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菅原裕氏の文章は要約すると
検事側証人が「あまりにも厚顔無恥で、しらじらしい嘘を平気で証言する」(その実態は被告に対して不利な証言をあつらえたように次々と出してくる)からには、検事が証人とよくよく、相談の上で証言を整えてくるのであろう、そういう操作をすることによって偽証ぽいものが入り込んできているのではないか、というのが菅原弁護人。
証人をしてもっとも主張すべきところをズバっと語らせよ。そのために検事と検事側の証人の事前の調整があるのはいっこうに構わない。証言内容が事実かどうか、あるいはさらに偽証であるかどうかは、検事側と弁護側の争論を聞いて、われわれ判事が判断するにまかせよ、というのがウエッブ裁判長。
菅原氏の結論は、《裁判長が偽証の疑いを挟んだり、偽証罪を振りかざすることによって、証人を威嚇したりすることなく、十分に証言をさせたことは真実発見の意味からよかった》とウェッブ裁判長の行き方を認めています。
ただ、これは否定論者の、「偽証罪のない裁判は裁判ではない」、「偽証罪のない裁判だからいくらでもウソを言ってよく、ウソによって罪に陥れられた」という論理とは若干かみ合わない部分があります。
これに対して反論すると、 偽証罪が設定されていなかったのは事実ですが、裁判官はまず、証言の内容が事実かどうかを、検事側と弁護側の争論を通じて判定されます。証言内容が示す事実によって被告の容疑を認定、あるいは否定するのであり、偽証の有無自体は裁判結果には反映されません。
被疑事実を立証するための検事側証人の証言に対して、弁護側が具体的な反論をなさないということは、証言内容を認めたということになります。極東裁判での事実経過は弁護側の反対尋問が証言を具体的に突き崩したという例はほとんどなかった、それどころか、反対尋問をまったく行わなかった例がほとんどだったのですから、「偽証罪がない法廷は無効」などという否定論は意味を持ちません。
もし、仮に偽証罪という一種の威嚇によってウソを予防していたとしても、そもそも弁護側が反対尋問を放棄した時点で、偽証罪の必要もないということを弁護側が認めたということです。
もう少し偽証というものについて技術的な側面を指摘しますと、
偽証かどうかはまず、 (1)証言内容が事実か、そうでないか (2)故意に事実と異なることを証言したか で決まります。
故意にではなく、事実と異なることを証言する場合には (A)記憶の変容、消失による (B)そのとき置かれた立場によって問題となる事象を過大にあるいは過小に評価・記憶する、 があります。
証言が偽証であるという疑いを持つに至るには、証言内容が事実ではなく、かつ(A)、(B)であることが否定されるというかなり高いハードルが必要です。
否定派が指摘するのはあれこれの証言が、他の証言や、以前の証言と少しばかり違うという点を捕らえて、偽証罪がないから、このようにウソをつき放題だ、ということですが、極東裁判のような巨大な裁判において、あれこれの証言が偽証かどうかをいちいち追求するということは本筋から離れることになります。
一般の裁判で被疑事実にもっとも関係の深いことで偽証が想定される場合はそれを罪に問うという裁判指揮もありえるでしょうが、被疑事実にもっとも関係が深い証言といった場合はどちらかというと被告人の証言において多いと予測されます。しかし、偽証の罪と本件の罪は当然本件の罪の方が重大ですから、偽証の罪を云々することは通常差し控えられると思います。
一般論で言うと、偽証罪がないからいくらウソを言ってもいいのだ、と否定論者が言っても弁護側証人もまた、いくらウソを言ってもいいということになり、偽証罪がないからといって弁護側が一方的に不利になるということはありえません。
ちなみに検事側証人が事件当時とは異なる趣の証言をしている例を紹介します。
当時第十軍法務部長小川関次郎の宣誓口述書(弁証二七〇八)『極速』三一〇号
−−自分は十二月十四日正午頃、南京に入り、午後大事友軍の警備地区(南京の南部)の一部を巡視した。其の時、中国兵の戦死体を六、七人見た丈で、他に死体は見なかった。
第十軍法務部陣中日誌の付録「月報」所載、小川関次郎従軍ノート 『続・現代史資料』第六巻「軍事警察」より
[十二月十四日条]午前十一時、自動車にて出る。獣医部長と同車出発す。南京までは十八里ありと。.....城壁の南門(中華門)に近付けば、貨車・乗用車・車両等にて前進を妨げられ、約一時間余も停止す。....路には支那正規兵が重なり合ひ、それに火が付き盛んに燃へ居るを見る。日本兵は全く足下に市街の横へ居るを見ながら、殆ど何とも感ぜざる如く、中には道一杯で歩行出来ざる為め、燃へつつある死体を跨ぎ行く兵を見る。人間の死体などにもはや何とも感ぜざるが如し。漸くにして南門前に至る(午後三時三十分)....門に居れば、両側には支那兵の死体累々たるを見る。 [翌十五日条]午後、市内の状況視察に出る。各十字街には鉄条網を設けあり、又其の傍らには支那正規兵の幾人も斃れ、それに衣類に点火して焚けつつあり。之等を見ても別に異る感生ぜず、日本兵も殆ど間接的何等の感もなく、全く之とて路傍の者として見るが如き光景、是亦、戦場ならざれば経験し得ざる所なるべし。又、依然各所に火炎上り、黒煙天を焦がす。
この例は証人にとってあまり強く印象づけられなかった事柄の記憶が薄れて来ている例と思われますが、否定派が検事側証人がウソをついた、と称するのは精々がこの程度、多くはこれよりさらに薄弱な根拠によるものです。
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