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[4467]ゴボウ剣とはなにか タラリ 07/5/19(土) 0:02
[4468]日本軍の組織的捕虜虐殺 核心 07/5/19(土) 1:50
[4476]Re(1):日本軍の組織的捕虜虐殺 とほほ 07/5/21(月) 13:54
[4477]栗原証言との関係 核心 07/5/21(月) 16:41
[4478]肯定派の方の書簡など 核心 07/5/21(月) 19:24
[4482]Re(1):日本軍の組織的捕虜虐殺 タラリ 07/5/21(月) 22:32
[4472]平林証言の大嘘 核心 07/5/19(土) 21:01
[4473]ゴボウ剣とは砲兵刀の別称 熊猫 07/5/20(日) 18:27 [添付]
[4474]Re(1)訂正(^^; 熊猫 07/5/20(日) 18:37
[4475]Re(1):ゴボウ剣:追記 熊猫 07/5/21(月) 8:28
[4479]Re(1):ゴボウ剣とは砲兵刀の別称 タラリ 07/5/21(月) 21:46
[4480]Re(2):ゴボウ剣とは砲兵刀の別称 タラリ 07/5/21(月) 22:09 [添付]
[4486]砲兵による捕虜の護送 熊猫 07/5/22(火) 9:16
[4481]阿羅−田中コラボレーションの意図 タラリ 07/5/21(月) 22:16

[4467]ゴボウ剣とはなにか
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 タラリ E-MAIL  - 07/5/19(土) 0:02 -

引用なし
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   歩兵第六十五連隊の部隊編成 核心 07/5/9(水) 21:23 のスレッドの中、[4454]平林氏の参加の有無 タラリ 07/5/14(月) 22:04 において
平林少尉は護送・射殺には参加していないが、それは平林少尉が第一大隊に所属していないという根拠からではないと述べた。今回はその続きである。

本来、そのスレッドで続きを書く予定だったが、恐れていたように核心氏から「タラリ氏から害意ある私信を数度頂いているので議論するつもりはない」と拒絶された。

断っておくが、私は核心氏に害意を抱いたことは一度もないし、そのような私信を差し上げた事実もまったくない。核心氏がなぜそのような誤解をするかはわからない。ただ、これまでこの掲示板を読んできた方には、核心氏が今まで掲示板上で私の質問に対して、突然に理由もしなしに解答を拒絶を何回もしたことを覚えているであろう。私信の件も、今回の拒絶の件もその延長にあることだけはご理解いただけると思う。

核心氏はこれまで資料提供の面で事実解明に尽力されてきた。その一方、かなり踏み込んだ資料解釈を行いはじめている。その資料解釈は事実と相違することが多々あり、しかもその一部は否定派の主張と共通するのである。

である以上、私としても到底、黙過するわけには行かない。核心氏が議論に応ずると応じないにかかわらず、私の見解をきちんと示しておかなくてはならないと考える。ただ、核心氏の感情を逆撫ですることが目的ではないので、少なくともスレッドは別に立てて持論を述べる。


本題に戻る。平林氏は護送・射殺には参加していない。それは核心氏の主張するごとく、第一大隊に所属していないという理由によるのではない。それは(連隊)砲兵がゴボウ剣(福島弁でゴンボ剣)しか持っていないからである。ゴボウ剣とはなにか、銃身、弾倉、引き金がなく、単に銃剣を装着することができるだけの木銃のことである。銃身が付いていない先細りの木銃の外観からゴボウ剣と俗称される。

なぜ砲兵がゴボウ剣を持たされているか。砲兵は常に戦線の後部にあって砲撃をする。したがって、歩兵と同じく小銃を持つ必要はない。また、連隊砲は通常、馬で牽引するが、山岳地帯を踏破するときには、馬も使えないときがある。そのときは車輪、砲筒に分解し、人がかついで歩く「膂力搬送」をする。また、砲弾も搬送する。したがって小銃のような重いものを余分に持つことができない。

しかし、戦線が入り乱れたおりとか、総員で白兵戦をするようなときに手ぶらでは戦えない。そのために最低限の武器としてゴボウ剣が支給されているものと推測される。

では捕虜の護送にゴボウ剣を装備する砲兵を充てるとどうなるか。もし、捕虜が集団で脱走を始めたとする。ゴボウ剣で制圧、威嚇できるのはゴボウ剣が届く範囲に限られる。数人が一斉に逃走したらもはや、彼らを威嚇して列に戻すことはできなくなる。小銃なら、数メートル、十数メートル離れていたとしても、威嚇射撃によって、あるいは銃殺することによって後続する脱走を阻止することが出来る。したがってゴボウ剣を持った兵を護送に充てるということを指揮官が考えるいうことはまずありえない。

したがって、平林少尉の連隊砲中隊が護送に参加したというのは真っ赤なウソである。私は平林少尉の証言をHPに書いたときはゴボウ剣というものの実態を知らなかった。本文には「ゴボウ剣(銃剣のこと)」と括弧の説明があり、歩兵が持つ小銃のことだとしか感じなかった。銃身がない木銃だということは知らなかったのである。

ところが今回、阿羅聞き取りの後に田中正明氏がいったん栗原氏に聞き取りを申し込んで断られた直後に平林氏から聞き取りをしたという経緯を知った。それが契機となって、ゴボウ剣の正確な意味を知った。ゴボウ剣を持った砲兵を護送に振り向けた場合、捕虜が脱走したらどうなるか、それを教えてくれたのが田中聞き取りであった。

−−−田中正明聞き取り版−−−−−−−−−−−−−
彼らをしばったのは彼らのはいている黒い巻き脚絆(ゲートル)。ほとんど縛ったが縛ったことにはならない。捕虜は約4千、監視兵は千人たらず、しかも私の部隊は砲兵で、小銃がなくゴボウ剣(銃剣の事)のみ。出発したのは正午すぎ、列の長さ約4キロ、私は最後尾にいた。騒動が起きたのは薄暮れ、左は揚子江支流、右は崖で、道は険岨となり、不吉な予感があった。突如中洲の方に銃声があり、その銃声を引き金に、前方で叫喚とも喊声ともつかぬ異様な声が聞こえた。最後列まで一斉に狂乱となり、機銃は鳴り響き、捕虜は算を乱し、私は軍刀で、兵はゴボウ剣を片手に振り回し、逃げるのが精一杯であった。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この文章は捕虜の集団脱走が起こった場合、もはや制止できないということを告白しているのに等しい。ゴボウ剣の兵士で護送するということは、あたかも捕虜の逃走を予期していないかのようである。こんなことはありえない。しかも、一方では「不吉な予感があった」などのような伏線を張っており、捕虜逃走について矛盾した記述である。

(つづく)
105 hits

[4468]日本軍の組織的捕虜虐殺
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 核心 E-MAIL  - 07/5/19(土) 1:50 -

引用なし
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   私は「南京大虐殺は日本軍の組織的捕虜虐殺が中核である。」と言う考えです。
それは今までも話して来た通りです。
この場合の日本軍は南京攻略戦に参加した軍指導者、軍将校を指します。
勿論、平林氏もその一人です。
当然、虐殺(=処分)を指示した人が「私が指示しました。」などというハズがないという考えです。
以前、平林氏の証言について話したときも「戦友会の会長」をするような元将校が虐殺を認めるハズがない、とハッキリ指摘しています。
ですから、私からすると平林証言なんて全くの虚偽の証言である、としかいいようがないのです。

検討する価値もない、証言なのです。
その根本は父の証言やスケッチ帳からは全く存在しない人物だからです。
父とは戦友会で昭和61年に初めて名刺交換した程度の方ですから。

私は、南京大虐殺が無辜の市民を大量に虐殺した、と言う意見には反対です。
それこそ、真実を知る戦史室などの捏造派の思う壺だからです。
彼らは、30万人虐殺とか、無辜の市民の虐殺の方が「日本軍による組織的捕虜虐殺」よりも望ましい結論なのですから。

タラリ氏からは「栗原証言なんて殺戮方法程度しか参考にならない。」とかのメールなどはいただきました。
タラリ氏から私へのメールの発信は記録が残っていると思います。
89 hits

[4472]平林証言の大嘘
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 核心 E-MAIL  - 07/5/19(土) 21:01 -

引用なし
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   平林氏は「南京大虐殺のまぼろし」で捕虜に指導者がいなかったとして以下のように証言しています。

「向うの指揮者というのがいないから」、これは大嘘です。

「郷土部隊戦記1」では指揮者について以下のような記述です。

「将校だけは、軍司令部に連れてゆかれたが、その後の消息は不明で、これは取り調べのうえ殺されたものとみるほかない。」
94 hits

[4473]ゴボウ剣とは砲兵刀の別称
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/20(日) 18:27 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : c-board.jpg
・サイズ : 58.0KB
  
添付画像【c-board.jpg : 58.0KB】 http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_096.htm
 こんな時はja2047さんがフォローしてくれるとありがたいのですが、砲兵刀のことをゴボウ剣と言っていました。日本刀を加工して作ったものなどもあり砲兵・工兵・輜重兵の護身用のマニアックな兵器です。小銃に装着する30年式銃剣よりも13cmほど刃渡りが長く、片手軍刀術といって写真のような使い方をします。
 
118 hits

[4474]Re(1)訂正(^^;
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/20(日) 18:37 -

引用なし
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   ×片手軍刀術→短剣術
 申し訳ございません。剣術教範を読む限り、基本的には同じ動作なのですが誤解を招く投降をしてしまいました。
106 hits

[4475]Re(1):ゴボウ剣:追記
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/21(月) 8:28 -

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    写真の兵士が手にしている剣は、30年式銃剣にしては少々長いような気がします。剣の長さからしてゴボウ剣(砲兵刀)と判断します。兵士の服装からして輜重兵・砲兵・騎兵と判断するところですが、騎兵ならばゴボウ剣は使わないはずですので、輜重兵・砲兵ではないかと思います。
 亜細亜大学の教授が日本刀と勘違いしたのは、銃剣にしては長すぎるように見えたからではないかと思います。ゴボウ剣なら銃剣の1.3倍以上の長さがありますし、銃剣ならば小銃に着剣して刺すのが自然だと思います。
127 hits

[4476]Re(1):日本軍の組織的捕虜虐殺
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 とほほ E-MAIL  - 07/5/21(月) 13:54 -

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   ▼核心さん:
>ですから、私からすると平林証言なんて全くの虚偽の証言である、としかいいようがないのです。

そうなのかもしれませんが、虚偽であることの立証は難しいですし、現実に虚偽であることを核心さんの論理では立証していないのです。
どうぞご気分を害されずに読んでいただきたいのですが、実証主義にとってその発言(証言)が虚偽であるか否かはほとんど重要ではないのです。重要なのは「そういう証言がある」と言うことなのです。核心さんはお父上が「虚偽の証言者」として誹謗されることが多いので核心さんのお気持ちはよく理解しているつもりです、これはタラリさんも同じなのです。

しかし、あいつの言っていることの方が嘘だ、いやお前の言っていることが嘘だ、と言ういい争いには意味がないし、そういう議論土壌(土俵)で闘おうとするのが否定派なのです。ですから私なども否定派が採用する証言者を「嘘つき」呼ばわりは絶対にしません、客観的な信憑性のなさを指摘するだけなのです。信憑性がないから虚偽の証言をしたことにならないのは当然です。

実証主義とはこうして否定論を論破していくものなのです。そのことをタラリさんはおっしゃっているのだと思います。どうぞ、ご理解いただけたらと思います。
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[4477]栗原証言との関係
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 核心 E-MAIL  - 07/5/21(月) 16:41 -

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   私からすると栗原証言の捏造は歴然とした事実なのですから。
そのような前提を設けることは意味がないと思います。
だれも物理的な虐殺の証明を行なったものなどいないのですから。

私からすると私自身は南京大虐殺論争の対象にはなりえない、と言っているだけです。
ご存知の通り、私は両親とは55年以上(大阪赴任時の4年弱を除いて)同居して、つぶさに親の動向を目にしているわけですから。
語弊があるかも知れませんが、つまならい論争に巻き込んで頂きたくないのです。
90 hits

[4478]肯定派の方の書簡など
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 核心 E-MAIL  - 07/5/21(月) 19:24 -

引用なし
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   CDにして一部の方にお渡しした「栗原利一証言資料集」のほかにもいろいろ資料はあります。
肯定派の方の資料、書簡やその書き込みなどは熊猫さんの言われる通り、捏造派が欲しいものだと思います。
私からすれば肯定派にとって不利になるような事実をここで晒すようなことは慎みたいのです。
99 hits

[4479]Re(1):ゴボウ剣とは砲兵刀の別...
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 タラリ E-MAIL  - 07/5/21(月) 21:46 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
熊猫さん、ゴボウ剣に関するレスとご教示ありがとうございます。わかった積もりでまだわかっていなかった。「ゴボウ剣(銃剣)」という記述で銃剣というのは「剣付き小銃」のことと誤解していました。

>ゴボウ剣とはなにか、銃身、弾倉、引き金がなく、単に銃剣を装着することができるだけの木銃のことである。銃身が付いていない先細りの木銃の外観からゴボウ剣と俗称される。

のところは削除・訂正です。短剣の外観が先細りのゴボウに似ているから付けられた名前だったのですね。

刃渡り40cm程度の短剣では捕虜の逃走、反抗を制止することはできません。砲兵を捕虜の護送に充てるのはゴボウ剣しか持っていないのでありえない、という全体の論旨には影響しません。

ところで、砲兵といってもいろいろです。

師団――――歩兵旅団―――歩兵連隊――――第○大隊―――――――第○中隊
   | |――第○大隊     |―第○中隊
―――野(山)砲兵連隊 |  ・・・・      | ・・・・
―――山砲中隊(連隊砲)|
| 

――歩兵砲小隊
                                 (大隊砲)

1.師団に直属する 野(山)砲兵連隊
2.歩兵連隊に所属する山砲中隊(連隊砲)
3.歩兵大隊に所属する歩兵砲小隊(大隊砲)

平林貞治氏が所属したのは 2.で(第六十五)連隊砲中隊で歩兵大隊と同レベルです。目黒福治氏が所属したのは 3.山砲兵第19連隊で、歩兵旅団と同レベルにあります。なぜ、このことを確認したかというと、目黒福治氏は少なくとも「銃殺の使役」には行っている。砲兵ならば、すべて小銃は持っていなかったかというと、どうも砲兵の種類によっていろいろ違っていたらしい。砲兵連隊は小銃を携行していたらしい。ただ、目黒氏の
−−−−−−−−−−−−−−−−−
十二月十七日 晴天 南京城外
 午前九時宿営地出発、軍司令官の南京入場式、歴史的盛儀に参列す、午後五時敵兵約一万三千名を銃殺の使役に行く、二日間にて山田部隊二万人近く銃殺す、各部隊の捕慮(虜)は全部銃殺するものの如す(し)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−

の記述だけでは、目黒氏自身が銃殺に加わったかどうかは、心許ない。もしかして、銃殺の後の銃剣殺にだけ加勢に行かされたのでは、という疑問も起きる。ところが目黒氏の日記の前の方を読むと、


−−−−−−−−−−−−−−−−−−
十二月五日 晴天 〃(タラリ注 前日の「銭家村」と同じという意味)
 休養、午後より徴発に行く、支那人家屋拾七戸を焼払い、土民を銃殺す、哀れなるもの敗戦国人。
十二月六日 晴天 〃
南京攻略の戦備を本日注に完了命令に接し、弾丸其他兵器を整備して前進命令を待ち午後十時、(以下略)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−

とあって、小銃を携行していたことが確認される。
もしも砲兵がすべてゴボウ剣しか持たされていないとすると、目黒氏が捕虜の虐殺に参加したのは事実であるから、平林氏の連隊砲小隊が「開放」に参加したのはウソである、という私の推論が破綻してしまう。なので、砲兵の種類によって携行武器が違うことを確認しておきたかったのである。

一方、平林氏に対する田中正明聞き取りにおいて、携行武器についてあえて事実に反してまでウソを言う必要はなく、田中正明はゴボウ剣を持っていた事実を聞き取った上で、それを利用して平林氏の連隊砲小隊が参加したという創作を行ったのである。
158 hits

[4480]Re(2):ゴボウ剣とは砲兵刀の別...
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 タラリ E-MAIL  - 07/5/21(月) 22:09 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : houhei.jpg
・サイズ : 32.2KB
  
添付画像【houhei.jpg : 32.2KB】 おっと、師団組織図が乱れてしまいましたので、もう一度画像でどうぞご確認下さい。

1.師団に直属する 野(山)砲兵連隊
2.歩兵連隊に所属する山砲中隊(連隊砲)
3.歩兵大隊に所属する歩兵砲小隊(大隊砲)
110 hits

[4481]阿羅−田中コラボレーションの...
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 タラリ E-MAIL  - 07/5/21(月) 22:16 -

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   さて、ゴボウ剣を持った兵が護送に参加した、というのが作り話であったことを知った後、あらためて鈴木明、田中、阿部による平林証言聞き取りを読むと、護送・射殺の場面には平林自身の目撃・体験からくる臨場感というものが皆無である。それに較べて、捕虜を縛って連行を始める(本当は送り出す)ところの描写と、捕虜が殺害された後、これを目撃するときの感興というのは臨場感がしっかりある。

つまり、連行、殺害にかかる描写というのはすべて後で聞いた話、殺害後の現場を見て想像した話、証言を求められるに及んで創作した話なのである。それがはっきりとわかった。

想像・創作した話なので、証言のたびにガラガラ内容が変わる。また、田中正明氏の要請に応じて、田中氏がさらに創作した話にもOKを出した。阿部氏の聞き取りに至っては、ウソを重ねた結果、過去にどういう話をしたかも覚えていないし、それらのウソに合わせることも出来ないので、非常に概括的な話しかできなくなったのである。


平林氏は連隊会のまとめ役として事件の矮小化の責任を負った。そのため自らは参加しなかった「開放」の証言を引き受けざるをえなかった。鈴木聞き取りのときは平林自身の考えで創作したのであろう。しかし、田中聞き取りにおいては田中氏が栗原証言の否定派にとって衝撃的危険性があることを訴えたに違いない。平林氏は事情を理解して、いろんな事実を話して協力はしたものの、聞き取り内容については常に田中氏が主導して創作した。その意図は栗原証言を歪曲した阿羅聞き取り版の「裏を作る」ために平林証言で阿羅聞き取り版と同様な状況を捏造・再現することにあった。

つまり、阿羅聞き取り版では

1.栗原氏は江岸の道路上にいた
2.栗原氏は射撃には参加していない

という捏造をする。


その捏造を本当らしくみせかけるために、田中正明は

1.平林氏も江岸の道路上で捕虜の争乱に遭遇し
2.平林氏や砲兵も射撃することなく逃げまどった

という証言を捏造する。

この証言の意図するところは何か、と言えば

1.護送部隊の一部(捕虜の一部)はまだ、路上にあった
  → もし、射殺の意図があるのなら、きちんと整列してから始めるはずだ、
    まだ、江岸に集結する前に捕虜の「騒動」があったのだから、突発で
    あり、原因は捕虜にある。

2.栗原氏も平林氏も銃撃・射殺に参加していない、
  → もともと虐殺の意図はなかった、だからゴボウ剣しか持たない兵士を護送
    に充てている。

  → 捕虜が脱走する、という予測はほとんどしていなかったので、だからこそ
    残念ながら脱走の騒ぎを起こしてしまった。

  → 機関銃部隊はまさかのときの用意にすぎなかった。不意に騒ぎだしたので
    射殺は少数にとどまっている。護送兵士は射撃していない。だから、虐殺
    の意図はなかったことがわかるはずだ。


そして最大の眼目は栗原氏に証言の訂正要求を求める、その見返りを作ることである。
すなわち、

阿羅氏たちは
「栗原さん、幕府山事件の真実を証言するのはいいですよ、しかし、その証言ではあなた自身が虐殺の犯人とされてしまいますよ。それでもいいんですか」という脅迫まがいを行う。

この脅迫は折から全国の元軍人などからも非難の手紙とも相俟って、栗原氏の神経に相当響いたはずである。

「あなたは道路上にあって、射殺には関与していないことにしてやる。悪いことは
言わないから証言のこの点とこの点は書き直したらどうか」と誘導した。

栗原氏は一徹なところがあるので、それでも自分の記憶に固執して証言の変更に抵抗した。しかし、捕虜の銃殺について、当時としては戦闘行動だのひとつとさえ考えていた。また、虐殺が事実ではあるとしても、それは中国の言う「30万人」という膨大な数ではなかったというところがもっとも強調したいところであった。それらの点では否定派の心情と近く、毎日や本多聞き取りでは栗原氏の心情は必ずしも反映されていない。

阿羅や板倉はその間隙をついて、部隊のだれだれはこう言っている、事実はこうだ、そこはあなたの記憶違いではないのか、とよってたかって言い立てたのである。人はだれしも、多少とも曖昧な記憶について周囲から、あれこれと言われ続けると、間違っていたかも知れないと思いこむことがある。これは刑事事件の冤罪でよく見られることだ。それに加えて栗原氏の場合は「日本軍の名誉」や、「虐殺犯の汚名を着ることになる」という心情的な誘導によって、ある程度は自発的にも証言を変えてしまった。その結果は

1.捕虜は4−5000人であった
2.当初から殺害の計画はなかった
3.栗原氏自身は射殺に加わらず静観した

ということを認めるに至ったのである。
決して脅迫じみたやり方だけで、栗原証言の改変に成功したわけではない。
85 hits

[4482]Re(1):日本軍の組織的捕虜虐殺
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 タラリ E-MAIL  - 07/5/21(月) 22:32 -

引用なし
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   ▼核心さん:
前回、核心さんは

>タラリ氏からは以前お話ししたように害意ある私信を数度頂いていますので議論するつもりはありません。

と言ったのではありませんでしたか。その核心さんが、今さら何をレスされるのでしょう。

私は「核心氏に害意を抱いたことは一度もないし、そのような私信を差し上げた事実もまったくない」と答えています。もし、核心さんが害意のある手紙を受け取ったことがあるとおっしゃるのであれば、手紙のその部分をコピペして提示されるよう要求します。


>タラリ氏からは「栗原証言なんて殺戮方法程度しか参考にならない。」とかのメールなどはいただきました。
>タラリ氏から私へのメールの発信は記録が残っていると思います。

とのことですが、それは私の害意を示すとでもおっしゃるのですか。もしそうであれば、それは到底害意とはいいがたい、と指摘しておきます。
また、「栗原証言なんて殺戮方法程度しか参考にならない。」などというmailを送ったという事実もありません。

とにかく、ひとを誹謗した上で、議論を拒絶し、質問に回答を返すこともしないでおいて、自分のほうは都合のいいときに勝手に議論を仕掛けるということは私には考えられないことです。

核心さんの議論は間違いだらけですが、ひとまず、釈明をしていただかなければ私の方は核心さんとの議論には入りません。それまで、このスレッドにも書き込まないでいただきたい。
93 hits

[4486]砲兵による捕虜の護送
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/22(火) 9:16 -

引用なし
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    砲兵が捕虜の護送をした事例はありますが、「“中山門まで連れて来い”と命令されました。”それも不可能”と断ったら、やっと、”歩兵四こ中隊を増援するから、一緒に中山門まで来い”と言うことになり、私も中山門近くまで同行しました。」というのが実態であって、ましてや歩兵連隊指揮下の砲兵には無理でしょう。参考までに独立攻城重砲兵 第二大隊の例を提示します。
 http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3055;id=sikousakugo#atop
 独立攻城重砲兵 第二大隊は捕虜を殺害しなかったと否定論に利用されていますが、砲兵部隊に大量の捕虜殺害は不可能なだけのことだと思います。三八式騎銃などを装備していたので、ある程度の殺害能力はあったと考えられます。だからこそ軍司令部が“直ちに銃殺せよ”と言ってきたのだと思います。
 装備の充実した砲兵部隊でも難しいのですから、平林氏の部隊にはなおさら無理だと思います。
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314630
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