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[5435]水平社宣言 とほほ 08/4/15(火) 8:15
[5481]Re(1):水平社宣言と起草者西光万吉 Dr.是空 08/5/6(火) 0:29
[5483]Re(2):水平社宣言と起草者西光万吉 とほほ 08/5/6(火) 1:12
[5490]Re(3):水平社宣言と起草者西光万吉 Dr.是空 08/5/6(火) 10:39
[5831]Re(1):水平社宣言 かず色 08/10/10(金) 16:24
[5832]Re(2):水平社宣言 とほほ 08/10/10(金) 17:02
[5833]Re(3):水平社宣言 かず色 08/10/10(金) 18:25
[5834]Re(4):水平社宣言 とほほ 08/10/10(金) 18:41

[5435]水平社宣言
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 とほほ E-MAIL  - 08/4/15(火) 8:15 -

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   in article "[AML 19098] 「人の世に熱あれ、光あれ」"
坂井 貴司 wrote:
> 日本の民衆運動を考える上で、水平社の存在は大きなものがあります。


私は、水平社宣言は日本における日本で生まれた日本人(民衆)初の人権宣言であると考えてます。教科書では日本の民主主義の発露となった大衆運動として「自由民権運動」が紹介され「人の上に人を作らず、、、。」等が紹介され、それは確かに大きな脈動ではあったでしょうが、大衆運動というより政治運動であり、武士階級・貴族階級の落ちこぼれが主導したものでした。

しかし、水平社宣言はまさに日本の肥溜めの中から生まれてきた、血肉のみなぎった宣言であり、差別撤廃運動の源泉と言うよりは、日本における全ての民衆にとって、フランスで起きたフランス革命ナポレオン経典に匹敵する、大衆運動・民主主義・人権主義の源泉であると考えてます。

私は、支援していた運動体の腐敗や傲慢運営・思想的堕落を目撃するたびに暗澹たる思いとなり、日本ではまだまだ「人権」が理解されるには程遠いな、と嫌世感にさいなまれることも度々ありますが、そんな時にこの水平者宣言を読むことで、涙があふれ、大衆運動の原点を思い起こされ日本をあきらめようとする自分自身が奮い立たされてます。

昔、ある山奥の村を私が訪ねたときある老人の家に立ち寄ったことがあり、その老人が。「君はこういうのを知っているかね」と一枚の古いビラを渡されたことがありました。戦前に配られた水平社宣言のビラで、今考えると貴重な資料を見せてくれたわけでしたが、私はそれを読みながら涙が止まらなくなりました。その老人は木彫り職人で自分で作った「人の世に熱あれ、光あれ」と書かれたキーホルダーをプレゼントしてくれたのを覚えています。

日本の教科書はこの水平者宣言を差別撤廃運動の原点としてしか捉えず、差別の存在を否定する傾向ゆえにか、この水平社宣言が紹介されることがありません。
私は自由民権運動よりもこの水平社宣言こそを社会科の教科書の冒頭に、そして日本国憲法の第一条に掲げることが出来たときこそ、日本が民主主義に向かって歩き始めることが出来るのだと思っています。

このAMLの皆さんは水平社宣言は何度も読んでいることでしょうが、ここの転載します。そして、その熱き思いを奮い立たんことを、、。

特に共産党。
もう一度この水平社宣言を読み、「すでに差別はなくなった」等と嘯いて、解放同盟バッシングに地道をあげる自らを省み、この水平社宣言を読んで、本当に日本に解放運動は必要なくなったのか良く考え、大いに反省せよ。
宣言

 全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。
 長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾らの爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。

 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。

 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。

 水平社は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

大正十一年三月三日全國水平社創立大會

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[5481]Re(1):水平社宣言と起草者西光...
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 Dr.是空  - 08/5/6(火) 0:29 -

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   >坂井 貴司様

 「昔、ある山奥の村を私が訪ねたときある老人の家に立ち寄ったことがあり、その老人が。「君はこういうのを知っているかね」と一枚の古いビラを渡されたことがありました。戦前に配られた水平社宣言のビラで、今考えると貴重な資料を見せてくれたわけでしたが、私はそれを読みながら涙が止まらなくなりました。その老人は木彫り職人で自分で作った「人の世に熱あれ、光あれ」と書かれたキーホルダーをプレゼントしてくれたのを覚えています。」
 貴重な体験談だと思いました。このHPにキーホルダーの写真を掲載してもらえませんか。
 さて昨年のことですが、起草者西光万吉について、大阪・人権研究所(下記)での発表が掲載されていますので、ご高覧いただければ幸甚です。
http://blhrri.org/info/koza/koza_0151.htm
その他の拙論紹介
http://blhrri.org/info/book_review/book_r_0291.htm
427 hits

[5483]Re(2):水平社宣言と起草者西光...
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 とほほ E-MAIL  - 08/5/6(火) 1:12 -

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   ▼Dr.是空さん:
> 貴重な体験談だと思いました。このHPにキーホルダーの写真を掲載してもらえませんか。

ずいぶんと昔の話で、その間に私の私生活でも色んなことがあり、引越しをした際に紛失してしまったか、確かどなたかに差し上げた記憶が無きにしも非ずではっきりとしません。現在は所有していないことは確かです。ただ、老人宅は大体覚えていますので、機会があればまた尋ねたいとは考えておりご存命であれば当該のキーホルダーも入手できると思いますし、教員職にある娘さんご夫婦が同居されていましたので、なんらかのお話は出来ると思います。

> さて昨年のことですが、起草者西光万吉について、大阪・人権研究所(下記)での発表が掲載されていますので、ご高覧いただければ幸甚です。
>http://blhrri.org/info/koza/koza_0151.htm

この論説は、AMLで拙文を投稿したときにもどなたかが紹介されていましたので読んでいます。おおいに共感いたしましたが、ただ、私自身がカトリック教徒のせいでしょうか、「人間が神を超える、、。」のくだりの解釈は間違ってはいませんが注釈が必要かと思いました。いわゆるキリスト教的「神」と言うものの概念と、八百神にみられるような日本的「神」の概念は全く別のものであり、人権と言う概念がそもそもキリスト教的倫理観の中から生まれてきているものなので齟齬が生じてしまうと思います。

*拙稿「南島におけるキリスト教の受容1」及び参照

>その他の拙論紹介
>http://blhrri.org/info/book_review/book_r_0291.htm

ありがとうございます。拝読させていただきます。
425 hits

[5490]Re(3):水平社宣言と起草者西光...
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 Dr.是空  - 08/5/6(火) 10:39 -

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   ▼とほほさんへ

 既に小論をご存知とは知らずに、投稿してしまいました。ご海容のほど。
さて、可能でしたら、その時に真読された「水平社創立宣言」の原本の写真化も宜しく・・・。
 ところで、小生は「神」についても無知でして、参照先の神も少し難しいですね。ともかく、西光の「実存主義」が「神をめざす実存主義」であったことを読み解こうと、目下、思っています。

 Dr.是空
431 hits

[5831]Re(1):水平社宣言
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 かず色 E-MAIL  - 08/10/10(金) 16:24 -

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   ▼とほほさん:

 水平社宣言、並びにとほほさんのご意見を興味深く拝見させて頂きました。私は中学生時代から所謂同和地区出身の友人、先輩、後輩が周囲に結構おりましたが、当時、差別問題について深く考えることはありませんでした。

 部落差別問題を考えるようになった転機は、某金融機関就職後、20代前半の頃(随分昔ですが・・・)に同和地区の営業担当となった時です。地区住民のお客様からは、本当に息子や孫のように可愛がられました。そして、特に関西地区に於いては、厳然たる差別が依然根強く残っていることにも改めて気付かされた次第です。

 昭和44年からの同和対策特別事業、並びに部落解放同盟の「糾弾闘争」が差別の再生産に繋がったとの近年の論調は、一面では首肯出来る部分もあるのは事実です。野中広務さんなどは、その点を的確に認識し、活動しておられたと思います。然しながら、差別問題の本質は「根拠無き偏見」に根ざしたものであり、今後も一朝一夕には解決し得ない問題ではあるでしょう。

 私が尊敬する民俗学者の故宮本常一氏は、以前ある人から差別問題について聴かれ、「結婚差別です」と泣いて語ったと云います。私自身、若い頃友人から相談され、夜を徹して語り合ったこともありました。難しい問題ですね。
206 hits

[5832]Re(2):水平社宣言
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 とほほ E-MAIL  - 08/10/10(金) 17:02 -

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   ▼かず色さん:
> 部落差別問題を考えるようになった転機は、某金融機関就職後、20代前半の頃(随分昔ですが・・・)に同和地区の営業担当となった時です。

にたような経験は私もあります。
地区担当と言うより、インチキセールス会社のセールスリーダーとして働いていた時です。会社の支持は「やつら金は持っているぜ」でしたがね(笑)。
確かに、よく売れました。あんなにセールスマンを温かく迎えてくれるところはありませんでした。悲しいことです。

行政が行うべきインフラは全く整備されておらず、「汚い」と言う言葉、その通りです。しかし「本当は金は持っている」と言う言葉に我々は騙されていたのです。個人が持つ、その細々と努力して得たお金で、なんで行政が行うべきインフラを整備せねばならないのでしょうか?それをやるお金なんてありませんよ。

私がよく行っていたのは朝鮮人部落ですが、、、、。
206 hits

[5833]Re(3):水平社宣言
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 かず色 E-MAIL  - 08/10/10(金) 18:25 -

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   ▼とほほさん:

 映画『パッチギ』の舞台となった集落についてですが、私は学生時代に頻繁に訪問しておりました。ですから、とほほさんの云う「インフラは全く整備されておらず」のイメージは概ね理解できます。法的問題並びに地域住民の利害関係等複雑な問題もあり、環境整備等については難しい問題もあるようですね。

 ところで、先述の『パッチギ』の舞台となった場所を後年訪問した時のことです。大規模な周辺整備事業により、川沿いの百数十戸余りの集落は忽然と消えておりました。当該住民にとって良かったなと思う反面、集落の中で息づいていた活力が消えてしまった様で、何となく寂しい思いをしたものです。
204 hits

[5834]Re(4):水平社宣言
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 とほほ E-MAIL  - 08/10/10(金) 18:41 -

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   ▼かず色さん:
> 映画『パッチギ』の舞台となった集落についてですが、私は学生時代に頻繁に訪問しておりました。ですから、とほほさんの云う「インフラは全く整備されておらず」のイメージは概ね理解できます。

すみません(^^;
バッチギのモデル地区があったのですね(^^;
私の少年期には、あれが当たり前だったので、モデル地区というのがあるのは知りませんでした、私たちの頃は朝鮮学校と言えば「悪の象徴」でした。だいたい、現代の不良文化に大きな影響を与えているのは朝鮮の風俗なのですよね。

暴走族の「うんこ座り」、(^^;
あれって朝鮮学校の生徒の真似です。まゆをそったり、額にそりこみを入れたり、スケバンの長いスカートはチマチョゴリの真似です。
私の高校時代には地下道を歩くのが怖くて、チョンコウに襲われはしないかとびくびくしてました(笑)、それを助けてくれるのが国士舘の馬鹿だと信じてました(^^;
タンベ(たばこ)だとか、チョーパン(頭突き)だとか、朝鮮語です。それがこわかった、これが差別社会のなせる業です。

> ところで、先述の『パッチギ』の舞台となった場所を後年訪問した時のことです。大規模な周辺整備事業により、川沿いの百数十戸余りの集落は忽然と消えておりました。当該住民にとって良かったなと思う反面、集落の中で息づいていた活力が消えてしまった様で、何となく寂しい思いをしたものです。

「差別社会」にふたをした結果ですね。
211 hits

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