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百人斬り裁判は決着がつき、二少尉が「百人斬り」と報道するのに違和感がない行為をしていたことは否定できないとされた。しかし、これはネットの世界、マスコミ、出版界を通じて史実派の主張が受け入れられたということにはなっていない。したがって、百人斬り競争の真実を世に訴え、否定派の所論のひとつひとつを粉砕していくことはいまだに重要である。
そんな折り、南京問題の第一人者である笠原十九司氏の「『百人斬り競争』と南京事件」(大月書店)が出版された。正直言って、私の期待を上回る内容であった。
よかった点は観念的な分析に流れるのではなく、徹底して資料を集めて否定論拠のひとつひとつの基盤を完全に破産させることができたことである。
■第一章 「百人斬り競争」を生み出した戦争社会 百人斬りを理解するには当時の軍人の間における日本刀に対する憧れとファンタジー、また一般国民におけるその称揚と賛嘆という時代背景を知らなければならない。 当時の新聞、特に地方紙の記事から○○人斬りの記事を多数収集した。これは先行する小野賢二の著作「報道された無数の『百人斬り』」を発展させ、考察を深めたものである。小野の場合、全国紙と福島、愛知の地方紙を収集したが、笠原はさらに岡山、京都、愛知、島根の地方紙ほ収集しいっそう多面的に考察を加え、説得力を増している。 私のHPのコンテンツ「報道された○○人斬り」でももっと多数の地方紙を加えて考察したかったのだが、アマの私には出来なかったところを私の期待以上に仕上げている。 この章では「日本刀では三人以上斬れない」論も実使用時の研究書を交えて完璧に粉砕している。
■第二章 「百人斬り競争」の傍証−−日本刀と軍国美談と国民
否定派のだれもが持ち出す否定論拠のひとつに「職務論」とでも呼ぶべき分野がある。すなわち、副官は書類を作るのに忙しく、戦闘にはかかわらない、砲兵隊長は戦線の後方にいて戦闘にはかかわらないから、百人斬りはできない、といった論法である。そもそもは山本七平が持ち出した論拠である。史実派はもともと戦闘での百人斬りを主張してはいないので、まったく問題にならない議論であった。いまでも否定派は「職務論」にしがみついているので、正面からこれらの論拠を崩す議論が必要であった。軍の行動規範に対して否定派が持ち出すのは『軍隊内務書』にある職務規程であるが、笠原はこれは内務斑での行動規範であり、戦闘においては「陣中用務令」が適用されると切り返す。この中では副官や砲兵隊長といえども戦況によっては適切な状況判断のもと、直接、戦闘に加わるべきことを指示している。また具体例として砲兵隊長が殲滅戦、追撃戦に直接加わった日誌、記録を、また野田少尉の友人であった六車少尉(副官)の「惜春賦」を引用して完璧である。
■第三章 「百人斬り競争」の証明(1)
無錫、常州あたりの状況を当事者たちである、東日(大毎)の記事や二少尉の発言と手紙、佐藤振寿の日記をつきあわせて、可能な限り二少尉の足跡の事実関係を洗い出している。また第十六師団配下の部隊の将兵の日記と突き合わせて、戦闘の模様師団の進軍が単に敗残兵の追撃、掃討に止まらず、民間人すべてを巻き込む無差別の殺戮戦の中にあったことを描き、その中で行われた野田少尉の民間人惨殺を望月証言で証明し、とどめをさしている。
■第四章 「百人斬り競争」の証明(2)
二少尉の常州以後の足跡を向井少尉配下の田中金平分隊長の日誌など当時の一次資料で追いつつ、特に向井少尉主張のアリバイを崩している。また、二少尉が属する片桐部隊は中島師団長の意図に反して無用の兵員の損耗を避けるため中国軍陣地の正面攻撃をすることなく、南京へ向かって錐もみ前進をする方針をとり、ために、敗残兵の掃討が主な戦闘になり、二少尉が百人斬り競争に専念できた、という状況を説明している。東中野の「南京百人斬り競争」におけるアリバイ主張は例によって、混乱した説明で一読難解のものであるが、トンデモの主張であることを明らかにしている。 南京に入って以後の二少尉の百人斬り競争の延長戦をいままでに知られている南京大虐殺の様相の中で描いている。
■補論 「百人斬り競争」はなぜ南京軍事裁判で裁かれたのか
第四章までで証明は終わり、B級戦犯である向井・野田元少尉がなぜ南京軍事裁判で裁かれることになったかという状況説明である。当時の国民政府が戦犯をできるだけ少なくして、戦犯裁判に早期に決着を付け、日本との関係改善を終え、対共産勢力へ力を向けるために、拙速の裁判をしたという事情が説明されている。中国国内ではチャイナ・ウィークリー・レビューをはじめとするジャーナリズムの報道の転載が早い段階で国民に知られ、少ない情報から百人斬り競争の事実経過が変容されて伝わっていた。そのため南京大虐殺のイメージ形成の上でなくてはならない事件に昇格していた事情があった。
私の百人斬り競争のコンテンツでは基本的に否定派が好んで用いる資料あるいは否定できない資料のみを使って書いています。裁判の過程で発見された資料(史実派に有利なもの)はまだ使っていません。これからはこれらを使って、論証をしなくてはなりません。 笠原の新著のおかげで私が書くべきことはかなり限られたように思いましたが、まだ別の視点から書くネタは残されていると思い直しました。
の論証は否定派に痛撃を喰らわしているのですが、それにさえ気がつかない否定派はまだウヨウヨいます。手を変え品を変えて、締め上げてやろうと思います。
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