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[3111]新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か ゆう 06/8/9(水) 22:08
[3112]Re(1):新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か −東中野修道氏『「南... タラリ 06/8/9(水) 23:35
[3122]Re(2):新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か −東中野修道氏『「南... ゆう 06/8/10(木) 6:40
[3156]東中野の屁理屈にお返し タラリ 06/8/17(木) 23:31
[3161]Re(1):東中野の屁理屈にお返し ゆう 06/8/20(日) 9:29
[3162][投稿者削除]
[3163]Re(2):東中野の屁理屈にお返し タラリ 06/8/21(月) 21:38
[3165]名前 熊猫 06/8/22(火) 1:11
[3167]あくまでも推論です。 熊猫 06/8/22(火) 3:32
[3182]被害者には3つの姓があると思います。 熊猫 06/8/27(日) 16:33
[3185]Re(1):被害者には3つの姓があると思います。 ゆう 06/8/28(月) 20:43
[3190]Re(2):被害者には3つの姓があると思います。 熊猫 06/8/30(水) 6:19
[3192]Re(3):被害者には3つの姓があると思います。 熊猫 06/8/30(水) 9:07
[3198]Re(3):被害者には3つの姓があると思います。 熊猫 06/9/3(日) 16:44
[3238]事件は12月13日だったのでしょうか? 熊猫 06/9/15(金) 12:07
[3567]Re(1):新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か 熊猫 06/11/5(日) 0:09
[3569]感謝! ゆう 06/11/6(月) 7:57
[3596]Re(1):新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か 熊猫 06/11/17(金) 15:30
[3598]Re(2):新コンテンツ「続・夏淑琴さん: HaとMa 渡辺 06/11/18(土) 0:35
[3599]Re(3):新コンテンツ「続・夏淑琴さん: HaとMa 熊猫 06/11/18(土) 21:23
[3602]Re(4):新コンテンツ「続・夏淑琴さん: HaとMa 渡辺 06/11/19(日) 12:51
[3677]第十軍参謀・吉永朴少佐の証言 熊猫 06/12/16(土) 15:40
[3680]上海儲備銀行 熊猫 06/12/16(土) 21:33 [添付]
[3685]Re(1):上海儲備銀行 Apeman 06/12/19(火) 0:04
[3689]訂正 Apeman 06/12/19(火) 18:52
[3690]南京の中央儲備銀行 熊猫 06/12/20(水) 6:48
[3694]Re(1):南京の中央儲備銀行 渡辺 06/12/20(水) 13:59 [添付]
[3696]Re(2):南京の中央儲備銀行 熊猫 06/12/21(木) 9:14
[3699]Re(3):南京の中央儲備銀行 eichelberger_1999 06/12/21(木) 11:39
[3706]Re(1):上海儲備銀行 ピッポ 06/12/22(金) 10:10
[3707]上海儲備銀行ではなく上海商業儲蓄銀行です。 熊猫 06/12/23(土) 0:55 [添付]
[3709]Re(1):上海儲備銀行ではなく上海商業儲蓄銀行です。 ピッポ 06/12/23(土) 9:51
[3710]Re(1):交通銀行の場所 ピッポ 06/12/23(土) 10:29 [添付]
[3712]新街口 熊猫 06/12/23(土) 15:28 [添付]
[3713]Re(1):日本「総領事館」と「大使館」 ピッポ 06/12/23(土) 19:06
[3716]Re(2):日本「総領事館」と「大使館」 熊猫 06/12/24(日) 4:43
[4665]Re(2):日本「総領事館」と「大使館」 熊猫 07/6/24(日) 1:50 [添付]
[4666]Re(3):日本「総領事館」と「大使館」 熊猫 07/6/24(日) 2:06
[4668]占領後の十三連隊 熊猫 07/6/24(日) 23:39 [添付]
[4669]間違いであった・・・・。 熊猫 07/6/26(火) 0:25 [添付]
[4685]やっぱり間違いであった・・・・。 熊猫 07/7/15(日) 19:03 [添付]
[3768]Re(1):日本軍の司令部の位置は ピッポ 06/12/29(金) 22:32
[3769]Re(2):日本軍の司令部の位置は 熊猫 06/12/30(土) 8:46
[3714]Re(2):中国銀行南京支店 渡辺 06/12/24(日) 2:05
[3715]中国銀行南京支店 熊猫 06/12/24(日) 3:04 [添付]
[3741]Re(1):中国銀行南京支店 渡辺 06/12/27(水) 2:22
[3749]南京の銀行 熊猫 06/12/27(水) 22:53
[3747]Re(1):中国銀行南京支店 ピッポ 06/12/27(水) 22:29
[3751]Re(2):中国銀行南京支店 熊猫 06/12/28(木) 0:19
[3784]Re(2):中国銀行南京支店 熊猫 07/1/1(月) 10:48 [添付]
[3774]『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 熊猫 06/12/30(土) 23:17
[3776]Re(1):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 ピッポ 06/12/31(日) 9:29
[3777]Re(2):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 熊猫 06/12/31(日) 19:29
[3958]Re(3):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 渡辺 07/1/28(日) 2:30
[3783]首都飯店 熊猫 07/1/1(月) 9:44 [添付]
[3786]Re(1):首都飯店 ピッポ 07/1/1(月) 18:43
[3787]中央飯店 熊猫 07/1/1(月) 20:48 [添付]
[3790]Re(1):中央飯店 ピッポ 07/1/2(火) 7:50
[4493]Re(2):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 熊猫 07/5/25(金) 11:46
[4495]Re(3):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 熊猫 07/5/26(土) 13:54 [添付]
[5805]Re(1):上海儲備銀行 熊猫 08/9/26(金) 14:30
[3703]Re(1):ラーベの家の近くには「上海商業儲蓄銀行」 ピッポ 06/12/21(木) 23:39
[3705]Re(2):「上海商業儲蓄銀行」 渡辺 06/12/22(金) 1:34
[3717]Re(3):「上海商業儲蓄銀行」 ピッポ 06/12/24(日) 7:10
[3754]Re(4):「上海商業儲蓄銀行」 熊猫 06/12/28(木) 1:22 [添付]
[3755]ラーベの家 熊猫 06/12/28(木) 1:33 [添付]
[3756]Re(1):ラーベの家 ピッポ 06/12/28(木) 1:59

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[3111]新コンテンツ「続・夏淑琴さん...
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 ゆう E-MAILWEB  - 06/8/9(水) 22:08 -

引用なし
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   さて、どうにか仕上がりましたので、ご案内します。

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/tetteikenshou.html

K−Kさんの論稿を、おおいに参考にさせていただきました。また、夏さんの「傷」については、あるお医者様(お名前は出せませんが)にいろいろと医学的観点からのアドバイスをいただき、「バックデータ」として役立たせていただきました。お二方に、感謝いたします。

東中野氏の「論理」は一見して無茶だとわかるのですが、さていざそれを「誰でもわかるように」言語化しようとすると、大変な努力が必要になります。今回は、推敲に次ぐ推敲で、結構苦労しました。今後も、「より正確に、よりわかりやすく」の観点から、無断で微修正を繰り返す可能性がありますので、ご承知ください。

10回ぐらい推敲して、よし、これでOK、と書いてみた文章が、よく見直すとK−Kさんの文とほとんど同趣旨で、がっかりしてみたり。やはりK−Kさん、さすがですね。


昨日、星勝氏が『世界』誌上に「夏淑琴さん事件」に関する論稿を発表したとの報を受けて、さては先を越されたか、と少なからず焦ってしまったのですが、幸いにして重複部分はほとんどありませんでした。

星勝さんのルポにも少なからずお世話になっておりますので(こちらを覗いていらっしゃるかどうかわかりませんが)、合わせて感謝させていただきます。

[管理人一回修正:タイトルの長さ(元タイトル:新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か −東中野修道氏『「南京虐殺」の徹底検証』を検証する」)]
224 hits

[3112]Re(1):新コンテンツ「続・夏淑...
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 タラリ E-MAIL  - 06/8/9(水) 23:35 -

引用なし
パスワード
   ▼ゆうさん:
>さて、どうにか仕上がりましたので、ご案内します。

ご苦労様です。
東中野の文章に反論するとなると書いていてばからしくなって、続かないことが多い。そのくらい、ばかばかしい。彼が掲示板にでも出てくれば、いっそ簡単でよろしいのですが。

ちょっと意見を追加してみました。

ゆうさんwrote
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
それはともかくとして、そもそもなぜ東中野氏は、「姓名の確認を怠った」と断定できてしまうのでしょうか。「姓名を確認すること」と「その姓名を記録すること」とは、全く違うレベルの話であるはずです。

 記録を見ればわかる通り、マギーは少なくとも、「シア」「マア」という、被害者二家族の「姓」は確認していました。「"姓"名の確認を怠った」という東中野氏の記述は、正確なものではありません。

 そして唯一「姓」が記録されていない「近所の老婦人」にしても、常識的に考えれば、マギーとの初対面に当たって、「私は○○と申します」程度の「あいさつ」はするでしょう。 記録に残っていなかったとしても、それだけでは、マギーが「姓名の確認を怠った」と決め付ける材料にはなりません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

当時の中国人、特に貧しい一般家庭では、女性や子どもには「正式の」名前を付ける習慣がありません。李さんとこの三番目の息子(李三■、■にはいろんなパターンあり)とか、夏さんとこの曹さんから来た嫁さん(夏曹氏)とかの「名前」が普通です。成人した男子にあっても通称が多く見られます。

たとえば、日本でも明治時代以前は庶民の間では氏が一般的ではなく、名前も家族と近所のものが、区別がつけばいい、というほどの簡単なものでした。また、幼名があり、成人したら、別の名を名乗る、職業について一定のスキルを身に付ければ、先祖から代々引き継がれた名前を名乗る(歌舞伎や落語などにおける襲名は今も残る)というように非常に流動的です。

つまり近代的戸籍制度が確立する以前の伝統社会においては、当人が立ち回る範囲の地縁・血縁社会や、利益社会(ゲゼルシャフト)の中で他人と区別される名前、名前もどきさえあれば不自由しないのであって、そのような社会での名前の意義は現代とは違う。

中国で姓名を義務づけた近代的戸籍制度が作られたのは新中国以後です。たとえば李秀英の秀英などはなんと南京大虐殺の被害者の中にも同名が非常に多い。これは名前を義務づけた当時、多くのひとが適当に、というか聞き覚えのあるような名前を付けたため、特定の名前にかなり集中したためのようです。

したがって、その当時では姓名を確認する、ということにそれほどの重要性はなかったものと思われます。

東中野wrote
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  第四に、日本兵が玄関を開けさせ、突然入ってきた。そして、いきなり家主を撃ち殺したという。これは問答無用の計画的殺害であったことを窺わせる。ところが、どうしたことか、八歳と四歳の姉妹だけは殺されなかった。目撃者は消されるのが常であるにもかかわらず、なぜか二人は見逃された。それはなぜなのか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

どこそこの家に誰々がいるということを知っていて、誰と誰を殺す、あるいはすべてを殺すという事前計画があるのが「計画的殺人」です。日本兵がそのような情報を持っていたということはありえません。
事件の詳細を読めば、目に入る中国人を片端から殺すが、特に死んだかどうかの確認まではしていないのですから、「計画的殺害」とはとても言えません。行き当たりばったりの殺人でしょう。
「目撃者が消される」というのは警察が機能している都市での話です。
当時の南京に日本軍の暴行を取り締まる「警察」があったとでも言うのでしょうか。

東中野wrote
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  第六に、事件後、二人は古い敷布(シーツ)の下に隠れていたという。三十人近い日本兵が毎日盗みにやってきたという。人の気配は常に感知されるのだが、それにもかかわらず二人の幼児は十四日間も発見を免れた。それはなぜなのか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

その後も日本兵は時々部屋に入ってきたので、二人は古い布団の中に隠れていた。(『フォースター文書』)

からすると、兵士は「盗みにきた」というよりは何か食べるもの、使えるものがないか、と物色しにきた、くらいのことでしょう。兵士が人のいない家に入るのはそういう目的しかありませんから、「毎日盗みにきた」という、当時7歳の発言は特に問題とはなりません。あるいは中国語を介しての聞き取りの間に入り込んだ間違いかもしれません。
164 hits

[3122]Re(2):新コンテンツ「続・夏淑...
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 ゆう E-MAILWEB  - 06/8/10(木) 6:40 -

引用なし
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   ありがとうございます。助かります。

「マギーが姓名の記録を怠った」という疑問点3、実は最も苦労した場所でした。東中野氏の「論理」が無茶なのは直観でわかるのですが、それではどこがどうおかしいのか、を具体的に説明する作業には、少なからず手がかかる。

とりあえずは、あれ、よく見たら、ちゃんと「姓」は書いてあるじゃないか、東中野先生、引っ掛けたな、ということで一応の「解決」をつけたのですが、「そもそも正式の名前がなかったはず」というのは盲点でした。言われてみれば、その通り。

笠原氏か誰かの本で見た記憶はあるのですが、よろしければ、出典を教えていただけないでしょうか。


「計画的殺害」という表現にも、直観的に違和感を感じました。私はこの「違和感」を、

>しかし、「計画的殺害」という表現には、違和感を覚えざるを得ません。「犯人」は、初めから夏さんの家を狙っていたわけではないでしょう。「女がいる家を発見したら、家人を皆殺しにし、女をレイプして殺そう」。普通の感覚では、こんなものは「計画的殺害」とは言いません。

という言葉で表現しています。(未完成稿から変えた部分です)


また、

>「目撃者が消される」というのは警察が機能している都市での話です。
>当時の南京に日本軍の暴行を取り締まる「警察」があったとでも言うのでしょうか。

というのも、盲点。

このあたりは、タラリさんのご指摘を生かして、少し修正しておきたいと思います。
169 hits

[3156]東中野の屁理屈にお返し
←back ↑menu ↑top forward→
 タラリ E-MAIL  - 06/8/17(木) 23:31 -

引用なし
パスワード
   ▼ゆうさん:
>ありがとうございます。助かります。
>
>「マギーが姓名の記録を怠った」という疑問点3、実は最も苦労した場所でした。東中野氏の「論理」が無茶なのは直観でわかるのですが、それではどこがどうおかしいのか、を具体的に説明する作業には、少なからず手がかかる。
>
>とりあえずは、あれ、よく見たら、ちゃんと「姓」は書いてあるじゃないか、東中野先生、引っ掛けたな、ということで一応の「解決」をつけたのですが、「そもそも正式の名前がなかったはず」というのは盲点でした。言われてみれば、その通り。
>
>笠原氏か誰かの本で見た記憶はあるのですが、よろしければ、出典を教えていただけないでしょうか。

ゆうさんのHPに使われるとは恐れ入ります。
しかし、裕福でない中国人家族では、夫人、子どもの正式な名が付けられていなかったという資料を探しましたがまだ見つけていません。

「マギーが姓名の確認を怠った」件に対する反論についてですが、他の方向から考えて見ました。まず、「南京安全地帯の記録」において、人名についての記載がどうなっているか確認しました。これは否定派の冨澤繁信著「『南京安全地帯の記録』漢訳と研究」の索引によりました。

姓のみ    (例.陳)   92件
姓名(男)  (例.張黄綾) 65件
姓名(女)           2件(No.249、352[件名番号]) 
姓「氏」   (例.周氏)  14件
姓姓「氏」  (例.楊陳氏) 53件
姓「夫人」  (例.翁夫人) 17件


のようになっています。(#ざっと数えて見ました。数え間違いもあると思います。正確なものではありません。)
全体では400件を超える報告です。被害者の姓名がまったく記載されていない事件報告も多数あり、姓名まで記載したものはむしろ少数です。

女性らしい姓名を原文に当たって確認したところ2件を確認しました。丁寧に探せばもっとあるかも知れませんが、ごく少数です。ほとんどは姓姓「氏」、姓「夫人」の形式です。

それで、もっとも問題なのは東中野の屁理屈です。姓名が確認されていないということが信憑性がないということになるのか、という問題です。安全委員会は刑事警察、治安警察ではないので、調書を作成して、立件し、捜査し、犯人を逮捕するというような組織ではありません。個別の事件について犯人を特定する、被害者を救済するという目的でレポートを作成したのではなく、日本軍の暴行事例を日本領事官に報告して、善処を求める、という趣旨です。

したがって、実際にはこの記録の信憑性についてどう受け止められたのか、ということが問題です。この記録を読んだ領事館員は、「姓名がないから信憑性がない」として突き返したでしょうか。すべて日本外務省に送ったのではないでしょうか。

と考えるのは、もし姓名がないと信憑性がない、として受け取りを拒否されたとしたら、当然、ある時期からキチンと姓名を記載するようになったはずです。それがないということは、すべて疑いようのない記録として受け取られたということになります。

という理屈です。屁理屈をやっつけるには屁理屈程度の論理で切り返せば十分である、と思います。
196 hits

[3161]Re(1):東中野の屁理屈にお返し
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 ゆう WEB  - 06/8/20(日) 9:29 -

引用なし
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   とりあえず、タラリさんのご見解を私なりにアレンジして、追記させていただきました。感謝申上げます。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/tetteikenshou.html#3

「公式の名前がなかった」ことについては、確か李秀英さん裁判に絡んで、どなたかが記述していたと思いましたが・・・。私の方でも、捜してみます。
194 hits

[3162][投稿者削除]
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   - -

引用なし
パスワード
   この書き込みは投稿者によって削除されました。(06/8/20(日) 19:58)
199 hits

[3163]Re(2):東中野の屁理屈にお返し
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 タラリ E-MAIL  - 06/8/21(月) 21:38 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>とりあえず、タラリさんのご見解を私なりにアレンジして、追記させていただきました。感謝申上げます。
>http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/tetteikenshou.html#3
>
>「公式の名前がなかった」ことについては、確か李秀英さん裁判に絡んで、どなたかが記述していたと思いましたが・・・。私の方でも、捜してみます。

公式的な記述はわかりませんが、直接、中国の人にお尋ねしてみました。
女性は例示のように呼ばれたそうですし、
昔の農村では、とくに10歳も至らない子供に張三、李四など簡単な名前を使っていたそうです。
親が知識がなくて漢字も読めない場合もあるし、貧乏だからどうでもいい場合もあります。それから新中国になって全国一斉にというわけではなく、いまでもそういうことが否かではあるらしいです。子供が世の中に出るとちゃんとした名前にするそうです。
203 hits

[3165]名前
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 熊猫 E-MAIL  - 06/8/22(火) 1:11 -

引用なし
パスワード
   ▼ゆうさん:
>笠原氏か誰かの本で見た記憶はあるのですが、よろしければ、出典を教えていただけないでしょうか。

 それは『資料 ドイツ外交官の見た南京事件』202p〜205pを読んだ記憶だと思います。「拉致された女性の一覧表」を見たら解ることですが、ほとんどの女性に名前がありません(32人中31人に名前がありません)。
 本来、中国では氏名姓名では意味が違い、それだけでコンテンツが1つできそうなくらいディープな話題です。
 また中国語に小名[xiao3ming2]という言葉があり、仮に男子で名前があったとしても成人するまでは、小名(日本語訳:幼名)で呼ばれるものです。
 夏さんの証言からして、夏家の子供たちは排行[pai2hang2]で呼ばれていたかも知れませんね。
177 hits

[3167]あくまでも推論です。
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 熊猫 E-MAIL  - 06/8/22(火) 3:32 -

引用なし
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   夏淑琴
 排行[pai2hang2]の習慣として、伯[bo2]・仲[zhong4]・叔[shu1]・季[ji4]というのがあります。
 は中国語で全く同じ発音です。だけでなくも苗字に使われている文字です。
 夏さんを引き取った母方の叔父さんの姓が気になるところですが、でないことを祈るばかりです。
192 hits

[3182]被害者には3つの姓があると思...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/8/27(日) 16:33 -

引用なし
パスワード
   夏淑琴事件の被害者の姓は3つあるはずです。
■回族(イスラム教徒)の姓⇒哈?
■夏淑琴さんの父親の姓⇒夏?
■夏淑琴さんの祖父の姓⇒?=夏淑琴さんの叔父の姓

 マギーは、「夏淑琴」さんと夏淑琴さんの「叔父」と「近所の老婦人」の3人から聞き取りをおこなっており、「近所の老婦人」を含めれば、4つの姓がマギーの頭の中に混在したのではないでしょうか。またマギーが話を聞いた「近所の老婦人」は近所の人で夏家とは顔見知りだったのかもしれませんが、<事件の目撃者でもなければ、夏淑琴さんの親類でもなさそうですので、間違った情報をマギーに話していたとしても仕方のないことです。<blockquote style="background-color:#ccffff">『ドイツ外交官の見た南京事件』177pより
 彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。</blockquote> どの部分かは解りませんが、「近所の老婦人」から聞いた話が、マギーの証言の中に含まれているものと思います。
176 hits

[3185]Re(1):被害者には3つの姓があ...
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 ゆう E-MAILWEB  - 06/8/28(月) 20:43 -

引用なし
パスワード
   「名前」に関する議論、大変面白く拝見していますが、どうもまとめにくくて困っています。

「戦前における中国の女性の名前」について何かいい本をご存知の方、いらっしゃらないでしょうか?
165 hits

[3190]Re(2):被害者には3つの姓があ...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/8/30(水) 6:19 -

引用なし
パスワード
    本は知りませんが、妻従夫姓という中国語があります。私の手許の辞書には残念ながらその意味が書かれていません。既婚女性には苗字が2つあって名前がないことを指す言葉なのですが、適当な日本語が思いつきませんので熟語と考えましょう(^^;
 本来、中国において女性に名前がないのは当たり前のことで、既婚女性が夫の姓+父の姓+氏と名乗る妻従夫姓の習慣は、三国志の時代に始まり宋時代に中国全土に広がったようです。特別な女性を除き、婦人に名前がつけられるのは、「戊戌の変法」以降のことで、それも法律等で徹底していたわけではありません。
 1944年に『更名改姓及冠姓規則』が公布されたということは、それ以前は「名前のない女性がいた」ということです。問題はその比率になると思います。
 年代や地域によって違うと思いますが、『外交官の見た』の資料が参考になると思います。『この事実を・・・』では比率が下がっていますが、1944年以降に新しく名前をつけた女性もいるでしょうから、タラリさんが提示した暴行記録なんかも参考になると思います。
 
182 hits

[3192]Re(3):被害者には3つの姓があ...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/8/30(水) 9:07 -

引用なし
パスワード
   >1944年に『更名改姓及冠姓規則』が公布

 『更名改姓及冠姓規則』は1933年にも公布されていました。同じ内容のものが2度も公布されるとは考えにくいのですが、1933年版と1944年版の内容の違いについては解りません。
185 hits

[3198]Re(3):被害者には3つの姓があ...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/9/3(日) 16:44 -

引用なし
パスワード
   妻従夫姓を意識して三国志や水滸伝を読むとそれなりに名前のない女性がいるものです。
三国志:馬超の妻→楊氏、曹操の妻→卞氏

水滸伝:林冲の妻→張氏、花栄の妻→崔氏


 夏さんが来日したときに質問するのが確実でしょう。
191 hits

[3238]事件は12月13日だったので...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/9/15(金) 12:07 -

引用なし
パスワード
    夏淑琴事件は12月13日であったという根拠は、7歳の少女による2週間以上経過してからの証言であり、「近所の老女」あるいは「夏さんの叔父さん」は事件の目撃者ではありません。おそらく2週間というのも夏淑琴さんが発見された日より逆算してであり、目の前で家族が殺された7歳の少女が正確に日にちをカウントしていたとは到底考えられません。
 読み書きの出来ない7歳の少女が、「今日は○月○日である」などと認識できていなくても不自然ではありません。

 夏淑琴事件の発生日についても慎重に再考察するべきではないでしょうか。12月14日あるいはそれ以降に発生した事件であると考えることも出来ると思います。
155 hits

[3567]Re(1):新コンテンツ「続・夏淑...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/11/5(日) 0:09 -

引用なし
パスワード
   独立軽装甲車第2中隊 藤田實彦歩兵少佐
 ご存知、畝本正己氏の上官です。この方、南京戦の手記を書いています。
『戦車戦記』東京日日新聞社(昭和15年)
同書より引用します。
242p
 歩兵部隊の主力が中華門から続々南京城に入場したのは、十二月十三日の朝であった。もうこの時には中華門附近の城壁上には敵兵は一兵も姿なく、中華門を通過して城内に雪崩を打つて進撃する歩兵たちは、必ず城壁上にあがつて万歳を叫んでいつた。
 具体的な時間は書かれていませんが、「十二月十三日の朝であった」となっています。日本兵のアリバイが崩れました(笑)
 夏淑琴事件とは関係ありませんが、同手記には面白い記述があります。
226p〜227p
 十二月十二日午前七時頃、一斉に前進を起した。頭師見習士官の部隊、前田隊、井上隊、宮川隊の順序で、すぐ昨夕敵砲弾を喰つた処を過ぎ、左の耕地側に添うて左に曲がり百米位も前進すると、昨夕報告のあつた戦車壕がすでに工兵によつて完全に埋められてゐた。そこから道路は右に折れて真北に南京へ向つてゐる。道路の左側には小さい家がバラ/\と並び、更に曲り角から百米位前方の道路右側に煉瓦の壁に囲まれたやゝ大きな支那家屋がある。頭師小隊、前田小隊は本道上を逐次戦闘しながら前進してゆく。右手高地方面から盛んな銃声がする。自分は戦車をその大きな支那家屋のかげに入れさせ、下車して頭だけを囲壁の蔭から出し、敵状並びに地形をみると、斜右の高地を制圧すれば、頭師隊、前田隊の戦闘がより容易になりさうに思へたので、井上隊にその方面へ前進を命じしておいて、その支那家屋の内部を点検すると、驚いたことにガソリンが二千缶以上も積んである。『占めた』とばかり、早速その家の囲壁に『十二月十二日八時藤田戦車隊占領。この中にガソリン在り』と軍刀で煉瓦を削つて書いておいた。

 南京を占領した日本軍にはガソリンはたんまりとありました。そういえば、否定派の大先生の畝本正己氏は「ガソリンは無かった!」とは言わなかった気がします。
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[3569]感謝!
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 ゆう WEB  - 06/11/6(月) 7:57 -

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   「戦車戦記」、早速注文しました。確認の上、該当部分を私のページに追記します。

しかし、よくこんな本を発見されましたねえ。どこから辿ったのか、不思議です。
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[3596]Re(1):新コンテンツ「続・夏淑...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/11/17(金) 15:30 -

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   ▼ゆうさん:
>*被害者二家族の姓は、夏(シア)と哈(ハア)であったと伝えられます。マギーの記録した「マア」は、正確には「ハア」と書くべきだったでしょう。

 マア(馬:ma3)はマホメッドを表し、姓ではなくイスラム教徒を指している可能性があります。穆罕黙徳(マホメッド)の穆を楷音で読むと馬となるそうで、今でもイスラム教徒には馬という姓が多いそうです。(穆罕黙徳はマホメッドではなくムハメッドと表記するべきかも・・・)
 マギーに「マア」と説明したのは誰なのかは分かりませんが、イスラム教徒であることを伝えようとしたのを、マギーが姓と勘違いしたのではないかと思います。
 あとイスラム教の少数民族に多い姓が【馬】で他には【哈】【麻】という苗字があるそうです。被害者の方は、イスラム教の少数民族の方だったのかも知れませんね。
 
根拠は貧弱ですがマギーの調査には、いくつかの解釈の仕方が可能であるように思います。
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[3598]Re(2):新コンテンツ「続・夏淑...
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 渡辺  - 06/11/18(土) 0:35 -

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   ベイツ文書やラーベの日記にあるマギーのフィルムリストには Ha とあります。
タイプのとき、複数の薄い紙を重ねてカーボンコピーを作ったものでしょう。
元は Ha であったものが、タイプの状態が悪くて読み誤ったものと思われます。HとM、eとoなど、タイプされた資料では判読が難しいときがあります。

▼熊猫さん:
>▼ゆうさん:
>>*被害者二家族の姓は、夏(シア)と哈(ハア)であったと伝えられます。マギーの記録した「マア」は、正確には「ハア」と書くべきだったでしょう。
>
> マア(馬:ma3)はマホメッドを表し、姓ではなくイスラム教徒を指している可能性があります。穆罕黙徳(マホメッド)の穆を楷音で読むと馬となるそうで、今でもイスラム教徒には馬という姓が多いそうです。(穆罕黙徳はマホメッドではなくムハメッドと表記するべきかも・・・)
> マギーに「マア」と説明したのは誰なのかは分かりませんが、イスラム教徒であることを伝えようとしたのを、マギーが姓と勘違いしたのではないかと思います。
> あとイスラム教の少数民族に多い姓が【馬】で他には【哈】【麻】という苗字があるそうです。被害者の方は、イスラム教の少数民族の方だったのかも知れませんね。
> 
>根拠は貧弱ですがマギーの調査には、いくつかの解釈の仕方が可能であるように思います。
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[3599]Re(3):新コンテンツ「続・夏淑...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/11/18(土) 21:23 -

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   なるほど、タイプまでは気がつきませんでした(^^;
私はマアというのは夏淑琴さんが同居していた母方の祖父の苗字か、マホメット(イスラム教徒)を意味する言葉のどちらかとして、ずぅーーーーと思っていたんですがねぇ。盲点でした・・・・・。
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[3602]Re(4):新コンテンツ「続・夏淑...
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 渡辺  - 06/11/19(日) 12:51 -

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   中文訳ラーベの日記に掲載されているマギーのフィルムリストでも、「哈」になっています。原文がそうなっているからですね。

▼熊猫さん:
>なるほど、タイプまでは気がつきませんでした(^^;
>私はマアというのは夏淑琴さんが同居していた母方の祖父の苗字か、マホメット(イスラム教徒)を意味する言葉のどちらかとして、ずぅーーーーと思っていたんですがねぇ。盲点でした・・・・・。
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[3677]第十軍参謀・吉永朴少佐の証言
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/16(土) 15:40 -

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   『「南京事件」48人の証言』阿羅健一(小学館文庫)165pより
-----南京に入るのは何日ですか。
 「南京城攻撃の時、第十軍は洪藍埠に司令部がありました。この時になってはじめて砲兵が参加して、十二月十二日には大分の部隊が城壁に日章旗を立てました。私は、田辺(盛武少将)参謀長より軍司令部の設定を命ぜられましたので、十三日早朝、中華門から入りました。一キロほど行った朱雀路と建康路の交叉点のところに上海儲備銀行がありましたのでこれを軍司令部にあて、軍指令官が入られるように用意しました」
-----その時の南京の様子はどうでした?
 「城壁のそばには遺棄死体がありました。それは悲惨で、車に轢かれている死体もありました。これを見て、戦争には勝たなくてはいけない、敗けた国はみじめだ、と思いました。
 儲備銀行に行く途中、身なりいやしからぬ中国人の家族に会いましたので私は自分の名刺に、歩哨線を自由に通過させよ、と書いて渡しました。当日、家族が歩ける位ですから城内が落着いていることがわかると思います。また、城内に入る兵隊は制限されました。作戦主任でなかつたので詳しいことはここでは言えませんが、南京城攻撃の前、各師団に軍命令が出されています」
 夏さんや哈さん一家だけでなく、他の家族もいたことは阿羅健一氏の著書を読めば分かることです。東中野修道氏の主張を完全に否定する証言ではないかと思います。
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[3680]上海儲備銀行
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/16(土) 21:33 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : ginko01.JPG
・サイズ : 64.9KB
  
添付画像【ginko01.JPG : 64.9KB】 >一キロほど行った朱雀路と建康路の交叉点のところに上海儲備銀行がありましたのでこれを軍司令部にあて、軍指令官が入られるように用意しました

 智頭で確認する限り、証言の場所にあるのは上海儲備銀行ではなく、中央銀行です。同じ場所にあって、地図に記載されていないのか、中央銀行とは別称なのか、単なる記憶違いなのか?朱雀路と建康路の交叉点のところに軍司令部があったということは間違いないと思います。
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[3685]Re(1):上海儲備銀行
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 Apeman E-MAILWEB  - 06/12/19(火) 0:04 -

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   みなさま、はじめまして。いつも勉強させていただいております。

> 智頭で確認する限り、証言の場所にあるのは上海儲備銀行ではなく、中央銀行です。同じ場所にあって、地図に記載されていないのか、中央銀行とは別称なのか、単なる記憶違いなのか?朱雀路と建康路の交叉点のところに軍司令部があったということは間違いないと思います。

儲備銀行というのは、傀儡汪兆銘政権の中央銀行として上海につくられた(40年12月)、中央儲備銀行の支店のことなのではないでしょうか(小林秀夫、『日本軍政下のアジア』、岩波新書、による)。かつて中央銀行として使用されていた建物を接収して儲備銀行の支店にしたのだとすれば、記憶における時間の前後関係の混乱により当時「中央銀行」だった建物を「上海儲備銀行」と表現してしまったことは理解できます。もっとも、吉永参謀が40年12月以降の南京の様子を知っていれば、のはなしになりますが。
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[3689]訂正
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 Apeman E-MAILWEB  - 06/12/19(火) 18:52 -

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   自己レスで訂正です。別件で南京陥落前後の司令官、参謀クラスの日記を読み直していたところ、第十軍参謀山崎正男少佐の12月14日の日記に「軍司令部位置タル「上海儲備銀行」ニ到着」「当銀行ハ英国系ト聞ク」という記述があるのに気づきました。こちらは日記ですので後日の体験との混同ということはあり得ず、昨日の投降は的外れだったということになります。すみませんでした。
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[3690]南京の中央儲備銀行
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/20(水) 6:48 -

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   はじめまして、熊猫です。

中央儲備銀行は1941年1月に新街口に開業したそうです。1ヶ月の違いは深く考えないようにしましょう(^^)
中国は近代史の文献においても、平気で年代や人名を間違えていることが多々あります。
中央銀行は1928年11月15日に健康路230号で開業しています。

 2つの銀行は住所が違うので無関係と思っていたのですが、中央銀行が接収されて中央儲備銀行となっていたんですね。これが1946年に中央銀行として元の場所に引っ越して営業を再開したので、接収されて中央儲備銀行になっていたことは知りませんでした。
 儲備銀行とは外資系の銀行を意味するようです。日本語に訳すと「備蓄銀行」なりますが、儲備[chu3bei4]を単純に備蓄と訳すと誤解するようです。中央儲備銀行は日本系の銀行だそうです。

 中央銀行は国民党政府が運営していました(宋子文が行長)ので、上海儲備銀行の別称であるとは考えられません。上海儲備銀行は隣接した場所にあったか、中央銀行と同じ建物を共有していたと思われます。中央銀行が営業を再開したときには、同じ建物に金城銀行が営業をしています。
 上海儲備銀行で調べた時は分かりませんでしたが、中央儲備銀行で調べると多くのことが分かりました。有難うございます。
212 hits

[3694]Re(1):南京の中央儲備銀行
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 渡辺  - 06/12/20(水) 13:59 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : crbc_note.jpg
・サイズ : 69.5KB
  
添付画像【crbc_note.jpg : 69.5KB】 ▼熊猫さん:
> 儲備銀行とは外資系の銀行を意味するようです。日本語に訳すと「備蓄銀行」なりますが、儲備[chu3bei4]を単純に備蓄と訳すと誤解するようです。中央儲備銀行は日本系の銀行だそうです。

中央儲備銀行は、1940年に設立された傀儡政権の銀行です。
つまり、中央儲備銀行発行の銀行券は「国幣」です。もちろん、現在の中国では「日偽政権発行的紙幣」に分類されます。
中央儲備銀行の英語表記は、 The Central Reserve Bank of China になります。
上海儲備銀行は多分、Shanghai Savings Bank か Shanghai Reserve Bank のいずれかの中国語名でしょう。
205 hits

[3696]Re(2):南京の中央儲備銀行
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/21(木) 9:14 -

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    私は、朝鮮銀行と中央儲備銀行は日本の出資で開設したと認識しておりました。儲備銀行というのは素直に備蓄(貯蓄)銀行と解釈するべきなんでしょうか?儲備銀行に外資系が多いのは為替のためかも知れませんね。もう少し調べてみます。
183 hits

[3699]Re(3):南京の中央儲備銀行
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 eichelberger_1999 E-MAIL  - 06/12/21(木) 11:39 -

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    中国語および当時の中国の銀行については無知なので、これはまったくの推測にすぎないのですが、儲備銀行が「準備銀行」という意味なのであれば、この「上海儲備銀行」は、「中央銀行」の別名であった(中央銀行が疎開したあと、この名称に変更された)可能性もあります。

 1935年の幣制改革により中央銀行は、中央準備銀行の機能をはたすことになったわけですが、それにふさわしく改組することが企図され、1937年6月には、改組法案が立法院で検討されていました。その新中央銀行の名称は「中央儲備銀行」となるはずでしたが、日中戦争がおこったため流れてしまいます。

 熊猫さんご紹介の地図でも、「上海儲備銀行」の場所は「中央銀行」と重なっていますし、法幣の発券銀行である中央銀行が外貨準備として外国為替を取り扱うのは自然なことです。

 また、幣制改革がイギリスの支援で成功したことを思うと、山崎少佐が英国系と勘違いしたのも、うなずけるかもしれません。

 もちろん、中央銀行と別に上海儲備銀行なる銀行が存在していたのであれば、以上の推測はまったくのハズレであったことになります。
188 hits

[3703]Re(1):ラーベの家の近くには「...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/21(木) 23:39 -

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   ラーベの日記12月22日
http://latemhk.tdiary.net/20061222.html
 
そのあいだも、軍の放火はやまない。火事が上海商業儲蓄銀行(※)のそばの家、つまりメインストリートの西側にまで拡がったら、とはらはらしどおしだ。あのあたりはもう安全区に入っている。そうなったらわが家も危ない。

※(英文)"the Skanghai Com-Sav Bank"


ラーベの日記12月23日

六時。家へむかって車を走らせていると、中山路の橋の手前が炎に包まれていた。ありがたいことに、風向きはわが家と逆方向だった。火の粉が北へ舞っている。同じころ、上海商業儲蓄銀行の裏からも火の手があがっていた。これが組織的な放火だということぐらい、とっくにわかっている。しかも橋の手前にある四軒はすでに安全区のなかにあるのだ。

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[3705]Re(2):「上海商業儲蓄銀行」
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 渡辺  - 06/12/22(金) 1:34 -

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   ▼ピッポさん:
>ラーベの日記12月22日
>http://latemhk.tdiary.net/20061222.html
>そのあいだも、軍の放火はやまない。火事が上海商業儲蓄銀行(※)のそばの家、つまりメインストリートの西側にまで拡がったら、とはらはらしどおしだ。あのあたりはもう安全区に入っている。そうなったらわが家も危ない。
>
>※(英文)"the Skanghai Com-Sav Bank"

はいはい、 Shanghai Comsav Bank、つまり Shanghai Commercial and Savings Bank ね。多謝。
Wikipedia:
http://en.wikipedia.org/wiki/Shanghai_Commercial_and_Savings_Bank

とほほさん、画像のファイル名変更ありがとうございました。
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[3706]Re(1):上海儲備銀行
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/22(金) 10:10 -

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   ▼熊猫さん:
>>一キロほど行った朱雀路と建康路の交叉点のところに上海儲備銀行がありましたのでこれを軍司令部にあて、軍指令官が入られるように用意しました
>
> 智頭で確認する限り、証言の場所にあるのは上海儲備銀行ではなく、中央銀行です。同じ場所にあって、地図に記載されていないのか、中央銀行とは別称なのか、単なる記憶違いなのか?朱雀路と建康路の交叉点のところに軍司令部があったということは間違いないと思います。

畝本正巳氏は、南京城内に置かれた司令部について次のようにいってます。

上海派遣軍司令部(朝香宮中将)は、中支那方面軍の前線指揮所を兼ねて、十三日、湯水鎮にあったが、十三日夜から十四日にわたり、中国の敗残部隊に襲撃され、松井大将は十四日午後四時ごろ、湯水鎮に到着している。

また、第十六師団司令部は十五日、中山門内の中央飯店に入つたが、不便なため後日、国民政府の総理府跡に移動している。第十軍司令部(柳川平助中将)は、十四日正午過ぎ、中華門内の南京路の上海儲備銀行(現在の人民銀行南京分行)に司令部を置いている(当時の軍参謀・谷田勇氏の証言)。

つづけて、ラーベの日記12月15日とティンパーリィ書における、原田熊吉少将との交通銀行司令部との面会の記述を批判している。

「なお、十五日朝、福田氏は日本軍代表関口とともに当処を訪問。正午当委員会代表ぱ特務機関長と交通銀行で面談した」と記している(ティンパーリィ「外国人の見た日本軍の暴行」二〇二頁)。

福田篤泰氏によると、日本軍入城後ただちに新街口の中国銀行南京支店に入り、ここで特務機関と一緒に領事館業務を再開したが、日高信六郎参事官らが船便で南京に到着したのは、南京陥落後四日ごろ(十七、八日)といわれる。中支那方面軍司令部が首都飯店で業務を開始したのも、ちょうどこの頃であった。

したがって、中国銀行南京支店で福田氏らと話し合い、特務機関長?(南京)と協定したのではあるまいか。海軍の関口大尉が福田氏とともに委員会を訪問したとは。関口手記と喰い違う。関係者が故人のため、明らかにできないが、日本軍司令部は交通銀行には置かれていなかった。
(以上、畝本「真相・南京事件―ラーベ日記を検証して」p92―93)


上記をまとめると・・・
16師団司令部:(15日)中央飯店⇒蒋介石公館
上海派遣軍司令部(兼中支那方面軍):湯水鎮⇒(17or18)首都飯店
第十軍司令部:⇒(14日)中華門内の南京路の上海儲備銀行(現在の人民銀行南京分行)
ほかに、特務本部など。

たぶん、ラーベは福田篤泰にたぶん臨時の特務司令部兼領事事務所につれていかれ、「軍政のheadquarterです」とか、紹介されたのであろう。なお、原田熊吉は日本大使館が南京を撤収するまでは、大使館付武官。南京の地理は熟知しており、大使館員ともじっこんのはず。


☆畝本氏への批判があればお願いします。
159 hits

[3707]上海儲備銀行ではなく上海商業...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/23(土) 0:55 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : koutuuyinhang.jpg
・サイズ : 31.3KB
  
添付画像【koutuuyinhang.jpg : 31.3KB】  吉永朴少佐はを勘違いしていました。上海商業儲蓄銀行南京分行が正しい呼称です。南京分行というのは、南京支店という意味です。
 ラーベが話し合いをしたという交通銀行南京分行の写真を提示します。ラーベが南京に居住して何年になるか考えて欲しいものです。ラーベが交通銀行を間違えるはずもありませんし、そのような嘘をつく必要も全くありません。また、これだけのビルを日本軍が使用せずに放置するはずもありません。余程の馬鹿でない限りは利用するでしょ。
 写真を見れば分かることですが、場所は新街口です。交通銀行の別称は京行と言い、この建物が中央儲備銀行南京分行になりました。
 ラーベが司令部と判断したのは、ごく自然な成り行きのように思います。

南京路?
 何処でしょうか?この地名は知りません。まさか上海?
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[3709]Re(1):上海儲備銀行ではなく上...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/23(土) 9:51 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
早速のレス、
いつも詳しいデータありがとう御座います。

> ラーベが話し合いをしたという交通銀行南京分行の写真を提示します。ラーベが南京に居住して何年になるか考えて欲しいものです。ラーベが交通銀行を間違えるはずもありませんし、そのような嘘をつく必要も全くありません。また、これだけのビルを日本軍が使用せずに放置するはずもありません。余程の馬鹿でない限りは利用するでしょ。
> 写真を見れば分かることですが、場所は新街口です。交通銀行の別称は京行と言い、この建物が中央儲備銀行南京分行になりました。
> ラーベが司令部と判断したのは、ごく自然な成り行きのように思います。

仰るとおりですね。
軽装甲車小隊長だった畝本さんが如何に『南京通』ぶっても、大使館官補であった福田トクヤスさんが如何に『安全区通』ぶっても、ラーベさんに敵うはずがありませんよね。

ところで、この「新街口=ポツダム広場」の写真には綺麗な花壇が写っていますが、何時の写真ですか?


>南京路?
> 何処でしょうか?この地名は知りません。まさか上海?
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