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[4939]新たなる神話の書き方 タラリ 07/11/9(金) 0:05
[4940]Re(1):新たなる神話の書き方 ピッポ 07/11/9(金) 7:27
[4983]沖縄戦集団自決を考える(1) タラリ 07/11/23(金) 0:41

[4939]新たなる神話の書き方
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 タラリ E-MAIL  - 07/11/9(金) 0:05 -

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   本年を通じて歴史修正主義者との戦いの最大の局面のひとつとなっている、沖縄戦についての検証です。材料はイザ「 安禅不必須山水」で活躍中のni0615さんのブログhttp://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/354777/
からとってきた、「ある神話の風景 背景」改訂版 曽野綾子 著 「集団自決」の『真実』の抜粋のコピペです。私はまだ、本は買っていません。

解析方法は私のいつもの方法です。赤松氏らの証言にひそむ、ウソやいいたくないこと、それに、曾野綾子氏が隠蔽しようとしたり、弁護したがっていることを文章の裏から解読しようという手法です。客観的な事実を突きつけ、積み上げるという手法ではないので、限界はあります。しかし、逆に言うと客観的な事実というものもすぐさま、主観的な解釈や捏造攻撃によって無化されるという経緯が常にあります(客観的な証拠を出しても相手はアホなのでへっちゃらという状況)。私の方法は敵の主張をその主張自身から否定するわけですから、常に一定の成果がえられます。

”>”は曾野綾子氏の著作の文章です。

>(前略)
 > 自決について、というか、村民についての軍側の印象は極めて薄いことを私は思い出していた。豪雨の中を掘ったり眠ったりで一夜明かした軍側には、正直なところ、民間人の存在は殆ど意識のなかになかったのであろうか。
 >赤松隊側は、住民の自決を殆ど知らなかったという。もちろんその気配が全くなかったわけではない。連下少尉は、二十七日の夜、雨の中で(ということは闇夜であった)村の人たちが、興奮してやって来て、彼の目の前で貯金通帳やかつおぶしを「ほかして」ここへおいてくれ、とわめいたのを目撃していた。

「興奮してやって来て、彼の目の前で貯金通帳やかつおぶしを「ほかして」ここへおいてくれ、とわめいた」
この発言には生命の危機に曝されて軍陣地に逃れようとした村民に対する同情はまったく見られない。 それどころか、「興奮」したり、「わめいた」りする村民をつとめて愚かで思慮のないものに描くという、侮蔑の感情が見てとれる。

「軍側には、正直なところ、民間人の存在は殆ど意識のなかになかったのであろうか」−
まさにそうだったのだろう。「気配が全くなかったわけではない」、しかし、住民のせっぱ詰まった状況にはそこまで無関心、冷淡であったからこそ、「住民の自決を殆ど知らなかった」ということになったのである。ただし、曾野氏の関心は住民に対して無関心・冷淡を極める赤松氏の心理状況の追求に向かうことは決してないのである。

> しかし、そこはまだ、穴一つ満足にない陣地であった。いや、陣地の予定地だったという方が正しい。いくら予定地であろうと、軍陣地内に民間人を入れるということはできない。
>連下少尉は、当然これを断った。

住民に対して陣地の構築で軍に半年以上も協力させ(献身を強要し)ておきながら、生命の危険を感じて避難させてくれ、という住民に対して示されるべき保護の意志・同情が微塵も見られない。事実は遮蔽の用はなす、タコツボがたくさん掘られていたはずである。もしも陣地ではなく、ただの予定地であるのならば、「軍陣地内に民間人を入れるということはできない」は成り立たないはずではないか。

>  しかしこのできごとは、闇夜の森の中の一点で起ったドラマであった。10メートル離れたところにいた人は、もう雨の音、濁流の音で気づかなかったろうし、又、作業と疲労とで気にならなかったかも知れない。

>安里喜順氏が言うように、生きて虜囚の辱しめを受けずという気持はその当時のどの日本人にもあったし、いざとなれば、誰もが死ぬのは当り前と思っていた。だから恐らく連下少尉にとっても、そのことは、それほど異常なことではないし、只、その時、すぐに死なねばならぬほど、さし迫った状態だとは思えなかったようである。
つまりは自決は連下少尉にとっても既定事項だったのだ。でありながら、住民の自決を予測していなかったというのは矛盾していないか。

>赤松隊長が、最初に、集団自決の気配を知ったのは、古波蔵村長が、やって来たことだった。

>  赤松氏によれば、この時、村長はどうしても「死に切れない住民を殺すから機関銃を貸してくれ」と言ったいうことになつているのだが、村長は「村民を殺したいという村長がどこにありますか」と反論している。

「死に切れない住民を機関銃で殺す」という発想はむしろ、軍人であった赤松氏のものであろう。 兵士ならぬ民間人の発想では到底ありえない。村長が「村民を殺したいという村長がどこにありますか」と反論している以上、赤松氏の回想の信憑性はない。

>  只、この異常事態の中では、かりにそのどちらであっても、辻つまは合うのである。村民を殺したい、というのも、憎しみからではない。死に切れない人をラクにしてやるというのも、当時の物の考え方からすれば村長という立場に必要な家父長的な態度であったかも知れない。赤松隊長が古波蔵村長について、そのような印象を持ち続けているというのも、一概に相手を非難する意味ではあるまい。

赤松隊長の古波蔵村長に対して持っていた印象を相手を非難する意味が含まれていると取るのはかなり無理がある。意識下にではあるが、村長にも責任を転嫁して自己弁護を試みているのだとしか判断しようがない。曾野綾子氏があえて、赤松氏の意図は「相手を非難する意味ではあるまい」というありえない判断を提示して診せるのは、 赤松氏の自己弁護から目をそらすためのレトリックとしか見られない。

> なぜ、少し離れたところで、住民が一せいに、手榴弾を抜いて自決をし始めたことがわからなかったかということについて、初め私は疑念を持っていたが、安里喜順氏の語をきいて状況が少しわかるようになった。つまり玉砕の引き金になったのは、米軍の攻撃であり、日本軍の応戦であつた。それを村の人は友軍の最後の反撃と見たのである。
>とすれば集団自決は、攻撃の真只中で行なわれた。戦闘中であれば音も気配も聞える筈はなかった。

ここでは、肝心の安里氏の発言が引用されることなく、曾野綾子氏の判断がいきなり語られている。したがって、「米軍の攻撃と、日本軍の応戦が玉砕の引き金になった」―というのは曾野氏の根拠のない憶測としか見ることができない。また、「玉砕」とは兵士の全滅覚悟の突入攻撃のことであり、村民の自決を説明するには不適切で、意図的な印象操作さえ疑われる。「村の人は友軍の最後の反撃と見た」も同様、根拠のない憶測にすぎない。

>一隊員は、 かりに、あの時、自決命令、出したとしても、とても、伝令が、あの場所まで辿りつけなかったんじゃないかな。皆稜線の上にへばりついていて、伏せながらも、まだ一センチでも体低くしようとして、木の枝なんかでお腹の下掘ってた状態ですからね。向うも、整然と集まってたわけじゃないでしょうし。平和な時に、考えて、数百メートル離れたところにある、小学校の校庭で、整然と並んでいる生徒に何かを伝えに行くような訳には行きませんからな」と言うのである。

 自決命令というのは、ここぞというときに隊長が「はい、自決して」と命令するようなものだ、というような主張をした人がだれかいるのか? 自決とは自己の生命を絶つ行動である。これこれのときは自決せよ、ということを前もって教育、洗脳しておかない限りできるものではない。また、教育・洗脳と同時にそれを破ったときにどのような懲罰が下されるか、常に示しておかなくてはさせられるものではない。沖縄で行われた住民虐殺がそれである。そのような教育・洗脳・脅迫を赤松隊長は一切しなかった、と主張できるのか?問われているのはそこである。

>  住民がなだれ込んで来た時、赤松隊長は「兵隊さん!」と住民たちが叫ぶのを聞いたので、近くにいた防衡召集兵に「鎮めろ!」と言った。
> その時、一人の防衡隊員の胸につけた儘だった手榴弾が突然、しゅるしゅると煙を吹き始めた。防衛隊員は慌ててそれをはずそうとしたが、それはうまくいかないままに爆発した。辻という勤務隊にいた中尉がまきぞえをくって負傷した。

曾野氏の聞き取りは省略が多いというか、状況説明が不明であり、語る順序も悪い。ここで、はっきり指摘させてもらうと、状況をありのまま、順序正しく書けば、自決に追い込んだ状況は必ずや丸見えになるのである。幕府山事件で私はよくわかったが、加害者、否定論者は必ず、曖昧に説明し、事実ではなく解釈を先行させ、時間軸をめちゃくちやにする。
それはさておき、つまりは、陣地から締め出しを食らった住民が敵の射撃に堪えかねて、集団で舞い戻って来た。前回よりさらに切迫した生命の危機に曝されているのである。それに対して、鎮圧を命じたのである。なんと、ひどい仕打ちであることか。

>  太田候補生は、手榴弾さわぎは知らなかった。只、彼は誰かが人々を鎮めようとして威嚇のために銃をうったのをきいた。その銃声は若山衛生軍曹もきいていた。三八式歩兵銃の音のように思ったので、彼はそれが戦隊でなく、基地隊の人間が撃ったな、と考えていた。三八式の小銃をもっていたのは基地隊だけだったのである。
>  すぐに迫撃砲の攻撃が始った。太田侯補生は死物狂いで再び穴を掘り始めた。

>「その時、戦隊長は、戦闘の命令出すのに忙しくて、ボケみたいな顔して東の空見ておった」というのが当時、負傷者であつた樺山祐夫候補生の印象であった。彼は撃つことができなかったために、観察者の立場におかれていたのであった。

 全体からする私の推測では、赤松隊は自らの「戦闘」(ほとんど、効果はないが)に専念したとしても、もともと住民の生死に関心が薄いばかりか、自決して当然と考えていた。


>「自決命令は出さないとおっしゃっても、手榴弾を一般の民間人にお配りになったとしたら、皆が死ねと言われたのだと思っても仕方ありませんね」
>  私は質問を始めた。
>「手榴弾は配ってはおりません。只、防衛召集兵には、これは正規軍ですから一人一、二発ずつ渡しておりました。艦砲でやられて混乱に陥った時、彼らが勝手にそれを家族に渡したのです。今にして思えば、きちんとした訓練のゆきとどいていない防衛召集兵たちに手榴弾を渡したのがまちがいだったと思います」
>赤松氏は答えた。

 欺瞞に満ちた弁解である。防衛召集兵を正規軍としているが、これははたして赤松氏がそういったのか、曾野氏が赤松氏のレトリックをそう読みとったのか、それとも曾野氏が正規軍と事実を曲げて書いているのか? この「正規軍」というのは陣地に入って戦うことを許される兵士ではないことが前に書いてあるではないか。
  艦砲が降り注ぐ中にあって手榴弾では戦うことはできない。本当の正規軍である、赤松隊はタコツボ陣地に籠もりきりであり、隊長はボケのようになっていた。艦砲を遮るなにものもない村民たちはどのようにして戦えばよいのであろうか。手榴弾を1−2発持たされた防衛召集兵(村民)が砲撃を受ければ、残された家族は自決のすべを失う。自決のすべを失った家族はいずれ米兵に捕らえられ、日本軍の状況を洗いざらいぶちまけると考える赤松ら日本軍にとってはかれらは潜在的なスパイとみなされるのである。

「防衛召集兵たちに手榴弾を渡したのがまちがいだった」−では、赤松氏は自決できずに、逃げまどう防衛召集兵とその家族を許容したのか。曾野氏ははっきり聞くべきであった。

「訓練のゆきとどいていない防衛召集兵たちに手榴弾を渡したのがまちがいだったと思います」という言葉の中に沖縄住民を一段下に見て、自らを命令する立場に置き続ける赤松氏の帝国軍人意識は今も生き続けている。

>「でも実際に、皆さん、集団自決をみられたんでしょう」

> 私は尋ねた。これはかなり実は核心を衝いた質問になっていたのだが、私には気がつかなかった。
>「布団がずぶ濡れになって、女の子の髪が泥の中にめり込んでいたのは見たのです」

>  赤松氏は一言った。
>  暫く、重い沈黙が流れた。
>「しかしどう思い返してみても、私が亡くなった方をみたのは、ほんの数人なんです。

>「『鉄の暴風』に書かれているように三二九人もの屍(しかぱね)がるいるいとしているという状況は見たことがないんです」

 > 連下元少尉が続けて語った。

>「私は一人見ました。一週間後に谷川の傍にいたんです。死体かと思ったら、生きていました。『兵隊さん』って、声をかけられました。こめかみのところに血痕(けっこん)が附着していましたが、一人でした」

赤松氏はその後村民を見かけないことをどう思っていたのか。泥の中にめり込む女の子の死因が、敵の射撃・砲撃なのか、他の手段によるかは一目瞭然であっただろう。

>  他に誰も、おびただしい死者を見た人はなかった。
>  私は自分が案内された自決場のことを思い出した。あの谷に三百数十人が一時に入りこむことは不可能に近い。死んだのが三百数十人なのだから生き残った人たちをいれたら数百人があの谷にいたことになるのだが……今よりもっと木が繁っていたとしたら、小学校の校庭に集合するように整然と集って自決命令を受けることなど、あの狭い谷の状況では無理である。
>「あちこちで白決されたのと違いますか?」

>連下氏は言い、赤松氏が、言葉をそえた。

>「自決した、あそこ、というのは、いったいどこなんでしょう。めいめいお互いにわかったつもりでいるけれど、実は、てんでんばらばらのところを今まで頭に思い描いて来たんじゃないかと思うんです。とにかく、私は、三〇〇人以上もの方が固まって亡くなった光景というのが、どうしても実感としてわからないんです」

>赤松氏の表情には不安の色があった。

ここに来て、赤松氏の証言が意味のある言葉をなさなくなっている。良心のとがめから自己弁護に窮して心の平静を失っているのである。
しかし、赤松氏らが見なかったというものはしようがない。問題は曾野綾子氏がこの書を赤松隊のひとたちから聴きだした証言だけから構成したことである。いわば、加害者と目されている人たちの証言だけから作られた「新たなる神話」を書いたことである。
では『鉄の暴風』は『ある神話の背景』とともに否定されるべきなのか。そうではない。
被害者は被害者しか持ち得ない真実というものを持っている。原爆被害者の証言は、アメリカの原爆投下責任者の証言を待たなくとも真実が含まれる。これに反して加害者の証言には自分の犯罪を隠蔽しよう、矮小化しよう、否定しようという動機は必然的に内在する。曾野氏は正しい「あらたなる神話」を書くためには被害者からの聞き取りをしなくてはならなかった。
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[4940]Re(1):新たなる神話の書き方
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 ピッポ E-MAIL  - 07/11/9(金) 7:27 -

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   ▼タラリさん:
おはようございます。

http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/354777/
は、曽野本「五」の章からの引用です。

曽野氏は、決して将兵側の言い分だけをルポルタージュしたのではありません。つづく「六」の章では、「集団自決」を体験した住民の声を拾っています。しかし、その採録のしかたには問題があります。

「命令だから」という声を、引率者に直ぐに否定される。
「友軍に迫撃砲で撃たれた」という証言を、曽野が後に調べたデータで否定する。証言者の真実を汲み取ろうとせず、『体験者』はそのとき「狂っていた」のだから誰かにいわれて「思い込んでいる」に違いない、という印象操作が施されています。

手榴弾の不発についても、インタビューの場では曽野自身が「悪い手榴弾」に納得・同調しておきながら、すぐさま注釈して「(これは実はまちがいで、住民の多くはやはり手榴弾の起爆法をしらなかったのだという)」。というように極めてアンフェアです。

この件についても、続編としてブログに載せるつもりです。


>被害者は被害者しか持ち得ない真実というものを持っている。原爆被害者の証言は、アメリカの原爆投下責任者の証言を待たなくとも真実が含まれる。これに反して加害者の証言には自分の犯罪を隠蔽しよう、矮小化しよう、否定しようという動機は必然的に内在する。曾野氏は正しい「あらたなる神話」を書くためには被害者からの聞き取りをしなくてはならなかった。

Novelだから、小説だから・・・

曽野綾子『ある神話の背景』がもつ説得力は、一貫した印象操作によるNovelだからです。かって流行した奈良本 辰也の歴史小説が説得力をもったのは、それが歴史書ではなかったからだ、というのと同です。

直接に戦場とならなかった本土の日本人、兄や父を沖縄で無くしたものの家族同士の殺し合い=集団死を強いられなかった「ホンド日本人」、読者層にもっとも共感を得るように計算された『小説』だからこそ、引き込まれるような説得力をもったのです。(たとえば、詩人の田村隆一氏http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/755.html )

そういえば、ヒロシマ・ナガサキの体験も、体験のない「ホンド日本人」は長年にわたって受け入れませんでしたね。広島のなか、長崎のなかでさえ、はだしのゲンがえがくようなヒバクシャ差別がつづきましたね。

げんざいネットウヨクの諸君が「沖縄の奴らはしょうがない連中だ」と喚いているようなhttp://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/375906/品のない言葉が、ヒバクシャの皆さんに長いこと浴びせられていたのです。(今では、ウヨクも原爆被曝体験を金科玉条のようにいいますが・・・(昔日の感))

民事訴訟原告が、史実の証拠として「小説」を持ち出すのは滑稽です。
でもかつて我が国は「神話」によって国家が人を裁いたのです。

民衆のこころの中の真実が、2人の元戦隊長と今も昔も変わらぬ沖縄民捨石戦略を、世間的に糾弾した。

それに対して、「おりがきたら」http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/697.htmlと60年間おもいつづけてきたヤスクニの怨念が、「新しい神話」をもって復讐しようとしているのです。
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[4983]沖縄戦集団自決を考える(1)
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 タラリ E-MAIL  - 07/11/23(金) 0:41 -

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   ピッポさんご指摘のように、曾野綾子本を読んでいない段階で書いており、事実誤認部分もあります。また、当時は住民自身、集団自決を「玉砕」と読んでいたことも知りました。まだ、曾野綾子本を入手していません。『沖縄ノート』は読みました。

したがって、まだ途中の段階ではありますが、裁判における取り組みとは別に(裁判では名誉毀損についての技術的な問題が結構、中心議題になったりする)集団自決なるものの責任と性格について、幾分、哲学的に考察してみました。


■隊長氏らはいつ自決を命じたことになるのか

大江氏を擁護する側は日本軍が総体として住民の集団自決を強制していた、という言い方をしている。しかし、この考えでも、「では、赤松や梅沢はいつ、自決を強要したのか、何と言って追い込んだのか」ということは明らかにする必要がある。

これは隊長氏らが、陣地内に住民が逃れることを許さなかったり、自決をするための弾薬を渡さなかったときのことになる。もちろん直接の命令などはない。しかし、これだけで住民に自決を促すには十分だったのである。いわば、自決の黙認であり、不作為によって追い込んだことになる。

■隊長氏の(無意識の)ウソ

梅澤氏は「死んではならない」と言った、と証言している。しかし、「命が大事だから」、「死んではならない」というような考えが戦争当時の軍人にあったはずはない。日本の軍隊は「ここぞというときに命を惜しんではならない」と兵士に教えていた。軍隊はまた、この思想を国民全体に広めていた。梅澤氏は実際は「まだ死ぬのは早いんじゃないかなあ」といった気持ちを伝えたのにとどまっているだけではないのか。隊長氏も戦況を把握できず、曖昧な混乱した命令を出していたのである。戦後の回想中に記憶を(無意識的にであったにせよ)作り替えているとしか思えない。

■当時は住民にとって、戦闘態勢を続けるか、自決するかの二通りの道しかなかった

日本軍が玉砕した後に住民が生き残るという想定がありえただろうか。鬼畜米英が島を制圧したとき女は陵辱され、男はなぶり殺しにされると言われていた。そのような宣伝が信じられていた。それは死よりも恐れられた。鬼畜米英とは軍が敵意を煽り、戦意を昂揚させるために具体的な根拠もなく植え付けたデマゴギーであり、その実態は日本軍が中国で行った行為の記憶を逆照射させて得られたものであった。したがって、住民が軍が全滅した後に生き残るという発想は存在しなかった。戦闘態勢をとり続けるということが生きていることの証であり、それが否定されたときが自決のタイミングであった。

この二通りの選択の間にあって「死んではならない」というような曖昧な言語は存在しなかった。もし、隊長氏が言葉通り、死んではならないということを住民に伝えようとしたのなら、戦闘はまだこれからである、戦闘配置を維持せよ、と告げねばならなかった。あるいは当時の日本軍にはまれなことであるが、はっきりと投降しても生き残る道はあることを教えなければ「死んではならない」というメッセージとしては機能しなかった。


■軍の任務と住民への指示

隊長たちは住民が上陸に際してパニックを来たことを強調するが、実はパニックに陥って正しい判断をできなかったのは、隊長たちも同じであった。まだ、「死ぬのは早いんじゃないかなあ」という自信のない戦況判断しかできなかった。艦砲射撃が乱れ飛ぶ中で、決戦のときとも持久戦が幾日続くとも判断しかねていた。そのため、住民・防衛隊に対して戦闘配置を指示することをしなかった。これは本土防衛のためとしては作戦の不備であり、帝国軍人としての失策である。それは実際には住民・防衛隊には自決を早める作用をなした。

アメリカ軍の上陸を受けて軍よりも早く、進退を決しなければならないのは住民の方であった。軍の玉砕は最後の最後でいいのだが、住民の自決は軍の玉砕後には困難となるからである。したがって、村長はもう自決をすべきではないか、と問うたのだ。それに対してまだまだ持久戦を続けろという明確な命令を出さないことによって、住民の自決を黙認したことになるのである。


■住民保護の放棄

第三十二軍の総意として住民保護がどのような位置づけであったのか。赤松氏、梅澤氏の部隊においては住民保護の任務は早々に放棄された。おそらく、第三十二軍の意を呈したものであったろう。沖縄戦は本土防衛の捨て石であり、勝つ見込みもなく、敵の進軍を出来るだけ遅らせることだけが事実上の目標となっていた。戦闘のために住民は戦場に放置された。しかし、いったい軍とは何を守ったのであろうか。

■守るべきは何か

仮に国家を守るものと回答して見る。国家とは三要素、すなわち領土・国民・政体の三つである。第三十二軍は沖縄県民を守らなかった。いざアメリカ軍上陸というときには県民を保護することなく、陣地から追い出した。これは沖縄だからなのか。沖縄県民差別であったのか。おそらくその側面もあっただろうが、本質はそこにはないと考える。アメリカ軍が鹿児島に上陸すれば鹿児島県民をとことん戦闘準備に使役した上で、いざ決戦のさいには邪魔だからとこかに行け、だったろう。熊本、宮崎に米軍が迫れば熊本、宮崎県民を犠牲にして福岡を守ろうとしただろう。軍が守るのはまず、当面の戦闘を行う軍自身であり、その軍は宮城におわす現人神とその体制を守るためである。天皇を守護することにおいて軍は「地方人」(民間人のこと)より、高貴な人種となるのであり、故に民間人を犠牲にして軍人が生き残ることが許されるのである。軍が守るべきものは国民ではなかった。また、領土が失われるのも許容の範囲であって、守るべきは天皇と天皇を中心にした政体であった。

私の考えを述べればもっとも大事なのは、もっとも守るべきは国民そのものである。

<続く>
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