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長勇の墓にはオリンピック選手の許斐氏利(こうのうじとし)が慰霊塔を建てています。長勇と許斐氏利と非常に親しかったのは、あまり話題にならないのは何故でしょうか?南京事件当時は許斐氏利が長勇の手足として裏の仕事をやってたはずなのですが、なかなかその実態がつかめません。
慰霊塔
日本軍終焉の地 宿命の沖縄島 南海の孤島で日本民族を守る為に血を流し骨を砕き怨みをのんで散って逝かれた将兵とこの島の老若男女無辜の子供達の悲惨な姿を想う時平和に生き残った吾々日本人の悉くが哀悼断腸の念にたえないのであります。 更に悲しい現實は戦後十余年を経た今日未だに祖国への復帰も許されずこの島に眠る痛ましい聖霊に親しく香華を手向けるの自由も自由も与えられないのであります 故に遙かにこの地から深い深いお詫びと冥福を祈る真心をもってささやかな慰霊塔を建てさせて戴きました 昭和三十二年五月 長閣下十三回忌に当って 施主 許斐氏利 飯沼に女郎屋をつくるように命令された長勇の手足だった、許斐氏利が日本で最初のソープランドをつくったのは運命のようなものを感じてしまいます。 許斐氏利は精神右翼というよりは経済右翼というイメージがありましたが、長勇の慰霊塔を建てるとは義理堅い一面もあったのですね。
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