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永好です。
【善悪二言論は日本の戦争責任の一部を被害者になすり付ける】
私が善悪二言論、つまり「殺人」→「悪」(終わり)という論理にで最も耐え難い点は、侵略戦争と植民地支配で2000万のアジアの人びとを殺戮し、生き残った数億の人々にも筆舌に尽くしがたい苦しみを与えた巨悪の戦争責任の一部を被害者である中国を初めとするアジアの人びとになすり付ける点です。
日中戦争を『議論の対象』にして考察します。日本は自国の野望を満たすために中国に一方的に侵略して、南京大虐殺、三光作戦、強制労働、強制連行、従軍慰安婦、731部隊による人体実験、毒ガスなどなど想像を絶する犯罪を行なって1000万人を殺害して、生き残った人びとにも計り知れない苦しみを与えたのです。この巨悪の犯罪を中国人の立場に立って善悪二言論で日本人の悪行を追求して反省することには全く同感できます。
しかし、見逃している点があるのではないでしょうか?日中戦争では中国人は日本人に対して無抵抗であったわけではありません。侵略されれば応戦するのは当然であり、中国人に殺された日本人も数万人はいるでしょう。傷害を受けた日本人はさらに多いでしょう。善悪二言論で説明すれば、侵略してきた日本人を殺害、負傷した中国人は悪人になります。この点をどのようにお考えなのでしょうか。
つまり、どちらが加害者で、被害者という問題です。中国は日本に何も被害を与えていないのに一方的に侵略されたのです。ですから加害者は日本で被害者は中国でなければなりません。ところが、善悪二言論で説明しようとすると、中国人の一部が悪人、(つまり中国人が加害者で、日本人が被害者)になってしまいます。どうして一方的に侵略された側が加害者にならなければならないのでしょうか?侵略されても防戦するな!何も抵抗せずに日本に殺されるままにするのが正しいことだ。という非現実的なことを正当化することにもなってしまいます。
一方的に侵略されたのですから、防戦で殺されたり傷ついたりした日本人の被害を中国に転嫁するのは不当でしょう。日本人の被害は生き残った日本人が取るべきであり、中国側には何ら責任がない、としないと私は納得できないのです。ここに侵略者(強者)の尊大さを見出すし、ウヨクに付け入る隙を与えてしまうと思うのです。また、朝鮮人にいても、一方的に植民地支配され、土地、財産、氏名、言葉を奪われ、日本人(天皇の赤子)に無理やりにさせられ、無理やり皇軍兵士にさせられたんですよ。そして、日本軍によってむりやり戦場に行かされて中国人を殺さなければならなくなったんですよ。すべて日本が朝鮮人にむりやりやらせたのに、どうして朝鮮人に殺された中国人の責任が朝鮮人なんですか?あるいは、中国人も応戦して朝鮮人を殺したでしょう。この場合、どうして朝鮮人を殺した責任が中国人にあるのでしょうか?
私は、植民地支配と侵略戦争の責任はすべて日本でないと納得できないのです。
善悪二言論を用いると、『日本人と中国人が対等であることは、あってはならないこと』になってしまうのです!
ですから、現実を説明するにはかまいません。現に『日本人の命は地球より重く、アジアの人びとの命は虫けら同然』というのが現実ですから。これは、ダブスタで、ウヨクの思想の延長線上でしかありません。日本は侵略戦争の責任を不当に低く評価しています!
たとえば、日中交渉で、周恩来が『中国人民も日本人民も同じ被害者で悪いのはA級戦犯などの戦争を指導した一部の人』などといっているのは、中国人民を説得させるのに用いた詭弁で、『中国人民はすべて被害者で、日本人はすべて加害者』が正しくなくてはいけないと思います。
中国人から見ても、『中国人と日本人が対等であることは、あってはならないこと』なのです。そして、まさにそれが現実で、中国の人びとは、現在でも善悪二言論による不当に中国を貶めた戦争責任認識を喜んで受け入れることでしょう。
論理的に考えていくと到底耐えられません。私は、皆様に、植民地支配と侵略戦争の罪の深さをもっとうがっていただきたいのです。そういう意味で、現実には問題ありませんが、本当に対等にするためには、どうしてもポスコロの論理で戦争責任を追及しなければならないと思います。同様の論理を『拉致問題』に適用すると、論理的には、日本人はどんなに不愉快でも以下のことを認めなければならなくなります。
『拉致問題はすべて日本の責任で、北朝鮮には一切責任はない』
私は、この問題を戦争責任の罪の深さを認識するために提起したのです。チョムスキーの論理を用いて論理的に説明すると、どうしてもこの結論になってしまいます。それほど日本の戦争責任は罪深いと思います。拉致被害者はもちろん被害者ですが、北朝鮮や在日朝鮮人には責任はありません。日本政府と日本国民が責任をとるべきです。
私は『北朝鮮を大切にしない人は平和を知らない人』といっているのは、北朝鮮敵視政策をしている現在がすでに”いつか来た道”であるからです。日本政府の狡猾さには本当に腹が立ちます。
もちろん私が絶対に正しいとは言いませんが、世界的には、平和学研究者の多くがこのように考えていると思います。明治学院大学の竹中千春先生は、自著で次のように述べています。
『アジアの人びとは、日本の人びとを恨んで殺してやろうというテロをしないで、いままで暮らしてきてくれました。苛酷な植民地支配や残酷な殺戮の後でも、そのような心の広さで日本人に接してきてくれたのです。戦争責任を負った国に生まれた人間として、そうしたアジアの人びとの寛容の精神には、心から感謝すべきだと思います。(中略)まだ平和的な関係が結べていない北朝鮮についても、こういう方向から考えるべきではないでしょうか」。
この意見と私の意見は『違いますが』、この文章は100%支持します。わずか十数人の拉致で逆ギレする日本人がいかに傲慢であるか、2000万の死者を出し、数億の人間に塗炭の苦しみをあじわわせ、現在でも朝鮮半島の分断をはじめ、アジアの国ぐににはいたるところに戦争の傷跡は残っているのです。そして、従軍慰安婦、強制連行、強制労働、銃剣、毒ガスなどで苦しみ続け、補償もされずに余命いくばくもないこれらの人びとを誹謗中傷するような日本は滅びてしまったほうが人類のためだと思いますね。和田春樹先生がおっしゃるように、『日本人が犠牲になっても』アジアの人びとが自由で人間的な生活ができるようにしなければならないと思います。
日本人は巨悪の戦争犯罪を許してくれているアジアの人びとの『寛容の精神』を学ぶべきだと思います。「人殺し」→「悪」で思考停止状態になってしまうことは、知性=論理を放棄して感情論になってしまう点が問題だと思います。また、知性、理性を失って思考停止状態になる事は、「拉致」→「悪」で思考停止状態になって感情的になり、逆ギレして国民一億総ヒステリー状態になっている人びとと同じ状態になる危険性があると思います。『暴支よう懲』と叫んで中国を侵略していった事を深く反省して、二度とこのようなことが起こらないようにするにはどうしたらよいかを考えるべきではないでしょうか。思考停止状態は理性と知性の放棄で人間を国家権力のロボットにしてしまいますし、排他的になって、自分たちと同じ意見以外は全く受けつけなくなってしまう点ではウヨクと同じだと思います。自分と異なる意見でも支持できるような柔軟性も大切ではないでしょうか。
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