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[4956]夏淑琴さん名誉毀損訴訟第一審判決の解析 指環 07/11/13(火) 16:03
[4962]東中野らが控訴しました 指環 07/11/19(月) 18:35
[5350]Re(1):東中野らが控訴しました 指環 08/3/11(火) 15:05

[4956]夏淑琴さん名誉毀損訴訟第一審...
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 指環 E-MAIL  - 07/11/13(火) 16:03 -

引用なし
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    だいたいにおいて裁判官が書いた判決文というのは、小難しい法律用語が散りばめられていて、しかも悪文の典型の文章ばかりです。多少は法律をかじっているつもりの私でも読むのが苦痛の場合が多いです。
 だが、今回の夏淑琴さんの東中野修道と展転社に対する名誉毀損等の訴訟の東京地裁の判決文は、読んでいると興奮し、目頭が熱くなるほど感動するものでした。

 既にピッポさんによって判決全文がアップされていますので、その分析を投稿させていただきます。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/737.html

 先ず、この訴訟がどういう訴訟であるのかについて。
 この訴訟の原告である夏淑琴さんは、南京事件の一つとされる新路口事件(1937年12月13日、南京市内の新路口においてシア家とハア(マア)家の2家族11人が日本軍兵士により殺害・強姦されたとされる事件)の生存被害者(「8歳の少女」)として知られる人です。
 東中野修道は『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)の中で、当時の資料(主にジョン・マギー牧師の記述したフィルム解説文)を分析して推論した上で、

(1)(この資料に登場する生き残った)「『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される」
(2)「『8歳の少女(夏淑琴)』は事実を語るべきであり、事実をありのままに語っているのであれば、証言に、食い違いが起こるはずもなかった。」
(3)「さらに驚いたことには、夏淑琴は日本に来日して証言しているのである。」

と記述しています。また、この本の繁体字中国語版と英語版も発行されています。
 夏淑琴さんは、東中野の記述により「ニセ被害者」「ニセ証言者」扱いされて名誉を毀損され、名誉感情を侵害されたとして、東中野らに対して不法行為による損害賠償の支払いなどを求めたのが、この裁判です。
 従って、この訴訟の主たる争点は、

(1)東中野の本の記述は夏淑琴さんの名誉を毀損し名誉感情を侵害するものか。
(2)仮に夏淑琴さんの名誉を毀損し名誉感情を侵害するものだとしても、事実に公共性があり、かつ目的に公益性があり、かつ内容が真実だとして、違法性がなくならないか。
(3)仮に内容が真実であることが証明されなくても、東中野が真実だと信じたことに相当な理由があるか。

になるわけです。

 少し法律問題について解説します。
 先ず、ここでいう「名誉」とは何か。それは一般に、人に対する社会的評価だと言われます。「名誉毀損」とは人の社会的評価を低下させることを言います。但し、現実に社会的評価が低下しなくても、低下するような危険を生じさせれば「名誉毀損」になるとされます。
 このような名誉毀損によって不法行為責任が成立することは、民法710条で列挙されていることや同723条からも明らかです。
 この名誉毀損には主観的な名誉感情の侵害は含まれません。しかし、主観的な名誉感情の侵害も民法709条の要件を満たせば不法行為責任が生じうるとされます。

 ところで、人の社会的評価を低下させれば全て違法だというでは、とんでもないことになります。政治家の批判も悪徳企業の批判もいっさいできないことになってします。表現の自由が損なわれます。一般市民の知る権利も守れません。かと言って人の名誉も基本的人権の一つであり、守られなければなりません。
 そこで判例・学説は、事実の摘示による名誉毀損については、

(1)事実の公共性
(2)目的の公益性
(3)摘示された事実が真実である(真実性)

の3つの要件を満たせば、違法性がなくなり、(3)の摘示された事実が真実であることが証明されなくても、

(3´)真実と信ずるについて相当な理由がある(相当性)

という場合には故意・過失が欠けるので、やはり不法行為責任は成立しないとしています。
 これによって、名誉保護と表現の自由との調和を図っているのです。
 そして、これらの免責要件存在の証明責任はそれを主張する被告の側にあるとされます。

 この免責要件の中で(1)事実の公共性と(2)目的の公益性の認定は緩やかで(新聞報道などは殆ど推定される。)、(3)真実性と(3´)相当性の認定は厳格です。
 従って、名誉毀損訴訟での実質的な争点は、問題となっている表現内容に(3)真実性ないしは(3´)相当性が認められるか否かという点になるのが一般的です。

 さて、夏淑琴さんの訴訟では、そもそも東中野の本の記述が夏淑琴さんの名誉を毀損し名誉感情を侵害するものか否かも、前述のとおり争点になっています。
 これについての東中野らの主張は、

「 ある記述が名誉毀損となるのは、摘示した事実そのものが他者の名誉を毀損する内容を有する場合であり、本件の場合でいえば、「原告(夏淑琴)は被害者を装って故意に虚偽の事実を語っている」との事実を摘示したような場合である。
 本件記述は、原資料の記録(フィルム解説文)に依拠しつつ、そこに内在する問題点を詳細に検討した結果、「『8歳の少女』と夏淑琴(原告)は別人と判断される」との意見ないし論評を述べ、また、フィルム解説文を基準とする限り原告の供述は不正確であることを指摘し「原告は事実をありのまま語るべきである」との意見を述べたものにすぎないのであって、(1) 「『8歳の少女』は夏淑琴と別人である」という事実を述べたものではない。そして、「8歳の少女」の属性である名前に関する判断は、名誉を毀損するような評価ではなく、被告東中野の主観的な論理思考を示したにとどまるから、これにより原告の社会的評価が低下したとも思われない。仮に、本件記述が (1) の事実を摘示したと解されるとしても、その表現自体に価値判断はないから名誉毀損にあたらない。
 また、(2) 「夏淑琴はフィルム解説文の『8歳の少女』とは別人であるから新路口事件の現場にいなかった」とか、 (3) 「夏淑琴は新路口事件の現場にいなかったにもかかわらずいたと言って真実に反することを言っている」とかいう事実を摘示するものでもないし、仮に (3) のような事実を摘示した場合であっても、名誉毀損とはならない。事実についての主張の相違は、日常の社会生活上しばしぱ起こることであり、単なる見解の相違、記憶違いあるいは無意識下での記憶の変容によることもあるので、異なる事実の主張だけでは、直ちに他者の名誉毀損とは評価されないからである。
 さらに、本件記述は、「8歳の少女と夏淑琴は別人と判断される。」という著者の解釈を述べているにすぎず、それ以上に原告そのものを誹謗するものではないから、原告の人格権を侵害するものではない。」

というものです。
 要するに、「マギー牧師のフィルム解説文の『8歳の少女』と夏淑琴さんは別人だ」というのは意見ないし論評だし、仮にそれが事実の摘示だとしても、その摘示事実の内容は夏さんの名誉を毀損するものでも人格権(名誉感情)を侵害するものでもないというのです。
 ここでは(1)意見・論評の表明でも名誉毀損や人格権(名誉感情)侵害が成立しうるか、(2)どのような場合が事実の摘示なのか、(3)本件の東中野の本の記述は意見・論評の表明なのか、それとも事実の摘示なのか、(4)事実の摘示だとした場合、東中野の本の記述が夏さんの社会的評価を低下させうるもの(=名誉毀損)か、(5)さらに夏さんの人格権(名誉感情)を侵害するものなのか、という論点が問題になります。 

 先ず本判決は(1)の論点について、
 出版物の記述による名誉毀損の不法行為は,問題とされる表現が,人の品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれぱ,これが事実を摘示するものであるか,又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず成立し得るものである。
と判示しました。これは判例・通説に従った当然の判断です。
 次に(2)の論点について、
 問題とされる表現が事実を摘示するものか,意見ないし論評の表明であるかの区別は,一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべきものであり,そこに用いられている語のみを通常の意味に従って理解した場合には,証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張しているものと直ちに解せないときにも,当該部分の前後の文脈や,その出版物の公表当時に一般の読者が有していた知識ないし経験等を考慮し,その部分が,修辞上の誇張ないし強調を行うか,比喩的表現方法を用いるか,又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ,間接的ないしえん曲に前記事項を主張するものと理解されるならぱ,同部分は,事実を摘示するものと見るのが相当である。また,そのような間接的な言及は欠けるにせよ,当該部分の前後の文脈等の事情を総合的に考慮すると,当該部分の叙述の前提として前記事項を黙示的に主張するものと理解されるならば,同部分は,やはり,事実を摘示するものと見るのが相当である(同平成9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。
と判示しました。つまり、意見表明のような形式をとっている場合でも前後の文脈や平均的読者のおかれている社会的文脈から黙示的に事実言明と解されるなら、それは事実の摘示なのだとしています。これも引用されている最高裁判例や今日の学説に沿った妥当な解釈です。
 そして、
 上記見解に反する被告らの主張は採用できない。
とします。

 このような一般的な法律解釈を示した上で(3)の論点(東中野の本の記述は意見・論評の表明なのか事実の摘示なのか)について判断します。(あてはめの部分です。)
 本判決は、先ず東中野の本から、名誉毀損等が問題になっている記述(本件記述)と、その前後の記述を引用します。太字が名誉毀損等が問題になっている記述(本件記述)です。
 (1) 本件記述(甲1)
ア 本件記述は,本件書籍の第11章「南京安全地帯の記録(一)」において,「南京安全地帯の記録」の「有名な事例219」を検証するという形で取り上げられている。
イ そして,事例219の記述を引用した上で,「『事例219』についてのマギーのもう一つの説明」との小見出しにより,被告東中野自身の翻訳によるフィルム解説文の全文が次のとおり紹介されている(改行は最後の改行箇所以外は被告東中野による。また,文中の (1) 〜 (16) は被告東中野が付したもので,人数がわかりやすいようにするためとの説明がある。)。
「《12月13日,約30人の兵士が南京の東南部の新路口五のシナ人の家にきて,中に入れるよう要求した。
玄関を, (1) マアという名のイスラム教徒の家主が開けた。すると,ただちに彼らはマアを拳銃で殺した上,もう誰も殺さないでと,マアの死体に脆いて頼む (2) シアさんMr.Hsiaをも殺した。なぜ夫を殺したのかと (3) マアの妻が尋ねると,彼らはマアの妻をも殺した。
(4) シアの妻は (5) 1歳の赤ん坊と客間のテーブルの下に隠れていたが,そこから引きずり出された。そして,1人かもっと多くの男たちから裸にされ,強姦された後,銃剣で胸を刺されて殺された。その上,陰部に瓶を突っ込まれ,赤子も銃剣で殺された。
それから,何人かの兵士が隣の部屋へと行った。そこには,シアの妻の (6) 76歳と(7) 74歳になる両親,それに (8) 16歳と (9) 14歳になるシアの娘がいた。この娘たちを彼らが強姦しようとしたその時,祖母が娘を守ろうとして拳銃で殺された。祖父が妻の体をつかむと,祖父も殺された。
それから,2人の少女が裸にされた。上の少女は2,3人に強姦され,下の少女は3人に強姦された。その後,上の少女は刺されて陰部に芋を詰め込まれた。下の少女も銃剣で突き殺されたが,母や姉の受けたぞっとするような扱いは免れた。
それから,兵士たちはもう1人の (10) 7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した。同じくその部屋にいたからである。
この家の最後の殺人は (11) 4歳と (12) 2歳になるマアの2人の子供。children(筆者註・性別不明)の殺人であった。上の子は銃剣で突き殺され,下の子は刀で真二つに斬られた。
(13) その8歳の少女 the 8-year old girl は傷を負った後,母の死体のある隣の都屋に這って行った。無傷で逃げおおせた (14) 4歳の妹 her 4-year old sister と一緒に,この子はここ
に14日間居残った。この2人の子供はふかした米を食べて生きた。
写真撮影者の私が,この話の一部を得ることができたのは,上の8歳の少女からで,詳細は一人の隣人 a neighbor と一人の親戚 a relative から語ってもらって,確認と訂正が
できた。兵士たち the soldiers は毎日この家に物を取るためやって来たが,2人は古い敷布の下に隠れていたので発見されなかったと,この8歳の少女は語った。
このような恐ろしいことが起こり始めた時,近所の往民はみな避難民地帯に逃げた。それから14日して,このフィルムに出て来る (15) 老女性 the old women が近所に戻って,2人の子供を発見した。その後,死体が全て取り除かれたあとの部屋 an open space where the bodies had been taken afterwards に,写真撮影者の私を案内したのは,この老女性であった。彼女や,シアさんの (16) 弟(または兄)Mrs. Hsia's brother と,この小さな女の子にたいする質問を通じて,恐るべき悲劇についての疑問の余地なき理解が得られたのである。》」(241〜242頁)
ウ その上で,被告東中野は,「数々の疑問点」との小見出しの下に,このフィルム解説文の内容について9の疑問点を挙げ,第9の疑問点として次のように記述した(なお文中の「日支紛争」とはフイルム解説文が収められた公文書綴を指している。)。
「第9に,家族の総数が違う。『南京安全地帯の記録』の事例219(マギーの説明)では総数は2家族で13人であった。しかし,『日支紛争』のなかのマギーの記録では,14人であった。
そのうえ,家族関係がよく分からない。唯一の生存者と主張する2人の子供,具体的には『8歳の少女』とその妹(4歳)は,いったい誰の子供なのであろうか。
マギーはいきなり (13) の『8歳の少女』は『母の死体のある隣の部屋に這って行った』と説明したのである。その『母』とは,(4) のシアの妻を指すのか。それとも (3) のマアの妻のことなのか。
仮に,『8歳の少女』がシア夫婦の子であったとすると,『8歳の少女』はシア夫婦の(10) の『7,8歳になる妹』と姉妹であったことになる。もし両者が双子ならぱ,『7,8歳になる妹』は8歳であったが,それが7歳か8歳か分からなかった。『8歳の少女』と『老女性』と『シアさんの弟(または兄)』の3人に『確認』しても,分からなかったということは,両者は双子ではなかった。双子でなければ,7歳になるが,それが7歳かどうかも分からなかった。ということは,『7,8歳になる妹』は,妹ではなかったと考えるのが自然である。従って,『8歳の少女』はシア夫婦の子ではなかったことになる。
では,『8歳の少女』はマア夫婦の子供であったのか。『8歳の少女』には,4歳の妹がいた。マア夫婦にも,4歳の子供(性別不明)がいた。ということは,『8歳の少女』の『4歳の妹』 (14) と,マア夫婦の『4歳』 (11)の子供は,双子であったことになる。双子は一目瞭然だから,特に双子と明記されていたことだろう。また男の子か,女の子か,性別は明らかであったはずである。ところが,この2点さえも不明であった。従って,『8歳の少女』はマア夫婦の子供ではなかったと考えるのがやはり自然であろう。
このように『8歳の少女』は,シアの子供でもマアの子供でもなかった。その姓は,シアもなかった。もちろん,マアでもなかった。」(246〜247頁)
エ 続いて,
「『8歳の少女(夏淑琴)』がマギーに語ったもう一つの話」との小見出しの下に,
「笠原十九司『南京難民区の百日』に,『8歳の少女(夏淑琴)』がマギーに語ったもう一つの話が出てくる。」
として,
「《日本兵たちが市内の南東部にある夏家にやってきた。日本兵は,8歳と3歳あるいは4歳の2人の子供を残してその家にいた者全員,13名を殺害した。》」
との一文を引用し(この引用部分は笠原十九司が引用したフォースターの手紙の中の一文であるが,その点は触れられていない。),殺害された人数が異なる点を指摘した上で,引き続き,
『 漢語大詞典』によれば,夏淑琴の姓の『夏』はXia(シア)と発音する。しかし,これまでの検証からも分かるように,『8歳の少女』の姓をシアとするには無理がある。『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される。
従って,この『8歳の少女(夏淑琴)』が語った話は,『南京安全地帯の記録』の事例219の『8歳の少女』の話や,『日支紛争』に出てくる『8歳の少女』の話とも,微妙に違っている。その違いは一目瞭然であろう。
(中略)
人は大事件に遭遇した時,その細部を,昨日のことのように鮮明こ覚えている。それでも忘れることはあり得るが,忘れた時は,語ることができないものである。もし語るのであれぱ,『8歳の少女(夏淑琴)』は事実を語るべきであり,事実をありのままに語っているのであれば,証言に,食い違いの起こるはずもなかった。」(247頁〜248頁)
と結んでいる。
オ 次に,「本多勝一『南京への道』に出てくる夏淑琴の話」との小見出しの下に上記書籍の中の原告の話を取り上げ,事例219やフィルム解説文のマギーの説明と食い違う点を指摘し,引き続き,「夏淑琴が『マギーの遺言』に登場」との小見出しで,インターネット上の「マギーの遺言」における原告の証言もマギーの説明と食い違いがあることを指摘した上で,
しかし,さらに驚いたことには,夏淑琴は日本に来日して証言もしているのである。」(250頁)
と記述し,戦争犠牲者を心に刻む会編「南京大虐殺と原爆」における原告の証言がマギーの説明の内容と異なる部分があることを指摘している。
 そして、本件記述(上記の太字の部分)が意見・論評の表明なのか事実の摘示なのかについて、
 本件記述がなされている前後の文脈は(1)のとおりであり,この文脈において,普通の注意と読み方をする一般の読者であれぱ,本件記述から, (1) フィルム解説文を詳細に分析すれば事例219の生き残った「8歳の少女」の姓は「シア」ではなかったことになるが,原告の姓は夏「シア」であるから,原告(夏淑琴)はこの「8歳の少女」ではない,(2) 「従って」,生き残った「8歳の少女」と称している原告の話は(虚構のものであるから)フィルム解説文や事例219のマギーの説明との間に食い違いが出てくる(原告が真実「8歳の少女」であれぱ話に食い違いが生じるはずがない), (3) 原告は生き残った「8歳の少女」ではないにもかかわらず,来日してまで自分が「8歳の少女」であるとして虚偽の証言をしている,と理解することは明らかであり,本件記述を含む文章全体の趣旨を見ても,読者がそのように理解することを意図していることが優に読み取れる。
 したがって,本件記述は,一部表現に意見や評論の形式が採られているものの,「原告が『8歳の少女』ではないのに『8歳の少女』として虚偽の証言をしている」との事実を摘示するものと見るのが相当である。
と、事実の摘示にあたると認定しました。
 意見・評論の形式だろうと、一般の読者が読めば、文章全体から見て、事実の言明になるだろ、というわけです。 

 そして、(4)事実の摘示だとした場合、東中野の本の記述が夏さんの社会的評価を低下させうるもの(=名誉毀損)か、と(5)さらに夏さんの人格権(名誉感情)を侵害するものなのか、という論点について本判決は、
 原告は,本件書籍が発行された当時,既にいわゆる南京事件の生存被害者としてマスメディアでも紹介され,自ら「8歳の少女」として新路口事件における体験を語るなどして広く知られた人物であり(本件記述も原告がそのような人物であることを踏まえたものであることは(1)で認定した記述からも明白である。), そのような状況下で出版された本件書籍中の上記事実の主張が原告の社会的評価を著しく低下させ,原告の名誉を段損する内容のものであることは明らかである。ましてや,その内容から,本件記述が原告自身の名誉感情を著しく侵害するものでもあることは言を俟たない。
と認定しました。
 本判決で大変注目される部分の1つですので、赤の太文字で示しましたが、ここでは本件記述が客観的な社会的評価の低下という名誉毀損とは別個に名誉感情という人格権も侵害するものであることを認定しています。
 名誉感情の侵害も民法709条の要件を満たせば、名誉毀損とは別に不法行為が成立しうると解されているは言え、これを認めた裁判例はそう多くありません。
 知られているものとしては、タクシーの乗客(吉本興行所属の有名芸能人)が運転手に「運転手は昔は駕籠かきやないか」などと20分余りに誹謗侮辱的発言を続けたケース(大阪高判昭和54年11月27日判時961-83)があるくらいです。

 そして、さらに本判決は、
 なお,本件書籍の英語版では「『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される。」(247,248頁)との一文が削除されていることは前提となる事実のとおりであるが,この一文がなくとも以上述べた判断は変わらない。
としています。
 さらに本判決は、
 被告らは,ある記述が名誉毀損となるのは摘示した事実そのものが他者の名誉を毀損する内容を有する場合である等と主張するが,そのような主張が採用できないことは1において述べたとおりであり,この点に関するその余の主張も,上記説示に照らし採用できない。
と、東中野らの主張を斥けています。

 さて、前述のように、事実の摘示による名誉毀損については、

(1)事実の公共性
(2)目的の公益性
(3)摘示された事実が真実である(真実性)

の3つの要件を満たせば、違法性がなくなります(判例・通説)。
 そこで本判決は、本件記述が違法性を欠くか否かの検討に入ります。
 先ず、(1)の事実の公共性については夏さんの側も認めているので当事者間に争いがないし、(2)の目的の公益性も認められるとします。元々、この(1)事実の公共性と(2)目的の公益性の認定は緩やかですので、実質的に問題になるのは(3)真実性の要件、即ち、当該摘示事実が真実であるか否か(真実だとの証明があるか)になります。
 本判決は、
 前示のとおり,本件記述は「原告が『8歳の少女』ではないのに『8歳の少女』として虚偽の証言をしている」との事実を摘示するものと解されるところ,仮に原告が「8歳の少女」でなければ,生き残った「8歳の少女」としての原告の証言は必然的に虚偽ということになるから,真実性の証明の対象は「原告が『8歳の少女』ではない」という事実である。
とした上で、
 そこで,上記事実の真実性について以下検討する。
と、「原告(夏さん)が『8歳の少女』ではない」というのが真実だとの証明があるのかについての検討に入ります。
 これについて本判決は、
イ フィルム解説文から「原告は『8歳の少女ではない」との事実が認められるか
(ア) 前記2(1)で示した本件書籍の記述によると,被告東中野は,フィルム解説文を
「・・それから,兵士たちはもう1人の (10) 7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した。(中略) (13) その8歳の少女 the 8-year old gir1 は傷を負った後,母の死体のある隣の部屋に這って行った。・・」
と翻訳し,ここに登場する「シア夫婦の『7,8歳になる妹』」と「その8歳の少女」とは別人であることを前提にした上で,i) 「8歳の少女」がシア夫婦の子であったと仮定すると「7,8歳になる妹」は「8歳の少女」の双子の姉妹か7歳の妹のいずれかとなる,ii) いずれであるかは「8歳の少女」や「シアさんの弟(または兄)」に確認したときに当然判明するはずなのに「7,8歳」として7歳か8歳か分からなかった,iii) ということは上記仮説が誤っていると考えるのが自然である,iv) したがって「8歳の少女」はシア夫婦の子ではなくその姓もシアではない,との論理を展開している。
(イ) 被告東中野の年齢を重視した上記の論理展開の妥当性・合理性はひとまず措くとして,その論理の前提となる「シア夫婦の7,8歳になる妹」と「8歳の少女」が別人であるとの理解は,「7,8歳になる妹」は「突き殺」され死亡したとの理解に基づくものと推認される。
しかし,上記翻訳部分に該当するフィルム解説文の原文(英語)は,
「The soldiers then bayonetted another sister of between 7-8, who was also in the room. (中略) After being wounded the 8-year old girl crawlded to the next room where lay the body of her mother. 」
であるところ(甲3の1),「資料 ドイツ外交官の見た南京事件」(平成13年3月19日発行。甲3の2)では,石田勇治によるこの部分の翻訳は,
「さらに兵士たちは,部屋にいたもう一人の7,8歳になる妹を銃剣で刺した。(中略)傷を負った8歳の少女は,母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。」
とされており,「7,8歳になる妹」は銃剣で刺されたとされているが,殺されたとまではされていない。そして,わが国で一般に市販されている英和辞典によると,原文にある bayonet の単語は「(銃剣で)突き殺す」という意味のみならず「銃剣で刺す」という意味にも用いられているから,石田のような翻訳も十分に可能である。
(ウ) そうすると,フィルム解説文から「7,8歳になる妹」が殺害され死亡したと一義的に理解することはできず,マギーが「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」を別人として記録したともいえないから,フィルム解説文の記載内容から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実は立証されない。
ウ マギーの日記から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実が認められるか
(ア) 甲53,乙13,35によれば,マギーフィルムが発見された1991年(平成3年)7月の直後,マギーが昭和12年12月12日から昭和13年2月初旬までに書き綴った日記が発見され,ノンフィクション作家の滝谷二郎は,これを資料とした著作「目撃者の南京事件 発見されたマギー牧師の日記」(平成4年12月1日発行)を出版したこと,この著作においてマギーの昭和13年1月30日の日記として次の記述があり,ここでは「8歳の少女」は家主マーの娘とされていることが認められる。
「12月13日。南京市内の南東にある新街口五番地にある家に,日本兵30人が押しかけました。(中略)家主マーの8歳になる娘は重症を負いましたが,母親の死体に隠れて助かりました。」
(イ) しかしながら,甲31の1,2によれば,現在マギーの日記として公刊されている英語の文献には,助かった8歳の娘について「 The eight year old girl 」とあるのみで,同女が家主マーの娘であることを示す記述は存しないことが認められる。またこの英語の文献がマギーの日記を正確に紹介したものであるとすると,滝谷二郎が上記「目撃者の南京事件」で紹介した日記の内容と相当程度異なっているが(乙13の85〜86頁と甲31の2の327〜328頁),本件において「目撃者の南京事件」で引用されているマギーの日記に該当する原文の資料は証拠として提出されていない。
(ウ) したがって,マギーがその日記で「8歳の少女」を家主マーの娘と記述した事実は証拠上認められず,したがって,マギーの日記から「原告は『8歳の少女』ではない」との事実を認めることはできない。
工 原告の年齢から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実が認められるか
(ア)  被告らは,原告が自称するように1929年5月5日生まれであるなら新路口事件当時は中国式年齢(数え年)で9歳であったから,フィルム解説文の「7,8歳になる妹」でも「8歳の少女」でもないとして,原告が「8歳の少女」ではないと主張する。
(イ) しかし,甲46の1,2によると,マギーは,新路口事件の現場をフィルムで撮影したときから約2か月後の1938年(昭和13年)4月2日,ニューヨークのマッキム牧師に宛てた書簡の中で,新路口事件に言及して,
「それに一度,わたしがある家に行きましたら,そこでは11人殺されていて,男の人3人のほかは,みんな婦女と子供で,そのうちの一人は76歳のおじいさんでした。子供では一人が1歳にも満たない赤ちゃんだったのを覚えています。5歳(中国の数え年)【原文は「a children of five (Chinese count)」】の幼い子一人だけが助かり,9歳の女の子が銃剣で背中と脇とを刺されたのですが,なんとか快復しました。【原文は「a girl of nine was bayoneted (*3) in the back and side but recovered 」】(以下略)」
等と記載してフィルム解説文と同様の被害状況を伝え,また同じ書簡の別の箇所では,
「16歳(中国式数え方による数え年で実際には14〜15歳)」
 【原文は「a boy of 16 (Chinese reckoning or 14-15 years old )」】
という表現もしていることが認められる。
(ウ) 上記事実によると,マギーは,フィルム解説文を書いたと思われる時期からさほど離れていない時期に,新路口事件で生き残った年長の少女の年齢について,中国式数え方で「9歳」と認識していたことが推認される。そして,マギーは,当時の中国では年齢をいわゆる数え年で表記していたこと及び満年齢ではその数え年の年齢より1,2歳低くなることを理解していたと認められるから,中国式数え方で9歳(a girl of nine)と説明した少女の満年齢を「7-8」歳と推定し,フィルム解説文では,これを「8歳の少女」(the 8-year old gir1 )と表現したことも十分に考えられるところであり,上記書簡の記述とフィルム解説文の記述からすると,むしろそのように理解するのが合理的というべきである。
(エ) したがって,原告の年齢から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実を認めることはできない。
オ 以上のとおり,被告らの主張は採用できず,その他「原告は『8歳の少女』ではない」との事実を認めるに足りる証拠はないから,結局真実性の証明はない。
と判断して、
 以上のとおり,本件記述が摘示した事実について真実性が証明されない以上,本件記述が違法性を欠くということはできず,違法性に関するその他の主張も採用できない。
としました。

 さて、名誉毀損等の裁判で被告が真実性の証明に失敗すれば全て不法行為成立となったのでは表現の自由や一般市民の知る権利が損なわれます。根拠があってそう書いたのなら、その適否は自由な言論によって解決すべきであり、法が介入すべきではないと考えられます。けれども、人の名誉や人格権も基本的人権であり、保護されなければなりません。
 そこで前述したように、真実と信ずるについて相当な理由がある場合(当該表現に相当性がある場合)は故意・過失が欠けるので、結局、不法行為責任は成立しないとなるとされます(判例・通説)。それによって、表現の自由と名誉・人格権保護の調和を図っているのです。
 要するに、きちんとした根拠があって書いたのなら良いけれど、いい加減な根拠で書いたのだったら駄目だよ、ということです。

 これについて本判決は、
被告らは,「原告は『8歳の少女』ではない」という事実が真実であると信ずるのが相当とする根拠として, (1) 最も早い時期の最も詳細な原資料に依拠し論理的に妥当な解釈を行った結論として上記事実が導かれた旨,,(2) 本件書籍が発行された当時「8歳の少女」は原告ではないと解釈されていた旨を主張するので,この点について検討を加える。
と、東中野の記述が相当な根拠に基づくものか否かの検討に入り、
(2) 原資料の解釈として妥当な結論か
ア 本件記述の論理展開についてはこれまで述べたとおりであり,被告東中野は,フィルム解説文を自ら翻訳した上で,「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」は別人であることを前提として,「『8歳の少女』がシア家の娘であると仮定すると,双子の妹又は1歳年下の妹であるはずの『7,8歳になる妹』の年齢が7歳であるか8歳であるかが分からないのは不自然であるから,『8歳の少女』はシア家の娘ではない。」との結論に至った。
 しかし,この論理展開の前提となる「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」とが別人であるとの事実は,フィルム解説文の解釈から当然に導き出されるものではなく,原文にある「bayonetted」の単語を「突き殺した」と解釈するか,単に「銃剣で刺した」と解釈するかの違いによって結論は異なるから,二義的な解釈が可能であることも先に示したとおりである。
イ  しかるところ,原文の「bayonetted」を「突き殺した」と解釈すると(必然的に殺された「7,8歳になる妹」と生き延びた「8歳の少女」は別人ということになる。),フィルム解説文全体に明らかな不自然さが生じる。すなわち,この部分とそれに続く部分の被告東中野の翻訳は, 「それから,兵士たちはもう1人の (10) 7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した。同じくその部屋にいたからである。
この家の最後の殺人は (11) 4歳と (12) 2歳になるマアの2人の子供children(筆者註・性別不明)の殺人であった。上の子は銃剣で突き殺され,下の子は刀で真二つに斬られた。
(13) その8歳の少女 the 8-year old gir1 は傷を負った後,母の死体のある隣の部屋に這って行った。無傷で逃げおおせた (14) 4歳の妹 her 4-year old sisterと一緒に,この子はここに
14日間居残った。この2人の子供はふかした米を食べて生きた。」
であるが,それ以前には全く登場していない「8歳の少女」がいきなり「the」の定冠詞とともに「傷を負った」状態で登場し,この「8歳の少女」がどこの誰であるか,どのようにして傷を負ったのかについては,その後の記述にも一切現れていない。マギーがフィルム解説文を残した理由が当時発生した事件の記録にあったと認められることからすると,これは極めて不自然である。
 他方,「bayonetted」を「銃剣で刺した」と解釈すれば,,(13) の8歳の少女の身元も傷を負った状況も素直に理解されるのであり,上記の不自然さは解消される。のみならず,登場する人数も2家族13人となり,事例219と合致して,被告東中野が第9の疑問点の冒頭に掲げた家族の総数に関する疑問(前記2(1)ウ)も同時に解消する。そして,マギーが「7,8歳になる妹」をその後では「8歳の少女」と呼んだと解するのはそれほど不自然なことではなく,少なくとも「bayonetted」を突き殺したと解釈するよりは明らかに合理的である。
 通常の研究者であれぱ「突き殺した」と解釈したことから生じる上記不自然・不都合さを認識し,その不自然さの原因を探求すべくそれまでの解釈過程を再検討して,当然に「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」が同一人である可能性に思い至るはずである。
ウ さらに,前記2(1)ウで述べたとおり,被告東中野は,唯一の生存者と主張する2人の子ども,具体的には「『8歳の少女』とその妹(4歳)は,いったい誰の子どもなのであろうか」との問題を提起し,自己の推論を重ねた結果,「8歳の少女」はシア夫掃の子でもマア夫婦の子でもなかったとの結論に至っているところ,そうすると「母の死体のある隣の部屋に這って行った」とある「母」はシアの妻でもマアの妻でもないことになるが被告東中野はこの「母」に人数を示す固有の番号を付しておらず,この「母」はシアの妻かマアの妻のいずれかと理解している。これは明らかに矛盾であり,論理に破綻を来しているというほかはない。
 通常の研究者であれぱこの矛盾を認識し,そこに至る推論の過程のいずれに誤りがあるかを検証し,結局はイで述べたと同様の可能性に思い至るはずであるが,被告東中野は,上記の矛盾点には一切言及していない。
エ 以上述べた2点だけからしても,被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く,学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。
(3) 当時「8歳の少女」が原告ではないとの理解が一般的であったか
ア 甲16,乙8,9によると,本件書籍が発行された当時存在した本多勝一の「貧困なる精神G集」(平成3年9月25日発行)は,フィルム解説文の原文「The soldiers then bayonetted another sister of between 7-8, who was also in the room. 」の部分を「同じ部屋にもうひとり7,8歳の妹がいたが,これも刺殺された。」(110頁)と訳して紹介し,笠原十九司も「南京難民区の百日」で上記書籍を引用し,「殺害されたのは・・彼らの7,8歳の女の子である。」(255頁)と記述していることが認められる(もっとも,本多勝一は,上記記述に関し「この『シア』一家は,拙著『南京への道』に出てくる夏淑琴さんの場合の可能性もあるかもしれない。」と注記している。)。
イ しかしながら,上記事実のみからは,当時「8歳の少女」が原告ではないとの理解が一般的であったとも,またフィルム解説文の「7,8歳になる妹」は(銃剣で)突き殺されたとの理解が一般的であったともいえないし,そもそも,被告東中野は,資料主義に立脚して原文に当たり,これを自ら翻訳したというのであるから,著名とはいえあくまでジャーナリストの立場で著された上記書籍の訳文が上記のとおりであったからといって,これに依拠することが相当性を肯定する理由とはならない。
と認定しました。
 つまりマギー・フィルムの解説文原文の「bayonetted」には「突き殺した」と単に「銃剣で刺した」との2通りの解釈がありえ、東中野は「突き殺した」と解釈し、そのことで「8歳の少女」は原告(夏さん)とは別人だと判断したというのですが、「bayonetted」を「突き殺した」と解釈することはフィルム解説文全体から考えて明らかに不合理であり、「銃剣で刺した」と解釈することの方に合理性があると本判決は認定しました。
 さらに、「8歳の少女」はシア夫掃の子でもマア夫婦の子でもなかったと東中野が結論しているはずなのに「母の死体のある隣の部屋に這って行った」とある「母」をシアの妻かマアの妻のいずれかと理解しており、これは明らかな矛盾で、論理破綻に他ならないと認定しています。

 そして、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く,学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。」と認定し、
 以上のとおり、相当性に関する被告らの主張は採用できない。
と、東中野らの相当性の抗弁を斥けました。

 さて、これで名誉毀損と名誉感情侵害の不法行為成立を妨げるものは何もないことになりました。
 そこで本判決は、損害額等の検討に進み、
(1) 損害額
ア 原告がいわゆる南京事件の生存被害者としてマスメディアにも登場し,中国及び日本ではそのような人物として広く知られていること,原告自身,南京事件の生き証人として自らの両親及び姉妹3人を一時に日本兵に殺害された体験を語り続けていることは,前提となる事実のとおりである。本件記述は,そのような原告について,一般読者に「原告(夏淑琴)は南京事件(新路口事件)の生存被害者(「8歳の少女」)ではないのに生存被害者として虚偽の証言をしている」との事実を強く印象づけるものであり,原告の名誉を著しく毀損し原告の名誉感情をも薯しく傷つけるものであって,これにより,原告が多大な精神的苦痛を受けたことは容易に想像し得るところである。
 とりわけ,本件書籍が5刷まで増刷を重ね(甲)によると,5刷が発行されたのは被告らが債務不存在確認の本訴を提起した後の平成17年6月9日である。),しかも繁体字中国語版や英語版の翻訳版も出版され,日本以外の読者に対しても頒布されていることを考慮すると,原告が受けた精神的損害は決して軽視できるものではない。
イ しかし他方,本件書籍それ自体は,その内容に対する評価はともかく,一応は南京事件の史料に基づく検証の結果を世に伝えることを意図するものと認められる。そして,書名や帯,はしがきやあとがきの中に原告を指し示す記述や文言はなく,本件書籍中の原告に関する記述は,380頁からなる本文のうち240頁から251頁にかけての部分に限られている。
 また,本件記述は,一般大衆の目に触れる新聞,雑誌等の媒体に掲載されたものではないし,本件書籍は,その内容からして,読者層が一定の範囲に限定されるものと推認され,客観的に見ればその影響力はさほど重大なものとは考えられない。
 したがって,本件書籍は,一定範囲の読者ないしその周辺の人々の目に触れる限度で原告の社会的評価を低下させ,あるいは今後低下させるおそれもあるが,多くの国民の間において原告の社会的評価を相当程度に低下させたとまでは認めることはできないし,今後,そのような具体的危険が生ずるとも認められない。
ウ 以上の諸般の事情を総合考慮すると,本件書籍を執筆し発行した被告らの共同不法行為により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料としては300万円をもって,英語版及び中国語版の発行によりさらに拡大されたと認められる原告の精神的苦痛に対する慰謝料としては50万円をもって,それぞれ相当と考える。
 また,弁護士費用については,上記慰謝料額及び本件訴訟の提起遂行の経過を考慮し,50万円の限度で被告らの不法行為と相当因果関係のある損害と認める。
(2) 謝罪広告
謝罪広告は,その性質上,その必要性が特に高い場合に限って命ずるのが相当であるところ,(1)イにおいて述べた事情を勘案すると,原告の受けた損害は前記の慰謝料の支払によって慰謝されるものと考えられ,その必要性は認められない。
と認定しました。 
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[4962]東中野らが控訴しました
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 指環 E-MAIL  - 07/11/19(月) 18:35 -

引用なし
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   東中野と展転社がともに控訴したとのことです。また、東中野らの代理人の弁護士が1人増えたそうです。

ということで、控訴審でもいっそうのご支援をお願いします!
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[5350]Re(1):東中野らが控訴しました
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 指環 E-MAIL  - 08/3/11(火) 15:05 -

引用なし
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   夏淑琴さん名誉毀損訴訟控訴審の第1回口頭弁論期日が決まりました。

3月17日(月)午後1時15分開廷
東京高裁824号法廷

午後12時40分に東京高裁正門玄関2番交付所で傍聴券が交付されます。
傍聴希望の場合は、必ず午後12時40分までに傍聴券交付所に来て並んでください。

また、1回結審の可能性が高いので、この日が事実審の最後の口頭弁論ということになるかも知れません。
つまり、夏淑琴さんの東中野修道らに対する裁判の審理を直接見ることのできる最後の機会ということになりそうです。これを見逃すと、もう後がありません。

※前に「開廷30分前に裁判所前の傍聴券交付所に並ぶ必要があります。」と投稿しましたが、傍聴券交付が開廷35分前の午後12時40分になりましたので、前の投稿をいったん削除の上、再投稿いたします。
東京高裁の傍聴券交付情報はこちら。↓
http://www.courts.go.jp/search/jbsp0010?crtName=6
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