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善悪二元論の是非についていろいろご解答くださいましてありがとうございます。
さて、「殺人」→「悪」→「制裁」というような思考について、論理性を失って感情論になっているのではないか、と思いましてご質問させていただきます。
たとえば、『殺人を絶対悪だ、仕方がないなどというのは論外だ』と決め付ける人は、以下の関してどのようにお考えなのでしょか?
日本の交通事故の死者は毎年6000人、負傷者は120万人ぐらいです。そればかりか貴重な石油を浪費して環境汚染で地球を破壊しようとしています。車は『走る凶器』といわれるように殺人犯としては北朝鮮や暴力団などとは比べ物にならないほど凶悪です。『拉致問題』であれだけ騒ぐ日本人はどうして交通事故では騒がないのでしょうか?それどころか、多くの日本人は『自分たちの都合』のために車の犯罪を見て見ないふりをしていますね。
殺人が絶対悪と断定してはばからない人は、車の運転を拒否していますか。それとも、『自分は絶対に交通事故で人殺しをしない』ということを論理的に説明できるでしょうか。車を運転して人殺しは絶対悪だという人は矛盾していませんか?自家用車をすべて廃止しようという運動はどうして起こらないのでしょうか。
日本政府は年間の交通事故の死者5000人目標にしているそうです。このことは、言い方を変えると『年間5000人が車で殺されるのは仕方がない』ということではないでしょうか。殺人が絶対悪と絶対視する人は、交通事故の死者は0でなければならない、ということですね。しかし、これは理想論で、現実不可能なことは明らかです。統計的に見て、来年も約6000人死ぬことはわかっているのです。ですから社会全体(日本として)としては『偶然約6000人死んだ』のではなくて、『約6000人が死ぬことがわかっている』のに自分たちの都合で車による殺人を見て見ぬ振りをしている『確信犯』なのではないでしょうか。この点はどうお考えになりますか。
殺人事件でもそうですよ。日本は年間約1000人が殺害されていますが、もし、来年一年間の殺人事件の犠牲者が100人だったら警視庁は表彰物ですよ。みんな大喜びするでしょう。これは不謹慎で論外ですか?
個人について考えるときは確かに命はもっとも大切ですが、日本社会全体として見た場合には、違った視点も必要ではないでしょうか。
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