|
「ちょっと息抜き」の投稿に、思いもかけず多くのレスをいただき、恐縮しています。さすがは思考錯誤板、勉強になりました。
さて、もうひとつ、「幕府山事件」の合間の「ちょっと息抜き」です。
勢いでmixiに投稿してしまったのですが、どう考えてもあちらではトピずれ、こちらに投稿するのがふさわしい内容です。というわけで、マルチポストになりますが、投稿させていただきます。
浦岡偉太郎という方の「身辺記」という本を入手しました。発行は昭和14年。かなり痛んだ本で、読んでいるうちに中のホッチキスがとれてページがほつれ、バラバラになってしまいました(^^;
「所属部隊」は明記されていませんが、昭和13年3月に華北(北京付近)に駐留、その後華南に移動、6か月後に負傷し、善通寺陸軍病院に入院していたそうです。
(このあたり、読み直して正確に投稿しようと思ったのですが、この本の状態ではこれ以上ページをパラパラめくるのが怖い)
「生きてゐる兵隊」発禁事件後の時期の本ですから、この種の従軍記録は、「自分はいかに立派に戦ったか」「いかに民衆に親切にしたか」という「タテマエ」に終始するのが普通です。
しかしこの本、結構危なっかしい。4月27日、「匪賊」討伐に出た時の記述です。
終わつてから自棄半分の実砲射撃を行ふ。この辺恐らく共産分子でない者は無いと言つて差支へない位だそうである。何処を撃つて、誰に中つても構はないのである。大隊砲、重機、軽機、擲弾筒をぶつ放す。胸のすく思ひがして帰途につく。(P3)
「何処を撃つて、誰に中つても構はないのである」−戦前のこの時期、ここまで「ホンネ」を書いてしまうのも、ちょっとスゴいかもしれない。
こんな記述もあります。
少時して此の部落の掃蕩をやつたが、チエツコの逃げ場が判らないので不気味であつた。馬鹿みたいな爺さんが一人居て何か判らん事を言ふ。大隊本部の権と言ふ通訳が怒つて突き殺して了つた。(P33)
流しを作るにしても材料などある筈がないので附近の民家へ行つては羽目板をはがして来たり、空家の戸を外して来たりするより他はなかつた。
幹部は民家から何かとつて来てはいかんと言ふが、それを取つて行かなけりや他にはそれに代るものがないし、持つて行かなけりや怒られるので止むを得ず外して持つて行くより仕方がないのである。無理な注文である。
又さう云ふ事の好きな兵隊もゐるもので、支那人をおどかしては悠々と持ち去る。ひどい事をするものだ。(P77)
おいおい、そこまで書いて大丈夫なのかい、とこっちが心配になります。
| |