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歩兵第六十五連隊の部隊編成 核心 07/5/9(水)
21:23 のスレッドの中、[4454]平林氏の参加の有無 タラリ 07/5/14(月)
22:04 において 平林少尉は護送・射殺には参加していないが、それは平林少尉が第一大隊に所属していないという根拠からではないと述べた。今回はその続きである。
本来、そのスレッドで続きを書く予定だったが、恐れていたように核心氏から「タラリ氏から害意ある私信を数度頂いているので議論するつもりはない」と拒絶された。
断っておくが、私は核心氏に害意を抱いたことは一度もないし、そのような私信を差し上げた事実もまったくない。核心氏がなぜそのような誤解をするかはわからない。ただ、これまでこの掲示板を読んできた方には、核心氏が今まで掲示板上で私の質問に対して、突然に理由もしなしに解答を拒絶を何回もしたことを覚えているであろう。私信の件も、今回の拒絶の件もその延長にあることだけはご理解いただけると思う。
核心氏はこれまで資料提供の面で事実解明に尽力されてきた。その一方、かなり踏み込んだ資料解釈を行いはじめている。その資料解釈は事実と相違することが多々あり、しかもその一部は否定派の主張と共通するのである。
である以上、私としても到底、黙過するわけには行かない。核心氏が議論に応ずると応じないにかかわらず、私の見解をきちんと示しておかなくてはならないと考える。ただ、核心氏の感情を逆撫ですることが目的ではないので、少なくともスレッドは別に立てて持論を述べる。
本題に戻る。平林氏は護送・射殺には参加していない。それは核心氏の主張するごとく、第一大隊に所属していないという理由によるのではない。それは(連隊)砲兵がゴボウ剣(福島弁でゴンボ剣)しか持っていないからである。ゴボウ剣とはなにか、銃身、弾倉、引き金がなく、単に銃剣を装着することができるだけの木銃のことである。銃身が付いていない先細りの木銃の外観からゴボウ剣と俗称される。
なぜ砲兵がゴボウ剣を持たされているか。砲兵は常に戦線の後部にあって砲撃をする。したがって、歩兵と同じく小銃を持つ必要はない。また、連隊砲は通常、馬で牽引するが、山岳地帯を踏破するときには、馬も使えないときがある。そのときは車輪、砲筒に分解し、人がかついで歩く「膂力搬送」をする。また、砲弾も搬送する。したがって小銃のような重いものを余分に持つことができない。
しかし、戦線が入り乱れたおりとか、総員で白兵戦をするようなときに手ぶらでは戦えない。そのために最低限の武器としてゴボウ剣が支給されているものと推測される。
では捕虜の護送にゴボウ剣を装備する砲兵を充てるとどうなるか。もし、捕虜が集団で脱走を始めたとする。ゴボウ剣で制圧、威嚇できるのはゴボウ剣が届く範囲に限られる。数人が一斉に逃走したらもはや、彼らを威嚇して列に戻すことはできなくなる。小銃なら、数メートル、十数メートル離れていたとしても、威嚇射撃によって、あるいは銃殺することによって後続する脱走を阻止することが出来る。したがってゴボウ剣を持った兵を護送に充てるということを指揮官が考えるいうことはまずありえない。
したがって、平林少尉の連隊砲中隊が護送に参加したというのは真っ赤なウソである。私は平林少尉の証言をHPに書いたときはゴボウ剣というものの実態を知らなかった。本文には「ゴボウ剣(銃剣のこと)」と括弧の説明があり、歩兵が持つ小銃のことだとしか感じなかった。銃身がない木銃だということは知らなかったのである。
ところが今回、阿羅聞き取りの後に田中正明氏がいったん栗原氏に聞き取りを申し込んで断られた直後に平林氏から聞き取りをしたという経緯を知った。それが契機となって、ゴボウ剣の正確な意味を知った。ゴボウ剣を持った砲兵を護送に振り向けた場合、捕虜が脱走したらどうなるか、それを教えてくれたのが田中聞き取りであった。
−−−田中正明聞き取り版−−−−−−−−−−−−− 彼らをしばったのは彼らのはいている黒い巻き脚絆(ゲートル)。ほとんど縛ったが縛ったことにはならない。捕虜は約4千、監視兵は千人たらず、しかも私の部隊は砲兵で、小銃がなくゴボウ剣(銃剣の事)のみ。出発したのは正午すぎ、列の長さ約4キロ、私は最後尾にいた。騒動が起きたのは薄暮れ、左は揚子江支流、右は崖で、道は険岨となり、不吉な予感があった。突如中洲の方に銃声があり、その銃声を引き金に、前方で叫喚とも喊声ともつかぬ異様な声が聞こえた。最後列まで一斉に狂乱となり、機銃は鳴り響き、捕虜は算を乱し、私は軍刀で、兵はゴボウ剣を片手に振り回し、逃げるのが精一杯であった。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この文章は捕虜の集団脱走が起こった場合、もはや制止できないということを告白しているのに等しい。ゴボウ剣の兵士で護送するということは、あたかも捕虜の逃走を予期していないかのようである。こんなことはありえない。しかも、一方では「不吉な予感があった」などのような伏線を張っており、捕虜逃走について矛盾した記述である。
(つづく)
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