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錦正社より、軍事史学会編『日中戦争再論』が発売されました。平成9年に発行された『日中戦争の諸相』の続編です。
「南京事件」に関しては、『日中戦争の諸相』では板倉由明氏が『南京事件 虐殺の責任論』の論稿を寄せていました。『再論』では、板倉氏に近い立場の原剛氏の、『いわゆる「南京事件」の不法殺害 その規模と要因』と題する論稿が掲載されています。
原剛氏は、「不法殺害数2万人」を主張する、いわば「中間右派」的立場の方です。この論稿では、「大虐殺派」(今では「史実派」と呼ぶべきでしょうか)と「虐殺否定派」双方に対する、激しい批判が見られます。
秦郁彦氏が「南京事件 増補改訂版」ですっかり日和ってしまい、「否定派批判」のトーンを裏に隠してしまったのに比較して、原氏の「否定派」に対するはっきりした物言いは、大変面白いものがあります。
実は今、東中野氏「再現 南京戦」批判の続編として、「「敗残兵狩り」は合法か? 吉田・東中野論争をめぐって」のコンテンツを準備中です。原氏の以下の文章はそこに掲載しておこうと思ったのですが、まだまだ時間がかかりそうですので、とりあえずこちらでご案内しておきます。
原剛氏「いわゆる「南京事件」の不法殺害」より
三、不法殺害(虐殺)の定義
不法殺害
( 虐殺 )
をどのように定義するかにより、大虐殺派と虐殺否定派は大きく意見が分かれる。大虐殺派は虐殺を極めて広範囲に捉らえ、虐殺否定派は極めて狭い範囲に限定して捉らえている。これら両者とも、自分らの主張する不法殺害規模に都合のよい定義をして、自分らの主張を正当化しようとするもので、説得力に乏しい。
大虐殺派の論者は、敵を包囲してその退路を断ち、組織的抵抗力のなくなった敗残兵を追撃したり砲撃などして撃滅するのは、虐殺に相当するとして、下関付近で中国軍を包囲撃滅したことや、揚子江を船・筏などに乗って逃げる中国兵を射殺したのは虐殺に当たると主張している。
組織的抵抗力を失い逃げる兵士を射殺などするのは虐殺であるという論は、ハーグ陸戦規則の「第二三条ハ項」を根拠にして主張しているようであるが、この項は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト」を禁止しているのであって、降伏の意思表示もせずに逃げる敵兵は、この禁止事項には該当しないのである。
敵を包囲撃滅することも、降伏の意思表示もせずに逃げる敵を追撃することも、世界各国共通の軍事常識であり、正当な戦闘行為である。したがってこの論は、虐殺数を多くするための詭弁であると言わざるを得ない。
虐殺否定派の論者は、捕虜や便衣兵を揚子江岸などに連行して射殺もしくは刺殺したのは、虐殺ではなく交戦の延長としての戦闘行為であり、また軍服を脱ぎ民服に着替えて安全区などに潜んでいた便衣兵は、ハーグ陸戦規則の第一条「交戦者の資格」規定に違反しており、捕虜となる資格がない故、殺害しても不法殺害にならないと主張している。
しかし、戦場で捕えた捕虜や便衣兵を、武装解除して一旦自己の管理下に入れておきながら、その後揚子江岸などへ連行して射殺もしくは刺殺するのは、戦闘の延長としての戦闘行為であるとは言い難い。捕虜などが逃亡とか反乱を起こしたのであれば別であるが、管理下で平穏にしている捕虜などを、第一線の部隊が揚子江岸などへ連れ出して殺害するのは不法殺害に相当する。捕虜などを捕らえた第一線の部隊には、これを処断する権限はないのである。
ハーグ陸戦規則第四条に「俘虜ハ敵ノ政府ノ権内ニ属シ、之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ権内ニ属スルコトナシ」と明記されている。しかし当時の日本軍人の多くは、捕虜は捕らえた部隊の権内にあると思っていたようであり、陸軍における国際法教育が不備であったことを示している。
国際法違反者について、当時の国際法学者の立作太郎は「凡そ戦時重犯罪人は、軍事裁判所文は其他の交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。」と述べているように、捕虜ならば、後述する、師団以上に設置された「軍法会議」の裁判、捕虜でないならば、軍以上に設置された「軍律会議」の審判に基づき処断すべきものである。
特に捕虜は捕虜として保護すべきであるにもかかわらず、殺害したのは明らかに不法殺害に当たる。また、便衣兵は国際法違反者であるから処罰されるのは当然であるが、処罰即殺害ではない。
軍法会議は早くから国際的に制度化されており、軍律会議も国際的に慣習化されていたので、日本も既に日清戦争の時からこれに類するものを設置していた。軍律会議は、
軍の作戦地域などにおいて、軍司令官以上が作戦の遂行上交付した「軍律」に違反した日本人以外の人民を審判するため設置されたもので、軍律として「反逆行為・間諜行為・軍事行動妨害行為などを為す者は軍罰
( 死・監禁・追放など
)に処す」と定められていた。この軍律会議のような軍律法廷は、ハーグ陸戦規則の第三款に根拠を有するものである。
当時日本軍は、中支那方面軍、上海派遣軍、第十軍にそれぞれ軍律会議が設置されていた。したがって、便衣兵は捕虜の資格がないとするのであれば、それぞれ所管の軍律会議で審判し処断すべきであり、第一線部隊が自分の判断で処断すべきものではない。
しかし、軍法会議・軍律会議とも本来少人数の違反者を対象にしたもので、多数の捕虜集団や便衣兵の集団を裁判しあるいは審判することは能力的に不可能であった。予想もしない大量の捕虜・便衣兵が発生してこれに対応できなかった点は斟酌すべき面もあるが、、だからといってこれが合法であったとは言い難い。
また、第一次世界大戦前後にドイツで唱えられた、軍事的必要
( 危機 )
の場合、国際法規慣例の遵守よりも軍事上の必要性が優先するという「戦数論」を援用して、大量の捕虜・便衣兵の殺害は危機回避のため正当であると主張する論もあるが、多くの国際法学者はこの「戦数論」に反対している。立作太郎もこれを認めることは、「戦時法規の自殺に外ならぬ」と言い、さらにこの論は「交戦法規全般の拘束力を微弱ならしむるものである。此説はドイツの一部の学者の唱道する所に止まり、国際慣習法上に於て認められたる所ではないのである」と論じている。
南京占領時の日本軍は、当時の「戦闘詳報」・「陣中日誌」・将兵の日誌などを見る限り、捕虜や便衣兵を殺害しなければならないほど、危機に瀕してはいなかったのである。したがって、たとえ軍事的必要
( 危機 )
論が一部に認められていたとしても、この論は適用できないと言わざるを得ない。 (『日中戦争再論』P143-P145)
最初の「大虐殺派批判」はちょっとどうかと思いますが(吉田裕氏あたりは、必ずしも「国際法」に依拠して「虐殺」認定を行っているわけではない)、後半の「否定派批判」は痛快です。
特に最後の部分、そのまま、東中野氏の「再現 南京戦」に対する痛烈な批判ですね。
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