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[4913]捕虜ではない! 熊猫 07/10/29(月) 9:26 [添付]
[4914]Re(1):捕虜ではない! 熊猫 07/10/30(火) 1:07 [添付]
[4916]紅卍字会下関分会は腕章をしていました。 熊猫 07/10/31(水) 9:07 [添付]
[4938]腕章 熊猫 07/11/8(木) 8:45

[4913]捕虜ではない!
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 熊猫 E-MAIL  - 07/10/29(月) 9:26 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : datong00.JPG
・サイズ : 208.2KB
  
添付画像【datong00.JPG : 208.2KB】  東中野修道先生は南京事件には無知なのか、嘘つきなのか痛々しい記述をしています。提示した画像は『再現 南京戦』東中野修道(草思社)127頁に掲載されているものです。東中野修道先生の嘘(間違い?)が判るようにキャンプションも提示しました。善意に解釈すれば東中野修道先生は取材調査をする度に元日本兵に騙されているのかも知れません。
 
 写真は大同製粉工場、つまり揚子江と三サ(シ叉)河がまじわる所にある大同公司です。問題なのは写真に写っている人々が捕虜なのか市民(難民)なのかということになります。
 軍服を着用していませんので民間人なのか軍人なのか判りません。通常だったら捕虜(軍人)であるというならば、それを証明するのが学者というものですが、何故か東中野修道先生はそのようなことは絶対にしません。にも関わらず先生はいつもの都合のよい解釈をしています。
『再現 南京戦』東中野修道(草思社)126頁より

 次頁下の写真は十二月二十二日、京都十六師団の下関の野戦倉庫で、京都十六師団経理部の金丸吉生軍曹が捕虜に指示しているところである。この写真もまた多くの捕虜の使役を示している。
 さて、東中野修道先生は安全区以外は無人であったと認識するあまり、大きな間違いをしてしまいました(^^)
 大同製粉工場の側には難民区がありました。法雲寺難民区だけでは分かりにくいでしょうが、松尾一郎さんのURLにある仏教滋幼院の正式な名称は法雲寺仏教滋幼院です。わざわざ遠くから捕虜を連れてこなくても難民たちに作業させていたのです。つまり当時の兵隊さんたちは、亜細亜大学の教授よりも知恵があったということです。
 安全区の難民とは異なり法雲寺難民区の難民たちは世界紅卍字会から配られた「良民証」を服の胸に縫い付けていました。
 写真を確認すると何やら胸につけています。しかも手前の人物は腕章までしています。下関では服に良民証を縫い付けていないと、敗残兵ということで捉えられていました。
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[4914]Re(1):捕虜ではない!
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 熊猫 E-MAIL  - 07/10/30(火) 1:07 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : fangshengsi00.JPG
・サイズ : 294.3KB
  
添付画像【fangshengsi00.JPG : 294.3KB】  法雲寺難民区と大同公司の位置関係が分かるように地図を提示しました。下記の駱中洋証言からも、日本軍が捕虜ではなく難民を使って大同公司の穀物や物資を運ばせていたこと。難民たちは胸に良民証を縫い付けていたこと。が分かります。
 また法雲寺難民区などの下関地域を管理していた、紅卍字会の会員は腕に腕章をしていました。
 それらの史実を認識したうえで再度、東中野修道先生の大同製粉工場(大同公司)の写真を見ていただくと、捕虜ではなく難民の写真であることが判ると思います。当時の日本兵の「捕虜」という言葉には、難民も含んだ意味で使われていた可能性もあります。

 駱中洋自身は、敗残兵ですが安全区以外は無人説が崩壊したことと、金丸吉生軍曹の写真が駱中洋証言の信憑性を裏付ける結果となりました。
『この事実を……』加藤実(星雲社)44頁〜46頁
駱中洋(らくちゅうよう)証言
 わたしたちもそう聞いて尤もだと思い、法雲寺の難民区へ行ったら、そこにはお爺さんお婆さん、中壮年、婦女子や児童がいて、わたしたちはその人の群に混じって、その人たちの家の人にさせてもらいました。けれども日本兵がしょっちゅう検査に来て、着ている物をひっくり返して見せろ、掌を見せろ、軍人だった痕跡があるかないか、難民証(良民証)が無い奴は中国兵だ、引きずり出して殺しちまうんだ、というようなわけで、難民区の外側に、あちこちに死体がいっぱい散らばっていましたが、その人たちはこういう状況で死んだのです。
 わたしたちは大急ぎで紅卍字会の人を探しに行き、難民証を二枚発行してくれるように頼みました。
  (途中省略)
 わたしは焦って心臓をばくばくさせながら、ずうっとその人の後ろにくっついて行ったのですが、その人の前方百メートルの所に、又もや実弾入りの銑を担ぎ、銃に剣を付けた日本兵が数人やって来て、真正面からこっちに歩いて来た、その正に差し迫った危機に、不意に又その紅卍字会の人が地べたから南京難民証を一枚拾ってわたしにくれたのです。どんな風だったかわたしには見えなかったのですが、わたしにはその人がわたしの命を救おうとしてくれたのだと思われます。服に付ける針と糸が無かったので、左手で難民証を左胸の前に押し付けるしかありませんでした。直ぐにも日本兵がわたしたちの目の前にやって来て、わたしたちが難民証を付けているのを見、紅卍字会の人に「良民か」と聞いて、「良民です」と答えてくれました。それで日本軍が「よし、よし、行け、行け」となり、直ぐにわたしは難民キャンプに入ったのです。
  (途中省略)
 日本軍はそれに至る処で略奪しました。大同小麦粉工場の唯一残った倉庫と、有恒小麦粉工場とに、小麦粉や小麦や米などの穀物が大量にしまってあり、その外の大商店にも大量の穀物が貯えられていたのですが、日本軍が難民キャンプの人たちに強制し、毎日日本軍のために穀物や物資を運ばせたのです。

73 hits

[4916]紅卍字会下関分会は腕章をして...
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 熊猫 E-MAIL  - 07/10/31(水) 9:07 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : chen01.jpg
・サイズ : 40.9KB
  
添付画像【chen01.jpg : 40.9KB】  写真は陳漢森です。腕に紅卍字会の腕章をしているのが分かると思います。恐らく日本軍は紅卍字会下関分会の会員だと殺さなかったというか、下関一帯の難民区の管理は紅卍字会下関分会に任せていたものと思われます。保国寺の難民区について、砲艦比良の艦長だった土井申二中佐のそのことが分かり、その他の下関一帯の難民区も同様であったことが、放生寺難民区の生存者の証言でも確認することができます。
 紅卍字会の腕章は殺されたいためのパスポートでもあったわけです。


『この事実を……』加藤実(星雲社)58頁より

郭学根(かくがくこん)証言
 12月14日に、日本軍は中国兵を探し出すという名目で、放生寺にやって来て青壮年二百人余りと若い婦女子五十人余りとを引っ張って行きました。日本軍は青壮年を揚子小麦粉工廠の裏門広場に連行し、機関銃で全部殺害し、五十人余りの婦女子が日本軍に集団輪姦されましたが、その内のある婦女子は強姦された後、殺害されました。
わたしは放生寺にいて、ある友達が国際紅卍字会の腕章をくれたので幸いにも難を免れました。
 ■揚子小麦粉工廠とは大同公司のことだと思いますが今のところ確認がとれていません。
 ■放生寺というのは法雲寺の建物の一部の呼称ではないかと思います。三サ(シ叉)河には放生寺と滋幼院の二つの難民区があったとされていますが、これらを総称して法雲寺難民区と称した方が分かりやすいのではないかと思います。
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[4938]腕章
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 熊猫 E-MAIL  - 07/11/8(木) 8:45 -

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    腕章は必ずしも紅卍字会のもととは限らないようなので訂正します。朝日版の駱中洋証言を見落としていました。
『南京大虐殺の現場へ』(朝日新聞社)189頁より

 難民区では人夫として日本軍に挑発され、まず日本軍の食糧はこびを二、三日やらされた。作業中は日本軍の腕章をしていた。
 日本軍は大同製粉工場で法雲寺難民区の難民に腕章をつけさせ食糧運搬に使い、その難民たちは胸に「南京難民証」と書かれたものを服の胸の部分に縫い付けていたと云うことになります。
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