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[4448]歩兵第六十五連隊の部隊編成 核心 07/5/9(水) 21:23
[4449]戦友会名簿による部隊編成 核心 07/5/9(水) 22:27
[4450]父(栗原利一)と平林貞治氏の所属 核心 07/5/9(水) 22:29
[4454]平林氏の参加の有無 タラリ 07/5/14(月) 22:04
[4455]害意ある私信を頂いているので 核心 07/5/15(火) 4:34

[4448]歩兵第六十五連隊の部隊編成
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 核心 E-MAIL  - 07/5/9(水) 21:23 -

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   ネットで捏造派の人と話してるとどうも彼らは65連隊の部隊編成について詳しく知らないようなんです。
東中野氏の「南京虐殺の徹底検証」で実にいい加減な部隊編成が掲載されていますので、そこいらが原因のようなんです。
それで以前お話した戦友会名簿から部隊編成をお知らせしておきます。

まずは東中野氏の「南京虐殺の徹底検証」に掲載されている編成図です。

第13師団ー歩兵第百三旅団ー歩兵第65連隊ー第一大隊
      (山田支隊)               −第二大隊
                            −第三大隊
                  ー山砲兵第19連隊
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[4449]戦友会名簿による部隊編成
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 核心 E-MAIL  - 07/5/9(水) 22:27 -

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   歩兵第六十五連隊戦友会名簿(昭和59年7月1日、歩65残桜会編)による部隊編成

「郷土部隊戦記1」を読めば分かりますが軍隊と言うのは縦列と展開した時の配置は決まっています。
昭和12年9月18日の将校職員表は以下の通りです。

1.連隊本部 連隊長大佐、副官少佐、副官少尉、旗手少尉、附中尉(3)、附少尉(2)、獣医少尉

2.第一大隊本部 大隊長少佐、副官少尉、主計少尉、軍医見習士官
  第一中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第二中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉(2)
  第三中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第四中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第一機関銃中隊 中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉
  第一歩兵砲小隊

3.第二大隊本部 大隊長少佐、副官少尉、主計見習士官、軍医少尉、軍医見習士官(2)
  第五中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第六中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第七中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第八中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第二機関銃中隊 中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉
  第二歩兵砲小隊

4.第三大隊本部 大隊長少佐、副官少尉、主計少尉、軍医少尉、軍医見習士官
  第九中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第十中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第十一中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第十二中隊   中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉
  第三機関銃中隊 中隊長中尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉
  第三歩兵砲小隊

5.歩兵砲中隊

6.連隊機関銃隊 中隊長大尉、第一小隊小隊長少尉、第二小隊小隊長少尉、第三小隊小隊長少尉(2)

7.連隊砲中隊 中隊長大尉、第一小隊小隊長少尉
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[4450]父(栗原利一)と平林貞治氏の...
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 核心 E-MAIL  - 07/5/9(水) 22:29 -

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   父(栗原利一)は第一大隊、第二中隊、第三小隊の所属になります。
父がスケッチ帳で田山大隊と言っているのは、いつも行動を共にする第一中隊から第四中隊までの歩兵部隊を指します。
平林貞治氏は連隊砲中隊の唯一の第一小隊の小隊長になります。
当然、平林貞治氏は第一大隊、田山大隊の所属ではありません。
従って父(栗原利一)の証言によれば幕府山の捕虜虐殺の機関銃による処分(=虐殺)時には現場にはいなかったことになります。

どうも捏造派の連中はここいらの扱いが雑なのでとりあえず説明しておきます。
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[4454]平林氏の参加の有無
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 タラリ E-MAIL  - 07/5/14(月) 22:04 -

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   最近、核心さんが平林貞治氏が捕虜の江岸への護送に同行した事実があるかどうかが、平林氏の証言の信憑性にかかわる問題として議論されている。

核心さんは『郷土部隊戦記1』に第一大隊が江岸への連行(「開放」)を命ぜられたという記載があることを根拠として、連隊砲中隊の参加はなかったとしている。しかし、この結論の導き方には無理がある。江岸への連行と処分には多くの隊が参加していることが資料で明らかである。一方、連行ないし処分に関する命令を受領したと記録・証言があるのは田山大隊長である。ここで注意しないといけないのは、ある隊に命令を出したという資料があるとして、その命令が記録されていないから、他の隊に対する命令はなかった、というのは無理があるのである。

ここで江岸への連行・殺害に関わった隊の資料を見てみよう。
まず、山砲兵第一九連隊です。

−−−−−−−−−−−−
目黒福治 陣中日記
山砲兵第19連隊第3大隊大隊段列・編成 伍長
十二月十七日 晴天 南京城外
 午前九時宿営地出発、軍司令官の南京入場式、歴史的盛儀に参列す、午後五時敵兵約一万三千名を銃殺の使役に行く、二日間にて山田部隊二万人近く銃殺す、各部隊の捕慮(虜)は全部銃殺するものの如す(し)。
−−−−−−−−−−−−
これは歩兵六五連隊の外です。ということは両角連隊長からではなく、山田旅団長からの命令があったと思われます。
目黒福治氏は入場式参加後に午後五時から「銃殺の使役に行く」としていますから、「連行」に参加したのではなく銃殺について参加しただけです。黒須忠信、近藤栄四郎は十六日の殺害のことは書いたが、十七日の参加は記録していない。山砲兵連隊は部分参加だったようです。

歩兵第65連隊所属
佐藤一郎(仮名)一等兵
−−−−−−−−−−−−−
後、国民政府の下で国旗に敬礼、午後四時に中山門を通って、無事宿舎に整列し、散解する。夕食の準備をして居ると、また残兵の連行だと言ふ。入城式で疲れた足を引きずりながら行く。幕府山下まで行き、昨夜同様の事が起こってしまふ。午後十二時に宿舎へ帰る。
−−−−−−−−−−−−−(『南京の氷雨』pp26)

佐藤一郎氏は入場式に列席して宿舎に帰った直後、「残兵の連行」に動員されたらしい。彼は詳しい所属を明らかにしていないが、十二月十六日の記事では兵舎の火事について、「あとで第一大隊に警備を渡して宿舎に帰る」と記しているので第一大隊ではない。彼も夕刻になって召集をかけられている。


次に第二大隊にも殺害に参加した兵士がいます。

−−−−−−−−−−−−−−−−
遠藤高明 陣中日記
歩兵第65連隊第8中隊・第3次補充 少尉
夜捕虜残余一万余処刑の為兵五名差出す、
−−−−−−−−−−−−−−−−

−−−−−−−−−−−−−−−−
柳沼和也 陣中日記
歩兵第65連隊第7中隊・編成 上等兵
夜は第二小隊が捕虜を殺すため行く、兵半円形にして機関銃や軽機で射ったと、其の事については余り書かれない。
−−−−−−−−−−−−−−−−

遠藤自身は参加せず、部下を参加させた。柳沼自身の参加はなく、第二小隊が参加した。遠藤氏の記述からするとこれも、連行からの参加ではなく、処刑のための参加です。

十七日の捕虜殺害は大変な作戦ではあったが、一方で入場式への参加も重要なイベントであった。旅団、部隊の将兵をねぎらうことであり、名誉であったから入場式にもできるだけ参加させた。しかし、虐殺は多くの兵員を必要としたから、後で追加して参加させられた兵士もあった。それが目黒福治氏など山砲兵の一部。したがって、虐殺に従事したのは第一大隊に限っていないことは明らかである。そもそも連隊機関銃隊は連行に先んじて銃座を確保し、偽装している。さらに、夜間に第二大隊の一部が殺害に追加投入されている。

捕虜護送には夕刻からではあるが、佐藤一郎氏のように第一大隊以外から追加投入されたものもある。核心さんが根拠とされるのは『郷土部隊戦記1』の記載であるが、その元は両角「手記」であることは言うを待たない。田山大隊長が「江岸での『開放』を命じられた」というのは、彼の大隊だけを使ってやれ、という意味ととるのではなく、田山大隊長が「開放」(実は虐殺)の総指揮を任された、という意味と解するべきであろう。

核心さんの「平林貞治氏は第一大隊所属ではないから、護送に参加していない」は誤りである。ただし、「護送に参加していない」が事実ではないというのではない。事実認識に至る根拠が誤りである。「護送に参加していない」という事実は砲兵連隊に対する命令の記録の有無によってではなく、平林証言の内容によって否定される。
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[4455]害意ある私信を頂いているので
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 核心 E-MAIL  - 07/5/15(火) 4:34 -

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   タラリ氏からは以前お話ししたように害意ある私信を数度頂いていますので議論するつもりはありません。
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