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[84]「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 ピッポ 05/3/28(月) 17:38
[87]対論『竹島』はどちらのもの【東京新聞】 ピッポ 05/3/31(木) 2:00
[88]下條 正男 講演 ピッポ 05/3/31(木) 2:50 [添付][添付]
[89]下條氏の複雑方程式と半月城氏による批判 ピッポ 05/3/31(木) 3:47
[90]訂正です ピッポ 05/3/31(木) 4:12
[91]Re(1):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 ある書き込み 05/3/31(木) 10:42
[92]Re(2):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 ピッポ 05/3/31(木) 11:03
[98]Re(3):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 書き込M 05/3/31(木) 14:07
[100]Re(4):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 とほほ 05/3/31(木) 14:21
[145]Re(1):竹島=独島問題、櫻井よしこ氏を批判する ピッポ 05/4/8(金) 5:06
[4859]Re(1):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 さわだまさやす 07/10/6(土) 8:57
[4860]1905年は20世紀です。 熊猫 07/10/6(土) 20:33
[4865]Re(1):1905年は20世紀です。 さわだまさやす 07/10/7(日) 5:01
[4867]Re(2):1905年は20世紀です。 とほほ 07/10/7(日) 8:27
[4868]Re(3):1905年は20世紀です。 さわだまさやす 07/10/7(日) 15:39
[4869]Re(4):1905年は20世紀です。 とほほ 07/10/7(日) 16:23
[4870]Re(4):1905年は20世紀です。 とほほ 07/10/8(月) 1:56
[4872]Re(5):1905年は20世紀です。 さわだまさやす 07/10/8(月) 2:52
[4873]Re(6):1905年は20世紀です。 とほほ 07/10/8(月) 3:05
[4874]Re(6):1905年は20世紀です。 とほほ 07/10/8(月) 3:41
[4876]Re(7):1905年は20世紀です。 とほほ 07/10/8(月) 4:03
[4896]Re(7):1905年は20世紀です。 さわだまさやす 07/10/13(土) 20:34
[4897]Re(8):1905年は20世紀です。 熊猫 07/10/14(日) 0:42
[4900]Re(9):1905年は20世紀です。 とほほ 07/10/14(日) 8:56
[4875]Re(4):1905年は20世紀です。 とほほ 07/10/8(月) 3:49
[4895]Re(5):1905年は20世紀です。 さわだまさやす 07/10/13(土) 19:32
[4899]Re(6):1905年は20世紀です。 とほほ 07/10/14(日) 8:44
[4861]Re(2):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 とほほ 07/10/6(土) 21:19
[4863]Re(3):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 さわだまさやす 07/10/7(日) 4:28
[4866]Re(4):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 とほほ 07/10/7(日) 7:20
[4862]Re(2):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 秋時雨 07/10/6(土) 23:56
[4864]Re(3):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 さわだまさやす 07/10/7(日) 4:31
[4871]Re(4):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 とほほ 07/10/8(月) 1:58
[4877]Re(4):「週刊新潮の竹島=独島記事を批判する」 gallery 07/10/8(月) 15:01

///////////////////////////////////////////////////////////////
[4862]Re(2):「週刊新潮の竹島=独島...
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 秋時雨  - 07/10/6(土) 23:56 -

引用なし
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   はじめまして。秋時雨といいます。

私は朝鮮問題については門外漢ではありますが
Toron Tolkerなるサイトの南京虐殺スレッドhttp://toron.pepper.jp/jp/epi/nankin/index.html

を読むと、いかにサイト創設者がお粗末な論を書き連ねているかが解ります。

鸚鵡返し調になりますが、そのようなToron Tolkerを見て説得力を感じるなら、はっきり言って、さわだまさやすさんは「引っかかって」るのではないでしょうか。
167 hits

[4863]Re(3):「週刊新潮の竹島=独島...
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 さわだまさやす E-MAIL  - 07/10/7(日) 4:28 -

引用なし
パスワード
   とほほ様

>>サンフランシスコ講和条約での取り扱いも、ラスク書簡やヴァン・フリート特命報告書で竹島は日本領ということで確認されています。
>
>まずこの手の議論をする方は得てしてダブルスタンダードな主張をする方が多いので先にそれを避けるためにさわだまさやすさんにお伺いしておきます。サンフランシスコ講和条約を根拠に領土問題の正当性を主張するのであれば「北方領土を日本は放棄すべきである」と主張されているのでしょうか?

いいえ、北方領土も国際司法裁判所で決めるべきだと考えています。
結果として、北方領土が返ってこなくてもそれは仕方ありません。
個人的見解で言うならば、条約解釈上は国後択捉が日本領というのは苦しいと思います。
尖閣諸島についても、国際司法裁判所で決めるべきです。

>さわだまさやすさんは領土問題とはどういうことなのか?と言うのをよくわかっていないのでは?

何がわかっていないのかはわかりませんが、自力救済を否定するのなら司法的に解決しなければならないのは当然のことです。
147 hits

[4864]Re(3):「週刊新潮の竹島=独島...
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 さわだまさやす E-MAIL  - 07/10/7(日) 4:31 -

引用なし
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   ▼秋時雨さん:
>はじめまして。秋時雨といいます。
>
>私は朝鮮問題については門外漢ではありますが
>Toron Tolkerなるサイトの南京虐殺スレッドhttp://toron.pepper.jp/jp/epi/nankin/index.html
>
>を読むと、いかにサイト創設者がお粗末な論を書き連ねているかが解ります。
>
>鸚鵡返し調になりますが、そのようなToron Tolkerを見て説得力を感じるなら、はっきり言って、さわだまさやすさんは「引っかかって」るのではないでしょうか。

私は南京虐殺について何も論じていないのですが。
164 hits

[4865]Re(1):1905年は20世紀です。
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 さわだまさやす E-MAIL  - 07/10/7(日) 5:01 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>▼さわだまさやすさん:
>私は週刊新潮が正しいのか半月城さんが正しいのか解りません。
>>>「竹島は17世紀から日本が統治していた」
>これが、週間新潮の記事であると解釈します。これにたいして、半月城さんが反論したのであれば、「竹島は17世紀から日本が統治していた」ということを立証するべきではないでしょうか。
>>結論から言えば、日本が竹島を編入した1905年の時点で、韓国が竹島を領有していたという証拠は全くありません。さらに言うなら、韓国には竹島を記載した地図すら無いのが実情です。
>これは20世紀の話です。
>週刊新潮の「竹島は17世紀から日本が統治していた」が論点であると解釈しますが如何でしょう?

週刊新潮の記事は読んでいないのでわかりませんが、竹島(今の鬱稜島)は17世紀の大半において日本が支配していたというのは誇張ではありません。しかし、17世紀の終わりに帰属紛争があって、日本が譲歩して鬱稜島は朝鮮領に確定しています。それ以降、日本は現在に至るまで一度として鬱稜島に対する領有権を主張していません。その当時、現在の松島(現在の竹島)についても米子の商人が幕府了解のもと利用していましたが、それについては朝鮮政府は全く異議をとなえていません。それ以降、朝鮮政府が領有権を主張した証拠はなく、地図にすら記載されていない、それが歴史的事実です。
せっかくですから、正式に日本が領土編入する直前の1899年の地図を貼っておきます。
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/taikanzenzu.html
150 hits

[4866]Re(4):「週刊新潮の竹島=独島...
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/7(日) 7:20 -

引用なし
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   ▼さわだまさやすさん:
>いいえ、北方領土も国際司法裁判所で決めるべきだと考えています。

なるほど(笑)
で、その国際司法裁判所と言うのはどこにあるのですか?
169 hits

[4867]Re(2):1905年は20世紀です。
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/7(日) 8:27 -

引用なし
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   ▼さわだまさやすさん:
>週刊新潮の記事は読んでいないのでわかりませんが、竹島(今の鬱稜島)は17世紀の大半において日本が支配していたというのは誇張ではありません。

誇張でしょう、17世紀の大半において竹島は全く重要ではなかったのですから。

>しかし、17世紀の終わりに帰属紛争があって、

は?日本と朝鮮の帰属紛争ですか?何のことでしょう?

>日本が譲歩して鬱稜島は朝鮮領に確定しています。それ以降、日本は現在に至るまで一度として鬱稜島に対する領有権を主張していません。その当時、現在の松島(現在の竹島)についても米子の商人が幕府了解のもと利用していましたが、それについては朝鮮政府は全く異議をとなえていません。それ以降、朝鮮政府が領有権を主張した証拠はなく、地図にすら記載されていない、それが歴史的事実です。

ちょっと意味がわかりません(^^;
さわだまさやすさんの上記主張によると日本が譲歩して朝鮮領に確定しているにも関わらず、米子の商人が竹島を利用したことに朝鮮側が抗議していないから日本領である、と主張していますがそういう主張なのですか?
161 hits

[4868]Re(3):1905年は20世紀です。
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 さわだまさやす E-MAIL  - 07/10/7(日) 15:39 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼さわだまさやすさん:
>>週刊新潮の記事は読んでいないのでわかりませんが、竹島(今の鬱稜島)は17世紀の大半において日本が支配していたというのは誇張ではありません。
>
>誇張でしょう、17世紀の大半において竹島は全く重要ではなかったのですから。
>
>>しかし、17世紀の終わりに帰属紛争があって、
>
>は?日本と朝鮮の帰属紛争ですか?何のことでしょう?
>
>>日本が譲歩して鬱稜島は朝鮮領に確定しています。それ以降、日本は現在に至るまで一度として鬱稜島に対する領有権を主張していません。その当時、現在の松島(現在の竹島)についても米子の商人が幕府了解のもと利用していましたが、それについては朝鮮政府は全く異議をとなえていません。それ以降、朝鮮政府が領有権を主張した証拠はなく、地図にすら記載されていない、それが歴史的事実です。
>
>ちょっと意味がわかりません(^^;
>さわだまさやすさんの上記主張によると日本が譲歩して朝鮮領に確定しているにも関わらず、米子の商人が竹島を利用したことに朝鮮側が抗議していないから日本領である、と主張していますがそういう主張なのですか?

全然違います。わかりやすいように現在の地名で説明します。
17世紀、鬱稜島と竹島は米子の商人が幕府の許可を得て利用していました。材木の伐採、海産物の採取が目的です。竹島では海驢猟を行っていたようです。当時の朝鮮政府は、鬱稜島については抗議をしましたが、竹島については全く抗議をしていません。この抗議に対して幕府が譲歩し、鬱稜島は朝鮮領であることが確認されたということです。逆に、竹島については朝鮮は黙認したということです。その後、朝鮮政府は竹島を調査することも地図に記載することもありませんでした。そういうことです。
半月城氏は、この際に竹島も朝鮮に引き渡したと主張しているようですが、そもそも朝鮮政府はそんな要求はしていないし、幕府も竹島に対しては何の措置もとっていません。
164 hits

[4869]Re(4):1905年は20世紀です。
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/7(日) 16:23 -

引用なし
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   ▼さわだまさやすさん:
>17世紀、鬱稜島と竹島は米子の商人が幕府の許可を得て利用していました。

あの(^^;
なぜ、米子藩ではなく幕府の許可が必要だったのですか?
187 hits

[4870]Re(4):1905年は20世紀です。
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/8(月) 1:56 -

引用なし
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   ▼さわだまさやすさん:
>その後、朝鮮政府は竹島を調査することも地図に記載することもありませんでした。そういうことです。
>半月城氏は、この際に竹島も朝鮮に引き渡したと主張しているようですが、そもそも朝鮮政府はそんな要求はしていないし、幕府も竹島に対しては何の措置もとっていません。

と言うことは、日本が竹島を支配していた、と言うのはやはり誇張ですよね?幕府も朝鮮政府も「竹島問題」と言う問題意識はなかったわけです。
179 hits

[4871]Re(4):「週刊新潮の竹島=独島...
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/8(月) 1:58 -

引用なし
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   ▼さわだまさやすさん:
>私は南京虐殺について何も論じていないのですが。

秋時雨さんの問いかけは
>さわだまさやすさんは「引っかかって」るのではないでしょうか。
であります。さわだまさやすさんの南京事件の認識について問いかけているのではありません。
183 hits

[4872]Re(5):1905年は20世紀です。
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 さわだまさやす E-MAIL  - 07/10/8(月) 2:52 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼さわだまさやすさん:
>>その後、朝鮮政府は竹島を調査することも地図に記載することもありませんでした。そういうことです。
>>半月城氏は、この際に竹島も朝鮮に引き渡したと主張しているようですが、そもそも朝鮮政府はそんな要求はしていないし、幕府も竹島に対しては何の措置もとっていません。
>
>と言うことは、日本が竹島を支配していた、と言うのはやはり誇張ですよね?

竹島に対する法的地位は、鬱稜島と違い、従前と変わらなかったということです。尤も、幕府が何らかの具体的な支配を行ったわけでもないので、放置されていたというのが正確でしょう(竹島自体に経済的価値は殆どない。)。ただし、竹島に渡航することはその後も法的には問題ありませんでした。つまり、
元禄年間に鬱稜島の帰属が朝鮮と決まった際に、竹島も一緒に朝鮮に引き渡されたという主張は明確に誤りだということです。

>幕府も朝鮮政府も「竹島問題」と言う問題意識はなかったわけです。

当然です。鬱稜島の帰属が問題になった歳に、竹島の帰属は何ら問題になっていないし、明治政府の領土編入に対しても、朝鮮政府は全く争っていません。「竹島問題」なるものは、第二次世界大戦後に李承晩が作り出したものなのです。
175 hits

[4873]Re(6):1905年は20世紀です。
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/8(月) 3:05 -

引用なし
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   ▼さわだまさやすさん:
>当然です。鬱稜島の帰属が問題になった歳に、竹島の帰属は何ら問題になっていないし、明治政府の領土編入に対しても、朝鮮政府は全く争っていません。「竹島問題」なるものは、第二次世界大戦後に李承晩が作り出したものなのです。

はあ?
明治政府の領土編入には、そもそも「朝鮮半島」そのものも含まれているのですが、何をおおちゃらけたことを言っているのですか?貴方は?
征韓論もご存じないので?
現実に日本は朝鮮半島を領有したでしょ?
181 hits

[4874]Re(6):1905年は20世紀です。
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/8(月) 3:41 -

引用なし
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   さわだまさやすさんと議論するうえで私のスタンスを表明しておかないことにはアンフェアな議論になると思いますので、表明しておきます。

私は竹島問題の解決法は「共有」であると考えています。世界では類を見ない解決法ですが、このアイディアは世界平和に向けて画期的なものとなると思います。巨大メディア上でも経済界、政界、その他から私のような主張をする人は増えています。

さわだまさやすさんの得意とする国際司法上では「当事国同士の話し合いによる解決」を最優先としています。当事国双方が国際司法に解決を求めた場合、国際司法はその調停を行うことが出来るわけです。

さわだまさやすさんたちのようなへんてこりんな議論をする人々は、韓国が国際司法による裁定に応じないことを持って自らの正当性を主張すると言う真に本末転倒した議論に持っていきたいわけです。朝鮮半島の植民地化を認めた国際司法を韓国が了承できるはずも無く、国際司法に委ねずに領土問題を解決することは不正でもなければ違法でもないのです。

ここで歴史認識問題を根拠にそれを主張することそのものは正しいのですが、実効支配と当事国同士の条約を別々に議論しなくては無意味でありますし、それぞれに歴史的にその時々で政権は異なります。特に近代国家思想を取り入れた時期以降と以前では全く議論の対象にはなりませんし、現代の韓国と日本ではその時期も異なります。

幕藩体制下とそれ以前においては【日本】と言う国家は存在しません、幕藩体制を根拠に領有権を語るのは必ずしも正しくは無いです。

これは同じ意味で北方領土や沖縄についてもいえる議論なのです。

半月城さんの主張とはそういうことを言っているのだと私は理解してます、だからさわだまさやすさんの半月城論批判はトンチンカンなのです。
176 hits

[4875]Re(4):1905年は20世紀です。
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/8(月) 3:49 -

引用なし
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   ▼さわだまさやすさん:
>全然違います。わかりやすいように現在の地名で説明します。
>17世紀、鬱稜島と竹島は米子の商人が幕府の許可を得て利用していました。材木の伐採、海産物の採取が目的です。竹島では海驢猟を行っていたようです。

以下半月城さんの主張
  半月城です。

 『週刊新潮』には驚かされます。記事<「竹島」WARS!> において、小見出しに<竹島は「日本の領土」という決定的証拠の「古文書」>と仰々しくあるので、話半分にしてもさぞかし有力な証拠の古文書が出てきたのかなと期待していました。
  ところがどうでしょうか。「決定的証拠」の古文書とは大谷家の「竹島渡海由来記 抜書控」のみでした。この文書は、漁猟のために竹島(今日の鬱陵島)へ渡海していた大谷九右衛門が書いたもので、その内容は信頼性に欠け、とうてい「決定的証拠」になるような代物ではありません。

  実際、その内容ときたら、大谷家は江戸幕府から竹島を「拝領」したとか、さも領主になったかのような虚言を弄しており、信憑性がありません。史実は、大谷家と村川家が鳥取藩を通じて幕府から竹島(鬱陵島)への渡海免許をもらったにすぎません。
  当時は町人が幕府から領地を拝領できるはずもありませんし、それを裏づける資料などもちろんありません。そんな誇張に満ちた大谷家の文書を引用して同誌はこう記しました。



『週刊新潮』(05.3.31)

  江戸時代初期、日本では竹島を松島、鬱陵島を竹島と呼んでいた。「竹島渡海由来記 抜書控」という古文書は、元和4年(1618年)以降、伯耆藩(鳥取)の大谷・村川両氏が江戸幕府から両島を拝領し、鮑、アシカ等の漁猟、木竹の伐採などを行っていたことが記されている。
  この古文書に加え、1724年の古地図(伯耆藩差出 竹島図)などを収めた『島根県竹島の新研究』という書物が昭和40年に刊行されていた。著者は元島根県職員の田村清三郎氏で、昭和43年に54歳で他界した。

164 hits

[4876]Re(7):1905年は20世紀です。
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/8(月) 4:03 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>さわだまさやすさんたちのようなへんてこりんな議論をする人々は、韓国が国際司法による裁定に応じないことを持って自らの正当性を主張する

誤解のないように追記しておきます(^^;
韓国が国際司法による裁定に応じない、とか日本が国際司法に裁定を求めている、とか言うのは私は事実を確認してません。ただ、さわだまさやすさんたちのようなへんてこりんな議論をする人々がそのように主張しているのを鵜呑みにしているだけです。
197 hits

[4877]Re(4):「週刊新潮の竹島=独島...
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 gallery E-MAILWEB  - 07/10/8(月) 15:01 -

引用なし
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   ▼さわだまさやすさん:
>▼秋時雨さん:
>>はじめまして。秋時雨といいます。
>>
>>私は朝鮮問題については門外漢ではありますが
>>Toron Tolkerなるサイトの南京虐殺スレッドhttp://toron.pepper.jp/jp/epi/nankin/index.html
>>
>>を読むと、いかにサイト創設者がお粗末な論を書き連ねているかが解ります。
>>
>>鸚鵡返し調になりますが、そのようなToron Tolkerを見て説得力を感じるなら、はっきり言って、さわだまさやすさんは「引っかかって」るのではないでしょうか。
>
>私は南京虐殺について何も論じていないのですが。

まず1点。
南京虐殺の項では、かなりいい加減な記述や都合良い資料解釈が見られます。他の部分(東京裁判、靖国など)をちょっと流し読みした結果も、やはり同様で。
やはり、都合の良い資料解釈する人は、別の論考でも同じように都合の良い資料解釈している可能性が極めて高いことを再確認。

2点目。
日韓友好はおろか、本気で竹島が日本領だと主張するおつもりなら、ああいうサイトは寧ろ邪魔以外のなにものでもないのですが。
例えるなら、イミテーションの品を本物として売ってるような店が、信用されるかどうか。たとえ竹島の部分「だけ」がマトモであったとしても、です。
客観性が疑われ、自国の損失(+韓国の利益)に繋がりかねないわけですよ。
172 hits

[4895]Re(5):1905年は20世紀です。
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 さわだまさやす E-MAIL  - 07/10/13(土) 19:32 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼さわだまさやすさん:
>>全然違います。わかりやすいように現在の地名で説明します。
>>17世紀、鬱稜島と竹島は米子の商人が幕府の許可を得て利用していました。材木の伐採、海産物の採取が目的です。竹島では海驢猟を行っていたようです。
>
>以下半月城さんの主張
  半月城です。
>
> 『週刊新潮』には驚かされます。記事<「竹島」WARS!> において、小見出しに<竹島は「日本の領土」という決定的証拠の「古文書」>と仰々しくあるので、話半分にしてもさぞかし有力な証拠の古文書が出てきたのかなと期待していました。
>  ところがどうでしょうか。「決定的証拠」の古文書とは大谷家の「竹島渡海由来記 抜書控」のみでした。この文書は、漁猟のために竹島(今日の鬱陵島)へ渡海していた大谷九右衛門が書いたもので、その内容は信頼性に欠け、とうてい「決定的証拠」になるような代物ではありません。
>
>  実際、その内容ときたら、大谷家は江戸幕府から竹島を「拝領」したとか、さも領主になったかのような虚言を弄しており、信憑性がありません。史実は、大谷家と村川家が鳥取藩を通じて幕府から竹島(鬱陵島)への渡海免許をもらったにすぎません。
>  当時は町人が幕府から領地を拝領できるはずもありませんし、それを裏づける資料などもちろんありません。そんな誇張に満ちた大谷家の文書を引用して同誌はこう記しました。
>
>
>

>『週刊新潮』(05.3.31)
>
>  江戸時代初期、日本では竹島を松島、鬱陵島を竹島と呼んでいた。「竹島渡海由来記 抜書控」という古文書は、元和4年(1618年)以降、伯耆藩(鳥取)の大谷・村川両氏が江戸幕府から両島を拝領し、鮑、アシカ等の漁猟、木竹の伐採などを行っていたことが記されている。
>  この古文書に加え、1724年の古地図(伯耆藩差出 竹島図)などを収めた『島根県竹島の新研究』という書物が昭和40年に刊行されていた。著者は元島根県職員の田村清三郎氏で、昭和43年に54歳で他界した。


↑こんなの半月城氏が勝手に言ってるだけのことでしょ。
 元禄年間の鬱稜島の帰属紛争では、対馬宗氏が窓口となって交渉してますが、はっきりと鬱稜島は日本領と主張してますよ。
 半月城氏は「渡海免許を貰っただけ」なんて言ってるけど、鎖国時代に外国へ行けると思いますか?どうして対馬宗氏は日本領なんて主張したのでしょうか?
 大谷・村川両氏が鬱稜島において幕府の了解を得て経済活動を行ってたこと、日本が朝鮮に対して日本領と主張していたことは否定のしようがありません。
175 hits

[4896]Re(7):1905年は20世紀です。
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 さわだまさやす E-MAIL  - 07/10/13(土) 20:34 -

引用なし
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   とほほ様、

>私は竹島問題の解決法は「共有」であると考えています。世界では類を見ない解決法ですが、このアイディアは世界平和に向けて画期的なものとなると思います。巨大メディア上でも経済界、政界、その他から私のような主張をする人は増えています。

日本以上に韓国では受け入れられないでしょう。

>さわだまさやすさんの得意とする国際司法上では「当事国同士の話し合いによる解決」を最優先としています。当事国双方が国際司法に解決を求めた場合、国際司法はその調停を行うことが出来るわけです。
>
>さわだまさやすさんたちのようなへんてこりんな議論をする人々は、韓国が国際司法による裁定に応じないことを持って自らの正当性を主張すると言う真に本末転倒した議論に持っていきたいわけです。朝鮮半島の植民地化を認めた国際司法を韓国が了承できるはずも無く、国際司法に委ねずに領土問題を解決することは不正でもなければ違法でもないのです。

サンフランシスコ平和条約で日本領と決まった島を韓国が占拠することが不正でも違法でもないと?驚くべき主張ですね。
それはともかく、領土問題は全て話し合いか司法的に解決するべきだという私の主張のどこがへんてこりんなんでしょうか。

>ここで歴史認識問題を根拠にそれを主張することそのものは正しいのですが、実効支配と当事国同士の条約を別々に議論しなくては無意味でありますし、それぞれに歴史的にその時々で政権は異なります。特に近代国家思想を取り入れた時期以降と以前では全く議論の対象にはなりませんし、現代の韓国と日本ではその時期も異なります。

全く意味も意図も不明です。

>幕藩体制下とそれ以前においては【日本】と言う国家は存在しません、幕藩体制を根拠に領有権を語るのは必ずしも正しくは無いです。

何言ってるのか全然分からないのですけど。幕藩体制を根拠に領有権を語るというのはどういう意味でしょうか。明治政府は、幕府が結んだ外国との条約はちゃんと履行してますよ。

>これは同じ意味で北方領土や沖縄についてもいえる議論なのです。
>
>半月城さんの主張とはそういうことを言っているのだと私は理解してます、だからさわだまさやすさんの半月城論批判はトンチンカンなのです。

といいますか、もうちょっと作文の練習をしたほうがいいですよ。何だかさっぱり分からないもの。分かったのははじめのところだけ。
韓国が竹島を占拠していても、理由はともかく日本が文句をいえる筋合いのものではない、というお考えのようだというのは何となく分かりました。
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[4897]Re(8):1905年は20世紀です。
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 熊猫 E-MAIL  - 07/10/14(日) 0:42 -

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   >サンフランシスコ平和条約で日本領と決まった島を韓国が占拠することが不正でも違法でもないと?驚くべき主張ですね。

はい驚きです。
【サンフランシスコ平和条約】の批准国を提示します。
アルゼンティン(ARGENTINE)
オーストラリア(AUSTRALIA)
ベルギー(BELGIUM)
ボリヴィア(BOLIVIA)
ブラジル(BRAZIL)
カンボディア(CAMBODIA)
カナダ(CANADA)
チリ(CHILE)
コスタ・リカ(COSTA RICA)
キューバ(CUBA)
ドミニカ共和国(DOMINICAN REPBLIC)
エクアドル(ECUADOR)
エジプト(EGYPY)
エル・サルヴァドル(EL SALVADOR)
エティオピア(ETHIOPIA)
フランス(FRANCE)
ギリシャ(GREECE)
グァテマラ(GUATEMALA)
ハイティ(HAITI)
ホンデュラス(HONDURAS)
イラン(IRAN)
イラク(IRAQ)
ラオス(LAOS)
レバノン(LEBANON)
リベリア(LIBERIA)
メキシコ(MEXICO)
オランダ(NETHERLANDS)
ニュー・ジーランド(NEW ZEALAND)
ニカラグァ(NICARAGUA)
ノールウェー(NORWAY)
パキスタン(PAKISTAN)
パナマ(PANAMA)
パラグァイ(PARAGUAY)
ペルー(PERU)
フィリピン(PHILIPPINES)
サウディ・アラビア(SAUDI ARABIA)
南アフリカ連邦(SOUTH AFRICA)
スリ・ランカ(SRI LANKA)
シリア(SYRIAN ARAB)
トルコ(TURKEY)
グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国(UNITED KINGDOM)
アメリカ合衆国(UNITED STATES OF AMERICA)
ウルグァイ(URUGUAY)
ヴェネズエラ(VENEZUELA)
ヴィエトナム(VIET NAM)
日本国(JAPAN)

.....さて、46ヶ国全部提示しました。何度探しても韓国の名前はありません。批准国に対しての主張であれば通用する可能性もあるでしょうが、批准していない国家に対して、違法性を問うことはできません。また韓国はこの条約を批准する法的義務もありません。
196 hits

[4899]Re(6):1905年は20世紀です。
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/14(日) 8:44 -

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   ▼さわだまさやすさん:
>↑こんなの半月城氏が勝手に言ってるだけのことでしょ。

勝手に思い込んでいるのは、さわだまさやすさんであって半月城さんの論評は非常に客観的だと思いますよ。

> 元禄年間の鬱稜島の帰属紛争では、対馬宗氏が窓口となって交渉してますが、はっきりと鬱稜島は日本領と主張してますよ。

あの(^^;
その当時「日本」と言う国はなかったのですが、また根拠となる資料を示し、どことどこがどのような内容の交渉をしているのか、そしてどのような交渉結果を得ているのか?そういうことを主張するのを【論証】と言うのです。

また「主張しているから日本領」と言うのは、論理的に成立しませんね?(よっく考えてね)。そうした主張があったことを根拠にすることは間違いではないですよ。

#この方のおつむの造りでは、半月城論を理解するのは無理かな(^^;

> 半月城氏は「渡海免許を貰っただけ」なんて言ってるけど、鎖国時代に外国へ行けると思いますか?どうして対馬宗氏は日本領なんて主張したのでしょうか?

まさしく、そこが注目点なのです(笑)
藩外にでるには、藩の許可が必要でした。藩外に出て他藩の領内に入るにはその他藩の許可が必要な藩もありました。
さてここで問題です。なぜ幕府の許可が必要だったのでしょう。当時は鎖国制度でしたので外国に出るには幕府の許可が必要だったのです。
幕府に出来ることは海外に出国する許可を出すことだけです。

> 大谷・村川両氏が鬱稜島において幕府の了解を得て経済活動を行ってたこと、日本が朝鮮に対して日本領と主張していたことは否定のしようがありません。

あの(^^;(本当に頭の悪い)
幕藩体制の日本から朝鮮半島に渡るときにも、幕府の許可が必要でした。幕府の了解を得て朝鮮半島で生活したら日本が朝鮮に対して日本領と主張していたことになるのでしょうか?
この海外への渡航手続き等の仕組みは原則現代も同じなのですが、、、、。
194 hits

[4900]Re(9):1905年は20世紀です。
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 とほほ E-MAILWEB  - 07/10/14(日) 8:56 -

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   ▼熊猫さん:
>【サンフランシスコ平和条約】の批准国を提示します。

参考までにサンフランシスコ条約2章2条を提示しておきます、この平和条約の性質を知ることも大切です。
第二条【領土権の放棄】

(a)
 日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

(b)
 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

(c)
 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

(d)
 日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下に あつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。

(e)
 日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。

(f)
 日本国は、新南諸島及び西沙諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

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