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[3111]新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か ゆう 06/8/9(水) 22:08
[3112]Re(1):新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か −東中野修道氏『「南... タラリ 06/8/9(水) 23:35
[3122]Re(2):新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か −東中野修道氏『「南... ゆう 06/8/10(木) 6:40
[3156]東中野の屁理屈にお返し タラリ 06/8/17(木) 23:31
[3161]Re(1):東中野の屁理屈にお返し ゆう 06/8/20(日) 9:29
[3162][投稿者削除]
[3163]Re(2):東中野の屁理屈にお返し タラリ 06/8/21(月) 21:38
[3165]名前 熊猫 06/8/22(火) 1:11
[3167]あくまでも推論です。 熊猫 06/8/22(火) 3:32
[3182]被害者には3つの姓があると思います。 熊猫 06/8/27(日) 16:33
[3185]Re(1):被害者には3つの姓があると思います。 ゆう 06/8/28(月) 20:43
[3190]Re(2):被害者には3つの姓があると思います。 熊猫 06/8/30(水) 6:19
[3192]Re(3):被害者には3つの姓があると思います。 熊猫 06/8/30(水) 9:07
[3198]Re(3):被害者には3つの姓があると思います。 熊猫 06/9/3(日) 16:44
[3238]事件は12月13日だったのでしょうか? 熊猫 06/9/15(金) 12:07
[3567]Re(1):新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か 熊猫 06/11/5(日) 0:09
[3569]感謝! ゆう 06/11/6(月) 7:57
[3596]Re(1):新コンテンツ「続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か 熊猫 06/11/17(金) 15:30
[3598]Re(2):新コンテンツ「続・夏淑琴さん: HaとMa 渡辺 06/11/18(土) 0:35
[3599]Re(3):新コンテンツ「続・夏淑琴さん: HaとMa 熊猫 06/11/18(土) 21:23
[3602]Re(4):新コンテンツ「続・夏淑琴さん: HaとMa 渡辺 06/11/19(日) 12:51
[3677]第十軍参謀・吉永朴少佐の証言 熊猫 06/12/16(土) 15:40
[3680]上海儲備銀行 熊猫 06/12/16(土) 21:33 [添付]
[3685]Re(1):上海儲備銀行 Apeman 06/12/19(火) 0:04
[3689]訂正 Apeman 06/12/19(火) 18:52
[3690]南京の中央儲備銀行 熊猫 06/12/20(水) 6:48
[3694]Re(1):南京の中央儲備銀行 渡辺 06/12/20(水) 13:59 [添付]
[3696]Re(2):南京の中央儲備銀行 熊猫 06/12/21(木) 9:14
[3699]Re(3):南京の中央儲備銀行 eichelberger_1999 06/12/21(木) 11:39
[3706]Re(1):上海儲備銀行 ピッポ 06/12/22(金) 10:10
[3707]上海儲備銀行ではなく上海商業儲蓄銀行です。 熊猫 06/12/23(土) 0:55 [添付]
[3709]Re(1):上海儲備銀行ではなく上海商業儲蓄銀行です。 ピッポ 06/12/23(土) 9:51
[3710]Re(1):交通銀行の場所 ピッポ 06/12/23(土) 10:29 [添付]
[3712]新街口 熊猫 06/12/23(土) 15:28 [添付]
[3713]Re(1):日本「総領事館」と「大使館」 ピッポ 06/12/23(土) 19:06
[3716]Re(2):日本「総領事館」と「大使館」 熊猫 06/12/24(日) 4:43
[4665]Re(2):日本「総領事館」と「大使館」 熊猫 07/6/24(日) 1:50 [添付]
[4666]Re(3):日本「総領事館」と「大使館」 熊猫 07/6/24(日) 2:06
[4668]占領後の十三連隊 熊猫 07/6/24(日) 23:39 [添付]
[4669]間違いであった・・・・。 熊猫 07/6/26(火) 0:25 [添付]
[4685]やっぱり間違いであった・・・・。 熊猫 07/7/15(日) 19:03 [添付]
[3768]Re(1):日本軍の司令部の位置は ピッポ 06/12/29(金) 22:32
[3769]Re(2):日本軍の司令部の位置は 熊猫 06/12/30(土) 8:46
[3714]Re(2):中国銀行南京支店 渡辺 06/12/24(日) 2:05
[3715]中国銀行南京支店 熊猫 06/12/24(日) 3:04 [添付]
[3741]Re(1):中国銀行南京支店 渡辺 06/12/27(水) 2:22
[3749]南京の銀行 熊猫 06/12/27(水) 22:53
[3747]Re(1):中国銀行南京支店 ピッポ 06/12/27(水) 22:29
[3751]Re(2):中国銀行南京支店 熊猫 06/12/28(木) 0:19
[3784]Re(2):中国銀行南京支店 熊猫 07/1/1(月) 10:48 [添付]
[3774]『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 熊猫 06/12/30(土) 23:17
[3776]Re(1):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 ピッポ 06/12/31(日) 9:29
[3777]Re(2):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 熊猫 06/12/31(日) 19:29
[3958]Re(3):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 渡辺 07/1/28(日) 2:30
[3783]首都飯店 熊猫 07/1/1(月) 9:44 [添付]
[3786]Re(1):首都飯店 ピッポ 07/1/1(月) 18:43
[3787]中央飯店 熊猫 07/1/1(月) 20:48 [添付]
[3790]Re(1):中央飯店 ピッポ 07/1/2(火) 7:50
[4493]Re(2):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 熊猫 07/5/25(金) 11:46
[4495]Re(3):『真相・畝本正己-ラーベ日記を検証して-』 熊猫 07/5/26(土) 13:54 [添付]
[5805]Re(1):上海儲備銀行 熊猫 08/9/26(金) 14:30
[3703]Re(1):ラーベの家の近くには「上海商業儲蓄銀行」 ピッポ 06/12/21(木) 23:39
[3705]Re(2):「上海商業儲蓄銀行」 渡辺 06/12/22(金) 1:34
[3717]Re(3):「上海商業儲蓄銀行」 ピッポ 06/12/24(日) 7:10
[3754]Re(4):「上海商業儲蓄銀行」 熊猫 06/12/28(木) 1:22 [添付]
[3755]ラーベの家 熊猫 06/12/28(木) 1:33 [添付]
[3756]Re(1):ラーベの家 ピッポ 06/12/28(木) 1:59

/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
[3710]Re(1):交通銀行の場所
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/23(土) 10:29 -

引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : safetyzone-01_marked.jpg
・サイズ : 145.7KB
  
添付画像【safetyzone-01_marked.jpg : 145.7KB】 熊猫さん
いつぞやは、ラーベの家がどこか分からないと大騒ぎしてご迷惑をかけました。
灯台下暮らしで、「南京の真実」巻頭に地図がありました。(添付)

しかし、この地図は信用できないところがあるのでは、と思っています、
私がヘンだと思うのは、「日本領事館」です。


なお、「交通銀行」ですが、紫金山が背後に映ってることから、ポイントした位置にあったと思量します。
169 hits

[3712]新街口
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/23(土) 15:28 -

引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : File0007.jpg
・サイズ : 110.5KB
  
添付画像【File0007.jpg : 110.5KB】  前回の写真は1946年のものです。屋上に留意してください。交通銀行南京分行が1935年に竣工したときには、地下一階、地上四階の五階建てでしたが日本軍が占領後に屋上に、二階建の建物を増築しましたので、七階建ての建物になりました。

 いや〜、我ながら再考のまとめが出来たのですが何度やっても投稿できずに投稿内容が消去されてしまいました。まあ、逃がした魚は大きいということで、ホラの一つや二つは許されるでしょう

 交通銀行の位置はピッポさんの認識で問題ないと思います。今回はラーベが見た景色に近いものを提示します。
 屋上に二階建ての建物がないことと、広場の中央に爆弾型のオブジェがあります。
187 hits

[3713]Re(1):日本「総領事館」と「大...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/23(土) 19:06 -

引用なし
パスワード
   ところで、
http://www.history.gr.jp/~nanking/fukei_dec14_01.html
この写真の施設と
http://www.history.gr.jp/~nanking/fukei_dec18_04.html
この写真の建物は

日本「総領事館」と「大使館」、同じモノですよね?
186 hits

[3714]Re(2):中国銀行南京支店
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 渡辺  - 06/12/24(日) 2:05 -

引用なし
パスワード
   ▼ピッポさん:
>つづけて、ラーベの日記12月15日とティンパーリィ書における、原田熊吉少将との交通銀行司令部との面会の記述を批判している。

>「なお、十五日朝、福田氏は日本軍代表関口とともに当処を訪問。正午当委員会代表ぱ特務機関長と交通銀行で面談した」と記している(ティンパーリィ「外国人の見た日本軍の暴行」二〇二頁)。
...
>したがって、中国銀行南京支店で福田氏らと話し合い、特務機関長?(南京)と協定したのではあるまいか。海軍の関口大尉が福田氏とともに委員会を訪問したとは。関口手記と喰い違う。関係者が故人のため、明らかにできないが、日本軍司令部は交通銀行には置かれていなかった。
>(以上、畝本「真相・南京事件―ラーベ日記を検証して」p92―93)

「中国銀行南京支店」って、中国語では「中国銀行南京分行」のことだと思います。
現代の地図で見ると、中国銀行南京分行は新街口の広場の、1937年には交通銀行があったところのようです。だから、「特務機関長と交通銀行で面談した」というのは、そのとおりでしょう。
162 hits

[3715]中国銀行南京支店
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/24(日) 3:04 -

引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : sha002.JPG
・サイズ : 271.3KB
  
添付画像【sha002.JPG : 271.3KB】 中国銀行なら下関っす!
まさか、下関にラーベを呼んだりしないでしょう。
172 hits

[3716]Re(2):日本「総領事館」と「大...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/24(日) 4:43 -

引用なし
パスワード
   私は同じものと鑑定しました。
198 hits

[3717]Re(3):「上海商業儲蓄銀行」
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/24(日) 7:10 -

引用なし
パスワード
   渡辺さん、熊猫さん
いろいろお答えありがとうございます。

ついでといっては何ですが、お手元の地図には
・「上海商業儲蓄銀行」とか
・中山路と広州路の交差点近くの「橋」とか
はあるでしょうか?

ラーベの日記を読みますと、12月22日、12月23日の2度にわたって不審火があり、
安全区への延焼が謀られた、といった内容です。

12月23日

I'm driving home at 6 o'clock this evening and discover a whole row of houses going up in flames on this side of the bridge railing on Chung Shan Lu. Luckily the wind is blowing in our favor, the rain of sparks is drifting north. At the same time another building behind the Shanghai Com-Sav Bank bursts into flames. It is no longer a secret that we are dealing here with systematic arson. The four houses next to the bridge railing are inside our Safe Zone.




176 hits

[3741]Re(1):中国銀行南京支店
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 渡辺  - 06/12/27(水) 2:22 -

引用なし
パスワード
   ▼熊猫さん:
>中国銀行なら下関っす!
>まさか、下関にラーベを呼んだりしないでしょう。

引用された証言にある「中国銀行南京支店」が現在の名称と考えると、つじつまが合うという意味です。説明不足でした。

板倉氏は次のように書いています。
「福田氏は外交官補として十三日午後、特務機関と共に中山門から入場、しばらく中央ロータリー角の交通銀行にいて、国際委員会との連絡に当たり、公式文書には福田氏あてのものが多い」(「南京大虐殺」の真相(続)『世界と日本』昭和59年6月15日号,p.78)

畝本氏は交通銀行の位置を知らなかったので、「中国銀行南京支店」が別の銀行だと考えたのでしょう。ラーベの日記が正しいわけです。
何十年も前の回想と、当時書かれた文書や日記(厳密に言うと日記を整理したもの)との間に違いがある場合は、回想のほうを普通は疑うものですが、畝本氏も板倉氏も、逆のことをしています。

そういえば、『浅羽町史』を編纂された小池善之氏が現地調査をされ、下関の中国銀行(現在の「華夏銀行」)は5階建てで、屋上に2階増築されたと『静岡県近代史研究』(第24号,1998年)に書いていたと思います。後で、調べてみます。
中国銀行は、軍事郵便を書いた人の所属した第二卒輸隊がいたところです。
『浅羽町史』の軍事郵便についてはご存知だと思いますが、urlを掲載します。
http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/asaba.htm
180 hits

[3747]Re(1):中国銀行南京支店
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/27(水) 22:29 -

引用なし
パスワード
   ▼熊猫さん:
>中国銀行なら下関っす!
>まさか、下関にラーベを呼んだりしないでしょう。

ところがというべきか、

前に熊猫さんご提供の地図には、下関でもなく新街口でもない、中華門から北へ2キロのところに、中国銀行があるのです。44番です。(交通銀行もその近く40番)

南京市街図1937・9・1(大阪毎日)


南京には支店がいくつもあったということでしょうか?
それとも、日本製の地図がいいかげんだったのでしょうか?

,
175 hits

[3749]南京の銀行
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/27(水) 22:53 -

引用なし
パスワード
   南京分行
 南京支店という意味ですが、1ヵ所ではなく2ヶ所以上ある場合がありました。以下、解る範囲内だけでも提示します。
中央銀行---「建康路230号」と「中山北路2号」。
上海商業儲蓄銀行---「朱雀路と建康路の交叉点のところ(吉永朴少佐の証言)」と「中山路(ラーベの日記)」。

 1937年以降のことですが、同じ建物に複数の銀行が開設されている場合があります。
中央銀行金城銀行が「建康路205号」で、朝鮮銀行中央儲備銀行が、「中山東路1号(交通銀行南京支店)」で営業をしています。

 つまり、南京の銀行は1ヵ所ではなく、また他の銀行と同じ建物を共有している場合があるということです。
183 hits

[3751]Re(2):中国銀行南京支店
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/28(木) 0:19 -

引用なし
パスワード
    白下路に中国銀行交通銀行がありますね。中山東路1号だけでなく、白下路の交通銀行と中国銀行は他の地図でも確認しました。複数あったということでしょう。
184 hits

[3754]Re(4):「上海商業儲蓄銀行」
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/28(木) 1:22 -

引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : kitamonnbasi0.JPG
・サイズ : 81.1KB
  
添付画像【kitamonnbasi0.JPG : 81.1KB】 >・中山路と広州路の交差点近くの「橋」とか
はあるでしょうか?

 橋の名前は解りませんが、広州路と中山路交差点の近くにクリークの後らしきものがあり、橋があります。ラーベの家は実際にはもっと、中山路の側です。現在は、広州路の南側にあるクリークは埋め立てられて、北門橋等も無くなっています。
 ラーベの家の住所は「広州路小粉橋1号」なので、「小粉橋」かも知れませんね。
181 hits

[3755]ラーベの家
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/28(木) 1:33 -

引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : kitamonnbasi03.JPG
・サイズ : 81.5KB
  
添付画像【kitamonnbasi03.JPG : 81.5KB】 この地図の場所が一番正確だと思います。
185 hits

[3756]Re(1):ラーベの家
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/28(木) 1:59 -

引用なし
パスワード
   ▼熊猫さん:
>この地図の場所が一番正確だと思います。

ウォー!凄い!
ラーベの家の住所自身が、広州路小粉橋と橋がつくのですね。
南側に水路か河が東西に流れていて、沼もいっぱいある。

名前は小粉橋でないかもしれないけど、広州路と中山路の交差点にも橋がある。

12月22日と23日の放火の疑い、23日の日記では

六時。家へむかって車を走らせていると、中山路の橋の手前が炎に包まれていた。ありがたいことに、風向きはわが家と逆方向だった。火の粉が北へ舞っている。同じころ、上海商業儲蓄銀行の裏からも火の手があがっていた。これが組織的な放火だということぐらい、とっくにわかっている。しかも橋の手前にある四軒はすでに安全区のなかにあるのだ。


橋と四軒の位置関係がよく分かるような気がします。
ありがとう御座いました。
198 hits

[3768]Re(1):日本軍の司令部の位置は
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/29(金) 22:32 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
> 吉永朴少佐はを勘違いしていました。上海商業儲蓄銀行南京分行が正しい呼称です。南京分行というのは、南京支店という意味です。

結局、
日本軍の司令部があった場所を整理すると、南京城内全体図上ではどうなりますか?

第十軍司令部:中華門を入って直ぐの(1)上海商業儲蓄銀行南京分行
第一六師団司令部:(2)中央飯店⇒(3)蒋介石公館
中支那方面軍司令部兼上海派遣軍司令部:(4)首都飯店
173 hits

[3769]Re(2):日本軍の司令部の位置は
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/30(土) 8:46 -

引用なし
パスワード
    司令部という言葉に惑わされていたようです。歩兵第7連隊の司令部は安全区の中にありました。「軍司令部」「師団司令部」「旅団司令部」「連隊司令部」で考える必要があるのかなと思います。これらはリアルタイムで移動しますので、何時の時点での司令部の位置なのかという問題もあります。16師団は上海派遣軍とは別の場所に司令部を設置していますので、他の師団の司令部の位置も気になります。

 畝本氏は軍人として、幼稚な誤解をしています。当時の日本軍の兵力や行動は一般人には極秘でした。ましてや情報の閉ざされた空間に居た、外国人のサラリーマンのラーベが連隊長が誰で旅団長が誰なのか知るはずもありません。
 ラーベにとって、それらしい仕官が居れば、そこが司令部であり「軍司令部」「師団司令部」「旅団司令部」ではなく、彼との交渉窓口が司令部であっただけのことでしょう。

第十軍司令部
 軍司令部レベルで謎なのは第十軍司令部ですが、上海儲備銀行ではなく上海商業儲蓄銀行ということで問題はないと思います。ラーベの日記に記載されている上海商業儲蓄銀行は中山路のところですから、吉永証言の「朱雀路と建康路の交叉点のところ(実際には交叉点ではなくT字路)」で考えるべきでしょう。
上海商業儲蓄銀行は・・・・
 ■中央銀行に間借りしていた。建康路230号
 ■江蘇銀行に間借りしていた。朱雀路の突き当たり
 ■地図には記載されていないが、中央銀行より朱雀路の対面に建物があった? 他の部隊に比べ第十軍司令部が質素な建物に司令部を設置するか?
 ■現在の人民銀行南京分行(谷田勇証言)これは絶対にありません。記憶違いもはなはだしい。人民銀行は白下区建[業にオオザト]路88号で全く場所が違います。中央銀行を人民銀行と勘違いしたか?
177 hits

[3774]『真相・畝本正己-ラーベ日記...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/30(土) 23:17 -

引用なし
パスワード
   >☆畝本氏への批判があればお願いします。

 畝本正己が検証すべきは、ラーベの日記ではなく自分が提示したエビデンスです。
第十軍司令部(柳川平助中将)は、十四日正午過ぎ、中華門内の南京路の上海儲備銀行(現在の人民銀行南京分行)に司令部を置いている(当時の軍参謀・谷田勇氏の証言)。
 中華門内の何処に南京路があるのでしょうか、この時点で自説の間違いに気付いて欲しいものですが、現在の人民銀行南京分行は勿論、南京路にはありませんし見当違いの場所にあります。
165 hits

[3776]Re(1):『真相・畝本正己-ラー...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/12/31(日) 9:29 -

引用なし
パスワード
   ▼熊猫さん:
> 畝本正己が検証すべきは、ラーベの日記ではなく自分が提示したエビデンスです。
第十軍司令部(柳川平助中将)は、十四日正午過ぎ、中華門内の南京路の上海儲備銀行(現在の人民銀行南京分行)に司令部を置いている(当時の軍参謀・谷田勇氏の証言)。
 中華門内の何処に南京路があるのでしょうか、この時点で自説の間違いに気付いて欲しいものですが、現在の人民銀行南京分行は勿論、南京路にはありませんし見当違いの場所にあります。

熊猫さんのおっしゃることからすると、畝本氏が本当に南京にいたかどうかすら疑われますね。ほとんどが極度な伝聞情報です。この人が、ラーベの記述は伝聞で信用できない、と声高に言うのですから不思議です。

畝本氏は南京のなんどこいらへんに駐屯してたのでしょうか?

※ ところで首都飯店は、中山北路にありということですが、どのへんですか?鼓楼からも近いのですか?
176 hits

[3777]Re(2):『真相・畝本正己-ラー...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/31(日) 19:29 -

引用なし
パスワード
    畝本正己は、自身の南京での行動は硬く口を閉ざしたままなので謎ですが、著書を読めばその身勝手な思考回路が解ります。
『真相・南京事件-ラーベ日記を検証して-』畝本正己(文京出版)より引用

▼「民間人」という用語の解釈と南京戦場の実態
 ラーべが「民間人」という言葉を、どのような意味に解したかは不明であるが、一般的には「軍・政府・官庁などの公的な機関に属さない人」を呼称する言葉であろう。民間人=即「非戦闘員」とは限らない。民間人であっても、戦争の時には、軍に協力したり、直接戦闘に参加することがある。
 南京戦で「民間人五万〜六万人殺害」という「民間人」は、純粋な意味の「平和的市民」のみを示すものではあるまい。南京においてほ軍隊(直接戦闘に参加する者)のほかに、民間の学生の義勇隊、徴用軍夫などがあり、抗敵組織としては、首都抗敵後援会、婦女慰労会、学生抗敵後援会などがあって、南京の街は「軍人の街」と化していたといわれる。
 したがって、「民間人」といっても、まったく戦争に協力しない、関与しない「平和的市民」はきわめて少なかったと考えられる。(202p〜203p)

あ と が き
 私は支那事変当時、一小隊長として参戦したが、私の見聞体験の範囲でほ、抵抗あるいは潰走する中国軍、敗残兵・民服に着替えた便衣兵や住民(平和的市民でほない)に甚大な損害を与えたが、これは正当な戦闘損害であり東京裁判や教科書が述べているような「二十万とか三十万」の大虐殺はなかったと固く信じていた。(231p)
 畝本正己は民間人か便衣兵の区別はつかないといいながら、「平和的市民でほない」と根拠なく断定しています。戦後になっても、このような認識をしているのですから、彼らに南京事件を防止することは不可能なことです。「したがって、「民間人」といっても、まったく戦争に協力しない、関与しない「平和的市民」はきわめて少なかったと考えられる。」というのが、南京戦に参加した独立軽装甲車第二中隊の畝本正己小隊長殿の考えならば、南京市民の安全は絶望的な状況であったと思います。
 部下の認識がこれでは、松井大将が何を言っても無駄ですね。

畝本正己小隊長殿の駐屯場所
 南京の何処に駐屯していたのかは知りません。12月20日前後に軍官学校の校舎を宿舎としていましたが、それ以前は手許にはありません。
『戦車戦記』藤田実彦(東京日日新聞社)248p
 南京がおちて一週間目に、南京城内軍官学校教導総隊の校舎を、自分達の宿舎に定めた。部隊が一つの建物にまとまることが出来たので何かと便利だつた上に、教導総隊内には日本の剣術や銃剣術の防具があつたので、好きなものは朝から竹刀や木銃をふりまはしてゐられ、まるで内地の兵営生活みたいな日を過し得た。
 南京陥落後の一週間は不明ですが、その後は軍官学校でした。以前も申しましたが、このようなものはリアルタイムで変わるものです。
 畝本正己が南京城内に駐屯したことは、上官である藤田実彦中隊長殿の著書を読めば解ることです。
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[3783]首都飯店
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 熊猫 E-MAIL  - 07/1/1(月) 9:44 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : syutohanten.JPG
・サイズ : 285.7KB
  
添付画像【syutohanten.JPG : 285.7KB】 >※ ところで首都飯店は、中山北路にありということですが、どのへんですか?鼓楼からも近いのですか?

首都飯店(中山北路178号)
鼓楼との距離は2キロ弱くらいです。
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[3784]Re(2):中国銀行南京支店
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 熊猫 E-MAIL  - 07/1/1(月) 10:48 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 2005425215836656.jpg
・サイズ : 41.1KB
  
添付画像【2005425215836656.jpg : 41.1KB】 白下路155号にあるのは、交通銀行事務所(熊猫訳)でした。現在は「交通銀行白下分行」となっています。1933年に竣工していますので、南京分行より古く、日本の地図にはそちらのほうが記載されていたのではないかと思います。
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[3786]Re(1):首都飯店
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 ピッポ E-MAIL  - 07/1/1(月) 18:43 -

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   ▼熊猫さん:
熊猫さん、新年おめでとうございます。

>首都飯店(中山北路178号)
>鼓楼との距離は2キロ弱くらいです。

そうすると、この図(「南京の真実」口絵)の「中央飯店」のところですね。
だとすれば、中央飯店はまた別のところ、ということになりますが。
  
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[3787]中央飯店
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 熊猫 E-MAIL  - 07/1/1(月) 20:48 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : tyuuouhanten.JPG
・サイズ : 190.5KB
  
添付画像【tyuuouhanten.JPG : 190.5KB】 中央飯店(中山東路237号)
首都飯店(中山北路178号)
 2つのホテルは全く違う場所にあります。
 
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[3790]Re(1):中央飯店
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 ピッポ E-MAIL  - 07/1/2(火) 7:50 -

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   ▼熊猫さん:
>中央飯店(中山東路237号)
>首都飯店(中山北路178号)
> 2つのホテルは全く違う場所にあります。

ありがとうございました。スッキリしました。
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[3958]Re(3):『真相・畝本正己-ラー...
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 渡辺  - 07/1/28(日) 2:30 -

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   ▼熊猫さん:
> 畝本正己は、自身の南京での行動は硬く口を閉ざしたままなので謎ですが、著書を読めばその身勝手な思考回路が解ります。

>『真相・南京事件-ラーベ日記を検証して-』畝本正己(文京出版)より引用
>
>▼「民間人」という用語の解釈と南京戦場の実態
> ラーべが「民間人」という言葉を、どのような意味に解したかは不明であるが、一般的には「軍・政府・官庁などの公的な機関に属さない人」を呼称する言葉であろう。民間人=即「非戦闘員」とは限らない。民間人であっても、戦争の時には、軍に協力したり、直接戦闘に参加することがある。
> 南京戦で「民間人五万〜六万人殺害」という「民間人」は、純粋な意味の「平和的市民」のみを示すものではあるまい。南京においてほ軍隊(直接戦闘に参加する者)のほかに、民間の学生の義勇隊、徴用軍夫などがあり、抗敵組織としては、首都抗敵後援会、婦女慰労会、学生抗敵後援会などがあって、南京の街は「軍人の街」と化していたといわれる。
> したがって、「民間人」といっても、まったく戦争に協力しない、関与しない「平和的市民」はきわめて少なかったと考えられる。(202p〜203p)

あれやこれや、ありまして返信が今ごろになってしまいました。
畝本氏の発言は詭弁ですが、私は別の理由から、ラーベのいう数字は軍民合わせたものではないかと思います。
この個所の原文には「民間人」の語はなく(p.286)、1文前を受けた意訳のようです。残念ながら、肝心の1文前が原書にありません。しかし、「民間人」は「市民」とも訳せる語であると思われ、これは必ずしも中国の軍人を排除するものではないと思います。
また、マギーは埋葬の見積もりから6〜7万としていたらく、スチュワードは7万、ウイルソンは10万としています。(詳しくは『中帰連』37号、pp.98-100をご覧ください。)
5〜6万というラーベの数字が軍民合わせてと考えると、つじつまが合います。
5〜6万のあとで埋葬数について述べていることも理解できます。
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[4493]Re(2):『真相・畝本正己-ラー...
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/25(金) 11:46 -

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   質問した人が忘れた頃に、回答するようで恥ずかしいのですが・・・・・・・

>畝本氏は南京のなんどこいらへんに駐屯してたのでしょうか?
 「南京陥落後の一週間は不明ですが、その後は軍官学校でした。以前も申しましたが、このようなものはリアルタイムで変わるものです。」と回答しておりましたが、12月13日に独立軽装甲車第二中隊の藤田清曹長の証言の箇所を見落としていました。一旦見落としてしまった文章はなかなか出てこないものですね(^^;
『史実の歪曲 東京裁判に見る南京虐殺事件』畝本正己(閣文社) 153項より
 紅卍会が埋葬した「兵工廠の四六八体」は、十二月十三日夕、兵技専門学校(兵工廠)に宿営した独立軽装甲車第二中隊の藤田清氏(曹長のちに中尉)の証言、「校舎前のプールのような空ドッグの中に、半焼きの死体四、五百が残置されていた」からみても、真実であろう。
 同じ部隊の藤田氏が兵工廠に宿営したと証言していますので、畝本正己氏も兵工廠のように思えるのですが文面からして、他人事のような記述をしていますので、畝本小隊は他の場所に宿営していた可能性もあります。畝本正己氏と同じ部隊の兵士が「半焼きの死体四、五百」を見て紅卍会の埋葬記録を裏付け証言しているのに、畝本氏は根拠無く疑っています。因みに、畝本正己の部隊である独立軽装甲車第二中隊が宿営した場所は民間人の大量虐殺があった場所です。
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[4495]Re(3):『真相・畝本正己-ラー...
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/26(土) 13:54 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : heikousyou1935000.JPG
・サイズ : 21.8KB
  
添付画像【heikousyou1935000.JPG : 21.8KB】 写真は1935年の兵工廠です。金陵兵工廠は1929年に製(制)造局が名称を変えたもので、大将10年の陸地測量部の作成した地図では、製造局となっており昭和7年版では兵工廠となっています。至誠堂の『最新南京地図』では、赤く色塗りはされていますがその名称は何も記されていません。写真を拡大すると金陵兵工廠という文字を確認することが出来ます。以前、ja2047さんが言っていた南京の兵器工場はこの場所のことです。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=3187;id=sikousakugo#3187

 兵技専門学校とは兵工専門学校のことではないかと思います。
188 hits

[4665]Re(2):日本「総領事館」と「大...
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 熊猫 E-MAIL  - 07/6/24(日) 1:50 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 13kumamoto.jpg
・サイズ : 37.8KB
  
添付画像【13kumamoto.jpg : 37.8KB】  朝日新聞の記者と日付が1日違います。岡本部隊(歩兵第13連隊第2大隊第6中隊)の兵士のアルバムなので、どちらかが日付を1日勘違いしているものと思います。12月15日の大阪毎日新聞に、この写真は掲載されており佐藤(振)カメラマンの撮影したものです。アルバムの持ち主は佐藤カメラマンとこの場所で会ったということになります。新聞に掲載された写真は右側の新聞記者らしき人物などがトリミングされています。残念ながら、大阪毎日新聞には日付が記載されていません。13日だとすると、朝日の写真はヤラセ写真ということになります。
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[4666]Re(3):日本「総領事館」と「大...
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 熊猫 E-MAIL  - 07/6/24(日) 2:06 -

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    私が勘違いしておりました。朝日の記事には「13日午後5時」と記載されていますね。毎日に出し抜かれたということか?
202 hits

[4668]占領後の十三連隊
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 熊猫 E-MAIL  - 07/6/24(日) 23:39 -

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[添付]〜添付ファイル〜
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添付画像【13kumamoto01.JPG : 41.5KB】  日本軍外出入禁 出入者ハ射殺ス
 場所は南京ではないと思いますが、第六師団歩兵第十三連隊はかなり危険な部隊だったようです。通常のマスコミ用の写真なら検閲に引っかかったのでしょうが、兵士個人の写真は検閲を免れるケースがあるようです。
 それにしても、中国語で書かなくていいのかなぁ・・・・・
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[4669]間違いであった・・・・。
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 熊猫 E-MAIL  - 07/6/26(火) 0:25 -

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[添付]〜添付ファイル〜
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添付画像【13kumamoto001.JPG : 25.5KB】  よく見ると写真の右端に数字のという文字があります。
 つまり、この写真は酒保などで売られている写真と判断するべきでしょう。数枚のセットで販売されているはずであり、通常は他の番号の写真もあるものなのですが、戦友と分けたか他の戦友から1枚だけもらったものと思われます。
 所有者だった兵士が写真を入手した経緯はともかく、写真が第六師団の兵士だと特定することが出来ないことになります。
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[4685]やっぱり間違いであった・・・...
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 熊猫 E-MAIL  - 07/7/15(日) 19:03 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 13kumamoto03.JPG
・サイズ : 60.4KB
  
添付画像【13kumamoto03.JPG : 60.4KB】  たとえ間違いとはいえ判ると嬉しいものです(^^)
 今回提示した写真は、昭和6年の『満州事変写真』というものに含まれていました。第六師団の兵士が記念に買ったものと判断して間違いないでしょう。数字の「3」はありませんが同じものであることは間違いありません。
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[5805]Re(1):上海儲備銀行
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 熊猫 E-MAIL  - 08/9/26(金) 14:30 -

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    若干ですが調査が進展しましたので報告します。
 中央銀行と朱雀路を隔てた場所に上海銀行と記載された地図を古書店より入手しました。『南京市最新区域図 民国二十二年四月製』(南京太平路金陵図書館発行)で1933年4月に南京で発行されたものであり、南京陥落時と年数も5年以内であり信憑性の高いものではないかと思います。なおこの地図には鉛筆による手書きで昭和十二年十二月十四日 高欅一尾所有≠ニいう文字が記載されていますので、南京陥落後に日本兵が何らかの方法で入手したものである可能性があります。

  


上海儲備銀行=上海銀行=上海商業儲備銀行
 残された問題は上海儲備銀行=上海銀行=上海商業儲備銀行≠ナあれば全て解決します。記憶違いや地図による記載省略の可能性も十分考えられます。この場所に日本軍の軍司令部があった可能性は極めて高いと思います。

 上海商業儲備銀行はラーベの家の近所にもあり、朱雀路と建康路の交叉点のところにもありました。
ラーベの日記(10月13日)
 防空壕に入る人がまた増えた。ドイツ語の話せる沈さんと馮さんが、わが家の近くの支局に転勤してきた。空襲警報が鳴ると二人ともここへ避難してくる。
(平野卿子訳)
 【沈さん】というのは「森さん」の誤訳ではないかと思います。ドイツ語から沈[chen2]と森[sen1]を区別して翻訳するのは困難であり、「陳さん」と訳すこともありかなと思います。
 平野さんは手抜き翻訳をしており「わが家の近くの支局」というのは上海商業儲備銀行の支店がラーベの家の近所にあったということです。10月21日の日記に記載されている「ドイツ語ができる上海商業儲備銀行の職員」というのは、この2人(森さんと馮さん)のどちらかでしょう。
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