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[5129]なぜ人を殺してはいけないのですか? 永好和夫 08/1/1(火) 2:42
[5131]Re(1):なぜ人を殺してはいけないのですか? とほほ 08/1/1(火) 7:22
[5157]Re(1):なぜ人を殺してはいけないのですか? タラリ 08/1/2(水) 16:58
[5160]Re(2):なぜ人を殺してはいけないのですか? 永好和夫 08/1/2(水) 19:08
[5164]Re(3):なぜ人を殺してはいけないのですか? タラリ 08/1/3(木) 1:13
[5177]Re(1):なぜ人を殺してはいけないのですか? とほほ 08/1/4(金) 7:45
[5200]Re(2):なぜ人を殺してはいけないのですか? 永好和夫 08/1/4(金) 18:42

[5129]なぜ人を殺してはいけないので...
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 永好和夫 E-MAIL  - 08/1/1(火) 2:42 -

引用なし
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   「人殺し」→「悪」→「問答無用」でいいのでしょうか?

1997年11月のテレビの討論番組で、一人の若者が

『どうして人を殺してはいけないのか』

という問いを投げかけました。それを見た大江健三郎氏は朝日新聞に、

『まともな子どもなら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ』(1997年11月30日)

と書きました。問答無用ということですね。

それに対して灰谷健次郎氏は朝日新聞で、

『子どもを子どもたらしめているものの一切を抹殺しかねない悪気流』漂う日本社会にあって、あの若者を『まともじゃない』と一蹴できる資格が大人にあるだろうか(1997年12月3日)

と書いています。みなさまはどのようにお考えでしょうか。
80 hits

[5131]Re(1):なぜ人を殺してはいけな...
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 とほほ E-MAIL  - 08/1/1(火) 7:22 -

引用なし
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   ▼永好和夫さん:
>「人殺し」→「悪」→「問答無用」でいいのでしょうか?

良いのです。


>という問いを投げかけました。それを見た大江健三郎氏は朝日新聞に、
>『まともな子どもなら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ』(1997年11月30日)
>
>と書きました。問答無用ということですね。

そうです。

>それに対して灰谷健次郎氏は朝日新聞で、
>
>『子どもを子どもたらしめているものの一切を抹殺しかねない悪気流』漂う日本社会にあって、あの若者を『まともじゃない』と一蹴できる資格が大人にあるだろうか(1997年12月3日)
>
>と書いています。みなさまはどのようにお考えでしょうか。

そうです。「まともではない子供」を育ててしまった大人にはその資格はありません、「人を殺してはいけない」と言うことを教えられなかった大人の責任は大きいです。つくる会などの言論がそれを行ってきて、それを許容してきた大人社会に資格はありません。資格がないから「人を殺しても良い」が真理だという論理は成立しませんし、通用しません。
人を殺してはいけないことをしっかりと子供に教えることの出来る大人になりましょうよ、永好和夫さん。

ただ、この掲示板はそうしたことを教える場ではありません。あくまで「大人」であることを前提に投稿者とは議論します。従って「なぜ人を殺してはならないのか」のわからない大人は罵倒されますのでそのつもりでいてください。

BC級戦犯の問題は、この掲示板で、それが朝鮮人戦犯であろうと日本人戦犯であろうと関係ありません、その行為が悪ではないという人は一人もいませんでしょう。ただしその裁きが正しかったのか、裁くべきだったのかには人それぞれの考え方は異なるでしょう、しかしその行為が悪であったことを疑う人は一人もいません。現実にBC級裁判にはかなりの数の冤罪があります。(行為者の特定が間違っていただけで、その戦争犯罪がなかったことではない)

この掲示板の参加者の中には「中国帰還者連絡会」の支持者や賛同者も多くそうした疑問に対する答えを思考してきたことでしょうし、それぞれに答えを見つけてきたことでしょうが、私にとってはそれがまぎれもない「悪」であることがわかりやすいパラダイム(視点)を与えてくれるのが本多勝一氏の「殺す側の論理」である、と言う考え方です。

殺される側の視点でその犯罪を見てください、その殺人者が朝鮮人であろうと日本人であろうと関係ありません、殺される側にとってはそれが平時は平凡で家族に優しい床屋のただのおじさんであろうと、殖民支配の中で自分の居場所を生き残る道を必死で確保しようとしてきた朝鮮人であろうと関係ありません。それらは日本鬼子以外の何者でもないのです。

そのことを我々ごときよりも一番良くわかっているのが、中帰連の会員さんたちでありますし、朝鮮人戦犯その人たちでしょう。

永好和夫さん、あなたはこれがわからずにいて、どうやって右翼の「パール判事日本無罪論」に反論しているのですか?
101 hits

[5157]Re(1):なぜ人を殺してはいけな...
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 タラリ E-MAIL  - 08/1/2(水) 16:58 -

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   ▼永好和夫さん:
>「人殺し」→「悪」→「問答無用」でいいのでしょうか?
>
>1997年11月のテレビの討論番組で、一人の若者が
>
>『どうして人を殺してはいけないのか』
>
>という問いを投げかけました。
>
>みなさまはどのようにお考えでしょうか。


その若者がどういう状況でその質問を発したかわからない状況では、論評を加えよ、
と言われても論評しようがありません。大江氏、灰谷氏の回答についても同様です。
永好さんはこの質問はどのような状況でなされたのか、
どのような背景を持った質問と考えているのですか。

「どうして人はごはんを食べなければならないのか」について
永好さんは回答できますか? はふーん。
82 hits

[5160]Re(2):なぜ人を殺してはいけな...
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 永好和夫 E-MAIL  - 08/1/2(水) 19:08 -

引用なし
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   ▼タラリさん:
>▼永好和夫さん:
>>「人殺し」→「悪」→「問答無用」でいいのでしょうか?
>>
>>1997年11月のテレビの討論番組で、一人の若者が
>>
>>『どうして人を殺してはいけないのか』
>>
>>という問いを投げかけました。
>>
>>みなさまはどのようにお考えでしょうか。
>
>
>その若者がどういう状況でその質問を発したかわからない状況では、論評を加えよ、
>と言われても論評しようがありません。大江氏、灰谷氏の回答についても同様です。

論評はいただいてます。問答無用、つまり『議論』の余地がなく『大江氏が正しく、灰谷氏は間違っている』と心得ています。私はさらに議論するため
に『善悪二言論』をいったん受け入れて記述したものです。

わたしは『善悪二言論』で考えないのですが、皆様は『善悪二言論は絶対に正しい』といわれますから、議論するにはあいての意見を受け入れなければ不可能です。『善悪二言論』が正しいとして議論を進めたのですよ。だってそうしないと議論ができませんから。

>永好さんはこの質問はどのような状況でなされたのか、
>どのような背景を持った質問と考えているのですか。

背景や原因を考えることは大切だと思います。問答無用で切り捨てるようなやり方では相互理解は不可能ですから。ただ、背景をすべて記述することも不可能だと思います。ですからすべてに曖昧な点があるのは仕方がないことではないですか。南京大虐殺でもそうですよ。どんなに史料や証言があっても、当時の状況をすべてそのまま復元することは不可能ですから。質問の状況は当時のテレビをみていないからわかりません。

李順愛さんが、戦後の戦争責任と関連して、若者の発言した状況とは無関係に重大なことだと思って本に書いたのですから。これを状況がわからないから無意味だ、というのは李順愛さんに対する問題発言ですよ。私ではなくて、李順愛さんに対して、『状況や背景を全く記述しないで、ただ若者の発言だけを書いても意味がないのでは』、とあなたが批判していることと同じですよ。

>「どうして人はごはんを食べなければならないのか」について
>永好さんは回答できますか? はふーん。

回答できますよ。いろいろ回答できますけれど、あくまで個人的な意見ですね。それにどのような視点から書くかによって回答が異なりますね。

もちろん私の回答が絶対に正しいなどとは申しません。多種多様の意見があるのは当然でしょう。だって、すべての質問に正しい解答があるかどうか、それ自体を問うことが問題ではないでしょうか。正解がない質問だってあっていいし、だれもわからない質問だってあるわけですから。

過去に起こったことについては常に曖昧なところがありますから、それを認めることは大切ではないでしょうか。南京大虐殺でも正確な犠牲者の人数はわからないのですから。
90 hits

[5164]Re(3):なぜ人を殺してはいけな...
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 タラリ E-MAIL  - 08/1/3(木) 1:13 -

引用なし
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   ▼永好和夫さん:
私は『どうして人を殺してはいけないのか』という問いをなすことができるだけの知性を持った若者の質問であってみれば、その質問はどういう背景、どういう状況のもとでなされた質問であるか、を問うてみなければ、正確に答える(というのは正しく議論が成り立つような答えを与える)ことは無理だと思います。

私はしたがって、

>問答無用、つまり『議論』の余地がなく『大江氏が正しく、灰谷氏は間違っている』と心得ています。

という答えを出すことは何の回答にもならないと思います。
あなたが、その回答に満足しているとすれば、本来あなたが提示すべき疑問ではなかった、と考えます。


>>「どうして人はごはんを食べなければならないのか」について
>>永好さんは回答できますか? はふーん。

>回答できますよ。いろいろ回答できますけれど、あくまで個人的な意見ですね。それにどのような視点から書くかによって回答が異なりますね。

あの、これは私がどういう背景、どういう状況のもとでなされた質問かということを問題にしたのと、まったく同じことを言っているのですがね。
90 hits

[5177]Re(1):なぜ人を殺してはいけな...
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 とほほ E-MAIL  - 08/1/4(金) 7:45 -

引用なし
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   ▼永好和夫さん:
>『どうして人を殺してはいけないのか』

この問いかけは結構話題になり、これに答えるべく色んな書物が出版されたので、私は状況を把握しているつもりです。まさしく小林よしのりの戦争論に感化された若者が発した問いかけでしょう。

さてそれはそれとして、某MLに投稿された文章を以下に無断転載します。
マス・メディアの悪影響から子供を守る2 
テッド・ベア博士
 
「殺す訓練」
 娯楽マス・メディアには若者たちを暴力に走らせるような影響を与えるということを理解するのに最も大きな助けをしてきたのは、デイビッド・グロスマン中佐であろう。中佐はもう四半世紀近く、軍隊の心理学者として「いかにして人が人を殺すように慣れるか」の研究をされてきた。97年に起きた15の青少年による殺人について調査した結果、メディアが青少年たちに行なった「殺すための訓練」と軍隊が新兵に対して行なっている「殺すための訓練」の間の重要な相関関係の存在に気づいたと言う。「殺す事」には訓練が必要である。人には、自分と同種の者を殺す事に対して、本来備わった嫌悪が存在するからである。社会病質人格の者のみが、この生まれながらの暴力免疫システムを持ち合わせていない。だから、自然の状態では、子供は殺人を犯さない。

 殺人とは、後で身に付けた技能であり、彼らはそれを家庭内暴力や、テレビ、映画、テレビ・ゲーム等の娯楽に含まれる暴力に見出だすのである。

 戦争においてさえ、自分の仲間の人間を殺す事にはためらいがある。例えば、発砲率は、南北戦争では極めて低かった。当時、一分間に五百〜二千人を殺す事が出来たのに、実際の殺人は一個連帯、一分間に一人、二人だけだった。ゲティスバーグの戦いで死んだ兵士の2千七百丁の銃のうち、弾が込められたままなのが90%だった。自分の信条のために喜んで命を捧げたが、進んで人を殺す事は無かったのである。

 第二次世界大戦中、アメリカ軍は、ライフルを持たされた兵士のたった15〜20%の者しか敵兵を撃つことがなかった。軍隊的観点からすれば発砲率が15%ということは、図書館司書の15%しか字が読めないのと同じことである。

 このことに気づいた軍は、組織的にこの「問題を解決」することに取り組み始めた。そこで朝鮮戦争の時までに55%の兵士が殺すために発砲するようになり、ベトナム戦争の頃までには90%以上までになった。 

 グロスマン中佐は、日本人は兵士たちに対して、古典的条件付けの名人であったことを示している。第二次世界大戦の初期、中国人捕虜は後ろ手に縛られて、溝の中に跪かされた。選ばれた日本人の兵士は溝のところまで行くと、捕虜たちを銃剣で突き殺した。土手の上には数えきれない兵士がいて、荒々しく声援を送るのであった。実際に殺人に関わったのは少人数でも、他の者に見せ、声を出させる事により、人を殺す事、人の苦しみを楽しみと結びつけるように古典的に条件付けることができたのである。この後ですぐに兵士たちは酒、何か月振りかのごちそう、慰安婦が与えられたのである。その結果兵士たちは暴力行為と楽しみを結びつける。知らないうちに、人を殺す事を好きにさせるメカニズムなのである。

 似たような反応は、映画館の中で血なまぐさい暴力を見た後、いつでも起きているのだ。若者たちは笑い、喝采し、ポップコーンを食べ続ける。我々は暴力を楽しみと結びつける野蛮人という世代を育て上げてしまった。彼らは、クリスチャンがコロシアムで虐殺された時、拍手喝采して何か食べながら見ていたローマ人たちと何ら変わりはしない。

86 hits

[5200]Re(2):なぜ人を殺してはいけな...
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 永好和夫 E-MAIL  - 08/1/4(金) 18:42 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼永好和夫さん:
>>『どうして人を殺してはいけないのか』
>
>この問いかけは結構話題になり、これに答えるべく色んな書物が出版されたので、私は状況を把握しているつもりです。まさしく小林よしのりの戦争論に感化された若者が発した問いかけでしょう。

ありがとうございます。いままで問答無用で切り捨てられていたことに対して、皆さまが議論の対象としていただいたことに心から感謝しています。歴史修正主義者によって感化された可能性もありますね。ここでは、『戦争は自分に関係ないことなのに、どうして自分が責任をとる必要があるのか』というような自己中心的な若者に育っていることを問題にしているのではないでしょうか。子どもを教育した親や学校の責任だと思います。だからこそ『つくる会』のような教科書を使ってはいけないのだと思います。
>
>さてそれはそれとして、某MLに投稿された文章を以下に無断転載します。
マス・メディアの悪影響から子供を守る2 
>テッド・ベア博士
> 
>「殺す訓練」
> 娯楽マス・メディアには若者たちを暴力に走らせるような影響を与えるということを理解するのに最も大きな助けをしてきたのは、デイビッド・グロスマン中佐であろう。中佐はもう四半世紀近く、軍隊の心理学者として「いかにして人が人を殺すように慣れるか」の研究をされてきた。97年に起きた15の青少年による殺人について調査した結果、メディアが青少年たちに行なった「殺すための訓練」と軍隊が新兵に対して行なっている「殺すための訓練」の間の重要な相関関係の存在に気づいたと言う。「殺す事」には訓練が必要である。人には、自分と同種の者を殺す事に対して、本来備わった嫌悪が存在するからである。社会病質人格の者のみが、この生まれながらの暴力免疫システムを持ち合わせていない。だから、自然の状態では、子供は殺人を犯さない。
>
> 殺人とは、後で身に付けた技能であり、彼らはそれを家庭内暴力や、テレビ、映画、テレビ・ゲーム等の娯楽に含まれる暴力に見出だすのである。
>
> 戦争においてさえ、自分の仲間の人間を殺す事にはためらいがある。例えば、発砲率は、南北戦争では極めて低かった。当時、一分間に五百〜二千人を殺す事が出来たのに、実際の殺人は一個連帯、一分間に一人、二人だけだった。ゲティスバーグの戦いで死んだ兵士の2千七百丁の銃のうち、弾が込められたままなのが90%だった。自分の信条のために喜んで命を捧げたが、進んで人を殺す事は無かったのである。
>
> 第二次世界大戦中、アメリカ軍は、ライフルを持たされた兵士のたった15〜20%の者しか敵兵を撃つことがなかった。軍隊的観点からすれば発砲率が15%ということは、図書館司書の15%しか字が読めないのと同じことである。
>
> このことに気づいた軍は、組織的にこの「問題を解決」することに取り組み始めた。そこで朝鮮戦争の時までに55%の兵士が殺すために発砲するようになり、ベトナム戦争の頃までには90%以上までになった。 
>
> グロスマン中佐は、日本人は兵士たちに対して、古典的条件付けの名人であったことを示している。第二次世界大戦の初期、中国人捕虜は後ろ手に縛られて、溝の中に跪かされた。選ばれた日本人の兵士は溝のところまで行くと、捕虜たちを銃剣で突き殺した。土手の上には数えきれない兵士がいて、荒々しく声援を送るのであった。実際に殺人に関わったのは少人数でも、他の者に見せ、声を出させる事により、人を殺す事、人の苦しみを楽しみと結びつけるように古典的に条件付けることができたのである。この後ですぐに兵士たちは酒、何か月振りかのごちそう、慰安婦が与えられたのである。その結果兵士たちは暴力行為と楽しみを結びつける。知らないうちに、人を殺す事を好きにさせるメカニズムなのである。
>
> 似たような反応は、映画館の中で血なまぐさい暴力を見た後、いつでも起きているのだ。若者たちは笑い、喝采し、ポップコーンを食べ続ける。我々は暴力を楽しみと結びつける野蛮人という世代を育て上げてしまった。彼らは、クリスチャンがコロシアムで虐殺された時、拍手喝采して何か食べながら見ていたローマ人たちと何ら変わりはしない。


大変参考になる資料、ありがとうございます。とてもためになりました!!
88 hits

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