留意事項 リ ン ク
メンバー登録 T O P
思考錯誤の全投稿をメール配信して欲しい方、クリックして空メールを送信 管理からのお知らせ 思考錯誤ヘルプ
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃設定 ┃お蔵入り ┃旧思考錯誤 ┃南京事件資料集  
103 / 645 ツリー ←次へ | 前へ→

[5570]ご意見を下さい sibelius 08/7/19(土) 19:24
[5571]虐殺をみていない、という証言について。 とほほ 08/7/19(土) 20:14
[5577]アメリカンジョーク 岡田 08/7/20(日) 23:20
[5578]Re(1):アメリカンジョーク とほほ 08/7/21(月) 4:14
[5572]Re(1):ご意見を下さい ピッポ 08/7/19(土) 21:17
[5573]Re(1):ご意見を下さい ゆう 08/7/20(日) 7:17
[5588]Re(1):ご意見を下さい タラリ 08/7/24(木) 9:53

[5570]ご意見を下さい
←back ↑menu ↑top forward→
 sibelius E-MAIL  - 08/7/19(土) 19:24 -

引用なし
パスワード
   初めて投稿させて頂きます。
私は戦後世代で、戦後教育をしっかり受けて育っております。ですから、この欄を読まれている多くのまじめな方々と同様に、戦時中に日本の犯した罪を2度と繰り返すべきでないと肝に銘じております。
しかしながら、その多くの方々と恐らく異なる点が一点ございます。
それは、私の亡くなった父親(軍人ではありません)が、いわゆる南京攻略直後と、それから暫く後の時期に南京市内に滞在し、大虐殺があったとされる時期に実際に市内の様子を見ているのです。その証言の内容は、市内を歩き回っても死体など一つも見かけなかったというものです。但し、塹壕の中の戦死した数百人の中国兵の死体は見ているそうです。
くそ真面目な私の父親が、この件について嘘を付いているとはどうしても思えません。
この欄を読まれているまじめな方々に、是非ともお願いしたいのは、大虐殺があったという前提で、上記の証言と矛盾しない説明を頂きたいのです。
日本の犯した罪の真実に迫りたいと願う方からのこの欄へのお返事が頂ければ幸いです。 
404 hits

[5571]虐殺をみていない、という証言...
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 08/7/19(土) 20:14 -

引用なし
パスワード
   ▼sibeliusさん:
>初めて投稿させて頂きます。

こんにちは。
特に矛盾はないと思いますよ。南京陥落時に市内にいて「虐殺など見ていない」と証言している軍人は大勢います。楠本正巳氏などは代表的でしょう。
まず、見ていない人がいることと、虐殺が起きたこと、は同時に成立しえますし矛盾はしていません。見ていない人もいるが、虐殺があったことは確かだ。と言うことです。

もう一つ考えられるのが、当時の兵士の認識が、虐殺を虐殺として認識していない、と言うことです。塹壕の中になぜ数百名の中国兵の遺体があるのでしょうか?
341 hits

[5572]Re(1):ご意見を下さい
←back ↑menu ↑top forward→
 ピッポ  - 08/7/19(土) 21:17 -

引用なし
パスワード
   ▼sibeliusさん:
はじめましてピッポと申します。

>それは、私の亡くなった父親(軍人ではありません)が、いわゆる南京攻略直後と、それから暫く後の時期に南京市内に滞在し、大虐殺があったとされる時期に実際に市内の様子を見ているのです。その証言の内容は、市内を歩き回っても死体など一つも見かけなかったというものです。但し、塹壕の中の戦死した数百人の中国兵の死体は見ているそうです。
>くそ真面目な私の父親が、この件について嘘を付いているとはどうしても思えません。

失礼ですが父上はどのようなお仕事で南京に入市なさったのでしょうか。いつからいつまで南京のどこにいらっしゃったのでしょうか。詳しくお聞かせくだされば幸いです。
どのような年齢のどのような御立場の行動だったのかが分かれば、父上のお話も立派な証言になると思います。
341 hits

[5573]Re(1):ご意見を下さい
←back ↑menu ↑top forward→
 ゆう WEB  - 08/7/20(日) 7:17 -

引用なし
パスワード
   そのうち「なかったという証言」なるコンテンツ立上げを構想しているのですが、あっちこっちに目移りして、なかなか取り組むことができません(^^;


まずよく誤解されるのですが、「南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。

「なかった」と証言する方は、そのような誤ったイメージを持ち、そのイメージに対して、おかしい、そんなはずはない、と思っているのかもしれません。


例えば前田雄二証言など、その典型例。「南京大虐殺はなかった」というタイトルなのですが、おいおい、あなたの見たものを世間では「南京大虐殺」と言うんだよ、と突っ込みたくなる事例のオンパレードです。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/maeda.html


実際の「南京事件」の概要は、こんな感じでした。拙コンテンツ、「南京事件 初歩の初歩」です。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html

ご覧の通り、「南京に行けば必ず「虐殺場面」を見ることができる、というものではありません。例えば「幕府山事件」「安全区掃蕩」「捕虜集団殺害」を、お父様が目撃するチャンスがあったのでしょうか?

南京攻略「直後」というのがいつだかわかりませんが、陥落当日と翌日あたりであればともかく、数日後には、民間人が目の前で「集団殺害」を目撃することはほとんどなかったでしょう。

この時期以降の殺害は、「下関」なり「漢口門外」なり、南京城外、それもかなりピンポイントで行なわれています。これらの虐殺についての軍人以外の目撃談を、私は知りません。


運がよければ(というとちょっと語弊がありますが)、目の前で捕虜なり民間人なりが虐殺される現場を見ることができたかもしれません。

例えば佐々木元勝郵便局長など、1件の捕虜(敗残兵)殺害、1件の民間人殺害を目撃しています。逆に言えば、軍人ではない普通の民間人にとって、この程度しか「直接目撃」のチャンスはなかった、ということであると考えられます。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/yasenyuubinki.html


ただし佐々木元勝は、「虐殺現場の直接目撃」以外に、「馬群の捕虜殺害」「下関の捕虜殺害」の情報を得、また、「下関の集団死体」、その他各所で死体を目撃しています。この時期に南京に入った方でしたら、「直接目撃」はできないまでも、この程度の情報は入手できたのでしょう。

多くの証言は、佐々木証言のような常識的な範囲にとどまるものです。しかし中には、「全く何も聞かなかった。死体も全然(ほどんど)見なかった」と証言する方もいます。

これらの方が本当のことを語っているのか、それとも記憶が薄れているのか、あるいは「誇張」した証言をしているのか、私にはわかりません。

最初であれば、現地でろくなコミュニケーションの機会を持たなかったということでしょうし、最後であれば、「南京虐殺」を否定してみせたい気持ちが強すぎた、ということであると思います。


さて、お父様の話に戻りましょう。

>いわゆる南京攻略直後と、それから暫く後の時期に南京市内に滞在し、大虐殺があったとされる時期に実際に市内の様子を見ているのです。その証言の内容は、市内を歩き回っても死体など一つも見かけなかったというものです。但し、塹壕の中の戦死した数百人の中国兵の死体は見ているそうです。

「死体など一つも見かけなかった」というのは、誇張であろうと思います(ひょっとしたら、「ほとんど」見かけなかったとおっしゃっていませんでしたか?)。

「直後」でしたら、各城門の死体はまだ十分に片付けを終わっていなかったでしょうし、少なくとも「ゆう江門」なり、あるいは多くの目撃談がある「下関周辺」まで赴けば、大量の死体を目撃することはできたはずです。

少なくとも、各種埋葬団体がそれから何ヶ月もかけて何万という死体を埋葬しているわけで、この時期に「死体が全然なかった」なんてことはありえません。

城内の狭い範囲を動き回っているだけでしたら、「ほとんど」死体を目撃しなかった、ということもありえないことではないと思いますが・・・。


参考までに、こんな事例があります。

軍法務官を務めた小川関治郎という方がいます。
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/ogawasekijirou.html

この方、東京裁判では、死体などほとんど見なかった、と証言しました。

>自分は十二月十四日正午頃、南京に入り、午後、第十軍の警備地区(南京の南部)の一部を巡視した。其の時、中国兵の戦屍体を六、七人見た丈で、他に屍体は見なかつた。

ところが「陣中日記」12月14日の項には、大量の死体目撃談が残されているのです。

>門に入れば両側には支那兵の死体累々たるを見る

別に「大量の戦死体を見た」と証言しておけばいいだけの話だったのですが、「否定」したい、という気持ちが強すぎたようです。
413 hits

[5577]アメリカンジョーク
←back ↑menu ↑top forward→
 岡田 E-MAILWEB  - 08/7/20(日) 23:20 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほさん:
>▼sibeliusさん:
>>初めて投稿させて頂きます。
>
>こんにちは。
>特に矛盾はないと思いますよ。南京陥落時に市内にいて「虐殺など見ていない」と証言している軍人は大勢います。楠本正巳氏などは代表的でしょう。
>まず、見ていない人がいることと、虐殺が起きたこと、は同時に成立しえますし矛盾はしていません。

 「見ていなかった人がいる、だから無かったのだと」いうのは理屈になっていません。

 アメリカでは「見ていなかった人がいる、だから無かったのだと」という屁理屈をネタにしたジョークもあります。
 ちょっと、以下のジョークを読んでみて下さい。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 わが辣腕弁護士の家系は、代々弁護士である。彼の曾祖父が田舎で初めて開業したときのことだ。最初の依頼人は、豚を三匹盗んだ廉で裁判にかけられた百姓だった。
 その百姓が豚を盗むところを見た証人が三人もいた。だが、わが辣腕弁護士の曾祖父は、ちっとも怯む気配を見せなかった。彼は裁判官にこう言ったのである。
「わが依頼人が豚を盗むところを見た証人は三人です。しかし、私は依頼人が豚お盗むところを見なかった証人を十二人も用意しています。どうか、このことをよくお考え下さい。三人対十二人ですぞ」
 裁判長はしばらく熟考に沈んだ。
「十二人の人間が見ておらず、三人しか見たものがおらんのだから、本官は被告の釈放を命じる」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 上記は角川文庫の「ポケットジョーク 5巻 ブラックユーモア」という本に載っている小話です。

 sibeliusさんは上記ジョークの何処が滑稽なのか理解できますか?
403 hits

[5578]Re(1):アメリカンジョーク
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 08/7/21(月) 4:14 -

引用なし
パスワード
   ▼岡田さん:
>「わが依頼人が豚を盗むところを見た証人は三人です。しかし、私は依頼人が豚お盗むところを見なかった証人を十二人も用意しています。どうか、このことをよくお考え下さい。三人対十二人ですぞ」

そういうことなのですよね。(^^ゞ
事件を見ていない、聞いていない、と言う証言に意味がないとは言いませんが、【だから事件はなかった】と言う結論は決してでてこないのです。
これはどんな事件でもそうです。だからこそ事件が起こったときには警察は一生懸命「見た人(目撃者)」を探すわけです。見ていない人は圧倒的多数なのですよね。

特に南京虐殺のような事件では「目撃者は殺されている」わけですから、死人にくちなし、と言うことです。

「30万人も虐殺されたのであれば目撃者がいないはずがない」と言う論理は正しいわけで、大勢の目撃者の証言が存在します。が、しかし見ていない人の方が圧倒的に多いのです、なぜなら見た人は殺されているからです。

sibeliusさんが、本当に戦後民主主義を尊重するのであれば、事実認定方法を一生懸命学ばねばならないかもしれません。当時の南京の人口が20万人と言う算定数はどうやって導き出したのですか?
399 hits

[5588]Re(1):ご意見を下さい
←back ↑menu ↑top forward→
 タラリ E-MAIL  - 08/7/24(木) 9:53 -

引用なし
パスワード
   ▼sibeliusさん:
>しかしながら、その多くの方々と恐らく異なる点が一点ございます。
>それは、私の亡くなった父親(軍人ではありません)が、いわゆる南京攻略直後と、それから暫く後の時期に南京市内に滞在し、大虐殺があったとされる時期に実際に市内の様子を見ているのです。その証言の内容は、市内を歩き回っても死体など一つも見かけなかったというものです。

私の母方の祖父は昭和十四、五年のことと思いますが、国鉄から津浦線の鉄道に勤務するため、浦口(南京対岸の街で南京市内)に赴任して、母もついていったのですが、死体などは見ていませんし、虐殺の痕跡もまったく見ていないと言っています。

父上がいったいいつ、入市されたのかわかりませんが、城内の死体の片付けは十三年の三月まででほとんど終わっているので時期によっては死体を見ていない人も多数あるでしょう。

広島原爆の後かたづけは暁部隊がしたのですが、二日以内に市内の死体は全部片付けています。予備知識なしに三日後に市内に入ったものがいたとしたら、灰燼に帰した市街は目にしても、いったい何人が死亡したかは想像がつかなかっただろうと思います。そういうものです。


>但し、塹壕の中の戦死した数百人の中国兵の死体は見ているそうです。

ところで、「塹壕の中の戦死した数百人の中国兵の死体」というのは、どういう状況か、よくよく考えてみなければならないでしょう。父上は戦闘場面を見たのではありませんから、塹壕の中にある死体を見て「戦死」と判断されたわけですね。しかし、総崩れ状態になった南京戦において、数百人の兵士が逃げもせず、投降もせず、最後まで塹壕の中に止まって壮烈な最期を遂げたのでしょうか。私には到底そうだとは思えませんね。
358 hits

103 / 645 ツリー ←次へ | 前へ→
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃設定 ┃お蔵入り ┃旧思考錯誤 ┃南京事件資料集  
ページ:  ┃  記事番号:   
314567
(SS)C-BOARD v3.8(とほほ改ver2.2) is Free
タブブラウザ Sleipnir 公式ページ(上級者向け) [AD-SIZE] Get opera goo RSSリーダー
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送