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実を言いますとこの3つ目のコンテンツ、夏休みを利用して、資料のないところで書いていたのですね。 http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen3.html
ところが、帰宅して板倉氏の「本当はこうだった南京事件」を確認したところ、こんな記述に気がついてしまったのです。
ここで、たった七名で捕虜五百を得た第十六師団通信隊の堀曹長の手記を『想出集』(込山繁上等兵編、戦前の手記集と思われる)から抜粋引用してみたい。
紫金山から太平門めざし降りだすと、各所に敗残兵と遭遇し、一緒に行動する予定だった野田部隊(歩三三)の十四、五名は危険を感じて引き返してしまう。残る通信隊の一コ分隊七名は、いやがる苦力(六名)を督励してさらに進んで、紫金山頂北西二キロの地点で白旗を掲げた一団の敗残兵と遭遇する。さらに後方から一団また一団と続々と続く状況から、師団本部にこの状況を通信するとともに、全員を武装解除し、その場に座らせて命令をまつことにした。捕虜の数は五百を越えている。
「直ちに救援隊を送るから、その位置におれ」とのことで、夕方まで待ったが救援隊は到着しない。捕虜は動揺し始め、必死に静めることに努力したが、日本兵にも恐怖感が漂いだした。
やむなく伝令を太平門に走らせ、増援を依頼したが、門の守備兵力(第六中隊)は僅少(二百名以下か)で、守備の中隊長からは「君等が此所迄引張ってくれば引受ける」とのこと。鹵獲した武器弾薬は後に残し、兵三名が手真似足真似で捕虜を引き連れ、残りが警戒と通信機材を担ぐ苦力を監督しつつ歩き、やっと守備隊長に引き渡したという。
堀曹長は、この約一時間後、この敗敵は数発の手榴弾を投げ、警備兵に損害を与え、約二百名は遁走した、と記す。これが「太平門一千三百」の真相か否かはここで断定できないが、少数の兵士が数倍の捕虜を監視するその困難さ、恐ろしさ、危険性などが実感をもって如実に証言されている。(「本当はこうだった南京事件」P382-P383)
東中野氏はどうやら、この資料に気がつかなかったようです。
これと、東中野氏の紹介する、事例2、事例3を重ね合わせてみましょう。両方とも、証言者は同一、古山一等兵です。
第六中隊の古山義規一等兵は次のように証言する。 (中略) わが六中隊の全員が城門を開き、城頭にだれが作って来たのか大日章旗を掲げ、故郷の日本へも聞こえよ、と叫んだ感激は忘れることの出来ないことです。ところがその時、八列縦隊を整え、隊長が馬に乗り、延々と続く堂々たる隊列で、敵が退却して来たのです。すわッと攻撃態勢、機銃を据えて構えました。日の丸も一旦下ろしまして、敵を迎撃しようとしたのですが、白旗を掲げて降伏して来ましたから事なきを得ましたが、わずか三、四十人の友軍で一撃されればひとたまりもなかったことで、実のところ身震いしました。
この退却部隊を大平門から入れませんでした。入城させれば城内はまだ日本軍が占領しておりませんし、光華門の占領はこの十三日の夕方ですから大変なことになります。これを下関方面に誘導したのでしたが、戦争というものはこんなこともあります。わが大隊長、連隊長の判断は誤りがなかったのです。
この降伏軍の後、三百人ぐらいの敗残兵が投降して来た。この軍隊が反抗したので騒ぎが大きくなり、封殺、同士討ちが行われ大変な被害が出たと思われます。このことが南京虐殺と宣伝されているのではなかったのでしょうか。(「魁 郷土人物戦記」P529)
城門外には、そこかしこに敗残兵の死骸の山。バリバリと銃声、機銃の音がすれば、死体が何十何百と増えて行く。凄惨! これが戦場である。
こうして夜に入り八時すぎ、敗残兵の死骸整理中、突然三発の手榴弾に見舞われて、六名の死傷者が出た。その一人が私で、明けて十四日早朝、城内飛行場に開設された野戦病院に入院した。(同P536)
「魁 郷土人物戦記」の中では6ページも離れており、東中野氏はこの2つを別々の事件であるという認識で書いています。しかし堀曹長の手記と重ね合わせると、どうも同一の事件である可能性もあるのではないか、と思えてきます。
仮にすべてを同一の事件と見て、3つの資料を整合させると、こういうことになります。
33連隊第6中隊は、堀軍曹の部隊から捕虜を受取り、太平門外で監視していた。古山一等兵は、捕虜を横に、死骸整理を行っていた。すると「突然」、手榴弾に見舞われて、わけがわからなくなった。あとで話を聞くと、捕虜が「反抗し・・・大変な被害が出た」ことがわかった。
そんないい加減な「捕虜監視」をしていたのか、という疑問は残りますが、一応話は合います。
板倉氏の本ぐらいでしたら興味のある方はすぐ気がつくでしょうし、こんなところでつまらぬ「突っ込みどころ」を与えたくない。
「東中野氏のいい加減な資料解釈」という大筋には変わりはないのですが、コンテンツとしては大幅な書き直しが必要となってきますので、「お断り」の上、いったんトップページから外すことにしました。
他にも資料を発見してしまう可能性もないではありませんので、もう少し調べてみたいと思います。読み返すと結構面白いコンテンツですので(笑)、そのうちうまいこと復活させましょう。
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