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[5748]新コンテンツ「小林よしのり氏「戦争論」の妄想 ゆう 08/9/18(木) 19:38
[5754]Re(1):新コンテンツ「小林よしのり氏「戦争論」の妄想 ひぐらし 08/9/19(金) 10:43
[5761]Re(2):新コンテンツ「小林よしのり氏「戦争論」の妄想 ゆう 08/9/20(土) 4:35
[5764]ついでに・・・ gallery 08/9/20(土) 14:40
[5771]Re(1):ついでに・・・ ゆう 08/9/21(日) 6:54
[5823]戦争論2の妄想(1) ゆう 08/10/3(金) 23:23
[5824]Re(1):戦争論2の妄想(1) かず色 08/10/4(土) 0:50
[5825]まとめレスです ゆう 08/10/4(土) 10:20
[5826]Re(1):まとめレスです かず色 08/10/5(日) 8:44
[5829]Re(2):まとめレスです おさふね 08/10/5(日) 20:20
[5830]Re(3):まとめレスです かず色 08/10/7(火) 22:31
[5845]Re(3):まとめレスです 熊猫 08/10/16(木) 8:48
[5827]Re(1):まとめレスです かず色 08/10/5(日) 10:59
[5837]かず色さんに感謝! ゆう 08/10/13(月) 16:12
[5828]Re(1):まとめレスです かず色 08/10/5(日) 20:15

[5748]新コンテンツ「小林よしのり氏...
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/9/18(木) 19:38 -

引用なし
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   galllyさんからご提案を受けた、「南京事件FAQ」の元ネタ捜しの作業を微力ながらお手伝いさせていただいているのですが(謙遜ではなく、本当に「微力」です)、その中で小林よしのり氏「戦争論」を読み返す機会がありました。

いや、すごい。「学術的」どころか、「学問的研究に価しない」と酷評された東中野先生のレベルにも達していない(^^)。こういう美味しいネタを見逃してなるものか、とちょっと批判コンテンツをつくってみました。

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/yosinori1.html

同じような調子で、「新・戦争論の妄想」も、そのうち書いてみるつもりです。
589 hits

[5754]Re(1):新コンテンツ「小林よし...
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 ひぐらし  - 08/9/19(金) 10:43 -

引用なし
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   さっそく読ませていただきました。
小林よしのりはネットウヨクの間で最も影響力が大きいと思います。
便衣兵論議の根本部分で小林のトンデモ漫画でデマをすりこまれているな
と思われる書き込みをネットでちょくちょく見かけます。
画像の持つすり込みの力は大きいですね。


1.このエピソードは、鈴木正明氏→大井満氏→小林よしのり氏、という伝言ゲームを通じて、大きくデフォルメされている。最初の鈴木氏の記述には、「中国婦人の発砲」などは登場しない。

鈴木正明氏は鈴木明でしょうか?
510 hits

[5761]Re(2):新コンテンツ「小林よし...
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/9/20(土) 4:35 -

引用なし
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   >鈴木正明氏は鈴木明でしょうか?

早速修正しました(^^;

発表前に一部の方に読んでいただいたのですが、「小林よりのり」やら「ヴォートリソ」やら「スバーリング」やら、人名違いのオンパレードを指摘されて、少々焦りました。
483 hits

[5764]ついでに・・・
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 gallery E-MAILWEB  - 08/9/20(土) 14:40 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>発表前に一部の方に読んでいただいたのですが、「小林よりのり」やら「ヴォートリソ」やら「スバーリング」やら、人名違いのオンパレードを指摘されて、少々焦りました。

ついでに、ハンドルネームも・・・(笑)

>>galllyさんからご提案を受けた

他のマイミクさんにも「allery」とか書かれたことありますし、
間違い易いハンドルネームなのかしらん(笑)
484 hits

[5771]Re(1):ついでに・・・
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/9/21(日) 6:54 -

引用なし
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   (^^;(^^;(^^;(^^;・・・・・もう何も言いませんm(_ _)m

いつになるかわかりませんが、続編・「戦争論2の妄想」ではせめて人名ぐらいは正確にしたいと(^^;
469 hits

[5823]戦争論2の妄想(1)
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 ゆう E-MAILWEB  - 08/10/3(金) 23:23 -

引用なし
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   第二弾、アップしました。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/yosinori2.html

シリーズ第三弾は、「ラーベ批判」への反批判を予定しています。既に批判済みのことばかりで、「サプライズ」はないと思いますが、「戦争論」「戦争論2」のネットへの影響力は結構根強いものがありますので、一度しっかりと反論しておく意味はあるかもしれません。

「戦争論2」でこれに続く「写真検証」「百人斬り」は、必ずしも私の得手とするテーマではありませんので、他の方にお任せします。

どなたか、やってみませんか?(笑)
385 hits

[5824]Re(1):戦争論2の妄想(1)
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 かず色 E-MAIL  - 08/10/4(土) 0:50 -

引用なし
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   ▼ゆうさん

小林よしのり氏の作品で既読は『東大一直線』のみですが、ラーベ批判もしているのですか・・・・・・・
当該手記は第一級の史料なのですがね・・・・・
388 hits

[5825]まとめレスです
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 ゆう WEB  - 08/10/4(土) 10:20 -

引用なし
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   かず色さんには何か所かでレスをいただいていますが、こちらでまとめてレスさせていただきます。


(5811)
>日中戦争に於ける民間人殺害に関する、朝枝繁春証言をご紹介いたします。


入手しました。なかなか面白そうな本ですので、じっくりと読んでみたいと思います。田中隆吉にも興味を持ちましたので、「田中隆吉尋問調書」を合わせて入手しました。


これまでどうも、田中というのは怪しげな人物である、というイメージがあったのですが、張作霖爆殺事件に関する証言など、なかなか正確です。

「南京」については、「裁かれた歴史」で、長勇の大言壮語をそのまま紹介した有名な文がありますね。さすがにこれは・・・と思っていたのですが、「尋問調書」の方は、結構まともです。

田中は、陸軍省兵務課長として、「中島師団長が蒋介石の住居から大量の珍宝を持ち帰るという事件」の調査を行っていたということです。

>支那の財宝を持ち帰った中島は、日本国民一般からの厳しい批判にさらされ、そういうわけで、私は、その財宝を陸軍将校クラブに寄贈しましたが、そののち、それらはすべて蒋介石のもとに返還させました。(P150)

>問 彼が中国から持ち帰り、あなたに疑惑をいだかせた品物とは、どのようなものでしたか。
 答 掛け軸、絨毯、家具、骨董品、絵画、美術品です。
 問 それらは、きわめて高価な美術品でしたか。
 答 そうだと思います。(P256)


残念ながら、「燼滅作戦」についての記述はありませんでした。


(5816)
>朝枝についてですが、その後、昭和17年に辻政信とシンガポールに於いて有名な「華僑粛清」を強行しますね。約5千人程度が証拠不十分のまま虐殺されますが、この事件は南京陥落後の所謂便衣兵摘発・処断行為と、かなりの共通点があるように考えます。

私は「シンガポール華僑粛清」を知った時、南京における「敗残兵狩り」のフラッシュバックのような事件だな、という感想を持ちました。「南京事件」をちゃんと「表」に出して、しっかり「反省」をやっていれば、こんな事件は起きなかったのではないか。

ネットには「正当化論」が存在します。そのうち、しっかりと取り組んでみるのも面白いかもしれません。


(5822)
>軍事史学会編『日中戦争再論』(錦正社刊)に収録されている幡新大実氏の論文『「戦陣訓」と日中戦争』に、日中戦争初期に於ける日本軍将兵の不法行為に関する興味深い記述があります。

この本を所持していながら、まったく気がついていませんでした。

「軍事史学会」は、どちらかといえば「保守派」の系統なのでしょうが、研究手法は実証的・堅実であり、皮肉なことに、近年の「自由主義史観」なるものに対する防波堤になっているように感じます。


(5822)
小林よしのり氏の作品で既読は『東大一直線』のみですが、ラーベ批判もしているのですか・・・・・・・

というか、たぶんネットのラーベ批判のネタ元は、大半がこの本でしょう。

mixiでも、明らかに「まる写し」の議論を見かけました。「ラーベが武器商人であったという具体的な資料を出せ」の一言で、あっさりと沈黙してしまったようですが・・・。
397 hits

[5826]Re(1):まとめレスです
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 かず色 E-MAIL  - 08/10/5(日) 8:44 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:


 シンガポールに於ける大規模な華僑粛清は揺るぎない歴史的事実であり、日本陸軍史上最大規模の「不法殺害」の一つであったことは揺るぎない事実であります。

 今般、ゆうさんからのご指摘もあり、インターネット上での当該事件に関する「正当化論」(自由主義史観研究会)を読みましたが、その論旨は合理性に欠け、又、粛清対象者は厳正に選別されたとの主張は、明確な事実誤認であると考えます。致命的なのは、彼ら正当化論者にとっては「厳正な選別」によって処刑された敵性華人の粛清は「正当である」と暗に主張している事でしょうか。しかしながらこれはハーグ陸戦法規等の明確な違反行為であります。軍律会議を経ずに占領地に於いて処刑することは、絶対に許されるものではありませんね。

 当該事件では河村警備司令官等がシンガポールに於けるBC級戦犯裁判で処刑、又、クアラルンプール裁判で渡辺歩兵第一聯隊長等が処刑されておりますが、私は彼らには同情的です。警備司令部は当初、この「粛清」に反対の立場であり、彼らなりの抵抗を試みたと考えます。一方、督促側の朝枝繁春参謀などは警備司令部等を精力的に訪問し、「抜刀」して威嚇する等、かなり強硬な行動をとったようですね。
 
 事件は第25軍作戦主任参謀の辻政信が強硬に「華僑粛清」を主張したことが原因であり、辻の起案稟議を決裁した山下第25軍司令官以下の首脳部がその責を負うべきでしょう。但し、山下はマニラ裁判、鈴木参謀長、林忠彦参謀は戦死、池谷高級参謀と朝枝参謀はシベリア抑留中、辻作戦主任参謀は<逃亡中>ですから、英国としても河村警備司令官等を処刑するしかなかったのが現実ですね。

 我々の学生の頃は林博史等共著『マラヤの日本軍』(青木書店刊)が左派系学生の間で広く読まれておりましたので、私は「保守」の立場から議論したことを思い出します。ただ、80年代後半当時、華僑粛清を「正当化」するような議論はなかったように記憶しております。近年の自由主義史観論者の主張は、全く理解に苦しみます。
368 hits

[5827]Re(1):まとめレスです
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 かず色 E-MAIL  - 08/10/5(日) 10:59 -

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   華僑粛清に関する当事者証言として、下記の回想記述があります。

共同通信社社会部編『沈黙のファイル』(共同通信社刊)P228〜229より一部引用

 49年11月の夜、東京・世田谷の元作戦課長、服部卓四郎邸。シベリアから帰還したばかりの元作戦課参謀、朝枝繁春が応接間に入ると、辻が声を掛けてきた。

「朝枝、よく生きて帰ってきたな」
「あなたもよく生きておられましたな」

 酒が入ると、辻がシンガポールの華僑虐殺事件について語り始めた。太平洋戦争が始まって間もない42年2月21日から3月初めにかけ、日本軍はシンガポールに住む華僑数十万人を市内各所に設けた「検問所」に集合させた。その中からほとんど証拠のないまま選り分けた「敵性華僑」5千人以上を抗日活動を理由に次々と殺した。戦後の46年、シンガポールで開かれた戦犯裁判の結果、この事件にかかわった日本軍の警備司令官ら2人が死刑となり、5人に終身刑が言い渡された。

「あれは俺が突っ張ってやったんだ。おれが名乗って出るから、お前は生きて国家再建のために尽くしてくれ」

 辻は華僑虐殺の首謀者として英国から戦犯追及されていた。朝枝も辻の補佐役として戦犯に指定されていた。

「すると服部さんはこう言った。『辻君、朝枝君、安心したまえ。私がマッカーサー元帥に戦犯解除の了解を取るから』と。僕は感動して涙が出たよ。」と朝枝が振り返る。<以下、略>
387 hits

[5828]Re(1):まとめレスです
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 かず色 E-MAIL  - 08/10/5(日) 20:15 -

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   ▼ゆうさん:


 連続投稿で申し訳ございません。

 軍事史学会についてですが、政治的スタンスといった観点では、かなり自由な組織であると思います。先述の軍事史学会編『日中戦争再論』(錦正社刊)に収録されている論文「抗日戦争期大爆撃の影響下における重慶市民の心理的反応」(張瑞徳中国文化大学教授)を読まれても判りますように、日中戦争を「正当化」する様な主義主張はありません。

 確かに、板倉由明論文「南京事件の数量的研究(平成2年)」「南京事件―虐殺の責任論(平成9年)」等は軍事史学会機関紙『軍事史学』に於いて発表されておりますし、先述の『日中戦争再論』に於ける原剛論文「いわゆる「南京事件」の不法殺害」でも、虐殺否定派・大虐殺肯定派双方への批判は徹底しております。この辺り、各人が軍事史学会をどう評価するのかは難しいところですね。

 最後に小林よしのりのラーベ批判についてですが、私はラーベが南京で選択した行動は、真に勇気ある人間のものであったと思います。また、日記から伝わる彼の観察眼は鋭利かつ客観的であり、第一級資料であることは疑いの余地がないでしょう。
 若干気になるのが、小林よしのり氏のような青少年に一定の影響力を持つ著名人がある種の偏った主張を展開し、少なからずの若者が感化されている現実ですね。これはある意味で、我々大人の責任でもあるのかもしれません。『西部戦線異状なし』や『武器よさらば』といった戦争文学の傑作を通過せず、(クラウゼヴィッツでは無く)小林の『戦争論』を青少年が耽読する社会は、やはり異常でしょう。
370 hits

[5829]Re(2):まとめレスです
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 おさふね E-MAILWEB  - 08/10/5(日) 20:20 -

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   ▼かず色さん:
>▼ゆうさん:
>
こんばんは おさふねと申します 宜しくお願いしますね。シンガポール大検証について少しずつ進めている者です。
>
> シンガポールに於ける大規模な華僑粛清は揺るぎない歴史的事実であり、日本陸軍史上最大規模の「不法殺害」の一つであったことは揺るぎない事実であります。
> 今般、ゆうさんからのご指摘もあり、インターネット上での当該事件に関する「正当化論」(自由主義史観研究会)を読みましたが、その論旨は合理性に欠け、又、粛清対象者は厳正に選別されたとの主張は、明確な事実誤認であると考えます。致命的なのは、彼ら正当化論者にとっては「厳正な選別」によって処刑された敵性華人の粛清は「正当である」と暗に主張している事でしょうか。しかしながらこれはハーグ陸戦法規等の明確な違反行為であります。軍律会議を経ずに占領地に於いて処刑することは、絶対に許されるものではありませんね。

日本憲兵正史においても「大東亜戦争史上一大汚点」とまで記されているほどの大粛清事件です。更に3000万ドルの強制徴用、泰面鉄道強制労働など、枚挙に暇がありません
>
> 当該事件では河村警備司令官等がシンガポールに於けるBC級戦犯裁判で処刑、又、クアラルンプール裁判で渡辺歩兵第一聯隊長等が処刑されておりますが、私は彼らには同情的です。警備司令部は当初、この「粛清」に反対の立場であり、彼らなりの抵抗を試みたと考えます。一方、督促側の朝枝繁春参謀などは警備司令部等を精力的に訪問し、「抜刀」して威嚇する等、かなり強硬な行動をとったようですね。
> 
> 事件は第25軍作戦主任参謀の辻政信が強硬に「華僑粛清」を主張したことが原因であり、辻の起案稟議を決裁した山下第25軍司令官以下の首脳部がその責を負うべきでしょう。但し、山下はマニラ裁判、鈴木参謀長、林忠彦参謀は戦死、池谷高級参謀と朝枝参謀はシベリア抑留中、辻作戦主任参謀は<逃亡中>ですから、英国としても河村警備司令官等を処刑するしかなかったのが現実ですね。

辻はアメリカの保護と国民党の庇護の下で逃げ延び、山下はフィリピン虐殺の関連で米軍に身柄を拘束、植民地宗主国イギリスとしての戦争犯罪を裁けなかったのは痛かったと思われます
>
> 我々の学生の頃は林博史等共著『マラヤの日本軍』(青木書店刊)が左派系学生の間で広く読まれておりましたので、私は「保守」の立場から議論したことを思い出します。ただ、80年代後半当時、華僑粛清を「正当化」するような議論はなかったように記憶しております。近年の自由主義史観論者の主張は、全く理解に苦しみます。

というより、華僑大検証自体が半島や大陸での略奪犯殺行為の陰に隠れて話題にならなかったというのが大きいと思われます。シンガポール攻略時においての計画性といい、その後の華僑の収奪まで計画に入っていた事といい、日本戦争犯罪史に残る重大事件でありながらあまり今まで話題にならなかったのも理解に苦しみますし、連中の「ゲリラ討伐」発言にいたってはあきれれて物も言えませんでした。
これからもよろしくお願いしますね。
436 hits

[5830]Re(3):まとめレスです
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 かず色 E-MAIL  - 08/10/7(火) 22:31 -

引用なし
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   ▼おさふねさん:

>日本憲兵正史においても「大東亜戦争史上一大汚点」とまで記されているほどの大粛清事件です。


 全国憲友会の姿勢はある程度評価できますが、史料としては一定の距離感をもって接する必要があるでしょう。以下は「南京事件」に関する見解ですが、幕府山事件、便衣兵に関する見解等、首肯しかねる部分が多々あります。但し、不祥事件自体を明確に認める姿勢ははっきりしていますね。これは潔いと思います。

---------------------------------------------------------

*全国憲友会編纂『日本憲兵正史』第3篇第1章:「南京攻略戦」より一部抜粋(P507〜510)。

(前略)問題点は、
(一).占領直後の敗残兵掃蕩戦において、多数の非戦闘員や住民が巻き添えをくらって死亡したこと。特に中国軍後退部隊と避難民が混淆した南京北方及び西方地区で大であった。但し、非武装住民であっても、軍に協力、或いは遊撃戦に関与して敵対行為をとったものは戦闘員と看做さざるを得ない。
(二).南京の人口は平均約100万、南京攻略戦開始当初約30万、その内の二十数万が概ね難民区に集まっていた。しかし南京陥落直後は完全な無政府状態で混乱を極めていた(日高信六郎参事官談)、ところが敗残兵の多くの者は武器を捨てるか隠匿して住民に変装し、所謂便衣隊となって潜伏した。この便衣隊を住民の中から摘出検挙するのは非常に困難なことであるが、この際にも無抵抗の住民に若干の犠牲者があったと考えられる。
(三).投降者を捕虜と認めず、従って捕虜として取り扱われぬことが少なくなかった。日本軍の攻撃部隊は、中国軍側に比べ僅少だったので、戦闘行動中に投降する者があっても、捕虜として監視する兵力がなく、足手まといとなるばかりであり偽装投降の前例も多かったことや、真に中国兵が戦意を喪失しているのかどうかの判別が困難であったこと、日本兵の恐怖心や敵愾心が強く、殺すか殺されるかという切迫した状況下では冷静な判断ができ難い。それに、捕虜として遇するための設備や補給能力がなかったためである。これらは作戦が猛烈な迫撃戦に次ぐ激烈な堅陣攻撃及び市街戦であった特性上からくるものであり、日本軍の第一線部隊のみを責めることはできない。
(四).南京占領後の捕虜の処遇も十分とは言いがたい。これは激戦直後の将兵の敵愾心、捕虜収容設備の不備などによるものであるが、捕虜殺害の数はさほど大ではないようである。第13師団において多数の捕虜が虐殺されたと伝えられているが、これは15日、山田旅団が幕府山砲台付近で一万四千名余を捕虜としたが、非戦闘員を釈放し、約八千人を収容した。
 ところがその夜、半数が逃亡した。警戒兵力、給養不足のため捕虜の処遇に困った旅団長が、17日夜、揚子江対岸に釈放しようとして江岸に移動させたところ、捕虜の間にパニックが起こり、警戒兵を襲ってきたため、危険にさらされた日本兵はこれに射撃を加えた。これにより捕虜約一千名が射殺され、他は逃亡し、日本軍も将校以下7名が戦死した。なお第16師団においては、数千名の捕虜を陸軍刑務所跡に収容している。
 
 以上各項目について具体的に正確な数字を挙げる事は不可能であるが、南京付近の死体は戦闘行為の結果によるものが大部分であり、これをもって計画的組織的な「虐殺」とは言いがたい。しかしたとえ少数であったとしても無辜の住民が殺傷され、捕虜の処遇に適切さを欠いたことは遺憾である。

 以上が「支那事変・陸軍作戦記1」記するところの「南京事件について」であるが、さらに補足すると、次の事を挙げておかなければならない。

(1)当時、国府軍はすでに連戦連敗で士気はすっかり低下し、軍紀も著しく弛緩して、逃亡兵続出の有様であった。そしてこの頃の国府軍の特徴として、いずれの戦場においても、退却の際にたとえ一部の兵にせよ、住民への略奪を多く行っている。
 この際、被害者側の住民の抵抗もあったろうし、退却を急ぐ兵士は時には住民の殺害も行っている。これらは、国府軍退却後に突入した日本軍がそれらの被害を見届けている。この数も決して軽視できないのである。
(2)入城した日本軍に対し、南京城内の軍官民挙げて対日敵愾心は実に旺盛であった。爆撃や砲撃で猛烈に叩かれたことを考えれば無理のないことだが、特に混乱を招いたのは、敗残兵が民衆の中に逃げ込み、便衣となって抵抗したことである。このため老婆や幼児を抱えた母親まで、手榴弾を投げる抵抗をみせ、犠牲者を出した日本軍はこの際これらの女性たちを殺害している。これは別に珍しいことでは無く、各地で多く見られたことである。だが、この真相を知らない人々が、後に路上で倒れている老婆や母親の死体を見れば、いかにも無抵抗な女性達を、日本軍が無残にも殺害したことになるだろう。
(3).次にいかに軍隊の殺戮といっても、原子爆弾でも使用しない限り、十万人の殺戮が物理的にどんなに大変な行為であるか、仮に手榴弾や機関銃を使って十万人の人間を殺害するのに、殺戮側の労力を計算した人があるだろうか。簡単に四十万人が虐殺されたと言うが、これだけの殺戮に幾人の兵士と幾日かかるか。また、どんな武器をどれ程必要とするのか。南京事件については特に一考に値する問題点である。
(4).国府軍は退却に際して明らかに焦土戦術をとっていた。猛火による焼死者も少なくないはずであり、必死に避難する住民と、必死に敗走する国府軍との大混乱の最中に生じた犠牲者も、軽視できない数字になるだろう。
(5).南京陥落直前に逃亡を急いだ国府軍兵士や、住民の多くが揚子江上の事故で溺死している。
(6).最高指揮官唐生智将軍以下、軍幹部は退却の指揮も満足にとらず、部下を置き去りにして早々に離脱している。つまり高級指揮官が突如不在となった部隊が、パニック状態に陥るのは当然である。
(7).さて、実は現在(注:昭和51年当時)最も問題となっているのが、被害、加害両者の目撃者の証言である。これが伝えられる事件の大きさに比し、意外に少ないのである。しかも、日本軍兵の中で、大虐殺を見たという確証的証言はなく、曖昧なものばかりで信ずるにたるものがない。仮に、幾十万の殺戮が実際に行われたならば、入城した日本軍兵士の多くからその事実が語られてもいいはずである。攻略軍五万の中から、少なくとも一万人くらいの将兵にはわかるはずである。しかも、部分的なものはあっても、大局的に証言できるものがない。つまり幾万と言う殺戮の目撃者などというものは、現実には有り得ないわけで、あったとすれば、被害者及び加害者の周辺に限られるのである。しかも、目撃現場も東西両方から同じ現場を見る場合もある。
 これまで南京虐殺事件について書かれたもので、四十万殺戮を納得させ得る書物がないのも、この事実を確かめるのが如何に困難かの証左であろう。

 今日(注:昭和51年当時)、現存する旧軍人の中で、将校、下士官、兵を問わず、南京虐殺事件の誇大数字に疑問を持たない人々はないだろう。それは事件の事実を否定するのではなく、その事実の誇大に対してである。

 この問題については多くの著書を読み、当時、南京にあった憲友会員諸君の意見を聴いても、その事実を証明できる人はなく、既刊の著書も信じ難いというのが結論であった。

 南京事件は確かに事実であり、戦史の上からも日本軍最大の汚点として、誠に恥ずべき行為であった。しかし、顧みて、残虐という言葉に対して、神に恥じざる軍隊が、果たしていずれの国家民族にあるのだろうか。

 戦争そのものが既に残虐であり、人間そのものの残虐性も各民族共通のものである。そして、現在の人間に於いて、南京事件がこれ程誇大に喧伝非難されるのも、また、敗戦という現実のなせる業である。

 また、戦闘部隊の入城後に、松井軍司令官とともに到着した憲兵隊の調査報告では、民衆の中へ便衣になって入り込んだ、支那軍のゲリラ戦による被害が双方共に多かったという。この為、日本軍は便衣兵の検索に当たったが、これが憲兵ならば手馴れているが、一般部隊の将兵には経験がない。そこで一般民衆と便衣兵との区別が困難になり、必要以上に苛酷な検索や処分となって禍根を残した点も大きい。

 さらに、南京攻略戦までの日本軍の配属憲兵は僅か102名に過ぎず、上海その他広汎な占領地の治安維持の為には、あまりにも憲兵が寡少であった。従って、各師団に配属憲兵を随行させる余力はなく、南京陥落当初、南京には1名の憲兵もおらず、12月17日に松井軍司令官の入城に随行した憲兵は、憲兵長以下僅か17名であった。これは国際都市上海などの大市街に対し、相当数の憲兵を残置する必要があったこと、途中の占領都市に対しても、若干名の憲兵を配置した結果である。

 南京に於ける不祥事件は12月13日から17日の間であるが、この間は憲兵不在であったのが惜しまれる。また、朝香宮が上海派遣軍司令官として南京攻略に参加したので、警護のため千崎関吾憲兵少尉以下3名が随行していた

 南京事件は日本軍にとって一大汚点として歴史に残されたが、指揮官及び憲兵にとっては一大教訓となった。
<以上、引用終>
408 hits

[5837]かず色さんに感謝!
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 ゆう WEB  - 08/10/13(月) 16:12 -

引用なし
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   三根生久大著『参謀本部の暴れ者 陸軍参謀 朝枝繁春』、大変面白く読みました。

父は日露戦争で足を失い、わずかな年金と母の乏しい稼ぎの中、食べるものにも困る10人家族の極貧生活。そこから必死に勉強して陸軍参謀まで出世した朝枝氏の物語です。感動しました。

「沈黙のファイル」も入手。「日本憲兵正史」も買ってしまいました。私の読書生活を豊かにしていただいたことに、感謝します。


実は、おそらくこの掲示板の中の何人かが、涎を垂らさんばかりに欲しがっているであろう、あるレア本が入手できることになったのですが・・・。その自慢話は、実際に本が手元に届いてから、mixiの日記にでも書くことにします(笑)
338 hits

[5845]Re(3):まとめレスです
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 熊猫 E-MAIL  - 08/10/16(木) 8:48 -

引用なし
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   ▼おさふねさん:
>連中の「ゲリラ討伐」発言にいたってはあきれれて物も言えませんでした。

 盧溝橋事件前に日本軍による匪賊討伐というのがありましたが、本来は匪賊ではなくレジスタンス運動の弾圧であったのが、日本軍の行為を正当化するために匪賊討伐という言葉を使ったようです。
 勿論、実際の匪賊もいたでしょうが、匪賊討伐というのは旧満州を支配するためのプロパガンダといってもよいのではないかと思います。
 いつの世も都合の良い言葉を使って誤魔化す連中がいるものなのです。
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