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画像は1937年(昭和12年)12月17日の『大阪毎日新聞』の記事です。
初めて知る 夫の無事 ベーツ教授婦人が 東京で大喜び 十五日朝金陵大学訪問の若梅、村上両特派員がはからずも会つた同大学教授ベーツ博士(四〇)の婦人と愛児はいづれも友人の東京世田谷区上北沢町二ノ四七五米国宣教師ミス・トラウト方に寄寓してゐるが十六日午後ベーツ婦人(三六)を訪れると婦人は初めて夫の消息を知り安堵の喜びを満面に浮べながら次男ロバート君(九つ)とともに語る 御社の特派員のお蔭で三ヶ月振りに元気な様子を知り、今までの心配が一度に消し飛んでしまひました、去る六月下旬夫とロバートと三人で夫の用務を兼ねて野尻湖に避暑に参りましたが今度の事変のため夫だけ九月中旬南京に帰り私どもはトラウトさん方に世話になつてゐましたその後私がいくら手紙を出しても夫からは何の返事もなく心配してゐました またロバート君は上手な日本語で「ドウモアリガタウゴザイマシタ」と可愛い金髪のあたまをさげた なほ同氏は親日家で長男モルトン君(十二)を神戸のカナディアン・アカデミーに入学させてゐる ベイツ自身が9月中旬まで日本にいたこと、妻と次男を連れて日本を旅行していること、更には長男を日本の学校に入れたことを考えると、かなりの親日家であることは間違いないと思います。 そのベイツが『戦争とは何か』の文章を書くほどですから、日本軍の素行が如何に酷いものであったか想像がつきます。実名を伏せたのは家族の安全のためではなかったかと思います。 本来、国際委員会のメンバーは日本びいきで中国人に顰蹙を買っていました。
『程瑞芳の日記』12月15日 【熊猫訳】 国際委員会は今度はメンツを失った。以前は彼らは我軍の略奪を心配し、会議をした時は、日本軍がとても良いと言ったが、今は間違いだと判断している、安全区さえ全て承認していない。日本軍のひどさを知り、彼らも少し恐れている。 国際委員会のメンバーが日本軍を信頼し期待していたことが、中国人の程瑞芳を読めば解ります。
本来、南京に在留した外国人たちは、日本に対する敵対心など全くなかったのではないかと思います。
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