 4.その他
> (7):前問で、便衣兵とお答えの方にお尋ねします。戦時国際法によれば(信夫淳平氏『上海戦と国際法』丸善 昭和7年刊行 113P)、便衣兵は「一般市民と識別し難き服装にて本邦人の多数に居住する方面に潜入し、多くは民家に隠れて(略)突如多くはピストルを放って対手を狙撃するもの」と記述されていますが、陥落後の南京の中国兵士はこれと同じとお考えでしょうか
>------------------------------------------------


>【1:渡部 昇一】
> (6)1.(便衣兵)を選択
> (7)分からない。そうする者もいただろうし、助かりたくて、抵抗する気もなく民間人の真似をする者もいただろう。

解説:アンケート項目と回答を並べてみる限り、渡部昇一氏の主張が国際法を無視した物であることが判明する。
    逃げ込んだ兵を便衣兵としながら、逃げ込んだ兵が国際法の便衣兵の定義を満たしているかどうか分からないと認めている。
    国際法の定義を満たすか分からないのであれば、6の回答も分からないとするのが正しい。
    国際法の定義を前提とすると。渡部昇一氏の6と7の回答は矛盾していて支離滅裂である。

>【3:阿羅 健一】
> (6)1.(便衣兵)を選択
> (7)陥落後の南京の中国兵士は便衣兵と同じです。

解説:アンケート項目と回答を並べてみる限り、阿羅健一氏の7の回答が誤魔化しであることが分かる。
    逃げ込んだ兵が国際法上の便衣兵の条件を満たしているかと言う質問なのに、条件を満たしているかどうかまったく答えていない。
    根拠を示さずにずに自説を強弁しているだけである。
    質問に答えずに、根拠を示さない自説を強弁するのは只の誤魔化しである。

>【4:小林 よしのり】
> (6)便衣服に着替えていたというのなら、これは便衣兵でしかあり得ないという事になるから、しいて言えば1.の便衣兵と言うしかないけど。
> (7)便衣兵となってしまえば危険と言うしかない。放火したり撹乱工作をしたりする可能性があった訳で、単なる民間人ではない。

解説:アンケート項目と回答を並べてみる限り、小林よしのり氏の7の回答が誤魔化しであることが分かる。
    逃げ込んだ兵が国際法上の便衣兵の条件を満たしているかと言う質問なのに、条件を満たしているかどうかまったく答えていない。
    国際法上の便衣兵の条件を無視して、勝手な便衣兵の定義を作り上げて便衣兵だったと強弁しているだけである。
    質問に答えずに、自分勝手な定義を持ち出して自説を強弁するのは詭弁であり、誤魔化しである。

>【5:富士 信夫(東京裁判研究家)】
> (6)1.(便衣兵)を選択
> (7)南京陥落後一部の中国兵が中国一般民の着衣を奪ってまとい、一般民間人の如く装って安全区内に入り、後に日本軍による検査により一般民間人でない事が暴かれ処刑されておりますので、この様な処置に出た中国兵は便衣兵であると考えます。

解説:アンケート項目と回答を並べてみる限り、富士信夫氏の7の回答が誤魔化しであることが分かる。
    逃げ込んだ兵が国際法上の便衣兵の条件を満たしているかと言う質問なのに、条件を満たしているかどうかまったく答えていない。
    具体的な事例も示さずに勝手な説を強弁しているだけである。
    質問に答えずに、勝手な説を強弁するのは只の誤魔化しである。
    (ちなみに日本軍は裁判をしていない。まともな検査をしたと言う報告もない。)

>【6:高池 勝彦(弁護士)】
> (6)一般論としては便衣兵である。
> (7)前問で「一般論としては」と回答したのは、本問と関係があります。実際に難民区から大量の武器が押収され、将校が指揮をとって日本兵の犯罪と見せかける違法行為が行われていました。この意味で、難民区に隠れた中国兵は一般論としては便衣兵と考えて良いと思いますが、個々の兵士にとってはそれぞれ別個の考察が必要で、その為日本軍による選別が行われたのです。

解説:アンケート項目と回答を並べてみる限り、高池勝彦氏の7の回答が誤魔化しであることが分かる。
    逃げ込んだ兵が国際法上の便衣兵の条件を満たしているかと言う質問なのに、条件を満たしているかどうか具体的な根拠/事例を示していない。
    具体的な根拠/事例も示さずに勝手な説を強弁しているだけである。
    質問に答えずに、勝手な説を強弁するのは只の誤魔化しである。
    (ちなみに、『隠されていた』武器が押収されたと言う報告はない。『将校が指揮をとって日本兵の犯罪と見せかける違法行為が行われていた』というような信頼できる証拠もない。)

>【7:田中 正明】
> (6)1.の便衣兵である。
> (7)12月9日、松井大将は敵将唐生智に対して「南京の平和的開城」を呼びかける宣伝ビラを散布したが、唐はこれに応ぜず、そこで翌10日の正午を期して総攻撃に移った。南京が陥落したのは13日である。唐司令官はその前後、南京を脱出、逃亡した。軍司令官不在の中国兵は軍服・軍帽を脱ぎ捨てて、住民の衣服を奪って安全区に侵入した。ピストル小銃、手榴弾等兵器は隠匿して、時に日本兵を狙撃した。これは戦時国際法の違反である。その処刑は当然である。この点、信夫淳平先生の意見と同じである。 

解説:南京事件を否定するように証拠改竄する田中正明氏を、何の説明もなく他の回答者同様に扱うのは無茶苦茶である。
    ちなみに「ピストル小銃、手榴弾等兵器は隠匿して、時に日本兵を狙撃した」などという証拠はない。
    改竄者の戯言など、まともな研究者は評価の対象としない。
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