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[5459]「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 歴史音痴 08/5/2(金) 21:30
[5460]Re(1):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 熊猫 08/5/3(土) 0:08
[5462]Re(2):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 渡辺 08/5/3(土) 3:10
[5463]Re(3):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について とほほ 08/5/3(土) 6:16
[5466]Re(4):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について ピッポ 08/5/3(土) 14:45
[5510]Re(3):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 熊猫 08/5/19(月) 21:30
[5511]Re(4):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 渡辺 08/5/21(水) 3:06
[5512]Re(5):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 熊猫 08/5/21(水) 6:18
[5513]Re(6):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 渡辺 08/5/22(木) 1:05
[5520]空振りでした(^^) 熊猫 08/5/24(土) 16:44
[5522]Re(1):空振りでした(^^) 渡辺 08/5/25(日) 0:53
[5523]Re(2):空振りでした(^^) 熊猫 08/5/25(日) 14:02
[5807]Re(1):空振りでした(^^) かず色 08/9/27(土) 12:07
[5546]Re(7):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 熊猫 08/6/9(月) 2:00
[5806]Re(8):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について かず色 08/9/27(土) 11:56
[5808]Re(9):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について かず色 08/9/27(土) 12:20
[5809]Re(9):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について かず色 08/9/27(土) 14:17
[5810]Re(10):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について とほほ 08/9/27(土) 14:42
[5814]Re(11):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について かず色 08/9/28(日) 2:06
[5819]Re(12):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について とほほ 08/9/28(日) 11:56
[5820]Re(13):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について かず色 08/9/28(日) 17:25
[5813]Re(5):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 熊猫 08/9/28(日) 0:03
[5815]Re(6):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について かず色 08/9/28(日) 2:42
[5818]Re(7):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 熊猫 08/9/28(日) 9:02
[5821]Re(8):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について かず色 08/9/28(日) 17:44
[5817]Re(6):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について かず色 08/9/28(日) 7:50
[5467]Re(2):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 歴史音痴 08/5/3(土) 21:45
[5468]Re(3):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 秋時雨 08/5/4(日) 0:22
[5470]Re(4):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について とほほ 08/5/4(日) 10:15
[5469]Re(3):「南京300人斬り」の田中軍吉大尉について 秋時雨 08/5/4(日) 0:48

[5459]「南京300人斬り」の田中軍...
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 歴史音痴  - 08/5/2(金) 21:30 -

引用なし
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   「100人斬り」向井・野田両少尉に関する本や論争はよく見かけますが、「300人斬り」田中軍吉大尉についてはあまり見かけません。田中大尉が注目されない理由と、大尉が戦犯にされた経緯について(例えば○○新聞の記事がキッカケになった)など、教えていただけないでしょうか。
それともう一件、南京事件で死刑になった日本人の人数は何人でしょうか。私が読んだ本によれば、5人とも7人ともあります。先の3名と、松井石根大将、谷寿夫中将(計5名)の他にあとは誰がいるのでしょうか。向井・野田少尉の生前の手紙には、自分以前の裁判では死刑判決が下ると拍手がわきおこった、というような記述があったように記憶しています。あと2名とは、その人たちのことなのでしょうか。
南京事件に詳しいみなさまにご教示願いたくよろしくお願い申し上げます。
990 hits

[5460]Re(1):「南京300人斬り」の...
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 熊猫 E-MAIL  - 08/5/3(土) 0:08 -

引用なし
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   ▼歴史音痴さん:
>田中大尉が注目されない理由
 これが、日本の右翼の面白いところで、100人斬りは否定するが、300人斬りは否定しません。したがって論争になりません。100人斬りで負けたので300人斬りでリベンジする可能性はあると思います。
 日本刀で100人は斬れないが、300人だったら斬れるというのが右翼の考えのようです。この件は右翼の方に質問してください。

>大尉が戦犯にされた経緯
 昭和15(1940)年に山中峯太郎編集して同盟出版社より出版された『皇兵』がもとで軍事裁判にかけられました。

>それともう一件、南京事件で死刑になった日本人の人数は何人でしょうか。
 5人
755 hits

[5462]Re(2):「南京300人斬り」の...
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 渡辺  - 08/5/3(土) 3:10 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>>大尉が戦犯にされた経緯
> 昭和15(1940)年に山中峯太郎編集して同盟出版社より出版された『皇兵』がもとで軍事裁判にかけられました。

判決では、東京に潜伏しているところを密告されたとあります。
田中軍吉は、映画監督の亀井文夫の知人とかで、東宝映画『戦ふ兵隊』に出演しています。『戦ふ兵隊』は問題視され、戦前には公開されませんでしたが、『皇兵』の巻頭写真には映画のスチールが掲載されています。また、映画では肉声も聞くことが出来ます。
ある本によりますと、田中軍吉は戦後になって、店頭に本人が中国で捕虜を斬殺している写真を飾っていたところ、GHQに知られ戦犯となったとあります。
判決文の記述とも符合しますので、本の情報源になった亀井氏が書いたものと思われる資料を探しているところです。
裁判では2枚の写真が証拠となりましたが、1枚は私が『中帰連』に転載した斬首の瞬間、もう一枚は、「右手上段」に日本刀を振り上げている写真です。写真の人物が本人であることは認めたと判決文にあります。
なお、「百人斬り競争」裁判の原告支援者によりますと、田中軍吉の遺族にも訴訟へ参加するように勧めたが断られたとのことです。
752 hits

[5463]Re(3):「南京300人斬り」の...
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 とほほ E-MAIL  - 08/5/3(土) 6:16 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>なお、「百人斬り競争」裁判の原告支援者によりますと、田中軍吉の遺族にも訴訟へ参加するように勧めたが断られたとのことです。

これは、百人斬り裁判の中でそのような話が出たのでしょうか?
それとも原告支援者の中の誰かが裁判とは別の場でそういう話をした、又は書いたと言うことでしょうか?なんらかのソースが提示できるのでしょうかね?(ソースをだせ、とはネトウヨのようで申し訳ないのですが(^^; )
757 hits

[5466]Re(4):「南京300人斬り」の...
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 ピッポ E-MAIL  - 08/5/3(土) 14:45 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼渡辺さん:
>>なお、「百人斬り競争」裁判の原告支援者によりますと、田中軍吉の遺族にも訴訟へ参加するように勧めたが断られたとのことです。
>
>これは、百人斬り裁判の中でそのような話が出たのでしょうか?
>それとも原告支援者の中の誰かが裁判とは別の場でそういう話をした、又は書いたと言うことでしょうか?なんらかのソースが提示できるのでしょうかね?(ソースをだせ、とはネトウヨのようで申し訳ないのですが(^^; )

こんなのがあります。

http://www.senyu-ren.jp/100/003.HTM(戦友連サイト)
―――――
平成15年、6月28日、「百人斬り競争」訴訟を支援する集いが開かれました。参加されたonoさんが、その模様を一文にまとめていただいておりまして、特にお願いしまして、ご許可をいただき、ここに転載させていただきました。
(中略)
-------
尚、向井、野田両少尉のほか、雨花台で処刑された方がもうお一人おられます。田中軍吉氏です。田中氏も明らかに冤罪ですが、今回の訴訟には参加されませんでした。名越二荒之助先生が、この件もぜひ明らかにして欲しいと伝言されたそうです。(代理の方が申されました。)
-------
(後略)
―――――

これは、声を掛けたけど参加しなかった、と読めます。
声を掛けなかったのなら、こうした言及はしないでしょう。

>田中軍吉の遺族にも訴訟へ参加するように勧めたが断られたとのことです。

とのほど明示的ではありませんが、意味はそういうことでしょう。
「よかったら参加しませんか?」
は勧めたことになるでしょう。
750 hits

[5467]Re(2):「南京300人斬り」の...
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 歴史音痴  - 08/5/3(土) 21:45 -

引用なし
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   ▼熊猫さま
ありがとうございます。
南京事件で処刑者5人とのこと、そこで素朴な疑問なのですが、犠牲者の数、数万〜数十万とも云われるに対し、処刑された戦犯わずか5人とはあまりに少なすぎるのではないでしょうか。仮に犠牲者30万とすると、単純に一人あたり6万人の殺人罪を背負ったことになります。300人斬りどころの騒ぎではありませんね。そこでドーリットル空襲を思い出すのですが、その際、日本側は捕まえた米軍捕虜3名を処刑していますが、この人数の根拠は、単に同空襲で犠牲になった民間人の数に合わせたものであると聞きます。しかるに一般の被害者感情として、数万〜数十万への償いに「5名」の命とは、中国もよくそれで許してくれたなぁ、というのが率直な印象なのです。ドイツを見れば、ナチスの戦犯狩りは、時効なしに今でも行われているそうですが、先の5人以外に事件に関わった日本将兵は、まったくお咎めなしなのでしょうか。それともこの5人の命で事件は手打ちにしたということでしょうか。歴史音痴な質問ですがよろしくお願いします。
762 hits

[5468]Re(3):「南京300人斬り」の...
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 秋時雨  - 08/5/4(日) 0:22 -

引用なし
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   はじめまして秋時雨といいます。

歴史音痴さんの挙げられた疑問が独断調、憶測調な節が少し気にはなるのですが、あなたの疑問点は

柏書房「現代歴史学と南京事件」
p94 第三章 中国国民政府の戦犯処罰方針の展開 伊香俊哉
p125 第四章 東京裁判における戦争犯罪訴追と判決 戸谷由麻

において学術的にきちんと纏め上げられています。
一度精読した上で改めて質問にいたるという事でどうでしょうか。
      
813 hits

[5469]Re(3):「南京300人斬り」の...
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 秋時雨  - 08/5/4(日) 0:48 -

引用なし
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   >ナチスの戦犯狩りは、時効なしに今でも行われているそうですが、先の5人以外に事件に関わった日本将兵は、まったくお咎め

これについては

有斐閣 国際法辞典 
p220 「戦争犯罪及び人道に対する罪に対する時効不適用に関する条約」

の項目を参照すればいかがでしょうか。

私は「思考錯誤」の皆さんに質問する前には得る限り基本書で下調べをし、その後疑問を呈する形式をとっています。その意味を込めてご返事を返した次第です。
809 hits

[5470]Re(4):「南京300人斬り」の...
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 とほほ E-MAIL  - 08/5/4(日) 10:15 -

引用なし
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   ▼秋時雨さん:
>歴史音痴さんの挙げられた疑問が独断調、憶測調な節が少し気にはなるのですが、

5人しか裁かれなかったので、30万人ではない、と言う珍説を研究されているのかもしれません(^^;

中国帰還者連絡会というのをネットで検索すると色々わかりますよ>歴史音痴さん。
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/

基本的には国民党軍に捕らえられていた日本人戦犯は国民党と共産党軍の紛争によって裁く余裕がなく、国民党が台湾に撤退する際に日米との裏取引により日本人戦犯は無傷で日本に返されているのです。従って中国共産党は戦犯を捕えることができなかったのです、そこでシベリアに抑留されていた戦犯のうち中国戦線で戦争犯罪を犯している約1,000人が引き渡されたのです、それ以外に向井・野田らの戦犯をGHQ日本占領当局から引き渡されたわけです。

歴史音痴さんは歴史音痴もいいところです(正直に言うと歴史音痴さんの歴史認識レベルは高校生以下です)、この掲示板はQ&Aではありませんのでご自身の研究成果をこそ発表してください、間違った論説は誰かが叩いてくれますので、「質問」の名を借りた卑怯な宣伝にならないように気をつけてください。
810 hits

[5510]Re(3):「南京300人斬り」の...
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 熊猫 E-MAIL  - 08/5/19(月) 21:30 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>ある本によりますと、田中軍吉は戦後になって、店頭に本人が中国で捕虜を斬殺している写真を飾っていたところ、GHQに知られ戦犯となったとあります。
>判決文の記述とも符合しますので、本の情報源になった亀井氏が書いたものと思われる資料を探しているところです。

 『ある本』というのが非常に気になるのですが、亀井文夫氏の記述については心当たりがありますので調べてみます。亀井氏はある雑誌に戦犯裁判について記述していますので、田中軍吉のことを書いている可能性があります。
 たとえ空振りでも1週間以内に結果報告をしますのでお楽しみに(^^)

 あれから4年経っちゃいましたね。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/9/nwxqrf/kcgqrf.html#kcgqrf
695 hits

[5511]Re(4):「南京300人斬り」の...
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 渡辺  - 08/5/21(水) 3:06 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
> 『ある本』というのが非常に気になるのですが、

佐藤忠男『キネマと砲声―日中映画前史』(岩波現代文庫)です。
ただ、情報の出所が書かれていません。
昔の『シネフロント』とか『キネマ旬報』など調べてはいるのですが、まだ分かりません。

>亀井氏はある雑誌に戦犯裁判について記述していますので、

<あの>雑誌ですね。熊猫さんが先客にいたので、「だめだ、こりゃ」とあきらめた<あの>雑誌ですね。

結局、2・26事件は関係無く、自分がした中国人惨殺の写真を平然と展示していたので、密告され、おりしも百人斬り競争の2将校の調査をしていた中国側に知られたということのようです。
663 hits

[5512]Re(5):「南京300人斬り」の...
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 熊猫 E-MAIL  - 08/5/21(水) 6:18 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
><あの>雑誌ですね。熊猫さんが先客にいたので、「だめだ、こりゃ」とあきらめた<あの>雑誌ですね。
 あれっ、知ってたんですか?恥ずかしいな……(^^;
 資料を入手する際は、右翼なんかよりこちらのメンバーの方が怖いです。
 1976年の『映画芸術』7〜8月号ではありません。記事の「座談会亀井文夫の語る秘録戦中戦後映画史」は当時の軍と映画会社のつながりを知るには面白い内容ですが、田中軍吉については全く触れていません。
 
 私が目星を付けているのは、『民衆の旗』(1946年第4号)です。この雑誌に亀井氏が「日本の悲劇 戦犯裁判プロローグ」というタイトルの記事を寄稿しているそうです。記事のタイトルからして「これだっ!」と思っているだけで根拠はありません。私としては情報をゲットできそうな気がしたのですが、佐藤忠男氏が『民衆の旗』を読んだか何となく不安です。
 これが空振りだと、1976年の『映画芸術』4〜5月号も怪しくなりますね。『ぼくらはアジアで戦争をした』に内海愛子さんと亀井文夫氏の対談がありますので大穴かも……

 『たたかう映画』亀井文夫(岩波新書)を読む限り、田中軍吉氏と亀井文夫氏の面識があったことは間違く、『皇兵』に使われている写真が『戦ふ兵隊』のものであり、田中軍吉氏がこの映画に登場しているシーンも確認しました。上映禁止になった映画の画像が、書籍となって出版されているのは意外でした。

 
638 hits

[5513]Re(6):「南京300人斬り」の...
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 渡辺  - 08/5/22(木) 1:05 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
> これが空振りだと、1976年の『映画芸術』4〜5月号も怪しくなりますね。『ぼくらはアジアで戦争をした』に内海愛子さんと亀井文夫氏の対談がありますので大穴かも……

『ぼくらはアジアで戦争をした』に田中部隊は言及されていますが、たいした内容ではありません。

>『皇兵』に使われている写真が『戦ふ兵隊』のものであり、田中軍吉氏がこの映画に登場しているシーンも確認しました。

漢口の入城式の万歳の音頭をとっているのも田中軍吉とのこと。
『皇兵』によると、ある兵士の荼毘の場面に出てくるはずとのことですが、気がつきませんでした。

>上映禁止になった映画の画像が、書籍となって出版されているのは意外でした。

禁止というよりは、東宝が自分で取り下げたとのことです。
しかし、その場面が『皇兵』に使われているのはびっくりしますね。
漢口の場面も多分映画の一場面です。何とか節の式典の写真は、よく見ると、右端に映画カメラの部分が写っています。この式典の場面は映画にあります。

『民衆の旗』(1946年第4号)、期待してます(^^)
662 hits

[5520]空振りでした(^^)
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 熊猫 E-MAIL  - 08/5/24(土) 16:44 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>『民衆の旗』(1946年第4号)、期待してます(^^)
 佐藤忠男氏の名前が出たとたん、嫌な予感がしていたのですが嫌な予感ほど的中するものですね。映画雑誌に目星をつけるのが妥当かも……
 残念ながら、空振りでした。野球だったらあと一つで三振といったところでしょうが、自分が諦めるまで何度もチャレンジできるのが歴史の素晴らしいところでしょう。
 民衆の旗は、戦後ということもあり本は薄いが内容は濃厚でした。コテコテの左翼本といった感じです。日本民主主義文化聯盟という団体の出版物で昭和二十一年六月号となっていました。
 ずっこけたからには馬の糞でも……
『民衆の旗』第4号 日本民主主義文化聯盟1946年6月1日発行
(28頁〜35頁)
日本の悲劇 ---戦犯裁判プロローグ---亀井文夫
(33頁より)
 天皇の軍隊がいかにざんぎゃくな働きをするかは、すでに南京で「その勇名」をとどろかせましたが、パタアンかんらく當時の例の「死の行進」なども著名な一例です。
 亀井文夫氏は遅くとも1946年の5月の時点で、日本軍による南京での残虐行為があったことを知っていたことになります。東京裁判でウィルソン医師が証言する2ヶ月前から国内において周知の事実だったのは驚きでした。
 なによりも東宝映画『南京』の製作スタッフと交流のあった、亀井文夫氏がこのような記述をしているということがポイントではないかと思います。

亀井文夫氏が記述した雑誌
 基本的には『たたかう映画』(岩波新書)の巻末にまとめられていますが、朝日ジャーナル(1983年9月16日)に佐藤忠男氏と亀井文夫氏の対談がありますので映画雑誌だけでなく、その他の雑誌も可能性ありということでしょう。
 非常にマニアックな雑誌ですが『国民文化』1984年10月号の入手についてはお手上げ状態です。旧総評系の労働組合の事務所なんかに眠っているのではないかと思うのですが、日教組の事務所に夜襲をかけて鹵獲するのが手っ取り早いかと。
717 hits

[5522]Re(1):空振りでした(^^)
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 渡辺  - 08/5/25(日) 0:53 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
> 非常にマニアックな雑誌ですが『国民文化』1984年10月号の入手についてはお手上げ状態です。旧総評系の労働組合の事務所なんかに眠っているのではないかと思うのですが、日教組の事務所に夜襲をかけて鹵獲するのが手っ取り早いかと。

ご報告、ありがとうございます。
『国民文化』は、国民文化会議が出版していたんでしょうか?
これなら、国会図書館にあります。
国会図書館は、ダウンロードした指定用紙に記入、郵送で登録してから、該当個所の複写をオンライン注文できます。(10日くらいかかります。)
記事の題名などが あいまいな場合は、まず目的の雑誌の目次部分を注文するか、記事の照会をします。
『シネフロント』は記事の号と題名が分かっていたので、この方法で複写を入手しました。
710 hits

[5523]Re(2):空振りでした(^^)
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 熊猫 E-MAIL  - 08/5/25(日) 14:02 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>『国民文化』は、国民文化会議が出版していたんでしょうか?
 2000年5月以後廃刊になっていますが……だと思います。
 本来は通号があるのでしょうが、解りません。1984年10月号というのは、佐藤忠男氏が『キネマと砲声―日中映画前史』を執筆中と思われますので要チェックかなと思います。佐藤忠男氏が『国民文化』を読むか?という疑問はありますが、83年に朝日ジャーナルで亀井文夫氏と対談していますので、読んでいても不自然ではないと思います。
【タイトル】
戦争をとらえなおす眼
『戦ふ兵隊』から『生物みなトモダチ』へ

 亀井氏の記述は多くはないので、一つ一つ調べればそのうち解るのではないかと思います。
715 hits

[5546]Re(7):「南京300人斬り」の...
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 熊猫 E-MAIL  - 08/6/9(月) 2:00 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>禁止というよりは、東宝が自分で取り下げたとのことです。
 これは内務省の判断で上映禁止となった可能性があります。
 当時は内務省の検閲後に試写会を行い、その後に軍の検閲だったそうですが、『戦ふ兵隊』は軍の後押しがあるということで、当方が独断で内務省の検閲を受けないまま試写会を行い大盛況だったとのことです。
 この件、亀井氏も知らないのか都度、その理由が変わっていますので要注意ですね。

亀井氏の対談と記述をリストアップします。
□「ルポルタージュ映画『上海』編集後記」(『新映画』一九三八年三月号)
□「記録映画と編集」(『キネマ旬報』一九三八年三月中旬号)
□「記録映画と構成」(『映画評論』一九三八年六月号)
□「従軍監督、キャメラマンの座談会」〈座談会=三木茂他〉(『映画評論』一九三九年三月号)
□「『戦ふ兵隊』からの経験」(『キネマ旬報』一九三九年四月上旬号)
□「記録映画と真実と」(『映画評論』一九三九年五月号)
□「日本映画の初期から今日を語る座談会」〈座談会=秋元憲他〉(『文化映画研究』一九四〇年二月号)
□「三木さんの「文化映画演出者への手紙」の意義」(『文化映画研究』一九四〇年四月号)
□「『信濃風土記』政策の動機」(『文化映画研究』一九四〇年一一、一二合併終刊号)
□「映画の表現方法就いて」(『映画評論』一九四一年一月号)
□「演出者は斯く語る」〈座談会=下村兼史他〉(『文化映画』一九四二年一月号)
●「日本の悲劇――戦犯裁判プロローグ――」(『民衆の旗』一九四六年第四号)
■「映画人の二つの組織」(『映画製作』一九四六年七月号)
■「無色透明映画論」(『キネマ旬報』一九四六年一〇月上旬号)
■「新文化政策と映画――社会党内閣に抱負をきく座談会」〈座談会=森戸辰男他〉(『キネマ旬報』一九四七年八月上旬号)
■「日本映画復興のために(一)」(『映画製作』一九四七年一二月号)
■「日本映画と近代精神」(『映画製作』一九四八年一月号)
■「批評家に訴う――新らしい批評と新らしい批評家――」(『映画評論』一九四八年六月号)
■「両立か対立か――映画の芸術性と企業性」(『キネマ旬報』一九四八年六月下旬号)
■「八住利雄シナリオ集序文」(『女の一生』民友社、一九四八年九月)
■「映画のモンタージュについて」(『映画季刊』一九四八年一一月号)
■「劇映画における記録的手法について」〈対談=山本嘉次郎〉(『キネマ旬報』一九四九年三月下旬号)
■「ソヴェト映画の印象」〈座談会=河原崎国太郎、土方敬太〉(『ソヴェト映画』一九五〇年一月号)
■「最近日本映画の分析」〈対談=井沢淳〉(『シナリオ』一九五〇年五月号)
■「総論 ソヴェト映画の特徴」(土方敬太との共著『ソヴェト映画史』白水社、一九五二年九月)
●「銀幕にしめす中日労働者の握手」(『中国事情』一九五二年一〇月)
■「映画におけるリアリズム」〈座談会=椎名鱗三他〉(『新日本文学』一九五三年五月号)
●「シナリオ生きていてよかった」(『婦人公論』一九五六年五月号)
■「『生きていてよかった』のできるまで」〈座談会=榎下金吾他〉(『新女苑』一九五六年一〇月号)
■「真実のためのフィクション」(『キネマ旬報』一九五七年四月下旬号)
■「敢えて広島・長崎の秘密″をはぐ――世界は恐怖する″撮影裏話――」(『中央公論』一九五七年一二月号)
■「あなたの人間的自覚に訴える――恐るべき事実の撮影を終って」(『キネマ旬報』一九五七年一一月上旬号)
■「映画でえがく死の灰」〈対談=高木健夫〉(『週刊読売』一九五七年八月二日号)
■「記録映画の方法――研究ノート」(『映画批評』一九五八年六月号)
■「雑草のようにのびのびと」(中野好夫、国分一太郎編『私のわんぱく物語』明治図書、一九五八年一一月)
■「わたしほ何故『記録映画』をつくるか――『夜と霧』から『ピカドン』ヘ――」〈対談=アラン・レネ)(『芸術新潮』一九五八年一二月号)
■「私は逮捕された」(『記録映画』一九五八年一二月号)
■「亀井文夫、大いに語る」〈座談会=シネマ59同人〉(『映画評論』一九五九年二月号)
■「未解放部落のロケ記録――映画『人間みな兄弟』――」(『世界』一九六〇年六月号)
■「コミンテルンと雑魚一匹」(『文学』一九六一年五月号)
■「『上海』『小林一茶』その他」(『日本映画作品大鑑』キネマ旬報、一九六一年七月)
■「原爆譜7.一四年後のいまも不満」(『朝日新聞』一九七〇年八月三日)
■「『軍艦だけは釆なかった』は私の作ったコピーなのだ」(『映画評論』一九七一年一二月号)
■「私の戦争と平和」(『IWANAMI HALL』一九七二年二月一〇日号)
■「近況・心境――骨董屋一年生――」(『婦人公論』一九七三年三月号)
●「日本映画音楽史を形作る人々」(『キネマ旬報』一九七五年七月下旬号)
■「残された唯一の戦後につなぐ抵抗」〈座談会=波多野哲朗他〉(『映画芸術』一九七六年四〜五月号)
●「焼けあとに原点はあったか」〈座談会=小川徹他〉(『映画芸術』一九七六年七〜八月号)
■「『戦ふ兵隊』――その受難と演出方法を語る」(『シネ・フロント』一九七七年七月号)
■「暴力では文化は破壊されない」(『東宝争議研究資料集 来なかったのは軍艦だけ』第三集、一九七八年一〇月)
■「記録映画ひと筋に――映画リアリズムを追求」(『Monthly CI』一九七九年九月号)
■「骨董をいじって人生の達人になろう」(『The骨董』一九八〇年四月号)
●「科学技術の発達は今やお荷物だ」〈対談=佐藤忠男〉(『朝日ジャーナル』一九八三年九月一六日号)
■「「帰依自然」の映画製作をみんなで」(『グリーン・パワー』一九八四年二月号)
■「再び「鳥の視点」で」(『読売新聞』一九八四年六月二三日)
■「ヒトよ! 生物としての英知をとり戻せ」(『十代』一九八四年七月号)
■「戦争をとらえなおす眼――『戦ふ兵隊』から『生物みなトキダチ』へ――」(『国民文化』一九八四年一〇月号)
□「代書人をめざす私の映画づくり」(『社会評論』一九八六年四月号)
□「上映されなかった『戦ふ兵隊』」〈対談=内海愛子〉(『ぼくらはアジアで戦争をした』梨の木舎、一九八六年八月)
□「『生物みなトモダチ』ドキュメンタリー映画の巨匠・亀井文夫監督に聞く」(『毎日新聞』一九八六年二月二三日)
□「ドキュメンタリーの精神」〈対談=土木典昭〉(『講座日本映画』第五巻、岩波書店、一九八七年一月)

●は既に空振りした分です(^^)■以外にも探せばまだ出てくる可能性が十分あると思います。
613 hits

[5806]Re(8):「南京300人斬り」の...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/27(土) 11:56 -

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    田中軍吉については史料が少ないですが、『敵中横断三千里』で有名な戦前のベストセラー作家、山中峯太郎の線で史料調査をすれば面白いかもしれませんね。
『皇兵』の原稿は山中経由で出版されたとの説があります。
263 hits

[5807]Re(1):空振りでした(^^)
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/27(土) 12:07 -

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   ▼熊猫さん:

>亀井文夫氏は遅くとも1946年の5月の時点で、日本軍による南京での残虐行為があったことを知っていたことになります。東京裁判でウィルソン医師が証言する2ヶ月前から国内において周知の事実だったのは驚きでした。

 これは私の推測ですが、多分亀井氏は昭和20年12月から始まったGHQ民間情報教育局(CIE)監修による新聞連載「太平洋戦争史」、及びCIE制作教育ラジオ番組「真相はかうだ」(昭和20年12月9日〜)から、<バターン半島死の行進>や<南京大虐殺>等を知ったのではないでしょうか。同番組・新聞連載では南京大虐殺についても採り上げられております。大多数の日本人は戦後、東京裁判開廷前には、同新聞連載やラジオ番組等でこれらの事件を知ったようです。
263 hits

[5808]Re(9):「南京300人斬り」の...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/27(土) 12:20 -

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   > 田中軍吉については史料が少ないですが、『敵中横断三千里』で有名な戦前のベストセラー作家、山中峯太郎の線で史料調査をすれば面白いかもしれませんね。

『敵中横断三千里』ではなく、『敵中横断三百里』でしたね。失礼しました。
三千里は『母を訪ねて・・・』の方ですな。
269 hits

[5809]Re(9):「南京300人斬り」の...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/27(土) 14:17 -

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    連続投稿ですいません。

 田中軍吉は昭和11年に予備役に編入されますが、これは昭和10年12月の「第二次大本教事件」と関連があると考えております。検挙当時の唐沢内務省警保局長は戦後、大本教の資金が右翼・軍人に還流されていたとの回想を述べておりますが、ここで云う軍人とは所謂「皇道派」を指します。

 ところで、田中が皇道派系軍人であったことは間違いない事実ですが、国家革新運動等との関わりの詳細が今ひとつ明確に分かりません。予備役編入理由も含めて、この辺りの事情にお詳しい方、是非とも御教示頂きたくお願いいたします。

-------------------------------------------------------

 所謂「百人斬り」の両少尉の戦後記述等を読むと、彼等にとって田中がある意味で「精神的支柱」であったように想像いたします。私自身は従前より、両少尉よりも田中の方に興味を抱いております。
267 hits

[5810]Re(10):「南京300人斬り」...
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/27(土) 14:42 -

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   ▼かず色さん:
> ところで、田中が皇道派系軍人であったことは間違いない事実ですが、国家革新運動等との関わりの詳細が今ひとつ明確に分かりません。

皇道大本教は、天皇制を支持しているかのように見えますが、本質的に天皇を神とは認めていません。従って戦中は他宗教と同じく国家弾圧を受けています。国家革新運動とは異質なものであり、革新運動から排斥されても不思議ではありません。
278 hits

[5813]Re(5):「南京300人斬り」の...
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 熊猫 E-MAIL  - 08/9/28(日) 0:03 -

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   ▼渡辺さん:
 田中と亀井の両氏は東宝の社員として、もともと知り合いで会ったということは考えられないでしょうか。
 田中軍吉を密告した朝鮮人の朴在文とは何者なのか気になるところです。

問題の2枚の写真とはこれですね。
  
  

 田中軍吉の助広は「サーベル作り」でした。写真の刀も「サーベル作り」なので助広ではないかと思われます。

  

 このような写真は早めに処分すればよいものを、犯罪意識が無かったのか展示して密告されたのですから、本人には悪意はなかったのかも知れません。
234 hits

[5814]Re(11):「南京300人斬り」...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/28(日) 2:06 -

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   ▼とほほさん:

情報ありがとうございます。

大本教を始め、戦前の新宗教は内務省から徹底的な弾圧を受けておりますが、確かに教義の内容を見ると天皇制とは相容れない部分が多いですね。
260 hits

[5815]Re(6):「南京300人斬り」の...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/28(日) 2:42 -

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   ▼熊猫さん:
>▼渡辺さん:
> 田中と亀井の両氏は東宝の社員として、もともと知り合いで会ったということは考えられないでしょうか。

 田中が(多分)東宝映画配給に入社したのが昭和11年。翌12年8月には支那事変に出征しております。亀井文夫が所属していたPCLが東宝映画配給と合併したのが田中の出征後であることを考えると、旧知の仲であったかは微妙ですね。但し、(私の記憶違いで)田中が東宝映画配給では無くPCLに入社していたのなら、当然二人は旧知の仲であったのは確実でしょうね。
232 hits

[5817]Re(6):「南京300人斬り」の...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/28(日) 7:50 -

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   ▼熊猫さん:
>▼渡辺さん:
> 田中軍吉を密告した朝鮮人の朴在文とは何者なのか気になるところです。

 田中軍吉と朴在文に関する記述について、日本大学法学会『政経研究』第42巻第4号収録「いわゆる「百人斬り」事件の虚と実」(秦郁彦論文)P99の記述を一部引用いたします。

―――――――――――――――――――――――――――
 この写真(注:南京軍事裁判における、田中らしき人物が刀を振り上げている写真)を突きつけられて「自白」したとは信じがたいが、添付された文書によると(注:『南京大虐殺図証』※添付文書のことか?)、三百人斬りの証拠とされた「助広」の写真とともに在日朝鮮人の朴在文なる男が中国の駐日代表部へ「密報」したものだという。
 つまり朴が持ち込んだ材料が判決の唯一の証拠とされたことになるが、それは東久邇宮首相の私設秘書を経て飛行館に事務所を持ち、隠退蔵物資の摘発事業に関係していた田中が、朝鮮人の逆恨みを買い密告されたと遺族などへ伝わっている風聞(36)と符号する。

(36):田中の嗣子輝昭氏談、大井満『仕組まれた“南京大虐殺”』(展転社、1995)P264
※ 中国中央档案館・第二歴史档案館・吉林省社会科学院合編『南京大虐殺図証』(吉林人民出版社、1995)P249〜250
――――――――――――――――――――――――――――
 上記内容は、『南京大虐殺図証』と、秦郁彦氏が田中軍吉のご遺族への聞取りを基にしたものですが、念のため大井満の前掲著書を引用してみましょう。

 <田中軍吉氏は、戦後復員し東京に在ったのだが、たまたま近くにいた第三国人(注:差別用語ですがそのまま引用します)思わぬ逆恨み(注:借金の申入れ拒絶)を買い、この三百人斬りの写真を元に、戦犯として訴えられたのだという。そしてそれを、そのまま中国側がとりあげたのであった。>
※『仕組まれた“南京大虐殺”』(展転社、1995)P264


 因みに、手元にある戦後の在日韓国朝鮮人政治運動関連の著書にも当ってみたのですが、朴在文に関する記述は見当たりませんでした(私の見落としかのしれません)。政治的背景等のない「市井の一市民」であった可能性も考えられますね。
241 hits

[5818]Re(7):「南京300人斬り」の...
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 熊猫 E-MAIL  - 08/9/28(日) 9:02 -

引用なし
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    峯太郎と田中軍吉は同じ連隊の先輩と後輩で親交があったものと思います。『皇兵』の写真は亀井の映画から使用したものを掲載しています。また両氏は監督と部長という責任ある役職でしたので、戦前に親交があっても不思議ではありません。かず色さんが申されますように「微妙」なんですよね。当然ながら『戦ふ兵隊』の撮影後は面識があったでしょうが、亀井が田中軍吉氏について記述したとされる記事を見つければ何か分かるかもしれませんね。
310 hits

[5819]Re(12):「南京300人斬り」...
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/28(日) 11:56 -

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   ▼かず色さん:
>大本教を始め、戦前の新宗教は内務省から徹底的な弾圧を受けておりますが、確かに教義の内容を見ると天皇制とは相容れない部分が多いですね。

教義が皇道(いわゆる国家神道)を否定しているカルトなどが弾圧されているようです。

かず色さんの疑問が「田中は皇道派のはずだが、予備役にされている、これは皇道大本教(こうどうおおもときょう)事件と関係があるはずだが、皇道派と革新運動の関係性が不明」と言う趣旨の疑問であれば、答えは「皇道派」と「皇道大本(こうどうおおもと)」とは別物、又は無関係と考えた方が良いと思います。

大本教は元々、皇道とは無縁な独立した宗教集団で神道と仏教を混合したよくその辺にあるカルトです、ただ、特徴としてエリート軍人の間で流行した、と言うことですね。これが国家神道が幅を利かせ、翼賛体制が強化されるに伴い、他の宗教団と同じように翼賛体制化に入るために「皇道」と言う言葉を冠に載せただけです。そもそもの国家革新運動を主導してきた「皇道派」とは無縁の存在と言うことですね。

皇道大本が弾圧を受けたのは、単に宗教活動だけではなく、政治活動も盛んだったからですね。
341 hits

[5820]Re(13):「南京300人斬り」...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/28(日) 17:25 -

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   ▼とほほさん:

 大本教と皇道派の関係について、貴方のご説明で良く理解が出来ました。ありがとうございます。

 大本教に限らず、例えば天津教なども当時のエリート軍人の間でかなり流行してますね。教義の内容等を見れば明らかに「カルト」ですが、こういった宗教が一定の支持を得た背景には、非常に興味を覚えます。当時の世相が不安定だったことも影響しているのでしょうかね。
321 hits

[5821]Re(8):「南京300人斬り」の...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/28(日) 17:44 -

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   ▼熊猫さん:

亀井と田中軍吉が『戦ふ兵隊』撮影前に面識があったのか、想像するだけで刺激的ですね。仰るように、亀井が書いた田中軍吉に関するメモ等があれば、非常に面白いと思います。

 ところで余談ですが、亀井文夫監督『戦ふ兵隊』は、その後のドキュメンタリー作家に少なからず影響を与えているようですね。今回ふと気になって書棚にある映画新聞編『小川紳介を語る』(フィルムアート社刊)を改めて手にとって気付きました。当該書籍は平成4年に亡くなった小川監督を偲んで刊行されたものですが、土本典昭監督、黒木和雄監督、大津幸四郎(カメラ)が何れも本書の中で、亀井と『戦ふ兵隊』について言及しております。『パルチザン前史』『圧殺の森』『三里塚シリーズ』等々、これら傑作の底流には、亀井監督の精神が生きているように感じてなりません。
294 hits

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