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[3647]重機関銃の方の葉書 核心 06/12/10(日) 20:27
[3649]Re(1):重機関銃の方の葉書 熊猫 06/12/11(月) 1:01
[3678]毎日新聞昭和59年8月15日 核心 06/12/16(土) 17:04
[3679]Re(1):毎日新聞昭和59年8月15日 熊猫 06/12/16(土) 17:37
[4462]南京事件の真相(1) 核心 07/5/17(木) 14:13
[4463]南京事件の真相(2) 核心 07/5/17(木) 21:02
[4464]Re(1):南京事件の真相(2) ピッポ 07/5/18(金) 8:32
[4466]重機関銃は二大隊分 核心 07/5/18(金) 20:30
[4470]Re(1):重機関銃は二大隊分 熊猫 07/5/19(土) 16:23
[4471]南京戦史 核心 07/5/19(土) 17:25

[3647]重機関銃の方の葉書
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 核心 E-MAIL  - 06/12/10(日) 20:27 -

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   この方は実名で、最初に虐殺の重機関銃隊に居たことの葉書をよこし、父(栗原利一)が年賀状を差し上げたところ否定するような返事をよこしています。筆跡は全く同じなので心変わりをしたのでしょう。

昭和59年8月9日

”残暑御見舞い申し上げます。
 初にお便り申し上げます。私は本日(8/7)朝刊毎日新聞を拝見致しました。22頁にご貴殿の懐かしい半世紀にもなる戦争記事をよませていただき思い起こしました。ご貴殿は陸軍伍長で私は設備兵、上等兵でございました。九州、熊本の第六師団で出征致しました。同年12月14日ですが南京城攻略致しまして翌日無湖へ警備の出発際に私も出会いましてあの山に登 重機関銃で射撃致した一兵でございます。又後日詳しいことはお知らせします。後日部隊名はお知らせ致します。私は昭和三年兵でございます。”

年賀状

”輝かしき新春のお慶び申し上げます。
 先日は年賀を戴きました。有難く拝見させて戴きました。就いてはご貴様は私は心当たりございません。私はS3年生れで郷土にも心当たりはなく日支事変にも参加致しました上官にも戦友にも心当たりがございません。ご返信を差し上げ様と思います。ご返信差し上げねばご無礼と思いまして末筆乍ら私とどこで何の事で対話した事をかんたんで宜しいですからお知らせ下さいませ。お願い申し上げます。
 
 私は高血圧で左半身不随と脳血栓で二回倒れ去年は1月22日ゲートボールで寒さに負けて手足共シビレ病床にて今だ鍼灸で治療致している有様でございます。乱筆乱文でご無礼でございますが何卒お許し下さい。

 私の子供×男×女健在でそれぞれ処々方法に永住しております。現在は二人で表記の処にママと二人で暮らしております。どうぞ何卒お許し下さい。今年は××の年であります。ごめんなさい。ご令室様によろしくお伝え下さいませ。
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[3649]Re(1):重機関銃の方の葉書
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/11(月) 1:01 -

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   心変わりではなく、栗原利一氏の名前を忘れており、年賀状の内容が理解しがたいものだったとも考えられないでしょうか。
私とどこで何の事で対話した事をかんたんで宜しいですからお知らせ下さいませ。」となっているので思い出せないだけと思います。

12月14日?
あの山?-----雨花台?
設備兵?-----工兵第6連隊を意味するのでしょうか、非常に気になるところです。いずれにせよ、東中野氏の説を覆す貴重な手紙だと思います。
39 hits

[3678]毎日新聞昭和59年8月15日
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 核心 E-MAIL  - 06/12/16(土) 17:04 -

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   この方は昭和59年8月15日付けの毎日新聞に写真入りで記事が掲載されたK氏でした。
例の如く相当の嫌がらせを受けたのでしょう。
52 hits

[3679]Re(1):毎日新聞昭和59年8月...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/12/16(土) 17:37 -

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   『南京事件』秦郁彦(中公新書)に記載されていた方ですね。
56 hits

[4462]南京事件の真相(1)
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 核心 E-MAIL  - 07/5/17(木) 14:13 -

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   私の今のところの考えでは南京事件の真相は、旧日本軍による市内の掃討等が行なわれ、約7万人の捕虜を確保し、軍指導部の指揮の下、組織的に何箇所かで処分(=虐殺)した、というのが第一段階で、つぎに処分された捕虜には南京警察が二千人含まれていたことや、日本の憲兵が少なかったことから、南京市内では日本兵による強姦、略奪、殺人が横行した、と言うのが次の段階の話だと思います。
勿論、二つの出来事の間には明確な時間的隔たりがあるわけではありません。
このうち、大量に中国人が殺害されたのは軍指導部の指揮による捕虜虐殺のほうだと思います。

なぜ、軍指導部が組織的に係ったことが推測されるかと言うと、第6師団第13連隊のK氏の証言からです。
以下は、昭和59年8月15日の毎日新聞に実名で報道された記事です。


”早朝、出発準備をしていたKさんに、揚子江近くの小高い山に機関銃を据えつけるよう命令が下った。
不審に思いながらも山上に重機関銃を据えつけると、ふもとのくぼ地に日本兵が連行してきた数え切れないほどの中国兵捕虜の姿。
そこに、突然、「撃て」の命令。
機関銃が一斉に乱射された。
「距離は7−8百メートル。
アリぐらいにしか見えない中国兵がクモの子を散らすような騒ぎになり、まるで地獄を見ているようでした。
血柱がシューッと上がるのも、はっきりと分かりました。」
機関銃は約50メートルの間隔で並び「30丁はあった」という。
乱射は1−2時間続き、Kさんらはそのまま蕪湖に出発。
「なぜ捕虜を殺したのか、遺体をどう処理したのか、他のどの隊が虐殺に加わったのか、私たち兵隊は何も聞かされてなかった。」

...の告発が報道され、これがきっかけでKさんは「二度と悲惨な戦争を起こさないために」と告白を決意。
「戦争だから、向って来る敵と戦うのは仕方ないが、無抵抗の捕虜に銃弾をあびせたあと味の悪さは終生ついてまわります」と話している。”

K氏の場合は父と違い、負傷して入院したとか、その間に資料をまとめた、とかの事情は見受けられません。
したがって父ほどには、鮮明な記憶はなかったのだと思います。
それで以下のような文面の葉書をよこされたのだと思います。

”...あの山に登 重機関銃で射撃致した一兵でございます。又後日詳しいことはお知らせします。”
41 hits

[4463]南京事件の真相(2)
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 核心 E-MAIL  - 07/5/17(木) 21:02 -

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   私が言うまでもなく皆さんにはお分かりのこととは思いますが、整理の意味でまとめてみました。

K氏の話は早朝であり、父の話は薄暮時です。
K氏は第6師団第13連隊、父は第13師団第103旅団第65連隊です。指揮系統が全く違い、違う現場の話なのだと思います。
では、父の話は別の師団の話なのに、なぜK氏が思い違いをしたか。
それは、K氏が思い違いを起こすほど、それほど状況が似ていたのだと思います。
つまり「事前に(捕虜から見えない場所に)重機関銃を配置し、下方の開けた場所に捕虜を誘導し、乱射して(第一段階として)射殺した。」という状況があまりに似ていたため同じ現場の話だと思い違いしたのだと思います。

では、なぜ師団が別なのに捕虜の殺害(=処分)方法に強い共通性が見られるのか。
結論から言えば、師団をまたがって捕虜の処分(=殺害)方法が打ち合わせられた、ということだと思います。
つまり、南京攻略戦に参加した軍指導部及び軍指揮官は捕虜の処分について事前に打ち合わせを行い、違法性を認識しつつ捕虜の処分(=殺害)を行ったということだと思います。

私は軍の指揮系統や組織については未だ詳しくありませんが、南京攻略戦に参加した旧将校は共通の認識の下でこれらの処分(=殺害)を行ったのだと思います。
K氏の「血柱」や父の「人柱」の表現で分かるようにそれらは一つ一つの現場をとっても大虐殺という名称がふさわしいものだったのだと思います。
37 hits

[4464]Re(1):南京事件の真相(2)
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 ピッポ E-MAIL  - 07/5/18(金) 8:32 -

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   核心さん
ご無沙汰しています

最近、東中野らの強調点が「敵兵の処刑」ということに収斂しているかに思います。さすがに「何もなかった」では国際的にもたないからでしょう。それと照らし合わせて、核心さんの正鵠を射たご指摘を拝読しています。
51 hits

[4466]重機関銃は二大隊分
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 核心 E-MAIL  - 07/5/18(金) 20:30 -

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   重機関銃は30丁で二大隊分ですよね。

本多氏の、父が小銃を撃っていた、というのは間違いだ、と判明しています。
また、軽機関銃も父も書いているように日本のものは性能が非常に劣っていたようです。
Kさんの言われるように重機関銃二大隊分、で共通しているのだと思います。
51 hits

[4470]Re(1):重機関銃は二大隊分
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/19(土) 16:23 -

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   >重機関銃は30丁で二大隊分ですよね。
 一つの大隊につき一つの機関銃中隊(重機関銃:8)ですから、約四コ大隊分(32丁)となります。連隊は三コ大隊ですから、一コ大隊分ほど計算が合わなくなります。もっとも、「重機関銃:8」というのは南京戦史の誤記で実際には12丁ではなかったかと思っています。まだ確認が取れていませんが、それにしても二コ大隊では24丁です。
 考え方として、軽機関銃の使用を合わせた数字、或いは鹵獲兵器を使用した数字、他の部隊の応援があったと推察するべきではないかと思います。
 
 
50 hits

[4471]南京戦史
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 核心 E-MAIL  - 07/5/19(土) 17:25 -

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   悪いけど「南京戦史」は全く信用していません。
捏造派の本拠地みたいなもんですから。
68 hits

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