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[4970]超ひも理論 とほほ 07/11/21(水) 1:14
[4971]目次チャート(Ver1.0) とほほ 07/11/21(水) 1:15
[4972]超ひも理論1-a(原子モデルを考える前に) とほほ 07/11/21(水) 1:16
[4973]超ひも理論1-b とほほ 07/11/21(水) 1:17
[4974]超ひも理論2(原子モデル:原子を見ると言うこと) とほほ 07/11/21(水) 1:21
[4975]超ひも理論2-a とほほ 07/11/21(水) 1:23
[4976]超ひも理論2-b(原子モデル:原子核の発見) とほほ 07/11/21(水) 1:25
[4977]超ひも理論2-c(原子モデル:原子核と電子) とほほ 07/11/21(水) 1:27
[4978]閑話休題:電子の原子内での力学的振る舞い とほほ 07/11/21(水) 13:52
[4980]閑話休題(量子論前夜、電子の発見) とほほ 07/11/21(水) 17:05

[4970]超ひも理論
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/11/21(水) 1:14 -

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   超ひも理論1(はじめに:そもそも)

とんまてーーん、某所で書いていたら誰にも興味のないことを書くな、といわれて追い出されましたので、自分の管理する掲示板に書きまーーす。興味のない人は見ないように。

超ひも理論1(はじめに:そもそも)

[とほほ修正:Ver1.1 07/11/25](協力・指摘memoさん)

英語でかっこよく言うと「スーパーストリングスセオリー」である。

現在私は、またもや入院生活に入り、仕事もなく暇なので、せとさんと言う友人とかねてからの懸案であったこの理論について勉強しようと思う。いわずもがなであるが、私は高卒の一労働者にすぎないのである。が、若い頃から物理のお話が大好きである。しかしいかんせん「勉強が嫌い」と言う致命的悪癖を備えている。
というわけで私は学者ではないので、おわかりとは思うが私の書くことはあてにしないように(^^ゞ
しかも、あろうことかLooperさんやせとさんの校正をへて図解入りにして私のホームページへ掲載しようとも目論んでいるのである。

それでも、書いてみようと考えたのは、せっかく現代に生まれ生きていながら現代物理の最先端の何たるかを全く知らない、というのも何となくもったいないような気がするし、わからないなりに遠くからでも雄大な物理学と言う巨峰を眺めてみたいと言う誘惑には抗えず、幸い良心的物理学者の幾人かが我々ど素人の為に物理学の言語である数学を使わずにしたためた一般向け書物もあり、それを読んだど素人が、現代物理をどのように理解するのかと言うサンプルにもなろうと思い書き始めることにした。従って詳しいことを、正確なことを知りたい方はお金を払って物理学者の門を叩くことをお奨めする。

クリックで小窓で拡大
さて、そもそも超ひも理論とはなんぞや?今回の第一稿は参考書を一切見ないで書く(笑)
超ひも理論への導入には色んな物理学上の経路から導入可能である、素人にわかりやすいのは、デモクリトスにはじまり「ソクラテスもプラトンも」の時代からの物理学的真理であり思想であるところの「アトム」発見への探求の結果ともいえる。つまり超ひもこそ究極の物質(つまりは根源的アトム)ではないか?と言う理論である。

ただ、先に申し述べさせていただければ、「超ひも」とは物質の究極と言う性質にも留まらない、つまりは空間そのものも「超ひも」から成り立っているというのだ。このことはこれまで(アインシュタイン相対性理論まで)の空間の概念を覆す。私たちは空間と言うものは連続的なものである領域の空間には無限の点(質点・座標)があると考えてきた、これはニュートンもアインシュタインも同じであるが、超ひも理論では空間には最小単位があると言うわけだ。つまり空間とは、一様に連続的に繋がっているものではないということである。

話を戻そう。
物質とは何で出来ているのだろう?物質を何でもいいから小さくしていくと、その物質の最終的性質を決める分子と言う構造に出くわす。しかしこの分子と言う構造単位はアトムではなかった。あまりに多様すぎるのだ。アトムが物質の最小単位であるとしたら「それは一種類かそれに準ずるものでなくてはならない」が物理学の信仰である。

そして分子は原子と言う、より基本的な要素から構成されていることが発見された。人類はついにアトムにたどり着いたと狂喜したが、それもつかの間であった原子の種類がこれまた一杯出てきてしまったのだ。究極のアトムは一種類でなくてはならない、つまり原子も何かから出来ているに違いなかった。原子が電子を含む物質であることはわかっていた。思わず科学の時間に習った原子周期表を思い出してしまった(^^;、そういう面倒くさいことは置いておいて、とにかく原子の種類は一杯あるのだ。

ここでJJトムソンモデルとラザフォード実験の有名な論争が登場する。(ラザフォードモデルにおいて日本の誇る湯川博士の原子モデルと関連した「力」に関するもので中間子の発見と言う多大な功績があるがそれはまた別述することもあるだろう)。

JJトムソンの原子モデルとは「原子と言う物質があり、その中に一様に電子が分布し、いわばスイカのようなものである」と言うモデルであった。今日私たちはこのモデルが誤りであったことは知っている。ラザフォードのモデルが正しかったわけである。
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[4971]目次チャート(Ver1.0)
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/11/21(水) 1:15 -

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   目次チャート(Ver1.0)

超ひもについて語ろうと書き始めたら、案の定話があっちに飛びこっちに飛びしてしまっている(^^;
これでは、読むほうも疲れそうなのでまとめるために、最初に道筋をつけるためにチャートを作成してみた、しかしこのチャートを見ただけで書きたいこと書かねばならないことが煩雑すぎるのがわかるが、少しでも役にはたつだろう。それでもチャート通りに話が進むか否かもわからない。
アトムの探求


ラザフォードの原子モデル
  • 物質を見ると言うこと
  • 質量と物質(ヒッグス場)
    クオーク・原子を構成するもの
  • 原子の構造
    1. 原子核(陽子と中性子)
      原子核を結びつける力
      強い力・弱い力とベータ崩壊
      直接は観測されないクオーク → ひも理論と強い力
    2. 電子
      電子を原子核と結びつける力
      電磁力


自然界の四つの力
  • 四つの力(重力・電磁力・強い力・弱い力)を説明する二大理論
    1. 相対性理論
      • 光速度絶対仮説(閑話休題:とほほ妄想論)
      • 双子のパラドックス(閑話休題)
      • 反物質(閑話休題)
    2. 量子論
      • 黒体放射と原子内での電磁力(ボーアの物質波)
      • シュレティンガーの猫のパラドクス(閑話休題)
      • ビッグバン仮説(おまけ)


力の統一と言う側面から見た物理学史
  • ニュートン・マクスウェル・アインシュタイン等の行った仕事
  • 統一理論・大統一理論から超ひも理論へ
    1. 相対性理論と量子論の空間記述上の矛盾
      • 不確定原理へのアインシュタインとハイゼンベルグの思考実験論争
    2. そして二大理論の統一へ
    3. ツイスター理論(複素空間記述へ)
      • トロポジーについて
      • 高次元空間について
      • ファインマン図
      • ミンコフスキー空間とその幾何学
    4. 超ひも理論・宇宙は16次元の驚くほど小さい振動するひもだった。

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[4972]超ひも理論1-a(原子モデルを...
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/11/21(水) 1:16 -

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   超ひも理論1-a(原子モデルを考える前に) Ver1.1
[とほほ修正:2007/11/25]

> JJトムソンの原子モデルとは「原子と言う物質があり、その中に一様に電子が分布し、いわばスイカのようなものである」と言うモデルであった。今日私たちはこのモデルが誤りであったことは知っている。ラザフォードのモデルが正しかったわけである。

さて、このラザフォードのモデルは学校でも習うので後回しにして、少し思考遊びをしてみよう。
「いいから先に進め」と言う声も聞こえるような気もするが、実はこの古くて新しい思考遊びは「超ひも」を理解する上で重要な気がするのである。つまり不連続な空間とは?、物質の最小単位とは?、と言う問いかけのパラドクスを指摘するものだからである。

クリックで拡大アリストテレスの時代の物質観とは左図に示されるよな物で、このような物質観は中国の陰陽五行説にも見られる。
画像は「質量の起源、成瀬立成、講談社より」


しかし、アリストテレスの最大のライバルとも言えるデモクリトスはこう言った。
この世は、アトム(原子)とよぶ微細な粒子と、それが浮かんでいる真空からなり、他には何も存在しない。物質は無数のアトムが結合したものである。アトムはそれ以上分割できず、新しく生まれたり消えたりしない。すべての現象は、アトムの結合の分離にすぎない」「真空とは何か、成瀬立成/細田昌孝、講談社」P49
これは現代物理学においても全く正しい考え方といえるし現代に十二分に通用しているものだ。しかしアリストテレスは、この理論の論理矛盾を見事に指摘した。論理的にはアリストテレスが全く正しいのであるが自然はそうはなっていなかったと言うことであろうか?
現代物理は、そして超ひも理論は如何様にこのパラドクスを解消したのであろうか?それとも解消などされておらず、パラドクスはパラドクスのまま自然の中に存在しているのであろうか?考えてみようではありませんか(^.^)

以下にアリストテレスの反論を掲載します。そして「真空とはなにか?」と思いをめぐらせることで現代物理への興味もひとしおとなるかと考えます。
アリストテレス:「アトムがどんなに小さくとも、大きさをもつ以上、もっと小さく分けられるはずだ。原理的に分割不可能な粒子などありえない。」「真空とは、何もないことだ。何もない状態がある、とは論理矛盾である」
このアリストテレスの指摘は論理的に正しい。
しかし、今日我々は、大きさ(広がり)や、あまつさえ質量さえ持たない粒子の存在を知っている。有名なところでは光子やニュートリノ?は質量さえ持たないし電子などは大きさを持たない点と考えられている(厳密にはクオーク、レプトン、ケージボソン等がそうである)。
そして「真空」が存在することも知っている。つまり空間の中で局所的に領域を切り取りその中に物質が存在しなければ「その領域は真空」である。が、しかし、ここでよく考えてみよう、堂々巡りかもしれないが、、、、。

大きさや質量を持たない物質ってなんだ?そんなものが物質と言えるのか?
そもそも空間とは連続的に繋がっているのであって局所的に切り抜くと言うことなど出来ない、この広大な全宇宙の中のどこかに一つでも物質が存在するのであればそれは真空ではない。
では、物質が全宇宙からすべて消え去ってしまった空間は真空なのか?そもそも空間は物質の位置を特定する為の概念であって物質が消えた時点では空間も存在していない、これは相対性理論が言明していることでもあり、そうでないのであれば相対論自体が誤っていることになる。

と、ここまで思いをめぐらした方はさすがである、少なくとも私並みの妄想力を備えていることになるのであろう(笑)
ただ、こうしたパラドクスに超ひも理論が答えているのではないかと考えると興味も一段と深みを増して気はしないだろうか?

では、実際に現代物理学は、どのようにしてアトム(物質の最小単位)へ近づき、どのようにして真空を発見してきたのであろうか。実は理論的には発見したことなどないのである。自然がそうなっていた、と言うのが正しい。いみじくも有名な科学者の言葉らしいが「物理学は『なぜ』を考える学問ではない、『どうなっているのか』を観察する学問である」と言う事なのであろう。

原子そのものの発見は早かった、中学生は水を水素原子と酸素原子に分解するし、メッキの実験もする。
しかししつこいようだが、そもそも原子ってなんだ?まてまてもっと根源的な私たちが生活している「空間」ってなんだ?と言う理解をせねばなるまい、次稿ではニュートン時空の復習をへて相対論の世界を覗いてみよう。
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[4973]超ひも理論1-b
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/11/21(水) 1:17 -

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   超ひも理論1-b(空間・物質・質量そしてエーテルの話)Ver1.0

なんだか「余計な話ばかりで、いつまでたっても超ひも理論がでてこないではないか」とお怒りの方もおられることと思う(-。-)y-゜゜゜
今しばらくご辛抱願いたい。こうしたアリストテレスの時代からの物質観とは「超ひも」を語る上で欠かすことの出来ない概念と考えられるからである。(もしくは、実は とほほ が超ひも理論をよくわかっていないので、この辺りから話を始めないとチンプンカンプンなのである。と言うのも真理である。)

前稿からの引き続きになるが、皆さんはこの宇宙に物質(質量・エネルギー)が一つもないとしても「空(から)の空間はそこに存在する」とお考えだろうか?
この問題は「真空とは何か?」と言う命題にも置き換えられる。

アインシュタインの理論によれば、空間とは物質の存在位置を示す座標以外のなにものでもないわけであるから、「物質がない」のであれば、空間を定義すること自体無意味であり、ナンセンスな設問になる。
また、アリストテレスによれば【何もない空間】と言う奴の【何】とは何のことだ?、といささか禅問答気味ではあるが、正に真理をついている。「何もない」のであれば「空間もない」、と言っているのであろう。

しかし、実質的にはアリストテレスもニュートンもアインシュタインも、我々が直感するように「空(から)の空間」として「絶対空間」を仮定して扱ってきた。「アインシュタイン理論はそんなことはないだろう」とお考えの方もおられると思うが、証拠がある「エーテル」である。実はアインシュタインはエーテルの存在を確信していたのだ。アインシュタインが、ついにエーテルを放棄するのは量子論がかなり発展してきてそれもアインシュタイン自身が「大統一場理論」に取り組んでいたかなり晩年になってからである。

クリックで拡大左図は「10歳からの相対性理論、都筑卓司、講談社」

アインシュタイン伝説として有名なエピソードの一つに、彼の相対性理論は彼が少年のときに見た「光と同じ速さで飛ぶ自分の夢」がヒントになった、と言うものがある。光とは電磁波である、つまり電場と磁場が交互に発生しながら空間を進む波動である。アインシュタイン少年は「もし、光と同じ速さで飛んだら、凍結した電場と磁場を観測できるのだろうか?」と考えたわけである。
そして相対論の根本原理「光速度絶対仮説原理」が確立されたわけだ。

#ところで、かれの相対性理論はこの仮説が間違っていると全て間違っている、と言うことを覚えておいて頂きたい。(Looperさんの無神論と喧嘩するときに必要になる(笑))

まあ、いずれにせよ天才アインシュタインは少年時代から発想が突拍子のないものであったのだろう。
しかし、今も書いたように、光とは電磁波と言う波動である、その振る舞いはマクスウェルらの電磁波研究により波動関数と言う数学で厳密に理論付けられていた。波動については私たちはおそらく小学生の頃から勉強している、波は津波にしろ細波にしろ音波にしろ地震波にしろ、いかなる波も、それを伝える媒体が必要なのである。津波や細波には水と言う媒体、地震には地殻と言う媒体、空気がなくては音は伝わらない。

母なる太陽からわれ等が地球に降り注ぐ太陽光は、宇宙の中で何を媒体にして伝わってきているのであろうか?。いやさニュートンの発見した「万有引力の法則」により、あまねく宇宙を支配しているはずの重力波の媒体はなんなのだろうか?
その媒体と考えられていたものが「エーテル」と言う物質なのである。

エーテルは、宇宙全体に充満した物質であるはずだった。19世紀から20世紀にかけて科学者達は色んな方法でエーテルを発見しようとした。いや、現在もエーテルを探している人はいるかもしれない。
結論から言えば、エーテルは見つからず、量子論はエーテルを必要とせずに理論を発展させたし、アインシュタインの相対性理論も、重力とは空間のゆがみの事、と言う理論なので必ずしもエーテルは必要ではなかったのだ。

クリックで拡大右画像は「10歳からの相対性理論、都筑卓司、講談社」

しかも、このエーテルが実在するとなると宇宙論的に非常に奇妙な事態を招くことになるのだ。つまりエーテルの存在は宇宙空間は絶対空間である、ということになる。これは非常に奇妙な話で詳細は省くが、これが存在すると言うことは天体などの物質は宇宙に充満するエーテルの海の中を漂っていることになる。エーテルそのものは宇宙全体に充満しているものなので、その絶対平均速度は0である、つまり静止していることになる。であるから我々が観測するエーテルの我々との相対速度を観測することにより宇宙の中心(重心)が求められてしまうことになってしまう。現代宇宙論では「宇宙に中心はない」のである。

結論を書こう。物質がなくても真空は存在する。しかし真空は空っぽではない、と言うことである。超ひも理論に近づいてきたようである(笑)
先の稿で言及した質量を持たない粒子を思い出していただきたい。光子である。光子は質量は持たないが、いつでも質量を生成することができるし、消滅して光子に戻ることも出来る。

クリックで拡大左図は「質量の起源、広瀬立成、講談社」
あーー、とほほ がついに大嘘をついたぞ、などと喜ばないように(^^ゞ
質量のない所から質量が生まれるはずがない、自然の絶対のおきて絶対真理である「質量保存則」を裏切っている、と言いたいかもしれないが、実は保存則は厳密に守られている。この理論は特殊相対性理論の最も有名な解、E=M*C×C (EイコールMC二乗)、より補償されているのだ。つまりエネルギーと物質は等価である。左図は質量のないところから粒子が発生している証拠写真である、一方は電子が発生一方は陽電子(反物質)が発生し直後に対消滅している。

そんなことはわかってるってか?、まあまあ次稿を待て(笑)
一応この辺の概念を押さえた上でラザフォードの原子モデルの考え方(原子の姿を見る)に進みたい。
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[4974]超ひも理論2(原子モデル:原...
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/11/21(水) 1:21 -

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   超ひも理論2(原子モデル:原子を見ると言うこと)ver1.01

えー、先に申し上げて起きますと、見も蓋もない話ですが原子は目には見えません。電子顕微鏡でも見えません(^^ゞ
「見てきたような嘘をいい」と言う言葉がありますが、果たして科学者達は見てきたような嘘をついているのでしょうか?違いますね、科学者達は確かに原子を見てます。この「見る」と言うことの意味をここでも復習しておかねばなりません。

その前に、私がこの論考で使ってきた「アトム」と言う言葉ですが、ここから先は少し詳細にこの言葉の意味を定義しておきます。[#7800]でも述べたとおり、本来の意味での「アトム」とは、デモクリトスが言う「分割不可能な究極の粒子」のことである。しかし、一時期科学界では「原子こそ、このアトムである」と考えられていた時期が合ったため、現代でも辞書的な意味でもアトム=原子と翻訳されることも多いし、その意味で使われることも多い。

しかし、本論考では原子はより小さく分割可能な粒子であることを知るものの立場として「原子」は「原子」、「アトム」はデモクリトス的意味合いでの「究極の基本粒子」のことをそう呼ぶことにする。

さて、人類が原子を発見したのは先の稿でも述べたがかなり早い時期である、青銅技術や製鉄技術の発達は原子を発見していたと言ってもよい。中世には金を作ることができると言う錬金術師も登場した。近代に入っても自然界には存在しなかった原子を人工的に作った化学者もいた。

ただ、この時代の化学者達の原子の扱いに対して、一部の物理学者たちは大きな不満を抱えていた。直接観測にかからないものを科学の対象にしたくなかったのだ。ある意味魔法使いたちが魔法の薬で魔法の物質を作っているような感覚を感じていたのかもしれない、厳密には化学(ばけ学)の発展は十分に科学的なものではあったが、それでも形而上学的な要素が非常に強い学問であった。

#せとさんが、時折、相対主義を持ち出して、科学の実証主義を批判するとき、せとさんにとって、この時期の科学と形而上学の境界が曖昧なことと歴史修正主義に見られるような疑似科学との境界が曖昧なこととを混同してしまっていることに起因した錯誤が存在するのかもしれないが、それはおいおいせとさんとのお付き合いの中でわかってくることだろうが、科学と疑似科学の境界と形而上学・哲学との境界と言うは明示的に異なることは言明して起きたい。が、しかし、ここではこの議論は控えることにしよう。

いずれにせよ、この時代の科学者がやりたかったことは、化学者たちが言うように原子というものが本当に存在するのであれば、直接何らかの方法で、その形、大きさ、硬さ、質量などを測定したかったのである。(物質の究極はなんだろうか、本間三郎著、講談社現代新書)
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[4975]超ひも理論2-a
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/11/21(水) 1:23 -

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   超ひも理論2-a(原子モデル:原子を見ると言うこと2)Ver1.1[とほほ修正:07/11/25]

この稿でこれから書こうとすることは、物理学の入門書には必ず書いてあることである。であるから、かなうならそちらをご覧になっていただきたいが、本稿でもこれを飛ばして話を進めることはできない為に言及しておこうと思う。でもわかっている人は、ここは飛ばしてもよい思う。

つまり、人間が物を見る仕組みをイメージせよ。と言うことである。

左図は人間がみかんを見るときの仕組みを図解したものである。正確を期すためにここは「質量の起源、成瀬立成、講談社」の言葉を真似る。
「図:質量の起源、成瀬立成、講談社より」
  1. 対象(みかん)に対して照射される光がある。
  2. 照射された光の中からみかんに反射された光がみかんから出てくる。
  3. みかんからでてきた光を人間の受像機(眼・視覚神経・脳)が捉えみかんが【見える】
これは人間の【見る】と言う仕組みを出来るだけ一般化して表現したものである。

さて、ではこれと同様の仕組みで原子を見ることが出来ないのだろうか?基本的には出来るのである、ただし、人間の受像機が感知できる光(可視光)ではエネルギーが小さすぎて十分に人間の受像機を励起させられないのである。かといって大きなエネルギーの光を人間の受像機は受信することが出来ない。従って利用する受像機や光を別のものに置き換えて原子を見てみよう、と言うことなのである。
非常に簡単な理屈なので、とほほが知ったかぶりをする為にどうでも良いことを書いていると思われるかもしれないが、素粒子研究にはこの基本的な【見る仕組み】の考え方は非常に重要なので、しっかりとイメージ化しておく必要があると思う。

すなわち、物の存在を認識するには必ずしも可視光線を使う必要はないということだ。人間の体の深部を見るためにはX線が良く使われるX線(レントゲン)は体内にある骨格に当たって反射する、であるからその反射光を受像機で感知することで人間の体内を観察することが出来る。原子を見る、のもこれと同様である。

但し、原子に当てる粒子と原子はほぼ同じ大きさなのである、であるから原子を見るために粒子を衝突させると大方原子は壊れてしまう。その壊れ方粒子の反射の仕方を解析して原子を【見る】わけである。さて、この人間がみかんを見る方法と同じやリ方で原子を観察したものが「ラザフォードの原子モデル」なのである。


左図はラザフォードの実験をイメージ化するため「思考実験」を図式化したものである。この思考実験と言うのは理論物理の世界ではよく使われる、アインシュタインはこれの天才といわれたものである。左図のようにぶら下がっている鉄球に釘をどんどんと発射して打ちつける、ある釘は鉄球の裏にあるスクリーンに痕跡を残し、鉄球にぶつかったものはそのぶつかった位置や角度によって様々な方向に跳ね返る、これらの跳ね返り方を分析することで人間は光で鉄球を【見る】ことなく、その大きさ、硬さ、質量等様々な性質を認識することが出来るわけである。
左図は「物質の究極はなんだろうか、本間三郎、講談社現代新書」
  1. 対象(鉄球)に対して照射される釘がある。
  2. 照射された釘の中から鉄球に反射された釘が鉄球から跳ね返ってくる。
  3. 鉄球から跳ね返った釘を人間が観測し鉄球が【見える】


さて、ではいよいよラザフォードが行った実験について書いていこう。
先に投稿したとおり、当時は原子モデルの考え方はJJトムソン流が主流であった、ラザフォードもそのように考えていた。ただしこの原子モデルを最初に提唱し論争していたのはラザフォードやJJトムソンではない。実はどちらかといえば正確に原子モデルを予言していたのはこれまた日本の誇る理論物理学者長岡半太郎である。JJトムソンの主張していたモデルがすなわち原子と言う丸い玉のような陽子でできた物質があり、その中に電子などが入り混じって存在していた、つまりスイカ型原子モデルである。で、こうした原子モデルを突き崩したのがラザフォードの実験であった。(こっから先は私の理解に間違いがあるかもしれないので、Looperさんやせとさんはしっかりチェックしておくように)
図:「超ひも理論入門(上)、F・D・ピート、講談社」


ラザフォードも別にこのスイカ型モデルを疑っていたわけではない、原子構造の研究の一環として、ラザフォードは金箔にアルファー粒子(帯電したヘリウムの原子核、当時は当然原子核と言う物質は認識されたいなかったので、不思議な放射線)をぶつけてみたのだ。するとあらびっくり、と言う事態になってしまった。このラザフォードの実験以降素粒子研究はある意味パニックとなった、大型加速器が続々と建設され、基本粒子であるはずの原子または素粒子の数は膨大な数に種類に膨れ上がった、それを統一的に記述する為のクオーク理論を初めとするあらゆる理論研究が始まった。次稿ではそのラザフォードの実験とその意味について考えていこう。
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[4976]超ひも理論2-b(原子モデル:...
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/11/21(水) 1:25 -

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   超ひも理論2-b(原子モデル:原子核の発見)Ver1.12[とほほ修正:07/11/14]

さて、いよいよ、ラザフォードの実験について書く段になった、と思ったが(^^;
前稿で、長岡半太郎とJJトムソンの名前が出てきてしまった(^^;(^^;
こうなると、この二人の原子モデルの話しをしたほうが話の筋道が通りやすい、が、ま、いいやラザフォードに行っちゃおう、要は物理学の発展と言うのは一本道ではないということなのだ。色んな科学者が色んな異種の研究に取り組んできてその中で様々な現象が確認されそれを統合的に理論付けていったのが物理学である。

アインシュタインのノーベル賞の受賞対象は「光電効果」と言う現象の研究である、これは原子にエネルギーを注入すると電子が飛び出してくるという現象である、この現象はこの時期には広く知られており、原子と言うのはプラスの電荷を帯びた陽子とマイナスの電荷を持つ電子で出来ていることはよく知られていた。科学の元素周期表を習ったことを皆さん覚えているだろう、そして元素には元素番号と言うものが与えられていたことも覚えているだろう、これはつまり元素は電子の数で種類が異なっていることは既に広く知られていたということなのだ。

長岡半太郎の面白いところは、例えば金原子は79個の電子を持っているし、水銀原子は80個の電子を持っている。そこで長岡は弟子たちに「水銀から電子を一個はがせば金が出来るではないか」とはっぱをかけた、と言う伝説がある。現在の我々の知識があれば笑い話である、水銀から電子を一個はがしたところで金にはならずに水銀イオンが出来るだけである(^.^)
あははは、昔の物理学者ってアホやったんやなー、と思った人に物理学を楽しむ資格はない(笑)。我々は原子核と言うものを知っているし、原子核の構造も知っているから笑えるのである。ではそれを知っている我々には水銀から金を作る方法を知っているはずである。どうやって作るのか?そして昔の物理学者たちはどうやって原子核を発見しその構造を突き止めたのだろうか?それを考えていくのが、物理の楽しさなのである。


左図は「物質の究極はなんだろうか、本間三郎」より
ラザフォードは弟子のガイガー(ガイガーカウンターと言うのがSFなどに良く出てくるのをご存知だろう)たちと、アルファ線と言う当時発見されたばかりの不思議な放射線を調べていた(発見者はキューリー夫人だったと思う、違ったらメンゴ)、アルファー線と言うのはある小さな粒子の流れであることも突き止めていた、その粒子は金の原子よりもはるかに小さい、従って金箔に照射すると前稿で示した鉄球に釘を照射した思考実験のように、原子の形に添って反射しスクリーンに原子の形を投射するはずであった。ところが、不思議なことにアルファー線のほとんどが金箔をすり抜けてしまうのだ。
この時期に考えられていたスイカ型の原子モデルが正しいとしたら、鉄球の思考実験のように原子の形に添って反射してくるはずである。

この現象が示す事実を皆さんはどのように考えるだろうか?考えられることは一つである、原子の中は「ほとんど何もない」つまり、そう、「真空である」ということだ。こいつは不思議である、私のような妄想癖のあるものにとっては、物質とは真空で出来ている、真空とは何もないということである(アリストテレスの議論を思い起こして欲しい)、真空の物質で出来ている我々の体は実は透明人間なのである〜〜〜(@_@)

もしくは、アルファー線が大変に高エネルギーであるために金の原子を破壊してまるで何もないかのように突き抜けているわけである。

とにかくこの実験結果を受けた当時のラザフォードの述懐を「物質の究極は何だろうか、本間三郎」より、そのまま転載する。
「ある日、ガイガーが私の所へやってきていったのです。『マースデンに放射能実験の方法を教えてますが、簡単な実験を始めさせてみてはいかがでしょうか』。私もそう思っていましたので、『彼にアルファー粒子が大きな角度へ散乱されるかどうか調べさせてみてはどうかね』といいました。私は内証で申し上げますが、そんなことが起るとはまったく思ってもいませんでした。アルファー粒子は、非常に速く走る重い粒子で、大きなエネルギーをもっていたし、そのような粒子が小さな衝突を繰り返して後方へ散乱されてくる確率は、きわめて小さいことがわかっていたからです。

それから、二、三日して、ガイガーが非常に興奮してやってきたのです。『何個かのアルファー粒子が後ろに跳ね返されるのを見つけることが出来ました・・・・・』。これは、それまでの私の生涯の中で起きた事件の中で、最も信じられないものでした。もし、皆さんが、一枚のティッシュペーパーめがけて15インチ砲弾を撃ち込んだところ、それが跳ね返って皆さんにあたったとしたら、それを信じられるでしょうか。私にはこれと同じくらい信じられないことだったのです」
これを、私たちはどのように理解したらよいのだろうか?

ここは私の筆力では表現しにくいので「物質の究極は何だろうか、本間三郎」の図解から説明したい。
この実験で実際に起きた出来事は図8で図式化されている現象である。つまりほとんどのアルファー粒子は何に妨げられることもなくスクリーンまで到達したわけである、しかし中心部に発射されたアルファー粒子が反射して来たと言うことだ。

さて、反射してきたと言うことは中心部に何かがある、そしてそれは大きな質量を持っていると言うことである、それを説明しているのが9図の図解である。もし、衝突したものがアルファー粒子に比べて十分に大きな質量でなければ真っ直ぐは反射せずビリヤードの玉の衝突のように進行方向を変えられ衝突された物のほうも移動するはずである。しかしこの実験では真っ直ぐに反射してくるアルファー粒子が観測されたわけである。

このことからわかる結果は一つである。
【原子は、その大きさ(広がり)のほとんどの領域が真空である。しかしその中心部にその原子の質量のほとんど全てが集中して存在する核がある】と言うことである。
つまり原子核の発見であった。

ラザフォードたちの測定結果は以下の通りである。
上記のような考え方から、ラザフォードたちは金箔の厚さや放射線の強さや広がりがわかっていたので原子核の大きさを測定することが出来たわけだ。

○その原子核の大きさは1兆分の1センチである。
これは当時考えられていた原子の大きさ一億分の一センチよりも一万分の一も小さい。

○その原子核の質量は当時考えられていた原子よりも一万分の一も小さいにも関わらず原子の総質量とほぼ同じであった。

この原子核の発見は当然物理学上の大発見である、そして新たな疑問を生み出してしまった。それは原子のほとんどが真空であるわけであるが、その真空はなぜつぶれないのだろうと言うことである。原子核の周りを電子が回っているとしよう、その電子の軌道が原子の大きさを示しているとしよう、しかしである、なぜ電子はその大きさを維持できるのだろう?

原子核はプラスの電荷を持っている、電子はマイナスの電荷を持っている、ここまではわかる、しかしであれば電子は原子核に引っ張られているわけであるから原子核の中に落ち込み真空はつぶれてしまい、大きさ(広がり)を維持することが出来ない。

さて、ここからがいよいよ量子力学の世界である、物語はマックスプランクから始めるほうが良いだろうか、、。
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[4977]超ひも理論2-c(原子モデル:...
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/11/21(水) 1:27 -

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   超ひも理論2-c(原子モデル:原子核と電子)Ver1.2
[とほほ修正:2007/11/21]

>さて、ここからがいよいよ量子力学の世界である、物語はマックスプランクから始めるほうが良いだろうか、、。

と前稿では書いたのであるが、本当は順番からすると原子核の発見よりも「電子」の発見の方が先なので、電子のことについて先に書くべきであった(^^;
つまり時系列からするとラザフォードの実験よりも時代は遡ることに成る。

今更嘆いても始まらない、とにかく問題のおさらいをしておこう。
「なぜ、原子内で真空はつぶれないのだろうか?」
これが私の書いた問題である、文才がないと言うことはなんとも嘆かわしい。これではちっともその不思議さが伝わってこない(T_T)
つまりですね、判明した原子の構造と言うのは、ほとんど何もない「原子の中身は空っぽだった」と言うことなのです。

「原子核があり、電子があるではないか、空っぽでもなんでもない」
いや、おっしゃるとおりごもっともなのですが、そもそも電子と言う奴には大きさがないのです。しかも原子核の大きさときたら一兆分の一センチしかなく原子の大きさの一万分の一です。これを具体的にイメージ化してください。例えば原子核の大きさを直径1mのボールだとすると、原子の大きさは一番簡単な構造の水素原子でも、電子の軌道である100KMの大きさと言うことになります。しかしその半径100KMの大きさの中に存在するものは、大きさのない電子とたった1mの原子核が中心に一個あるだけなのです。(左図参照:質量の起源、広瀬立成)

つまり、原子の大きさを100kmとすると原子の中には1mの原子核しかないのです。それ以外のところは「真空」なわけです。原子はそのほとんどが真空で出来ている、ことのイメージ化が出来ましたでしょうか。

もちろんだからといって原子内の真空が潰れないことを、そんなに不思議には思わない人もいるだろう、例えば気体の分子などでもてんでバラバラに存在しているし、それは原子にも言える事である。真空があってもバラバラに存在していればそれが潰れることはない。
しかしそれを圧縮したときを考えて欲しい。ものすごい力の圧力器でどんなに(といっても限界はあるが)圧縮しても原子は原子核の大きさまで潰れることはない、原子の大きさを保つのである。これが不思議なわけだ。

ましてや固体を考えてみよう、あなたが今木製の机の前にいるとしたらその机の板を両手で潰そうとしてみて欲しい簡単に潰れるものではない、もし原子が真空でできている筈なら物質は皆フニャフニャのはずではないだろうか?




それでも右図のようなイメージはできます。そして右のイメージ図はほぼ正確に原子モデルを表現してます。テレビの科学番組でも良く出てくるモデル図です。つまり電子はものすごい高速で原子核の周りを回転運動しており、その遠心力で軌道の大きさを確保している、だから原子は潰れずに大きさを保つ。

ところがぎっちょん(T_T)
そうはいかないのです、これはニュートン物理の運動方程式の世界です。回転運動と言うのは「加速度運動」なのです。加速度運動と言うのはエネルギーが必要でそれを消費せねばなりません。思い出してください、止まっている物体を動かす為には「力(エネルギー)」が必要ですよね?車を動かすにはガソリンと言うエネルギーが必要で常にそれを補給していかなくてはなりません。エネルギーを消費してしまえば回転運動は止まってしまい原子核の中に電子は落ちて行きますので、原子は潰れてしまいます。

いや、まてまて、とほほ の野郎がまた嘘をついてやがる、人工衛星は確かに最初はエネルギーが必要だが公転軌道に入れば、あとはエネルギーがなくても永遠にまわり続ける、大体地球が太陽の周りを公転しているが、これにはエネルギーなど使ってない。

そうなのです。実はこれはアホのとほほもそう思ったのです。このように考えた人はアホのとほほの仲間入りです。大歓迎(笑)。アホの仲間になったと嘆かないように昔は物理学者だってそう思っていたのです。
しかし、この考えは間違っていたのです。つまり自然はこうはなっていなかった、のです。自然とは常に人間の愚かさをあざ笑っているようです。

この原子の中の電子のふるまいの不思議を人間に教えたのは、あの「光」です。光って何なのでしょうね?光は波動でもありますし、粒子でもあります。このことの意味は人間がイメージできません。なぜ人間がイメージできないことを、人間は知っているのかと言うと、光が波動としても振舞いますし、粒子としても振舞うからです。そして電子と光の間には密接な関係があります、電子が回転運動を行うと光(光子)が飛び出すのです。したがって電子が原子核の周りを回り続けることは光子を放出し続けることになりエネルギーを消費するはずなのです。電子と光の関係は我々の生活の中にも定着しており現代社会の灯りはほとんど全て電気で作られています。

この答えが導かれたのが、電子の波動性、ド・ブロイの物質波と言う考え方です。電子を粒子と考えているとこの問題は解決しないのです。

あー、マックス・プランクについて書くつもりが前置きがこんなに長くなってしまった(^^;
次稿ではマックスプランクの時代まで遡ります。時は鉄血大臣ビスマルクの時代、ドイツ帝国全盛期です。戦争と科学、なんともいやな関係ではありまが無視できません。この時代の要請が量子論を生み出したといっても過言ではないでしょう。
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[4978]閑話休題:電子の原子内での力...
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 とほほ E-MAIL  - 07/11/21(水) 13:52 -

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   電子の原子内での力学的振る舞い ver1.1
[とほほ修正:2007/11/21]

「10歳からの量子論、都筑卓司」からそのまま転載しておく。これは先にプランクの仕事を紹介しておかないと理解しづらい面があるが、とりあえず****さんに電子の力学的振る舞いについて思考してもらわねばならないのでこの稿を閑話休題とする。
そもそも、量子論とは粒子の力学的な振る舞いを記述する理論であったのだ。力学的に電子が回転運動をしてもエネルギーを失わないのは「その軌道で運動することが一番低いエネルギー状態である」と説明されるのである。
マックス・プランクが量子論の生みの親なら、育ての親であるニールス・ボーアの電子軌道について引用する。
原子模型の論文をラザフォードに提出したとはいえ、まだまだ不完全なものであり、これについての研究課題は山積していた。電子の持ちうるエネルギーの値は決まった。したがって、原子核と電子との間の電気引力(いわゆるクーロン力)や回転している電子の遠心力などを計算することにより、軌道の半径がはっきり決まってくる。一番エネルギーの低いものの軌道半径は(この値は後にはっきりと確かめられたものだが)5.3×10のマイナス11乗メートル、つまり1メートルの100億分の1のさらに半分程度になる。

水素原子は電子を一つしか持っていないことがわかっているから、この円軌道が水素原子の大きさと考えてよい。この半径は後にボーア半径と呼ばれるようになり、種々の原子の大きさを言い表す尺度として好都合な値である。これよりもエネルギーの大きな電子の軌道半径は、ボーア半径の四倍にもなってしまう。そうして、その中間、例えばボーア半径の1.3倍とか1.7倍のようなものは絶対に存在しない、と言うのがボーアの基本的な主張である。

電子を二つ持つヘリウム原子では、二つの電子は同じ軌道を回っている。ところがそのつぎのリチウム原子になると、第3番目の電子はそれよりもエネルギーの高い軌道、いいかえると半径の大きな軌道を回らねばならない。いわゆる原子番号(その番号は、原子の持つ電子の数に等しい)と、その原子の構造とを、たんねんに調べていった。

一番エネルギーの低い状態には二つの電子が収まるが、二番目に低い状態には8個の電子が収容される。二個で満杯になるべき軌道になぜ八個が入るのか。
実はこの状態には軌道が四つあると考えられる。一つは円形(これを2s軌道と言う)であり、他の三つは楕円軌道(これらを2Px,2Py,2Pz軌道と呼ぶ)になっている。これらの軌道が電子で満員になったものが10番元素ネオンにほかならない。これより原子番号の小さい炭素、窒素、酸素などは、一部の軌道は空になっている。原子を表す絵として、中心の核のまわりに、円軌道と楕円軌道が描かれることが多いが、これはボーアの模型をそのまま描いたものである。

このようにボーアは、地球と衛星、あるいは太陽と惑星との関係をそのまま原子の構造に結びつけた。力学的立場から、きわめて理にかなった考え方であり、これをボーアの原子模型という。


ボーアの原子モデルで一応の決着は見た。このモデルであれば電磁気学的な問題、電子のエネルギー(光子)放出により回転エネルギーを失い電子は原子核に落ち込むことなく真空が潰れることはない。しかしまたもや自然はそうはなっていなかったのである。アインシュタインの相対性理論がこれにイチャモンをつけてきたのだ(笑)

つまり、光子を放出し続けることで電子は質量を失ってしまい、最終的には消滅してしまうことになるのだ。
これが、ボーア理論の不完全な部分である。しかし、このことを脇に置いておくとするとボーアの理論値は実験値と見事に一致するのです。そしてこれを解消する為にでてきたのが不確定性原理になるわけです。

ですから原子構造を理解する上で、真空の概念、なぜ原子は潰れないのか、そして運動力学との類似性、関係性は不確定性原理理解の為に認識しておかねばならないのです。
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[4980]閑話休題(量子論前夜、電子の...
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 とほほ E-MAIL  - 07/11/21(水) 17:05 -

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   量子論前夜、電子の発見 Ver1.0

原子の構造や原子内での電子の振舞いについては、閑話休題:電子の原子内での力学的振る舞いで書いてきたようにニールス・ボーアの原子モデルで一応の整理は付いた。もちろんこのボーアモデルには土星型モデルが提案された当初から大きな問題が内在している。一応、この問題をもう一度復習しておこう。

原子核の周りを電子が回ることは太陽の周りを地球が回る運動のように考えて一応の説明ができる事は閑話休題:電子の原子内での力学的振る舞いで示した。しかしこのモデルには大きな二つの問題がある、一つが****さんがしつこく唱えていることなのであるが公転しているものが【電子】であることが、このモデルの正当性を疑わせているのである。この意味を先に説明しておく(そうしないと****さんが納得しない(笑))。しかし、とりあえず問題点を脇に置いといて、その問題はないものとして理論を構築し現象を理解することは物理学の常套テクニックである、このボーアのモデルも最終的には不確定性原理の補完により完全になるわけである。本論での次の稿でのプランクの式もそうである。ただ、実験値に見事に合致すると言うだけでプランク自身その意味も何もわからなくて自分の研究に自信がなかったのだ。

さて、時代はもう少し遡る量子論以前にも物質の最小単位としての原子と、その原子が化学的に結びついた分子の存在は、広く知られていた。19世紀の始めごろにはドルトンやアボガドロ(おそらく化学の時間にアボガドロ数と言うのを習った覚えはないだろうか?私は化学の時間は寝ていたので良く覚えていないが(^^; )原子説や分子説が唱えられ盛んに研究されていた。もう一方で電気に関する研究も盛んだった19世紀の物理学の二大成果と言えばニュートンの美しい力学上の理論体系とマックスウェルの電磁気学の完成である。このニュートン力学とマクスウェルの電磁気学の完成度の高さの前で当時の物理学者にとってこの二大理論に異を唱えることなど神への冒涜にも値する行為であったかもしれない、そんな時代背景の中、量子論はひっそりとある研究所の片隅で偶然に生まれた。

話を戻そう、19世紀の半ばには質量の最小単位としての原子があるのであれば、電気量にも同じ事(電気量の最小単位)が言えるのではないか、と言うことを主張したのがストーニーである。ストーニーの主張はあくまで形而上学的な主張であり彼はそれを証明することはできなかったが、電気分解の研究を通してそれを主張したのである。ストーニーはこの電気素量を電子とよびエレクトロンと名づけた。

そして科学界では真空放電の研究が進み、ガイスラー菅(注)に電圧をかけると放電することを発見した。さらに詳しく調べるとマイナスの極板からプラスの極板に向かって何かが走っていることに気がつく、普通電流はプラスからマイナスに流れるものとされていたがこの実験で事情は逆転された。電流とはマイナス電気が従来とは反対方向に走る現象であることが判明した。

注:図は http://www.nucleng.kyoto-u.ac.jp/People/Ikuji/edu/vac/chap3/geiss.html より無断転載:真空管よりも単純な構造のもの真空のガラス管の中にマイナス電極とプラス電極を置いただけのもの
このガイスラー菅の中を走る負電気を陰極線と呼ぶが、1897年にJJトムソン(長岡半太郎の原子モデルと対立するモデルを提唱した人物であることは前出済み)がこの陰極線に電場や磁場を作用させる実験で負電荷を持つ粒子の流れであることを確認した。つまり電子(エレクトロン)の発見である。

このことにより「電流とは電子の流れである」ことが解明された。

さて問題のボーアの原子モデルを思い起こしてみよう、原子核の周りを回転しているものが電子だと言うのであれば、これは原子核の周りを電流が流れている、と言うことを意味する。ただ、電流がまっすぐ流れているだけなら何の問題もない、エネルギーも消費されない、しかしその電流の周りには磁場が発生することは電磁気学により証明されている。
しかし、それが回転している場合であるから問題なのである。これも電磁学が証明していることであるが電流が交互に流れると電場と磁場を交互に発生し電磁波を放出する、つまり電流が交互に流れるとは「電子の流れが振動しているとき」と言うことだ。ここで電子が回転している様子をイメージしながら、それの回転盤を横から見てみよう、そう正に電子の回転とは電子の振動なのである。電子が振動すると光を発生する、その量を計算すると原子内の電子はわずか10のマイナス11乗秒で連続的に質量を光エネルギーに変換してしまい消滅することになるはずなのだ。

ところが、実際には電子は安定した軌道をまわり続けている。
そして、最初に土星型のモデルには問題が二つある、と書いたがその一つが、長々と説明した「なぜ、電子はエネルギーを失うことなく光子を放出することなく安定して存在するのか」と言うことである、そしてもう一つの問題がありそれを解決したのがボーアのモデルなのである。

もう一つの問題とは【電子はわずか10のマイナス11乗秒で連続的に質量を光エネルギーに変換してしまい消滅する】と言う一文の中にある、【連続的にエネルギーを消費するはず】と言う部分であるが、実際には原子の中の電子は飛び飛びの値しかとらない、このことが非常に重要なのだ、マックスプランクの研究を経てボーアの原子モデルはこれを解決したものであるのだ。

****さんには納得いただけただろうか?もし、納得しただけたのであれば本論を続けて進ませたいのだが、、、。
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