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▼eichelberger_1999さん: 再びみたびありがとうございます。 読ませていただいて、いいかげんでない理解と説明の大切さを痛感しました。
>1)給与の支払い方式について > >>つまり、慰安所通いとおこづかい分だけを、公定レートで軍票に交換したのですね。家族に一旦全額支払われ、兵士の小遣い分が、郵便貯金から引き落とされたと考えてもいいのでしょうか。 > > 職業軍人である将校や下士官とくに家族持ちと、徴兵された兵士とでは給与のもつ意味がかなりちがいます。職業軍人ならば、給与は自分と家族の生活の糧となるのですが、徴兵された兵士の場合その給与は低すぎて家族を養うことはできません。また、兵士が兵営にいる間はその生活に必要なものは、ほぼすべて軍隊が供給します(逆に言えば、軍隊から供給されるものの範囲でしか生活できない)ので、お金はそんなにいらないのです。もともと兵士の給料は小遣い程度にすぎません。 > ですので、家族に全額または一部の給与を支払うかたちにするのは、家族持ちの将校や下士官にかぎられていたと思われます。
兵士や将校の生活状態というものも、よく知る必要がありますね。
> また、今から60年以上前のことですので、郵便貯金の出し入れや送金もそんなに簡単にできません。また給料の銀行振込制度というのもありません。 > 給料は、現金で支給され(軍票支払いの場合、この時点で公定レートで換算されていることになります)、そこから通帳と印鑑を使って貯金するわけです。
内地では現金(日本銀行券)で支払われ、外地では軍票または外地通貨で支払われた。
> 通帳と印鑑は本人だけがもっているので、内地にいる家族がその口座から直接出し入れはできません。軍事郵便貯金の通帳には、家族の名前と住所を書く欄があって、本人に万一のことがあった場合にはその口座のお金はそこに記された家族に渡されることになっていました。 > > ですので、給料全額をまず家族に交付し、自分に必要な分を家族から送金してもらうというめんどうな手続きをする者は、少なくて、最初から何割かを家族に残りを自分が受け取るとしていたのではないでしょうか。
家族分(内地)と本人分(外地)の割合は、事前申告による。
>2)軍事郵便貯金と送金方式 > >>送金制限は厳しく、貯める一方だったのですね。eichelberger_1999さんはとっくにご承知でしょうが、じつは、ビルマ・ミッチナの楼主キタムラ某の豪快談がありますね。 > > 彼は郵便貯金ではなくて、外国為替銀行である横浜正金銀行を使って送金したので、これは完全にビジネスの世界の話です。もちろん、横浜正金による外貨取引そのものも、大蔵省によって厳しく規制されています。しかし、動く金額が全然ちがうと思います。 > 慰安婦が横浜正金と取引できたかどうか疑問です。
これは公定レートでなく実勢レートだったのですか? キタムラ某の豪傑談では貯めに貯めたのは最初の1年以内だったそうですから、実勢レートでもかなりの貯金はできたとは思いますが。
>>この従軍慰安婦という制度は、同時に巨大な官製談合の世界だった、ということは容易に想像できますね。 > > これはなかななか決定的証拠はないのですが、大規模な作戦をおこなうことになり、大量の慰安婦(1000人単位)を一時に動員しなければいけない時、かなりの金額の前借金が一時的に必要になります。一人平均600円だとしても、1000人で60万円、3000人で180万円のお金が一時的に動くことになります。それだけの金をいくら金回りがいいからといって、売春業者が動かせるものかどうか。軍が一時的に前貸しのかたちで融通することはあったのではないかと思われます。
この点は、私も異論はありませんが、証拠が欲しいですね。軍による資金融通があったのか無かったのか? 答えはどちらでもいいですが、米軍がキッチリ、キタムラ某に尋問しといてくれればよかったのに。(笑)
> 明確なことはいえないのですが、どの軍も酒保流用資金というのを軍資金からプールしていたようです。支那派遣軍のような大規模な軍になると、この額もバカにならないので、時期によりちがうと思いますが、太平洋戦争がはじまってすぐの頃だと、6500万円くらいの金が運用されていました。経理月報という報告書に記されています。
「酒保流用資金」、これは文書にある呼び名ですか(笑)? 言葉が当時なかったものは「なかった」という理論が感染っているので・・・・
>4)軍票の価値下落 > >>ちょっと見方を変えて喩えれば、前線地の慰安婦たちは戦争に勝ったら金(きん)に交換してもらえる「豊田商事ファミリー証券」を玉代としてもらい、枕の下に溜め込んでいたのですね。 > > その交換比率が問題ですね。軍としては軍人・軍属に対しては1対1で日本円に換えなければいけないでしょうが、それ以外の者に対してそうしたかどうか、保証のかぎりではないでしょう。日露戦争の時でも、軍人・軍属以外は、大蔵省の定めるレートで交換されています。
ほう、慰安婦とか楼主とかは、何割か値切られる。交換者にもよるでしょうね。 横浜正金と軍事郵便局ではまた違う。
>>金珠玉さんが、26000円もの軍事郵便貯金残高を持っていた、ということも、なにか軍属扱いの計らいがあったのでしょうか、それとも、貯金はたまっても引き出しさえ制限すればよかったということでしょうか。 >>貯めに貯めた軍票は、敗戦で即時に価値0。戦時国債や戦時郵便貯金も、貯めに貯めたものが引き出せたのは、新円切り替えののちで大幅下落でしたね。しかもそれは日本人だけに限られていたのでした。 >>
> scopedogさんがブログで明らかにしているように、文さんが20.000円預金したのは、、1945年4月以降ですね。すでにマンダレーは陥落し、ラングーン(ヤンゴン)の占領は5月3日ですから、この時点ですでに日本の軍票は紙切れ同然です。scopedogさんのブログで林博史氏がコメントしているように、敗走する日本軍の将校は文さんに惜しげもなく軍票を与えたのでしょう。それを彼女は後生大事に貯金した。豊田商事の債券をもらったようなものです。
・文玉珠さんの預金原簿見つけました。(上に貼りました) ・また、林博史氏のコメントも見つけました http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html のコメント欄です。一部引用します。
>ビルマの物価指数です(日本銀行外事局調査)。 1944.6 東京 121 ラングーン 3635 シンガポール 4469 バタビア 1279 1945.8 東京 156 ラングーン 185,648 シンガポール 35,000 バタビア 3197
ラングーンだけ見ると、次のようになっています。 1943.12 1718 1944.3 2629 1944.6 3635 1944.9 5765 1944.12 8707 1945.3 12700 1945.6 30629 1945.8 185648 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・この2つを見ると 敗走する日本軍の将校が、彼らにとって無価値になった軍票を、惜しげもなく文さんに与えたのがよくわかります。 ・文さんはそれを『お駄賃』をもらった、と法廷で表現したそうですが、驚くことにそれをもってウヨさんたちは、「朝鮮人慰安婦は安月給の兵士から、規定料金以外にチップをせがんだ」とか、「規定料金は入場料で、サービス料は別だった」と、あたかも軍慰安所で「歌舞伎町商売」がなされていたかのようなデマをふりまいています。 ・そうしたデマのヨスガになっているのが、wikipedia「慰安婦」での記述です。 >上野千鶴子の慰安婦裁判の取材によれば、郵便預金返還訴訟を起こした文玉珠の貯金は、性交労働の代償ではなく、軍人からのお駄賃をため込んだものであるという。
wikipedia「慰安婦」の記述は米軍尋問報告の訳文もひどいものです。なんとかならないものでしょうか?
>>これって、戦争に負けたから豊田商事状態になったのでしょうか? >>私は、勝ったら勝ったでもっと酷い豊田商事状態が起きたのではないかと思います。 > > 軍票の交換については、日本人のそれよりも、軍票が垂れ流された地域の人々のほうが大変だと思います。 > これは想像ですが、勝った勝ったでいちばん酷い目にあうのは、東南アジアの占領地で軍票をつかまされた人ではないでしょうか。 > 日本が勝った場合、これらの地域は日本の新領土になるか衛星国になるかどちらかでしょうが、いずれにせよ、軍票は現地通貨建てですので、日本円に換える必要はありません。現地通貨のお札を印刷して、それと交換すればすむだけの話です。すごいインフレになるでしょうが、それをどう終息させるかはまた別の話です。 > > 日本人の場合は、軍票の交換よりも、貯金や愛国公債のしまつの方が大きいかもしれません。 > 賠償金がとれないと、公債の償還の繰り延べとか、貯金の債券化とかやらないと、もたないかもしれません。
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