留意事項 リ ン ク
メンバー登録 T O P
思考錯誤の全投稿をメール配信して欲しい方、クリックして空メールを送信 管理からのお知らせ 思考錯誤ヘルプ
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃設定 ┃お蔵入り ┃旧思考錯誤 ┃南京事件資料集  
58 / 645 ツリー ←次へ | 前へ→

[5964]空幕長解任 かず色 08/11/1(土) 13:40
[5966]Re(1):空幕長解任 ピッポ 08/11/1(土) 14:29
[5967]Re(1):空幕長解任 かず色 08/11/1(土) 14:33
[5968]Re(1):空幕長解任 ゆう 08/11/1(土) 15:16
[5969]Re(2):空幕長解任 かず色 08/11/1(土) 15:56
[5975]Re(3):空幕長解任 かず色 08/11/2(日) 7:30
[5970]Re(1):空幕長解任 かず色 08/11/1(土) 16:37
[5971]Re(1):空幕長解任 かず色 08/11/1(土) 16:52
[5972]Re(1):空幕長解任 かず色 08/11/1(土) 17:08
[5974]集団的自衛権 核心 08/11/2(日) 1:00
[5978]Re(1):空幕長解任 ゆう 08/11/2(日) 16:16
[5979]Re(2):空幕長解任 かず色 08/11/2(日) 18:47
[5980]Re(2):空幕長解任 かず色 08/11/2(日) 21:51
[5983]申し訳ありません 私の勘違いです(^^; ゆう 08/11/3(月) 16:34
[5984]Re(1):申し訳ありません 私の勘違いです(^^; かず色 08/11/3(月) 17:56
[5981]Re(1):空幕長解任 ゆう 08/11/3(月) 6:14
[5982]Re(2):空幕長解任 かず色 08/11/3(月) 9:22
[5985]Re(3):空幕長解任 タラリ 08/11/3(月) 21:30
[5986]Re(4):空幕長解任 かず色 08/11/3(月) 21:54
[5990]Re(5):空幕長解任 とほほ 08/11/4(火) 11:29
[6013]空幕長論文への反論5. かず色 08/11/9(日) 18:18
[5992]Re(1):空幕長解任 とほほ 08/11/6(木) 14:58
[5995]コミンテルン陰謀史観 かず色 08/11/6(木) 21:42
[6014]防衛大学校長の見解 かず色 08/11/15(土) 9:34
[6015]北岡伸一東大教授の見解 かず色 08/11/16(日) 11:16
[6016]秦郁彦・保阪正康両氏の見解 かず色 08/11/30(日) 0:07
[6019]五百旗頭防衛大学校基調講演要旨 かず色 08/12/6(土) 10:11
[6047]コミンテルン陰謀史観批判 かず色 08/12/25(木) 21:51
[6073]最近の新聞記事から かず色 08/12/28(日) 20:38
[6074]森本敏教授の田母神論文批判 かず色 08/12/28(日) 20:42
[6075]マッカラム覚書 かず色 08/12/28(日) 20:59
[6076]真珠湾攻撃直後の米国の混乱 かず色 08/12/29(月) 23:17
[6077]近衛上奏文 かず色 08/12/31(水) 10:17
[6091]櫻田淳准教授の田母神論文批判 かず色 09/1/4(日) 23:30
[6105]ジョン・ダワー教授の田母神論文批判 かず色 09/1/6(火) 22:05
[6109]益川教授とUFO談議 かず色 09/1/7(水) 0:00
[6110]Re(1):益川教授とUFO談議 とほほ 09/1/7(水) 12:10
[6111]Re(1):益川教授とUFO談議 トロープ 09/1/7(水) 17:58
[6112]Re(2):益川教授とUFO談議 タラリ 09/1/7(水) 21:53
[6116]Re(1):益川教授とUFO談議 大河 09/1/8(木) 19:40
[6117]Re(2):益川教授とUFO談議 かず色 09/1/8(木) 21:13
[6120]Re(3):益川教授とUFO談議 とほほ 09/1/8(木) 21:37
[6123]Re(4):益川教授とUFO談議 かず色 09/1/9(金) 0:45
[6133]Re(5):益川教授とUFO談議 大河 09/1/10(土) 12:07
[6140]益川教授とUFO談議【再掲】 かず色 09/1/11(日) 11:29
[6150]Re(1):益川教授とUFO談議【再掲】 とほほ 09/1/11(日) 17:39
[6153]Re(2):益川教授とUFO談議【再掲】 かず色 09/1/11(日) 19:41
[6154]Re(3):益川教授とUFO談議【再掲】 とほほ 09/1/11(日) 21:09
[6155]Re(1):益川教授とUFO談議【再掲】 大河 09/1/11(日) 22:00
[6157]Re(2):益川教授とUFO談議【再掲】 かず色 09/1/11(日) 22:19
[6159]Re(3):益川教授とUFO談議【再掲】 大河 09/1/11(日) 22:25
[6160]Re(4):益川教授とUFO談議【再掲】 かず色 09/1/11(日) 22:34
[6161]Re(5):益川教授とUFO談議【再掲】 とほほ 09/1/11(日) 22:46
[6174]Re(5):益川教授とUFO談議【再掲】 大河 09/1/12(月) 18:25
[6178]Re(6):益川教授とUFO談議【再掲】 かず色 09/1/12(月) 19:38
[6179]Re(7):益川教授とUFO談議【再掲】 ピッポ 09/1/12(月) 20:02
[6158]Re(2):益川教授とUFO談議【再掲】 かず色 09/1/11(日) 22:25
[6162]Re(2):益川教授とUFO談議【再掲】 かず色 09/1/11(日) 22:48
[6201]Re(1):益川教授とUFO談議【再掲】 大河 09/1/13(火) 19:31
[6207]Re(2):益川教授とUFO談議【再掲】 かず色 09/1/13(火) 20:49
[6230]Re(3):益川教授とUFO談議【再掲】 とほほ 09/1/14(水) 11:57
[6113]文民統制に関する私見 かず色 09/1/7(水) 23:30
[6118]石破茂衆院議員の「文民統制」論 かず色 09/1/8(木) 21:23
[6121]石破茂議員の田母神論文批判 かず色 09/1/8(木) 23:29
[6172]満州は中国の領土か かず色 09/1/12(月) 17:07
[6177]Re(1):満州は中国の領土か ピッポ 09/1/12(月) 19:37
[6188]ファイルキャビネットして私物化 ピッポ 09/1/12(月) 23:24
[6191]Re(1):ファイルキャビネットして私物化 かず色 09/1/12(月) 23:56
[6192]友人の友人? かず色 09/1/13(火) 0:20
[6210]Re(1):友人の友人? ピッポ 09/1/13(火) 21:02
[6213]Re(2):友人の友人? かず色 09/1/13(火) 21:13
[6218]Re(3):直似非友人に成ってあげたよの巻 ピッポ 09/1/13(火) 21:49
[6220]「かず色」プロフィール改造中?! ピッポ 09/1/14(水) 9:19
[6227]Re(1):12分後のコピペ ピッポ 09/1/14(水) 10:24
[6180]岡本行夫の田母神論文批判(1) かず色 09/1/12(月) 20:26
[6181]岡本行夫の田母神論文批判(2) かず色 09/1/12(月) 20:34
[6182]Re(1):空幕長解任 ピッポ 09/1/12(月) 21:23
[6183]頑張って下さい! かず色 09/1/12(月) 21:58
[6185]Re(1):頑張って下さい! ピッポ 09/1/12(月) 22:31
[6190]Re(2):頑張って下さい! かず色 09/1/12(月) 23:50
[6194]Re(3):頑張って下さい! ピッポ 09/1/13(火) 0:45
[6238]Re(2):【追記】事実 ピッポ 09/1/15(木) 9:29
[6240]Re(3):【追記】事実 かず色 09/1/15(木) 19:24
[6242]Re(4):【追記】事実 ピッポ 09/1/15(木) 19:48

[5964]空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/1(土) 13:40 -

引用なし
パスワード
   【時事通信ニュース】
 田母神空幕長を更迭=論文で「侵略国家はぬれぎぬ」−政府見解に異論

 航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長(60)が「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」などと主張する論文を民間企業の懸賞論文で発表したことが31日、分かった。日中戦争での日本の侵略や植民地支配を正当化する内容で、浜田靖一防衛相は同日夜、「政府見解と異なり不適切だ。職にとどまるべきではない」と述べ、同空幕長を同日付で解任した。
 言動をめぐり、自衛隊のトップが更迭されるのは、「現地部隊が超法規的行動を取ることはあり得る」などと発言し、1978年に解任された栗栖弘臣統合幕僚会議議長(故人)以来。田母神空幕長は31日付で航空幕僚監部付となり、後任は未定。
 論文は「日本は侵略国家であったのか」という題で、全国にホテルを展開する「アパグループ」(東京都港区)が、第1回「真の近現代史観」懸賞論文として募集。賞金300万円の最優秀賞を受賞した。同社はホームページ(HP)のほか、11月5日発売の自社発行の雑誌にも掲載、英訳も含めた論文集も出版するという。
 空幕長は論文で、「わが国は蒋介石により日中戦争に引き込まれた被害者」と強調。「穏健な植民地統治をした」「多くのアジア諸国が肯定的に評していることを認識しておく必要がある」などと続け、「わが国が侵略国家だったなどというのはまさにぬれぎぬである」と主張している。(2008/11/01-01:36)
-----------------------------------------
【空幕長論文の要旨】産経新聞記事より引用

 一、わが国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したといわれるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も、条約に基づいたものだ。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めたが、相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。

 一、わが国は中国で和平を追求したが、その都度、蒋介石に裏切られた。蒋介石はコミンテルンに動かされていた。わが国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者だ。

 一、1928年の張作霖列車爆破事件も少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。(文献によれば)コミンテルンの仕業という説が強まっている。

 一、満州帝国の人口は成立当初からなぜ爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからだ。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけはない。

 一、日本が中国大陸などに侵略したため、日米戦争に突入し敗戦を迎えたといわれるが、これも今では日本を戦争に引きずり込むために、米国によって慎重に仕掛けられたわなであったことが判明している。米国もコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルという米国の公式文書がある。

 一、東京裁判は戦争の責任をすべて日本に押し付けようとしたものだ。そのマインドコントロールはなおも日本人を惑わせている。

 一、自衛隊は領域警備もできない。集団的自衛権も行使できない。武器使用の制約が多い。このマインドコントロールから解放されない限り、わが国は自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。

 一、日本軍の軍紀が厳正だったことは多くの外国人の証言にもある。わが国が侵略国家だったというのは正にぬれぎぬだ。
--------------------------------------------

【朝日新聞11月1日付朝刊記事 秦郁彦氏コメント】

 日本の近現代史に詳しい秦郁彦さんの話

 論文は子引き・孫引きのつぎはぎで、事実誤認だらけだ。論文では私の著書「盧溝橋事件の研究」も引用元として紹介されているが、引用された部分は私の著書を引くまでも無く明らかなデータだけ。私が明らかにした事件の1発目の銃弾は(旧日本軍の※)第29軍の兵士が撃ったという見解には触れもせず、「事件は中国共産党の謀略だ」などと書かれると、まるで私がそう主張しているかのように誤解される。非常に不愉快だ。<終>

※第29軍は旧中国軍。朝日新聞大阪本社に電話で訂正記事掲載を依頼中。
----------------------------------------------

 田母神空幕長は、今般の論文問題以前に解任するべきであったと考えます。以前の「そんなの関係ねえ」発言に不快感を感じたのは私だけではないでしょう。真っ当な幹部自衛官には誠に迷惑な話であると云わざるを得ません。
1,236 hits

[5966]Re(1):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 ピッポ E-MAIL  - 08/11/1(土) 14:29 -

引用なし
パスワード
   かず色 へ

ここでの議論の市民権を得るためには、

1、具体的な議論に真っ当に応えること。こういうスレをたててごまかさぬこと。

2、空爆長の論文要旨だったら、せめて、できるだけ詳しいものを探して貼ること。

まああんたは、一種のあらしだと思うよ。
882 hits

[5967]Re(1):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/1(土) 14:33 -

引用なし
パスワード
   【空幕長論文への反論:日米開戦はFDRの陰謀だったのか】

左近允尚敏氏(元統合幕僚会議事務局長)は、真珠湾攻撃成功の要因として次の見解を述べております。
 *「検証・真珠湾の謎と真実」(PHP研究所刊)より一部要約

(以下、私による要約)
1.米国側要因
●米国が戦後解読した日本海軍暗号電報中三十数通を(注:左近允氏が)並べたが、もし米国がJN-25b(注:海軍暗号書Dの米国名称)の解読に成功していたら、どんな兵力の機動部隊が12月第1週の週末に真珠湾を攻撃するかをほぼ確実に知り得たと断定してよい。
●JN-25bを解読出来なかった原因は、同暗号の解読員の絶対数が不足していた事、OP-20-G(注:海軍省情報部暗号課)が日本外交電報の解読に注力していた事、JN-25bの解読を僅か4人の士官しかいないコレヒドールのステーションCにさせ、ハワイのステーションH(注:ロシュフォート海軍少佐統括)には高級司令部用暗号と取組ませた事。
●上記、高級司令部用暗号はJN-25bよりも遥かに難解である上、12月6日迄に200通しか傍受できず、ロシュフォート少佐のチームが半年も全力を注いだにも関わらず成果はあがらなかった事。
●一方、日本暗号電報(パープル)は米国の期待に反して日本の軍事行動についてのヒントを与えてくれなかった。真珠湾攻撃直前の<午後1時手交電>が米国領土に対する攻撃の切迫を示唆したに過ぎない事。
●在ハワイ総領事館の吉川少尉(注:日本側諜報員)からの真珠湾軍事情報を米国側が軽視していた事。軍令部は機動部隊が11月26日にヒトカップ湾を出撃して以後、吉川少尉からの真珠湾停泊中の艦艇の状況、空母が出航した事、阻塞気球が上がっていない事、その他の重要情報を毎日のように起動部隊に打電していた。
●結局、真珠湾攻撃後、米海軍によるJN-25bの暗号書、乱数表の解明は、昭和16年12月17日以降、ロシュフォート少佐のステーションHが解読作業を担当。
●OP-20-G記録では、JN-25bがある程度解読可能になったのは、昭和17年3月18日である。米国立公文書館保管の日本海軍傍受解読電報のシリーズ(SRN)は0000001から始まっており、同書類の日付は昭和17年4月27日であり、3月のものは若干あるが、それ以前のものは無い。
●ワシントン、ハワイとも日本の目標は東南アジア方面だと判断し、ハワイとは思い及ばなかった事。キンメル提督はパープル機の複製を配付されなかったし、クターク海軍作戦部長はボムプロット・メッセージ(注1)をキンメル提督に通報しなかった。スタークもマーシャル陸軍参謀総長も<午後1時手交電>が重大である事を認識しながらも、直通の秘匿電話でハワイに知らせる事をしなかった。
●キンメルも当然しなければならない警戒を怠り、日本の攻撃隊が飛来した時、艦隊は通常の日曜日課であった。長年、真珠湾空襲のシナリオで図上演習や演習が実施され、ハワイ海軍航空部隊の両司令官やファーシング陸軍大佐が適切な見積もりを出していたにも関わらずである。
●キンメル提督は真珠湾攻撃1ヶ月前に長距離哨戒可能な潜水艦12隻をアジア艦隊に移管された際、海軍上層部に抗議しなかった。又、真珠湾攻撃10日前の会議の席上で、マクモリス参謀の「真珠湾が攻撃される可能性は皆無です」という意見を是認している。

2.日本側要因
●機動部隊乗員の大多数がハワイ攻撃に向かう事を知らされたのは、ヒトカップ湾においてであり、海軍全体としても一握りの関係者以外は真珠湾攻撃計画を知らなかった。半年後のミッドウェイ海戦とは対照的である。
●機動部隊は外国船舶と遭遇しないよう適切な航路が選定された。
●機動部隊は送信機のキーを封印するなどして、厳重な無電封止を守り、隊内電話すら使用しなかった。

<注1>ボムプロット・メッセージ
軍令部は昭和16年3月、真珠湾の米艦隊についての情報収集の為、吉川猛夫予備少尉を森村姓でホノルル領事館に派遣。東京は9月24日、真珠湾を5つの小水域に分け、それぞれの在泊艦艇についての詳細な情報を求めた。米国がこの電報を解読したのは10月9日である。海軍省ではカーク情報部長やサフォード暗号課(OP-20-G)長らがキンメル提督に通報する様、スターク海軍作戦部長に勧告したが、ターナー戦争計画部長とノイズ通信部長が反対し送られなかった。陸軍でもブラットン極東課長が真珠湾に対する日本の関心ぶりに注目したが、マイルズ情報部長は、日本は各地に情報を送るよう求めているのであったその一つに過ぎないと言い、ジェロー戦争計画部長、マーシャル参謀総長、スチムソン陸軍長官も特に関心を示さなかった。ブラットン課長に見解を求められた米海軍士官は、「緊張が高まったら艦隊は出航して真珠湾にはいないのだから、日本の領事は時間と労力を無駄に使う事になる」と答えている。関係者は後にこの電報を<ボムプロット・メッセージ>と呼ぶ。

------------------------------

 彼の持論の一つである「真珠湾攻撃FDR陰謀説」は、幹部自衛官の大先輩によって、既に論破されてしるものと考えます。
868 hits

[5968]Re(1):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 ゆう WEB  - 08/11/1(土) 15:16 -

引用なし
パスワード
   メモ帳がわり。白石隆教授のコメントも、貼っておきましょう。

(朝日新聞 2008年11月1日朝刊 39面)

公然と奇矯な説

白石隆・政策研究大学院大学副学長

近隣諸国の反発が予想されるから問題だというレベルの話ではない。日本が歴史とどう向き合っているかという問題として、外からは認識されるだろう。たとえ個人の立場で書いたにしても、空自のトップという肩書は常についてまわる。

史実や歴史の定説は、史料に基づく検証や反証を通じてかたまっていくもの。多くの歴史家から見て奇矯な説を高官が公然と出すということは、日本人がそのように歴史を総括していると見られても仕方がない。



ネットでは、「言論の自由」云々のまるで見当違いの「擁護論」が目立ちますが、そういう問題ではないでしょう。あんたの立場でそれを言っちゃまずいでしょ、もっと「国益」というものを考えてくれよ、ということです。

それでも、内容がまともであればまだ救われる。しかしさすがに、「盧溝橋事件中国共産党陰謀論(劉少奇・幻の記者会見)」「張作霖爆殺事件ソ連陰謀論」と並べられますと、もう頭を抱えるしかない。


>我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。

って、例えば旧ソ連だって、「条約」に基づいて衛星国を支配していたんでしょうが。「条約」に基づいていたから旧ソ連の「支配」は正しかった、という議論でも始めるつもりでしょうか。

普通の感覚でしたら、アパグループ主催、審査委員長があの渡辺昇一、というあたりで、思いきり「警戒モード」に入るところなのですけれどね。少なくともまともな「コンクール」ではなさそうだ。
842 hits

[5969]Re(2):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/1(土) 15:56 -

引用なし
パスワード
   下記のHPに論文全文が掲載されておりました。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 私はこの論文全文を読み、これが空幕長によるものであることに愕然といたします。

 嘗て昭和50年代でしたでしょうか、当時の来栖統幕議長が所謂「超法規発言」ををして辞任に追い込まれたことを思い出します。当時の来栖発言には様々な解釈・論評が可能でしょうが、端的に申し上げると「有事の際の自衛隊出動に際し、道路交通法等の規制を受けると部隊運用が著しく困難になる」といったものであります。私は当時小学生でしたが、来栖発言には論理的整合性があると感じました。然しながら、当時の国内世論は来栖徹底批判に終始いたします。それ程、20〜30年ほど前の我が国は、「文民統制」の機能が働いていたと考えます。

 先般のイラク給油法案に絡み、今般の幕僚長は「そんなの関係ねえ」と言い放った。然しながら、日本の主要メディアはこの危険な言動を批判はしましたが、一方で放置してしまいました。当該発言は来栖発言とは異なり、明確な「文民統制」への挑戦であったと考えます。そして、当該発言の背景に非常に偏った歴史観が存在することが今般の報道で判った訳です。

 何度も繰返しますが、この問題は非常に重要であると考えます。
845 hits

[5970]Re(1):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/1(土) 16:37 -

引用なし
パスワード
   【空幕長論文への反論:日本は中国側に戦争に引きずりこまれたのか】

 日中戦争の遠因は、張作霖爆殺や満州事変等に見られる軍部の暴走であり、また、1930年代の華北分離工作といった露骨な拡張主義であります。

 また、盧溝橋事件に関して私は偶発説の立場ですが、事変拡大の主要因は支那駐屯軍の好戦的行動にあり、戦線拡大を是認した当時の我が国政治家、世論、陸海軍部首脳等がその責を負うべきであると考えます。百歩譲って仮に中国共産党の陰謀であったと仮定しても、日中戦争開戦に関して日本側は何等免責されないでしょう。

 従って、蒋介石が上海で戦線を開いたから日本軍は泥沼の日中戦争に巻き込まれたとの主張には、上記の視点が著しく欠如しており論理的に破綻しているように考えます。
772 hits

[5971]Re(1):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/1(土) 16:52 -

引用なし
パスワード
   【空幕長論文への反論:張作霖爆殺はコミンテルンの陰謀か】

 事件から間もなく、峯憲兵隊司令部が点火者の桐原工兵中尉を尋問し、其の上で河本を自白させており、何等コミンテルン陰謀説の入る余地はないでしょう。また、様々なルートから関東軍の謀略情報は当時洩れ伝えられておりました。昭和天皇が激怒されたのも、こういった正確な情報が背景にあります。
755 hits

[5972]Re(1):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/1(土) 17:08 -

引用なし
パスワード
   【空幕長論文への反論:毛沢東共産党はコミンテルンの手先か】

 長征途中の遵義会議に於いて毛沢東は実質的な党指導権を掌握しましたが、毛は従前からコミンテルンとの関係が極めて微妙であったことに注視すべきでしょう。尚、最近の中国側研究者によれば、遵義会議で毛は党の全権を掌握出来ず、王明等の親ソ派も党内で強い影響力を保っていたとの見解もありますが、私は1935年前後から日中戦争にかけて、基本的には毛路線が中国共産党の政策であったと考えます。つまり、「毛沢東共産党コミンテルン手先説」はあまり説得力が無いように思料致します。
743 hits

[5974]集団的自衛権
←back ↑menu ↑top forward→
 核心 E-MAIL  - 08/11/2(日) 1:00 -

引用なし
パスワード
   集団的自衛権なんてお互いの国民が同じ価値観を有していて初めて成り立つもの。
全体主義国家と民主主義国家が手を組んで成り立つものではありません。
天皇主権国家時代の皇国史観でしか戦えない、などと言う日本の自衛隊と組みたいと言う国民主権国家、民主主義国家の軍隊は世界中探してみても見当たらないでしょう。
私は2年前に防衛研究所戦史部の八巻氏にCD−Rの寄贈を申し出た時に「CD−Rは細かく見させて頂きました。CD−Rは返却させて頂きます。今後、お宅のものは何も要りませんから。」とはっきり言われている。

かっては日本はほぼ全体主義国家だったのです。
だからドイツ、イタリアと三国同盟を結べたのです。
それを戦後、無反省に旧軍人のパージを解いて自衛隊を創設してしまったことが今回のような事態の遠因なのです。
757 hits

[5975]Re(3):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/2(日) 7:30 -

引用なし
パスワード
   先日の記述の中での「来栖統幕議長」は「栗栖(くりす)統幕議長」の誤りでした。訂正の上、お詫びいたします。
769 hits

[5978]Re(1):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 ゆう WEB  - 08/11/2(日) 16:16 -

引用なし
パスワード
   ご存じとは思いますが・・・

「盧溝橋事件中国共産党陰謀説」については、私はこちらで採り上げています。

http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/inbou1.html

論文の「劉少奇記者会見」は、「タイプ1 その3」ですね。出典は桂鎮雄氏の『盧溝橋事件 真犯人は中共だ』のはずなのですが、氏は読んでいないようです。


「張作霖爆殺事件ソ連陰謀説」は、こちら。

 http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/chousakurin.html

ここまで「河本犯人説」の材料が揃っているのに、なんで「ソ連陰謀説」の成立の余地があると考えるのか、こちらも理解できないところ。


>1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない

についても、「盧溝橋事件 衝突前史」で採り上げています。
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/zensi.html

古屋哲夫教授によれば、「この増兵は、これまで列国が任意に、たんに通告のみで、情勢に応じて増兵あるいは撤兵の措置をとってきたという慣例を利用して、中国側の抗議を無視して実施されたものである」そうですので、

>また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。

というのは間違い。


いや、mixiで、「内容自体になんら問題はない」とか「どこが間違いなのか教えて欲しいですね」とか、思わず目が点になるような発言を見かけましたので(^^;

かず色さんのmixiへの投稿も、こちらに転載されませんか?
892 hits

[5979]Re(2):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/2(日) 18:47 -

引用なし
パスワード
   ▼ゆうさん:

>かず色さんのmixiへの投稿も、こちらに転載されませんか?


 「盧溝橋事件中国共産党陰謀説」、「張作霖爆殺事件ソ連陰謀説」ともにゆうさんがHPで論じられているように<実証性無き主張>なのですがね・・・・・

 mixiで、<「内容自体になんら問題はない」とか「どこが間違いなのか教えて欲しいですね」>といった議論があるのですか・・・・・知りませんでした。
 私の当該問題に関する個人的見解を転載することに関しては、やぶさかではありません。


 
741 hits

[5980]Re(2):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/2(日) 21:51 -

引用なし
パスワード
    mixiコミュ「日本愛国主義」「小林よしのり」「真の歴史研究」「航空自衛隊」を読みました。空幕長擁護論が圧倒的主流でしたが、近現代史に関する基本的知識が、コミュ参加者には欠如しているように感じました。

 私の個人的見解を転載いたしましたが当該コミュ参加者に果たして理解して頂けるかどうか・・・・・ まあ、たとえ一人でも私の見解に興味を抱いてくれる方がいれば、それで良いのかもしれません。

 20数年前、私は15歳で航空自衛隊生徒を受験し合格いたしました。5教科の試験の後、最後の論文試験で「自衛隊批判」を書きましたが合格させて頂きました(処処の事情があり、その後入学を辞退)。基本的に航空自衛隊は懐の深い組織であり、人格見識ともに備わった幹部自衛官が多数おられることと確信しております。従って、今回の空幕長論文問題は本当に残念でなりません。
736 hits

[5981]Re(1):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 ゆう WEB  - 08/11/3(月) 6:14 -

引用なし
パスワード
   しかしこの「論文」もどき、冒頭からしてぶっ飛んでいますね。

>アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。

えっと、アメリカって、日本の同盟国だよね? そりゃ、同盟国が条約に基づいて駐留していたら「侵略」ではないだろうけど、当時の中国にとって、日本は「敵対国」だったはず。敵対国が押し付け条約をベースに軍隊を駐留させるのと、全然訳が違うだろうが。

・・・と、誰しも突っ込みたくなるところです。


比べるならば、例えば旧ソ連の軍隊が東京のすぐ近くに「駐留」している、という事態を考えるべきでしょう。

ソ連は、東北−北海道地区に、「人民政府」なるものを樹立した(=満州国)。さらにソ連は「関東分離工作」(=華北分離工作)なるものを推し進め、茨城−千葉地区に傀儡政府を打ち立ててしまった(=冀東防共自治政府)。

そんな状況で、「条約」に基づいて、立川あたりに「1,700名」のソ連兵が駐留している。普通の日本人にとっては、反ソ感情に火をつける、不愉快な存在でしかありません。

そして、ある日突然、日本の抗議を押し切って、ソ連はそれを「5,600名」に増員した。さて、日本側はこれを、どう受け止めるでしょうか。


>1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。

って、氏は、満洲にあった強大な「関東軍」の存在を、すっかり忘れています。

「北京の日本軍」は、日本側の内部事情はともかく、中国側から見れば、いわばその「尖兵」です。それがいきなり3倍に増やされたら、日本軍は一体何を考えているのだろう、と不安になるのが当然でしょう。
745 hits

[5982]Re(2):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/3(月) 9:22 -

引用なし
パスワード
    塘沽停戦協定以降の支那駐屯軍の兵力増強並びに駐兵範囲の拡大(豊台迄)が、中国側の抗議を無視した形で行われた点も重要ですね。この兵力増強措置は慣例に基づく「通告」により行われておりますが、この日本側措置は、義和団事件後の不平等条約である「北京議定書」に違反する、国際法上問題のある行為であったと考えます。極端な兵力増強及び駐兵範囲拡大によって、中国側が警戒感を強めたことは当然であります。

 中国側の日中戦争研究に於いて、盧溝橋事件の「第1発」が全く議論されない背景には、こういった日中間の歴史を俯瞰的に見る傾向があること、そして、中国側視点には論理的整合性があることを、我が国の右派論客は理解するべきでしょう。

 なお、中国側研究の問題点もこの際指摘しておきたいと思います。中国側研究者の一般的見解は、義和団事件後の「北京議定書」がその後の盧溝橋事件に繋がったとの見方が主流ですが、国際法上の観点からの厳密な研究がなされておりません。この点に関しては知日派の劉傑氏(早稲田大学助教授)が指摘しておりますが、感情論を排した研究が進むことを期待しております。
728 hits

[5983]申し訳ありません 私の勘違い...
←back ↑menu ↑top forward→
 ゆう WEB  - 08/11/3(月) 16:34 -

引用なし
パスワード
   ふと、今気がついたのですが、私の、

>かず色さんのmixiへの投稿も、こちらに転載されませんか?

というのは、「かず色さんのmixiへの投稿」を、こちら「思考錯誤」板に転載されませんか、という意味だったのですね。

よく読み返したら、すでにこちらに転載済みだったようです。

mixiで、かず色さんを余計な議論に巻き込んでしまったようで、申し訳ありません。
757 hits

[5984]Re(1):申し訳ありません 私の...
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/3(月) 17:56 -

引用なし
パスワード
   ▼ゆうさん:
>ふと、今気がついたのですが、私の、
>
>>かず色さんのmixiへの投稿も、こちらに転載されませんか?
>
>というのは、「かず色さんのmixiへの投稿」を、こちら「思考錯誤」板に転載されませんか、という意味だったのですね。
>
>よく読み返したら、すでにこちらに転載済みだったようです。
>
>mixiで、かず色さんを余計な議論に巻き込んでしまったようで、申し訳ありません。

 いえいえ、僕の方こそ勘違いしておりました(笑)。まあ、今回の論文問題は重要な事件であると考えておりますので、mixi内で個人的見解を幅広く披瀝出来て良かったと思います。これもゆうさんのお陰です!
724 hits

[5985]Re(3):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 タラリ E-MAIL  - 08/11/3(月) 21:30 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
> 塘沽停戦協定以降の支那駐屯軍の兵力増強並びに駐兵範囲の拡大(豊台迄)が、中国側の抗議を無視した形で行われた点も重要ですね。この兵力増強措置は慣例に基づく「通告」により行われておりますが、この日本側措置は、義和団事件後の不平等条約である「北京議定書」に違反する、国際法上問題のある行為であったと考えます。極端な兵力増強及び駐兵範囲拡大によって、中国側が警戒感を強めたことは当然であります。

当時の中国に義和団事件のような盲目的な民族主義・排外主義的な暴発が起こるわけはなく、駐屯兵力の増強は直接、中国政府との対決・牽制を志向したものと受け取られないわけには行かなかったと思われます。また、既に日本以外の各国の駐屯軍が駐留を廃止ないしは縮小していきつつあった情勢を見れば、日本の増兵は華北分離工作のための威嚇と言っていいでしょう。

> 中国側の日中戦争研究に於いて、盧溝橋事件の「第1発」が全く議論されない背景には、こういった日中間の歴史を俯瞰的に見る傾向があること、そして、中国側視点には論理的整合性があることを、我が国の右派論客は理解するべきでしょう。

ここで、私がいいたいことのひとつは秦郁彦氏の姿勢です。氏の『盧溝橋事件の研究』は関係者の資料・証言を網羅した大著ですが、全体の結論は発砲事件は誰が撃ったのかわからない、という「泰山鳴動して鼠一匹」のような結論で、肩すかしを食わされます。日中戦争は中国から資源の簒奪・労働力の確保・市場の独占を意図していた日本と、諸外国の利権を回収し、半植民地状態から真の独立を目指していた中国が正面衝突した事件であり、盧溝橋事件はそのきっかけに過ぎません。発砲事件の犯人捜し以上に、両国の衝突に至る動きと、事件発生以後の両国の動きの中で盧溝橋事件を捕らえるべきでしょう。この当たりに、秦氏の歴史家としての骨格の脆弱さを感じます。「百人斬り競争」においてもそういう傾向が顕著です。


> なお、中国側研究の問題点もこの際指摘しておきたいと思います。中国側研究者の一般的見解は、義和団事件後の「北京議定書」がその後の盧溝橋事件に繋がったとの見方が主流ですが、国際法上の観点からの厳密な研究がなされておりません。この点に関しては知日派の劉傑氏(早稲田大学助教授)が指摘しておりますが、感情論を排した研究が進むことを期待しております。

そうですか。中国側研究者はそう見ておりますか。増兵自体は確かに「盧溝橋事件」の引き金にはなっていますが、日中の衝突は増兵なしにでも、どこからか火が点いたはずと思います。その原因は当年の2.26事件であり、この事件の後に日本軍部は侵略戦争に対して国内的に完全なフリーハンドを有したのであり、各国の分析家はいずれも遅かれ早かれ侵略が開始されると読んでいました。

ところで、mixiで活躍されている様子を拝見し、意を強くいたしました。
私は空幕長ひとりの問題ではなく、自衛隊全体それから、自民党内部の保守反動派、国民の中の保守反動派の問題であり、根は深いと憂慮しています。
740 hits

[5986]Re(4):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/3(月) 21:54 -

引用なし
パスワード
   ▼タラリさん:

 貴方のご指摘の通り、この問題は根が深いと思います。私のように筋金入りの自称「保守派」が、最近では「左端」に追いやられていくような現状には正直憂慮を禁じえません。

 前空幕長や、今回の論文審査委員長の渡部昇一先生等は明らかに「歴史修正主義者」であると考えますが、一方でこの傾向を支持する多くの「一般大衆」が存在することに、我々はもっと注視すべきであると考えます。
720 hits

[5990]Re(5):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 08/11/4(火) 11:29 -

引用なし
パスワード
   ▼かず色さん:
> 前空幕長や、今回の論文審査委員長の渡部昇一先生等は明らかに「歴史修正主義者」であると考えますが、一方でこの傾向を支持する多くの「一般大衆」が存在することに、我々はもっと注視すべきであると考えます。

渡部昇一は、そのデタラメさ加減では1980年代から定評です。この思考錯誤掲示板で「自衛隊」をキーワードに検索してみるとわかると思いますが、あきらかに自由主義史観研究会運動が自衛体内に徐々に蔓延していく様子がわかると思います。

「それを支持する一般大衆」が存在するのではなく、自由主義史観研究会運動が自衛隊内に侵食してきているのです。これは以前にかず色さんが指摘した戦前の軍内部にカルト宗教が浸透していく様子と酷似しています。
751 hits

[5992]Re(1):空幕長解任
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 08/11/6(木) 14:58 -

引用なし
パスワード
   以下読売新聞記事です。
前空幕長投稿の懸賞論文、空自の78隊員も応募
 田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)が、昭和戦争などに関して投稿した懸賞論文の内容を巡って更迭され、3日付で定年退職となった問題で、この懸賞論文には、田母神氏以外に78人の航空自衛隊の隊員が応募していたことが、6日わかった。

 航空幕僚監部教育課が全国の部隊に懸賞論文の応募要領を紹介していたことも判明。防衛省では、田母神氏が呼びかけ、空自が組織を挙げて応募した可能性があるとみて調べている。民主党の外務防衛部門会議で、防衛省が明らかにした。

 この論文は、ホテル・マンション経営のアパグループ(本社・東京都港区)が主催した懸賞論文で、テーマは「真の近現代史観」。235人が応募していた。

 応募した自衛官78人の内訳は、佐官級が10人、尉官級64人、曹クラス4人。
また、78人中62人は空自小松基地の隊員だった。

 防衛省や田母神氏によると、5月から募集が始まり、田母神氏は周囲に「こんな論文がある」と紹介。さらに、空幕教育課は5月末、この論文の応募要領を全国の部隊にファクスで知らせていた。同省では、田母神氏が教育課に対し、全国の部隊に通知するよう持ちかけていたかどうかさらに調査を進める方針。

 空幕広報室は「田母神前空幕長からの依頼で行ったわけではない」と話している。

 一方、田母神氏が昨年5月、空自の部内誌「鵬友」でも、今回問題となった懸賞論文と同じ趣旨の論文を投稿していたことがわかった。部内誌で田母神氏は、「戦後教育の中で我が国の歴史はひどい無実の罪を着せられてきた。その代表的なものが、日本は朝鮮半島や中国を侵略し残虐の限りを尽くしたというものである」と記していた。問題発覚後、防衛省が田母神氏の過去の論文の内容を精査する中で判明した。同省では、「明らかに政府見解と異なっている」と釈明している。

(2008年11月6日14時18分 読売新聞)

701 hits

[5995]コミンテルン陰謀史観
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/6(木) 21:42 -

引用なし
パスワード
   河本等陸軍将校の一部が当時の国際共産主義運動と通じていたとの主張をネットで見かけますが、これには根拠が全く無いことを強調しておきたいと思います。

 因みに、上記に類する見解は、既に太平洋戦争当時から存在しておりました。特に有名な「近衛上奏」をご紹介したいと思います。
-------------------------------------
近衛公 昭和20年2月14日付奏上内容要旨

今や残念ながら敗戦は必至である。ただ英米の世論は我が国体の変革までは未だ考えていないので、敗戦だけならば国体上さして心配を要しないと思われる。国体護持の立場から最も憂慮すべき事は、敗戦に伴って「共産革命」の起こることである。しかも、我が国内外の情勢は「共産革命」へと今や急速に進みつつある、と考える。ソ連は世界革命を推進しており、将来わが国に対して共産党の公認、共産主義者の入閣、治安維持法の撤廃、日独伊防共協定の破棄等々を要求する惧れが充分にある。他方我が国内をみるに、生活の窮乏、労働者の「発言度」の増大、対英米敵愾心の高揚の反面としての親ソ的空気の台頭、軍部内「一味」の革新運動、これに便乗するいわゆる新官僚の運動、これを背後から操る「左翼分子の暗躍」等、「共産革命」の条件は日々に熟しつつある観がある。特に憂慮すべきものは、軍部内「一味」の革新運動である。少壮軍人の多数は国体と共産主義とは両立すると信じているようであり、軍部内の革新論もその前提に立っていると思われる。職業軍人の大部分は中流以下の家庭の出身であり、そこで多数は「共産的主張」を受け入れやすい境遇にあり、「共産分子」は国体と共産主義とは両立するとの論で彼らを動かそうとしている。そもそも、満州事変、日中事変を起こし、これを拡大して大東亜戦争へと導いたのは、「是等軍部内の意識的計画」によるものであったことは、今日では明瞭と思われる。満州事変当時彼らが事変の目的は国内革新にあると公言し、日中事変当時も「此の一味の中心人物」は事変の長引くのがよく、事変が解決すれば国内の革新はできなくなると公言した。「是等軍部内一味の革新論」の狙いは必ずしも「共産革命」ではないにしても、彼らを取り巻く「一部官僚及び民間有志(之を右翼といふも可、左翼といふも可なり。所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり)」は、「共産革命」へ誘導しようという意図を抱いており、これに無知、単純な軍人が踊らされたものとみて大過ない、と思われる。以上は過去10年間軍部、官僚、右翼、左翼と接触をもった自分が最近静かに反省して到達した結論であり、この結論に立脚して過去10年間の動きを顧みる時、思い当たる節々の甚だ多いのを感じる。自分はこの間に2度までも組閣したが、国内の相克、摩擦を避ける為にこれら革新論者の主張を出来るだけ容れ、挙国一致の実を挙げようと焦慮した為、彼らの主張の背後に潜む意図を充分看取出来なかった事は誠に申訳なく、深く責任を感じている。
昨今戦局危急なるとともに「一億玉砕」を叫ぶ声が高まってきた。この様な主張をなしている者は所謂右翼であるが、しかし、背後からこれを扇動しているのは、これによって国内を混乱させ、革命を実現しようとする「共産分子」である、と考える。一方においては烈しく米英撃滅が唱えられている反面、親ソ的空気が次第に濃厚になって来ているようであり、軍部の一部には日ソ提携論、また延安の中共政権との提携論もあるとの事である。このように、国の内外にわたって「共産革命」の条件は日一日と成長しつつあり、今後戦局が益々不利になれば、この形勢は急速に進展すると思われる。それ故に、敗戦必至とすれば、国体護持の上からは一日も速やかに戦争終結を図らねばならないと確信する。この戦争終結に対する最大の障害は、満州事変以来時局を推進してきた軍部内のかの「一味」であり、これらを一掃さえすれば、これに便乗してきた官僚、民間の右翼、左翼も影を潜める事になろう。軍部内の以上の「一味」を一掃して軍部の粛清を行うことは、「共産革命」から日本を救うための先決条件である故に、「非常の御勇断」のほどが願わしい、と考える。

*岡義武教授著『近衛文麿』(岩波新書刊)から一部引用。

--------------------------------------

上記近衛上奏内容は、歴史学的見ても何等根拠はありません。所謂陰謀史観として、適当な距離感を以って接する必要があるでしょう。「河本コミンテルン影響説」も、若しかしたかこの「近衛上奏」等の根拠無き陰謀史観が起源なのかもしれません。
759 hits

[6013]空幕長論文への反論5.
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/9(日) 18:18 -

引用なし
パスワード
   前回書いた文章を補記し、空幕長論文への反論として以下のように纏めてみました。

【空幕長論文への反論5.:盧溝橋事件は中国側に責任があるのか】

 塘沽停戦協定以降の支那駐屯軍の兵力増強並びに駐兵範囲の拡大(豊台迄)が、中国側の抗議を無視した形で行われた点が重要です。この兵力増強措置は慣例に基づく「通告」により行われておりますが、この日本側措置は、義和団事件後の不平等条約である「北京議定書」に違反する、国際法上問題のある行為であったと考えます。極端な兵力増強及び駐兵範囲拡大によって、中国側が警戒感を強めたことは当然であります。
 中国側の日中戦争研究に於いて、盧溝橋事件の「第1発」が全く議論されない背景には、こういった日中間の歴史を俯瞰的に見る傾向があること、そして、中国側視点には論理的整合性があることを、我が国の(私も含めた)右派論客は理解するべきでしょう。

 次に、最近の保守系論客の発言を雑誌等で読んで感じるのは、「盧溝橋事件中共陰謀説」「コミンテルン陰謀説」の論調が非常に顕著になってきているといったところでしょうか。
 上記論調の背景として、ここ数年来の『正論』等の一部月刊誌の右傾化、ユン・チアン著『マオ』の世界的ベストセラー等の要因が考えられます。
 見落とせない点は、中共陰謀説を唱える評論家の少なからずが秦郁彦氏の同事件に関する研究成果を誤って援用しているところでしょうか。
 第29軍所属の金振中営長の回顧録等の出版によって、現在では事件当時の中国側の情況は概ね判明しており、中国側からの銃撃の可能性が充分考えられること。又、29軍内に少なからずの中共党員、シンパがいたことは秦郁彦氏の研究成果であることには異存はありません。
 しかしながら、本格的な軍事衝突へと発展していく過程において、事変拡大が主に支那駐屯軍側の主体的判断・軍事行動によって引き起こされた視点が、先述の論調には欠如しているように感じます。
 当時の日支間の情勢を俯瞰すれば、日本政府・国民政府双方ともに軍事的衝突を望んでいた訳ではありません。又、当該事件についても支那駐屯軍の「独断攻撃」がなければ、支那事変への拡大はなかったでしょう。
 言い換えれば、中国共産党やコミンテルンが、仮に盧溝橋に於いて軍事的挑発行動を画策したとしても、これが日支間の本格的軍事衝突に発展すると「予測」することは、非常に無理があったように考えます。
 又、志村菊次郎二等兵の行方不明、牟田口第一連隊長の功名心といった要素がこの事件には複雑に絡み合っております。あくまで実証主義的視点から研究するべきであると考えます。

 最後に私の「盧溝橋事件」に対する考えを簡単に纏めてみます。
●志村二等兵行方不明の背景に「日本側謀略」は存在しておらず。又、銃撃事件に関しても日本側の謀略を示す証拠は皆無であること。
●第29軍の組織的且つ計画的な軍事行動が皆無であること。
●私は中共に関する文献等を大量に読んでおりますが、同事件への関与を示唆するような書物に出会ったことが無い。劉少奇が陰謀に関与していたとの証拠も皆無であること。

以上から勘案し、
●第1発の銃撃者の特定は現在では不可能。
●銃撃が本当にあったのかも不明。
●「仮設敵」の軽機関銃の空砲発射による「偶発説」は排除できない。
●本事件の本質は、「銃撃者」の特定ではなく、その後の日支政府・軍事当局の判断と行動にあり、事件拡大の責任の多くは日本側に存在すること。
と考えております。

【空幕長論文への反論5.:補足】

※事件拡大の責任の多くが日本側に存在すると私が考える具体的理由

●現地では昭和12年7月9日に停戦協定が調印されましたが、7月11日に近衛内閣は盧溝橋事件を「支那側の計画的武力抗日」と断定したこと(「華北派兵声明」)
●近衛内閣の「華北派兵声明」の1時間後、北京で第二次停戦協定が成立。然しながら、当該声明に基づき、関東軍から二個旅団、朝鮮軍から一個師団の動員命令が下ったこと。
●7月15日には、臨時航空兵団の編成、派遣の決定。

上記の経過の過程で、当時の参謀本部作戦部長石原莞爾将軍等の「対支慎重派」は排除されていくことになります。

一方、蒋介石側は、
●7月19日、廬山談話に於いて「応戦而不求戦」(応戦はするが戦いは求めない)を基本方針とし、「最後の関頭」に至れば徹底抗戦に踏み切ると声明を発表。
●南京に於ける軍事機関長官会報」で、何応欽軍政部長以下の軍首脳部は「準備不足」との認識から対日開戦の「先延ばし」を検討。

また、7月19日には、第二次停戦協定の細目協定が現地で締結されております。

華北への動員理由にはよく広安門事件等が注目されますが、これ以前に日本側が積極的に派兵準備を進めていたことが以上の事から理解頂けるかと思います。

7月27日には内地の第五師団、第六師団、第十師団、第二十師団等計20万人以上の派兵が決定。翌28日には支那駐屯軍が北京・天津地域への全面攻撃を開始します。
一方、蒋介石側が第29軍と保安隊のみで応戦しました。事変拡大の主要因が日本にあると考えるのは、上記の経緯を理由としております。

以 上
684 hits

[6014]防衛大学校長の見解
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/15(土) 9:34 -

引用なし
パスワード
   【文民統制の重要性】

五百旗頭 真 防衛大学校長
※毎日新聞2008年11月9日付記事より転載

 田母神俊雄航空幕僚長が、戦争の過去について政府見解と異なる主張を公募懸賞論文に展開し、政府によって更迭された。
 制服自衛官は政治的問題につき政府の決定に服する責めを負う。もちろん制服を含め、誰しも自らの意見を持つことができる。しかし、個人の思想信条の自由と、職責に伴う義務とは別問題である。軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独自に行動することは、軍人が社会における実力の最終的保有者であるだけに、きわめて危険である。それ故にすべての民主主義国にあって、軍人は国民によって選ばれた政府の判断に従って行動することが求められている。これがシビリアンコントロール(文民統制)である。
 航空幕僚長が官房長に口頭で論文を書き応募することを伝えたのみで、原稿を示すことなく、政府見解に反する主張を発表したことが明らかになったとき、防衛大臣は即日幕僚長の解任を決定した。
 これに関連して想起するのは、1928年の張作霖爆殺事件である。関東軍の河本大作参謀は、上司と政府の指示なく、独自の政治判断に基づき、現地政府のトップを爆殺した。それ自体驚くべき独断専行であるが、それ以上に重大であったのが軍部と政府がこの犯行を処罰しなかったことである。そのことが、軍人が国のためを思って行う下克上と独断専行はおとがめなしとの先例をなした。軍部に対するブレーキが利かないという疾患によって、日本は滅亡への軌道に乗った。シビリアンコントロールがいかに重要かを示す事例である。
 それを思えば、このたびの即日の更迭はシビリアンコントロールを貫徹する上で、意義深い決断であると思う。この措置を重く受け止めるべきである。

 一部には解任措置だけでは不十分との主張もある。そうした新聞の一つは、筆を伸ばして「防衛大学校での教育」への疑念にまで言い及んだ。幕僚長が防大の卒業である以上、そうした疑念にも無理からぬ面もあろう。防大教育の実情について報告する義務を負っているものと解したい。
 防大の創設は、このたびに論点となった戦争の過去と密接に関係している。ダレス特使の再軍備要求に抵抗した吉田茂首相であったが、防大の設立にはなみなみならぬ意欲を示し、「下克上のない幹部」をつくることを求めた。これを受けて槇智雄初代校長が民主主義時代にふさわしい幹部自衛官育成の精神とかたちを築いた。その教育方針は「広い視野、科学的思考、豊かな人間性」を培わんとするものであった。
 旧軍が自国愛に満ちて独善に陥り、国際的視野を見失った過去、「大和魂さえあれば」とか、「竹やり三千本」の言葉に示される観念論・精神主義の過剰の中で成り立たない戦争にのめり込んだ過去、戦争への没頭の中で政府・大本営が他国民への惨禍と自国民への犠牲に鈍感となり、人間性豊かな自省を弱めてしまった過去、こうした過去の克服を期する指針であることは容易に解されよう。
 私が感心するのは、過去への反省に立つ指針が、同時に戦後の新しい時代への洞察とも結びついていた点である。「広い視野」は国際化が進む戦後世界に、「科学的思考」は科学技術革命の爆発する時代に、「豊かな人間性」は民主主義社会において国民との共感が不可欠な時代に、それぞれ予言的なまでに適合しており、それゆえに今なお妥当性を失わないのである

 槇校長の事跡と思想を展示する記念館をたまたま先日防大資料館内に開設したが、その中に「服従の誇り」という不思議な言葉がある。通常、服従は奴隷的であり、屈辱的である。個性の確立と自主自立こそが誇りであろう。槇校長は、国民と政府への自衛官の「服従」が、自発性に基づく積極的なものであり、それが国と国民に献身せんとする大義に発するものであるならば、立派に「誇り」たり得ることを、創立期の防大生に対して説いたのである。言い換えれば、槇校長はシビリアンコントロールを外力への服従としてではなく、自らの信条として内面化することを語りかけたのである。
 このたびのことがあって、私は防大における歴史教育の内容がどのようなものであるか、改めて調べてみた。あの戦争を賛美するような講義内容は、一般教授の「政治外交史」や「日本近現代史」にも、また制服の先輩教授が教える「日本戦史」などにもまったく見当たらなかった。すべてが資料根拠に忠実な実証研究のスタイルであった。むしろ実証を踏まえつつも、もう少し意味づけや斬新な解釈を打ち出してもいいのではないかと感じるような着実な傾向であった。
 私自身も歴史家であるが、世界の中の日本を全体的に見れば、千年前に源氏物語を生み、非西洋世界の中で真っ先に近代化を成功させて西洋諸国と並び立つ国となり、戦後もまた、格差の最も少ない豊かな民主主義社会を築くなど、卓抜した能力を示してきた立派な国民だと考えている。その中での遺憾な局面が、あの戦争の時代であり、今なお誤りを誤りと認めることができずに精神の変調を引きずる人のいることであると考えている。
<終>
722 hits

[6015]北岡伸一東大教授の見解
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/16(日) 11:16 -

引用なし
パスワード
   【トップの条件欠如を露呈】
北岡 伸一東京大学教授(日本政治外交史)
※朝日新聞2008年11月13日朝刊記事から引用


 論文の必要条件は、たしかな事実と堅固な論理である。

 田母神氏の論文には、事実の把握において、著しい偏りがある。たとえば、日本は中国や朝鮮に対し、相手の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはないと書いている。しかし満州事変が、石原莞爾ら関東軍の幕僚による陰謀であったことは、誰でも知っている事実である。張作霖爆殺事件についても、コミンテルンの仕業という説が有力になっていると書く。ごく一部にそういう説はあるが、まったく支持されていない。関東軍参謀の河本大作によるものだという説は、揺らいでいない。

 歴史で重要なのはバランス感覚と総合的な判断である。いろいろな説や情報の中から、最も信頼できる事実を選び取る作業が重要なのだ。都合のよい説をつまみ食いしたのでは、歴史を理解したことにはならない。

 論理においては、さらに矛盾や飛躍が多い。

田母神氏は、もし日本が侵略国家であったというなら、当時の列強はみな侵略国家であったと述べている。したがって、列強も日本も侵略したと言っているかと思うと、別のところでは、日本は侵略していないという。矛盾していないだろうか。

 論理が通っているかどうかということは、彼我を変えても妥当するか、考えればよい。

 田母神氏は、日本の朝鮮統治や満州統治は西洋列強の植民地支配とは違い、住民を差別せず同化を目指し、経済的に大きな成果をもたらしたと述べる。

 そういう面もあった。しかし善政をしけば植民地支配は正当化されるのか。支配された人々は納得するのか。仮に朝鮮または清朝が日本を植民地にして主権を奪い、他方で善政をしき日本を経済発展させれば、日本人は満足したか。断じてノーである。成果は乏しくとも、自分のことは自分で決めたい。それがナショナリズムである。現に田母神氏は、アメリカが戦後日本に繁栄をもたらしたことを評価していないではないか。

 日米開戦直前にアメリカが示した交渉案のハル・ノートを受け入れたら、アメリカは次々と要求を突きつけ、日本は白人の植民地になってしまったことは明らかだという。どうしてそういう結論になるのだろう。ハル・ノートをたたき台に、したたかに外交を進めることは可能だった。その結果が、無条件降伏より悪いものになると考える理由はまったくわからない。

 田母神氏の国際政治に対する見方は妙に自虐的、感情的である。氏は、ルーズベルトが日本に最初の一発を撃たせようとしていたとし、日本は彼と蒋介石によって戦争に引きずり込まれたという。そういう面もなかったわけではない。しかし国際政治とは、しばしばだましあいである。自衛隊のリーダーたるものが、我々はだまされたというのは、まことに恥ずかしい。

 田母神氏は現在の日本にはなはだ不満らしい。日本人はマインドコントロールから解放されていないという。もしそうならその責任は誰よりも、負ける戦争を始めた当時の指導者にあるのではないか。しかし、氏は妙に彼らに甘いのである。今の日本を憤るなら、なぜ戦争をしてしまった指導者をかばうのか。

 外国でも日本でも、軍のトップには教養があり、紳士的でバランス感覚に富んだ人が少なくない。それがトップの条件だろう。そういう意味で歴史は、トップリーダーが身につけておくべき学問である。田母神氏は、以上の点でトップにはふさわしくない。そういう人がトップにいたことは驚きである。自衛隊への信頼は大きく損なわれた。まことに残念なことである。

<終>
746 hits

[6016]秦郁彦・保阪正康両氏の見解
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/11/30(日) 0:07 -

引用なし
パスワード
   渡部昇一氏等の一部論客から激しく批判されている、朝日新聞紙上での秦郁彦・保阪正康両氏の対談をご紹介させて頂きます。


【事実誤認の「感想文」】田母神前空幕長論文 近現代史家が検証
※朝日新聞2008年11月11日(火)朝刊記事より引用

 波紋を広げる防衛省の田母神俊雄・前航空幕僚長の論文。日本の侵略を否定する考えは、自衛隊内でどう受け止められているのか。幹部の歴史教育どうしているのか。11日の参院へ参考人招致を前に取材し、論文の問題点を、近現代史が専門の秦郁彦、保阪正康両氏に聞いた。

史実 無理な解釈
1.日本の進軍<日本は相手国の了承を得ずに軍を進めたことはない>
【秦】これは思いちがいだろう。「満州事変はどうだったのか」と反問するだけで崩れてしまう論だ。満州事変は、日本の関東軍が謀略で鉄道を爆破し一方的に始めた戦争だ。謀略者から実行部隊の兵士まで関係者の多くの証言がある。当時の軍首脳も政府も追認、予算も支出している。日中の戦争も大東亜戦争も相手国の了承なしに始めた戦争だ。
【保阪】史実を押えれば、田母神論文のような解釈はできない。「国際法上合法的に中国大陸に権益を得て・・」とあるが、西欧列強もアジアでの支配を合法化した。だから正しい、と言うのは歴史の見方ではない。帝国主義の支配者は被支配者より何倍も狡猾だ。「多少の圧力を伴わない条約など存在しない」とも記述しているが、子供の言い訳に等しい。

実証性に乏しい俗論
2.コミンテルン謀略<我が国は蒋介石により日中戦争に引きずりこまれた>
【秦】国民党内にコミンテルンのスパイがいたから、蒋介石はコミンテルンに動かされていたなどと言うのは、「風が吹けばおけ屋がもうかる」式の強弁だ。張作霖爆殺事件についても、コミンテルンの仕業という説が「極めて有力になってきている」などと田母神論文は書くが、歴史学の世界では、問題にされていない説だ。
 張作霖爆殺事件が関東軍の仕業であることは、首謀者の河本大作はじめ関係者が犯行を認めた。このため田中義一内閣が倒れ、「昭和天皇独白録」でも、「事件の首謀者は河本大作大佐である」と断定されている。他にもコミンテルン謀略説が論文のあちこちに出てくるが、いずれも根拠となる確かな裏付け資料があいまいで、実証性に乏しい俗論に過ぎない。
【保阪】当時の国民党指導者に取材したことがある。共産党側の人間が国民党に入っていたのは事実だが、コミンテルンが国民党を動かしていたというのは間違いだ。日本の軍部がソ連や共産主義への危機感をあおっていた見方だ。「盧溝橋事件でだれが撃ったか」は本質的な問題ではない。中国で日本軍が軍事演習を行っていた背景を見なければならない。

推理小説のたぐい
3.大統領のわな<日本はルーズベルトの罠にはまり真珠湾攻撃を決行>
【秦】これも、バージョンを変えて繰り返し出てくる「ルーズベルト陰謀説」の一種だ。ルーズベルト大統領は日本側の第一撃を誘うため真珠湾攻撃を事前に察知していたのに現地軍へ知らせなかった、という筋書きのものが多い。こうした話はミステリー小説のたぐいで、学問的には全く相手にされていない。
【保阪】米国が日本に先手を打たせたかったというのは事実だろう。だが、日本外交の失策に目をつぶって共産主義者が悪いというのはおかしい。41年4月(ママ)に日米交渉が始まり、7月に日本は南部仏印に進駐。それに対し、米国は日本の在米資産凍結、石油禁輸措置を決める。政府や大本営が米国を見誤った「甘さ」の方が問題だ。日本が正しくてはめられた、などという論は無責任だ。

都合の良い話つなぐ
4.アジアが肯定的<多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価>
【秦】果たしてそうだろうか。田母神論文でこれに続けて「タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高い」と国名を列挙するが、日本軍が華僑虐殺をしたシンガポールでは、最近まで反日的な空気が強かったと承知している。独立国だったタイも日本軍の駐屯で被害を受けているので、感謝しているとは思えない。何より、列挙には、一番損害が大きかった中国が入っていない。満州事変に触れなかったのと同様、重要な史実からは逃げ、都合の良い話だけをつないだように見える。
【保阪】インドネシア独立義勇軍に加わった何人もの元日本兵に取材した。独立のため戦死した日本兵も多い。本当に東南アジアの解放のために戦ったのはそういう人たちだが、国は「逃亡兵」とした。そういう事実を見もしないで都合のいいことを語っている。

「戦後60年」を侮辱
5.侵略「ぬれぎぬ」<我が国が侵略国家だったというのは正に濡れ衣>
【秦】田母神論文は前の方で「よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」と書いている。それはその通りだと思う。しかし、日本も他の国も侵略国家だったとすると、論理が合わなくなるのではないか。
【保阪】「侵略国家」とはどういう意味か。戦後、一つ一つの史実を検証した上で「これは侵略だ」と認定してきた。中国を侵略したことは政府でさえ認めたことだ。否定するなら論拠を示すべきだ。論文に書かれている事実はいずれも核心ではない。一部を取り出して恣意的につなぎ合わせるだけでは一面的だ。戦後、史実を実証的に積み重ね、一連の戦争を検証してきた。論文は「60年」という時間を侮辱している。

自省史観こそ必要
6.全体の印象
【秦】論文というより感想文に近いが全体として稚拙と」評せざるをえない。結論はさておき、根拠となる事実関係が誤認だらけで論理性もない。
【保阪】かつて兵士たちが生還して色々なことを知ったとき、「日本もむちゃをやった」と素朴な感慨をもった。われわれはそこからスタートしている。昔の日本に批判的なことを「自虐史観」というが、「自省史観」が必要なのだ。「輝かしい」などの形容詞で歴史を語ってはいけない。ナショナリズムを鼓舞したとき、それは偏狭な運動になる。歴史を誇るのであれば、事実に謙虚でなければ。

(聞き手 = 編集委員・藤森研、川端俊一)

-----------------------------------------------
【付録(笑)】
西尾幹二氏のコメント・・・月刊誌WiLL最新号P196より引用

 朝日新聞で田母神氏への反論を語ったリベラル左翼言論人の秦郁彦、保阪正康、北岡伸一の諸氏は、歴史の細部に故意にとらわれ、歴史の全体を見ようとしない。歴史は歴史のためにあるのではない。現代からの問い掛けによって蘇生を繰り返す動く世界、それが歴史である。
564 hits

[6019]五百旗頭防衛大学校基調講演要...
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/12/6(土) 10:11 -

引用なし
パスワード
    先般毎日新聞紙上で、歴史学的及び文民統制の観点から田母神論文を批判した五百旗頭真防衛大学校長が、11月26日開催のシンポジュウムに於いて、以下のように「将来の日本の針路」を語っております。氏の政治・外交思考を端的に表す内容と感じましたのでご紹介いたします。


シンポジュウム「存在感あるミドルパワーへ 日本の針路」
(神戸大学主催、朝日新聞社後援・2008年11月26日:場所:神戸大学)

五百旗頭真防衛大学校基調講演要旨
※朝日新聞12月5日付夕刊記事より引用

【アジアの「よき世話役」に】
 米国でオバマ政権が誕生する。米国政治は70年代から保守優位が続いたが、イラク戦争の失敗や宗教原理主義的なものへの違和感を米国人が感じ、これまでの流れが変わった。彼は演説がうまい。人種、イデオロギーで引き裂くのはやめようと訴えて感動させた。ユニティ(統一)とチェンジの2語で、黒人初の大統領の座を射止めた。

 一方で、人事構想がしっかりしている。若いころ政府の長官らを支えた力ある人、米国の試練に対処できそうな人を抜擢している。

 大向こうをうならせつつ、実際の政治はしっかり。そんな印象がある。米国は中長期的には立ち直るだろう。

 経済危機が長引くと、満州事変を始めた日本がそうだったように、認識の変調を来し、致命的行動をとる者が現れがちだ。注意する必要がある。ただ、オバマ政権にはアフガニスタンには取り組むだろうがそれ以外の戦争は望まない。むしろ地球環境、疾病など、人類に共通の課題を重視してくるだろう。日本がその点で協力するなら、大事なパートナーと言われる関係をつくれるだろう。

 日米同盟さえ維持すればいいという観点の人がいるがそれは違う。同盟を大事にしながら、アジアと協力関係をつくる必要がある。

 中国とは協商関係を結び、共同事業として東アジアを築いていくべきだ。オバマ政権に「日本はアジアでけんかばかりしている」と思われるのは得策ではない。アジアの指導者として日本は、司令官のように命令するのではなく、よき世話役として、その役割を果たすことが望ましい。
464 hits

[6047]コミンテルン陰謀史観批判
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/12/25(木) 21:51 -

引用なし
パスワード
   田母神前空幕長論文の特徴の一つに「コミンテルン陰謀史観」とも云うべき歴史観があります。近年、この「コミンテルン陰謀史観」は田母神氏に限らず、中西輝政京都大学教授等の一部保守論客の論文等でも散見されます。
今回は、この「コミンテルン陰謀史観」の観点から田母神論文を検証していきたいと思います。

なお、コミンテルンに関して、立花隆氏が『日本共産党の研究』に於いて比較的平易に纏めておられますので、当該部分を<参考>として引用させていただきます。
----------------------------------------------

立花隆著『日本共産党の研究』(講談社刊)上刊 P37〜43

世界革命をめざすコミンテルン

 ドイツ革命とそれによって口火を切られるはずの世界革命を実現するための組織として作られたのがコミンテルンだった。この組織を、レーニンはボルシェウィキの組織の国際版として作ろうとした。つまり、国際的な民主集中制の党としてである。コミンテルンの規約には次のようにある。

「共産主義インターナショナルは、世界史における最初の勝利せる社会主義革命であるロシアの偉大なるプロレタリア革命を全面的に支持し、全世界のプロレタリアートに対して、同一の道をとるよう呼びかける」

 ここでは、ロシア革命をモデルとして世界革命が考えられていた。そして、ロシア共産党をモデルとした国際組織をつくれば、ロシア革命をモデルとする世界革命が実現できると考えたらしい。
 そして、世界中にボルシェウィキそっくりの組織を張りめぐらし、ボルシェウィキの戦略戦術と同じ戦略戦術を採用させ、この組織全体をコミンテルン執行委員会を指導部とする厳格な鉄の規律で縛りあげようというものだった。

 コミンテルン全体が一つの党であり、各国の党はコミンテルンの支部となり、自主性はまったく失われた。各国の党は、日本共産党コミンテルン日本支部というように、一律に××共産党××支部という名称を名乗らねばならなかった。これは、ボルシェウィキが、政権を奪取した翌年、ほぼ一党独裁制をしき終わったところで、ロシア社会民主労働党ボルシェウィキ派という名称を、ロシア共産党と改名したことに倣うものだった。もちろんロシア共産党も、コミンテルン・ロシア支部なのである。しかし、これは形式上のことであって、実質的には、ロシア共産党のほうがヘゲモニーを持って、コミンテルンを動かした。

 その指導権は、第一に、先にも述べたような、革命を成功させた者の持つ権威に大きくよっていたが、さらに物質的な側面も見逃せない。コミンテルンを財政的に支えていたのも、活動の場を提供したのも、あらゆる技術的援助を与えたのも、すべてソ連であった。ソ連共産党の意向を無視しては、コミンテルンの活動を続けることはできなかった。

 そして、ソ連共産党のコミンテルンに対する優位性は、時代を追ってますます大きくなり、やがては、コミンテルンが実質的にはソ連共産党国際部のごとき地位に転落してしまうのである。

 前にも述べたように、それまでの共産主義運動の潮流の中で、ボルシェウィキの路線や組織論は、主流をなしていなかった。コミンテルンに、そうした諸潮流がそのまま流れ込んでくると、ボルシェウィキの路線が揺らいだり、ヘゲモニーを失うおそれが出てくる。そこで、コミンテルンはきわめて厳格な加入条件を決め、その条件に通ったものだけを加入させた。これが“ラクダが針の穴を通るより難しい”と評せられた、21カ条の加入条件である。

 コミンテルンに加入しようとする組織は、まず民主集中制の原則を承認し、コミンテルン執行委員会の決議は無条件に実行することを約束しなければならなかった。党の規約、綱領、指導部の人事にいたるまで、コミンテルンの承認を得なければならなかった。いったん各国の党が正規の手続きをへて決定したことでも、コミンテルンがその決定を覆せば、それに従わねばならなかった。コミンテルンの決定、決議、通達などは、すべて各国の党機関紙に発表することを義務づけ、これを通じて、各国の下部党員にまで、直接のコミュニケートができるようにはかられた。

 また、ボルシェウィキ的でない人間、日和見主義者、改良主義者を組織から追い出すことを義務づけ、そうした人間が入り込むことを恐れて、「党員を定期的に粛清すること」も義務づけられていた。
 
 また、戦術面では、ボルシェウィキの戦術に則って、合法活動だけでなく、非合法活動をやること、軍隊、農村、労働組合などの大衆団体の内部に党組織を作り、これらを党の手に獲得していくことも義務づけられていた。

 そして、コミンテルン全体の目的は、次のように明確に規定された。
「資本主義の打倒、全ての階級を完全に廃止し、共産主義の第一段階たる社会主義を実現するであろうプロレタリアート独裁と国際ソビエト共和国の樹立をただ一つの目的として追求する」
そして、その目的実現のためには、「武装闘争を含む一切の有効な手段」を取るとしていた。

 前にも述べたように、それまでの共産主義運動の中で、ボルシェウィキの組織論、戦略論は主流をなしていなかった。しかし、なんといってもロシア革命実現の影響力は大きく、各国の共産主義運動の中に、コミンテルンの呼びかけに応じて、それに加入しようという部分が生まれた。その部分が各国で社会民主党(それまでの共産主義運動の担い手)から分裂して、各国で共産党(コミンテルン支部)を誕生させていった。これが、世界のすべての共産党の発端なのである。コミンテルンへの参加を拒否した部分は、そのまま社会民主党として存続した。そして、このとき以後、各国の社会民主党は、共産党の敵とみなされるようになる。<中略>

ヨーロッパ革命の挫折

 コミンテルン支部としての活動からはじまった日本の共産主義運動においては、党絶対、指導部絶対(国際的最高指導部としてのソ連、中国の指導部絶対)の“事大主義”が最大の伝統となてしまった。しかし、民主主義の伝統が極めて強固であった西欧各国の共産主義運動においては、必ずしもコミンテルンの組織活動は成功しなかった。民主集中制の厳格な規律が彼らの民主主義の伝統と合わなかったからである。各国の社会民主党で、コミンテルンへの加入をめぐって次々に分裂が起きた。<中略>

 戦前のコミンテルン時代、各国の共産党は21カ条の要求は受け入れても、個々の問題に関しては、コミンテルンの指導に対して、様々な抵抗を示した。党が割れたこともある。しかし、日本共産党は、終始一貫、驚くほど忠実にコミンテルンに従った。コミンテルンの権威に対して、いささかでも疑いをさしはさんだものは、転向者だけだった。逆にいえば、あれほど転向者を続出させた(結局、それが共産党を崩壊に導いたのだが)最大の原因は、党のコミンテルンへの盲従だったのである。<中略>

 そこで、日本共産党の創設にはいる前に、もう少し、コミンテルンの歴史の大状況を話しておくことにする。
 前述したようにロシア革命の成否は、ドイツ革命にかかっているはずだった。そして、1921年3月、ドイツ共産党はコミンテルンの指導の下に武装蜂起をはかったが、完全に失敗する。数百人が殺され、数千人が投獄され、35万人の党員が2週間で15万人に激減し、ここに、ドイツ革命の展望は全く失われた。ドイツに次いで革命情勢が切迫していたイタリアでも敗北し、逆に、ファシストが政権を獲得した。

 ドイツ革命の失敗とともに、世界革命の展望は失われ、革命ロシアは独力で生きてゆかねばならないことになる。国際ソビエト共和国から一国社会主義への方向転換である。それとともに、コミンテルンの機能にも変化が見え始める。コミンテルン加入条件の第14条、「各ソビエト共和国の反革命と干渉に対する闘争において共産党員は献身的に支持すること」が、重要な意味をもってくる。ハンガリー、バイエルンのソビエト共和国がつぶれ、その後新しいソビエト共和国が生まれないという条件の下では、これはただ一つ残ったソビエト共和国であるソ連を全世界の共産党員が献身的に支持するということにほかならない。

 こうして、コミンテルンは、世界革命を遂行する組織から、ソ連を擁護するための国際組織へと変貌を遂げていく。レーニンが死んだ1924年から、世界革命を志向するトロツキーと、一国社会主義者のスターリンの間で党内闘争が始まり、1927年にトロツキーが除名されるとともに、この変貌がいよいよはっきりしていく。<以下、省略>


立花隆はまた、『日本共産党の研究』に於いて、コミンテルンの失敗を次のように述べておりますので、こちらもご紹介いたします。

---------------------------------------
立花隆著『日本共産党の研究』上巻(講談社刊)
第1章 日本共産党の誕生  コミンテルンの指導の下に P51〜53より一部引用


お粗末だった情報システム 

 一般に中央集権的な組織の適正規模は、その情報能力の関数である。末端から中央へ正確でかつ充分な情報が迅速にあがり、中央部にその情報を適正に解析し決定を下す能力があり、次に中央から下される指令が迅速にゆがめられず末端まで降りていかねばならない。以上のような、情報の収集、伝達、解析能力が充分でなければ、組織を中央集権制にしておくことは、むしろ有害ですらある。不正確で不充分な情報が、時間的にものすごく遅れて伝えられ、かつ、中央部では情報の解析能力に欠けているということになったら、誤った判断にもとづく誤った指令が下され、下部はその誤りに気づいても無条件にそれを実行しなければならないからだ。

 コミンテルンは、いってみれば、世界60数カ国に支店を持ち、300万人近い従業員を擁し、かつ本社の権限がめっぽう強いワールド・エンタプライズのごときものであった。よほどしっかりした情報機構なしには、こんな組織が正常に動くはずはない。本格的ワールド・エンタプライズの成立が可能になったのは、最近(※1970年代)の情報システムを全社的に張りめぐらし、その管理解析にコンピューターを縦横に駆使することができるようになった最近のことである。それでも、コミンテルンがとったごとき超中央集権的体制はとらず、支社の裁量権を大幅に認めている。

 コミンテルンの場合、その情報機構は、想像を絶するほどお粗末だった。なによりも時代の技術的制約があった。世界的な通信システムなど持とうにも持ちようがなかった。その通信システムは、実質的には飛脚に頼っていたのである。レポを持った密使の往復である。コミンテルンはその情報能力だけからいっても、組織の適正規模を著しく超えており、失敗は約束されたようなものだった。

 日本の場合、上海の極東ビューローとの往復は一週間程度ですんだが(当時、上海にはパスポートなしで行け、常時連絡船が出ていた)、コミンテルン的中央集権制の下では、なにによらず上海ではことがすまず、モスクワにおうかがいをたてなければならなかった。

 日本からモスクワに行く主なルートは2通りあった。1つはまず上海に出て、上海から船でウラジオストックに向かい、そこからシベリア鉄道でモスクワに向かう。もう1つは、朝鮮を経由して、大連からハルビンに出、満州の北端ボグラニチナヤまで列車で行き、そこから歩いて国境を越えて、シベリア鉄道に乗るというルートだった(他にもいくつかのルートはある)。

 どんなに急いでも、片道まず20日はかかった。長いときで3,4ヶ月。平均して1,2ヶ月はかかるのである。徳田球一たち極東民族大会代表団の場合は、極端に長かった例で、日本を出発したのが10月、モスクワで大会が開かれたのが翌年1月から2月にかけて、帰国したのが5月から6月にかけてである。これだけ時間がかかるので、第一次共産党の場合、コミンテルンに党結成の報告に荒畑寒村が出かけ、役目を終えて帰国してみると、もう党は一斉検挙で壊滅してなくなっていたというような珍妙なことになってしまっている。

 こうして苦労して伝えられる情報の伝達頻度は少なく、それが前述のような水増し情報であったりするのだから、コミンテルンに正確な日本の情勢把握ができるわけはない。そして、情報解析にあたるコミンテルン側のメンバーの中に日本人は、片山潜のほかに日本からの代表駐在員2名の計3名しかいなかった。その情報を評価し、最終的決定を下すのは、ブハーリンなどのコミンテルン最高幹部だった。彼等は各国の個別的な情報を無視して、なべてにマルクス・レーニン主義の原則をおしつけての指導をした。こういう情報機構、決定機構で、的確な方針が出てくるわけはないのである。
<以上、引用終>
------------------------------------

毛沢東が遵義会に於ける権力掌握以降、コミンテルンの指導と一線を画し、中国共産党を最終的な勝利に導いたのは有名な話ですし、コミンテルンの指導に従順であった日本共産党が壊滅したのもこれまた歴史的事実です。最近の「コミンテルン陰謀論」を読むと、実証主義的観点からの歴史検証が軽視される傾向を非常に感じます。
383 hits

[6073]最近の新聞記事から
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/12/28(日) 20:38 -

引用なし
パスワード
   統幕学校講師「バランス欠く」 統合幕僚長、見直し表明
※朝日新聞2008年12月17日付記事より引用

 参院外交防衛委員会は16日、航空自衛隊の田母神俊雄・前航空幕僚長が校長を務めていた統合幕僚学校(東京都目黒区)を視察した。

 意見交換の中で、統幕学校の歴史観・国家観の講師を複数の「新しい歴史教科書をつくる会」関係者が担当していたことについて、斎藤隆統合幕僚長は「一部バランスに欠けている。講師の選定、内容をどうするか検討しなければいけない」と述べ、教育内容などを見直す考えを示した。

----------------------------------------------

田母神問題 再発防止へ取り組み
防衛省改革「考え方」 整備部門、内局に統合
※日本経済新聞 2008年12月23日付朝刊記事より引用

 防衛省は22日、省改革本部(本部長・浜田靖一防衛相)を開き、相次ぐ不祥事を受けた2010年度の組織再編に関する「基本的考え方」をまとめた。

 内局(背広組)と自衛官(制服組)の混合を進める方針を堅持。田母神俊雄航空幕僚長(当時)が政府見解と異なる論文を公表し、更迭された問題では「前空幕長に関する事案も踏まえつつ、省内の検討作業を推進する」と明記。再発防止策の取り組みを急ぐ姿勢をにじませた。

 部隊運用面では内局の運用企画部を廃止し、制服組主体の統合幕僚監部に政策立案機能を含めて一元化する。主要装備の選定を担う防衛力整備部門は担当部署を内局に統合する。

 田母神氏の論文問題では防衛相が幹部教育の見直しに言及。田母神氏が統合幕僚学校時代に設けた「歴史観・国家観」の講義も廃止を含めて検討している。今回の「考え方」は「組織改革に着目してまとめたもの」(増田好平防衛次官)で、再発防止の具体策は別途、取りまとめる方針だ。

------------------------------------------------

田母神論文 「文民統制面で不適切」 防衛省報告 防止策は明示せず
※朝日新聞2008年12月26付朝刊記事より引用

 防衛省は25日、先の戦争の正当性を主張する論文を発表した田母神俊雄・前航空幕僚長の更迭問題に関する調査報告書を防衛省改革会議に提出した。同氏の検証論文について「文民統制の面からも適切ではない重大な事案」としながらも、空自隊員97人が同じ懸賞に応募したことに同氏の支持はなかったと結論づけた。一方、再発防止の具体策については「更に検討する」とし、明らかにしなかった。

 田母神氏が最優秀賞を取ったホテルチェーン「アパグループ」主催の懸賞論文では、田母神氏のほか、航空自衛隊から97人の隊員が応募。報告書は、田母神氏の論文について「先の大戦に関する政府の認識と明らかに異なる見解や憲法に関連する重要事項について不適切な形で見解を述べた」と認定。「空幕長という自衛隊の要職にある者が防衛省・自衛隊の信頼を傷つけた」と批判した。また、論文案内を全国の部隊に紹介した航空幕僚監部の教育課長と当時の人事教育部長を25日付で注意処分としたことを明らかにした。
312 hits

[6074]森本敏教授の田母神論文批判
←back ↑menu ↑top forward→
 かず色 E-MAIL  - 08/12/28(日) 20:42 -

引用なし
パスワード
   【正論】拓殖大学大学院教授・森本敏 田母神論文の意味するところ
※産経新聞 2008年12月5日付記事(「正論」コラム)より引用


≪侵略でないといえない≫

 歴史や戦争は人間社会の複合された所産であり、日本が先の大戦に至るまでにたどった道を省みれば、明らかに「自衛」と「侵略」の両面がある。歴史を論じる際、これらをトータルに観察し分析すべきである。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文を読んで感じるのは、証拠や分析に基づく新たな視点を展開するならともかく、他人の論評の中から都合の良いところを引用して、バランスに欠ける論旨を展開している点である。あの程度の歴史認識では、複雑な国際環境下での国家防衛を全うできない。

 大戦に至る歴史の中で日本が道を誤る転換点となった張作霖爆破事件は、満州権益の保護拡大のため関東軍が独断専行の結果引きおこしたものであることは各種証拠からほとんど間違いない。このときの処置のあいまいさや満州での激しい抗日運動、関東軍の独断がその後の満州事変の引き金になり、満州国建国、上海事変、シナ事変へと続いていったのである。この歴史的事実をもって日本は侵略国家でないというのはあまりに偏った見方である。

 我々が心得べきことは、大戦に至る数十年、日清・日露戦争で勝利した奢(おご)りから軍の独善が進み、国家は「軍の使用」を誤ってアジア諸国に軍を進め、多くの尊い人命を失い、国益を損なったことである。これは日本が近代国家を建設する過程での重大な過誤であり、責任は軍人はもとより国家・国民が等しく負うべきである。この過誤を決して繰り返してはならない。

 ≪政治感覚の著しい欠如≫

 ところで、田母神氏は自衛隊員として論文の部外発表手続きを踏んでいない。それを十分承知の上で、日常の不満・鬱憤(うっぷん)をこういう形で、一石を投じる目的をもって公表したのであれば、それによってもたらされる影響についても責任を有する。政府の村山談話がおかしいと思うなら防衛省内で大臣相手に堂々と議論すべきであり、懸賞論文に出すなどと言う行為は政府高官のすべきことではない。

 さらにこれによって防衛省改革や防衛大綱の見直し、防衛費や自衛隊の海外派遣問題などにマイナス影響を与えかねない。それが分かっていて発表したというなら政治的な背信行為であり、分からなかったというなら、幕僚長がその程度の政治感覚もなかったのかと言うことになる。

 自衛隊員は呼称は何であれ、武力行使できる実行組織を指揮するのであるから、いわゆる「軍人」である。一般市民が自衛隊員をどう見ているかを、高官になれば分かっていなければならない。田母神氏は、日本の自衛隊はいかなる国より文民統制がしっかりしていると国会答弁しているが、自衛隊員がこれを言っても説得力はない。

 国民には、文民統制は自衛隊員に意図があれば機能しなくなると考えている人がいる。しかし戦後半世紀、文民統制に大きな疑惑が起きなかったのは、この間の先人の自己抑制努力によるものである。今回の論文によって文民統制への信頼性を失ったとすればその責任は大きい。

 ≪防衛省の対応には疑問≫

 他方、防衛省の対応措置には納得がいかない。田母神氏を懲戒処分にする手続きをとらずに解任し、空幕付きにして退職させた。懲戒にしなかった理由を防衛省は、審理に通常10カ月近くかかり、その間に本人が定年を迎えるので、と説明した。懲戒処分といっても実際には、個人の表現の自由が認められている限り、懲戒免職にはできず、それより軽い処分ですむ。1日も早く防衛省から辞めさせてしまいたい、審理に入ることにより省内で歴史論争がおこるのを防ぎたいという事情が合わさったのであろう。

 幕僚長という地位にあるのであるから、大臣は本人に面談のうえ身の処し方を協議すべきであった。国会も参考人質疑で歴史認識論議を避けたが、立法府こそ堂々と歴史認識を論議すべきである。

 今後、部外発表をチェックする制度を強化すると、自衛隊員は部外に個人の思想・信条を吐露しなくなる。何を考えているか分からない23万人もの実力部隊が存在することの方が不健全である。文民統制の本義を履き違えた議論は戒めるべきであり、自衛隊員の部外発表を規制することは論外である。

 一方で、自衛隊も人材育成や教育を見直す必要がある。自衛官が政治の場を体験する機会を増やすことも考えるべきだ。幕僚長以上を国会の同意人事にすることは違和感があるが、そうするのであれば、彼らを国会審議に引き出す制度を作る必要があろう。

 今回は国内世論が左右にはっきり分かれた。これは歴史認識が確立していないからであり、近代史に関する歴史教育の重要性を痛感させられる。(もりもと さとし)

--------------------------------------------

森本敏プロフィール

1941年3月15日、東京小石川生まれ。
小・中学校は兵庫県芦屋市、高校は大阪府豊中。
防衛大学校理工学部電気工学科を卒業後、航空自衛隊を経て昭和52年外務省アメリカ局安全保障課に出向。
昭和54年外務省入省、在米日本国大使館一等書記官、情報調査局安全保障政策室長など一貫して安全保障の実務を担当。専門は安全保障、軍備管理、防衛問題、国際政治。
平成4年より野村総研主席研究員(平成13年3月退職)。
平成7年より慶応義塾大学・同大学院にて非常勤講師を兼任。
平成9年より中央大学・同大学院にて客員教授(平成14年退任)。
平成11年より政策研究大学院大学(平成15年退任)、聖心女子大学非常勤講師を兼任。
平成12年より拓殖大学国際学部教授、平成17年より拓殖大学海外事情研究所所長兼同大学院教授。

研究分野・研究課題・研究活動:
日本の安全保障政策及び日米安全保障関係全般にわたる政策研究。
アジア・太平洋の安全保障問題、特にARF、CSCAPなどにおける日本の外交イニシアティブ。
欧州の安全保障、特に、NATOに関する研究。国際紛争及び紛争予防に関する調査研究。
軍備管理・軍縮問題及びエネルギー問題など安全保障に関する研究。
米国の世界戦略、安全保障政策全般に関する調査研究。
334 hits


58 / 645 ツリー ←次へ | 前へ→
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃設定 ┃お蔵入り ┃旧思考錯誤 ┃南京事件資料集  
ページ:  ┃  記事番号:   
317024
(SS)C-BOARD v3.8(とほほ改ver2.2) is Free
タブブラウザ Sleipnir 公式ページ(上級者向け) Get Firefox Get opera goo RSSリーダー
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送