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[4991]陰謀論に反対です 攝津正 07/11/25(日) 14:31
[4992]Re(1):陰謀論に反対です とほほ 07/11/25(日) 14:32
[4995]泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 熊猫 07/11/27(火) 4:57
[4996]Re(1):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/11/27(火) 5:13
[5067]Re(1):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/28(金) 13:14
[5073]Re(2):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/28(金) 16:09
[5079]Re(3):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! ひぐらし 07/12/28(金) 20:29
[5103]Re(4):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/30(日) 6:08
[5104]Re(5):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/30(日) 6:15
[5106]Re(5):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/30(日) 6:51
[5113]Re(6):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/30(日) 10:37
[5114]Re(7):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/30(日) 10:43
[5118]Re(8):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/30(日) 12:44
[5120]Re(9):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/30(日) 13:30
[5123]Re(10):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/31(月) 18:02
[5116]Re(7):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/30(日) 11:29
[5132]Re(8):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 08/1/1(火) 7:24
[5081]Re(3):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/29(土) 0:11
[5088]善悪二元論が正しいのです。 熊猫 07/12/29(土) 3:47
[5099]Re(1):善悪二元論が正しいのです。 永好和夫 07/12/30(日) 3:30
[5105]Re(2):善悪二元論が正しいのです。 とほほ 07/12/30(日) 6:25
[5125]Re(3):善悪二元論が正しいのです。 永好和夫 08/1/1(火) 0:14
[5133]Re(4):善悪二元論が正しいのです。 とほほ 08/1/1(火) 7:37
[5121]Re(2):善悪二元論が正しいのです。 熊猫 07/12/30(日) 15:09
[5097]Re(2):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! gallery 07/12/30(日) 1:56
[5101]Re(3):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/30(日) 4:53
[5102]Re(4):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/30(日) 5:56
[5107]Re(5):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/30(日) 7:35
[5108]Re(6):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/30(日) 7:49
[5110]Re(7):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/30(日) 8:18
[5111]Re(8):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/30(日) 8:34
[5115]Re(9):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! 永好和夫 07/12/30(日) 11:25
[5117]Re(10):泥棒は泥棒!人殺しは人殺し! とほほ 07/12/30(日) 12:12

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[5108]Re(6):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 とほほ E-MAIL  - 07/12/30(日) 7:49 -

引用なし
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   ▼永好和夫さん:
>はい、不十分だと思います。なぜなら、激突したことは事実ですが、『激突すること』から『イラクのテロリストが操縦した』という結論を導き出すことができないからです。

まあまあ、急がずに(笑)
NHKがずっと移していたのはNHKのカメラマンが撮影していたのではなく、偶然居合わせたカメラマンの撮影した映像が全世界に繰り返し放送されたのです、何の不思議もありません。

映像のあるツインタワーの事件に対して映像があることを根拠に疑惑を提示するのであれば、映像のない、たとえば固定カメラの瞬間映像しかないワシントンDCの映像は別に不自然ではないということになります。

イラクのテロリストが操縦したと言う結論は出ていません、まずは事実誤認は改めましょう。確認できることは航空機が2機立て続けに衝突した事実は誰でも私でさえも「これは自己ではない、人為的なテロだ」と言う十分な根拠である事実は確認できますか?
89 hits

[5110]Re(7):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 永好和夫 E-MAIL  - 07/12/30(日) 8:18 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼永好和夫さん:
>>はい、不十分だと思います。なぜなら、激突したことは事実ですが、『激突すること』から『イラクのテロリストが操縦した』という結論を導き出すことができないからです。
>
>まあまあ、急がずに(笑)
>NHKがずっと移していたのはNHKのカメラマンが撮影していたのではなく、偶然居合わせたカメラマンの撮影した映像が全世界に繰り返し放送されたのです、何の不思議もありません。

はい、そのつもりで書きました。NHKのカメラマンが撮ったとはおもっていません。誤解を招く書き方で申し訳ありませんでした。
>
>映像のあるツインタワーの事件に対して映像があることを根拠に疑惑を提示するのであれば、映像のない、たとえば固定カメラの瞬間映像しかないワシントンDCの映像は別に不自然ではないということになります。

激突の瞬間の映像が非常に印象的だったので、当時の記憶をそのまま書きました。もちろん、これだけで陰謀の証拠とするつもりで書いたわけではありません。高速の飛行物の衝突の瞬間を捉えた非常に分解能がいい動画でしたからフシギに思ったことをそのまま書いただけです。これをもってすべてを限定することはもちろんできません。ひとつの視点を示したもので、不可能と書きましたが絶対不可能という意味ではありません。きわめて困難という意味です。
>
>イラクのテロリストが操縦したと言う結論は出ていません、まずは事実誤認は改めましょう。確認できることは航空機が2機立て続けに衝突した事実は誰でも私でさえも「これは自己ではない、人為的なテロだ」と言う十分な根拠である事実は確認できますか?

はい、私は9.11がテロではないといっているのではありません。(事故およびテロとは何を意味するかの定義には触れません)。議論はアメリカ側がやった工作テロか、イラクのテロリストがやったテロか、という論点ではないでしょうか。この論点にたってグレーという見方をしただけです。

わたしが誤解して記述しているのであったら申し訳ありません。削除してください。
98 hits

[5111]Re(8):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 とほほ E-MAIL  - 07/12/30(日) 8:34 -

引用なし
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   ▼永好和夫さん:
>はい、私は9.11がテロではないといっているのではありません。(事故およびテロとは何を意味するかの定義には触れません)。議論はアメリカ側がやった工作テロか、イラクのテロリストがやったテロか、という論点ではないでしょうか。この論点にたってグレーという見方をしただけです。

いやいや、イラクのテロリストの犯行である、なんてことはアメリカ政府は言っていません。アメリカ政府の主張は「オサマ・ビン・ラディン」と言う人物(アルカイダという武装テロ組織の首謀者とされている)が、犯人である、です。イラクへの戦争の正当性は全くありません。この辺の認識はかなり広く浸透していると思います。

対アフガニスタン・イラク戦争は911事件のアメリカ国民の怒りに対するガス抜きになる上に元々アフガン・イラクを侵略したかったアメリカの口実にされた、と言う見方は私もそう思います。

>わたしが誤解して記述しているのであったら申し訳ありません。削除してください。

いえ、管理人削除の必要は感じられません。ご自身でも削除できますから何か理由があって削除したいのであればご自身でなされるか私に依頼してください。911自作自演説というものがどういう主張していて我々が何を批判しているんか、確かに永好和夫さんは誤読している可能性があります。
これが、平和主義勢力が自作自演論をその内容も知らずに擁護してしまう危険性なのです。
101 hits

[5113]Re(6):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 永好和夫 E-MAIL  - 07/12/30(日) 10:37 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼永好和夫さん:
>>要するに、北朝鮮に対して戦争責任をとっていない日本にとって、拉致は自業自得なんですね。これを認めるない人は偽善者ですよ。自明の理です。
>>それとも、ほとんどの日本人は、『日本人の命は地球より重く、朝鮮人の命は虫けら同然』、とでも思っているのでしょうか?
>
>つまりですね、拉致事件と殖民支配やそれに伴う日本の悪業を「日本VS北朝鮮」と言う二元論で考えてしまっているのは永好和夫さん自身なのです。この二つの問題は「日本VS北朝鮮」と言う二元論上では永遠に解決されません。拉致問題と日本の悪業は相殺したり出来ないのです。拉致は拉致と言う悪であり、日本の戦争犯罪は日本の戦争犯罪という悪なのです。

善悪を問題にしているのではありませんよ。ですから善悪二元論とは無関係です。ダブルスタンダードを作ってはいけないことが自明の理であることをいったものです。ですから、問題を解決するために書き込んだものでもありません。議論をするときの最低限のルールを書いただけです。

人それぞれいろいろな考え方、価値判断があります。価値判断の多様性があるのは当然です。ただ、相手を批判するときの判断基準と、相手の立場に立って自分自身を判断するときの判断基準が異なっている人は偽善者である、といっただけですよ。自明の理ですよね。

たとえばですね。自分は相手のものを盗んでいいという価値判断の人はいるかもしれません。しかし、自分が相手のものを盗むことを肯定するのでしたら、相手が自分のものを盗むことを肯定しなければならない、という意味です。善悪を問題にしているのではありません。善悪以前の議論をする最低のルールではないでしょうか?

自分と同じ価値判断でないと納得しないならば、結論をまとめるのは困難ですし、単なる批判の応酬になってしまいます。ひどいときには批判が非難、誹謗中傷そして暴力へと発展することもあります。

ですから、私は相手を論理的に説得するときは、相手の価値判断のもとに議論するわけです。暴力をいかなる場合でも認めないという人は、自分がどれだけひどい被害を被っても泣き寝入りすることを認めなければならなくなることは、論理的には自明の理です。善悪以前です。これはいわゆる現在、沖縄人や在日朝鮮人がいうポストコロニアリズム(ポスコロ)の原点です。これに関しては、

『地に呪われたる者』(ファノン)
『黒い皮膚・白い仮面』(ファノン)
『たとえいかなる手段をとろうとも』(マルコムX)

がポスコロの代表作として知られています。しかし、ちょっと読みにくいですね。より読みやすいのは、

『メディア・コントロール』(チョムスキー)
『無意識の植民地支配』(野村浩也)

です。

この善悪以前の最低限のルールすら守れないのが現実社会なのです。要するに自分と他人、自国と他国の対等性を認めていないんです。野村浩也氏は痛烈に日本批判をしてますよ。日本人にとって『沖縄人と日本人が対等であることはあってはならないことなのだ!』などどいってましたね。それから、日本人は『非暴力という暴力』を独占して沖縄人を弾圧する、といってます。非常に論理的です。在日朝鮮人も同様ですね、もちろん日本人の前では逆ギレされて虐められるから黙ってますけどね。

それから、侵略戦争で塗炭の苦しみを嘗め尽くしたアジアの国ぐにでは、多くの人が『拉致は自業自得』といってますよ。これは本当です。もちろん政府間では、日本の恫喝外交や金のばら撒きなどで批判をかわしてますけどね。実際にもアジアサミットだった普通の日本人の前では決していいませんけどね。日本人旅行客に優しい韓国人と同じですよ。それから静岡県立大学で『平和学』を研究している森正孝氏も、『拉致問題』でのアジアの国ぐにからの非難を述べた上で、『拉致は身から出た錆び』と書いています『統一評論』2004年4月号(統一評論社)。ですから私が二元論だというのはいがが、と思います。ネット上で私と議論するより、上の文献をご覧ください。

以下の点につきましては、公正な議論をするのであれば、善悪を議論する前に国どうしの対等性という前提(ダブルスタンダードを作らない)というルールを守らないと議論できません。

もっともほとんどの日本人は普通に議論するときは、(私も含め)この前提すら守らないほど傲慢で恥知らずですけどね。

以下については以前の私の書き込みにおける論点と違います。誤解がありましたら申し訳ございません。とほほさんは、ポスコロの題名で問題提起されていましたよね。私が朝鮮人の立場にたって、ポスコロのやり方をそのまま拉致問題に当てはめて書いただけです。したがって私個人の意見ではなく、アジアの被植民者の意見だと思って下さい。あるいは、現在の在日朝鮮人の本音だと思っていただいてもたいして間違いないと思います。

ようするに日本人は朝鮮植民地支配の罪の深さや在日朝鮮人差別のひどさがわからないんです。和田春樹東大名誉教授は朝鮮研究家、日本と朝鮮半島との平和運動家として世界的に有名ですが、自著『北の友へ南の友へ』(1987年)で戦後の日本の知識人の人権感覚を痛烈に批判しています。そして、戦後の在日朝鮮人の人権蹂躙は『絶望的』なほどひどい。『日本人が犠牲になっても』朝鮮人(在日、韓国、北朝鮮のひとびと)がより平和で自由な生活ができるようにしなければならない、と述べています。私は和田先生に100%同意します。

>もちろんその解決交渉の中でこの二つの問題を同時に交渉していくことは可能ではありますが、そのどちらも悪なのであって北朝鮮が悪なのか日本が悪なのかという二元論に転化できない問題なのです。そのことを皆さんおっしゃっているのですよ。

正義なき国際社会、つまり現実社会ではおっしゃるとおりです。朝鮮人は虫けら同然ですから、異論はございません。
>
>これを別の対立構造で見てみるとまだ少しは見やすいですよ、必ずしもこれが正しいとはいえませんが「日本VS北朝鮮」と言う二元論よりは本質が見えやすいです。「被害者と加害者」と言う視点で見てみるといかがです。たちまち「日本VS北朝鮮」と言う構造の欺瞞性が発見できるでしょう?北朝鮮人民と日本国人民は同時に被害者なのですよ、では加害者は誰なのか?と言う視点で加害を引き起こした社会システムを研究しそれを配していくことが問題解決への道を照らしていることを確認できませんか?
>
>特に共産主義を標榜している国家の人民コントロールはこの論理で行われてますので対北朝鮮に対しても非常に有効です。
>
>またこれは我々が否定論者の詭弁と闘うときの基本姿勢であり、まったく正しい考え方です。これは人権と言う概念を基礎においているからです。
>
>悪というものをその行為者の対立構造に転化して、そのどちらが悪でしょうか?と言う問題の立て方自体が失礼ですが稚拙であり、永好和夫論の間違っている部分なのです。

永好和夫論と決め付けないでね。私も本を読んで、考え、沖縄人や在日外国人と議論して出した結論ですから。

私をどのように批判しても自由ですし、私が絶対に正しいと思ってもいません。だた、ポスコロと世界的に尊敬されている多くの知識人の考え(ポスコロをほとんど肯定している)をもとに人間、国家の対等性を前提として書いただけです。

『知の巨人』、『アメリカの良心』と呼ばれる世界的知識人チョムスキー(Noam Chomsky:現存する知識人の中で文献引用数が圧倒的1位)は自国アメリカについて、『アメリカは世界最悪のテロ国家』と副題をつけて自国を徹底的に批判しています。そして、9.11のとき『アメリカに報復する資格はない!』、北朝鮮の核問題は北朝鮮の問題ではなくて『アメリカ問題』、と述べています。私も100%同意します。私は北朝鮮の拉致問題、在日問題はすべて『日本問題』だと思います。

逸見庸氏は、日本においてとくに人権問題に関して有名な知識人ですが、チョムスキーと会談したとき、自分の意見を悉く否定された挙句痛烈に批判されて衝撃をうけたことを自著で述べています。私もチョムスキーや和田春樹を読んで衝撃を受けました。

日本は世界最悪の『人権蹂躙国家』だと思いますよ。人権の何たるかが全くわかっていないんだと思います。ですから人権蹂躙を人権蹂躙と思ってないんです。ようするに、アジアの人びとを虫けら同然として議論してしまうんだと思います。

『自分は絶対に正しい、自分こそ正義だ』というのは危険ではないかと思います。日本が人権蹂躙国家なのは、国民が日本を『美しい国』と思っているからではないでしょうか?
104 hits

[5114]Re(7):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 とほほ E-MAIL  - 07/12/30(日) 10:43 -

引用なし
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   ▼永好和夫さん:
>たとえばですね。自分は相手のものを盗んでいいという価値判断の人はいるかもしれません。しかし、自分が相手のものを盗むことを肯定するのでしたら、相手が自分のものを盗むことを肯定しなければならない、という意味です。善悪を問題にしているのではありません。善悪以前の議論をする最低のルールではないでしょうか?

ちがいますね。善悪を問題にしても、ダブルスタンダードには陥らない論理を私は示しているのですから、私の論もダブルスタンダードである、と言う指摘こそが永好和夫さんの反論として成立できます。
96 hits

[5115]Re(9):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 永好和夫 E-MAIL  - 07/12/30(日) 11:25 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼永好和夫さん:
>>はい、私は9.11がテロではないといっているのではありません。(事故およびテロとは何を意味するかの定義には触れません)。議論はアメリカ側がやった工作テロか、イラクのテロリストがやったテロか、という論点ではないでしょうか。この論点にたってグレーという見方をしただけです。
>
>いやいや、イラクのテロリストの犯行である、なんてことはアメリカ政府は言っていません。アメリカ政府の主張は「オサマ・ビン・ラディン」と言う人物(アルカイダという武装テロ組織の首謀者とされている)が、犯人である、です。イラクへの戦争の正当性は全くありません。この辺の認識はかなり広く浸透していると思います。

おっしゃるとおりです。アルカイダと書くべきところをイラクと書いてしまいました。私の誤りです。9.11が米国民に恐怖心抱かせてイラク戦争を支持する動機にもなってしまったということを考えてかいていたので書き間違えてしまったのです。お詫びして訂正いたします。
>
>対アフガニスタン・イラク戦争は911事件のアメリカ国民の怒りに対するガス抜きになる上に元々アフガン・イラクを侵略したかったアメリカの口実にされた、と言う見方は私もそう思います。
>
>>わたしが誤解して記述しているのであったら申し訳ありません。削除してください。
>
>いえ、管理人削除の必要は感じられません。ご自身でも削除できますから何か理由があって削除したいのであればご自身でなされるか私に依頼してください。911自作自演説というものがどういう主張していて我々が何を批判しているんか、確かに永好和夫さんは誤読している可能性があります。
>これが、平和主義勢力が自作自演論をその内容も知らずに擁護してしまう危険性なのです。

私はJ,コールマンなどのアメリカ陰謀説を読んだことがあります。もちろんあやしげな内容がたくさんありますが、納得行く部分もあります。私はあくまでアメリカの自作自演かビン・ラディン一味の犯行か判断できないといっているのですよ。私一人で膨大な資料を調べることはできませんから、他人の情報を自分の都合で、つまりひとりよがりで信用してしまっている可能性がありますし。。。。

国際的な平和運動をしている人はアメリカは戦争中毒といってます。アメリカの戦争犯罪についてはW.ブルムという人が『アメリカの国家犯罪全書』で大戦後の犯罪について記述していますが、全体で400ページを超えるすさまじいものです。これを見てもアメリカがどれほどひどいテロ国家かがわかります。これはしっかりしたレファレンスがついており、信頼性が高いといわれています。

とほほさんの主張に関しては、どのような根拠でどのように考えておられるのかわかりません。ただ、陰謀説か否かという問いに私の考えを述べたものです。あくまで私個人の考えです。
102 hits

[5116]Re(7):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 とほほ E-MAIL  - 07/12/30(日) 11:29 -

引用なし
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   ▼永好和夫さん:

うーーんとですね、自国であるとか他国であるとか言うパラダイムの中で議論する限り、私も日本の政権および一派的民衆(含む私)の「人権感覚」はひどいものであると思いますし、私の常日頃の批判もそこにあります。ですから、ここでの論点は「善悪」と言う概念を放棄した議論が出来るのか否か?ではないでしょうかね?
どうにも私には私と永好和夫さんの主張の対立点がよく見えていません。

国民国家というパラダイムを越えた形で私の思考は行われることがあるので私と永好和夫さんの議論がかみ合うためには国家とは何か?日本とは何のことなのか?日本人と言う人種のことなのか?この辺から議論しないとかみ合わない気がします(^^;

永好和夫さんの主張は善悪を前提とした議論はダブルスタンダードであり、偽善的である、と言う主張をしているのですよね。私やほかの方々は善悪を前提としてますので「偽善である、ダブスタである」と言う批判を永好和夫さんから受けているわけです。もしそれが論理的に正しいのであれば私は自分の論理構築を基礎から変更せねばならないでしょう。なぜなら私を含め皆さん「正しくありたい」と言う願望を持つからです。

ですから私は善悪を前提としてもダブスタにはなっていないことを論証しているわけです。批判を受けていてそれに答えているのは私であり、永好和夫さんが私の論理をダブスタと理解してしまった間違い点を指摘しているのです。永好和夫さんが著名な思想家の論説を研究され理解されているのであれば私の間違いを指摘してもらえる可能性があるわけで、永好和夫さん同様私も批判を受けることを恐れてはいないですし、歓迎してますよ。
97 hits

[5117]Re(10):泥棒は泥棒!人殺しは...
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 とほほ E-MAIL  - 07/12/30(日) 12:12 -

引用なし
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   ▼永好和夫さん:
>私はJ,コールマンなどのアメリカ陰謀説を読んだことがあります。もちろんあやしげな内容がたくさんありますが、納得行く部分もあります。私はあくまでアメリカの自作自演かビン・ラディン一味の犯行か判断できないといっているのですよ。

私たちはそんなことを批判してはいないのです。私の陰謀論批判はブログにもまとめてありますが、ま、興味があれば読んでみてください。私が批判しているものはわざわざ検証するほどの価値もないものですが、、、。

> 私一人で膨大な資料を調べることはできませんから、他人の情報を自分の都合で、つまりひとりよがりで信用してしまっている可能性がありますし。。。。

資料と言うのは引喩するとかしないとか、そういう扱いをするものではありません。資料がそこにあることが重要なだけです。そうした資料群の中から真実(と呼ばれるもの)を再構成していく作業が事実認定作業です。

>国際的な平和運動をしている人はアメリカは戦争中毒といってます。アメリカの戦争犯罪についてはW.ブルムという人が『アメリカの国家犯罪全書』で大戦後の犯罪について記述していますが、全体で400ページを超えるすさまじいものです。これを見てもアメリカがどれほどひどいテロ国家かがわかります。これはしっかりしたレファレンスがついており、信頼性が高いといわれています。

私もアメリカは戦争中毒であり軍産複合体を解体しない限りアメリカ経済は破綻してしまうと言う論には承服してます。
まずは、私たちが批判しているものを、読んでみることも一興かもしれません。

私がきくちゆみ氏に対して行った大量の批判文の中から以下を引用しておきます。
私があなたを批判しているのは「科学・真実を偽るな」と言っているのです。

日本の平和主義、いや世界の平和主義が米国政府ならびに戦争に加担する各国政府の発表や見解全てを疑うこと、全てに疑惑を持つことは正しいのです。しかしその主張を科学を偽ったり、改竄したり、捏造したりしてはならないのです。



平和達成とは、主義主張の異なるもの、宗教の異なるもの、価値観の異なるもの、そうした多様性をお互いが認め合い、そこにある利害、その他の対立から暴力を排斥していこうとするものです、そのために必要なものが「論理」であり「科学」であるのです、論理とか科学と言うのは、そうした価値観の異なるもの同士の言うなれば翻訳機です、共通の言葉なのです。それを全世界の人にわかってもらおうとするのが現代平和主義です。



その平和主義の担い手自身が、そうした行動をとってはならない、と主張しているのであり「911ボーイングを捜せ」と言う作品は正に捏造・改竄・恣意的印象操作・でっちあげの上に成立するトンデモないビデオである、と言う主張をしているのです。



ですから、他の論説を持ち出して「どうのこうの」と反論するのはまず間違っています。(もちろん、きくちさんの持ち出す他の論説も間違っていると結論できますが)何よりまず、この「911ボーイングを捜せ」が行っている捏造・歪曲・改竄についてあなたはきちんと答えねばなりません。

114 hits

[5118]Re(8):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 永好和夫 E-MAIL  - 07/12/30(日) 12:44 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼永好和夫さん:
>>たとえばですね。自分は相手のものを盗んでいいという価値判断の人はいるかもしれません。しかし、自分が相手のものを盗むことを肯定するのでしたら、相手が自分のものを盗むことを肯定しなければならない、という意味です。善悪を問題にしているのではありません。善悪以前の議論をする最低のルールではないでしょうか?
>
>ちがいますね。善悪を問題にしても、ダブルスタンダードには陥らない論理を私は示しているのですから、私の論もダブルスタンダードである、と言う指摘こそが永好和夫さんの反論として成立できます。

とほほさんのおっしゃるような論理はとほほさんが現実に実行しておられるならば、理論としては非常にすばらしいと思います。ただ、現実的ではないと思いますね。

たとえばですね。六カ国協議の核問題において考えて見ると、アメリカは1万発の核兵器を持って、1000回以上の核実験をやって、北朝鮮を核攻撃する軍事演習を何十年も続けているんですね。そのくせ、北朝鮮の核保有を非難しているんですね。これは、『強国であるアメリカは核兵器を持って核実験をやっていいが、弱小国の北朝鮮はダメ』というダブルスタンダードですよね。北朝鮮に核放棄を要求するんだったら、同時にアメリカも核兵器を放棄する、というのでなければ対等ではありません。これが正論なんですけど、現実は、対等性のもとでは六カ国協議ができないんですね。もし、北朝鮮が、自分たちは核兵器を廃棄するから、同時にアメリカも核兵器を廃棄しよう、と提案しても絶対に強国であるアメリカは同意しません。

ですから、六カ国協議の決着は、北朝鮮が核兵器を放棄してアメリカは核兵器を放棄しない、となるのが現実的な結果予想なんです。これをダブルスタンダードだから議論にならないとすると、北朝鮮もアメリカもどんどん核兵器を作ってしまう。地球の破壊を早めるだけですね。ですから、ダブルスタンダードの不条理であっても議論してよりましな状態にしましょう、というのが六カ国協議の核問題の決着なんです。ですから、弱者である北朝鮮が妥協した案なんです。軍事的威嚇についても、アメリカは在日米軍基地や在韓米軍基地を利用して北朝鮮に現在でも威嚇を続けていますけれども、これは一方的なのが現実です。強国のアメリカは弱国の北朝鮮を威嚇できるけれども、弱国の北朝鮮は強国のアメリカを軍事威嚇できないからです。理想を議論することは結構ですが、理想とは異なる不公平を前提とした議論は悪い、といって拒否してしまえば、現実はよくなりません。

理想的なことを考えるとともに、不公平を前提とした現実的対応も大切だと思います。ただ、偽善者にならないためには、『現実をよくするために、敢えて不公平(悪といってもいいかも知れません)を前提として議論している』という偽善性を認識することが大切だということを述べているのです。

沖縄人である野村浩也は、日本人は民主主義的に沖縄に在日米軍基地の75%を押し付けている、と批判しています。どうして公平に米軍基地を負担しないのか、と日本人に問いかけています。米軍基地が戦後アジアにおける米軍の侵略拠点になって殺戮を行なってきたこと、日本人という強者は一方的に沖縄を『悪魔の孤島』にした、といってます。この責任は民主主義的に押し付けたのであるから日本人すべてにある、といってますね。

世の中ほとんど強者に都合よく、弱者に都合が悪くなるようにできているんですね。それが現実なのです。私も多くの在日の方がたと付き合っていますが、常に日本人である私に都合よく、在日に都合悪くなってしまうのです。自分で対等でなければならない、自分は生意気だ、と自覚していても、公正な立場にならなくなっているのです。ですから、私は在日の人びととお付き合いするときは、自分は偽善者であることを認識して不公平な付き合いをしています。

ポストコロニアリズムを学ぶとこの辺がよくわかります。在日の人たちは、日本の暴力的空間で虐げられて育ってきていますから、逆に自ら私と対等であることを拒否してしまうのです。とくに朝鮮総連の人たちは、ごくわずかでも自分たちを理解してくれる日本人に対してわらをも掴む思いで大切にしてくれます。ほとんどの日本人が『日本人と在日が対等であることはあってはならないこと』と思っているのと同様に、在日の方がたも『在日と日本人が対等であることはあってはならないこと』と思っているのです。植民地主義というのは本当に恐ろしいものだと思います。北朝鮮もそうですよ。北朝鮮に行ってみればわかりますが、日本人にとって北朝鮮は『地上の楽園』ですよ。ものすごく大切にしてくれます。私たちでなく、ごく一般の人が北朝鮮に行っても、ものすごく大切にしてくれます。北朝鮮の政府にとって、日本人は神様ですよ。朝鮮人のような人間扱いしません。日本人にとって日本人が北朝鮮の人びとと対等であることはあってはならないことであると同様のことが北朝鮮の人びとにとっても言えるのです。このように差別を差別と認識できないから、対等であると錯覚してしまうことこそが最も問題なのです。

黒人と白人の対等性を叫ぶマルコムXは殺害されました。日本人と沖縄人の対等性を叫ぶ野村浩也氏は日本人だけでなく、沖縄人からも非難されています。野村浩也は極めて明快で論理的です。しかし、日本人と沖縄人は対等であることはあってはならないことなのです。これが正義なき現実社会なのです。

私も在日朝鮮人専門雑誌『統一評論』12月号に最近寄稿しました。この内容は、朝鮮総連の機関紙『朝鮮新報』に5回の連載で大部分が載っています。朝鮮新報のHPで内容を見ることができます。このとき、『拉致問題は因果応報』と書いて寄稿したら訂正されてしまいました。現実社会では、日本人と在日が対等であることはあってはならないことなのです。従って、日本人と在日の基本的人権を対等とみなした議論はやってはならないことなのです。日本社会では在日は日本人の奴隷でなくてはならないのです。

『試行錯誤』にも在日の方で書き込んでおられる方がいますが、自分たちを恐ろしくさげずんだ記述をしています。『試行錯誤』の世界でも、日本人と在日が対等であることはあってはならないことなのです。

私を含め、日本人というのは本当に罪深く、恥ずかしい人間だと思います。
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[5120]Re(9):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 とほほ E-MAIL  - 07/12/30(日) 13:30 -

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   ▼永好和夫さん:
>とほほさんのおっしゃるような論理はとほほさんが現実に実行しておられるならば、理論としては非常にすばらしいと思います。ただ、現実的ではないと思いますね。

どもども(^^ゞ
今日は夕方からネット仲間で忘年会があるために回答できるうちに回答しておきますね。

>たとえばですね。六カ国協議の核問題において考えて見ると、アメリカは1万発の核兵器を持って、1000回以上の核実験をやって、北朝鮮を核攻撃する軍事演習を何十年も続けているんですね。そのくせ、北朝鮮の核保有を非難しているんですね。これは、『強国であるアメリカは核兵器を持って核実験をやっていいが、弱小国の北朝鮮はダメ』というダブルスタンダードですよね。北朝鮮に核放棄を要求するんだったら、同時にアメリカも核兵器を放棄する、というのでなければ対等ではありません。これが正論なんですけど、現実は、対等性のもとでは六カ国協議ができないんですね。もし、北朝鮮が、自分たちは核兵器を廃棄するから、同時にアメリカも核兵器を廃棄しよう、と提案しても絶対に強国であるアメリカは同意しません。

これは、アメリカに限らず中国も核を廃棄させねばなりません。ですから日本はあくまでアメリカ中国北朝鮮に対して核を放棄させる努力が必要です。アメリカが核を放棄できない理由は永好和夫さんも喝破されたようにアメリカの経済システムによる原因の方が重大ですので、6カ国協議でのアメリカの核問題の解決はおっしゃるとおり不可能です、が、北朝鮮に対する核放棄は6カ国協議における交渉で可能だと考えます。だからと言ってアメリカの核武装を是とするわけではなく、他の方策をもってアメリカの核放棄運動を行えばよいだけで、ダブルスタンダードにはなりません。北朝鮮の安全を保障しアメリカが北朝鮮を核攻撃することが不利益になるシステムを6カ国協議の中で構築することで核保有国をひとつ削減できるわけですから、それはそれで核廃絶に向けた過程の成果です。

アメリカの軍需産業の解体というのは出来ないことでもないのです。実は日本がその経験を持っているわけです。もちろん日本の解体は不十分と言うことはいえますが、アメリカを始めとした諸外国の協力と、残念ながら朝鮮戦争では停滞しましたが、軍事大国日本は経済的ダメージを受けることなく解体できました。そのノウハウをアメリカに提供していくことです。アメリカの民衆とともに世界の民衆と一致団結しないとアメリカの核は廃絶できません。それはアメリカを攻撃することではなくアメリカを援助することで達成可能なのです。

アメリカの核保有批判は日本の国是とせねばなりませんし、日本は核廃絶を訴える国家に成長せねばなりません。アメリカの核廃絶が達成できればその過程で世界の核もなくなります。こうした努力は私の住む広島や長崎の民衆はずっと行ってきたのです。この努力がある限りダブルスタンダードはありえません。しかし現政権や日本社会全体を通してみるとダブスタな主張いなっていることは当然でありそのことに意義はなくそうした日本国家を批判することとよりいっそうの核廃絶に対する啓蒙活動は行っていかねばならないでしょう、それは善悪を前提としたり理論でも矛盾せずに行えることです。

>ですから、六カ国協議の決着は、北朝鮮が核兵器を放棄してアメリカは核兵器を放棄しない、となるのが現実的な結果予想なんです。これをダブルスタンダードだから議論にならないとすると、北朝鮮もアメリカもどんどん核兵器を作ってしまう。地球の破壊を早めるだけですね。ですから、ダブルスタンダードの不条理であっても議論してよりましな状態にしましょう、というのが六カ国協議の核問題の決着なんです。

つまりダブスタは存在せず善悪を前提とした議論も永好和夫論の主張と同じことを行えます。

>沖縄人である野村浩也は、日本人は民主主義的に沖縄に在日米軍基地の75%を押し付けている、と批判しています。どうして公平に米軍基地を負担しないのか、と日本人に問いかけています。米軍基地が戦後アジアにおける米軍の侵略拠点になって殺戮を行なってきたこと、日本人という強者は一方的に沖縄を『悪魔の孤島』にした、といってます。この責任は民主主義的に押し付けたのであるから日本人すべてにある、といってますね。

全くそのとおりだと思いますが、民主主義がそれを解決しなくてはならないのです。沖縄問題は日本民衆が批判しないことは当然糾弾されねばなりませんが、そもそもこれはアメリカの戦略に日本が尻尾を振っているだけなのです。もともとアメリカは沖縄を日本の領土とは認識してません、日本の植民地であるとして軍政下におき出来るなら沖縄を独立させその上で沖縄を前線基地にしたかったのです。しかしその独立運動が米軍の意に反して共産党主導で行われたために沖縄の赤化を食い止めるために日本政府と取引をしたのです。

ですから日本の民主主義が戦後本当の意味で機能しているのであれば沖縄のみならず米軍基地の撤退は可能なのです。国力など関係ないです、フィリピンが大衆運動で見事にそれをやり遂げたのですから日本に出来ないはずはありません。

>世の中ほとんど強者に都合よく、弱者に都合が悪くなるようにできているんですね。それが現実なのです。私も多くの在日の方がたと付き合っていますが、常に日本人である私に都合よく、在日に都合悪くなってしまうのです。自分で対等でなければならない、自分は生意気だ、と自覚していても、公正な立場にならなくなっているのです。ですから、私は在日の人びととお付き合いするときは、自分は偽善者であることを認識して不公平な付き合いをしています。

立派な姿勢だと思います、差別撤廃はそこに差別が存在することを認識して初めて撤廃への道を歩み始めることが出来る、これは私のスローガンでもあります。己が差別者であることを理解出来ないうちは差別を撤廃することは出来ません。

>黒人と白人の対等性を叫ぶマルコムXは殺害されました。日本人と沖縄人の対等性を叫ぶ野村浩也氏は日本人だけでなく、沖縄人からも非難されています。野村浩也は極めて明快で論理的です。しかし、日本人と沖縄人は対等であることはあってはならないことなのです。これが正義なき現実社会なのです。

日本人と沖縄人の対等性、日本人と在日の対等性、と言う問題は結局極東アジア全般を支配するナショナリズムの歪さが生み出しているものです。
ちょっと長いですが下記の私の論考を提示します。
民主主義と外国人参政権

>私も在日朝鮮人専門雑誌『統一評論』12月号に最近寄稿しました。この内容は、朝鮮総連の機関紙『朝鮮新報』に5回の連載で大部分が載っています。朝鮮新報のHPで内容を見ることができます。このとき、『拉致問題は因果応報』と書いて寄稿したら訂正されてしまいました。現実社会では、日本人と在日が対等であることはあってはならないことなのです。従って、日本人と在日の基本的人権を対等とみなした議論はやってはならないことなのです。日本社会では在日は日本人の奴隷でなくてはならないのです。

それが訂正されたのは永好和夫論が間違っているからです。因果応報であると言う論理を認めてしまうと復讐原理を認めてしまうことなのです。拉致された人々は北朝鮮に対して何も悪いことはしていません。ここで「人権」と言う概念の大切さをよく考えてください。総連はそうしたことのよくわかっている組織です。
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[5121]Re(2):善悪二元論が正しいので...
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 熊猫 E-MAIL  - 07/12/30(日) 15:09 -

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   ▼永好和夫さん:
>『自分に都合がいいことが正しい、自分が気に食わないことは間違っている』
 一度で理解していただきたい。自分に都合がいいことか、悪いことかは関係ありません。「良いこと」か「悪いこと」ことでお終いです。


>
>などという基準で物事を考える方もいらっしゃいます。ですから、何事も決め付けないで、自分と異なる意見に耳を傾けることは大切ではないでしょうか。

>そうですかぁ。戦争はほとんどの国民は自分たちは正しいと思ってやってるんですね。『自衛の目的の正義の戦争』とか『テロとの戦い』というように正当化します。先の大戦でも日本国民のほとんどは自分たちは正義の戦いをやっているっていってアジアを侵略して2000万人も虐殺したんですね。イラク戦争もそうですね。『大量破壊兵器』や『アルカイダの関与』をねつ造して国民はイラク戦争を正義の戦いと信じ込んでしまったんです。多いときは、国民の80%が戦争を支持したんですから。英国紙によると、イラク国民の45%が多国籍軍に対するイラク人のテロを正当であると答え、多国籍軍がイラクの治安に役立っていると答えたイラク人は1%もなかったという世論調査があります。
 「正しいと思っていること」と「正しいこと」は違います。

>仮にあなたが自分の家族を皆殺しにされて、家を焼かれて路頭に迷うようになったら、そのようにした相手を殺してやろうと思いませんか。アメリカがやったことは、まさにそのようなことですよ。相手の立場にたって考えることは大切ですよ。
 幼稚な論説は自粛されたし。相手の立場なんぞは関係ありません。性欲があれば強姦してもいいのですか?これも相手の立場ですよ。
 「相手を殺してやろうと思う」ことと「相手を殺す」ことは次元の違う話です。自分の家族を皆殺しにした相手は「悪いこと」をしたのであり、その相手を殺すのも「悪いこと」です。

 「拉致」は「拉致」であり悪いことであって、他の理由を用いて相殺できるものではありません。「侵略」は「侵略」でありこれもまた「悪いこと」であり相殺できるものではありません。
 永好和夫さんの論法は、「相手の立場にたって考えることは大切ですよ。」と、尤もらしい言葉を使って悪事を相殺しているのです。その論法を使わせていただくならば、文永の役弘安の役で、強制連行従軍慰安婦そして侵略も相殺されることになりませんか。昔の朝鮮は元の一部でした、対馬・壱岐・高島の日本人は朝鮮人によって虐殺されました。このことを北朝鮮は謝罪したのでしょうか?賠償したのでしょうか?
 他の事件を用いて悪事を誤魔化してはいけません。過去に如何なる経緯があろうとも「悪いこと」は悪いのです。

>私の、あたまが狂っている可能性は否定しませんよ。ただ、北朝鮮の脅威が政治利用されている可能性がきわめて高いからこのように述べただけです。
 問題は北朝鮮が、めぐみさんを拉致したのかどうかです。罪のない少女を拉致したのであれば、国家は北朝鮮に対し毅然たる態度をとるべきであり一切の妥協はするべきであろません。

>他国を非難する前に自国の批判からすべきでしょう。個人的にも、自分のやったことを棚に上げて相手の欠点を非難するようでは議論ができませんよ。
 次元の違う問題を混同してはいけません。侵略は侵略、拉致は拉致でどちらも悪いことなのです。歴史修正主義者が戦争の歴史を正当化しようとする行為を赦さないと同時に、拉致を赦さない毅然とした姿勢が大切なのです。棚上げではなくその時の論点が重要であり、むしろ論点ではないことを持ち出して議論を混乱させることの方が問題です。

>北朝鮮についても、日本が何をしてきたかをよく知ることからはじめるべきではないでしょうか?
 そんなものは関係ありません。日本が北朝鮮に如何なる悪いことをしようとも、北朝鮮が悪いのは明白です。日本だろうと北朝鮮だろうと、悪いものは悪いのです。悪事は相殺されないのです。

>北朝鮮に与えた巨悪の犯罪を棚に上げて北朝鮮を非難する資格が日本にあるでしょうか。まず、自分たちが北朝鮮に何をやったか学んでから議論すべきでしょう。
 根本的に間違っています。日本は北朝鮮を非難するべきであり、一日も早く拉致被害者を救出するのは、資格ではなく国家としての義務です
 過去の歴史を隠れ蓑にして、国家犯罪を誤魔化すことはできないのです。

>アメリカは約10000万発の核兵器をもっており、1000回以上の核実験を行なっているだけでなく、当時(1978年)20万の軍隊でチームスピリットとよばれ北朝鮮を核攻撃する軍事演習をやっていました。いまでも北朝鮮を軍事威嚇してますよ。日本の自衛隊も加担しています。アメリカは自国のことを棚に上げて北朝鮮を非難する資格はありませんよ。
 関係ありません。アメリカであろうと北朝鮮であろうと、核兵器を持ってはいけないのです。

>あなたがそのように思うことは自由です。私は、『救う会』のように朝鮮有事を挑発することこそ平和に対する裏切り行為ですよ。もし、アメリカがイラクにやったようなことを北朝鮮にすれば、ミサイルは日本に飛んでくる可能性がきわめて高いことは、多くの北朝鮮専門家の共通する意見です。
 つまり「多くの北朝鮮専門家の共通する意見」とやらでは北朝鮮は「悪い国」ということですね?

>もっとも北朝鮮がミサイルを日本にぶちこんだら、日本は『自衛の目的』で北朝鮮を攻撃して、夥しい無辜の北朝鮮の人びとを殺戮するでしょう。そして、これは自衛のための正しい闘いだ、日本は正しい。北朝鮮は悪だ。無辜の北朝鮮の人びとが死んだのは仕方がない、と。歴史に学ぶことが大切ですよ。
 自分の家族を返してほしいと訴えるのは、尊重されるべき権利です。歴史に学んでいるからこそ、戦争は「悪いこと」と自信を持って主張できるのです。
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[5123]Re(10):泥棒は泥棒!人殺しは...
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 永好和夫 E-MAIL  - 07/12/31(月) 18:02 -

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   丁寧にお答えしてくださいましてありがとうございます。心から感謝いたします
>
>>たとえばですね。六カ国協議の核問題において考えて見ると、アメリカは1万発の核兵器を持って、1000回以上の核実験をやって、北朝鮮を核攻撃する軍事演習を何十年も続けているんですね。そのくせ、北朝鮮の核保有を非難しているんですね。これは、『強国であるアメリカは核兵器を持って核実験をやっていいが、弱小国の北朝鮮はダメ』というダブルスタンダードですよね。北朝鮮に核放棄を要求するんだったら、同時にアメリカも核兵器を放棄する、というのでなければ対等ではありません。これが正論なんですけど、現実は、対等性のもとでは六カ国協議ができないんですね。もし、北朝鮮が、自分たちは核兵器を廃棄するから、同時にアメリカも核兵器を廃棄しよう、と提案しても絶対に強国であるアメリカは同意しません。
>
>これは、アメリカに限らず中国も核を廃棄させねばなりません。ですから日本はあくまでアメリカ中国北朝鮮に対して核を放棄させる努力が必要です。アメリカが核を放棄できない理由は永好和夫さんも喝破されたようにアメリカの経済システムによる原因の方が重大ですので、6カ国協議でのアメリカの核問題の解決はおっしゃるとおり不可能です、が、北朝鮮に対する核放棄は6カ国協議における交渉で可能だと考えます。だからと言ってアメリカの核武装を是とするわけではなく、他の方策をもってアメリカの核放棄運動を行えばよいだけで、ダブルスタンダードにはなりません。北朝鮮の安全を保障しアメリカが北朝鮮を核攻撃することが不利益になるシステムを6カ国協議の中で構築することで核保有国をひとつ削減できるわけですから、それはそれで核廃絶に向けた過程の成果です。
>
>アメリカの軍需産業の解体というのは出来ないことでもないのです。実は日本がその経験を持っているわけです。もちろん日本の解体は不十分と言うことはいえますが、アメリカを始めとした諸外国の協力と、残念ながら朝鮮戦争では停滞しましたが、軍事大国日本は経済的ダメージを受けることなく解体できました。そのノウハウをアメリカに提供していくことです。アメリカの民衆とともに世界の民衆と一致団結しないとアメリカの核は廃絶できません。それはアメリカを攻撃することではなくアメリカを援助することで達成可能なのです。
>
>アメリカの核保有批判は日本の国是とせねばなりませんし、日本は核廃絶を訴える国家に成長せねばなりません。アメリカの核廃絶が達成できればその過程で世界の核もなくなります。こうした努力は私の住む広島や長崎の民衆はずっと行ってきたのです。この努力がある限りダブルスタンダードはありえません。しかし現政権や日本社会全体を通してみるとダブスタな主張いなっていることは当然でありそのことに意義はなくそうした日本国家を批判することとよりいっそうの核廃絶に対する啓蒙活動は行っていかねばならないでしょう、それは善悪を前提としたり理論でも矛盾せずに行えることです。
>
>>ですから、六カ国協議の決着は、北朝鮮が核兵器を放棄してアメリカは核兵器を放棄しない、となるのが現実的な結果予想なんです。これをダブルスタンダードだから議論にならないとすると、北朝鮮もアメリカもどんどん核兵器を作ってしまう。地球の破壊を早めるだけですね。ですから、ダブルスタンダードの不条理であっても議論してよりましな状態にしましょう、というのが六カ国協議の核問題の決着なんです。
>
>つまりダブスタは存在せず善悪を前提とした議論も永好和夫論の主張と同じことを行えます。

まず、ダブスタとは何か、というと対等性の否定です。NPTについて考えていきましょう。まず、『議論の対象』は『NPT条約加盟国』ですが、より公正を期すたために仮に『全世界の国』としましょう。ダブスタの『論点』はいくつかありますが、ここでは簡略して核の有無としましょう。NPTがダブスタといわれているのは、特定の国には核保有を事実上認めて、他国には認めていないという点で、『国どうしの対等性が認められていないという現実』がある点についてダブスタといっているわけですね。

核保有をすべて否定する人(私もそうですが)は核保有については『思考上』はダブスタではありません。しかし、現実には核核保有についてのダブスタは存在しているわけです。一方、『議論の対象』を2国間に絞って核保有について考えてみましょう。たとえば、『キューバとスイス』を論点とすれば、どちらも核はありませんから、核保有についてはダブスタはありません。『議論の対象』を『アメリカと北朝鮮』にすれば、どちらも核保有国ですから、核保有の有無についてはダブスタはありません。

さて、六カ国協議について論じる場合は、まず『議論の対象』と『論点』を明確にしなければなりません。このためには、厳密には六カ国協議の経緯と経過について検証していく必要がありますが、説明が長くなるのでここでは触れず、結論だけ述べます。六カ国協議の主要点についての『議論の対象国』は、『北朝鮮とアメリカ』(米朝問題)なのです(他国はそれに協力するだけですから)。そして、『論点』は、『北朝鮮の核放棄』なのです。ですから、ダブスタなのです。つまり、北朝鮮もアメリカも核をもっているのに、北朝鮮については核を放棄せよ。アメリカは核を放棄しない』というような『一方的な行動』の実行を要求(強要、強制といったほうがいい)している点がダブスタだということです。

歴史修正主義者がやる詭弁に『すり替え』とか『はぐらかし』、『論点ずらし』という手口がありますが、議論をする上では、『議論の対象』と『論点』を明確にしなければなりません。

米朝間の問題に他国の核廃棄の問題を持ち込むのは詭弁になってしまいます。日中戦争における戦争責任問題、つまり『議論の対象』が『日本と中国』であるのに、中国はチベットを弾圧しているからと論点を『中国とチベット』に『すり替え』て反論するウヨクがいますよね。これは、論点を『すり替え』て『はぐらかし』ているんですね。目的はもちろん自国の戦争責任をごまかすためです。

ですから、六カ国協議つまり『米朝の核問題』というのはダブスタ、国と国との不公平が存在するのです。公平にするためには、北朝鮮とアメリカが北朝鮮のことばを借りれば『行動対行動』、つまり同時に核放棄をやらねばなりません。北朝鮮が核保有宣言をしたとき、今後の六カ国協議は『核軍縮会議だ』といったのは正論です。

ここで、仮に『六カ国協議』が米朝同時核放棄だとしても、他に核を持っている国があるから、特定の国だけが核放棄をするのはダブスタではないか?という反論があるのは当然です。しかし、これは、議論の対象を『米朝間』から『全世界』に『すり替え』た詭弁です。『六カ国協議』がダブスタなのではなくて、『世界で特定の国だけが核をもっている』という現実こそがダブスタなのです。日中間の戦争責任を問題にしているのに、戦争責任を放置している国は他にもたくさんある、といって責任回避するウヨクがやる詭弁です。

それから、『議論の性格』という点についても検証する必要があります。協議は自発的に行なわれるものと強制的に行なわれるものなど、いろいろな形体があり、決議も『勧告』、『警告』、違反したばあいに経済制裁や軍事行動を伴うような『強制、強要』などさまざまです。この点を検証することは非常に重要です。

六カ国協議における『北朝鮮の核兵器の廃絶』は『強制的』なものである点に着目しなければなりません。六カ国協議によって北朝鮮は核放棄を強制的に放棄するのです。一方、NPT会議や平和運動などは全世界に核兵器の削減、廃棄を『勧告』するもので、核保有国は核兵器を『強制』されるものではないのです。この点を見逃してしまうといけません。

『議論の対象』を全世界とたときでも、核兵器廃棄について、自発的に2カ国で協議して特定に2カ国が核軍縮を自発的にやっていくのは、別にダブスタではありません。そしてそのことにより他国の核軍縮を啓発していくこともダブスタではありません。現状がダブスタであることこそが問題なのです。核兵器廃絶については強制的な廃絶は最強国、アメリカが核廃絶の意思がありませんから、現実的には見通しは立ちません。

六カ国協議は事実上、米朝間が議論の対象です。ですから北朝鮮とアメリカに着目して公正に議論されているかどうかを検証するのが最も大切です。もちろん他のいろいろな視点から多角的に考察することも大切ですが副次的です。たとえば、六カ国協議を核保有国という視点から見ると北朝鮮という特定の国に核廃棄を『強制』している点でダブスタです。他国の核を非難することによって特定の国の核廃棄を『強制』することをダブスタでないというのは公正ではありませんよ。いくら非難や勧告をしても、それらには強制性はありませんから。

正義なき国際社会ですから仕方ない点もありますが、市民運動で核兵器廃絶を世界に訴えていくことは大切です。しかし、他国を非難するとき、弱小国である北朝鮮の核ばかりを非難することはダブスタです。10000発の核兵器をもち、1000回以上の核兵器をもち、現在も核兵器開発に血道を上げ、北朝鮮を核攻撃する軍事演習をやっているアメリカを真っ先に非難すべきだと思います。

北朝鮮は最弱小国であり、朝鮮戦争はまだ終わっておらず、北朝鮮が核攻撃を含む軍事的威嚇(NPTで禁止されている)に常にさらされ、『悪の枢軸』にさらされ、実際にもイラクの例をみてもわかるようにやむを得ず核兵器を開発したのです。9.11の翌年、ブッシュは『今年は戦争の年だ!』といったのですから。そして、戦争対象国に北朝鮮が入っていたのです。金大中大統領は、アメリカの極秘情報を特使をつかって手紙で金正日総書記におくりました。その中に、『アメリカの軍事戦略は変わった。金正日総書記は北朝鮮が軍事攻撃される可能性が十分あることを考慮して行動しなければならない』(北朝鮮専門家ブルース・カミングスによる)と書かれていたのです。核保有国が軍事攻撃されにくいことは事実です。このような非常事態に北朝鮮が核開発をしたとして、どうして非難することができるでしょうか。9.17の日朝首脳会談の裏にはこのような背景があるのです。北朝鮮が補償(賠償)を放棄して経済協力で妥協した理由とされています(多くの韓国民が植民地支配の責任問題が永久にうやむやにされてしまったと嘆いたのです!)。広島の平和学研究所の浅井基文所長が『止むを得ない』というのも、このような非常事態を考慮しているからなのです。私も核兵器廃絶は賛成ですが、北朝鮮の核保有は止むを得ないと思います。

二元論は結論ありきの説明になってしまい、思考の柔軟性を失い感情論になりやすいと思います。私は人生の大半を実験室で過ごした理系の人間ですから、人間がどれほど誤りやすいかが身にしみてわかっています。自分で理論的に考えて絶対にこうなるはずだ、と予想をたてて実験を行なってそのようにならないときが圧倒的に多いのです。自然科学では、議論の対象は『実験者と自然』です。どちらが正しいかを確かめるのは容易です。

一方で社会科学では、善悪(正誤)の判断はあいまいです。対象が人間ですから、自然はウソをついたり邪悪なことをやりませんが、人間はそうではありません。そして多種多様の意見があります。あることがらに、100%の支持が得られることはごくまれです。何々は正しい、と無条件で決めてしまうのは思考停止状態に陥りやすく、権力に利用されると危険です。戦争が民主主義的に行なわれる、つまり国民の支持で行なわれることは歴史が証明しています。国家権力は『敵』を作り、メディアを利用して、憎悪や敵愾心を植付けて国民の思考回路を破壊して感情論で『洗脳』しますから。

このような手口を知ることが大切だと思います。だまされないようにするためには詐欺の手口を知ることです。手品のからくりを知るには手品師のやり方を学ぶことです。巨大なウソを見抜くことですね。日本における巨大なウソは『北朝鮮です!』。あまりにも巨大なウソですから、ほとんどの国民は『北朝鮮→犯罪国家』という固定観念ができてしまい完全に洗脳されていると思います。メディアと知識人に最大の責任があると思います。

北朝鮮を『科学する』ことは戦争、平和、人権、社会、心理などなど、あらゆる面で勉強になります。外交についても世界最強のアメリカに弱小国の北朝鮮があれだけやるのですから、平和に酔い痴れた日本が北朝鮮に敵うわけがないのです。アメリカが戦争を作り出す手口は、東南アジアや南米、アフリカなどを知らべればよくわかります。アメリカが気に入らない政権ができると、反政府勢力(親米勢力)に武器弾薬や資金、テロリストを送り込み内戦を作り出すのです。北朝鮮でも韓国が米軍下の軍事独裁政権のとき1万人以上の韓国人を北朝鮮に工作員として送り込んだといわれています。それでも北朝鮮に反政府勢力ができないのはなぜでしょうか。独裁者が単に国民を弾圧している、というのでは説明できませんよ。

私は平和主義者ですから、平和を求める人びととは広く連帯して意見交換をやっています。私はたいした平和活動家ではありませんが、活動家の人びとには善悪二元論の人は多いと思います。考え方は自由ですが、活動家の人びとは活動を重視するため、詭弁を弄するウヨク理論派に議論で負けていると思います。一般にウヨクのほうが論理的なのです!

ウヨクを論理で打ち負かす論理思考として登場してのがいわゆるポスコロであり、ファノンやマルコムXなど、暴力的社会の底辺で絶望的に虐げられてきた人びとの社会的公正さを求める思考体系の中にこそ正当性があると思います。もちろん理想論ではありますが、ラッセルやチョムスキーなどの世界的知識人の論理の原点にもなっており、日本でもその正当性は多くの人に認められています。日本の『平和学』研究家の中から、『北朝鮮の核実験は認めざるを得ない』、とか『拉致は身から出た錆び』とかいう声が出るのも論理的正当性があるのです。ですから、『拉致は自業自得』と書いたのは逆説的に問題提起として書いたのであって、決して感情論で書いたのではありません。私自身、弱者の立場で考えるというのが基本的なスタンスですから。そして、それは歴史的に正しいからです。強者が有利になる結論は非常に懐疑的になります。

相手の詭弁を論破するには、多くの場合、相手の思考に基づいて論理的に矛盾を指摘しないとだめなのです(すべて論破できるわけではありませんが)。考え方というのは人それぞれです。ある事柄について『正しい』ということを前提に思考する人と『誤り』ということを前提にする人が議論しても、前提が異なる限り結論は出ません。こういうときは相手の前提に立って議論を展開して矛盾を作り出して論破するしかありません。いわゆる『背理法』です。

ダブスタでないことは相手を批判するときの『大原則』であって、論理を展開する上での方法論における原点です。それから導かれる結果は『必要条件』であって『十分条件』ではないことも大切です。
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[5125]Re(3):善悪二元論が正しいので...
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 永好和夫 E-MAIL  - 08/1/1(火) 0:14 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼永好和夫さん:
>>善悪の基準ってどのようにお考えでしょうか。よくいらっしゃいますが、
>
>哲学的な黄金律として「自分がされていやなことは他人にしない」と言う基本的な考え方がありますが、人類に普遍の善悪と言うのはある意味おっしゃるように何らかの信仰でしょう。したがって人類は互いにルールを持って善悪を規定して共有することが大事です。現代社会ではその基本的なルールが「人権」です。この「人権」と言う概念には相対性はありません。絶対的なものです(そういうルールです)。この人権を侵害することはすべて悪です。

社会科学において『人権』とは何か、具体的に定義されて国際的にはもちろん、日本国内においても共通に認識された定義はないと思いますよ。基本的人権についても定義すらあいまいですから。たとえば、社会学者である和田春樹東大名誉教授は『月間チャペル・アワー120」(1984年7月)で次のように述べています。

 基本的人権のカテゴリーについては、教科書的にはいろいろ挙がるところだと思います。基本的人権を、人間が人間として生きていくとき、こういうことだけは認めてもらいたい、という最低の線ということでいうと、今、こんな内容だと思っています。

まず、飢えて死ぬことがないということです。とにかく食べ物があって、飢えないでやっていける。餓死することがない。これはまあ、第一ですね。

それから、自分の生まれによって差別されない。努力次第でどうにかなるということではなくて、もう、こういう生まれであるということで差別されないということ、これは第二です。

第三は、思うことが自由に言えるということです。自分が考えていること、自分が信じていることを言う。常にどの場所でも、どんな局面でも言えるかどうかは分かりませんけど、しかしまあ、大体いえるところでは言える。そして、それを書いて発表することができる。

第四は、みだりに拘束されない、逮捕されないということです。

第五は、徴兵されないということです。徴兵されて人殺しをさせられないということです。これは、世界的には非常に特殊な権利ですね。しかし、人間としては、これは基本的なことだと思います。

第六は、貧しさのゆえに娘を売るようなことをしないで済む。また、娘が売られていき、体を売るようなことがなくて済むということ。これも人間にとっては最低のことです。親にとっては最低のことです。

第七は、戦争で殺されないということです。

 人によって、もう少しいろいろのことが付くでしょう。私はだいたい、これだけは認めてもれいたい、これだけは、とにかく勝ち取りたいというふうに思います。

ですから、『人権』というのをどのように考えるかは人それぞれではないでしょうか。「自分がされていやなことは他人にしない」という考えも、疑っています。
>
> これを読んでもわかりますように基本的人権についても、人によって異なります。ですから比較することができる『相対的』なものではないかと思います。

直訳すれば、『人権』は『人に与えられている権利』という意味であり、『言論の自由』などというように、私は『自由』であると解釈しています。

とほほさんは、人権を人として社会生活をしていくためのルールと考えておられますが、どのように考えるかは人の自由ですが、私は同意しません。なぜなら、そのような考えからは恐ろしい考えだと思うからです。

ルールというのは『規則』ですね。規則というのは人間の行動を『束縛』するもので、自由とは正反対の意味です。

私は現在教師をしていますが、子どもたちのほとんどが『自由』のなんたるかを勘違いしていると思うんです。とほほさんと同じような考えの子どもたちがほとんどなんです。

私は韓国の市民団体と交流していますが(熊本市は韓国の忠清南道と姉妹都市関係にあります)、韓国では1990年代初めまでは軍事独裁政権で、国民は国家権力に弾圧されて国民の人権はひどく蹂躙されていたんです。それを民衆が国家権力と闘って人権を勝ち取った。国家権力の『束縛』から解き放たれて自由になったのです。『自由は民衆が権力に抗って勝ち取った権利』というように考えるべきではないかと思います。歴史を振り返れば、昔は一般市民は権力の奴隷であった、それが市民運動で権利を勝ち取ってきたのです。大正デモクラシー、自由民権運動もそうですね。権利や民主主義というのは国民が自分たちを束縛している権力者と闘って勝ち取ったものなんです。和田春樹先生の基本的人権も人の自由について述べたもので、ルールを作って人の行動を束縛するものとは正反対であることがわかります。

和田先生は、韓国民の自由は民衆が独裁政権と闘って勝ち取ったものであるのに対して、日本の戦後の自由は敗戦により、民衆の運動ではなくて、戦争によって犠牲になった夥しい人びとによって得られたものである、というようなことを述べておられた記憶があります。

権力者(強者)はルールを作って一般市民(弱者)の自由を奪い、隷属させようとします。校則などもそうです。学校では一般社会にないルールを設けて子どもたちの自由つまり『子どもの人権』を奪っているのです。日本の学校教育が、『子どもの人権が侵害されている』として、国連人権委から2度勧告を受けているのをご存知ですか?

教育基本法が改悪されて、子どもたちの自由が奪われ『子どもの人権』がどんどん奪われていることに憂慮しています。『教育』が『脅育』や『狂育』になってしまっているところがたくさんありますね。ですから、いじめや登校拒否、学級崩壊、引きこもりなどが起きるんです。

「自分がされていやなことは他人にしない」といいますけれど、学校の先生(強者)は子どもたち(弱者)に対して校則などの規則を理由に『されていやなこと』を子どもたちにたくさんやってますよ!そして、親も自分のこどもに『されていやなこと』をたくさんやってます。

私たち一般市民も人権=自由がどんどん奪われています。年間3万を優に超す自殺者、30万の自殺未遂、労働条件の悪化、社会福祉の切捨てなどなど、社会の底辺で国民が叫んでます、『生きさせてくれ〜〜〜〜〜〜』と。私たちはどうしたらいいのでしょうか?
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[5132]Re(8):泥棒は泥棒!人殺しは人...
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 永好和夫 E-MAIL  - 08/1/1(火) 7:24 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
あけましておめでとうございます。
私の不躾な質問にいつも丁寧にお答えしてくださることに心から感謝いたします。反戦平和、人権、自由を求めて活動される多くの方々のための『思考錯誤』はとても貴重だと思っております。質問、回答などは、答えを『要求』しているのでございませんので、回答する価値があると判断されたものだけについて『自由に』お書きくださいますようお願い申し上げます。『自由』であるべき『試行錯誤』が『束縛』=『強要』になってしまうことをいちばん恐れております。気遣いは一切なさらないでくださいませ。強烈な批判ほど歓迎しております。『2ちゃんねる』や『知恵袋』などの反社会的な場で鍛えられましたから、どんな罵詈雑言、誹謗中傷でも喜んで拝見します(決して皮肉ではありません)。
>
>うーーんとですね、自国であるとか他国であるとか言うパラダイムの中で議論する限り、私も日本の政権および一派的民衆(含む私)の「人権感覚」はひどいものであると思いますし、私の常日頃の批判もそこにあります。ですから、ここでの論点は「善悪」と言う概念を放棄した議論が出来るのか否か?ではないでしょうかね?

「善悪」を絶対化する人、相対的に考える人、放棄して考える人、議論がかみ合わなくなってしまうのは当然だと思います。おかしいところは遠慮なく批判して理解を深めていけばいいと思います。一部が納得できなかったり、正反対の意見でも自由に議論して、世界の平和のために『試行錯誤』していくことこそ大切ではないでしょうか。私自身、無理に他人に同調することはしませんし、没論理的なことは好みませんが、意見の違いを尊重しつつ議論することが大切ではないでしょうか。たとえば、キリスト教徒とイスラム教徒で神の話をすることは、意味があっても意見を統一することは改教しない限り無理です。だからといってキリスト教徒とイスラム教徒が連帯できないこととは違いますよね。人それぞれさまざまな意見がありますから、意見が違うのは当然です。理解しがたいところは放置しておくことも大切ではないでしょうか?自由が強制になってしまうのが一番危険ですから。

>どうにも私には私と永好和夫さんの主張の対立点がよく見えていません。

対立点が見えない場合もあるのは当然だと思います。また、相手の意見を認めない点があって当然だと思います。なぜなら、人間、十人十色ですから、全員が常に統一した意見に同意しなければならないのでしたらファシズムだと思いませんか。理解できるところは理解するし、対立点が解消しなかったら、そのままでいいと思います。問題を解決しなければならない、ということでもありませんから。
>
>国民国家というパラダイムを越えた形で私の思考は行われることがあるので私と永好和夫さんの議論がかみ合うためには国家とは何か?

国家についても、理想は国境をなくしてしまうことだと思いますが、現実は国境は存在しますから、現実的思考と理想思考と両方あると思います。両方の考えに同意します。国境をなくす考えにも賛成、国家を大切にする考えにも賛成します。どっちか選べといわれたら、国家を大切にする考えを選びます。なぜなら、国境をなくすことは現実的ではありませんから。これについては機会があったら考えを申し上げます。

日本とは何のことなのか?日本人と言う人種のことなのか?この辺から議論しないとかみ合わない気がします(^^;

この辺もいろんな意見がありますが、たいていのものに賛成します。自分の考えはありますが、自分と異なる意見にも賛成するものはたくさんあります。要するに争いがなくなり、差別偏見がなくなる方向に全体として向えばいいと思います。
>
>永好和夫さんの主張は善悪を前提とした議論はダブルスタンダードであり、偽善的である、と言う主張をしているのですよね。私やほかの方々は善悪を前提としてますので「偽善である、ダブスタである」と言う批判を永好和夫さんから受けているわけです。もしそれが論理的に正しいのであれば私は自分の論理構築を基礎から変更せねばならないでしょう。なぜなら私を含め皆さん「正しくありたい」と言う願望を持つからです。

はい、ダブスタ自体をどう定義するかという問題もありますが。ここにおられる方がたはみんな『正しくありたい』と考えておられると思います。私もそうです。ただ、神様になることはできませんから、ほとんどの人は正しいと思ってまちがってしまうんだと思うんです。ネットウヨクもそうだと思います。彼らは自分たちは正しいんだと思っているんですね。ですから、私は本当は、いわゆるネットウヨクさんたちやネット歴史修正主義者とも連帯できるようになりたいと思っています。そして彼らに自分たちがだまされていることを悟らせてやりたいと思っています。本当に悪いやつらは国家権力を牛耳る人間と権力に媚をうって金もうけをしているやつらですから。ただ、ネット上では無理ですけど。

>ですから私は善悪を前提としてもダブスタにはなっていないことを論証しているわけです。批判を受けていてそれに答えているのは私であり、永好和夫さんが私の論理をダブスタと理解してしまった間違い点を指摘しているのです。

批判については非難ではありません。問題提起だと思っていただければよいかと思います。それから、私が申し上げたいのは、ダブスタや偽善者を非難しているのではありません。よくないことだと思いますけど、人間は神様ではないので、ダブスタを作ることはさけられないから、理想的にはダブスタはダメだけど、現実的には避けられないから素直に認めて、その上でより良い方向を探りましょう、といっているのです。たとえば『走る凶器』についても、車に乗りながら、車に乗らないでタバコを吸う人を『環境を汚染している』と非難する人はダブスタです。なぜなら、車に載る人のほうが確実に大気汚染に貢献していますから。

私が車の害を強調したのは、危険性の認識がほとんどの人がないからです。これは、多くの日本人が戦争責任を過少評価していることと同じだと思うんです。しかし、車に乗るなって言ってるわけではありません。環境汚染をやりながら自分自身が他人を殺傷する可能性を高めていることを認識してもらいたいということです。車の害は具体的に統計で数値化されますからわかりやすいと思います。

永好和夫さんが著名な思想家の論説を研究され理解されているのであれば私の間違いを指摘してもらえる可能性があるわけで、永好和夫さん同様私も批判を受けることを恐れてはいないですし、歓迎してますよ。

間違を指摘することなど不可能だと思います。矛盾を指摘することはできるかも知れませんけど。正しいか間違っているかは神様しかわからないでしょうね。世の中『絶対に正しい』ということなどありませんから・・・チョムスキーもそういってますよ。それから恐れるなど・・・・・それが一番問題ですよ。恐れるのでしたら、もう私は書き込めませんよ。私自身は欠点ばかりの人間ですから、誤ってばかりいます。だからこそ、できるだけ被害が少ない誤り方をやろう、という哲学から、常に弱者の視点で考える。争いが起こっているときの判断の目安は、『弱者=善、強者=悪』です。たとえば、いわゆる左派系の岩波の月刊誌『世界』や労働新聞(日本労働党)などは弱者の視点に立って書かれているし、『諸君!』や3K新聞?は強者の立場つまり大本営報道ですね。

一冊といえば、『メディア・コントロール』(集英社新書:チョムスキー)です。第一章もためになりましたが、第二章の火星人から見た人間(公正な物の見方とはどういうものか)。最後の逸見庸氏との会談もためになりました。

なお、チョムスキーの意見が絶対に正しいなどとは言っているわけではありません。もちろん、チョムスキーが世界的知識人だから同意しているのではなくて、読んで理解して納得しただけです。私のように理系人間には非常に論理的でわかりやすいから気に入ってるだけかも知れません。もちろん理解できない、納得しない人もたくさんいるようで、一般的には理解するのが難しいという日本人が多いようです。(在日朝鮮人はチョムスキーを好む人が多いようです)。あと『北朝鮮研究』が一番ためになりました。日本国民が中国侵略を熱狂的に支持したときの中国報道が近年の北朝鮮報道なんだなって納得しましたね。15年戦争をやってあれだけ国民はひどい目にあっているのに、また悪いやつらに騙されっぱなしなんですね。歴史を繰り返さないようにすることが大切だと思っています。

私の思考の原点は、常に『問いを求める』こと、なんでも疑ってみることです。そして論理的に思考して結論を出す。そして、歴史に学ぶことです。人間は神様ではありませんから、過ちを犯すものです。ですから長所と短所は常に存在するのではないでしょうか。人間どうしの短所が衝突すると争いになります。世の中には本当に悪いやつらはごく一部で、それらは非常にずる賢く、巧妙に人を騙すのです。ですから、その手口を研究することが私の個人的な興味でもあります。詐欺師に騙されないようにするには詐欺の手口を学ぶことと同じです。悪い奴らのほうが善良な一般市民よりはるかに老獪なんですね。ですから、コイズミの劇場政治や安倍晋三の拉致内閣や石原慎太郎のような政治家が跋扈するのだと思います。こういう悪いやつらが書いた本や『諸君!』とか『正論』などの極右雑誌を読むのもためになります。北朝鮮の巨大なウソもA.ヒトラー著『わが人生』の有名なせりふ、

『ウソをつくならできるだけ大きなウソをつけ。おおきなウソには必ず人を信じ込ませる力がこもっている』

『大衆は女だ、理性でなくて感情に支配される。強い指導者を好む』

とか、『証人は殺(け)せ』、これは犯罪者の鉄則である。

などから、『暴支よう懲』や『鬼畜米英』と同じだと分かりましたね。たとえば、NHKで『北朝鮮報道』が過去10年で1万回ぐらい流れていますね。その中で、北朝鮮の良いところを報道したことが1つでもありますか?そして偽造歪曲情報がほとんどなんですから。『ウソも100編いえばホントになる』っていいますよね。

去年は北朝鮮のテコンドーの選手がアメリカで妙技を披露してアメリカ国民から喝采を受けたんです。人共旗(北朝鮮の国旗)も掲げられました。今年の2月にニューヨークフィルが平壌で公演します。などなど米朝関係は紆余曲折ですがどんどんよくなっているのに、日本政府は必至になって仲を裂こうとしてるんです。最悪ですよ。
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[5133]Re(4):善悪二元論が正しいので...
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 とほほ E-MAIL  - 08/1/1(火) 7:37 -

引用なし
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   ▼永好和夫さん:
> 基本的人権のカテゴリーについては、教科書的にはいろいろ挙がるところだと思います。基本的人権を、人間が人間として生きていくとき、こういうことだけは認めてもらいたい、という最低の線ということでいうと、今、こんな内容だと思っています。

だれも基本的人権の話などしてません。人権と言う概念が成立するための機構を思考していけばおのずと出てくる結論です。人権と言う概念には相対性はない、つまりあっちの人権は重要だが、こっちの人権は認められない、と言う論理は成立しない、と言う主張をしているのです。人権と言う概念は絶対的なものである、と言う主張なのですから、人権が絶対的に成立しない例を提示してそれに反論することが永好和夫さんの行うべき論証です。これを論証できない限り永好和夫さんの理論には誤りがあることになります。
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