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ピッポさんご指摘のように、曾野綾子本を読んでいない段階で書いており、事実誤認部分もあります。また、当時は住民自身、集団自決を「玉砕」と読んでいたことも知りました。まだ、曾野綾子本を入手していません。『沖縄ノート』は読みました。
したがって、まだ途中の段階ではありますが、裁判における取り組みとは別に(裁判では名誉毀損についての技術的な問題が結構、中心議題になったりする)集団自決なるものの責任と性格について、幾分、哲学的に考察してみました。
■隊長氏らはいつ自決を命じたことになるのか
大江氏を擁護する側は日本軍が総体として住民の集団自決を強制していた、という言い方をしている。しかし、この考えでも、「では、赤松や梅沢はいつ、自決を強要したのか、何と言って追い込んだのか」ということは明らかにする必要がある。
これは隊長氏らが、陣地内に住民が逃れることを許さなかったり、自決をするための弾薬を渡さなかったときのことになる。もちろん直接の命令などはない。しかし、これだけで住民に自決を促すには十分だったのである。いわば、自決の黙認であり、不作為によって追い込んだことになる。
■隊長氏の(無意識の)ウソ
梅澤氏は「死んではならない」と言った、と証言している。しかし、「命が大事だから」、「死んではならない」というような考えが戦争当時の軍人にあったはずはない。日本の軍隊は「ここぞというときに命を惜しんではならない」と兵士に教えていた。軍隊はまた、この思想を国民全体に広めていた。梅澤氏は実際は「まだ死ぬのは早いんじゃないかなあ」といった気持ちを伝えたのにとどまっているだけではないのか。隊長氏も戦況を把握できず、曖昧な混乱した命令を出していたのである。戦後の回想中に記憶を(無意識的にであったにせよ)作り替えているとしか思えない。
■当時は住民にとって、戦闘態勢を続けるか、自決するかの二通りの道しかなかった
日本軍が玉砕した後に住民が生き残るという想定がありえただろうか。鬼畜米英が島を制圧したとき女は陵辱され、男はなぶり殺しにされると言われていた。そのような宣伝が信じられていた。それは死よりも恐れられた。鬼畜米英とは軍が敵意を煽り、戦意を昂揚させるために具体的な根拠もなく植え付けたデマゴギーであり、その実態は日本軍が中国で行った行為の記憶を逆照射させて得られたものであった。したがって、住民が軍が全滅した後に生き残るという発想は存在しなかった。戦闘態勢をとり続けるということが生きていることの証であり、それが否定されたときが自決のタイミングであった。
この二通りの選択の間にあって「死んではならない」というような曖昧な言語は存在しなかった。もし、隊長氏が言葉通り、死んではならないということを住民に伝えようとしたのなら、戦闘はまだこれからである、戦闘配置を維持せよ、と告げねばならなかった。あるいは当時の日本軍にはまれなことであるが、はっきりと投降しても生き残る道はあることを教えなければ「死んではならない」というメッセージとしては機能しなかった。
■軍の任務と住民への指示
隊長たちは住民が上陸に際してパニックを来たことを強調するが、実はパニックに陥って正しい判断をできなかったのは、隊長たちも同じであった。まだ、「死ぬのは早いんじゃないかなあ」という自信のない戦況判断しかできなかった。艦砲射撃が乱れ飛ぶ中で、決戦のときとも持久戦が幾日続くとも判断しかねていた。そのため、住民・防衛隊に対して戦闘配置を指示することをしなかった。これは本土防衛のためとしては作戦の不備であり、帝国軍人としての失策である。それは実際には住民・防衛隊には自決を早める作用をなした。
アメリカ軍の上陸を受けて軍よりも早く、進退を決しなければならないのは住民の方であった。軍の玉砕は最後の最後でいいのだが、住民の自決は軍の玉砕後には困難となるからである。したがって、村長はもう自決をすべきではないか、と問うたのだ。それに対してまだまだ持久戦を続けろという明確な命令を出さないことによって、住民の自決を黙認したことになるのである。
■住民保護の放棄
第三十二軍の総意として住民保護がどのような位置づけであったのか。赤松氏、梅澤氏の部隊においては住民保護の任務は早々に放棄された。おそらく、第三十二軍の意を呈したものであったろう。沖縄戦は本土防衛の捨て石であり、勝つ見込みもなく、敵の進軍を出来るだけ遅らせることだけが事実上の目標となっていた。戦闘のために住民は戦場に放置された。しかし、いったい軍とは何を守ったのであろうか。
■守るべきは何か
仮に国家を守るものと回答して見る。国家とは三要素、すなわち領土・国民・政体の三つである。第三十二軍は沖縄県民を守らなかった。いざアメリカ軍上陸というときには県民を保護することなく、陣地から追い出した。これは沖縄だからなのか。沖縄県民差別であったのか。おそらくその側面もあっただろうが、本質はそこにはないと考える。アメリカ軍が鹿児島に上陸すれば鹿児島県民をとことん戦闘準備に使役した上で、いざ決戦のさいには邪魔だからとこかに行け、だったろう。熊本、宮崎に米軍が迫れば熊本、宮崎県民を犠牲にして福岡を守ろうとしただろう。軍が守るのはまず、当面の戦闘を行う軍自身であり、その軍は宮城におわす現人神とその体制を守るためである。天皇を守護することにおいて軍は「地方人」(民間人のこと)より、高貴な人種となるのであり、故に民間人を犠牲にして軍人が生き残ることが許されるのである。軍が守るべきものは国民ではなかった。また、領土が失われるのも許容の範囲であって、守るべきは天皇と天皇を中心にした政体であった。
私の考えを述べればもっとも大事なのは、もっとも守るべきは国民そのものである。
<続く>
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