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東中野修道先生は南京事件には無知なのか、嘘つきなのか痛々しい記述をしています。提示した画像は『再現 南京戦』東中野修道(草思社)127頁に掲載されているものです。東中野修道先生の嘘(間違い?)が判るようにキャンプションも提示しました。善意に解釈すれば東中野修道先生は取材調査をする度に元日本兵に騙されているのかも知れません。 写真は大同製粉工場、つまり揚子江と三サ(シ叉)河がまじわる所にある大同公司です。問題なのは写真に写っている人々が捕虜なのか市民(難民)なのかということになります。 軍服を着用していませんので民間人なのか軍人なのか判りません。通常だったら捕虜(軍人)であるというならば、それを証明するのが学者というものですが、何故か東中野修道先生はそのようなことは絶対にしません。にも関わらず先生はいつもの都合のよい解釈をしています。
『再現 南京戦』東中野修道(草思社)126頁より
次頁下の写真は十二月二十二日、京都十六師団の下関の野戦倉庫で、京都十六師団経理部の金丸吉生軍曹が捕虜に指示しているところである。この写真もまた多くの捕虜の使役を示している。 さて、東中野修道先生は安全区以外は無人であったと認識するあまり、大きな間違いをしてしまいました(^^) 大同製粉工場の側には難民区がありました。法雲寺難民区だけでは分かりにくいでしょうが、松尾一郎さんのURLにある仏教滋幼院の正式な名称は法雲寺仏教滋幼院です。わざわざ遠くから捕虜を連れてこなくても難民たちに作業させていたのです。つまり当時の兵隊さんたちは、亜細亜大学の教授よりも知恵があったということです。 安全区の難民とは異なり法雲寺難民区の難民たちは世界紅卍字会から配られた「良民証」を服の胸に縫い付けていました。 写真を確認すると何やら胸につけています。しかも手前の人物は腕章までしています。下関では服に良民証を縫い付けていないと、敗残兵ということで捉えられていました。
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