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以下は人民日報の記事である。
西蔵の歴史はこう主張する(1)苛酷な封建農奴制
西蔵(チベット)の拉薩(ラサ)で発生した極少数の不法分子による暴行・破壊・略奪・放火に対して、偏見を持った海外のメディアと人々は、西蔵の人権状況を、事実を顧みずに非難している。だが西蔵の歴史を振り返れば、ダライが統治していた封建農奴制時代の西蔵で、政治がいかに腐敗し、いかに遅れた生活が送られていたかがわかる。
封建農奴制時代の西蔵では、人口の5%に満たない官僚・貴族・上層寺院が、ほぼ全ての土地・草原・山林と大部分の家畜を所有し、人口の95%以上を占める農奴や奴隷に対して非常に残酷な統治を行っていた。重い労役と厳しい税金のほか、目をつぶしたり手や足を切り落としたりする残酷な刑罰もあった。封建農奴制時代の西蔵において「人権」とはすなわち官僚・貴族・上層の僧侶の人権であり、農奴の持ち主は農奴の賃貸・譲渡・担保化・贈呈をする圧倒的な権力を握っていた。これら血まみれの歴史は、旧時の西蔵における封建農奴制社会の罪悪の本質と劣悪な人権状況を告発し、封建農奴制のもとで多数の農奴が人権を完全に剥奪され世界の最下層として生活していたことを証明している。(編集MA)
写真:両目をつぶされた農奴(左)。民主改革で、農奴主の罪を告発した。農奴主は重い石の帽子を農奴にかぶせ、石でたたくことによって目玉を飛び出させ、さらに刀で目玉をえぐったという。右上は刑罰用のむち、右下は指を挟む刑罰道具。
このことが事実であることは否めない、中国編入以前はチベットは宗教拷問国家であったことは確かだろう。チベットの封建からの脱却はかなり遅れていたのだ。中国共産党にしてみれば大地主を本土で倒し、チベットの封建貴族や僧侶たちを追い出し、ひとつの封建からの脱却を成立させただけのことである。ネトウヨは「中国共産党のチベット侵略だーキーキー」と言うのであれば「薩長の大和侵略だー、キーキー」とはなぜ言わないのだろうか?
しかし、だからと言って思想弾圧や宗教弾圧は徹底批判されるべきであることには間違いがない。 実は亡命チベット政府の存在が、私には危険を感じさせるし、ダライ・ラマ14世にしてもあまりの政治的な介入へは不快感さえ否めない。正直宗教指導者としては失格である。
宗教指導者はあくまで宗教的な指導者であってしかるべきであり、自治を求めるとか独立を求めるとかそのどちらにしても民衆を宗教指導者が扇動すべきではない。ガンジーは宗教家ではあるが同時に政治指導者である、ガンジーは宗教指導者としての権威はない。しかしダライ・ラマは宗教的指導者として歴然とした権威なのである、この自覚が必要でこの自覚のない限り万が一チベットが独立したときには寺院が政治におおいに関与してくることは容易に予想される。
宗教指導者の役割はあくまで宗教的な指導に限られるべきだと考えている。 バチカンの法王がアイルランド紛争に政治的な介入をしていたら大変なことになっていただろう。
民主国家といわれる国でも教会の政治的影響力の大きい国はもちろん存在する。 フィリピンなどがそうだろう、かの無血革命はフィリピンの枢機卿のラジオ放送の影響は否めない、がしかし、シン枢機卿は国民和解を説き、暴力を戒める方向で発言を繰り返し、露骨な反政府活動は行わなかったのであって。マルコス政権へ対しデモ武力弾圧弾圧への自重を求めたものである。
民衆への発砲命令を受け、フィリピン軍は銃を民衆に向けた、このときに民衆の前に立ちたてとならんとしたのがカトリックのシスター達である、現地の軍指揮官は修道女に発砲することが出来なくて無血革命は達成されたのだ。
宗教者のあり方とは本来こうしたものであり、僧侶が政治デモを行う等と言う事態はダライ・ラマはいさめねばなるまい。
しかし、ダライ・ラマの発言には政治的なものが多く、政治活動と受け取られても仕方のないものがある。あるいは亡命チベット政府の大地主どもに利用されているのかもしれないが、であればなおさら慎重であって欲しいと願う。
一方、中国政府の過剰な弾圧には目を覆わんばかりのものがある。これに対しては大きな声で糾弾すべきであろう。
こうしてみると、これは宗教対立でも民族対立でもない、中国政府と亡命チベット政府の利権争いである。中国は圧倒的戦力を有している立場からも大いに自制し、チベット民衆との対話をこそを第一に自治権の拡大も含め、民主的チベット自治政府(正当な一般民主選挙による)の設立に向けて積極的に行動すべきである。その際ダライ・ラマと亡命チベット政府は無視しても良い。ダライ・ラマや亡命チベットが対話の相手とするから中国は間違えてしまうのである。
チベット地区に居住する民衆達を対話の相手としていかねばならない。ダライ・ラマを担ごうとする連中や亡命チベットを担ごうとする連中の動きを監視し、彼らは宗教や民族を利用し私利の為に煽っているだけであることを見抜いておかねばならない。
方法は色々あるのだから、、、。 新しい民主政府が誕生したとしたら西側や亡命チベットの元大地主たちは結託して「中国の傀儡政権」と批判するだろうから、国連から大規模な選挙監視団を受け入れて、人権条項を条件に選挙を行えばよい。
その結果新政権がダライ・ラマの帰国を要求するのであれば、バチカンのような形であくまで宗教の政治的関与がなされないように極狭い地域でのチベット自治政府とは別の自治権を認めたうえで(もちろん人権条項と非武装はあたりまえ)チベット仏教のバチカンを作っても良いと思う。
どうも亡命チベット政府をそのままの形で帰国を望むチベット庶民はいないように思う
あくまで宗教指導者は宗教指導者として存在しなくてはならない、そうしたら仏教僧がデモをして民衆を煽ると言うこともなくなるだろうが、仏教の考え方って政教分離の考え方にはなじまないのだろうか。聖職者の団体にデモの資格がないとは言わない、しかしそうした聖職者は聖職者の資格を放棄したと言わざるを得ない。
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