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[5616]新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 ゆう 08/9/6(土) 16:28
[5617]Re(1):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 タラリ 08/9/6(土) 22:57
[5618]Re(2):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 ゆう 08/9/7(日) 4:14
[5620]Re(3):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 タラリ 08/9/7(日) 9:16
[5619]Re(1):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/9/7(日) 9:06
[5621]Re(2):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 ゆう 08/9/7(日) 9:41
[5627]Re(3):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/9/7(日) 23:56
[5622]南京警察の服を着たのも2千人 核心 08/9/7(日) 13:59
[5623]Re(1):南京警察の服を着たのも2千人 タラリ 08/9/7(日) 19:02
[5624]Re(2):南京警察の服を着たのも2千人 核心 08/9/7(日) 19:52
[5625]Re(2):南京警察の服を着たのも2千人 タラリ 08/9/7(日) 21:44
[5632]教導総隊だった可能性 核心 08/9/12(金) 17:34
[5634]Re(1):教導総隊だった可能性 タラリ 08/9/12(金) 18:49
[5640]南京警察の服装をしたのも2千人 核心 08/9/13(土) 1:58
[5636]Re(1):教導総隊だった可能性 秋時雨 08/9/12(金) 22:03
[5639]Re(2):教導総隊だった可能性 かず色 08/9/13(土) 1:12
[5651]いくつか指摘 秋時雨 08/9/14(日) 0:35
[5641]Re(2):教導総隊だった可能性 かず色 08/9/13(土) 8:07
[5644]教導総隊 熊猫 08/9/13(土) 17:43
[5646]Re(1):教導総隊 かず色 08/9/13(土) 22:09
[5648]Re(1):教導総隊 かず色 08/9/13(土) 22:48
[5718]Re(2):教導総隊 熊猫 08/9/16(火) 1:56
[5724]Re(3):教導総隊 かず色 08/9/16(火) 23:53
[5652]いくつかの指摘2 秋時雨 08/9/14(日) 0:48
[5655]Re(1):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/14(日) 1:46
[5656]Re(2):いくつかの指摘2 秋時雨 08/9/14(日) 2:23
[5657]Re(3):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/14(日) 2:49
[5658]Re(1):いくつかの指摘2 かず色 08/9/14(日) 7:55
[5661]Re(2):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/14(日) 11:32
[5662]Re(3):いくつかの指摘2 ゆう 08/9/14(日) 13:07
[5663]原剛氏と板倉由明氏は捏造家 核心 08/9/14(日) 16:39
[5664]Re(1):原剛氏と板倉由明氏は捏造家 ゆう 08/9/14(日) 16:48
[5665]Re(2):原剛氏と板倉由明氏は捏造家 とほほ 08/9/14(日) 17:03
[5667]Re(3):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 0:13
[5669]Re(4):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 0:29
[5671]Re(5):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 0:46
[5672]Re(6):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 0:50
[5674]Re(7):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:06
[5681]Re(8):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 1:41
[5683]Re(9):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:47
[5675]Re(7):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:08
[5677]Re(8):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 1:33
[5680]Re(9):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:40
[5684]Re(10):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 1:50
[5686]Re(11):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 1:58
[5688]Re(12):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:03
[5690]Re(13):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:07
[5691]Re(14):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:09
[5693]Re(15):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:11
[5695]Re(16):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:25
[5697]Re(17):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:33
[5699]Re(18):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:41
[5700]Re(19):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:45
[5703]Re(20):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:48
[5704]Re(21):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:51
[5705]Re(22):いくつかの指摘2 とほほ 08/9/15(月) 2:56
[5706]Re(23):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 3:06
[5707]Re(23):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 3:13
[5698]Re(17):いくつかの指摘2 かず色 08/9/15(月) 2:39
[5626]Re(2):南京警察の服を着たのも2千人 秋時雨 08/9/7(日) 22:11
[5628]Re(3):南京警察の服を着たのも2千人 核心 08/9/8(月) 2:34
[5629]昭和60年6月のカセットテープ 核心 08/9/8(月) 2:54
[5811]Re(1):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/9/27(土) 17:07
[5812]Re(2):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 ゆう 08/9/27(土) 17:25
[5816]Re(3):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/9/28(日) 2:58
[5822]Re(1):新コンテンツ 日中戦争における民間人殺害 かず色 08/10/2(木) 0:22

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[5667]Re(3):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 0:13 -

引用なし
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   ▼とほほさん:

第一のご質問である「公的な資料とはどのように定義しているのか」についてお答えいたします。

「公的な資料」とは広義の定義と狭義の定義に大別することが可能かと思料いたします。この内、私が考える「狭義の定義」とは、大陸命や臨参命・臨命・参謀本部発電報、方面軍作戦命令(作命)や派遣軍・師団命令(作命)、各種通牒・訓示・作戦経過概要・戦時旬報・戦闘詳報・陣中日誌等が範疇に入るかと考えます。

次に「広義の定義」についてですが、先述の公文書に加えて、南京事件関連を例に挙げますと上村上海派遣軍参謀副長日記・中島今朝吾日記・佐々木到一私記等もその範疇に含めて良いのではないかと考えます。個人の日記等は厳密に申せば(法律論的解釈に於いても)公的資料とはなり得ないとの反論も当然あるかと思います。然しながら、これらの資料は戦局の推移等を考察する上で極めて重要な資料であり、後日書かれた回顧録等とは違って客観的資料として史料的価値は高いものです。事件当事者の日記等が、専門家による厳正な検証や史料批判に充分耐えうるものであり、且世間一般の縦覧に供されているものならば、広義の定義において「公的な資料」に含めて良いかと考えます。従いまして、私の考えでは例えば『両角業作手記』等は「公的な資料」の範疇には入りません。一方で、小野賢二著『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店刊)収録の陣中日記群は、「公的な資料」の範疇に入るかと思料いたします。

当該コンテンツで申し上げますと、先般ゆうさんがご紹介されていた『小川関治郎陣中日記』(みすず書房刊)なども私の云う範疇に入ります。因みに、みすず書房から出版されている『現代史資料』『続現代史資料』は、概ね私の申し上げた「広義の定義」に近い編集方針を採用しております(勿論例外はありますが)。

第二のご質問である「あなたの言う一次資料とは何か?定義してください」についてお答えいたします。

私が考える一時史料とは、先述の「狭義の定義による公的な資料」と概ね同義語であります。勿論、厳密な定義をしている訳ではありませんので例外についてはご容赦下さい。随分以前の世界的ベストセラー『ワルトハイム―消えたファイル』(共同通信社刊)についてはご存じの事かと思いますが、著者である高名な歴史学者ロバート・エドウィンハーズスタイン氏は、当該著書の執筆にあたり、私が定義する厳密な(つまり例外規定を設けない)「一次史料」以外は客観的資料として採用しておりません。


>▼かず色さん:
>>御教示ありがとうございます。ご紹介の史料は何れも有名な中国軍関係者証言ですが、これは私の云う一次史料ではありません。
>
>かず色さん、実証主義というのは客観性を持って万人に共通のルールの中で実証的に物事を説明することです。「あなたの言う一次資料」と言う認識にはなんら客観性がありません。
>
>公的な資料とはどのように定義されているのでしょうか?
>あなたの言う一次資料とは何か?定義してください。
>歴史学又事実認定における一般的資料定義と「あなたの言う一次資料」は著しく異なります。
>
>この件と、佐藤証言に関するあなたの見解は、同じ事を複数の方に指摘されながら、それには反論せずに、ご自身の主観的主張を繰り返されてます。実証主義に一番大事なものは客観性です。したがって上記2点の説明を先に行ってください。これを行っていない投稿は今後削除対象になるおそれがあります。
267 hits

[5669]Re(4):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 0:29 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
>私が考える一時史料とは、先述の「狭義の定義による公的な資料」と概ね同義語であります。勿論、厳密な定義をしている訳ではありませんので例外についてはご容赦下さい。随分以前の世界的ベストセラー『ワルトハイム―消えたファイル』(共同通信社刊)についてはご存じの事かと思いますが、著者である高名な歴史学者ロバート・エドウィンハーズスタイン氏は、当該著書の執筆にあたり、私が定義する厳密な(つまり例外規定を設けない)「一次史料」以外は客観的資料として採用しておりません。

了解いたしました。かなり、一般的な資料定義とは異なっていることがわかりました。

では、続いて第一点。
>高名な歴史学者ロバート・エドウィンハーズスタイン氏は、当該著書の執筆にあたり、私が定義する厳密な(つまり例外規定を設けない)「一次史料」以外は客観的資料として採用しておりません。

とあります。ロバート・エドウィンハーズスタイン氏の資料定義はあなたの資料定義と同じものでしょうか?

第2点、あなたの定義によれば、あなたは証言資料文書は一次資料にあたらないと発言してます。日記やその他あなたが示した一次資料と証言資料の間にどのような違いがあるのでしょうか?

第3点、実証史学を含めた科学は、真理を追求するための学問であることは認められますか?

第4点は、第3点において史学は真理を追究する実証主義科学であるとあなたが認めた場合に返答ください。一次資料のない出来事は真実ではない、と言う説明をしてください。

よろしいですか?
客観的資料として認めないのであれば、証言に意味が無いと言う主張をあなたはしているのですよ。あなたが定義した一次資料はすべて【証言】なのですよ。
259 hits

[5671]Re(5):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 0:46 -

引用なし
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   ▼とほほさん:

其の前に、貴方の当該見解を論述して下さい。
そして、どちらのロジックに論理的整合性があるかは我々では無く、この掲示板を読まれた方々の判断に委ねれば如何でしょうか。自身の見解に自信があるのなら、他者の見解に対する寛容な態度が示せるはずです。

>▼かず色さん:
>>私が考える一時史料とは、先述の「狭義の定義による公的な資料」と概ね同義語であります。勿論、厳密な定義をしている訳ではありませんので例外についてはご容赦下さい。随分以前の世界的ベストセラー『ワルトハイム―消えたファイル』(共同通信社刊)についてはご存じの事かと思いますが、著者である高名な歴史学者ロバート・エドウィンハーズスタイン氏は、当該著書の執筆にあたり、私が定義する厳密な(つまり例外規定を設けない)「一次史料」以外は客観的資料として採用しておりません。
>
>了解いたしました。かなり、一般的な資料定義とは異なっていることがわかりました。
>
>では、続いて第一点。
>>高名な歴史学者ロバート・エドウィンハーズスタイン氏は、当該著書の執筆にあたり、私が定義する厳密な(つまり例外規定を設けない)「一次史料」以外は客観的資料として採用しておりません。
>
>とあります。ロバート・エドウィンハーズスタイン氏の資料定義はあなたの資料定義と同じものでしょうか?
>
>第2点、あなたの定義によれば、あなたは証言資料文書は一次資料にあたらないと発言してます。日記やその他あなたが示した一次資料と証言資料の間にどのような違いがあるのでしょうか?
>
>第3点、実証史学を含めた科学は、真理を追求するための学問であることは認められますか?
>
>第4点は、第3点において史学は真理を追究する実証主義科学であるとあなたが認めた場合に返答ください。一次資料のない出来事は真実ではない、と言う説明をしてください。
>
>よろしいですか?
>客観的資料として認めないのであれば、証言に意味が無いと言う主張をあなたはしているのですよ。あなたが定義した一次資料はすべて【証言】なのですよ。
253 hits

[5672]Re(6):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 0:50 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
>其の前に、貴方の当該見解を論述して下さい。
>そして、どちらのロジックに論理的整合性があるかは我々では無く、この掲示板を読まれた方々の判断に委ねれば如何でしょうか。自身の見解に自信があるのなら、他者の見解に対する寛容な態度が示せるはずです。

もちろんその通りです、論理的な整合性が無い、と言う主張が私に対して行われたのであれば、私はそれに反論ができます、なぜなら論理的に正しいからです、私が間違っている場合にのみ私には反論がなくなるのです。これが議論です、勝ち負けを競うものではありません。

明確にあなたの論理矛盾(パラドクス)の指摘を私はしているのです。
258 hits

[5674]Re(7):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 1:06 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほさん:

私は貴方の様に、自分が論理的に正しいと断言は出来ません。
ロジックは複数存在し、其々が真実である場合も当然ありうると考えております。

>▼かず色さん:
>>其の前に、貴方の当該見解を論述して下さい。
>>そして、どちらのロジックに論理的整合性があるかは我々では無く、この掲示板を読まれた方々の判断に委ねれば如何でしょうか。自身の見解に自信があるのなら、他者の見解に対する寛容な態度が示せるはずです。
>
>もちろんその通りです、論理的な整合性が無い、と言う主張が私に対して行われたのであれば、私はそれに反論ができます、なぜなら論理的に正しいからです、私が間違っている場合にのみ私には反論がなくなるのです。これが議論です、勝ち負けを競うものではありません。
>
>明確にあなたの論理矛盾(パラドクス)の指摘を私はしているのです。
265 hits

[5675]Re(7):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 1:08 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほさん:

先ずは貴方の当該見解を披瀝して下さい。

>▼かず色さん:
>>其の前に、貴方の当該見解を論述して下さい。
>>そして、どちらのロジックに論理的整合性があるかは我々では無く、この掲示板を読まれた方々の判断に委ねれば如何でしょうか。自身の見解に自信があるのなら、他者の見解に対する寛容な態度が示せるはずです。
>
>もちろんその通りです、論理的な整合性が無い、と言う主張が私に対して行われたのであれば、私はそれに反論ができます、なぜなら論理的に正しいからです、私が間違っている場合にのみ私には反論がなくなるのです。これが議論です、勝ち負けを競うものではありません。
>
>明確にあなたの論理矛盾(パラドクス)の指摘を私はしているのです。
264 hits

[5677]Re(8):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 1:33 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
>先ずは貴方の当該見解を披瀝して下さい。

当該の案件について今のところ、主張できるだけの見解を持ちません、こちらのスレッドで私が示しているのは、議論の土俵造りです。あなたの基本的な思考方法に間違いがあるのです。ここに間違いがあると議論は成立しません。つまり資料評価に対してあなたの主観を主張しても仕方が無いのです。

資料の中には主観的な主張をしているもの、客観的と指摘できるもの、一次的な物、二次的なもの、多数存在します。他者の提示した資料を、勝手に資料定義して「一次資料ではないから、その資料は採用しない」と言う主観的な議論は真理を遠ざけます。

一次資料という言葉で表現される一次二次と言うのはあくまでその事実に対して資料分類するためのことばであり、一次資料では無いから信用するとかしないとかの評価をするための分類ではないのです。
一次・二次と言うのは例えば、私がここで「南京攻略戦当時、十数万人が日本軍に虐殺された」と書いてあることは、資料としては3、4次の資料に当たります。しかしそれは南京事件という事実についての資料としてです。

だが、しかし、私とほほが「南京攻略戦当時、十数万人が日本軍に虐殺された」と言う主張をしている、と言う事実に対しては一次資料なのです。
266 hits

[5680]Re(9):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 1:40 -

引用なし
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   ▼とほほさん:

貴方が当該史料問題に関して、自説を主張しうるだけの見解を持っておられないことは理解いたしました。今後、貴方に対して当該見解の披瀝を求めることはいたしません。

次に、私は「一次資料ではないから、その資料は採用しない」とは一切発言しておりません。


>▼かず色さん:
>>先ずは貴方の当該見解を披瀝して下さい。
>
>当該の案件について今のところ、主張できるだけの見解を持ちません、こちらのスレッドで私が示しているのは、議論の土俵造りです。あなたの基本的な思考方法に間違いがあるのです。ここに間違いがあると議論は成立しません。つまり資料評価に対してあなたの主観を主張しても仕方が無いのです。
>
>資料の中には主観的な主張をしているもの、客観的と指摘できるもの、一次的な物、二次的なもの、多数存在します。他者の提示した資料を、勝手に資料定義して「一次資料ではないから、その資料は採用しない」と言う主観的な議論は真理を遠ざけます。
>
>一次資料という言葉で表現される一次二次と言うのはあくまでその事実に対して資料分類するためのことばであり、一次資料では無いから信用するとかしないとかの評価をするための分類ではないのです。
>一次・二次と言うのは例えば、私がここで「南京攻略戦当時、十数万人が日本軍に虐殺された」と書いてあることは、資料としては3、4次の資料に当たります。しかしそれは南京事件という事実についての資料としてです。
>
>だが、しかし、私とほほが「南京攻略戦当時、十数万人が日本軍に虐殺された」と言う主張をしている、と言う事実に対しては一次資料なのです。
272 hits

[5681]Re(8):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 1:41 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
>私は貴方の様に、自分が論理的に正しいと断言は出来ません。
>ロジックは複数存在し、其々が真実である場合も当然ありうると考えております。

それはありえるでしょう、しかしそれは間違ったロジックまでも認めよ、と言うことではありません。間違いを指摘されたら「間違っていない事」を論証すべきなのです。
262 hits

[5683]Re(9):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 1:47 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほさん:

相手の主張を尊重しつつ、自説(異論)を主張する方法も一般的です。

>▼かず色さん:
>>私は貴方の様に、自分が論理的に正しいと断言は出来ません。
>>ロジックは複数存在し、其々が真実である場合も当然ありうると考えております。
>
>それはありえるでしょう、しかしそれは間違ったロジックまでも認めよ、と言うことではありません。間違いを指摘されたら「間違っていない事」を論証すべきなのです。
268 hits

[5684]Re(10):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 1:50 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
>次に、私は「一次資料ではないから、その資料は採用しない」とは一切発言しておりません。

以下はあなたの発言です。
[#5667]
随分以前の世界的ベストセラー『ワルトハイム―消えたファイル』(共同通信社刊)についてはご存じの事かと思いますが、著者である高名な歴史学者ロバート・エドウィンハーズスタイン氏は、当該著書の執筆にあたり、私が定義する厳密な(つまり例外規定を設けない)「一次史料」以外は客観的資料として採用しておりません。
これは、あなたがそれを支持しているということではないですか?

また、こうも発言してます。
[#5658]
李西開・教導総隊第二旅第三団団長等の発言は史料的裏付けが不明確です。同様に、譚道平南京衛戍司令長官部参謀処第一科長の証言「教導総隊総数11,000名」についても、一次史料の裏付けがありません。
裏づけが無いことを理由に
[#5639]

教導総隊の推定兵力が3万〜3万5千人との説には若干疑問があります。上海戦当時に3ヶ団編制だったものが、果たして南京戦迄にそれ程兵力が増大するのでしょうか。純軍事学的見地から勘案し、慎重に検証する必要があるように思います。
としてます。あなたの定義による一次資料では無いからです、今回あなたが主張したように、一次資料でなくては採用しない、とは言っていないのであれば、この証言は複数の証言が任意に語られておりお互いを補完する裏づけになるのではないですか?
280 hits

[5686]Re(11):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 1:58 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほさん:

下記発言1.ですが、私は一次史料に関する海外学者の見解を披瀝しただけです。

下記発言2.についてですが、私が定義する一次史料の裏付けが無いと指摘しているだけです。

下記発言3.についてですが、一次史料とは全く関係なく、純軍事学的見地から慎重に検討すべきを主張しただけです。

よって、「一次資料ではないから、その資料は採用しない」とは一切発言しておりません。

>▼かず色さん:
>>次に、私は「一次資料ではないから、その資料は採用しない」とは一切発言しておりません。
>
>以下はあなたの発言です。
[#5667]
>随分以前の世界的ベストセラー『ワルトハイム―消えたファイル』(共同通信社刊)についてはご存じの事かと思いますが、著者である高名な歴史学者ロバート・エドウィンハーズスタイン氏は、当該著書の執筆にあたり、私が定義する厳密な(つまり例外規定を設けない)「一次史料」以外は客観的資料として採用しておりません。
これは、あなたがそれを支持しているということではないですか?
>
>また、こうも発言してます。
[#5658]
>李西開・教導総隊第二旅第三団団長等の発言は史料的裏付けが不明確です。同様に、譚道平南京衛戍司令長官部参謀処第一科長の証言「教導総隊総数11,000名」についても、一次史料の裏付けがありません。
裏づけが無いことを理由に
#5639
>
>教導総隊の推定兵力が3万〜3万5千人との説には若干疑問があります。上海戦当時に3ヶ団編制だったものが、果たして南京戦迄にそれ程兵力が増大するのでしょうか。純軍事学的見地から勘案し、慎重に検証する必要があるように思います。
としてます。あなたの定義による一次資料では無いからです、今回あなたが主張したように、一次資料でなくては採用しない、と入っていないのであれば、この証言は複数の証言が任意に語られておりお互いを保管する裏づけになるのではないですか?
293 hits

[5688]Re(12):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:03 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
>よって、「一次資料ではないから、その資料は採用しない」とは一切発言しておりません。

そうですか、わかりました、では、この証言(秋時雨さんの提示した証言資料)は複数の証言が任意に語られておりお互いを保管する裏づけになる。ことをあなたは認めたと理解してよろしいですか?
301 hits

[5690]Re(13):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:07 -

引用なし
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   ▼とほほさん:

不同意です。歴史的史料に対して私がどう考察し理解するかは、全く私自身の判断に帰属いたします。

>▼かず色さん:
>>よって、「一次資料ではないから、その資料は採用しない」とは一切発言しておりません。
>
>そうですか、わかりました、では、この証言(秋時雨さんの提示した証言資料)は複数の証言が任意に語られておりお互いを保管する裏づけになる。ことをあなたは認めたと理解してよろしいですか?
310 hits

[5691]Re(14):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:09 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
>不同意です。歴史的史料に対して私がどう考察し理解するかは、全く私自身の判断に帰属いたします。

では、一次資料ではないから裏づけが無いという主張は放棄されたわけです、改めてこの証言資料をどのように評価するのか、その根拠を示さねばなりません。
323 hits

[5693]Re(15):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:11 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほさん:


「一次資料ではないから裏づけが無い」とは一切発言しておりません。

>▼かず色さん:
>>不同意です。歴史的史料に対して私がどう考察し理解するかは、全く私自身の判断に帰属いたします。
>
>では、一次資料ではないから裏づけが無いという主張は放棄されたわけです、改めてこの証言資料をどのように評価するのか、その根拠を示さねばなりません。
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[5695]Re(16):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:25 -

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   ▼かず色さん:
>「一次資料ではないから裏づけが無い」とは一切発言しておりません。

私は相当しつこいですよ(^^;
【一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい】とあなたは発言したのです。そして【「一次資料ではないから採用しない」と言う発言はしていない】とあなたは発言しました、ではあなたの定義による一次資料ではなくともあなたはこの証言を採用しない、または疑わしいと言う認識の根拠は?と問うているわけです。(すこしづつ かず色さん の議論が正常化してますね)

私の見解を述べますと、混乱時でも有り正確とは言えないにしろ、ある程度は評価できる数字だと考えます、根拠は過大に兵力を証言することも過小に兵力を証言することにも、それをする理由がないからです。少なくとも中国軍部ではこのような兵力認識があったことは事実です。ただしこの資料だけではまだ何を主張するにも不十分であると考えます。
340 hits

[5697]Re(17):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:33 -

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   ▼とほほさん:

「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは、一切発言しておりません。

>▼かず色さん:
>>「一次資料ではないから裏づけが無い」とは一切発言しておりません。
>
>私は相当しつこいですよ(^^;
>【一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい】とあなたは発言したのです。そして【「一次資料ではないから採用しない」と言う発言はしていない】とあなたは発言しました、ではあなたの定義による一次資料ではなくともあなたはこの証言を採用しない、または疑わしいと言う認識の根拠は?と問うているわけです。(すこしづつ かず色さん の議論が正常化してますね)
>
>私の見解を述べますと、混乱時でも有り正確とは言えないにしろ、ある程度は評価できる数字だと考えます、根拠は過大に兵力を証言することも過小に兵力を証言することにも、それをする理由がないからです。少なくとも中国軍部ではこのような兵力認識があったことは事実です。ただしこの資料だけではまだ何を主張するにも不十分であると考えます。
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[5698]Re(17):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:39 -

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   ▼とほほさん:

>私の見解を述べますと、混乱時でも有り正確とは言えないにしろ、ある程度は評価できる数字だと考えます、根拠は過大に兵力を証言することも過小に兵力を証言することにも、それをする理由がないからです。少なくとも中国軍部ではこのような兵力認識があったことは事実です。ただしこの資料だけではまだ何を主張するにも不十分であると考えます。

貴重なご意見として承りますが、私は純粋に教導総隊の戦力がどの程度であったかに興味があります。中国側の新史料が発掘されることを期待している者の一人です。

>▼かず色さん:
>>「一次資料ではないから裏づけが無い」とは一切発言しておりません。
>
>私は相当しつこいですよ(^^;
>【一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい】とあなたは発言したのです。そして【「一次資料ではないから採用しない」と言う発言はしていない】とあなたは発言しました、ではあなたの定義による一次資料ではなくともあなたはこの証言を採用しない、または疑わしいと言う認識の根拠は?と問うているわけです。(すこしづつ かず色さん の議論が正常化してますね)
>
>私の見解を述べますと、混乱時でも有り正確とは言えないにしろ、ある程度は評価できる数字だと考えます、根拠は過大に兵力を証言することも過小に兵力を証言することにも、それをする理由がないからです。少なくとも中国軍部ではこのような兵力認識があったことは事実です。ただしこの資料だけではまだ何を主張するにも不十分であると考えます。
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[5699]Re(18):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:41 -

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   ▼かず色さん:
>「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは、一切発言しておりません。

[#5639]
>教導総隊の推定兵力が3万〜3万5千人との説には若干疑問があります。上海戦当時に3ヶ団編制だったものが、果たして南京戦迄にそれ程兵力が増大するのでしょうか。純軍事学的見地から勘案し、慎重に検証する必要があるように思います。

[#5658]
>李西開・教導総隊第二旅第三団団長等の発言は史料的裏付けが不明確です。同様に、譚道平南京衛戍司令長官部参謀処第一科長の証言「教導総隊総数11,000名」についても、一次史料の裏付けがありません。

と発言してます。私のこの発言への解釈が間違っているのであれば、あなたは改めて、この資料評価をした上で推定兵力を試算すべきでしょう。
これらの証言でもはっきりと、兵力の補填が証言されており、大規模な兵員増強は最高会議で決定されています。それともこの議事録が存在しないのでしょうか?
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[5700]Re(19):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:45 -

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   ▼とほほさん:

改めて申し上げますが、私は「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは一切発言しておりません。

>▼かず色さん:
>>「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは、一切発言しておりません。
>
>[#5639]
>>教導総隊の推定兵力が3万〜3万5千人との説には若干疑問があります。上海戦当時に3ヶ団編制だったものが、果たして南京戦迄にそれ程兵力が増大するのでしょうか。純軍事学的見地から勘案し、慎重に検証する必要があるように思います。
>
>[#5658]
>>李西開・教導総隊第二旅第三団団長等の発言は史料的裏付けが不明確です。同様に、譚道平南京衛戍司令長官部参謀処第一科長の証言「教導総隊総数11,000名」についても、一次史料の裏付けがありません。
>
>と発言してます。私のこの発言への解釈が間違っているのであれば、あなたは改めて、この資料評価をした上で推定兵力を試算すべきでしょう。
>これらの証言でもはっきりと、兵力の補填が証言されており、大規模な兵員増強は最高会議で決定されています。それともこの議事録が存在しないのでしょうか?
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[5703]Re(20):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:48 -

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   ▼かず色さん:
>改めて申し上げますが、私は「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは一切発言しておりません。

ですから、ではなぜ示された資料に一次資料の裏づけが無い、と発言したのですか?
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[5704]Re(21):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:51 -

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   ▼とほほさん:

何度も申し上げますが、私は「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは一切発言しておりません。


>▼かず色さん:
>>改めて申し上げますが、私は「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは一切発言しておりません。
>
>ですから、ではなぜ示された資料に一次資料の裏づけが無い、と発言したのですか?
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[5705]Re(22):いくつかの指摘2
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 とほほ E-MAIL  - 08/9/15(月) 2:56 -

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   ▼かず色さん:
>何度も申し上げますが、私は「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは一切発言しておりません。

それは私は認めたのです。(^^;

>ではなぜ示された資料に一次資料の裏づけが無い、と発言したのですか?

と聞いているのです、ないから無いと言ったまで、と言う主張はいただけませんよ。「あなたが定義した一次資料」の裏づけが無いから、何だと言うのですか?

改めて資料評価をしてください、と申してます。「一次資料ではないから信憑性が無い、とは言っていない」と発言したことも踏まえてです。
384 hits

[5706]Re(23):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 3:06 -

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   ▼とほほさん:

 了解しました。実は現在第三十八聯隊第二大隊第八中隊について研究しているのですが、当該中隊は12月14日に紫金山西北方面で中国軍(敗残兵?)と交戦しております。従って当該研究の為、紫金山方面の中国軍兵力についても厳正な検証が必要であると考えております。
 
 論文に纏めるかどうかは未定ですが、当該研究の中で教導総隊の兵力分析も行っていく所存です。資料評価については、私の研究を進めていく中で、個人的見解として披瀝いたしましょう。
 

>▼かず色さん:
>>何度も申し上げますが、私は「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは一切発言しておりません。
>
>それは私は認めたのです。(^^;
>
>>ではなぜ示された資料に一次資料の裏づけが無い、と発言したのですか?
>
>と聞いているのです、ないから無いと言ったまで、と言う主張はいただけませんよ。「あなたが定義した一次資料」の裏づけが無いから、何だと言うのですか?
>
>改めて資料評価をしてください、と申してます。「一次資料ではないから信憑性が無い、とは言っていない」と発言したことも踏まえてです。
406 hits

[5707]Re(23):いくつかの指摘2
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/15(月) 3:13 -

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   ▼とほほさん:

追伸です。

教導総隊と第三十八聯隊と何の関係があるのか?と戦史研究家なら誰もが疑問に感じるでしょうが、私が所有する同中隊陣中日誌では、紫金山方面での中国軍(部隊不明)との交戦記録が記載されていることを付言しておきます。

>▼かず色さん:
>>何度も申し上げますが、私は「一次資料の裏づけが無いからその数字が疑わしい」とは一切発言しておりません。
>
>それは私は認めたのです。(^^;
>
>>ではなぜ示された資料に一次資料の裏づけが無い、と発言したのですか?
>
>と聞いているのです、ないから無いと言ったまで、と言う主張はいただけませんよ。「あなたが定義した一次資料」の裏づけが無いから、何だと言うのですか?
>
>改めて資料評価をしてください、と申してます。「一次資料ではないから信憑性が無い、とは言っていない」と発言したことも踏まえてです。
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[5718]Re(2):教導総隊
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 熊猫 E-MAIL  - 08/9/16(火) 1:56 -

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   ▼かず色さん:
>南京攻略戦直前に百十二師、百三師は鎮江から南京に移動し、教導総隊の指揮下に入りますが、戦力的にはどの程度損耗していたのでしょうかね。『南京戦史』編集委員の結論は極めて損耗が激しかったと推定しておりますが、常々疑問に感じております。

個人的推論
 一〇三師と一一二師を合わせると1万人以上いたと思っています。教導総隊にはこれらの部隊が加わっていたので、大規模な人数だったのではないかと想像します。


 過去のスタンスは、史実の誤認や歪曲や捏造を指摘し真実を追求することにあり、否定論を敵視しているわけではありません。推論や空想に止めておく個人の見解は自由であり尊重しております。
 当然ですが、中国側の書籍の間違いも資料を提示して間違いを指摘します。南京の寺院被害は、否定派が指摘しないので右翼の代わりに熊猫が指摘しました。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=5567;id=sikousakugo#atop

 中国側の書籍を調べるだけでなく、彼らが何の資料をもとに記述しているのか、私はその資料の原本を調べますので質問の回答には時間がかかると思いますが、ご了承ください。
 
267 hits

[5724]Re(3):教導総隊
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/16(火) 23:53 -

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   ▼熊猫さん:

じっくりと情報交換が出来れば幸いです。
貴方も多分そうだと思いますが、私の場合は日々の仕事に追いまくられて、中々戦史研究に没頭できる時間的余裕がありません。パソコンに向かっていると子供が2匹襲ってきますしね・・・・・・

教導総隊に関する御教示ありがとうございます。

>▼かず色さん:
>>南京攻略戦直前に百十二師、百三師は鎮江から南京に移動し、教導総隊の指揮下に入りますが、戦力的にはどの程度損耗していたのでしょうかね。『南京戦史』編集委員の結論は極めて損耗が激しかったと推定しておりますが、常々疑問に感じております。
>
>個人的推論
> 一〇三師と一一二師を合わせると1万人以上いたと思っています。教導総隊にはこれらの部隊が加わっていたので、大規模な人数だったのではないかと想像します。
>
>
> 過去のスタンスは、史実の誤認や歪曲や捏造を指摘し真実を追求することにあり、否定論を敵視しているわけではありません。推論や空想に止めておく個人の見解は自由であり尊重しております。
> 当然ですが、中国側の書籍の間違いも資料を提示して間違いを指摘します。南京の寺院被害は、否定派が指摘しないので右翼の代わりに熊猫が指摘しました。
>http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=5567;id=sikousakugo#atop
>
> 中国側の書籍を調べるだけでなく、彼らが何の資料をもとに記述しているのか、私はその資料の原本を調べますので質問の回答には時間がかかると思いますが、ご了承ください。
>
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[5811]Re(1):新コンテンツ 日中戦争...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/27(土) 17:07 -

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   日中戦争に於ける民間人殺害に関する、朝枝繁春証言をご紹介いたします。

三根生久大著『参謀本部の暴れ者 陸軍参謀 朝枝繁春』(文芸春秋)P189〜一部引用。

---------------------------------------------------------------------
昭和15年の初頭になると、中国軍は約70個師団という膨大な兵力で全面的な反攻を開始した。中国中部に展開する第11軍に対して執拗な攻撃を繰り返し、肉迫して手榴弾戦を演ずるなどということも稀ではなかった。日本軍の進撃が予想される地域の自動車道路は、中国軍によって徹底的に破壊され、野砲、重砲、戦車などが使用できないというような状況だった。四囲を10万に及ぶ遊撃隊に包囲された恰好になっている第11軍などは、治安作戦に兵力を割く余裕さえなかった。

山西省でも第1軍は、蒋介石直系の国民党軍と延安の八路軍、それに閻錫山の山西軍と三つの敵に囲まれ、日本軍は治安作戦をやっても、点だけは確保できるが、線と面はどうしても確保できない。

そこで、太原の司令部から軍司令官以下、参謀長、作戦主任参謀、情報参謀など、幹部は潞安の戦闘指令所に前進して、そこで作戦を練ることにした。

その晩、これからの作戦方針について、参謀たちが侃々諤々の議論を繰り返す中で、そこまで黙りこくっていた参謀長の田中隆吉少将が、突然、それらを制するようにしてから、徐に言葉を吐いた。

「いろんな意見もあろうが、この作戦はまともなことをやってはダメだ。昔から中国の王朝の歴史をよく紐解いてみると、先代の王朝に組したものは、子供に至るまで皆殺しにしている。そして、完全にぴしゃっと頭をぶっ叩いておいた後に、やおら頭を撫でで徳政を施し、味方にするというやり方である。中国の民族というのはもともとそういうものなのだ。そういった中国のいわばしきたりや原則というようなものを弁えないで作戦をやるということは、従らに泥沼の中にずるずると足を取られていくだけだ。そこで、早速、明日から作戦を切り換えろ」

ランプの灯影に揺れる参謀長田中隆吉の顔は、次第に引きつっていくようだった。
参謀たちの末席に、その巨体を縮めるようにして、神妙にその話に聞き入っていた無法松(注:朝枝繁春)が、突如、口を切った。
「参謀長閣下、それは具体的にどういう作戦要領でありますか」
そういう無法松の顔を一瞬、睥睨した田中は、一息ついてから、
「ひと言で言えば灰燼作戦じゃ」
田中はゆっくりとそう言って説明し始めた。

「・・・・要するに、一部落を占領したら、全部焼き払うのだ。情け容赦はいらん。子供に至るまで皆殺しにするのだ。子供を残してはいかん。子孫を残したら必ず仇を討たれる。根こそぎやれ。食料も全部焼き払うのだ。・・・」

参謀たちは、一瞬、ハッとなって、田中のこのとても正気の沙汰とは思えない言葉に喉を詰まらせた。
田中といえば、戦後の極東国際軍事裁判に検察側証人として出廷し、その名が全国に知れ渡るほど、とかくの噂が立った人物であり、第一軍の参謀長の時も、その得体の知れない言動に、無法松などが、「怪物」と称していたぐらいだ。

田中は、自ら田中玉という中国名を名乗るほど流暢な中国語を操り、目の醒めるような達者な毛筆で<敵>側の毛沢東や政府の要人などに敵味方なく書翰を認めるような破天荒ぶりで、それだけにまた思わぬ敵の情報が取れたのも事実だった。
毛沢東などからこれまた流麗な返書が来ると、無法松を呼んではそれを見せ、「どうじゃ、立派なもんじゃろう・・・」と自慢するのだった。

彼は猟色の方も相当なもので、その頃すでに花柳の病もかなり進んでいたとみえて、「しょっちゅう、手に水銀軟膏のようなものを一生懸命にすり込んでいた」と朝枝繁春は包み隠さない。
「その頃、すでに脳が浸蝕されていたらしく突飛なことばかりやっていた。後に中央に帰って、兵務局長になったが、太平洋戦争の帝都の防衛は兵務局が責任を負っていた関係から、アメリカのB29戦略爆撃機の猛爆を受けて、ノイローゼになり、いよいよおかしくなった。・・・」

田中隆吉は、参謀長として自ら豪語した「灰燼作戦」を実行に移した。
軍司令官の篠塚義男中将(陸士17期、第1軍司令官の後、軍事参議官兼士官学校長、自決)は、終戦後、「自分は、日米開戦時、軍事参議官として開戦に賛成した以上、責任の一端を負わねばならぬ」と、古武士の俤を忍ばせる作法に則って、淡々と割腹の途についた立派な武将であり、士官学校長時代も生徒の敬仰を一身に集めたその温和で高潔な人格は、参謀長の田中隆吉と(激突)するようなことはなかった。
そんなことから田中は軍内において傍若無人に振る舞うことができた。

「いまから考えると、実にひどいことをやったものだと思う。しかもそれを作戦命令として書くんだからね。灰燼作戦の指導要領というやつをね・・・ワシはまだ新参の大尉参謀だし、参謀長の言うことだから、真っ向から反対する訳にもいかず・・・」

 朝枝繁春は今更ながら中国に対する当時の日本の罪深い代償をどこに求めればいいのかといった懺愧に堪えない表情である。
「中国の人たちには本当に悪いことをしたと思います。・・・なぜ諫言しなかったのかと言われるかもしれないが、要するにワシに勇気がなかったのだ」

各聯隊がこの灰燼作戦をやってのけた後、無法松は飛行機で空から地上の状況を偵察した。すると地平線の彼方のあちこちから紅蓮の炎が天に向かって噴き上がり、まさに「燎原の火」を地でいくような壮絶な光景が繰り広げられていた。
灰燼作戦の実態を知らされていない少年飛行兵出身のその偵察機搭乗員は、操縦席から伝声管で、
 「参謀殿、見事な作戦ですね」などと無法松に声を掛けてくる。
しかし、無法松はその火焔の中を命からがら逃げ惑っているであろう中国の無辜の民衆を思う時、いかに作戦とはいえ、身体中が凍りつくような罪悪感に苛まれるのだった。

そして、この作戦は飽くことなく行われた。

後の話になるが、太平洋戦争緒戦のマレー進攻作戦で、今度は作戦参謀辻政信の命令で行われた灰燼作戦は、辻がこの時の経験に倣って行ったものだといわれる。<以上、引用終>
327 hits

[5812]Re(2):新コンテンツ 日中戦争...
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/9/27(土) 17:25 -

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   >三根生久大著『参謀本部の暴れ者 陸軍参謀 朝枝繁春』

この本は全く知りませんでした。いつもながら、かず色さんの博識には恐れ入ります。

「燼滅作戦」=「三光作戦」についても、「どこまでがはっきりとした事実なのか」をいずれ見極めてみようと思っています。やりたいことが多すぎて、手が回らない状況ではありますが(^^;


AMAZONで捜してみたら50円で(!)売りに出ていましたので、早速注文しました。「田中隆吉尋問調書」あたりと合わせて読むのも、面白いかもしれません。
264 hits

[5816]Re(3):新コンテンツ 日中戦争...
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 かず色 E-MAIL  - 08/9/28(日) 2:58 -

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   ▼ゆうさん:

>「燼滅作戦」=「三光作戦」についても、「どこまでがはっきりとした事実なのか」をいずれ見極めてみようと思っています。

 日中戦争と灰燼作戦は非常に重要なテーマであり、私も勉強していきたいと考えております。また、ご教示の程、宜しくお願いします。

 朝枝についてですが、その後、昭和17年に辻政信とシンガポールに於いて有名な「華僑粛清」を強行しますね。約5千人程度が証拠不十分のまま虐殺されますが、この事件は南京陥落後の所謂便衣兵摘発・処断行為と、かなりの共通点があるように考えます。
 戦後シベリアに抑留されていなければ、彼は確実にBC級戦犯として英軍によって処刑されていたのではないでしょうか。
241 hits

[5822]Re(1):新コンテンツ 日中戦争...
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 かず色 E-MAIL  - 08/10/2(木) 0:22 -

引用なし
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    軍事史学会編『日中戦争再論』(錦正社刊)に収録されている幡新大実氏の論文『「戦陣訓」と日中戦争』に、日中戦争初期に於ける日本軍将兵の不法行為に関する興味深い記述があります。
--------------------------------------------------------------
 軍事史学会編『日中戦争再論』(錦正社刊)P225〜226より一部引用

1.参謀総長の二つの訓示
 和田盛哉(陸上自衛隊西部方面総監)編「戦陣訓および派遣軍将兵に告ぐに関する研究」と題する昭和47年の防衛庁防衛研修所の内部資料と思われる資料の中に、昭和14年(1939年)4月から陸軍省軍事課(軍紀風紀の基本を管掌)編制班長をつとめた大槻章の談話があり、大槻は、軍事課に異動する前の昭和12年(1937年)12月の末、すなわち南京陥落直後から昭和13年(1938年)の正月にかけて支那戦線の視察を命ぜられ、杭州(第十軍柳川兵団の司令部)、南京に赴き、北支にも渡り、つぶさに戦線の実情に接することができたと述べ、各戦線ともに程度の差はあっても、いずれも軍紀風紀の弛緩、戦場道義の退廃が問題にされていたと証言し、この頃から、戦場道徳の乱れを正さなければならないという空気が心ある人々、また業務上その衝にある人々の中に台頭してきたという(6)。そして、昭和14年夏、岩畔豪雄軍事課長が、軍人に対し簡明直截に戦場道徳上の基準を示す必要を認め、細部の起案を教育総監部に依嘱することにしたという。当時はまだ「軍人訓」程度の呼称であったらしい。<以上、引用終>

(6)和田盛哉編「戦陣訓および派遣軍将兵に告ぐに関する研究」(1972年、未刊行)P16〜17
-----------------------------------------------------------------

 和田盛哉編の上記論文は残念ながら未読ですが、大槻章証言は戦史研究の上で非常に気になるところです。陸軍省エリート軍人の証言からは、視察当時の在支将兵全般の軍紀が、如何に弛緩していたかが推察できます。
また、和田盛哉といった著名な陸上自衛隊高級指揮官(当時)が戦後、この様な研究をしていることにも、個人的に興味を覚えるところです。
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