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[5563]笠原著「『百人斬り競争』と南京事件」 タラリ 08/6/27(金) 14:08
[5565]「南京事件の真実」サイトの更新 タラリ 08/7/1(火) 23:07
[6366]Re(1):笠原著「『百人斬り競争』と南京事件」 ブリーチャー・バム 09/3/24(火) 21:41
[6367]Re(2):笠原著「『百人斬り競争』と南京事件」 とほほ 09/3/24(火) 22:15
[6368]Re(2):笠原著「『百人斬り競争』と南京事件」 とほほ 09/3/24(火) 22:49
[6370]Re(3):笠原著「『百人斬り競争』と南京事件」 ブリーチャー・バム 09/3/25(水) 21:05
[6369]Re(2):笠原著「『百人斬り競争』と南京事件」 タラリ 09/3/25(水) 12:30
[6371]ありがとうございます ブリーチャー・バム 09/3/25(水) 21:54
[6372]Re(1):ありがとうございます タラリ 09/3/25(水) 23:33
[6373]志々目証言にある野田証言の解析 タラリ 09/3/25(水) 23:47
[6380]Re(1):志々目証言にある野田証言の解析 ブリーチャー・バム 09/3/26(木) 22:20
[6383]Re(2):志々目証言にある野田証言の解析 ブリーチャー・バム 09/3/29(日) 12:15
[6384]Re(3):志々目証言にある野田証言の解析 タラリ 09/3/29(日) 22:45
[6385]Re(4):志々目証言にある野田証言の解析 ブリーチャー・バム 09/3/30(月) 22:50
[6387]あえて伏字? ブリーチャー・バム 09/3/31(火) 21:19
[6388]Re(1):あえて伏字? タラリ 09/4/1(水) 0:14
[6389]Re(2):あえて伏字? ブリーチャー・バム 09/4/1(水) 21:44
[6374]山本七平という陥穽 タラリ 09/3/26(木) 0:07
[6391]Re(1):山本七平という陥穽 ブリーチャー・バム 09/4/3(金) 23:13

[5563]笠原著「『百人斬り競争』と南...
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 タラリ E-MAIL  - 08/6/27(金) 14:08 -

引用なし
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   百人斬り裁判は決着がつき、二少尉が「百人斬り」と報道するのに違和感がない行為をしていたことは否定できないとされた。しかし、これはネットの世界、マスコミ、出版界を通じて史実派の主張が受け入れられたということにはなっていない。したがって、百人斬り競争の真実を世に訴え、否定派の所論のひとつひとつを粉砕していくことはいまだに重要である。

そんな折り、南京問題の第一人者である笠原十九司氏の「『百人斬り競争』と南京事件」(大月書店)が出版された。正直言って、私の期待を上回る内容であった。

よかった点は観念的な分析に流れるのではなく、徹底して資料を集めて否定論拠のひとつひとつの基盤を完全に破産させることができたことである。

■第一章 「百人斬り競争」を生み出した戦争社会
百人斬りを理解するには当時の軍人の間における日本刀に対する憧れとファンタジー、また一般国民におけるその称揚と賛嘆という時代背景を知らなければならない。
当時の新聞、特に地方紙の記事から○○人斬りの記事を多数収集した。これは先行する小野賢二の著作「報道された無数の『百人斬り』」を発展させ、考察を深めたものである。小野の場合、全国紙と福島、愛知の地方紙を収集したが、笠原はさらに岡山、京都、愛知、島根の地方紙ほ収集しいっそう多面的に考察を加え、説得力を増している。
私のHPのコンテンツ「報道された○○人斬り」でももっと多数の地方紙を加えて考察したかったのだが、アマの私には出来なかったところを私の期待以上に仕上げている。
この章では「日本刀では三人以上斬れない」論も実使用時の研究書を交えて完璧に粉砕している。


■第二章 「百人斬り競争」の傍証−−日本刀と軍国美談と国民

否定派のだれもが持ち出す否定論拠のひとつに「職務論」とでも呼ぶべき分野がある。すなわち、副官は書類を作るのに忙しく、戦闘にはかかわらない、砲兵隊長は戦線の後方にいて戦闘にはかかわらないから、百人斬りはできない、といった論法である。そもそもは山本七平が持ち出した論拠である。史実派はもともと戦闘での百人斬りを主張してはいないので、まったく問題にならない議論であった。いまでも否定派は「職務論」にしがみついているので、正面からこれらの論拠を崩す議論が必要であった。軍の行動規範に対して否定派が持ち出すのは『軍隊内務書』にある職務規程であるが、笠原はこれは内務斑での行動規範であり、戦闘においては「陣中用務令」が適用されると切り返す。この中では副官や砲兵隊長といえども戦況によっては適切な状況判断のもと、直接、戦闘に加わるべきことを指示している。また具体例として砲兵隊長が殲滅戦、追撃戦に直接加わった日誌、記録を、また野田少尉の友人であった六車少尉(副官)の「惜春賦」を引用して完璧である。

■第三章 「百人斬り競争」の証明(1)

無錫、常州あたりの状況を当事者たちである、東日(大毎)の記事や二少尉の発言と手紙、佐藤振寿の日記をつきあわせて、可能な限り二少尉の足跡の事実関係を洗い出している。また第十六師団配下の部隊の将兵の日記と突き合わせて、戦闘の模様師団の進軍が単に敗残兵の追撃、掃討に止まらず、民間人すべてを巻き込む無差別の殺戮戦の中にあったことを描き、その中で行われた野田少尉の民間人惨殺を望月証言で証明し、とどめをさしている。

■第四章 「百人斬り競争」の証明(2)

二少尉の常州以後の足跡を向井少尉配下の田中金平分隊長の日誌など当時の一次資料で追いつつ、特に向井少尉主張のアリバイを崩している。また、二少尉が属する片桐部隊は中島師団長の意図に反して無用の兵員の損耗を避けるため中国軍陣地の正面攻撃をすることなく、南京へ向かって錐もみ前進をする方針をとり、ために、敗残兵の掃討が主な戦闘になり、二少尉が百人斬り競争に専念できた、という状況を説明している。東中野の「南京百人斬り競争」におけるアリバイ主張は例によって、混乱した説明で一読難解のものであるが、トンデモの主張であることを明らかにしている。
南京に入って以後の二少尉の百人斬り競争の延長戦をいままでに知られている南京大虐殺の様相の中で描いている。


■補論  「百人斬り競争」はなぜ南京軍事裁判で裁かれたのか

第四章までで証明は終わり、B級戦犯である向井・野田元少尉がなぜ南京軍事裁判で裁かれることになったかという状況説明である。当時の国民政府が戦犯をできるだけ少なくして、戦犯裁判に早期に決着を付け、日本との関係改善を終え、対共産勢力へ力を向けるために、拙速の裁判をしたという事情が説明されている。中国国内ではチャイナ・ウィークリー・レビューをはじめとするジャーナリズムの報道の転載が早い段階で国民に知られ、少ない情報から百人斬り競争の事実経過が変容されて伝わっていた。そのため南京大虐殺のイメージ形成の上でなくてはならない事件に昇格していた事情があった。


私の百人斬り競争のコンテンツでは基本的に否定派が好んで用いる資料あるいは否定できない資料のみを使って書いています。裁判の過程で発見された資料(史実派に有利なもの)はまだ使っていません。これからはこれらを使って、論証をしなくてはなりません。
笠原の新著のおかげで私が書くべきことはかなり限られたように思いましたが、まだ別の視点から書くネタは残されていると思い直しました。

の論証は否定派に痛撃を喰らわしているのですが、それにさえ気がつかない否定派はまだウヨウヨいます。手を変え品を変えて、締め上げてやろうと思います。
998 hits

[5565]「南京事件の真実」サイトの更...
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 タラリ E-MAIL  - 08/7/1(火) 23:07 -

引用なし
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   解放説の捏造の証明  http://www.nextftp.com/tarari/kaihonetsuzo.htm
グースの百人斬り否定論を反駁する http://www.nextftp.com/tarari/guus100nin.htm

の二編をアップしました。
790 hits

[6366]Re(1):笠原著「『百人斬り競争...
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 ブリーチャー・バム E-MAIL  - 09/3/24(火) 21:41 -

引用なし
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   タラリさん、はじめまして。
いろいろ勉強させてもらってます。
ところで、「『百人斬り競争』と南京事件」について、一知半解さんという方が次の様な文章を書いて批判しています。

書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その1】
ttp://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-184.html
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その2】
ttp://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-185.html
・書評/笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』…を斬る【その3】
ttp://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-186.html
(以下「その1」「その2」「その3」と表記)

私は、図書館で「『百人斬り競争』と南京事件」を読んだことがありますが、その図書館は自分の住んでいる図書館から離れているので、ゆっくり読むことが出来ず斜め読み程度しか読めていません。
ただ、それでも一知半解さんの文章を読んでいて次のような疑問があります。

・「その1」にあるように、「当時の戦場の実態に照らせば、銃撃や銃剣による攻撃で敵を倒したものが殆どであって、日本刀でバッタバッタと戦場で敵兵を斬り倒した」ということはありえないか。「『百人斬り競争』と南京事件」でも白兵戦の話題は出ていたような気がするが。

・「その2」にあるように、「志々目証言」は野田少尉の虚言か?山本と一知半解さんの論理を読んでいるとかなり無理な解釈をしているように思える。

他にも漠然とではありますが疑問はあります。
タラリさんは「『百人斬り競争』と南京事件」を読み込んでいる様子でしたので、
ぜひ一知半解さんの書いた「その1」から「その3」を読んでいただき、その御講評をいただければ幸いです。
また、私は百人斬りについては明確な意見を持っているわけではなく、未熟者ではありますがこちらの感じている疑問もぶつけ、この問題に関する考えも深められれば、と思っています。
そして、タラリさんだけでなくこの掲示板に投稿されている皆さんのご意見も聞きたいです。
それでは、突然の投稿、失礼しました。

[管理人修正1回:オートリンク解除]

362 hits

[6367]Re(2):笠原著「『百人斬り競争...
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 とほほ E-MAIL  - 09/3/24(火) 22:15 -

引用なし
パスワード
   ▼ブリーチャー・バムさん:

ようこそ思考錯誤へ(^.^)/
管理人のほうで勝手に投稿文内のオートリンクを解除させてもらってますが、他意はありません、ただ直リンクを張ってしまうと否定論の宣伝になってしまう(検索エンジンが否定論のページを上位にランクしてしまう)のを嫌っているだけで、ブリーチャー・バムさんの投稿に問題があって修正しているわけではありませんので、これからもお気軽にご投稿ください。
358 hits

[6368]Re(2):笠原著「『百人斬り競争...
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 とほほ E-MAIL  - 09/3/24(火) 22:49 -

引用なし
パスワード
   ▼ブリーチャー・バムさん:
引用前後します。

>そして、タラリさんだけでなくこの掲示板に投稿されている皆さんのご意見も聞きたいです。

ではでは、私から一言(^^ゞ
基本的に、この掲示板はQ&Aではありませんので、タラリさんの投稿へご意見があるのであればそれを書いていただき、投稿者へ「この本への見解を聞かせてほしい。」というような内容は各投稿者への負担となりますのでお互いに遠慮したほうが良いと考えます。

また下記のような命題は、特に特定の本や個人の見解ではなく、否定論の典型的パターンであります。笠原見解を分析するまでもなく山本七兵の主張の類は論理破綻してます。この掲示板で「百人斬り」のキーワードで検索したら詳しく解説している人は既に何人もいらっしゃいます。

>・「その1」にあるように、「当時の戦場の実態に照らせば、銃撃や銃剣による攻撃で敵を倒したものが殆どであって、日本刀でバッタバッタと戦場で敵兵を斬り倒した」ということはありえないか。「『百人斬り競争』と南京事件」でも白兵戦の話題は出ていたような気がするが。

「白兵戦で日本刀でばったばった戦場で切り殺した」と言うのは山本七平の空想上の「百人斬り」である、と言うことですね。実態はわかりませんし、実際に白兵戦で日本刀で殺害した例があるのか否かはわかりませんが、その2にある「志々目証言」で、百人斬りの実態が捕らえられた捕虜や民間人を殺害したものであることがわかるわけです。

>・「その2」にあるように、「志々目証言」は野田少尉の虚言か?山本と一知半解さんの論理を読んでいるとかなり無理な解釈をしているように思える。

そして、秦郁彦氏の取材で、「志々目証言」を裏付ける証言も確認されたわけです。疑問の余地はないでしょう。
[#2632]秦郁彦氏が「据えもの百人斬り」を事実上認める。 指輪氏
[#5800]秦氏の資料は高評価、評論は無価値 タラリ氏
等がわかりやすいと思います。

そして、この「志々目証言」での野田講演が虚言であるとするならば、なぜそのような虚言を弄したのか?
少なくとも、百人斬り競争を行った、と記者に話した事実は動かせないのです。
ま、上記のスレッドを読んでも納得できない事項がありましたら、またご投稿ください(^.^)
361 hits

[6369]Re(2):笠原著「『百人斬り競争...
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 タラリ E-MAIL  - 09/3/25(水) 12:30 -

引用なし
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   ▼ブリーチャー・バムさん:
>タラリさん、はじめまして。
>いろいろ勉強させてもらってます。
>ところで、「『百人斬り競争』と南京事件」について、一知半解さんという方が次の様な文章を書いて批判しています。

「一知半解さんの見解について講評を」ということですが、分量があるのでとりあえず、記載のある件についてのみお答えします。

>ただ、それでも一知半解さんの文章を読んでいて次のような疑問があります。

>・「その1」にあるように、「当時の戦場の実態に照らせば、銃撃や銃剣による攻撃で敵を倒したものが殆どであって、日本刀でバッタバッタと戦場で敵兵を斬り倒した」ということはありえないか。「『百人斬り競争』と南京事件」でも白兵戦の話題は出ていたような気がするが。

「日本刀でバッタバッタと戦場で敵兵を斬り倒した」−東日=大毎の新聞記事ではあたかも、このような白兵戦によって百人斬りを果たしたかのように読者を誘導しています。これは両少尉のホラを浅井記者が真に受けて書いたものです。史実派は「日本刀でバッタバッタ・・・」があったなどとはだれも言っていません。

否定派が史実派はこんなことを言っていると歪曲して反論をしているだけのことです。

日本刀は
1.少数の斬り込み隊で敵陣・塹壕に強行突入するという場合
2.大部隊での集団白兵戦
3.残敵掃討の市街戦
で実使用されています。このことは拙HP「報道された○○人斬り」に書いた通りです。

>・「その2」にあるように、「志々目証言」は野田少尉の虚言か?山本と一知半解さんの論理を読んでいるとかなり無理な解釈をしているように思える。

虚言というのは自分の行為を美化する方向でされるものです。野田少尉はバッタバッタと斬り捲ったのではない、「ニーライライ」と言って戦意のない投降兵・敗残兵を斬ったのが大部分だ、と言っているのですから、虚言であろうはずがありません。
345 hits

[6370]Re(3):笠原著「『百人斬り競争...
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 ブリーチャー・バム E-MAIL  - 09/3/25(水) 21:05 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼ブリーチャー・バムさん:
>引用前後します。
>
>>そして、タラリさんだけでなくこの掲示板に投稿されている皆さんのご意見も聞きたいです。
>
>ではでは、私から一言(^^ゞ
>基本的に、この掲示板はQ&Aではありませんので、タラリさんの投稿へご意見があるのであればそれを書いていただき、投稿者へ「この本への見解を聞かせてほしい。」というような内容は各投稿者への負担となりますのでお互いに遠慮したほうが良いと考えます。

大変失礼いたしました。一知半解さんの記事を読んで、タラリさんだったらどう考えるだと思い投稿しました。お返事を強制するつもりはなかったのですが、確かにタラリさんへの負担への配慮が欠けていたと思います。以後気を付けます。本当にすみませんでした。

>そして、秦郁彦氏の取材で、「志々目証言」を裏付ける証言も確認されたわけです。疑問の余地はないでしょう。
>[#2632]秦郁彦氏が「据えもの百人斬り」を事実上認める。 指輪氏
>[#5800]秦氏の資料は高評価、評論は無価値 タラリ氏
>等がわかりやすいと思います。

ありがとうございます。

>
>そして、この「志々目証言」での野田講演が虚言であるとするならば、なぜそのような虚言を弄したのか?

一知半解さんの言葉を借りると、「百人斬り勇士としての立場を取り繕うためのホラ発言」なんだそうですが、
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090104/p2#c1231689078
なんともよくわからない理屈です。具体的に何を取り繕ったんでしょうか?
342 hits

[6371]ありがとうございます
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 ブリーチャー・バム E-MAIL  - 09/3/25(水) 21:54 -

引用なし
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   タラリさん、そちらの負担も顧みない投稿にもかかわらず、お返事ありがとうございます。

>>・「その1」にあるように、「当時の戦場の実態に照らせば、銃撃や銃剣による攻撃で敵を倒したものが殆どであって、日本刀でバッタバッタと戦場で敵兵を斬り倒した」ということはありえないか。「『百人斬り競争』と南京事件」でも白兵戦の話題は出ていたような気がするが。
>
>「日本刀でバッタバッタと戦場で敵兵を斬り倒した」−東日=大毎の新聞記事ではあたかも、このような白兵戦によって百人斬りを果たしたかのように読者を誘導しています。これは両少尉のホラを浅井記者が真に受けて書いたものです。史実派は「日本刀でバッタバッタ・・・」があったなどとはだれも言っていません。
>
>否定派が史実派はこんなことを言っていると歪曲して反論をしているだけのことです。
>
>日本刀は
>1.少数の斬り込み隊で敵陣・塹壕に強行突入するという場合
>2.大部隊での集団白兵戦
>3.残敵掃討の市街戦
>で実使用されています。このことは拙HP「報道された○○人斬り」に書いた通りです。

すいません、ちょっとこちらの説明が不足していたようです。笠原が集めてきた「OO人斬り」という記事が多数存在していたことを提示したことに対して、一知半解さんはまず、

こういう報道が山のようにあったのだから、現実にもそれに等しい行為があったに違いない…と決め付け、ツユほども疑っていないのです。

笠原氏は、当時の新聞報道が(事実を報道するのを目的としていたのではなく)戦意高揚・宣伝宣撫を目的としていたことを全く無視しています。

そもそも「OO人斬った」という表現は、戦果を示すだけのマスコミならではの表記(ものの例え)にすぎないと考えるのが妥当です。
以上「その1」より

と批判し、その後に、

当時の戦場の実態に照らせば、銃撃や銃剣による攻撃で敵を倒したものが殆どであって、日本刀でバッタバッタと戦場で敵兵を斬り倒したなどということは有り得ません。

と書いたわけです。つまり、新聞で何人斬ったからと書いてあるからといって、それはあくまで戦意高揚のためのものの例えで真実ではない、実際に「○○人斬り」をしたわけではない、というのが一知半解さんが「その1」で言いたいことのようです。推測になりますが、恐らくタラリさんのHPで提示した「将兵個人の突撃戦闘」や「集団的白兵戦」の記事も一知半解さんは「実際に斬ったわけではない」、「戦意高揚のためのものの例え」と書くと思います。
それに対して、日本刀の実使用時の研究書の話題が「『百人斬り競争』と南京事件」で出ていたように日中戦争当時でも日本刀を使用する場面はあったのではないのか、プロパガンダの意味合いがあったにしても当時の新聞に書いてあった日本刀による「○○人斬り」を「有り得ません」とは言い切れないのではないのか、というのが第1の疑問の趣旨です。

>>・「その2」にあるように、「志々目証言」は野田少尉の虚言か?山本と一知半解さんの論理を読んでいるとかなり無理な解釈をしているように思える。
>
>虚言というのは自分の行為を美化する方向でされるものです。野田少尉はバッタバッタと斬り捲ったのではない、「ニーライライ」と言って戦意のない投降兵・敗残兵を斬ったのが大部分だ、と言っているのですから、虚言であろうはずがありません。

私も何でこんな虚言を、しかも「白兵戦で百人斬り」の話をしても疑われる危険性の少ない小学生相手にしなければいけないのか理解に苦しんでいます。一知半解さんが根拠とする山本の主張を要約したいところですが、なんとも言えない内容と私の文才のなさもあり、うまくまとめられません。時間が出来たらこちらで全文引用の上、批評したいと思いますが、よろしいでしょうか。
繰り返しになりますが、本当にありがとうございました。
332 hits

[6372]Re(1):ありがとうございます
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 タラリ E-MAIL  - 09/3/25(水) 23:33 -

引用なし
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   ▼ブリーチャー・バムさん:
>タラリさん、そちらの負担も顧みない投稿にもかかわらず、お返事ありがとうございます。

当方は「百人斬り」に関する論争は厭いませんので、なんら負担には思っていません。ただし、一知半解氏のブログは一通り目にしましたが、およそ低調で文意・論旨も不明なところが多々あり、到底すべてを反論することはできません。

ブリーチャー・バムさんが疑問に思うところを当方にズバリとぶつけてくれればその方がはるかに答えやすく、また有益な議論になります。


>>こういう報道が山のようにあったのだから、現実にもそれに等しい行為があったに違いない…と決め付け、ツユほども疑っていないのです。

私にしても笠原にしても、ただ山のようにたくさん報道があっただけで言っているのではないのです。

拙HPの「報道された○○人斬り」では上海=南京戦の期間中を通じて、戦闘状況の変化によって日本刀を揮っての武勇談が刻々と変化し、集団戦闘から、敗残兵の掃討戦、逃げ遅れた中国兵や民間人の据えもの斬りへと対象が移り変わっていった様相を描いています。もし、新聞記者の脳内捏造だとすれば、このような変化まで捉えた記事を書くことはできません。また多数の記者が書いた「○○人斬り」が期せずして、一定の方向性で変化を遂げるということはありえません。

また、南京戦の後期になると兵士の私信にある、「○○人斬り」が主体となっています。ここには記者の手は入っていません。(国内の新聞社の編集部がでっちあげたとまで妄想されるとちょっと反論する気がなくなりますが。)
手紙の内容からしてその実態が捕虜・民間人の「据えもの斬り」であったことは疑いを容れません。兵士個人の手紙が示すように、「据えもの斬り」の対象を伏せて「○○人斬り」と誇る慣習があったのは事実です。


>>笠原氏は、当時の新聞報道が(事実を報道するのを目的としていたのではなく)戦意高揚・宣伝宣撫を目的としていたことを全く無視しています。

一知半解さんはまず、「当時の新聞報道が(事実を報道するのを目的としていたのではなく)戦意高揚・宣伝宣撫を目的としていた」という事実の証明が先決ですね。

「○○人斬り」の記事が戦意昂揚のためだったという意見には少々異論があります。私が考える戦意昂揚の記事の条件は、

1.敵が悪辣・卑劣・残忍であること
2.わが軍・兵士が困難を排して、犠牲を恐れず、勇敢に戦闘してついに敵を殲滅した、という二つです。

例えば百人斬り競争の記事は剣術に優れたスーパー士官の超人的記録ですから、戦場の目立ったエピソードのひとつにはなっても、戦意昂揚にはなりません。

国民の気持ちを浮き立たせるような効果ならあります。

白兵戦で百人斬ったとして、それは賞賛の対象にはなるでしょうが、圧倒的多数の一般の兵士にはまねをしようにも不可能なことです。だいたいが刀を持ってもいませんし。浅海記者は戦場にある無数のエピソードを書き送った中のひとつであると書いています。私にはこの言葉は肯けます。


第二に国民の気持ちを浮き立たせるような記事であれ、戦意高揚・宣伝宣撫を目的とした記事であれ、それが虚偽であるという証拠はどこにあるのでしょう。新聞記者なら普通、戦意を昂揚させるようなネタを見つけることに努力するでしょう。そういうネタがなければ、創作するだろう、というのは甚だしい飛躍です。人間というのはそうそう簡単にウソはつかないし、捏造もできません。また、ネタがないといって安易に捏造したならば、その後ではもはや困難なネタ探しなど馬鹿らしくてできなくなります。また、捏造した話などすぐに見抜かれて、直ちに新聞社から追われます。

「○○人斬り」に関する記事は浅海記者だけではありません。戦線に繰り出した多数の記者がいろいろなパターンで書き続けているのです。その記事がすべてウソだというならば新聞記者というのはそろいもそろってウソ書きばかりということになります。そのようなことが信じられますか。否定派や、その一知半解というクズ・ブロガーも人間理解というものがまったくできていないものばかりだと呆れるばかりです。

国民の気持ちを浮き立たせるような記事や、戦意高揚・宣伝宣撫を目的とした記事というのは確かに求められておりました。だからといってそういう記事の中に捏造や想像で書かれた記事である、と証明された記事がありますか。実態はこうであり、記事はこうであり、まったくの捏造であった、という完璧な証拠が挙がっている記事というものがありますか。

普通は戦意高揚・宣伝宣撫を目的とした記事の中にはこれこれこういう虚偽の記事があったから、「百人斬り競争」の記事も虚偽の可能性がある、とでも言うところです。そのような例の一つも挙げることなく、いきなり戦意高揚・宣伝宣撫を目的とした記事だから虚報であると決めつけるというのは飛躍も甚だしく、およそ論証になっていません。
341 hits

[6373]志々目証言にある野田証言の解...
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 タラリ E-MAIL  - 09/3/25(水) 23:47 -

引用なし
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   ▼ブリーチャー・バムさん:

ブリーチャー・バムさんの

>私も何でこんな虚言を、しかも「白兵戦で百人斬り」の話をしても疑われる危険性の少ない小学生相手にしなければいけないのか理解に苦しんでいます。一知半解さんが根拠とする山本の主張を要約したいところですが、なんとも言えない内容と私の文才のなさもあり、うまくまとめられません。時間が出来たらこちらで全文引用の上、批評したいと思いますが、よろしいでしょうか。

を読みますと、まだ混乱されているように見受けます。

拙HP「『ほら』と『冗談』」にホラを小学生に話すときはどうするか、ということが、書いてありますから、読んでおいて下さい。

「志々目証言におけるホラの修正」の小見出しの前後2段落ずつを読めばわかると思います。
338 hits

[6374]山本七平という陥穽
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 タラリ E-MAIL  - 09/3/26(木) 0:07 -

引用なし
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   ▼ブリーチャー・バムさん:
一知半解氏は山本七平マンセー主義者だそうですが、私は山本七平氏をニセ知識人と断じています。ちょっと批判して見ます。

>まずだれも異論がないことは、この証言が、浅海特派員が報じた「記事」の通りの「百人斬り競争」は、現実には存在しなかったことを本人が明確に証言しているということであろう。

「記事」の通りの「百人斬り競争」、つまり、白兵戦での「百人斬り競争」などないのは当たり前で、史実派はそれを前提として「据えもの斬り競争」があったか、なかったかを問題にしているのです。そんなことで喜んでもらっても困るんですが。


>言うまでもなくこれは戦時中の発言であり、「百人斬り競争」が武勇伝として新聞紙面を飾ることを、だれも不思議に思わなかったどころか、大々的に称揚され賞賛されるのが当然で、いわばマスコミのリーダーが、これでもかこれでもかとこういった記事を次から次へと紙面にもりこみ、新聞を開くとウンザリさせられた時代の話である。

山本七平氏が当時、事実として「百人斬り競争」の記事などにウンザリするほど慧眼だったか、どうか非常に疑問がありますがね。

>そういう時代だから、今とちょうど逆に野田少尉自身が、「あの通りだ、オレがあの時の勇士だ」と胸をはって答えて少しも不思議でなく、それが当然とされる時代のことである。

新聞には野田少尉自身がまだまだ五百人斬りでもやってやる、と豪語しています。この当たりの記事をもし山本が知ったならどう言ったか興味がありますね。

>そして話を聞きに集まった人びとも、そういった「大武勇伝」が当然披露されると思って集まっていたはずである。

>ところが彼はあの「記事」そのものを否定した。

百人斬り競争をしたこと自体は否定していないのですから、記事内容を事実に近く修正したというのが正しい。

>そしてこれが相手がまだ小学生で、新聞の虚報でしか戦場を知らないから、彼はある程度とりつくろっていられたわけだが、相手が白兵戦の体験者だったら、こういったとりつくろいすらできないのが、当時のある面の現実であったろう。


小学生は先生からひれから、百人斬りの勇士の話を聞く、と言われていますから、頭から信じているわけで、それこそ、バッタバッタと切り倒したと言っても疑われなかったのですから、取り繕う必要などないはずです。この当たりも山本七平氏の人間に対する洞察の貧しさを感じます。
とりつくろったのではなく、より真実に近い証言をしたということです。この当たりは拙HP「ホラと冗談」を読んでいただけばよくわかると思います。


>前線には新聞は配送されない。
>従って二人は一体全体、何か書かれていたか、内地に帰ってみなければわからなかったのが実情であろう。

これも当時の山本は知らなかったが、南京には遅れて内地の新聞が届けられた事実があります。そして、野田少尉の上官があまり派手にぶちあげるなと怒ったそうです。

>向井少尉は半年後に新聞を見て「恥ずかしかった」と上申書に書いているが、実際、前にものべたが、この「恥ずかしかった」は、いろいろな面で、実に実感のこもった言葉というべきであろう。

半年後に新聞を見たという記憶内容が正しいかどうかわかりませんが、「恥ずかしかった」というのが、虚偽の記事を書かれて恥ずかしかったという受け取り方には問題があります。新聞記者には二少尉の方から都合4回アプローチしたわけで、「恥ずかしかった」とは言っても「嬉しい、照れくさい」という「恥ずかしさ」でしょう。

もしも、自身まったく覚えのない戦功について書かれたとすれば、「恥ずかしさ」は確かにあるでしょうが、まず意外、怪訝の念が先で、「恥ずかしさ」はその後でしょう。

上申書にある記述はあくまで、拘置中の被告の発言であり、「恥ずかしい」は記事が虚偽であるという主張を言外に含めたものでしょう。しかし、この「恥ずかしい」が新聞記事を初めて読んだときの感情であったという証拠はなにひとつありません。山本七平は頭から信用していますが、裁判中に当人を有利に導くような趣旨の発言を山本七平は頭から真実の証言と受け取っていますが、無思慮にもほどがあります。


>定説とか定評とかが作られてしまうと、向井少尉のようにノー・コメントで押し通すか、野田少尉のように、何とかとりつくろうか、のどちらかをせざるを得なくなる。

定説であれ、定評であれ、本人自身のことですから、本人が否定すれば覆せることです。一切身に覚えのないことが新聞記事に書かれれば、例えほめられたことであっても、そのまま通すことは考えもつきません。例え放置することはあっても、自ら再び新聞の取材に応じたり、講演の壇に立つということはありえません。この当たり、一知半解氏の人間理解は摩訶不思議という他ありません。


>しかしそこにもし白兵戦の体験者がいたらすぐに言ったであろう。

>「……四、五人? 本当に人を斬った人間はそういうあやふやな言い方はしない。野田少尉!四人か、五人か!――五人だというなら貴官にうかがいたい、五人目に軍刀がどういう状態になったかを」――彼はおそらく答えられまい。

これが大笑いなのですが、山本氏が先祖伝来の日本刀として後生大事に抱えていった日本刀は目釘が腐っていたので指の骨を切ることすらままならなかったのです。特に出来の悪い日本刀でもって世界屈指の刀剣である日本刀を貶めるとはなんたる日本人ですかね。


>そしてこれは、私だけではない。
>従って本当に人を斬ったり、人を刺殺したりした人は、まず絶対にそれをロにしない、不思議なほど言わないものである。

いくら山本が戦争経験者であっても、山本のいたフィリピンの戦場と百人斬り競争が行われた中国の戦場ではあらゆることが相当違いますから、山本の狭い体験で中国であったことを断定することはできません。中国の事情は中国戦線での文献や証言をもとに発言しないと意味はありません。中国兵や民間人を斬ったことを言ったり書いたりしたものはいくらでもあります。

■中国の戦場では緒戦でもあり、勝ち戦で敗残中国兵や取り残された中国市民を思うさま楽しみから斬ることができた、そしてその武功を誇る余裕があったところです。フィリピンの戦場は圧倒的な退勢でアメリカの敵兵捕虜など斬ることはほとんどなかったし、そして直前まで日本に協力を強要していた現地フィリピン人を斬ることもできない。ゲリラと疑い捕らえたフィリピン人を処刑したことは数知れないだろうが、武功を誇るような余裕などまったくない戦場であった。
380 hits

[6380]Re(1):志々目証言にある野田証...
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 ブリーチャー・バム E-MAIL  - 09/3/26(木) 22:20 -

引用なし
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   ▼タラリさん:
>▼ブリーチャー・バムさん:
>
>ブリーチャー・バムさんの
>
>>私も何でこんな虚言を、しかも「白兵戦で百人斬り」の話をしても疑われる危険性の少ない小学生相手にしなければいけないのか理解に苦しんでいます。一知半解さんが根拠とする山本の主張を要約したいところですが、なんとも言えない内容と私の文才のなさもあり、うまくまとめられません。時間が出来たらこちらで全文引用の上、批評したいと思いますが、よろしいでしょうか。
>
>を読みますと、まだ混乱されているように見受けます。
>

すいません、またこちらの主張で間違ったイメージを与えてしまったようです。おそらく私が「野田少尉が志々目氏の証言したとおりの内容の講演をしたが、その内容は偽証である」と考えている、とタラリさんは思っているのではないでしょうか。
そうではなくて、「野田少尉が志々目氏の証言したとおりの内容の講演をしたが、その内容は虚言である」という一知半解さんや山本の主張の解釈には無理がある、ということが言いたかったのです。タラリさんが[6374]山本七平の陥穽に書いている、

小学生は先生からひれから、百人斬りの勇士の話を聞く、と言われていますから、頭から信じているわけで、それこそ、バッタバッタと切り倒したと言っても疑われなかったのですから、取り繕う必要などないはずです。

と書いている通りです。

拙い文章で本当にご迷惑お掛けしました。


>拙HP「『ほら』と『冗談』」にホラを小学生に話すときはどうするか、ということが、書いてありますから、読んでおいて下さい。

>「志々目証言におけるホラの修正」の小見出しの前後2段落ずつを読めばわかると思います。

ありがとうこざいます。
じっくり読んで、[6372]と[6374]の感想もあわせてじっくり文章を練りたいので、しばらくお時間を下さい。
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[6383]Re(2):志々目証言にある野田証...
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 ブリーチャー・バム E-MAIL  - 09/3/29(日) 12:15 -

引用なし
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   タラリさん、「『ほら』と『冗談』」読ませて頂きました。
ですが、どうもひっかかってます。
野田少尉は「白兵戦でバッサバッサと斬り殺した」と思われて感心されるとかえってだましたようで「居心地が悪い」思いをするので、実際に白兵戦で斬ったのは4、5人だ、と言ったのでしょうか。
実は、「『ほら』と『冗談』」以外のタラリさんの書いた百人斬り競争に関する論考を読ませていただいたのですが、その中の一つ、「グースの百人斬り否定論を反駁する」中に昭和13年3月21日の鹿児島新聞の記事で少尉が「374人を斬った」「袈裟がけ、唐竹割、突伏せなど真に痛快でした」と語っていて、同趣旨の記事が翌日の鹿児島朝日新聞にもあります。斬った人数が相当増えていることもさることながら、具体的な描写も袈裟がけ、唐竹割などと読み手に勇士としてのイメージをアピールしたものになっています。この記事を当時の小学生も目にしていた可能性はあるのではないでしょうか。小学生をだまして悪い、という配慮が出来るのだったらこういうことは語らないのではないでしょうか。

タラリさんの「報道された○○人斬り」を読むと、敗残兵とおぼしきケースでも「宮本武蔵」と称揚されています。一方百人斬り競争の第4報にも敗残兵狩りとはっきりと書かれています。白兵戦であっても敗残兵掃蕩であっても大事なのは多くの人間を斬れば称揚の対象になる、ということではないでしょうか。捕虜の据えもの斬りがほとんどだった、と語ることもさして気にもとめていなかったような気もするのが、いかがでしょう。

追伸1
この話題とは関係ないのですが、「グースの百人斬り否定論を反駁する」には野田少尉が二口の刀を譲り受け、と書かれていましたが、これは野田少尉が日本刀を二本所持していた、という理解でよろしいでしょうか。

追伸2
ところで、このやり取りの様子が他所でも伝えられている様子です。

その1
http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/e/de6cf6642045724bc961896374e3807c

「据えもの斬り競争」でそんなもん競争なんかする訳が無いだろう???とのこと。なんで「訳が無い」のか、その根拠は何なのか、知りたいところです。

その2
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-186.html#comment1014

一知半解さんからも反応がありました。
タラリさんのHPも「ちょこっと」ご覧になったようです。で、「あの程度」の解釈だそうです。何をもって「あの程度」なのか、ちょっと聞いてきます。
304 hits

[6384]Re(3):志々目証言にある野田証...
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 タラリ E-MAIL  - 09/3/29(日) 22:45 -

引用なし
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   ▼ブリーチャー・バムさん:
>タラリさん、「『ほら』と『冗談』」読ませて頂きました。
>ですが、どうもひっかかってます。
>野田少尉は「白兵戦でバッサバッサと斬り殺した」と思われて感心されるとかえってだましたようで「居心地が悪い」思いをするので、実際に白兵戦で斬ったのは4、5人だ、と言ったのでしょうか。

そこまでホラの規模を縮めてもこどもだから百人斬りのうちと納得してくれるだろう、と踏んだのです。その心理も書いたつもりですが。

>実は、「『ほら』と『冗談』」以外のタラリさんの書いた百人斬り競争に関する論考を読ませていただいたのですが、その中の一つ、「グースの百人斬り否定論を反駁する」中に昭和13年3月21日の鹿児島新聞の記事で少尉が「374人を斬った」「袈裟がけ、唐竹割、突伏せなど真に痛快でした」と語っていて、同趣旨の記事が翌日の鹿児島朝日新聞にもあります。斬った人数が相当増えていることもさることながら、具体的な描写も袈裟がけ、唐竹割などと読み手に勇士としてのイメージをアピールしたものになっています。

斬った人数が374人まで増えたのは、紫金山の戦闘以降に多数抱えた捕虜を思うままに斬ったからだろうと思います。鹿児島新聞などに語るときに東京日々・浅海記者に語ったのと同じ感覚で語ったのは当然です。

>この記事を当時の小学生も目にしていた可能性はあるのではないでしょうか。小学生をだまして悪い、という配慮が出来るのだったらこういうことは語らないのではないでしょうか。

どうして、そういう疑問が湧くのか、わかりません。ホラというのは相手を見て(相手の理解力に応じて)言うものです。小学生相手の講演と新聞記者相手の談話では当然ホラの仕方は違います。これもHPに書いた通りなんですが。


>タラリさんの「報道された○○人斬り」を読むと、敗残兵とおぼしきケースでも「宮本武蔵」と称揚されています。一方百人斬り競争の第4報にも敗残兵狩りとはっきりと書かれています。白兵戦であっても敗残兵掃蕩であっても大事なのは多くの人間を斬れば称揚の対象になる、ということではないでしょうか。捕虜の据えもの斬りがほとんどだった、と語ることもさして気にもとめていなかったような気もするのが、いかがでしょう。

新聞にある「敗残兵狩り」は戦闘の一部という判断でしょうから、称揚されたのは当然す。ただし、捕虜の据え物斬りは当時でも、それを言ったらおしまいです。非難されこそすれ、称揚の対象にはなりません。


>追伸1
>この話題とは関係ないのですが、「グースの百人斬り否定論を反駁する」には野田少尉が二口の刀を譲り受け、と書かれていましたが、これは野田少尉が日本刀を二本所持していた、という理解でよろしいでしょうか。

野田少尉が譲り受けたのは事実として、戦線に二振り持って行ったかどうかは資料がありません。普通にはわざわざ二振りを持参するとは考えにくいです。

>追伸2
>ところで、このやり取りの様子が他所でも伝えられている様子です。

>「据えもの斬り競争」でそんなもん競争なんかする訳が無いだろう???とのこと。なんで「訳が無い」のか、その根拠は何なのか、知りたいところです。

そうですね。当該クズブログに「反論」は存在しませんでした。
「反発」があるだけでした。
ただし、クズだからないというだけではなく、百人斬り論争においては、否定派のオピニオンリーダー連中においても議論の中核は感情的な反発しか存在しません。
308 hits

[6385]Re(4):志々目証言にある野田証...
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 ブリーチャー・バム E-MAIL  - 09/3/30(月) 22:50 -

引用なし
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   >斬った人数が374人まで増えたのは、紫金山の戦闘以降に多数抱えた捕虜を思うままに斬ったからだろうと思います。鹿児島新聞などに語るときに東京日々・浅海記者に語ったのと同じ感覚で語ったのは当然です。

野田・向井両少尉の所属する歩兵第9連隊第3大隊は南京城陥落の後も紫金山で敗残兵掃蕩に従事していたんですよね。

>どうして、そういう疑問が湧くのか、わかりません。ホラというのは相手を見て(相手の理解力に応じて)言うものです。小学生相手の講演と新聞記者相手の談話では当然ホラの仕方は違います。これもHPに書いた通りなんですが。
>

確かに、小学生と新聞記者相手では話し方も変わってくるでしょうね。
私は他人の心理動向には疎いところがあるので、タラリさんから見るとかなりずれた疑問を提示してしまったようです。この部分に関しては出直してきます。すいませんでした。

>新聞にある「敗残兵狩り」は戦闘の一部という判断でしょうから、称揚されたのは当然す。ただし、捕虜の据え物斬りは当時でも、それを言ったらおしまいです。非難されこそすれ、称揚の対象にはなりません。

確か、火野葦平の『土と兵隊』も捕虜を殺害した部分は当時カットされていたとか。戦闘詳報などでは公然と捕虜の殺害が記載されてますが、それでも外に向けて発信するのははばかられる、ということでしょうか。

>野田少尉が譲り受けたのは事実として、戦線に二振り持って行ったかどうかは資料がありません。普通にはわざわざ二振りを持参するとは考えにくいです。
>

丁寧な回答、ありがとうございました。
289 hits

[6387]あえて伏字?
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 ブリーチャー・バム E-MAIL  - 09/3/31(火) 21:19 -

引用なし
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   タラリさん、こんばんは。
一知半解さんからこんな反論がありましたので掲載します。

>浅海記者ははっきりいって「二少尉にだまされて『百人斬り競争』の記事を書くように誘導された」のである。【タラリ氏HPの「ほら」と「冗談」より引用】

こういう解釈をしている時点で、「あの程度」と評価しても差し支えないと思います。
タラリ氏が一体何を根拠に浅海特派員が「だまされた」と断言しているのかはっきりわかりませんが、「だまされて」いたのなら、なぜ浅海特派員が次のように書いたのでしょうか?

>1.第1報のテキスト
>僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ。
【タラリ氏のHPの『「百人斬り」のテキスト解析』より引用】

浅海特派員は、大隊副官であった野田少尉の発言を、○官とあえて「伏字」にしてしていますが、本当に「だまされて」いたのなら伏字にするわけがありません。
だまされていたなら、どうして伏字にしたのか?タラリ氏の名解釈(迷解釈?)が聞きたいところです。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-186.html#comment1027

浅海特派員が伏字にした、ということを問題にしているのですが、恐らく一知半解さんの考えの根拠はこの山本の推測ではないか、と思います。

(山本)真実は、浅海記者は、両少尉の話をホラと知っており、それ故に、それがホラと見抜かれないよう、二少尉の職務(向井は歩兵砲小隊長であり野田は大隊副官であり指揮系統も職務も全く異なる)を隠し、「百人斬り競争」の記事で、この両者をあたかも「同一指揮系統下にある二歩兵小隊長」として描いたのではないか。
http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_5b0d.html

しかし、こちらを読むと、「軍事情報ということで検閲をうけたのか新聞社編集部の自主規制のどちらかでしょう」と解説があります。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/han/nichinichi.htm

浅海特派員が伏字にした、という明確な根拠を一知半解さんは提示していませんが、タラリさんは浅海特派員があえて伏字にした、という話をご存知でしょうか。
361 hits

[6388]Re(1):あえて伏字?
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 タラリ E-MAIL  - 09/4/1(水) 0:14 -

引用なし
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   ▼ブリーチャー・バムさん:
>タラリさん、こんばんは。
>一知半解さんからこんな反論がありましたので掲載します。

なぜ、私が一知半解さんとブリーチャー・バムさんを介して論争しなくちゃならんのですか(^^;)。
ブリーチャーさんが本当に一知半解さんの疑問なり反論なりを是とするなら、ブリーチャーさん自身の質問としてお書きになればいいのでは?
それから、ブリーチャーさん、自分の意見と他者の意見の紹介部分は">"記号で峻別して下さいね。読んでいるとブリーチャーさんが否定派の"回し者"のように読めそうになって困るんですが。

ま、よろし。
一知半解さんも本人はなーんも考えておらず、山本七平の口寄せをするだけの存在のようですから、草場の陰の山本七平の浅慮を一撃するつもりで書きますよ。


>浅海特派員は、大隊副官であった野田少尉の発言を、○官とあえて「伏字」にしてしていますが、本当に「だまされて」いたのなら伏字にするわけがありません。

浅海特派員は副官と知っていた。これは事実。副官であっても、日本刀を振りかざして白兵戦を戦う場面があったとだまされていた、・・・と考えて何か問題がありますか。

実際に野田の友人の副官六車政治郎も日本刀での活躍なら、俺の方が上だと考えて、うらやましがっていた、という事実があります。

実際がそうだから、野田らは自信をもってウソを言った(ホラとも言う)。ホラというのは自信持って言うから、だまされやすです。ウソと知りつつ話す場合はどこか気後れがあるから、言葉に自信が伴わない。向井と二人でこもごも自慢話をすれば騙されても、おかしくありません。

もし、山本七平の妄想のごとく、副官では話が成り立たないと浅海記者が考えたのであれば、「僕は○官をやっているから・・・」という一節自体を書かなかったはずです。○官というのは実は副官しかいないというのは軍隊関係者は知っていますからね。


それから、「○官」と書いたのは確かに浅海記者であった、すなわち自筆原稿の段階で「○官」と書いたという証拠をつかんでいない限り、論証にはなりません。山本はこのような論証を構成しないことばかりを並べて行く人です。さすがに、否定派も百人斬り訴訟でも山本七平の議論をほとんど利用しなかったのはこういう欠陥がある「論証」だからです。

「○官」と伏せ字にしたのはおそらく、新聞者の編集部の方でしょうね。というのは編集部としては記事内容の事実関係をなるべく正確に知る必要があります。その上で、記事内容と軍の報道規制の動向を見合わせながら、伏せ字にすべき点を判断する必要があります。そのような作業をするのは現場の記者よりは編集部の方が向いています。
358 hits

[6389]Re(2):あえて伏字?
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 ブリーチャー・バム E-MAIL  - 09/4/1(水) 21:44 -

引用なし
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   >なぜ、私が一知半解さんとブリーチャー・バムさんを介して論争しなくちゃならんのですか(^^;)。
>ブリーチャーさんが本当に一知半解さんの疑問なり反論なりを是とするなら、ブリーチャーさん自身の質問としてお書きになればいいのでは?
>それから、ブリーチャーさん、自分の意見と他者の意見の紹介部分は">"記号で峻別して下さいね。読んでいるとブリーチャーさんが否定派の"回し者"のように読めそうになって困るんですが。

重ね重ね、すみません。
確かに私の質問として書けばいいことですね。迷惑かけっぱなしです。

>実際がそうだから、野田らは自信をもってウソを言った(ホラとも言う)。ホラというのは自信持って言うから、だまされやすです。ウソと知りつつ話す場合はどこか気後れがあるから、言葉に自信が伴わない。向井と二人でこもごも自慢話をすれば騙されても、おかしくありません。

ホラとは違いますが、一知半解さんが浅海特派員があえて伏字にしたと言う主張に、根拠を明示していないのを疑問に思う半面、自信がありそうなので本当なのか、とも思いました。

>もし、山本七平の妄想のごとく、副官では話が成り立たないと浅海記者が考えたのであれば、「僕は○官をやっているから・・・」という一節自体を書かなかったはずです。○官というのは実は副官しかいないというのは軍隊関係者は知っていますからね。

そうですよね。伏字にするくらいならカットするでしょうね。しかも成績が上がらない云々という後の部分はそのままになっている、というのも変な話です。「副官」だと分からなくてもそれなりの地位があって人を斬る余裕が無い、という推測が成り立ってもおかしくないと思います。

>それから、「○官」と書いたのは確かに浅海記者であった、すなわち自筆原稿の段階で「○官」と書いたという証拠をつかんでいない限り、論証にはなりません。

やっぱり、浅海記者が伏字をしたという証拠は無いんですね。

>山本はこのような論証を構成しないことばかりを並べて行く人です。さすがに、否定派も百人斬り訴訟でも山本七平の議論をほとんど利用しなかったのはこういう欠陥がある「論証」だからです。

志々目証言を野田少尉の偽証とする考え方がほとんど聞かれないのも論証に欠陥があるとみて差し支えないですね。タラリさんが既に[6374]で批判を加えていますが、私も山本のこの説についていくつか疑問を提示したい、と考えてます。

それにしても、山本のファンと思しき方のホームページから文を引用してきたので間違いないと思いますが、山本は2少尉がホラを吹いていた、という立場だったんですか。ちょっと意外です。
340 hits

[6391]Re(1):山本七平という陥穽
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 ブリーチャー・バム E-MAIL  - 09/4/3(金) 23:13 -

引用なし
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   [6389]でも予告しましたが、ちょっと自分も「その2」で展開されていた山本の言説を批判してみます。

>相手がまだ小学生で、新聞の虚報でしか戦場を知らないから、彼はある程度とりつくろっていられたわけだが

「とりつくろう」とはそもそも何なのか。どうも実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいなくて、後は捕虜の据えもの斬りだ、というのが具体的な内容らしいが、この話をすることで何をとりつくろうことになるのかが不明である。そして新聞の虚報でしか戦場を知らなくて、百人斬りの大武勇伝を期待していると山本自身が認めている小学生相手になぜ偽証しなければいけないのか、その必然性に乏しい。また、同じ趣旨でとりつくろったという話は小学校や中学校での講演以外では聞かれていない(士官学校の同期生に実際に斬ったのは七人だ、と話したケースはある)。なぜ大人たちにはとりつくろわなかったのか。
仮に、とりつくろえたとしても、百人斬りの話題は「東京日日」「大阪毎日」に掲載され、全国で話題になってしまっている。地元の小学校でとりつくろったところで焼け石に水なのは明白。

>前線には新聞は配送されない。
従って二人は一体全体、何か書かれていたか、内地に帰ってみなければわからなかったのが実情であろう。

タラリさんの話では、内地の新聞が遅れて配送するとのことだが、仮に新聞が届けられなくても野田少尉は常州で浅海記者に紹介された佐藤カメラマンに百人斬りの様子を語っている。百人斬りの話題を新聞記者にすれば、それが記事化され「百人斬りの勇士」として称えられる、というのは予想がつくのではないか。

>……四、五人? 本当に人を斬った人間はそういうあやふやな言い方はしない。

山本以外にこういう主張をする人を聞いたことがない。

>野田少尉!四人か、五人か!――五人だというなら貴官にうかがいたい、五人目に軍刀がどういう状態になったかを

白兵戦で斬ったのは四、五人とはいえ、百人斬ったという話には変わらないのだから、百人斬ったら軍刀がどういう状態になるか、と聞くのではないだろうか。
また、四、五人斬っても軍刀の状態を白兵戦の勇士に問いただされるのだから、その意味でもとりつくろいになっていない。

>というのは、彼が口にしている「とりつくろい」は、戦場での伝聞であっても、おそらく彼の体験ではないからである。

野田少尉が戦場で伝え聞いたという根拠が明示されておらず、推測の域を出ていない。

>なぜそういえるか。理由は簡単である。

>私は体験者を知っており、そして私にも「斬った」体験があるから(註)である

自分が斬った体験があり、長らく沈黙していたからと言って、他人も絶対にそうするとはいえない。

>従って本当に人を斬ったり、人を刺殺したりした人は、まず絶対にそれをロにしない、不思議なほど言わないものである。

「まず絶対に」口にしない、と書いているのに、自分は人を斬った体験があるとか、その様子を具体的に描写しているのを読むとはなはだ説得力がない。

>私は実際に人を斬殺した人間、人を刺殺した人間を相当数多く知っている。
そしてそういう人たちが、そのことに触れた瞬間に示す一種独特な反応――本当の体験者はその瞬間に彼の脳裏にある光景が浮ぶから、否応なしに、ある種の反応を示す――その反応を思い起すと、「本当に斬ったヤツは絶対に自分から斬ったなどとは言わないものだ」という言葉をやはり事実だと思わないわけにいかない。

相当数多くとは一体どれくらいの人数なのか。そしてどうやって知ったのか。自分から斬ったとは絶対に言わないのだから、山本自身が目撃したのか、決定的な証拠を突きつけたのか。
仮に本当に人を斬殺したり、刺殺したりしたとして山本が知っている人間というのは全体の何パーセントくらいなのか。仮に90パーセント以上だとしても例外、つまり「自分が斬った」という人間が存在していたとしてもおかしくはない。

以上、タラリさんの批判ともかぶるかもしれませんが、こんな感じでまとめてみました。
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