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茂木さんが「アメリカ戦争情報室、心理作戦チーム、印度―ビルマ戦域 米陸軍、APO689」に以下のように書いてある、といっているわけです。茂木さんの主張部分に引用符をつけながら逐一そのようなことは書いていないことを説明しましょう。
よいですか、私が言っていることは米軍資料にそのようなことは書いていない、と言っているのです
(2)米軍記録に見る「慰安婦」の生活1944年の米軍情報部の公的資料に、北ビルマのミートキーナー慰安所に収容されていた20人の朝鮮人「慰安婦」に対する尋問記録がある。 ミートキーナ慰安所に収容されていたか否かは不明です。わかることはマルヤマクラブと呼ばれていた施設(後日改称)で働いていた、と言うことです。
その対価は一人当たり3百円から千円であったという(当時、下士官の月給が約30円程度)。 対価ではなく、前渡し金として2,3百円を受け取った、と書いてあります。下士官の月給については一言も言及されてません。
それによれば、これらの「慰安婦」達は、経済的理由から彼女達自身の親によって娼婦としてブローカーに売られたものであり こんなことも一言も書いてません、書いてあることは周旋業者【日本軍の占領地で「慰安役務」につくため】の女性を【詐欺的な手口で】だまし彼女たちはそれに応じた。と言うことです。
報告書によれば、売上に対する彼女達の取り分は5割から6割で、月収は兵士の何十倍にもなったという。 彼女等の収入は契約時に約束されていたもので、その契約がどうであるのかはこの報告書からは不明です。しかし組織売春というものを考えた場合、現代でも店側と女性側の取り分は五分五分です。つまり最低でもそのように考えると兵士の料金が1円50銭であれば75銭が彼女等の取り分であり(おそらく時代背景を考えてもその取り分はもっと低いことでしょうが)、【その総額が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。】と解釈するのが当たり前です。兵士の料金の全額が彼女等の懐に入る、と考えるほうが馬鹿げてます。売春を事業とは呼びたくはありませんが、それが事業であるなら店はどうやって経営を成立させることができるのでしょうか?
そしてその彼女等の取り分の中から店側は借金の額に応じて5割から6割を受け取ったと書いてあるのです1500円ひく700円で800円が彼女等の収入です。しかもそこから彼女等が物品食料を高額な値段で業者に徴収されていたため彼女等の生活は困窮した。と書いてあるのです、これが大事な部分でその主要部分をトリミングして何が言いたいのでしょうか?。
空いた時間には兵士とスポーツやピクニックを楽しむこともあり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。彼女たちは蓄音機も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。 これは確かにそう書いてあります。しかし、それは空いた時間なのでしょうか?あくまで兵士等と一緒であることに注目せねばなりません。要は将兵の宴会や娯楽行事に連れ出されただけの話でそれを楽しんでいたことがその仕事を好んでいたことにもなりません。過酷な労働の中での楽しみの一つであったことは確かでしょう。そのことが伺えるのがこう書いてある文章の前の部分です。
確かに【他の場所に比べれば】彼女たちは贅沢ともいえる、と書いてあります。 でその贅沢とはどのようなことが贅沢なのかといえば、書いてあることは【慰安袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻タバコ、化粧品を買うことが出来た。】ことが贅沢だった、と書いてあるわけです。しかも他の場所ではこの程度の贅沢も許されることは無かったわけで、買い物に行くことができたのがなんで幸福の証明になるのでしょうか? しかも、その慰安袋の中身からもらった贈り物とは何か?なんで慰安袋にそのようなものが入っているのか彼女等は不思議がってます。口紅であるとか女性用のものだからです。つまり慰安袋を送った故郷の側でも慰安婦の存在を意識していたのではないか?と彼女等は想像してます。
彼女達は客を拒否する権利を与えられており、兵士がひどく酒に酔っていた時など、頻繁に行使された。 これは物はいいようという奴です。彼女等はほとんど寝るまもなく働きづめで兵士は料金の割りにサービスが悪いので度々トラブルになったこと、などが原因で彼女達には拒否する権利ではなくある程度客を選ぶ権利があったのであることは文脈から伝わります
この取調べでは彼女らの健康状態も良い事を示している。 当たり前の話で前述したとおり彼女等の病気を兵士に移されてはかなわないから彼女等の健康に気配りされていたのです。
出典:(アメリカ戦争情報室、心理作戦チーム、印度―ビルマ戦域 米陸軍、APO689)
つまり茂木氏が出典としている文献には茂木氏が言っているようなことなど一言も書いていない、と言う主張を私はしているわけです。
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