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[5269]魚雷営も65連隊 核心 08/1/19(土) 3:34
[5337]さすがの揚子江も真っ赤になった(II) 核心 08/3/6(木) 8:15
[5338]Re(1):さすがの揚子江も真っ赤になった(II) 熊猫 08/3/6(木) 8:47
[5339]小俣氏の本を読み足す予定です。 核心 08/3/6(木) 13:49

[5269]魚雷営も65連隊
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 核心 E-MAIL  - 08/1/19(土) 3:34 -

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   既にお気づきの方もいると思いますが。

以前、「南京大虐殺研究札記」に父(栗原利一)の幕府山の話が掲載されていることは指摘したとおりです。
その中で魚雷営の一日目に父も加わって中国兵捕虜の首を切りまくっていた、という話(私が小学三年生の時に父から聞いていた話で、近年、幕府山の話と間違えていて、父に確認したときに「ああ、その話は別の話だ。」との返答を得ていた話)をした時に、熊猫さんから矛盾しないか、との指摘があったのですが。
その時に中国側の本にも同じような記述があったのは覚えていたのですが、書名が思い出せませんでした。
他のスレッドで「証言・南京大虐殺」(青木書店)の指摘があったので、思い出すことが出来ました。
この中の魚雷営の話と「南京大虐殺研究札記」の魚雷営の話は同一で、父はその一日目の虐殺(というか処分)に加わっています。

そのように考えると「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」の記述で2万人強の捕虜数とも一致してきます。
父は幕府山は13500人と言っているだけなのです。

基本的には、65連隊の二箇所の合わせて2万人強の虐殺(処分)は両角業作氏の指示なり、責任で実行されたものと思われます。

65連隊の初代在京残桜会会長が服部卓四郎氏であることを考えると、65連隊関係者が阿部輝郎氏の著作により、虚偽証言を捏造しまくった事情も理解できます。
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[5337]さすがの揚子江も真っ赤になっ...
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 核心 E-MAIL  - 08/3/6(木) 8:15 -

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   「南京大虐殺研究札記」の小俣行男氏の記事の元本の「侵掠」(1982年、現代史出版会、徳間書店)を読んだところです。

この方は父より1歳年下の読売新聞の従軍記者です。
基本的に全く嘘や誇張の無い記述だと思います。
前半の支那事変での従軍体験の話は連隊本部や大隊本部の位置関係や設営状況などが分かり、とても参考になりました。

南京大虐殺については以下のような記述です。
私はこれ以外に父から聞かされた中国兵捕虜の斬首行為に適合する記述を知りません。

南京大虐殺

”上海支局に着いたその夜、二人の連絡員が南京から帰って来た。現地採用の武田と畦崎だった。側車をつけたオートバイを飛ばせてきたので...

「寒いの、なんのって−」。
頬がこわばって口がきけないほどだった。二人とも南京陥落(昭和12年12月13日)後はじめての帰還だった。ちょうど一ヶ月目である。...

捕虜も全部で10万人くらいいるらしい。最初に入城した部隊が、「この捕虜をどうするか」と軍司令部に聞いたら、「適当に処分しろ」という話だった。...

そこで、揚子江岸の下関へ、捕虜を連れていって首を切った。最初の列の処刑が終わると、次の列を前進させて、死体を前に投げ込ませて、それから前と同じように一列にならべて処刑した。こうして朝から晩まで、つぎつぎに首をはねたが、一日に二千人しか斬れなかったという。...

二日目には手が疲れてきたので、機関銃をかつぎ出した。河岸に向って一列に並ばせて、ドドドドッと、重機関銃の引き金を引いた。捕虜たちはいっせいに河に向って逃げ出したが、岸までたどりついたものは一人もいなかったという。...

揚子江には中国兵の死体がいっぱい浮き、河の水は真っ赤で正視できぬ惨状だった、という。...”

私が小学三年生の時に、父が話した身振りは以下のようなものでした。
父は坐ったままで刀を(実際の刀は持たずに)思いっきり上から振り下ろす動作を数回繰返した後で「さすがの揚子江も真っ赤になった。」といって高笑いしていました。

父は首を斬ることをもっぱら担当していたのだと思います。
父は当時26歳で剣道三段でした。

「岸までたどりついたものは一人もいなかった」ので65連隊の一方の処分(=虐殺)現場の死体の山となったのです。
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[5338]Re(1):さすがの揚子江も真っ赤...
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 熊猫 E-MAIL  - 08/3/6(木) 8:47 -

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    小俣行男氏の記事は65連隊とは無関係のものだと思います。利一氏は階級からして軍刀の類は所持していなかったでしょうが、同じ階級の公家裕氏(65連隊通信兵)が幕府山の捕虜の首を斬っていますので、剣道の達人であった利一氏が斬っていても不思議ではありません。むしろ自慢の剣道の腕を披露したはずです。
 但しそれらは幕府山事件(魚雷営2回+大湾子1回)とは別の出来事だと思います。また利一氏のスケッチブックからは、魚雷営(参加したとしたら16日)の捕虜殺害を確認することができません。17日の大湾子での出来事を詳しく記録した利一氏が、16日の魚雷営での捕虜殺害を隠していたとは思えません。
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[5339]小俣氏の本を読み足す予定です...
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 核心 E-MAIL  - 08/3/6(木) 13:49 -

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   小俣氏の本は客観的で正確な記述だと思われますので読み足してみる予定です。
お分かりかと思いますが、父一人では「さすがの揚子江が真っ赤」になるほど中国兵は斬れませんから。
小俣氏の本には山田旅団長の話も含まれていますので、65連隊の話がなんらかの形で読売新聞の連絡員の耳に入ったものと考えています。

私はこの時に父と一緒に中国兵の処分に加わっていた人は当時、31歳で剣道5段だった角田栄一中尉だと考えています。
彼の「南京大虐殺のまぼろし」における言動とも符号します。

これもご承知かと思いますが、私は65連隊の戦友会会長、終戦時元少佐、戦友会名簿編集責任者、慰霊祭委員長で板倉由明氏や阿部輝郎氏の友人であった平林貞治氏の証言は史実としての考慮の対象にはしていません。
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