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[5616]新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 ゆう 08/9/6(土) 16:28
[5617]Re(1):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 タラリ 08/9/6(土) 22:57
[5618]Re(2):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 ゆう 08/9/7(日) 4:14
[5620]Re(3):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 タラリ 08/9/7(日) 9:16
[5619]Re(1):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/9/7(日) 9:06
[5621]Re(2):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 ゆう 08/9/7(日) 9:41
[5627]Re(3):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/9/7(日) 23:56
[5622]南京警察の服を着たのも2千人 核心 08/9/7(日) 13:59
[5623]Re(1):南京警察の服を着たのも2千人 タラリ 08/9/7(日) 19:02
[5624]Re(2):南京警察の服を着たのも2千人 核心 08/9/7(日) 19:52
[5625]Re(2):南京警察の服を着たのも2千人 タラリ 08/9/7(日) 21:44
[5632]教導総隊だった可能性 核心 08/9/12(金) 17:34
[5634]Re(1):教導総隊だった可能性 タラリ 08/9/12(金) 18:49
[5640]南京警察の服装をしたのも2千人 核心 08/9/13(土) 1:58
[5636]Re(1):教導総隊だった可能性 秋時雨 08/9/12(金) 22:03
[5639]Re(2):教導総隊だった可能性 かず色 08/9/13(土) 1:12
[5651]いくつか指摘 秋時雨 08/9/14(日) 0:35
[5641]Re(2):教導総隊だった可能性 かず色 08/9/13(土) 8:07
[5644]教導総隊 熊猫 08/9/13(土) 17:43
[5646]Re(1):教導総隊 かず色 08/9/13(土) 22:09
[5648]Re(1):教導総隊 かず色 08/9/13(土) 22:48
[5718]Re(2):教導総隊 熊猫 08/9/16(火) 1:56
[5724]Re(3):教導総隊 かず色 08/9/16(火) 23:53
[5652]いくつかの指摘2 秋時雨 08/9/14(日) 0:48
[5655]Re(1):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/14(日) 1:46
[5656]Re(2):いくつかの指摘2 秋時雨 08/9/14(日) 2:23
[5657]Re(3):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/14(日) 2:49
[5658]Re(1):いくつかの指摘2 かず色 08/9/14(日) 7:55
[5661]Re(2):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/14(日) 11:32
[5662]Re(3):いくつかの指摘2 ゆう 08/9/14(日) 13:07
[5663]原剛氏と板倉由明氏は捏造家 核心 08/9/14(日) 16:39
[5664]Re(1):原剛氏と板倉由明氏は捏造家 ゆう 08/9/14(日) 16:48
[5665]Re(2):原剛氏と板倉由明氏は捏造家 とほほ 08/9/14(日) 17:03
[5667]Re(3):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 0:13
[5669]Re(4):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 0:29
[5671]Re(5):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 0:46
[5672]Re(6):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 0:50
[5674]Re(7):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:06
[5681]Re(8):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 1:41
[5683]Re(9):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:47
[5675]Re(7):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:08
[5677]Re(8):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 1:33
[5680]Re(9):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:40
[5684]Re(10):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 1:50
[5686]Re(11):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:58
[5688]Re(12):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:03
[5690]Re(13):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:07
[5691]Re(14):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:09
[5693]Re(15):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:11
[5695]Re(16):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:25
[5697]Re(17):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:33
[5699]Re(18):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:41
[5700]Re(19):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:45
[5703]Re(20):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:48
[5704]Re(21):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:51
[5705]Re(22):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:56
[5706]Re(23):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 3:06
[5707]Re(23):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 3:13
[5698]Re(17):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:39
[5626]Re(2):南京警察の服を着たのも2千人 秋時雨 08/9/7(日) 22:11
[5628]Re(3):南京警察の服を着たのも2千人 核心 08/9/8(月) 2:34
[5629]昭和60年6月のカセットテープ 核心 08/9/8(月) 2:54
[5811]Re(1):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/9/27(土) 17:07
[5812]Re(2):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 ゆう 08/9/27(土) 17:25
[5816]Re(3):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/9/28(日) 2:58
[5822]Re(1):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/10/2(木) 0:22

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[5616]新コンテンツ 日中戦争におけ...
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/9/6(土) 16:28 -

引用なし
パスワード
   日中戦争では、中国側に膨大な数の民間人犠牲者が生じたと伝えられます。

民間人は、どのように殺されたのか。そのことを、日本側資料から探ることはできないか。そんな関心から生まれたのが、このコンテンツです。
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/minkanjinsatugai.html


コンテンツでは、以下の資料を取り上げています。

1.小川関治郎陣中日記
2.浦岡偉太郎「身辺記」
3.塩野雅一「還って来た軍事郵便」
4.石井清太郎「いのちの戦記」
5.恵暉雅『大陸終戦秘話 ああなつかしの広部隊』
6.鈴木二郎 『私はあの"南京の悲劇"を目撃した』

特に2、3、4は、国会図書館にもない、レア資料です(笑)。


ほとんどが「少人数単位の殺害」ですが、こうして見ると、日本軍が、実に気軽に民間人を殺していることがわかります。

「南京における安全区掃蕩」「陽高事件」「北担村事件」などの集団殺害を別にしても、「少人数単位の殺害」が常態化していた。今さらなのですが、その事実を再認識しました。


<業務連絡>

ASDLから光に乗り換えたついでにプロバイダーも変更したため、メールアドレスが変更になっています。そのため、現在のメールアドレスでは、メールが届きません。

新しいアドレスを準備中ですので、しばらくお待ちください。(お急ぎの方は、mixiメールでお願いします)
472 hits

[5617]Re(1):新コンテンツ 日中戦争...
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 タラリ E-MAIL  - 08/9/6(土) 22:57 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>日中戦争では、中国側に膨大な数の民間人犠牲者が生じたと伝えられます。
>
>民間人は、どのように殺されたのか。そのことを、日本側資料から探ることはできないか。

ゆうさん、『鮮血に染まる中国大陸―加害者体験の記録 (戦争を知らない世代へ (2-8 岡山編))』 創価学会青年部 岡山反戦出版委員会編をお忘れではないですか。

pp229からの「赤き血の珠河」では昭和14年のタン族60万人の壊滅作戦を書いてあります。私が知る限り、一地方での最大の大量殺戮です。
382 hits

[5618]Re(2):新コンテンツ 日中戦争...
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/9/7(日) 4:14 -

引用なし
パスワード
   >ゆうさん、『鮮血に染まる中国大陸―加害者体験の記録 (戦争を知らない世代へ (2-8 岡山編))』 創価学会青年部 岡山反戦出版委員会編をお忘れではないですか。
>
>pp229からの「赤き血の珠河」では昭和14年のタン族60万人の壊滅作戦を書いてあります。私が知る限り、一地方での最大の大量殺戮です。

ああ、この本がありました。ご指摘、ありがとうございます。

全80巻というとんでもないシリーズですが、私が持っているのはそのうち12冊。1983年当時、よくこんなに「加害」証言、それも「実名証言」を集めることができたなあ、と感心します。創価学会青年部の組織力、おそるべし。

ただ個別の話には、ちょっと誇張があるのではないか、と思わせる部分もあり、ストレートに使うことには、私は慎重になっています。「揚子江が哭いている」の紹介も、少々及び腰です(^^;
http://www.geocities.jp/yu77799/souka.html

タン族の話についていえば、一中隊が、1日で30万人、5日で60万人を殺した、という話になっています。

明らかに規模が過大です。おそらく何らかの「事実」を反映したものだと思うのですが、裏付け資料が必要かもしれません。


ただこの本には、そんなに無理のない話も結構収められています。そのうち何らかの方法で、使ってみたいところです。
383 hits

[5619]Re(1):新コンテンツ 日中戦争...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/7(日) 9:06 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:

日中戦争期間中(1937〜1945年)の日本軍将兵に於ける一般住民不法殺害についての個人的見解ですが、私は全期間を通じて散発的に発生したように考えます。中国戦線出征元兵士(主に奈良聯隊等)の方々からの(個人的な)話を総合して勘案しますと、特に、戦争初期には軍紀の弛緩による一部兵士の非行が常態化したのは紛れもない事実でしょう。但し、一方で一般住民への不法殺害に関する証言は案外少ないとの印象も受けました。これは、改正前陸軍刑法でも、一般住民への不法殺害が「重罪」であったことと相関関係があるように思います。不法殺人に対する心理的障壁を克服した一部兵士にとっても、一定の抑止効果があったのでしょう。私が話を聞いた中国出征元将兵の多くは、こうした一部将兵の紊乱行為に批判的であったことを付け加えておきます。

昭和15年9月の「陸軍懲戒令」改正、昭和16年1月の「戦陣訓」訓令、昭和17年2月の「陸軍刑法」改正は、中国戦線での不法行為の頻発・常態化が影響しております。
374 hits

[5620]Re(3):新コンテンツ 日中戦争...
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 タラリ E-MAIL  - 08/9/7(日) 9:16 -

引用なし
パスワード
   ▼ゆうさん:
>ただ個別の話には、ちょっと誇張があるのではないか、と思わせる部分もあり、ストレートに使うことには、私は慎重になっています。

>タン族の話についていえば、一中隊が、1日で30万人、5日で60万人を殺した、という話になっています。

>明らかに規模が過大です。おそらく何らかの「事実」を反映したものだと思うのですが、裏付け資料が必要かもしれません。

そうですね、30万人、60万人という数字自体は裏付けがないと、ただちには信用できませんね。おそらく、証言者の心の痛みから、記憶の中で過大な数字となったものと思われます。
395 hits

[5621]Re(2):新コンテンツ 日中戦争...
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/9/7(日) 9:41 -

引用なし
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   ▼かず色さん:

思考錯誤板へ、ようこそいらっしゃいました。mixiの「蒋介石日記」シリーズ、愛読させていただいています(笑)。


資料を集めていて気がついたのですが、「民間人殺害」には二つのパターンがあるように思います。

第一は、「犯罪としての殺害」。部隊を離れて「クーニャン狩り」なり「個人的徴発(略奪)」なりを行っていた兵士が、抵抗を受けて殺してしまった、というパターンが多いですね。

第二は、「作戦行動中の殺害」。日本軍を見てあわてて逃げだす民間人を殺してしまう、あるいは、こいつは怪しい奴だから(と勝手に判断して)殺してしまう、というパターンです。


第一については、捕まれば「重罪」になります。しかし第二は、おそらく「黙認」でしょう。

そして、第二のパターンが意外と多いのです。おそらく日本軍兵士も、これにはそんなに「罪の意識」を感じなかったのではないでしょうか。資料群にも、実にさりげなく書かれています。

しかし中国側から見れば、これは紛れもない「民間人殺害」です。このあたりが、日中の意識のギャップの一因なのかもしれません。


>▼ゆうさん:
>
>日中戦争期間中(1937〜1945年)の日本軍将兵に於ける一般住民不法殺害についての個人的見解ですが、私は全期間を通じて散発的に発生したように考えます。中国戦線出征元兵士(主に奈良聯隊等)の方々からの(個人的な)話を総合して勘案しますと、特に、戦争初期には軍紀の弛緩による一部兵士の非行が常態化したのは紛れもない事実でしょう。但し、一方で一般住民への不法殺害に関する証言は案外少ないとの印象も受けました。これは、改正前陸軍刑法でも、一般住民への不法殺害が「重罪」であったことと相関関係があるように思います。不法殺人に対する心理的障壁を克服した一部兵士にとっても、一定の抑止効果があったのでしょう。私が話を聞いた中国出征元将兵の多くは、こうした一部将兵の紊乱行為に批判的であったことを付け加えておきます。
>
>昭和15年9月の「陸軍懲戒令」改正、昭和16年1月の「戦陣訓」訓令、昭和17年2月の「陸軍刑法」改正は、中国戦線での不法行為の頻発・常態化が影響しております。
382 hits

[5622]南京警察の服を着たのも2千人
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 核心 E-MAIL  - 08/9/7(日) 13:59 -

引用なし
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   私は父から幕府山の捕虜に「南京警察の服を着たのも2千人いた。」と直接聞いています。
当時の日本兵にとっては一般市民かどうかは全く問題ではなかったと考えています。
父は警察がシビリアンであるとは全く考えていなかったようです。
いまの日本人の感覚では想像も出来ないことなのです。
「南京警察の服を着たのも2千人いたなあ。」と日常的な表現でしたから。

補足的に説明しますと日本人が、日本人も欧米人のように当たり前の生活がおくることが出きると感じるようになったのは昭和30年以降です。
そのころから「南京」も過去の恥ずべき行為である、と考えるようになったようです。
369 hits

[5623]Re(1):南京警察の服を着たのも...
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 タラリ E-MAIL  - 08/9/7(日) 19:02 -

引用なし
パスワード
   ▼核心さん:
>私は父から幕府山の捕虜に「南京警察の服を着たのも2千人いた。」と直接聞いています。
>当時の日本兵にとっては一般市民かどうかは全く問題ではなかったと考えています。
>父は警察がシビリアンであるとは全く考えていなかったようです。
>いまの日本人の感覚では想像も出来ないことなのです。
>「南京警察の服を着たのも2千人いたなあ。」と日常的な表現でしたから。

しばらくです。父上がそう記憶されていましたか。

南京市長が安全区のために残してくれた警官は450名です。そのうち、135名の連行(殺害)が国際委員会に記録されています。内訳は司法部から50人の制服警官、46人の”志願警官”、最高法院から40人の制服警官です。しかし、これらの警官は14−16日におそらくは第7師団によって連行されたのであって、幕府山には行ってはいません。

2月以降に残った警官は200人か250人(これは私の記憶がさだかでない)であって、他にも殺されてるはずです。これらの警官は「南京自治委員会−(新)南京市政府」の警官の中核となり、人口調査(戸口調査)という重要な役割を果たしています。

南京警察の服という見立てが正確なのかどうか、二千人いたというのも確かな記憶かどうか、疑問の余地があります。幕府山の捕虜にはいろいろな制服のものがいたという記録はありますから、警察に似た制服の部隊なのか、あるいは警官ではあったが数はずっと少なかったというのならありえるでしょう。
362 hits

[5624]Re(2):南京警察の服を着たのも...
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 核心 E-MAIL  - 08/9/7(日) 19:52 -

引用なし
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   私は父の最近の証言ですから何ともいいようがありません。
父の証言は幕府山の捕虜が13500人、全体で7万余人です。
大湾子の捕虜殺害が13500人、魚雷営が7千人と考えて小野賢二氏の65連隊の捕虜は全体で2万人と私も今のところ考えています。

いずれにしろ他の証言なり資料で補完されるべきだとは考えています。

あまり細かい数字を並べてもそれほど意味のあることだとは私は個人的には考えていません。
細かい数字による限定は捏造派の用いる捏造の手法に通じるものを感じます。
370 hits

[5625]Re(2):南京警察の服を着たのも...
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 タラリ E-MAIL  - 08/9/7(日) 21:44 -

引用なし
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   ▼タラリさん:
>しかし、これらの警官は14−16日におそらくは第7師団によって連行されたのであって、幕府山には行ってはいません。

訂正:×第7師団→○第7連隊
350 hits

[5626]Re(2):南京警察の服を着たのも...
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 秋時雨  - 08/9/7(日) 22:11 -

引用なし
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   ▼核心さん:
>私は父から幕府山の捕虜に「南京警察の服を着たのも2千人いた。」と直接聞いています。
>「南京警察の服を着たのも2千人いたなあ。」と日常的な表現でしたから。

お久しぶりです。
核心さんのお父上の記憶についてのことですが、12月13日渡江できなかった中国軍の憲兵教導第2団2千人余が烏龍山(幕府山の東方)で日本軍の攻撃をうけた事実があります。通常の中国軍の制服と違う事もあり、捕虜になった兵士を見て南京警察の者だという記憶で残った可能性も考えられませんか。
388 hits

[5627]Re(3):新コンテンツ 日中戦争...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/7(日) 23:56 -

引用なし
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   ▼ゆうさん

 民間人殺害に関するパターンについてのご意見、概ね同意いたします。
内、支那事変初期段階の所謂「犯罪としての殺害」は相当深刻であったと考えております。先述の書込みで陸軍刑法に言及いたしましたが、その改正内容を検証すれば、当時の陸軍首脳が如何に中国戦線での軍紀弛緩に頭を悩ませたのかが推察できます。

昭和17年2月の陸軍刑法改正で特に注目すべき点は以下の通りです。

1.抗命、上官暴行、逃亡、軍用物破損等に対する厳罰化
2.強姦行為への厳罰化
1.強姦罪(無期又は1年以上の懲役)の新設
2.強姦致傷罪(無期又は3年以上の懲役)の新設
3.強姦致死罪(死刑又は無期又は7年以上の懲役)の新設

 従来の陸軍刑法では、強姦行為のみの場合の処罰規定がありませんでしたので、当該改正の背景として中国戦線での一般婦女子に対する一部兵士の非行行為、軍紀弛緩が相当深刻であったことが窺われます。
 以上の事から類推するに、日本軍将兵による一般住民殺害行為と「強姦行為」は、中国戦線に於いて密接に関係していたようにも想像いたします。

 ところで、中国一般住民に対する将兵の殺害等不軍規行為の深刻さについては様々な証言が存在しております。特に戦争末期の三笠宮崇仁親王のご発言は、殿下の苦しい心の内を表しており、日中戦争初期の軍紀弛緩の深刻さを証明する貴重な内容であると思います。ご存じの方も多いと思いますが、念のためご紹介させて頂きます。

※臼井勝美著『新版 日中戦争』(中公新書)P173〜一部引用
-----------------------------------------------------------
 三笠宮は1941年陸軍大学校を卒業、同校研究部員を経て1943年1月、支那派遣軍参謀に任命され、14日南京着、支那派遣軍参謀部第一課に「若杉参謀」の別名で勤務を始めてから約1年がたっていた(大尉で着任、離任時は少佐)。
 1月10日大本営勤務となるが、転任を前に南京諸部隊の尉官約120〜130名を集めて教育講話を行った。総参謀長松井久太郎中将以下参謀二十余名も列席した。三笠宮が1934年士官学校本科に進学のとき辻政信大尉が中隊長であった。そして今度総司令部に着任した時、偶然であるが辻が大佐参謀でいたので講話の内容はあらかじめ辻に見せたという。
 この講話は日本軍の反省にとどまらず、中国抗日の原因、共産党拡大の理由、汪国民政府評価にまで及び、日中戦争の現状批判にまで発展した。
 まず蒋介石が抗日になった原因として三笠宮は「満州独立、日本の華北に対する野心、支那事変勃発以後日本軍の暴虐行為に依る抗日宣伝の裏付け、強姦、良民の殺傷、放火、中国独立革命気運に逆行し日本の中国革命に対する援助の不足或いは妨害」等々を列挙した。そして「中国を抗日ならしめた責任は何としても隣組であり夫である日本人が負わなければならない」とした。(以下略)。
----------------------------------------------------------------
殿下のお言葉は、当該問題の本質を衝いたものであると考えます。
376 hits

[5628]Re(3):南京警察の服を着たのも...
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 核心 E-MAIL  - 08/9/8(月) 2:34 -

引用なし
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   私は教導総隊の存在については「郷土部隊戦記1」(福島民友新聞社)で知りました。
私も父も「南京」について話すことが各方面から相当の非難を浴びる行為だとは昭和59年当時は全く知りませんでした。
捏造派の長い間の脅迫行為がありましたので、近年私が聞いた話も全体として論理的な話ではありません。
(父も自分が話すことが非難の対象になる行為なのだと自覚させられていましたから、話すことに多少躊躇する様子もありました。)
父としては戦争の話として人前でする話は大湾子の捕虜の殺害に関する話に限定していたのだと思います。
魚雷営の1日目としての下関での斬首の話は小野賢二氏の話にもあるように試み的なものだったとのことなので、全く話す意思は無かったと思います。
以上の理由から父が話したことは幕府山の捕虜を大湾子で処分(=虐殺)した捕虜が対象であったと思います。

南京警察の話とは別の機会に父は「あれで蒋介石直属だというのだから、だらしのねえやつらだ。」と嘲笑的に言ってたことがあります。
それが私としては教導総隊のことかな、と考えていたのですが、父としては南京警察と考えた服装の集団がいて、その総数が2千人であった、と認識していたのだと思います。
389 hits

[5629]昭和60年6月のカセットテー...
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 核心 E-MAIL  - 08/9/8(月) 2:54 -

引用なし
パスワード
   以前からお話ししていることですが「南京」については戦友たちからも正直に話すことは非難されていたようです。
昭和60年6月ころに負傷した戦友を病院に母とお見舞いした際の会話がカセットテープに記録されています。
父が自分で記録したものです。
そのテープの中でも「...俺なんか馬鹿正直なもんだからさあ...」と戦友への言い訳めいた会話が記録されています。
あとは大した内容の会話ではないと思います。
387 hits

[5632]教導総隊だった可能性
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 核心 E-MAIL  - 08/9/12(金) 17:34 -

引用なし
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   ▼タラリさん:

>>しかし、これらの警官は14−16日におそらくは第7連隊によって連行されたのであって、幕府山には行ってはいません。

タラリさんの言われるとおり、父が教導総隊と南京警察の服装を見誤って記憶した可能性はあります。
父は伍長ですから両者の区別はつかなかった可能性はあります。

その場合の前提としてタラリさんは65連隊の捕虜の総数は約2万人とお考えなのでしょうか?

また、教導総隊が2千人なら妥当な人数とお考えなのでしょうか?
314 hits

[5634]Re(1):教導総隊だった可能性
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 タラリ E-MAIL  - 08/9/12(金) 18:49 -

引用なし
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   ▼核心さん:
>▼タラリさん:

>タラリさんの言われるとおり、父が教導総隊と南京警察の服装を見誤って記憶した可能性はあります。
>父は伍長ですから両者の区別はつかなかった可能性はあります。

捕虜になったのは国民党中央軍の第六十軍、第八十三軍、教導総隊が中心で、他の残存部隊も混じっていると思われます。捕虜になった教導総隊の人数までは資料がないのでわかりません。

『南京大虐殺の研究』の中の笠原十九司氏の研究をまとめれば、

教導総隊は総数三万人、直属部隊と歩兵三個師団の部隊約一万人は撤退命令が早期に伝わり、下関から撤退。第一旅第一団と第二旅第三団は撤退命令を受けるも正面からの包囲突破ができず、燕子磯から渡河をしようとしたが、果たせなかった。
紫金山で戦っていた第一旅主力には撤退命令が伝わるのが遅れ、煤炭港から燕子磯からの渡河をしようとしたが、困難であった。
第三旅は紫金山で最後まで戦闘を続け、最後には日本軍を正面突破し、安き省の集結地に向かった。

三万人中、二万人脱出、一万人は散兵、敗残兵となり、そのうちの何割かが幕府山の捕虜となったと考えられます。二千人はいい線だと思います。

本多勝一の『南京への道』(文庫本)pp231に朝日新聞の河村記者による12月17日撮影の「避難民に潜入していた敗残兵」という写真がありますが、これは実は警官の写真であり、教導総隊の紺色の制服と似ていたと言われています。

教導総隊については同書のpp284とpp375の註を読んで下さい。
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[5636]Re(1):教導総隊だった可能性
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 秋時雨  - 08/9/12(金) 22:03 -

引用なし
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   申し訳ありません。紛らわしい名前でありながら説明不足でした。

憲兵教導第二団は教導総隊とは別部隊です。首都警衛軍として戦列に加わった憲兵部隊のひとつです。

タラリさんも書かれているように教導総隊は3万人〜3万5千人でしょう。
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[5639]Re(2):教導総隊だった可能性
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/13(土) 1:12 -

引用なし
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   ▼秋時雨さん

教導総隊の推定兵力が3万〜3万5千人との説には若干疑問があります。上海戦当時に3ヶ団編制だったものが、果たして南京戦迄にそれ程兵力が増大するのでしょうか。純軍事学的見地から勘案し、慎重に検証する必要があるように思います。
321 hits

[5640]南京警察の服装をしたのも2千...
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 核心 E-MAIL  - 08/9/13(土) 1:58 -

引用なし
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   「南京への道」はこれから読みます。

父は「南京警察の服装をしたのも2千人いたなあ。あれであいつら蒋介石の直属だというのだからだらしのねえやつらだ。」と言った可能性が大です。
父は、南京警察が2千人、という言い方はしていません。
南京警察の服装をしたのも、だったようです。
私はそのころは全く「南京」について知らなかったので、南京警察と考えたのだと思います。
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[5641]Re(2):教導総隊だった可能性
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/13(土) 8:07 -

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   ▼秋時雨さん

南京戦時点の教導総隊の推定兵力を仮に3万〜3万5千人とする場合の根拠としては、第二旅第三団長の証言等がありますね。

この場合、南京への戦略的後退時に教導総隊が南京保衛軍に編入された時点で、大規模な再編制・戦時動員が行われたことになります。

ここで質問なのですが、中国側で現在之を裏付ける一次史料は発見され、研究はなされているのでしょうか。中国側の実証主義的研究はかなり進んでいると聞きますが、南京攻略戦直前の教導総隊に関する新資料があれば、是非読んでみたいと思います。
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[5644]教導総隊
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 熊猫 E-MAIL  - 08/9/13(土) 17:43 -

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   ▼かず色さん:
>南京戦時点の教導総隊の推定兵力を仮に3万〜3万5千人とする場合の根拠としては、第二旅第三団長の証言等がありますね。
>
>この場合、南京への戦略的後退時に教導総隊が南京保衛軍に編入された時点で、大規模な再編制・戦時動員が行われたことになります。
>
>ここで質問なのですが、中国側で現在之を裏付ける一次史料は発見され、研究はなされているのでしょうか。中国側の実証主義的研究はかなり進んでいると聞きますが、南京攻略戦直前の教導総隊に関する新資料があれば、是非読んでみたいと思います。

 新資料ではありませんが、12月10日に鎮江より到着した第一一二師が教導総隊の増援部隊として配備されました。これが大規模な再編制・戦時動員≠ゥは判りませんが詳しいことが解り次第報告します。
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[5646]Re(1):教導総隊
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/13(土) 22:09 -

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   ▼熊猫さん:

勉強不足で申し訳ない。その情報は非常に興味があります。また御教示の程、宜しくお願いいたします。

> 新資料ではありませんが、12月10日に鎮江より到着した第一一二師が教導総隊の増援部隊として配備されました。これが大規模な再編制・戦時動員≠ゥは判りませんが詳しいことが解り次第報告します。
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[5648]Re(1):教導総隊
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/13(土) 22:48 -

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   ▼熊猫さん:

追伸です。

南京攻略戦直前に百十二師、百三師は鎮江から南京に移動し、教導総隊の指揮下に入りますが、戦力的にはどの程度損耗していたのでしょうかね。『南京戦史』編集委員の結論は極めて損耗が激しかったと推定しておりますが、常々疑問に感じております。
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[5651]いくつか指摘
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 秋時雨  - 08/9/14(日) 0:35 -

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   始めまして。

>教導総隊の推定兵力が3万〜3万5千人との説には若干疑問があります。上海戦当時に3ヶ団編制だったものが、果たして南京戦迄にそれ程兵力が増大するのでしょうか。

例えを日本軍のある師団に置き換えると、平時編成1万人前後の第三師団(名古屋)は日中戦争が始まり上海派遣軍として戦列に加わった時には2万5千人に膨らみました。徴兵制度の違いはあれ短期間に兵員が増大するのはそれほど疑問視する必要はないかと考えます。


>純軍事学的見地から勘案し、慎重に検証する必要があるように思います。

そういう気の遠くなるような作業は私個人の手に余るので不可能です。
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[5652]いくつかの指摘2
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 秋時雨  - 08/9/14(日) 0:48 -

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   >南京戦時点の教導総隊の推定兵力を仮に3万〜3万5千人とする場合の根拠としては、第二旅第三団長の証言等がありますね。

>ここで質問なのですが、中国側で現在之を裏付ける一次史料は発見され、研究はなされているのでしょうか。

以下の証言ですね。
----
周振強・教導総隊第一旅旅長「蒋介石的鉄衛隊 教導総隊」
当時南京を防衛していた教導総隊の将兵は約3万5千人

李西開・教導総隊第二旅第三団団長「紫金山戦闘」
教導総隊は南京防衛線のなかで、最も装備がよく、実力最強で兵員も定員に充足された主力部隊で・・・教導総隊全軍の総兵員は約三万余人であった。

彭月翔・教導総隊第二旅第三団副団長「紫金山戦闘」
教導総隊は南京防衛戦の中で装備が最良で、戦闘力も比較的強い主力部隊で・・・全教導総隊の兵員の総計は約三万余人であった。
----
これらは立派な「一次史料」ですよ。

>この場合、南京への戦略的後退時に教導総隊が南京保衛軍に編入された時点で、大規模な再編制・戦時動員が行われたことになります。

一度出された撤退命令は撤回されその後戦闘で指揮系統が混乱し壊走状態で退却したので「戦略的後退」はあまり妥当ではありません。

>教導総隊が南京保衛軍に編入された時点で、大規模な再編制・戦時動員が行われたことになります。

大規模な拡充は八月の上海戦後のことで南京防衛軍に編入された時点ではないようです。
312 hits

[5655]Re(1):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/14(日) 1:46 -

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   ▼秋時雨さん:
>>この場合、南京への戦略的後退時に教導総隊が南京保衛軍に編入された時点で、大規模な再編制・戦時動員が行われたことになります。
>
>一度出された撤退命令は撤回されその後戦闘で指揮系統が混乱し壊走状態で退却したので「戦略的後退」はあまり妥当ではありません。

ここで かず色さん が言っている「南京への戦略的後退」と言うのは、南京陥落後の撤退ではなく上海から南京への退却のことでは無いでしょうか?
これは「蒋介石の戦略的後退」と言えると思います。

この南京への撤退戦時に立ち寄った村々で大規模な徴兵を国民党軍は行っております。南京防衛軍の約半数がこの時に徴兵されている、と言うのが笠原見解だと思います。また、中国の風俗として民間人もこの時に安全を求めて軍について移動した人間も多く、それらがまた軍属として虐殺されたのではないかと私は考えてます。
300 hits

[5656]Re(2):いくつかの指摘2
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 秋時雨  - 08/9/14(日) 2:23 -

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   >ここで かず色さん が言っている「南京への戦略的後退」と言うのは、南京陥落後の撤退ではなく上海から南京への退却のことでは無いでしょうか?

私は上海戦域からの撤退という意味で「戦略的」が妥当ではないという意味で説明しているつもりです。


>この南京への撤退戦時に立ち寄った村々で大規模な徴兵を国民党軍は行っております。南京防衛軍の約半数がこの時に徴兵されている、と言うのが笠原見解だと思います。

晩聲社「南京大虐殺の研究」所収 笠原論文「南京防衛戦と中国軍」を一通り目を通しましたがそのような記述は見た記憶がありません。見落としている可能性があるので項数を教えていただけないでしょうか。
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[5657]Re(3):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/14(日) 2:49 -

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   ▼秋時雨さん:
>私は上海戦域からの撤退という意味で「戦略的」が妥当ではないという意味で説明しているつもりです。

そうでしたか、でしたら私の誤りです。南京陥落時の撤退と様子が似ているので、勘違いされたのかな?と思いました、すみません。
上海撤退時については私は全く無知ですので、勉強してみます。私が戦略的撤退としているのは日本軍の南京攻略戦開始直後に行われた国民政府軍事委員会(委員長・蒋介石)の最高国防会議(11月15日〜18日)の南京遷都決定と南京防衛作戦方針のことを指しています。
下記の大規模な増兵もこの会議で決められています。

>>この南京への撤退戦時に立ち寄った村々で大規模な徴兵を国民党軍は行っております。南京防衛軍の約半数がこの時に徴兵されている、と言うのが笠原見解だと思います。
>晩聲社「南京大虐殺の研究」所収 笠原論文「南京防衛戦と中国軍」を一通り目を通しましたがそのような記述は見た記憶がありません。見落としている可能性があるので項数を教えていただけないでしょうか。

南京事件(笠原)、P113、『急増・急造の防衛軍』の章を確認されてください。「半数近くがこのとき増兵された新兵である」と言うのは当初の防衛軍の人数を7万人とした場合、実際の南京城攻略戦時の笠原見解数から推定したものです。
313 hits

[5658]Re(1):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/14(日) 7:55 -

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   ▼秋時雨さん:

御教示ありがとうございます。ご紹介の史料は何れも有名な中国軍関係者証言ですが、これは私の云う一次史料ではありません。南京攻略戦直前の再編制・動員・人員構成等を示す当時の公的史料等について申し上げております。
李西開・教導総隊第二旅第三団団長等の発言は史料的裏付けが不明確です。同様に、譚道平南京衛戍司令長官部参謀処第一科長の証言「教導総隊総数11,000名」についても、一次史料の裏付けがありません。
297 hits

[5661]Re(2):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/14(日) 11:32 -

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   ▼かず色さん:
>御教示ありがとうございます。ご紹介の史料は何れも有名な中国軍関係者証言ですが、これは私の云う一次史料ではありません。

かず色さん、実証主義というのは客観性を持って万人に共通のルールの中で実証的に物事を説明することです。「あなたの言う一次資料」と言う認識にはなんら客観性がありません。

公的な資料とはどのように定義されているのでしょうか?
あなたの言う一次資料とは何か?定義してください。
歴史学又事実認定における一般的資料定義と「あなたの言う一次資料」は著しく異なります。

この件と、佐藤証言に関するあなたの見解は、同じ事を複数の方に指摘されながら、それには反論せずに、ご自身の主観的主張を繰り返されてます。実証主義に一番大事なものは客観性です。したがって上記2点の説明を先に行ってください。これを行っていない投稿は今後削除対象になるおそれがあります。
293 hits

[5662]Re(3):いくつかの指摘2
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/9/14(日) 13:07 -

引用なし
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   かず色さんは、「南京事件」については原剛氏や板倉氏に近い見解を持つ方です。「大虐殺」は否定しながらも、同時に「歴史修正主義」をも批判する立場をとります。

私の目から見て、かず色さんの討論姿勢は冷静で、また相手の立場を尊重した腰の低いものであり、見習うべきものであると思います。

かず色さんの博識、また問題提起は、私にとっても、討論の参加者にとっても貴重なものであると考えます。討論されている方も、かず色さんに触発されて、興味深い議論を展開しています。

当掲示板の発展のためにも、どうぞ「削除」などせず、自由な討論を見守っていただくよう、お願いします。
303 hits

[5663]原剛氏と板倉由明氏は捏造家
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 核心 E-MAIL  - 08/9/14(日) 16:39 -

引用なし
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   原剛氏と板倉由明氏が栗原証言を捏造したのはお配りしている資料から明らかなことです。
目的が捏造ですから、論理が整然としているからと言って事実の証明には近づかないと思いますけど。
もともと大虐殺の肯定は小野賢二氏の諸論文に負うものなのですから。
307 hits

[5664]Re(1):原剛氏と板倉由明氏は捏...
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/9/14(日) 16:48 -

引用なし
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   今話をしているのは、かず色さんのことです。原剛氏や板倉氏が「捏造」を行ったかどうか私にはわかりませんが、少なくともそれはかず色さんには関わりのないことだと思います。

思考錯誤板は、真面目な議論を行おうとする方を排除するような、閉鎖的な板ではないと思うのですが。多少考え方の違う方を受け入れる度量があり、そのような方々と知的な共同作業を行うことのできる板である、と私は見ています。

だからこそ、私はここで「常連」をしているわけです。
313 hits

[5665]Re(2):原剛氏と板倉由明氏は捏...
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/14(日) 17:03 -

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   ▼ゆうさん:
>思考錯誤板は、真面目な議論を行おうとする方を排除するような、閉鎖的な板ではないと思うのですが。多少考え方の違う方を受け入れる度量があり、そのような方々と知的な共同作業を行うことのできる板である、と私は見ています。

お言葉ですが(^^;
思考錯誤掲示板はフリートーク掲示板であり、考え方の違い・多様性は大いに歓迎しております。

知的共同作業を行うために必要なものが客観性であり、論理であることは言うまでも無いことで、論理を無視した投稿は今後削除されるおそれがある、と かず色さん に警告しているだけです。すでに相手の反論や指摘には一切答えずに何件が投稿されているからです。

考え方の違いは認めますが、論理(すじ)が通っていない主張の繰り返しは認めません。
324 hits

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