台湾原住民斬首「大会」の写真
残虐写真につき
"クリックして拡大"する前によく考えて!!
「日帝植民地下の台湾原住民」(非売品)
発行:祖霊之邦 www.abohome.org.tw より
これも、南京「百人斬り」事件のプロトタイプか?
この写真の出典元は、1913年に日本軍部が刊行した「大正二年討伐軍隊記念冊子」である。場所は現在の台中県梨山付近の佳陽部落(タイヤル族)である。
これらの写真は、元は日本軍の戦功を頌える為のものであったが、今日では、侵略と植民支配の最も有カな証拠となっている。
「大正二年討伐軍隊記念冊子」をWEB検索すると、
husv83のジオログ
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/husv83/view/20070410
遠藤克己1913『大正二年 討伐軍隊記念』の写真
高金素梅企画、徐宋懋・張群智著 2002『無言的幽谷』(無言の幽谷、中国語)新店:正中書局、やその他高金素梅氏発行のパンフレットでしばしば用いられている衝撃的な写真がある。
日本人らしき人物が屋外において、タイヤル人らしき人物の首をはねているものである。
筆者は台北において、写真つきはがきにその写真が使われているのを見て、それを購入したことがあった。(小草芸術学院発行、20002.1000林玲君助印、とある)
その原典が遠藤克己1913『大正二年 討伐軍隊記念』であり、このたび台北の南天書局において、魏徳文社長にお願いして自分で確認してきた。
遠藤克己1913『大正二年 討伐軍隊記念』 2
本書の基本データは次の通り。(旧仮名遣いは改めた)
大正二年十月卅一日発行
著作者兼発行者 遠藤克己
発売所 遠藤写真館(台北城内府前街三丁目)
高金素梅氏に使われている写真も確認できた。キャプションには、
「シカヤブ蕃人中獰猛兇悪なる者にして常に隘勇線に出草し馘首を擅にし尚タラー渓に於て我軍に抗し飽くまて官命を遵奉せさると放言せし兇蕃斬首の光景」
とある。
これは台湾総督府警務局 1921『理蕃誌稿』第三編下巻、に詳細が記されている「キナジー方面蕃社討伐並追加行動」の一環として行われたものである。
本写真の前の写真のキャプションは、
「シカヤブ社蕃人を包囲して銃器弾薬の提供を命す」
「八月十二日タラ渓谷に於て歩兵第二聯隊第八中隊に抵抗したるシカヤブ社蕃人」
とある。
これらの写真は一連のものと思われるため、撮られた日時は1913(大正2)年8月12日であろう。
また、文中の「シカヤブ」は「シカヤウ」の誤りで、現在の「シカヨウ」つまり環山集落である。
シカヨウというと、淑子(ヨシコ)さんという日本語の達者なタイヤルの女性がいらっしゃった。
人づてに「環山」という、淑子さんが書かれた歴史と集落の紹介の抜き刷りを頂いている。
1930年ころ生れた淑子さんの抜き刷りには、1913年の出来事は書かれていないようである。
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