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秦郁彦氏の歴史認識は大丈夫であろうか?
『南京「虐殺」研究の最前線 平成十四年版』30-31頁より引用
日本の場合、日露戦争の頃までは、たとえ相手が条約の精神を守らなくても日本は守るという考え方でした。文明国として世界に認められるためには、かつて坂本龍馬が万国公法を振りかざした精神で、相手がどうであろうと日本は優等生として守りますという心構えを実行した。日清戦争では日本人の捕虜返還問題で李鴻章と交渉するのですが、埒があかない。地方では何が起っているのか中央ではわからない、と季鴻章にごまかされ、戦争後に十人の捕虜が帰ってきただけです。日本軍はそういうことがあっても、清国兵の捕虜を虐待などしていない。 随分とオメデタイ歴史認識ですが「日本の場合、日露戦争の頃までは、たとえ相手が条約の精神を守らなくても日本は守るという考え方でした。」というのが事実であり「清国兵の捕虜を虐待などしていない。」のであれば私も秦郁彦氏を尊重します。 しかしその事実はどうであったか資料を提示します。
」『福岡日日新聞 明治二十七年十二月十九日』より
夜明けて敵の敗兵十三名を捕す、然れども下士哨にて悉く之を剣殺す、予も三人やりつけたり。・・・敗兵及負傷者毎戸二三人つつ在らさるなし、皆な刀を以て首を切り、或は銃剣を以て突き殺したり、予等の踏所の土地は皆赤くなりて流るる河は血にあらざるなし 「皆な刀を以て首を切り、或は銃剣を以て突き殺したり、予等の踏所の土地は皆赤くなりて流るる河は血にあらざるなし」というのが「清国兵の捕虜を虐待などしていない。」という認識の人に何を言っても無駄であろう。
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