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[5893]上海南駅の赤ん坊の写真は否定も肯定もできない? トロープ 08/10/23(木) 2:33
[5895]Re(1):小柳一次について(移転) ピッポ 08/10/23(木) 3:09
[5898]Re(1):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/23(木) 6:52
[5899]Re(2):上海南駅の赤ん坊の写真 ピッポ 08/10/23(木) 11:59
[5901]Re(2):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/23(木) 23:53
[5902]Re(3):上海南駅の赤ん坊の写真 トロープ 08/10/24(金) 0:42
[5912]Re(4):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/25(土) 1:13
[5922]Re(5):上海南駅の赤ん坊の写真 トロープ 08/10/25(土) 11:44
[5903]Re(3):上海南駅の赤ん坊の写真 岡田 08/10/24(金) 1:55
[5909]Re(4):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/25(土) 0:50
[5913]Re(5):上海南駅の赤ん坊の写真 岡田 08/10/25(土) 2:37
[5915]Re(6):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/25(土) 9:24
[5920]Re(7):上海南駅の赤ん坊の写真 ピッポ 08/10/25(土) 11:09
[5923]Re(8):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/25(土) 11:45
[5924]Re(9):上海南駅の赤ん坊の写真 ピッポ 08/10/25(土) 13:05
[5927]Re(9):上海南駅の赤ん坊の写真 とほほ 08/10/25(土) 16:24
[5926]Re(7):上海南駅の赤ん坊の写真 岡田 08/10/25(土) 16:22
[5933]Re(7):上海南駅の赤ん坊の写真 タラリ 08/10/26(日) 14:16
[5934]Re(8):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/26(日) 22:36
[5935]Re(9):上海南駅の赤ん坊の写真 ピッポ 08/10/27(月) 1:35
[5936]Re(9):上海南駅の赤ん坊の写真 岡田 08/10/27(月) 2:20
[5937]Re(9):上海南駅の赤ん坊の写真 とほほ 08/10/27(月) 4:10
[5938]Re(9):上海南駅の赤ん坊の写真 タラリ 08/10/27(月) 10:11
[5939]Re(10):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/27(月) 23:52
[5940]Re(11):上海南駅の赤ん坊の写真 ピッポ 08/10/28(火) 0:08
[5941]Re(11):上海南駅の赤ん坊の写真 岡田 08/10/28(火) 2:19
[5942]Re(12):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/28(火) 22:08
[5943]Re(13):上海南駅の赤ん坊の写真 とほほ 08/10/28(火) 22:24
[5946]Re(13):上海南駅の赤ん坊の写真 岡田 08/10/29(水) 0:23
[5949]Re(11):上海南駅の赤ん坊の写真 タラリ 08/10/30(木) 0:48
[5950]Re(12):上海南駅の赤ん坊の写真 タラリ 08/10/30(木) 15:06
[5952]Re(12):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/31(金) 0:44
[5953]矛盾していますよ 岡田 08/10/31(金) 2:53
[5959]Re(13):上海南駅の赤ん坊の写真 タラリ 08/10/31(金) 22:37
[5917]Re(6):上海南駅の赤ん坊の写真 かず色 08/10/25(土) 9:57
[5928]Re(7):上海南駅の赤ん坊の写真 とほほ 08/10/25(土) 16:34
[5932]Re(7):上海南駅の赤ん坊の写真 岡田 08/10/26(日) 5:13
[5904]Re(3):引用比較 ピッポ 08/10/24(金) 6:26
[5907]Re(4):そもそも ピッポ 08/10/24(金) 19:49
[5908]Re(5):そもそも かず色 08/10/25(土) 0:29
[5914]Re(6):そもそも 岡田 08/10/25(土) 2:38
[5916]Re(7):そもそも かず色 08/10/25(土) 9:35
[5918]Re(8):そもそも ピッポ 08/10/25(土) 10:27
[5919]Re(9):そもそも かず色 08/10/25(土) 10:35
[5921]Re(10):そもそも ピッポ 08/10/25(土) 11:33
[5930][投稿者削除]
[5931]Re(1):Re慎重なる思料のうえ ピッポ 08/10/25(土) 23:16 [添付]
[5925]Re(8):そもそも 岡田 08/10/25(土) 15:36
[5905]Re(3):陳謝 ピッポ 08/10/24(金) 6:54
[5910][投稿者削除]
[5948]Re(4):陳謝 ピッポ 08/10/29(水) 14:31
[5906]Re(3):上海南駅の赤ん坊の写真 タラリ 08/10/24(金) 15:37
[5929]Re(3):上海南駅の赤ん坊の写真 とほほ 08/10/25(土) 16:50
[5958]個人的見解 トロープ 08/10/31(金) 22:06
[6030]この写真に関する質問:ライフ誌について とろとろ 08/12/20(土) 22:48
[6039]Re(1):この写真に関する質問:ライフ誌について 渡辺 08/12/25(木) 4:12 [添付]
[6040]Re(2):この写真に関する質問:ライフ誌:p102下半分 渡辺 08/12/25(木) 4:17 [添付]
[6044][投稿者削除]
[6052]Re(3):ライフ誌:p102下半分(6044の訂正投稿) ピッポ 08/12/26(金) 8:31
[6053]字句訂正 ピッポ 08/12/26(金) 8:50
[6067]Re(4):ライフ誌:p102下半分(6044の訂正投稿) 渡辺 08/12/28(日) 2:38 [添付]
[6071]Re御礼 疑念は晴れました ピッポ 08/12/28(日) 10:25
[6115]Re(1):Re御礼 疑念は晴れました ピッポ 09/1/8(木) 13:00
[6054]p102のキャプション ピッポ 08/12/26(金) 12:02
[6041]Re(2):この写真:p103右上 渡辺 08/12/25(木) 4:24 [添付]
[6043]Re(3):この写真:p103右上 ピッポ 08/12/25(木) 7:10
[6055]:p103のコメントtext ピッポ 08/12/26(金) 12:21
[6042]Re(2):この写真:p103中ほど 渡辺 08/12/25(木) 4:29 [添付]
[6045]Re(3):この写真:p103中ほど とろとろ 08/12/25(木) 13:43
[6046]Re(4):この写真:p103中ほど かず色 08/12/25(木) 21:38
[6048]Re(5):この写真:p103中ほど ピッポ 08/12/25(木) 22:48
[6049]Re(6):この写真:p103中ほど とろとろ 08/12/26(金) 0:11
[6057]Re(7):この写真:p103中ほど タラリ 08/12/26(金) 15:27
[6059]80%は自戒です ピッポ 08/12/26(金) 18:05
[6060]Re(1):80%は自戒です タラリ 08/12/26(金) 19:03
[6061]Re(2):80%は自戒です とろとろ 08/12/26(金) 20:54
[6063]Re(3):80%は自戒です とほほ 08/12/27(土) 3:20
[6065]Re(4):80%は自戒です とろとろ 08/12/27(土) 17:27
[6062]Re(2):80%は自戒です ピッポ 08/12/26(金) 23:15
[6051]Re(5):この写真:p103中ほど タラリ 08/12/26(金) 0:25
[6056]:p103中ほど,赤ん坊の写真とキャプション ピッポ 08/12/26(金) 12:28
[6058]Re(3):この写真:p103中ほど タラリ 08/12/26(金) 16:06 [添付]
[6066]LIFE OCTOBER 4, 1937 (渡辺投稿の一体化) ピッポ 08/12/27(土) 18:11
[6080]Re(1):上海南駅の赤ん坊の写真 ピッポ 09/1/2(金) 17:44
[6081]Re(2):日寇暴行実録 渡辺 09/1/3(土) 3:29 [添付]
[6082]Re(3):日寇暴行実録 ピッポ 09/1/3(土) 8:19
[6084]Re(4):日寇暴行実録 タラリ 09/1/3(土) 20:57
[6087]Re(5):日寇暴行実録 ピッポ 09/1/4(日) 8:00
[6085]Re(4):日寇暴行実録 渡辺 09/1/4(日) 2:04
[6086]Re(5):日寇暴行実録 ピッポ 09/1/4(日) 7:40
[6088]Re(5):日寇暴行実録 タラリ 09/1/4(日) 17:53
[6089]Re(6):日寇暴行実録 ピッポ 09/1/4(日) 19:35
[6090]Re(7):日寇暴行実録 タラリ 09/1/4(日) 21:33
[6092]Re(8):日寇暴行実録 ピッポ 09/1/4(日) 23:50
[6093]Re(9):ウォン氏への名誉毀損は何のため? ピッポ 09/1/5(月) 7:34
[6096]Re(10):ウォン氏への名誉毀損は何のため? タラリ 09/1/5(月) 22:37
[6097]Re(11):<学問的権威>を自称する方へのご忠告 ピッポ 09/1/6(火) 8:46
[6099]Re(12):<学問的権威>を自称する方へのご忠告 とほほ 09/1/6(火) 9:05
[6101]Re(13):<学問的権威>を自称する方へのご忠告 ピッポ 09/1/6(火) 12:41
[6119]Re(14):少し丁寧なお応えのつもりです ピッポ 09/1/8(木) 21:31
[6098]Re(11):私の発言撤回の件 ピッポ 09/1/6(火) 8:59
[6102]類まれな信仰者を讃えて(1) タラリ 09/1/6(火) 21:26
[6103]類まれな信仰者を讃えて(2) タラリ 09/1/6(火) 21:27
[6104]類まれな信仰者を讃えて(3) タラリ 09/1/6(火) 21:28
[6108]Re(1):類まれな信仰者を讃えて(3) ピッポ 09/1/6(火) 23:21
[6107]Re(1):卑怯者の蒸し返し(2) ピッポ 09/1/6(火) 23:06
[6106]Re(1)卑怯者の事実だけは指摘しておきます: ピッポ 09/1/6(火) 22:15
[6095]Re(9):日寇暴行実録 タラリ 09/1/5(月) 22:34
[6100]Re(10):一点突破?全面てんかい? ピッポ 09/1/6(火) 9:38
[6114]Re(8):タラリ氏に実務的なお尋ねをします ピッポ 09/1/8(木) 11:54
[6122]Re(9):タラリ氏に実務的なお尋ねをします タラリ 09/1/8(木) 23:59
[6124]Re(10):宇宙からの映像に匹敵? ピッポ 09/1/9(金) 3:27
[6125]Re(11):宇宙からの映像に匹敵? かず色 09/1/9(金) 8:34
[6126]Re(12):宇宙からの映像に匹敵? ピッポ 09/1/9(金) 10:40
[6138]Re(13):宇宙からの映像に匹敵? かず色 09/1/11(日) 9:30
[6128]Re(11):宇宙からの映像に匹敵? タラリ 09/1/9(金) 13:31
[6129]Re(12):宇宙からの映像に匹敵? ピッポ 09/1/9(金) 14:14
[6137]Re(13):宇宙からの映像に匹敵? タラリ 09/1/11(日) 0:14
[6168]Re(14):宇宙からの映像に匹敵? ピッポ 09/1/12(月) 14:48
[6186]Re(15):宇宙からの映像に匹敵? タラリ 09/1/12(月) 22:51
[6193]Re(16):宇宙からの映像に匹敵? ピッポ 09/1/13(火) 0:30
[6169]Re(14):不用意な同意に対する訂正 ピッポ 09/1/12(月) 15:44
[6130]Re(12):蛇足 ピッポ 09/1/9(金) 14:31
[6184]H.S,Wongインタビュー(1978出版本より) ピッポ 09/1/12(月) 22:17
[6127]Re(10):タラリ氏に実務的なお尋ねをします ピッポ 09/1/9(金) 11:15
[6134]LIFE SEP 6, 1937 (オークション) ピッポ 09/1/10(土) 17:41

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[6124]Re(10):宇宙からの映像に匹敵?
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 ピッポ E-MAIL  - 09/1/9(金) 3:27 -

引用なし
パスワード
   ▼タラリさん:
[#5952]のレスで私の考えを知っていただくために、急遽リンクなしでuploadしていたのですが、ピッポさんはそのレスはご覧にはなっていませんでしたか。どうぞ参考にして下さい。

あとでゆっくり読ませていただきます。

>そこで最初に調べたのがyoutubeで、"battle of China"の中にウォンのフィルムの一部分があります。

赤ん坊が運ばれていくカットがありました。わたしの思い過ごしでした。これは三脚は使っていませんでした。

youtubeの "Rape of Nanking" (これは後々のもの)にプラットフォームの赤ん坊のカットがありました。オプチカルエフェクトでトラックアップしてましたので、撮影時の原型は不明です。そこには、渡辺さんがスキャンしたNo2の写真もありました。また、赤ん坊らしき者が線路上の瓦礫の上にいるショットもありました。位置的には陸橋から落ちた場所です。これもオプチカルエフェクトでトラックアップしてましたので動画かどうか不明ですが、初めて見たショットです。


>その次に『終戦記念戦記シリーズ 激動・日中戦史秘録』というVHSをヤフオクで仕入れました。こちらはちょっとだけ長いだけでやはり子どもの場面で唐突に終わっています。グラフ誌に使われている、ご指摘の三場面はどちらにも出てきません。

そうですか。スチルカメラの可能性も残っているかも。

>ウォンの「証言」ではフィルムを撮り終えて、泣いている子どもに近寄った、とあります。では、後の三場面はどうやって撮ったのか?スチルカメラで撮ったのか。ムービー・カメラの他にスチル・カメラを持って行ったという証言はあるのか?
>
>台湾記者協会の記事ではいつも3−4個のカメラを肩に下げていた、とっさにドイツ製のムービー・カメラを抱えて車に飛び乗った、というようなことを書いてあり、この描写ではムービー・カメラだけを持って行ったという感じが強いです。カメラも持っていったという可能性は否定は出来ないのですが、私は近くで爆撃があった、現場に急行するぞというときには、一番大事なカメラをひとつだけ持って行ったのではないかと思います。
>(ドイツ製のカメラと言えば、Arriflexになります。EyemoはアメリカのBell & Howel社製です。諸般の事情から台湾記者協会のは不正確で、持って行ったのはEyemoじゃないかと思っています。)

Arriflex35ミリは1937のestablishedですね。このとき間に合わないかもしれません。


>私が見た映像の途切れ方からするとフィルムが1分間しか持たないという事実はよく私の実感に合っています。もちろん、Arriflexの2分、4分がまったく否定されるわけではないのですが。思うに、駅舎の近くの場面から始まって、爆弾が落ちたのが駅の構内だということがわかって、構内に入り、上空を飛ぶ飛行機を撮影し、ホームで救助に当たるボーイスカウトを撮り、と進んで子どもを撮るところで、実際に「撮り終えた」のではないか。そして三つの場面は残り数秒もないフィルムをコマ撮りのようにして、撮影したのではないか。これがいま私が持っている想像です。


いずれにしても、大元の史料をえないで、空隙を埋めるのは推理ゲームになりますので、ほどほどにしたほうがいいかもしれません。。


>渡辺さんもキャスルフィルムズ版16mmフィルムにはないので、どうしてもニュースフィルムの原版が欲しいと以前から言っておられました。確か、13万円から16万円していました。しかし、いまはドルが下がっており買い時です。

買える方が手に入れてくだされば、いろんなことが解決しますね。

なお、上海には当時マギーフィルムを現像したコダックのラボが生きていましたので、Wongは撮影済みを現像してからアメリカに送ったと思います。ラッシュも見てフッテージノートも同封した可能性は高いでしょう。コピーも同時に焼いて送れば、上映用と雑誌用の両方がそろいます。

船便では、LIFE10月4日号までに世界中を駆け回ることはできません。

そこで調べたら、こちらのほうがビックリです。太平洋横断航空便が出来ていたのですね。そうして、大西洋横断便は出来たてのホヤホヤでした。Wongの映像はものすごいイベントだったのです。「赤ん坊」というインパクトだけでは、どうやらなかったようです。

パンアメリカン航空
http://ja.wikipedia.org/wiki/パンアメリカン航空#.E5.A4.AA.E5.B9.B3.E6.B4.8B.E6.A8.AA.E6.96.AD.E8.B7.AF.E7.B7.9A.E9.96.8B.E8.A8.AD
1935年: サンフランシスコ〜ホノルル〜マニラ〜香港の世界最初の太平洋横断航空便を開設。
1937年: 世界最初の大西洋横断航空便を開設。

そのとききっと、サンフランシスコでみるWongの劇場用ニュース、中国で勃発した戦争の映像は、今で言えば宇宙からの映像以上の衝撃だったのでしょう。

いずれにしても、LIFEより前の、初出の映像あるいは初出の紙媒体が見つかれば、いろんな思惑や私どものいらぬ思い込みも、払拭できるかもしれません。
185 hits

[6125]Re(11):宇宙からの映像に匹敵?
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 かず色 E-MAIL  - 09/1/9(金) 8:34 -

引用なし
パスワード
   ▼ピッポさん:
>船便では、LIFE10月4日号までに世界中を駆け回ることはできません。
>
>そこで調べたら、こちらのほうがビックリです。太平洋横断航空便が出来ていたのですね。そうして、大西洋横断便は出来たてのホヤホヤでした。Wongの映像はものすごいイベントだったのです。「赤ん坊」というインパクトだけでは、どうやらなかったようです。
>
>パンアメリカン航空
>http://ja.wikipedia.org/wiki/パンアメリカン航空#.E5.A4.AA.E5.B9.B3.E6.B4.8B.E6.A8.AA.E6.96.AD.E8.B7.AF.E7.B7.9A.E9.96.8B.E8.A8.AD
>1935年: サンフランシスコ〜ホノルル〜マニラ〜香港の世界最初の太平洋横断航空便を開設。
>1937年: 世界最初の大西洋横断航空便を開設。

ウィキペディア情報を補足しますと、チャイナ・クリッパーは日中戦争開戦当時、サンフランシスコ〜香港を5泊6日で就航しておりました。

因みに1937年9月発行の『LIFE』記事には、上海爆撃被害の記事とともに、当該写真が「太平洋横断機によって到着」との説明がなされております。
183 hits

[6126]Re(12):宇宙からの映像に匹敵?
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 ピッポ E-MAIL  - 09/1/9(金) 10:40 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
>>パンアメリカン航空
>>http://ja.wikipedia.org/wiki/パンã【URL短縮表記:C-BOARD】
>>1935年: サンフランシスコ〜ホノルル〜マニラ〜香港の世界最初の太平洋横断航空便を開設。
>>1937年: 世界最初の大西洋横断航空便を開設。
>
>ウィキペディア情報を補足しますと、チャイナ・クリッパーは日中戦争開戦当時、サンフランシスコ〜香港を5泊6日で就航しておりました。


情報ありがとうございます
チャイナ・クリッパー=これですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/マーチン_M130
(飛行艇の時代:59) マーチンM130「チャイナ・クリッパー」
http://www.shipboard.info/blog/archives/2006/08/post_705.html(興味深い写真あり)


>因みに1937年9月発行の『LIFE』記事には、上海爆撃被害の記事とともに、当該写真が「太平洋横断機によって到着」との説明がなされております。

それは、1937年9月何日号でしょうか?
180 hits

[6127]Re(10):タラリ氏に実務的なお...
←back ↑menu ↑top forward→
 ピッポ E-MAIL  - 09/1/9(金) 11:15 -

引用なし
パスワード
   ▼タラリさん:
>渡辺さんもキャスルフィルムズ版16mmフィルムにはないので、どうしてもニュースフィルムの原版が欲しいと以前から言っておられました。確か、13万円から16万円していました。しかし、いまはドルが下がっており買い時です。

Universal Newsreel Volume 33, Release 93, 11/17/1960
ARC Identifier 2050325 / Local Identifier 200-UN-33-93

たまたま、こういうものが引けました。
National Archive の検索で、H. S. Wong 検索を試した結果で目に付いたものです。(きちんとサルベージしてみてください)

http://www.archives.gov/
http://www.archives.gov/research/arc/

http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1391.html

派生ですが、検索結果のResouce欄にこんなものがありました。
$18.95 DVDだそうです。
Universal Newsreels Vol. 33 Release 89-96 (1960)
http://www.amazon.com/dp/B000TZ063C
188 hits

[6128]Re(11):宇宙からの映像に匹敵?
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 タラリ E-MAIL  - 09/1/9(金) 13:31 -

引用なし
パスワード
   ▼ピッポさん:
>>そこで最初に調べたのがyoutubeで、"battle of China"の中にウォンのフィルムの一部分があります。
>
>赤ん坊が運ばれていくカットがありました。わたしの思い過ごしでした。これは三脚は使っていませんでした。
>

さすが、カメラマンです。

>youtubeの "Rape of Nanking" (これは後々のもの)にプラットフォームの赤ん坊のカットがありました。オプチカルエフェクトでトラックアップしてましたので、撮影時の原型は不明です。そこには、渡辺さんがスキャンしたNo2の写真もありました。また、赤ん坊らしき者が線路上の瓦礫の上にいるショットもありました。位置的には陸橋から落ちた場所です。これもオプチカルエフェクトでトラックアップしてましたので動画かどうか不明ですが、初めて見たショットです。

これは写真用語がよくわかりませんので、素人にわかりやすくもう一度書いてはもらえませんか。

>>その次に『終戦記念戦記シリーズ 激動・日中戦史秘録』というVHSをヤフオクで仕入れました。こちらはちょっとだけ長いだけでやはり子どもの場面で唐突に終わっています。グラフ誌に使われている、ご指摘の三場面はどちらにも出てきません。
>
>そうですか。スチルカメラの可能性も残っているかも。

実は購入したとき、すでに手持ちのビデオデッキはほとんど使えない状態になっており、爪楊枝でボタンを突っつき、突っつきして再生しました。いまは家庭ゴミとして出されるのを待っている状態です。テープが必要でしたら、差し上げますので解析して下さい。

もうひとつ、リクエストになりますが、■「パナマ坊の男+2人の子」の写真を赤ん坊ひとりの写真とPhotoShopProを駆使して比較して、撮影位置がどのくらい離れているか、わかりませんか。ウォンが後年どれくらい、正しく記憶していたかの手がかりになります。


>>ウォンの「証言」ではフィルムを撮り終えて、泣いている子どもに近寄った、とあります。では、後の三場面はどうやって撮ったのか?スチルカメラで撮ったのか。ムービー・カメラの他にスチル・カメラを持って行ったという証言はあるのか?
>>
>>台湾記者協会の記事ではいつも3−4個のカメラを肩に下げていた、とっさにドイツ製のムービー・カメラを抱えて車に飛び乗った、というようなことを書いてあり、この描写ではムービー・カメラだけを持って行ったという感じが強いです。カメラも持っていったという可能性は否定は出来ないのですが、私は近くで爆撃があった、現場に急行するぞというときには、一番大事なカメラをひとつだけ持って行ったのではないかと思います。
>>(ドイツ製のカメラと言えば、Arriflexになります。EyemoはアメリカのBell & Howel社製です。諸般の事情から台湾記者協会のは不正確で、持って行ったのはEyemoじゃないかと思っています。)
>
>Arriflex35ミリは1937のestablishedですね。このとき間に合わないかもしれません。

そうですか。


>>私が見た映像の途切れ方からするとフィルムが1分間しか持たないという事実はよく私の実感に合っています。もちろん、Arriflexの2分、4分がまったく否定されるわけではないのですが。思うに、駅舎の近くの場面から始まって、爆弾が落ちたのが駅の構内だということがわかって、構内に入り、上空を飛ぶ飛行機を撮影し、ホームで救助に当たるボーイスカウトを撮り、と進んで子どもを撮るところで、実際に「撮り終えた」のではないか。そして三つの場面は残り数秒もないフィルムをコマ撮りのようにして、撮影したのではないか。これがいま私が持っている想像です。
>
>
>いずれにしても、大元の史料をえないで、空隙を埋めるのは推理ゲームになりますので、ほどほどにしたほうがいいかもしれません。

これは意見を異にします。

>
>なお、上海には当時マギーフィルムを現像したコダックのラボが生きていましたので、Wongは撮影済みを現像してからアメリカに送ったと思います。ラッシュも見てフッテージノートも同封した可能性は高いでしょう。コピーも同時に焼いて送れば、上映用と雑誌用の両方がそろいます。

私はそうは思いません。フィルムは缶に入れたまま送ったと思います。当時のニュース映画に対する観衆の要求はなによりも速報性ではなかったかと思います。

>パンアメリカン航空
>1935年: サンフランシスコ〜ホノルル〜マニラ〜香港の世界最初の太平洋横断航空便を開設。
>1937年: 世界最初の大西洋横断航空便を開設。


"newsreel wong"でググって見てください。
Great News Photos and the Stories Behind Them - Google ブック検索結果

というのが出てきます。これはgoogleが世界中の図書館をネット上に置こうという試みの一環だと思われます。フィルムが送られた経路は

The film was sent by US. Navy ship from Shanghai to Manila then to New York by Pan American Airlines. Two week later, the crying baby, sitting in the bombed South railway station in Shanghai, was seen in the Hearst newsreel and newspaper.

です。速報性を一部損なうことがあってもマニラまではアメリカ軍艦を通じて送ったのは特に秘すということと、日本軍の介入を避けるためかもしれません。
180 hits

[6129]Re(12):宇宙からの映像に匹敵?
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 ピッポ E-MAIL  - 09/1/9(金) 14:14 -

引用なし
パスワード
   ▼タラリさん:
>>youtubeの "Rape of Nanking" (これは後々のもの)にプラットフォームの赤ん坊のカットがありました。オプチカルエフェクトでトラックアップしてましたので、撮影時の原型は不明です。そこには、渡辺さんがスキャンしたNo2の写真もありました。また、赤ん坊らしき者が線路上の瓦礫の上にいるショットもありました。位置的には陸橋から落ちた場所です。これもオプチカルエフェクトでトラックアップしてましたので動画かどうか不明ですが、初めて見たショットです。
>
>これは写真用語がよくわかりませんので、素人にわかりやすくもう一度書いてはもらえませんか。


時代的にオプチカルエフェクトではなくて、ビデオエフェクトですね。訂正します。

フィルムの時代には、トラックアップ=映像を拡大する効果には、撮影時にカメラが近づいていくかズームレンズを使用するズームアップをします。(ただし、その時はズームレンズは未だ)

それが撮影時になされなくても、現像所で、ラボワークとして1コマ1コマを焼きつけながら、撮影時に無かった「映像効果」(この場合はトラックアップ=ズームアップ)をつけることを、オプチカルエフェクト(光学処理)といいます。

ちなみに、文字スーパーを載せることも、画像フィルムと文字フィルムを重ね焼きする、オプチカルエフェクトの一部です。

フィルムの時代のオプチカルエフェクトは大変お金の掛かることですが、いまではだれでも簡単にパソコン上で可能です。


>もうひとつ、リクエストになりますが、■「パナマ坊の男+2人の子」の写真を赤ん坊ひとりの写真とPhotoShopProを駆使して比較して、撮影位置がどのくらい離れているか、わかりませんか。ウォンが後年どれくらい、正しく記憶していたかの手がかりになります。

どうでしょうか、仮に三脚を立てていても、微妙に位置を修正することはあたりまえですから。マージしても余り意味はないでしょう。
それより見た目で比較できるのでは?


>>なお、上海には当時マギーフィルムを現像したコダックのラボが生きていましたので、Wongは撮影済みを現像してからアメリカに送ったと思います。ラッシュも見てフッテージノートも同封した可能性は高いでしょう。コピーも同時に焼いて送れば、上映用と雑誌用の両方がそろいます。
>
>私はそうは思いません。フィルムは缶に入れたまま送ったと思います。当時のニュース映画に対する観衆の要求はなによりも速報性ではなかったかと思います。

もちろん断言は出来ませんが、上海で現像できれば安全です。

Wong自身あるいは彼の信頼できる仲間が、身周り手荷物としてアメリカに携えたのなら未現像のまま持っていった可能性がありますが、輸送を航空会社に任せたのなら、きっと現像してから送ったはずです。どこで現像しても中1日ぐらいの所要時間はかわりません。輸送中に未現像フィルム缶を「試しに開けられたり」でもしたら切腹ものです。露光してしまったら総てがオシャカです。

もちろん、秘密保全というファクターもあります。また、飛行艇フライトスケジュールとの兼ね合いも有ります。周到に判断したでしょう。

>>パンアメリカン航空
>>1935年: サンフランシスコ〜ホノルル〜マニラ〜香港の世界最初の太平洋横断航空便を開設。
>>1937年: 世界最初の大西洋横断航空便を開設。
>
>
>"newsreel wong"でググって見てください。
>Great News Photos and the Stories Behind Them - Google ブック検索結果
>
>というのが出てきます。これはgoogleが世界中の図書館をネット上に置こうという試みの一環だと思われます。フィルムが送られた経路は
>
>The film was sent by US. Navy ship from Shanghai to Manila then to New York by Pan American Airlines. Two week later, the crying baby, sitting in the bombed South railway station in Shanghai, was seen in the Hearst newsreel and newspaper.

>です。速報性を一部損なうことがあってもマニラまではアメリカ軍艦を通じて送ったのは特に秘すということと、日本軍の介入を避けるためかもしれません。


US. Navy ship ですか。なるほど!
資料、ありがとうございました。
178 hits

[6130]Re(12):蛇足
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 ピッポ E-MAIL  - 09/1/9(金) 14:31 -

引用なし
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   蛇足ですが、
youtube で Battle of China を見ますと、ソースが日本の戦記映画のショットは三脚を立てたものが多いですね。
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[6134]LIFE SEP 6, 1937 (オークシ...
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 ピッポ E-MAIL  - 09/1/10(土) 17:41 -

引用なし
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   どなたか是非
http://auction.jp.msn.com/item/111570841

わたしはやりませんので・・・・
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[6137]Re(13):宇宙からの映像に匹敵?
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 タラリ E-MAIL  - 09/1/11(日) 0:14 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>▼タラリさん:
>>>youtubeの "Rape of Nanking" (これは後々のもの)にプラットフォームの赤ん坊のカットがありました。オプチカルエフェクトでトラックアップしてましたので、撮影時の原型は不明です。そこには、渡辺さんがスキャンしたNo2の写真もありました。また、赤ん坊らしき者が線路上の瓦礫の上にいるショットもありました。位置的には陸橋から落ちた場所です。これもオプチカルエフェクトでトラックアップしてましたので動画かどうか不明ですが、初めて見たショットです。

ピッポさんご提示のyoutubeの "Rape of Nanking"がどれのことかわからず、「赤ん坊らしき者が線路上の瓦礫の上にいるショット」が見つかりません。
そう言えば私の"battle of china"がわからない人もいるでしょう。

http://jp.youtube.com/watch?v=EvXRATPqmJ4
WWII - Why We Fight - The Battle Of China 4/10 (1943)
4m20s-4m23s
の場面です。

ピッポさんのは
The Rape of Nanking
http://jp.youtube.com/watch?v=YlXDEe1_8GA
5:11(last)
ですか?


>時代的にオプチカルエフェクトではなくて、ビデオエフェクトですね。訂正します。
>
>フィルムの時代には、トラックアップ=映像を拡大する効果には、撮影時にカメラが近づいていくかズームレンズを使用するズームアップをします。(ただし、その時はズームレンズは未だ)
>
>それが撮影時になされなくても、現像所で、ラボワークとして1コマ1コマを焼きつけながら、撮影時に無かった「映像効果」(この場合はトラックアップ=ズームアップ)をつけることを、オプチカルエフェクト(光学処理)といいます。

意味はわかりましたが、この時代にそういうことをする例があったのか疑問です。
フィルムを一こま、一こま拡大したら、ズームアップと同じ効果を上げることができるということはわかりました。しかし、そのようなことはズームで撮影されたフィルムを見た後に考えつくことではないでしょうか。ズームレンズが発明された後において、種々の制約のため、アイモでしか使えず、当然ズームしてしかるべき場面が、見劣りするというのなら、そのような技法が取られねこともありえたでしょう。

しかし、ズームレンズを知らない時代にあっては対象が十分な大きさで映るように、あるときは危険を冒しながらでも、寄って撮るしかないでしょう。また、アイモには焦点の違う、三つのレンズが備えられ、ズームの役割を簡易に果たしていたと言いますから、それを駆使して撮ったでしょう。

ピッポさんが冒頭でトラックアップした画像というのはもっとシンプルにトリミングした写真と言えば済むところではないんですか?

ところで、この赤ん坊の写真が劇的な迫力を持ったのは『ライフ』誌の写真編集者の腕によるトリミングの妙にあることは誰も異存ないでしょう。なぜ縦長に切り取られたかというと、原画の右側にある大きな黒い柱のように見えるものをカットするためです。最初の頃私は柱にしては軌道敷きの真ん中当たりに立っているように見えるので、何かなと思っていました。

見方を変えて、ホームに立っているようにみなそうとしても二枚以上の写真を較べると下端がやはり軌道敷きの当たりにあります。最後にこれは赤ん坊がいるホームの屋根の一部が破壊されてほぼ垂直に垂れ下がっているのだと気が付きました。

写真の中に何か判別の付かないものがあると落ち着きません。中心テーマに対する関心の集中が阻害されます。まず、落ち着かない余分な柱を切り取ろうとする配慮がトリミングの妙と見られる作業につながったのだと思いました。


>>もうひとつ、リクエストになりますが、■「パナマ坊の男+2人の子」の写真を赤ん坊ひとりの写真とPhotoShopProを駆使して比較して、撮影位置がどのくらい離れているか、わかりませんか。ウォンが後年どれくらい、正しく記憶していたかの手がかりになります。
>
>どうでしょうか、仮に三脚を立てていても、微妙に位置を修正することはあたりまえですから。マージしても余り意味はないでしょう。
>それより見た目で比較できるのでは?

写真が話題になったあと同業者の批判に曝されています。赤ん坊の立ち位置(座り位置)が写真としてあまりに絶妙なので、アメリカのカメラマンや、ジャーナリストにも、赤ん坊をセットしたという疑いを持たれたり、お前は可哀相な赤ん坊を前に何をしていたのか、カメラを置いて助けに行かなかったのか、というような非難がましいことが言われたようなのです。

ウォンはFarberのインタビューに答えて、助けようと赤ん坊の方に向かった、と言っています。ところでウォンが助けに言ったというのが、公開当時の非難が答えたために、弁解で言ったのだとしたら、否定派はウォンが冷たいのはやはりヤラセのためであり、本当はこどもは負傷などしていなかった、などと言い出す危険があります。私はそういう懸念を感じています。

ところが、ピッポさんの見た目で判断せよ、という叱咤にしたがって、よく見たらわかりました。私はずっと画面に対する線路の角度、ホームの舗石の角度で判断しようと努めていましたが、これはホームの縁からの距離と子どもまでの距離、ウォンが立っているか、しゃがんで構えているかで微妙に変化するので結論が出なかったのです。

ところが、赤ん坊の足の先に軌道にあるよれたトタンらしい波板に注目してみますと、ふたつの写真ではその陰の部分の大きさがちょっと違います。この陰の部分はホームの端に寄り、かつ子どもに寄るほど、大きくなるはずです。赤ん坊ひとりのショットも三人でいるショットもかなりの望遠で撮っています。望遠でこれだけの角度の変化が起こるということはウォンが赤ん坊の方にかなり歩み寄って行ったことがわかります。これはウォンの証言にウソはなかったこととウォンの人間性を証明しています。


>Wong自身あるいは彼の信頼できる仲間が、身周り手荷物としてアメリカに携えたのなら未現像のまま持っていった可能性がありますが、輸送を航空会社に任せたのなら、きっと現像してから送ったはずです。どこで現像しても中1日ぐらいの所要時間はかわりません。輸送中に未現像フィルム缶を「試しに開けられたり」でもしたら切腹ものです。露光してしまったら総てがオシャカです。

ウォンというカメラマンの身分でアメリカ海軍にこのような頼みごとをできるはずはなく、ハースト社が海軍筋に手を回していたから出来たことでしょう。フィルムはハースト社の大切な物件として預けられているはずで輸送中に誰かが試しに開けたりするということはありえません。
155 hits

[6138]Re(13):宇宙からの映像に匹敵?
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 かず色 E-MAIL  - 09/1/11(日) 9:30 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>▼かず色さん:
>>>パンアメリカン航空
>>>http://ja.wikipedia.org/wiki/パンã【URL短縮表記:C-BOARD】
>>>1935年: サンフランシスコ〜ホノルル〜マニラ〜香港の世界最初の太平洋横断航空便を開設。
>>>1937年: 世界最初の大西洋横断航空便を開設。
>>
>>ウィキペディア情報を補足しますと、チャイナ・クリッパーは日中戦争開戦当時、サンフランシスコ〜香港を5泊6日で就航しておりました。
>
>
>情報ありがとうございます
>チャイナ・クリッパー=これですね。
>http://ja.wikipedia.org/wiki/マーチン_M130
>(飛行艇の時代:59) マーチンM130「チャイナ・クリッパー」
>http://www.shipboard.info/blog/archives/2006/08/post_705.html(興味深い写真あり)
>
>
>>因みに1937年9月発行の『LIFE』記事には、上海爆撃被害の記事とともに、当該写真が「太平洋横断機によって到着」との説明がなされております。
>
>それは、1937年9月何日号でしょうか?


1937年9月6日号です。(風邪で寝込んでおりました。返事が遅くなりすいません)
145 hits

[6168]Re(14):宇宙からの映像に匹敵?
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 ピッポ E-MAIL  - 09/1/12(月) 14:48 -

引用なし
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   追記し統合しました。

▼タラリさん:
>ピッポさんご提示のyoutubeの "Rape of Nanking"がどれのことかわからず、「赤ん坊らしき者が線路上の瓦礫の上にいるショット」が見つかりません。

URLのメモを今はもっていません。明日にでもお知らせします。

=========================
※追記1
URLはこちら
http://jp.youtube.com/watch?v=hIUro3olXlY

言及した画像はこちら、


ビデオエフェクトでトラックアップしてますから、
この画像のフレーミングは、原版であるH.S.Wongのフレーミングとは異なります。
カメラのポジションは、プラットフォームの上からではなくて、それより右方向の線路上のどこかでしょう。遠く見える片屋根と、跨線橋の縦鉄骨との重なりからそう読み取れます。
=============

なお、あれが「プラットホームの赤ん坊」と申し上げたのは早とちりだったかもしれません。Wongのインタビューの全体を良く読めば、「赤ん坊らしきもの」であって「あの赤ん坊」かどうかはよく分かりません。なにしろ、無数の死体とけが人が散らばっていたのですから。

=====================
追記2
シルエットは「プラットホームのあの赤ん坊」よりも少し大きい子供かもしれません。Wongが目撃したことの総てが映像に納められたとは限りません(これは揺るがすことの出来ない事実です)。じっさい目撃談によれば、赤ん坊を拾い上げたのを見て、プラットフォームに運ぶところを撮影した、ということで、赤ん坊を拾い上げたアクションは目撃したけど「写せなかった」のではないでしょうか? (これは私の推理です。学問的だなんて申しません)
=====================

また、このYoutubeにアップされた「映像作品」は、史実検証に適した代物とは到底いえない、3次4次作品です。ですが、私が目に触れたことがない「上海南站」のショットがあったのでお知らせしたまでです。(もとがスチルなのかムービーなのかも不明)。

>意味はわかりましたが、この時代にそういうことをする例があったのか疑問です。
>フィルムを一こま、一こま拡大したら、ズームアップと同じ効果を上げることができるということはわかりました。しかし、そのようなことはズームで撮影されたフィルムを見た後に考えつくことではないでしょうか。ズームレンズが発明された後において、種々の制約のため、アイモでしか使えず、当然ズームしてしかるべき場面が、見劣りするというのなら、そのような技法が取られねこともありえたでしょう。
>
>しかし、ズームレンズを知らない時代にあっては対象が十分な大きさで映るように、あるときは危険を冒しながらでも、寄って撮るしかないでしょう。また、アイモには焦点の違う、三つのレンズが備えられ、ズームの役割を簡易に果たしていたと言いますから、それを駆使して撮ったでしょう。
>
>ピッポさんが冒頭でトラックアップした画像というのはもっとシンプルにトリミングした写真と言えば済むところではないんですか?

無茶振りを言わないでください。
其のyoutube映像がトラックアップしているのはたしかなんですから。

============================
※追記3
タタリさんは私が言及している映像とは全く違う映像を勝手に想定して、私に「ツッコミ」を入れてらっしゃるようです。そこからまず御訂正の上、論旨をやり直すよう、お願いいたします。

トラックアップというのは、連続的にアップしていく効果です。

ご自分がわかりもしないで反論するというのは、きっとそういう我侭が日常的に周囲から容認されてしまうStatusにあるからなのでしょうか? はなはだ常人には不可解です。
============================


しかもタラリさんは私の訂正をお読みになりませんでしたか?

>時代的にオプチカルエフェクトではなくて、ビデオエフェクトですね。訂正します。

この一行を再引用為さる際に切り落とし[#6137]たのは、意図的なものですか? それとも不注意からですか? 


其の映像がビデオで編集されたものならば、オプチカルエフェクトを考える必要はありません、しかしご質問がありましたから、訂正した上でオプチカルエフェクトについてご説明したのです。これからは、あなたの質問には答えないことにしたいですね(笑)。これほどまでに曲解と「知ったかぶり」がひどいならば。お教えすればするほど世の中に「紛れ」を振りまきます。

前投稿[#6129]読んでくださいね。そうして


>ところが、赤ん坊の足の先に軌道にあるよれたトタンらしい波板に注目してみますと、ふたつの写真ではその陰の部分の大きさがちょっと違います。

ですから、見た目でわかるのです。

>この陰の部分はホームの端に寄り、かつ子どもに寄るほど、大きくなるはずです。赤ん坊ひとりのショットも三人でいるショットもかなりの望遠で撮っています。望遠でこれだけの角度の変化が起こるということはウォンが赤ん坊の方にかなり歩み寄って行ったことがわかります。これはウォンの証言にウソはなかったこととウォンの人間性を証明しています。

「かなりの望遠でとった」とは到底おもえません。人間性の証明でもなんでもありません。最適なショットを撮影しようとした、のかもしれない、とはいえますが。

=============
追記4
言及されている
赤ん坊ひとりのショット
とはこれですね。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=5893;id=sikousakugo#6071
画角からいっても、また雑誌掲載写真をみた遠景のボケのなさからいっても、<かなりの望遠>だなんて、口がさけてもいえません。

三人でいるショット
http://www.nbbk.sakura.ne.jp/p2/143/143_002.html
こちらも、かなりの望遠だなんてとても思えませんが・・・・
遠景の跨線橋と右端の線路上の死体が含まれる、決して狭くは無い画角です。
しかも、それらがボケない十分な被写界深度を有しています。
========

>ウォンというカメラマンの身分でアメリカ海軍にこのような頼みごとをできるはずはなく、ハースト社が海軍筋に手を回していたから出来たことでしょう。フィルムはハースト社の大切な物件として預けられているはずで輸送中に誰かが試しに開けたりするということはありえません。

随分と「タラリ流解釈」に拘泥なさるのですね。資料から引き出せる結論ではないでしょう。わたしは、現像して送ったことも十分考えられるが、フライトスケジュールや秘密保持のそうでなかった可能性もある、と申し上げたのです。

LIFE9月6日を手に入れてしらべたらいかがですか。タラリさんの「予想」が当たったら、「予想家」としての信頼性はたかまりますよ。


=========================
※追記4

タラリさんがご紹介くださった「H.S.Wong」の追想も、その典拠が明らかにならねば、それによってのみ行なうこうした議論も、砂上の楼閣になる恐れもなしとは言えませぬ。

資料購入ができる方は、議論もさりながら、其の面でのご奮闘をお願い致します。[#6134]
=========================
139 hits

[6169]Re(14):不用意な同意に対する...
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 ピッポ E-MAIL  - 09/1/12(月) 15:44 -

引用なし
パスワード
   タラリさんの
>>ところが、赤ん坊の足の先に軌道にあるよれたトタンらしい波板に注目してみますと、ふたつの写真ではその陰の部分の大きさがちょっと違います。

に対して私は、

>ですから、見た目でわかるのです。

と同意しましたが、不用意な同意なので撤回します。
そうして、
>ふたつの写真ではその陰の部分の大きさが
どうなっていて、だからどうなんだと、
「きちんと写真を用いて図学的に説明していただけませんか?」 

とお願いすることとします。

〜〜〜〜〜〜〜

ちなみに、わたしが写真の撮影ポジションの違いを見た目でわかるといったのは、たとえば、ぶらさがった黒い近景の鉄柱と重なる、遠景の瓦礫の形状などです。
私には気がつかない着眼点をタラリさんが見つけられたのだなあ、とついつい手拍子で同意しましたが、後から追試しようとしましたが、タラリさんの文章からではそれができません。よって、同意は取り消します。

〜〜〜〜〜〜〜

なお、時刻がずれた別事象で見た目にも画角がずれたものを、マージして何が検証できるのか私にはサッパリわかりません。

私がマージして確認したのは、「プラットホームの赤ん坊(単独)」では渡辺さん所持ムービーとLIFE掲載スチルとが同一原版であることを確認したのです。同じ事象をムービーカメラのすぐ脇で別のスチルで撮っても、マージしたときピッタリ重なるはずがないことから、別のカメラであることが分かります。

見た目にも画角がずれたものを重ねてみたところで意味がありません。重ならないものは重ならない、としか云い様がありません。

被写体の写り具合の変位からカメラ位置の何センチとか変位を測定する、なんていうことを私はしたのではありません。そんなことが簡単にできるとお思いならご自分でどうぞ。photoshop element の少し古いバージョンなら安く購入できるはずです。

〜〜〜〜〜〜〜
160 hits

[6184]H.S,Wongインタビュー(1978出...
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 ピッポ E-MAIL  - 09/1/12(月) 22:17 -

引用なし
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   H.S,Wongインタビュー(1978出版本より)
聴き手、日時など典拠はどこかにあるか?

▼タラリさん:
>"newsreel wong"でググって見てください。
>Great News Photos and the Stories Behind Them - Google ブック検索結果
>というのが出てきます。

教えていただいたものを試し訳して見ました。

【追記1】
訳文訂正などもありましたので、4投稿を統合しました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://books.google.co.jp/books?id=DqwLVaPdDgoC
Great News Photos and the Stories Behind

From the Crimean War to Jimmy Carter, here are the shots professional photojournalists still discuss. 140 great photos and the stories of how they were taken. Lindbergh, death of Oswald, first men on the moon, others.


詳細
Great News Photos and the Stories Behind Them
著者: John Faber
出版社: Courier Dover Publications, 1978
ISBN 0486236676, 9780486236674
159 ページ

32ページ




32. The Baby in the Shanghai Railroad Station
  上海鉄道駅の赤ん坊


  It was August 28, 1937. Retreating Chinese Nationalist Troops had left behind them a blockade across the Whampoo River in Shanghai. At two P.M. that day, the Japanese Navy was scheduled to blow it up.

  1937年8月28日、撤退中の中国国民党軍は、上海黄甫江を横切るバリケードを背後に残して去った。日本海軍はその日午後2時にはそれを爆破する予定を立てた。


  On the roof of the Butterfield Swires Building, which faced the Whampoo, were many correspondents and cameramen. They waites to record the bombing. By three o'clock the Japanese had not shown up. Word came through that the bombing had been postponed. The newsmen left. All but H.S."Newsreel" Wong of Hearst Metrotone News; he decided to wait a little longer.

  黄甫江に面したバタフィールド・スワイヤー・ビルディングの屋上には多くの新聞通信員やカメラマンが集まっていた。爆撃を記録しようと待機していたのである。しかし三時になっても日本軍機は現れなかった。爆撃は延期されたという言葉が流れてきた。新聞記者たちは去っていった。ハースト・メトロトーン・ニュース社の H.S."ニュスリールの"ウォンだけが、もう少し粘ってみようとそこに残っていた。


  About four P.M. he heard the sound of planes. Three Japanese bombers came in low. They circled the temporary Japanese airfield and passed over Wong again. Seconds later, he felt the concussion of bomb exploding. Black smoke arose in the direction of Chinese Arsenal, two miles away.

  午後4時、飛行機の轟音が聞こえてきた。3機の日本軍爆撃機が低空でやってきた。臨時の日本軍飛行場を周って戻ってきて、ウォンの頭上を再び通り過ぎていった。数秒後、爆弾破裂の衝撃を感じた。黒煙があがったのは、2マイル離れた中国軍兵器庫の方角だった。

  Wong grabbed his 35mm Eyemo camera and film. He raced his car toward the arsenal. As he approached it, he realized that the railroad station had been hit.

  ウォンは35ミリのアイモカメラとフィルムをひっ掴むと(引用者注:カメラとフィルムが入ったボックスのことか)、兵器庫に向って車を急行させた。近づくと、鉄道の駅が攻撃されたのだと分かった。
  
  "It was a horrible sight. People were still trying to get up. Dead and injured lay strewn across the tracks and platform. Limbs lay all over the place. Only my work helped me forget what I was seeing.  I stopped to reload my camera. I notices that my shoes were soaked with blood.

  「それはそれは惨い光景でしたよ。人々は起き上がろうとして起き上がれず、死人やけが人が線路上やプラットホームに散らばっていました。もぎ取られた手足が、至るとことに転がっていました。そんな中で私の仕事が、見たものを忘れさせる(冷静になる)助けとなりました。

  私は、カメラのネジを巻くために立ち止まりました。そして、靴にべっとり血が染み付いてることに気が付いたのです。」
  

  "I walked across the railway track, and made many long scene with the burning overhead bridge in the background. Then I saw a man pick up a baby from the track, and carry him to the platform. He went back to get another badly injured child. The mother lay dead on the tracks. As I filmed this tragedy, I heard the sound of planes returning. Quickly, I shot my remaining few feet on the baby, I ran toward the child, intending to carry him to safety, but the father returned. The bombers passed overhead. No bombs were dropped.

  「私は線路を横切るように歩いていき、燃える跨線橋を背景にしたロングショット(引用者注:遠景ショットのこと)をいくつも撮影しました。そして、一人の男が線路上から赤ん坊を拾い上げプラットホームに運ぶのを見ました。彼はまた、<s>重傷を負ったもう一人の子供を助けにいきました、(二人の:引用者)母親は、死んで線路のうえに横たわっています。</s> 重傷を負った別の子供を助けにいきました。その子の母親は線路の上で死んでいます。そうした惨状を撮影してたとき、飛行機が戻ってきた音が聞こえました。急いで私は、残り僅かのフィルムで赤ん坊を撮影しました。そして彼を安全な場所に移してやろうとしましたところ、父親が戻ってきました。(幸いにも:引用者)爆撃機は頭上を通り過ぎました。爆弾を落とされなかったのです。」

  
【追記2】another child に関しての誤訳訂正。
× 重傷を負ったもう一人の子供を助けにいきました、(二人の:引用者)母親は、死んで線路のうえに横たわっています。

(訂正後)
○ 重傷を負った別の子供を助けにいきました。その子の母親は線路の上で死んでいます。
〜〜〜〜〜〜
注:この「別の子供」が写真や映像として今私たちが見られる子供かどうかは不明です。残された映像や画像と無理に対応づけるのは適切ではありません。映画フィルムの撮影は今日のビデオ撮影と違って、起こった現象のごく一部しか切り取ることができません。一枚一枚の写真を説明してもらっているインタビューでもなさそうですし。

  
  "The next morning's papers said there had been more than 1800 people, mostly women and children. on the railway platform, waiting to be evacuated to the inland. The Japanese airmen had mistaken them for a troop movement." Fewer than 300 survived.

  「翌朝の新聞に依れば、殆どが婦人と子供からなる1800人が、プラットフォームで内陸への避難を待っていたとのことでした。日本軍の飛行士は彼らを部隊の移動と間違えたのです。」 生き残りは300人以下。

(引用者注)人数の記憶はどうか、当時の報道との対照で。
    
  The film was sent by U.S. Navy ship from Shanghai to Manila, then to New York by Pan American Airlines. Two weeks later, the crying baby, sitting in the bombed South railway station in Shanghai, was seen in the Hearst newsreels and newspapers.

  フィルムは米国海軍の艦艇で上海からマニラに送られ、パンアメリカン航空機でニューヨークに送られた。上海の鉄道駅爆撃の下で泣き叫ぶ赤ん坊は、2週間後には、ハーストのニュース映画や新聞を通して人々が見るものとなった。
 
  
  It was a story with international repercussions. The U.S, protested the Japanese bombing open cities, killing defenseless men, wpmen, and children. Wong's life was threatened by the Japanese. He said, "To their embarrassment, the Japanese blamed me that the picture was a fake. They put a price on my head to prove they were right." He was under the protection of the British Authorities, and shortly after fled with his family to Hong Kong.

  これは、世界的な反響を呼び起こす物語となった。合衆国は無防備都市への攻撃、無防備な男、女、子供の殺戮に抗議した。ウォン氏の生命は日本軍によって脅かされた。「日本軍は邪魔をする為に、映画はインチキだと私を非難しました。彼らのほうが正しいと主張するために、私の首に懸賞金をかけたのです。」とウォン氏は云う。ウォン氏はイギリス当局の保護下に入り、間もなく家族とともに香港へと逃亡した。

    
  The October 14, 1937, issue of Life magazine estimated that 136,000,000 people had seen Wong's "Chinese Baby."     
  1937年10月14日号のライフマガジンは、ウォン氏の「中国の赤ん坊」を1億3千6百万人が見たと見積もった。  

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【追記3】
なお上記は、タラリさんに昨日教えていただいて初めて知った、タラリさんの論考とその中の概訳を参考とさせていただきました。
http://www.nextftp.com/tarari/nanshi/nanshibakugeki3.htm

《なお》
1箇所、left と有りました誤記を felt に直しました。

また、stopped to reload camera は「撮影を止めた」ではなく「カメラを再起動させるために立ち止まった」、つまり Eyemo ならば、ぜんまいを巻くことだと思ったのでそうしました。前後の文脈でも自然です。カメラマンという職業意識が、気が動転するような状態から判断力を取り戻すための助けになったというのです。

また、男が赤ん坊を救出するの描写は、もう少し細かく注意してみたつもりです。

long scenes は、カメラマン用語の「ロングショット」ではないかと思います。

Wongは、男は線路の上から赤ん坊を pick up して プラットホームに運んだ、といってます。

このような言葉から写真のキャプションが作られていくうちに、プラットホーム上の赤ん坊が(写真のトリミングの仕方によっては)線路の上にいるように「見えないこともない」ことなどから、紛れが生じたのでしょう。

また、Wong は「父親がきたので」、赤ん坊を運ぼうとしたが止めた、といってます。Wongにとって「父親」はいたという記憶なのですね。

〜〜〜〜

まずH.S.Wong は現場の惨状に近づき「死体が飛び散った足元」を見ながら、それをむやみに撮影せず冷静に「ロングショット」から撮影を始めた、この冷静さに驚き賞賛の声をあげたいと思います。

カメラマンが自分の感情に振り回されてしまっては、映像を見る観客の感情を引き出すものが結局は得られないということを、彼は十分に弁えていたのですね。

この回顧の典拠は定かではありません。また40年後の記憶が細部にわたって確かだということもいいきれません。LIFEやLOOK以上の情報を求めたり、その空隙を埋めようとしたいなら、1937年秋当時のメディアの「直接資料」を検証する必要があるかと存じます。後発資料をもとに推理に推理を重ね上げるは、情報の紛れを招く恐れがあります。

※「情報の紛れ」こそが、史実を隠したいものの常套戦術であることはいうまでもありません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【追記4】
LIFE SEP 6, 1937 (オークション)
どなたか是非
http://auction.jp.msn.com/item/111570841

わたしはやりませんので・・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【追記5】 生存者数と死傷者数
  "The next morning's papers said there had been more than 1800 people, mostly women and children. on the railway platform, waiting to be evacuated to the inland. The Japanese airmen had mistaken them for a troop movement." Fewer than 300 survived.

 「翌朝の新聞に依れば、殆どが婦人と子供からなる1800人が、プラットフォームで内陸への避難を待っていたとのことでした。日本軍の飛行士は彼らを部隊の移動と間違えたのです。」 生き残りは300人以下。

この300人というのは、

渡辺さんの紹介:
>シンガポールで刊行された SHUHSI HSU (徐淑希)'The War Conduct of The Japanese'(中国語題名:日人戦争行為要論)
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=230;id=imgbord#230

による死者+負傷者の合計と同じ。
1800人のうち「生存者が300人しかいない」というのには疑問を隠せない。著者による聞き間違いとか誤読はなかったか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【追記6】典拠

いつ、だれが聴き手になったインタビューで、初出はどこか、このインタビューの典拠が明らかになれば、歴史資料としての信頼性は高まるでしょう。

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145 hits

[6186]Re(15):宇宙からの映像に匹敵?
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 タラリ E-MAIL  - 09/1/12(月) 22:51 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>追記し統合しました。

>※追記1
>URLはこちら
>http://jp.youtube.com/watch?v=hIUro3olXlY
>
>言及した画像はこちら、
>
>
>ビデオエフェクトでトラックアップしてますから、
>この画像のフレーミングは、原版であるH.S.Wongのフレーミングとは異なります。
>カメラのポジションは、プラットフォームの上からではなくて、それより右方向の線路上のどこかでしょう。遠く見える片屋根と、跨線橋の縦鉄骨との重なりからそう読み取れます。
>=============
>
>なお、あれが「プラットホームの赤ん坊」と申し上げたのは早とちりだったかもしれません。Wongのインタビューの全体を良く読めば、「赤ん坊らしきもの」であって「あの赤ん坊」かどうかはよく分かりません。なにしろ、無数の死体とけが人が散らばっていたのですから。
>
>=====================
>追記2
>シルエットは「プラットホームのあの赤ん坊」よりも少し大きい子供かもしれません。Wongが目撃したことの総てが映像に納められたとは限りません(これは揺るがすことの出来ない事実です)。じっさい目撃談によれば、赤ん坊を拾い上げたのを見て、プラットフォームに運ぶところを撮影した、ということで、赤ん坊を拾い上げたアクションは目撃したけど「写せなかった」のではないでしょうか? (これは私の推理です。学問的だなんて申しません)
>=====================
>
>また、このYoutubeにアップされた「映像作品」は、史実検証に適した代物とは到底いえない、3次4次作品です。ですが、私が目に触れたことがない「上海南站」のショットがあったのでお知らせしたまでです。(もとがスチルなのかムービーなのかも不明)。
>
>>意味はわかりましたが、この時代にそういうことをする例があったのか疑問です。
>>フィルムを一こま、一こま拡大したら、ズームアップと同じ効果を上げることができるということはわかりました。しかし、そのようなことはズームで撮影されたフィルムを見た後に考えつくことではないでしょうか。ズームレンズが発明された後において、種々の制約のため、アイモでしか使えず、当然ズームしてしかるべき場面が、見劣りするというのなら、そのような技法が取られねこともありえたでしょう。
>>
>>しかし、ズームレンズを知らない時代にあっては対象が十分な大きさで映るように、あるときは危険を冒しながらでも、寄って撮るしかないでしょう。また、アイモには焦点の違う、三つのレンズが備えられ、ズームの役割を簡易に果たしていたと言いますから、それを駆使して撮ったでしょう。
>>
>>ピッポさんが冒頭でトラックアップした画像というのはもっとシンプルにトリミングした写真と言えば済むところではないんですか?
>
>無茶振りを言わないでください。
>其のyoutube映像がトラックアップしているのはたしかなんですから。
>

画像を見たら確かに「トラックアップ」してあります、納得しました。
誤解して大変失礼しました。

元はムービーですね。高架橋鉄骨の右の煙が動いています。ズームレンズでズームアップしたものですと、画面の中心が動かないで拡大されますが、画面左下が動かないで拡大されるのでビデオイフェクトで間違いありません。ビデオイフェクトもニュースフィルム原画ではなく、後年の編集時のものと思われます。


>>ところが、赤ん坊の足の先に軌道にあるよれたトタンらしい波板に注目してみますと、ふたつの写真ではその陰の部分の大きさがちょっと違います。
>
>ですから、見た目でわかるのです。
>
>>この陰の部分はホームの端に寄り、かつ子どもに寄るほど、大きくなるはずです。赤ん坊ひとりのショットも三人でいるショットもかなりの望遠で撮っています。望遠でこれだけの角度の変化が起こるということはウォンが赤ん坊の方にかなり歩み寄って行ったことがわかります。これはウォンの証言にウソはなかったこととウォンの人間性を証明しています。
>
>「かなりの望遠でとった」とは到底おもえません。人間性の証明でもなんでもありません。最適なショットを撮影しようとした、のかもしれない、とはいえますが。

そうですか? 私はずっと前からこの写真をじーっと眺めてはウォンが証言の通り、赤ん坊を助けようと近寄ったという行動を説明する手がかりがないかとずっと考えていたのです。両方とも望遠でとったのは確かだと思います。画面の感じであって、なかなか説明しづらいので、誰にもわかるように説明する方法を考えてみます。


>画角からいっても、また雑誌掲載写真をみた遠景のボケのなさからいっても、<かなりの望遠>だなんて、口がさけてもいえません。

画角が広いと言っているのですか?狭いと言っているのですか?
遠景がボケないのは望遠の特徴だと思いますが違ってますか。


>>ウォンというカメラマンの身分でアメリカ海軍にこのような頼みごとをできるはずはなく、ハースト社が海軍筋に手を回していたから出来たことでしょう。フィルムはハースト社の大切な物件として預けられているはずで輸送中に誰かが試しに開けたりするということはありえません。
>
>随分と「タラリ流解釈」に拘泥なさるのですね。資料から引き出せる結論ではないでしょう。わたしは、現像して送ったことも十分考えられるが、フライトスケジュールや秘密保持のそうでなかった可能性もある、と申し上げたのです。


ピッポさんの判断についてですが、誰の郵便・小包であろうが、宛名が書かれているものについて、誰かが気軽に「試しに開けたりする」恐れがあるは普通考えないと思います。また、フィルムケース本体も衝撃や事故で偶然開いたりすることも考慮して封がしてあるでしょうから、これをを開けるとしたら、完全な悪意です。そのような悪意まで予想するということもまた普通ではありえないことです。そのことを説明するのにあえて海軍に頼んだはず説まで言及しましたが、資料は関係なく、常識的な判断がもとです。
139 hits

[6193]Re(16):宇宙からの映像に匹敵?
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 ピッポ E-MAIL  - 09/1/13(火) 0:30 -

引用なし
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   ▼タラリさん:
>元はムービーですね。高架橋鉄骨の右の煙が動いています。ズームレンズでズームアップしたものですと、

ズームレンズでズームアップしたかどうか、なんて、あなたが勝手に論点にしたのですか? あなたが善意ならば「誤解」ですが、ここまでしつこく間違いを繰り返すのは、故意ならば「曲解」もいいところです。こういう無益有害なことはやめてください。

>画面の中心が動かないで拡大されますが、画面左下が動かないで拡大されるのでビデオイフェクトで間違いありません。

それはオプチカルでも可能です。

>ビデオイフェクトもニュースフィルム原画ではなく、

まるっきり意味不明です。

>後年の編集時のものと思われます。

はじめから、私はそれを前提に話をしています。

私は、「youtube のrape of Nankinng」と称するものについて最初から語っているのに、あなたが勝手に、Wongのニュースリールについての話に摩り替えて、一人相撲の分からず屋を演じているだけです。


>>>ところが、赤ん坊の足の先に軌道にあるよれたトタンらしい波板に注目してみますと、ふたつの写真ではその陰の部分の大きさがちょっと違います。
>>
>>ですから、見た目でわかるのです。

ここは訂正申し上げました。あなたの云ってることは、追試不可能なので、きちんと図解して説明してくださるよう、改めてお願い申し上げます。

>>>この陰の部分はホームの端に寄り、かつ子どもに寄るほど、大きくなるはずです。

ここは訂正申し上げました。あなたの云ってることは追試不可能なので、きちんと図解して説明してくださるよう、改めてお願い申し上げます。


>>>赤ん坊ひとりのショットも三人でいるショットもかなりの望遠で撮っています。望遠でこれだけの角度の変化が起こるということはウォンが赤ん坊の方にかなり歩み寄って行ったことがわかります。これはウォンの証言にウソはなかったこととウォンの人間性を証明しています。
>>
>>「かなりの望遠でとった」とは到底おもえません。人間性の証明でもなんでもありません。最適なショットを撮影しようとした、のかもしれない、とはいえますが。
>
>そうですか? 私はずっと前からこの写真をじーっと眺めてはウォンが証言の通り、赤ん坊を助けようと近寄ったという行動を説明する手がかりがないかとずっと考えていたのです。両方とも望遠でとったのは確かだと思います。画面の感じであって、なかなか説明しづらいので、誰にもわかるように説明する方法を考えてみます。

だからといって、かなりの望遠でとったなど、ご都合主義の創作をしては駄目です。カメラマンにとって、カメラのファインダーをはなれて近づけば、たとえ1メートルだって近づいたという意識をもつでしょう。


>>画角からいっても、また雑誌掲載写真をみた遠景のボケのなさからいっても、<かなりの望遠>だなんて、口がさけてもいえません。
>
>画角が広いと言っているのですか?狭いと言っているのですか?

画角からいって、標準レンズか広角レンズだと思います。

私は
「プラットフォームの赤ん坊(単独)」ショットが35ミリ標準レンズならば、距離は4〜5メートル。広角レンズならば2〜4メートル。
「プラットフォームの3人」ショットは、標準から広角レンズにターレットを切り替えたか、あるいは同じレンズ使用でカメラ位置を下げたか。あるいは、広角レンズのついたスチルカメラで撮影したか。
だと思います。(断定は禁物です。)


>遠景がボケないのは望遠の特徴だと思いますが違ってますか。

まったく逆です。私は、<被写界深度>というタームをヒントとしてさし上げたはずです。ググッて下さらなかったのですか? 

斯く斯く然々、あなたという方は撮影のことは何にも知らないに等しいのですから、知ったかぶりの文章は書かないでください。お願いします。否定派に膨大な塩を贈ることになりますから。

>>>ウォンというカメラマンの身分でアメリカ海軍にこのような頼みごとをできるはずはなく、ハースト社が海軍筋に手を回していたから出来たことでしょう。フィルムはハースト社の大切な物件として預けられているはずで輸送中に誰かが試しに開けたりするということはありえません。
>>
>>随分と「タラリ流解釈」に拘泥なさるのですね。資料から引き出せる結論ではないでしょう。わたしは、現像して送ったことも十分考えられるが、フライトスケジュールや秘密保持のそうでなかった可能性もある、と申し上げたのです。


>ピッポさんの判断についてですが、誰の郵便・小包であろうが、宛名が書かれているものについて、誰かが気軽に「試しに開けたりする」恐れがあるは普通考えないと思います。また、フィルムケース本体も衝撃や事故で偶然開いたりすることも考慮して封がしてあるでしょうから、これをを開けるとしたら、完全な悪意です。そのような悪意まで予想するということもまた普通ではありえないことです。そのことを説明するのにあえて海軍に頼んだはず説まで言及しましたが、資料は関係なく、常識的な判断がもとです。

これはこれは・・・
>また、フィルムケース本体も衝撃や事故で偶然開いたりすることも考慮して封がしてあるでしょうから、これをを開けるとしたら、完全な悪意です。完全な悪意です。

悪意であろうと、善意であろうと、不可抗力であろうと、偶然であろうと、事故であろうと、衝撃であろうと、フィルム缶を開けられたら、カメラマンとしての人生の終わりです。しかも、誰かにその責任を問うことはできません。

それが一本独鈷で、全く再現性のない事件をものにしなければならない、カメラマンというべきです。同じ依怙地という言葉でも、タラリさんとは力点が全く違う依怙地でしょう。

もしも第三者に委ねなければ成らず、露光しないで済む手段があれば、それを真っ先に検討するのは必然のことです。

あなたが世間知らずのままの<常識的な判断>をされることはご自由です。しかし、それならばその自由の謳歌はもうちょっと謙虚に行ってください。お互い様ですが。

ちなみに、私はWongよりもかなり後の世代ですが、フィルムクルーがカメラ機材や未使用フィルムを航空別便で送ったことはあっても、撮影済み未現像フィルムを第三者に委ねたことなど一度もありませんでした。

撮影済みフィルムの管理は通常、カメラマンのチーフ助手の役割でした(もちろんカメラマンがいないときはカメラマン本人)が、仕上げのスケジュールの関係で海外のロケ地から先行して帰るものに未現像フィルムを委ねねばならない際には、自分の上に立つ監督かプロデユーサー以外には渡さなかったのです。そういう慣習から、まだ予算のあった時代には、最高責任者である「プロデューサー」自ら海外ロケ地に赴いて、撮影済みフィルムを預かってきたのです。
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