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[4500]日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 ピッポ 07/5/27(日) 0:47
[4501]軍票は領収証です 熊猫 07/5/27(日) 9:40
[4502]Re(1):日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 eichelberger_1999 07/5/27(日) 13:06
[4503]Re(2):日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 熊猫 07/5/27(日) 13:37
[4509]Re(3):日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 ピッポ 07/5/27(日) 14:32
[4521]勘違いしていました(汗) 熊猫 07/5/27(日) 20:51
[4535]Re(1):勘違いしていました(汗) ピッポ 07/5/28(月) 10:05
[4540]一角楼 熊猫 07/5/29(火) 8:57 [添付]
[4542]Re(1):一角楼 ピッポ 07/5/29(火) 10:15
[4544]南京の慰安所 熊猫 07/5/30(水) 8:36
[4545]訂正 熊猫 07/5/30(水) 8:39
[4546]またもや訂正 熊猫 07/5/30(水) 9:03
[4547]Re(1):南京の慰安所 ピッポ 07/5/30(水) 9:21
[4551]Re(2):南京の慰安所 熊猫 07/5/31(木) 9:04
[4552]Re(3):南京の慰安所 ピッポ 07/5/31(木) 13:04
[4610]Re(4):南京の慰安所 熊猫 07/6/2(土) 16:59
[4613]Re(2):南京の慰安所 熊猫 07/6/2(土) 22:21
[4614]訂正 熊猫 07/6/3(日) 7:32
[4508]Re(2):日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 ピッポ 07/5/27(日) 14:26
[4537]Re(3):日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 eichelberger_1999 07/5/28(月) 20:57
[4538]Re(4):訂正 eichelberger_1999 07/5/28(月) 21:01
[4541]Re(4):日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 ピッポ 07/5/29(火) 10:08 [添付]
[4549]Re(5):日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 eichelberger_1999 07/5/30(水) 19:42
[4612]Re(6):日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 ピッポ 07/6/2(土) 21:31
[4611]Re(5):日本兵の給料、軍票、軍事郵便貯金 ピッポ 07/6/2(土) 21:04

[4500]日本兵の給料、軍票、軍事郵便...
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 ピッポ E-MAIL  - 07/5/27(日) 0:47 -

引用なし
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   こんなときja2047さんがいれば、即座に答えてくれそうなことです。
どなたかご存知ありませんか?

外地に出征した日本兵の給料の支給方法についてお尋ねします。

1)給料はどうやって渡されたのでしょうか?

2)小野田寛郎しによれば、1/3が家族への送金、1/3が貯金、1/3が慰安所通い、だそうですが、軍票と軍事郵便貯金の役割について教えてください。

3)軍票支払いだと兵隊たちはその内地に残した家族も含めて、もろに外地のインフレに巻き込まれてしまいます。そうならない措置についてお尋ねします。

4)慰安所の料金はインフレがあっても殆ど動かなかったそうですが、軍票決済でなぜそれが可能だったのか、それは多分慰安所のやりくりが外部のインフレ経済に晒されない内部経済だったからではないかと、私はおもうのですがいかがでしょうか。

5)また軍票を集めた朝鮮人慰安婦が、現地の実勢レートではなく公称レートで軍事郵便貯金ができたのは、送金や引出しの厳しい制限のもとに軍人軍属の特例がみとめられたからではないかと推察するのですが、いかがでしょうか?

どなたか教えてくだされば幸いです。
151 hits

[4501]軍票は領収証です
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/27(日) 9:40 -

引用なし
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    軍票は法律上の「領収証」になりますので、貨幣ではありません。軍事郵便貯金は貨幣です。両者の違いは貨幣であるかないかの違いです。「軍票支払い」或いは「軍票で支払った」と言うのは本来は日本語として通用しないのです。つまり、軍票を渡しただけでは、料金の未払いということになります。
K−Kさんのサイトより引用します。

『陸戦の法規慣例に関する規則』
 52条(徴発と課役)
 現品徴発及課役は、占領軍の需要の為にするに非されは、市区町村又は住民に対して之を要求することを得す。徴発及課役は、地方の資力に相応し、且人民をして其の本国に対する作戦動作に加るの義務を負はしめさる性質のものたることを要す。
 右徴発及課役は、占領地方に於ける指揮官の許可を得るに非されは、之を要求することを得す。
 現品の供給に対しては、成るへく即金にて支払ひ、然らされは領収証を以て之を証明すへく、且成るへく速に之に対する金額の支払を履行すへきものとす。

 軍票は国際法上の「領収証を以て之を証明」したに過ぎません。

>3)軍票支払いだと兵隊たちはその内地に残した家族も含めて、もろに外地のインフレに巻き込まれてしまいます。そうならない措置についてお尋ねします。
 その実態は別として、軍票とは内地のインフレを防止するためのものですから、外地における軍票の発行そのものが「そうならない措置」になります。
154 hits

[4502]Re(1):日本兵の給料、軍票、軍...
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 eichelberger_1999 E-MAIL  - 07/5/27(日) 13:06 -

引用なし
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   ピッポさん、ご無沙汰です。

ja2047さんのメモリアルサイトの件ではお世話になりました。放置状態のままあちこちうろうろしており、ピッポさんには申し訳なく思っております。そのかわりと言うわけでありませんが、私にわかる範囲でお答えします。
 と言いましても、きちんと確かめる時間的余裕がなくて、記憶にたよっている部分が多いため、まちがいがあると思いますが、法令上に規定された制度面についてわかる範囲で書いてみます。
(軍票関係で、私が利用したのは、主として大蔵省理財局国庫課作成「中国ニ於ケル軍票発行関係」昭和13年12月、アジア歴史資料センター:レファレンスコード B06050133200です。)


>1)給料はどうやって渡されたのでしょうか?

 原則として軍人・軍属の俸給・手当は、本人に毎月決まった日に現金で支払われます。ただし、戦地に赴任する場合には、あらかじめ本人が指定した家族その他の者に、給与の全額または一部を渡すように指定することができます。つまり、内地の家族に給料が支払われるようにできます。
 日中戦争の初期の頃、軍人軍属の給与支払は軍票によらないとされていたのですが、日本円の海外へのたれ流しを防ぐにはそうもいかなくて、現実には軍票による支払おこなわれていたようです。少なくとも、1938年10月以降は、華中・華南での給与支払いは軍票に切り替えられています。南方占領地でも同様だったと思われます。

>
>2)小野田寛郎しによれば、1/3が家族への送金、1/3が貯金、1/3が慰安所通い、だそうですが、軍票と軍事郵便貯金の役割について教えてください。

 まず軍事郵便局というのは、通常の郵便局とはちがって軍の組織です。実際の運営は逓信省から出向する官吏が軍属となって管理しているのですが、通常の郵便局とは別立てとなっています。利用できるのも原則として軍人・軍属です。もっとも、軍政が施行されている占領地では、普通郵便業務や貯金為替業務も行うことがありますが、それはあくまでも軍事郵便業務の支障とならない範囲でのことです。

 軍人・軍属が戦地もしくは占領地から家族へ送金するには、軍事郵便為替によるしか方法はないと思われます。軍票の交換レートは、日本軍の軍人・軍属の場合は公定レートです。軍票の発行規則そのものでは、軍人・軍属の交換請求があれば、公定レートで日本政府は交換しなければいけないことになっています。
 軍人・軍属以外ですと、公定レートではなくて市場レートが適用されたのではないかと思われます。日清、日露戦争や第一次世界大戦ではそうだったのですが、日中戦争・太平洋戦争ではどうだったのか、実際に把握できているわけではありません。日中戦争時には軍人・軍属以外は、一人一回10円以内、一ヶ月100円以内の制限がありました。また、当分のあいだ軍票の交換はしないという閣議決定が1937年10月におこなわれています。

 日本の軍人・軍属がその給与を日本国内に送金する場合には、公定レートで交換しても問題は生じないはずです。なぜなら、いちおう軍人・軍属の給与は臨時軍事費という日本の予算の中に組み込まれていますので、その額の範囲内の通貨が内地に戻ってくること自体は、内地の通貨膨張対策の範囲内におさまる問題だといえるからです。

 軍人・軍属が現地で何か商売でもして、給与の範囲を超える多額の軍票を手にして、それを日本内地に送金するような場合だと、話はちがってきますが、そもそも普通の軍人・軍属にはそのような機会はなかったでしょうし、軍事郵便貯金に分不相応の預金があったりすると、すぐにばれてしまうでしょう。軍によって貯金や送金はすべて監視されているとみてよいでしょうから。
 不当な利得を手にした軍人・軍属もいたかもしれませんが、彼らはもっと巧妙な方法で送金方法を考えたにちがいありません。といっても、具体的にどのようにしたかはわかりません。


>
>3)軍票支払いだと兵隊たちはその内地に残した家族も含めて、もろに外地のインフレに巻き込まれてしまいます。そうならない措置についてお尋ねします。

 占領地ではインフレで軍票の価値は下落していても、軍人・軍属に対しては公定レートで交換する規則ですので、そのインフレは内地に波及しません。というか、軍人・軍属に対して軍票で給与を払っておいて、その交換レートを市場相場に設定すれば、それは国家的な詐欺で、将兵の士気をいたく阻喪することになってしまうでしょう。

 ただし、軍人・軍属の特権を利用して、彼らの給与の額をこえる大量の軍票が交換されることがないように防止策がとられていたと思います。戦地の軍人・軍属のほとんどは、生活に必要な最低限の品物(食糧、住居、衣類)はすべて官給されています。その必需品は内地から送られてくる物を除けば、それこそ軍が軍票でもって組織的に徴発したものですので、個々の将兵自身は、給与として支払われる軍票を個別に生活必需品にかえなくても、だいたいはやっていけるのです。そのかわり俸給は低くおさえられています。
 
 なお、組織としての軍は現地での軍票の値打ちがいくら下がっても、物資の調達にはそれほど困りません。軍票はいくらでも印刷できますから。それこそ徴発の領収書なわけです。ただそれをやりすぎると、占領地の経済を破滅させかねないので、占領地統治という面からはマイナスになります。

>
>4)慰安所の料金はインフレがあっても殆ど動かなかったそうですが、軍票決済でなぜそれが可能だったのか、それは多分慰安所のやりくりが外部のインフレ経済に晒されない内部経済だったからではないかと、私はおもうのですがいかがでしょうか。

 慰安所は軍の後方施設であり、その料金を決めるのは軍ですから、それは可能です。つまり慰安所の料金は公定価格なのです。軍が慰安所を設置したのは、比較的低料金で兵士に性欲処理をさせることが目的ですので、価格をあげるわけにはいきません。一般企業でも、社員の福利厚生のために、保養施設の利用料金を決定し、それを低くおさえることは、よくあることです。その意味では、慰安所における慰安婦のサービス提供とそれに対する利用者の支払いは軍の内部経済といってよいでしょう。

 しかしながら、軍慰安所は内部経済として完全に閉じていたわけではなく、外部経済と接しています。慰安所経営者や慰安婦は、軍そのもののように軍票を必要なだけいくらでも印刷する権力はありませんから、自分たちの生活の維持と慰安所の経営維持のために、自分らが稼いだ軍票収入の範囲内で現地の物資を購入しなければいけない局面があるわけです。その局面では軍票のインフレと利用価格の据え置きは大きな問題とならざるをえません。つまり、そのしわよせは、軍票で現地でさまざまな品物を購買しなければいけない、慰安所の受託経営者や慰安婦にいくことになります。
 そこで地域によっては、インフレがあまりにひどくて慰安所経営者が困る場合に、軍が必要な物資(これも要するに徴発によるものでしょうが)を提供して、経営を続けさせた例もあるようです。こういう例になると、完全に内部経済に繰り入れられたとみてよいでしょう。

>
>5)また軍票を集めた朝鮮人慰安婦が、現地の実勢レートではなく公称レートで軍事郵便貯金ができたのは、送金や引出しの厳しい制限のもとに軍人軍属の特例がみとめられたからではないかと推察するのですが、いかがでしょうか?

 軍事郵便貯金は原則として軍人・軍属のみが利用できます。野戦郵便局で普通郵便貯金を扱う場合、それは軍事郵便貯金とは別立てになります。ですから慰安婦は軍人・軍属に準じる存在だったとみてよいでしょう。
 軍人や軍属と比べて、ご指摘のように送金や引き出しの際に制限があったと思われますが、実際にどうであったのかは私にはわかりません。送金に際して、上の述べたような、軍票と日本円との交換比率や交換額の制限が慰安婦にも適用されたのかどうか、そのへんについては材料をもちません。
183 hits

[4503]Re(2):日本兵の給料、軍票、軍...
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/27(日) 13:37 -

引用なし
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    昭和12年に93万円分の軍票が第10軍に渡されています。用途は不明ですが金額からして、杭州湾上陸作戦以降の給料ではないかと思われます。
160 hits

[4508]Re(2):日本兵の給料、軍票、軍...
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 ピッポ E-MAIL  - 07/5/27(日) 14:26 -

引用なし
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   ▼eichelberger_1999さん:

どうもお久しぶりです。ja2047さんのメモリアルサイトの件ではこちらこそ世話になりました。今日は、早速私の質問に答えていただいて、とても感謝しています。

>(軍票関係で、私が利用したのは、主として大蔵省理財局国庫課作成「中国ニ於ケル軍票発行関係」昭和13年12月、アジア歴史資料センター:レファレンスコード B06050133200です。)

よい資料を教えていただきました。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/MetaOutServlet?GRP_ID=G0000101&DB_ID=G0000101EXTERNAL&IS_STYLE=default&IS_TYPE=meta&XSLT_NAME=MetaTop.xsl

わたしもゆっくり読ませていただきます。

わたしがこの問題で疑問と想像を膨らませたのは、産経新聞古森記者によるビルマにおける朝鮮人慰安婦関係資料の歪められた報道がきっかけでした。

朝鮮人慰安婦による尋問調書では、1ヶ月の一人あたりの総売上の平均が1500円で、彼女達の取り分はその4〜5割、さらに楼主から衣服・雑貨・化粧品などを売りつけられます。 しかしそれにしても、兵隊に比べれば「かなり高収入だ」と喧伝されています。

朝鮮での新聞広告の月300円は総理大臣並だと、産経新聞古森記者は米国のニュースショウで語っています。

これに対して、朝鮮人慰安婦の手取りは、軍票や南発券だから物価の上昇で、相当に目減りしたものだ、という反論があります。1941年のルピーの円に対する実勢レートを1:1とすると、1945年には1:300にまでなったとも言われています。それなのに、公称は1:1の交換レートが維持されました。(それゆえ、ルピーを「円」と呼んだ)

そうして、慰安所の玉代は軍票(ルピー)で払われたのに、大きな価格の改定はありません。

そこに、どうも、公定レートと実勢レートとのダブルスタンダードの巧妙な仕掛けが隠されていたように思ったのです。

eichelberger_1999さんのご回答は、私の予想、といっても具体的な根拠をもたない妄想に近いものですが、それにぴったり当てはまっているので、正直驚いています。

>>1)給料はどうやって渡されたのでしょうか?
>
> 原則として軍人・軍属の俸給・手当は、本人に毎月決まった日に現金で支払われます。ただし、戦地に赴任する場合には、あらかじめ本人が指定した家族その他の者に、給与の全額または一部を渡すように指定することができます。つまり、内地の家族に給料が支払われるようにできます。
> 日中戦争の初期の頃、軍人軍属の給与支払は軍票によらないとされていたのですが、日本円の海外へのたれ流しを防ぐにはそうもいかなくて、現実には軍票による支払おこなわれていたようです。少なくとも、1938年10月以降は、華中・華南での給与支払いは軍票に切り替えられています。南方占領地でも同様だったと思われます。

つまり、慰安所通いとおこづかい分だけを、公定レートで軍票に交換したのですね。家族に一旦全額支払われ、兵士の小遣い分が、郵便貯金から引き落とされたと考えてもいいのでしょうか。


>>2)小野田寛郎氏によれば、1/3が家族への送金、1/3が貯金、1/3が慰安所通い、だそうですが、軍票と軍事郵便貯金の役割について教えてください。
>
> まず軍事郵便局というのは、通常の郵便局とはちがって軍の組織です。実際の運営は逓信省から出向する官吏が軍属となって管理しているのですが、通常の郵便局とは別立てとなっています。利用できるのも原則として軍人・軍属です。もっとも、軍政が施行されている占領地では、普通郵便業務や貯金為替業務も行うことがありますが、それはあくまでも軍事郵便業務の支障とならない範囲でのことです。
>
> 軍人・軍属が戦地もしくは占領地から家族へ送金するには、軍事郵便為替によるしか方法はないと思われます。軍票の交換レートは、日本軍の軍人・軍属の場合は公定レートです。軍票の発行規則そのものでは、軍人・軍属の交換請求があれば、公定レートで日本政府は交換しなければいけないことになっています。

> 軍人・軍属以外ですと、公定レートではなくて市場レートが適用されたのではないかと思われます。日清、日露戦争や第一次世界大戦ではそうだったのですが、日中戦争・太平洋戦争ではどうだったのか、実際に把握できているわけではありません。日中戦争時には軍人・軍属以外は、一人一回10円以内、一ヶ月100円以内の制限がありました。また、当分のあいだ軍票の交換はしないという閣議決定が1937年10月におこなわれています。

送金制限は厳しく、貯める一方だったのですね。eichelberger_1999さんはとっくにご承知でしょうが、じつは、ビルマ・ミッチナの楼主キタムラ某の豪快談がありますね。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/keyword/Japanese%20Prisoner%20of%20War%20Interrogation%20Report%20No.%2049.

> 日本の軍人・軍属がその給与を日本国内に送金する場合には、公定レートで交換しても問題は生じないはずです。なぜなら、いちおう軍人・軍属の給与は臨時軍事費という日本の予算の中に組み込まれていますので、その額の範囲内の通貨が内地に戻ってくること自体は、内地の通貨膨張対策の範囲内におさまる問題だといえるからです。

> 軍人・軍属が現地で何か商売でもして、給与の範囲を超える多額の軍票を手にして、それを日本内地に送金するような場合だと、話はちがってきますが、そもそも普通の軍人・軍属にはそのような機会はなかったでしょうし、軍事郵便貯金に分不相応の預金があったりすると、すぐにばれてしまうでしょう。軍によって貯金や送金はすべて監視されているとみてよいでしょうから。
> 不当な利得を手にした軍人・軍属もいたかもしれませんが、彼らはもっと巧妙な方法で送金方法を考えたにちがいありません。といっても、具体的にどのようにしたかはわかりません。

この従軍慰安婦という制度は、同時に巨大な官製談合の世界だった、ということは容易に想像できますね。


>>3)軍票支払いだと兵隊たちはその内地に残した家族も含めて、もろに外地のインフレに巻き込まれてしまいます。そうならない措置についてお尋ねします。
>
> 占領地ではインフレで軍票の価値は下落していても、軍人・軍属に対しては公定レートで交換する規則ですので、そのインフレは内地に波及しません。というか、軍人・軍属に対して軍票で給与を払っておいて、その交換レートを市場相場に設定すれば、それは国家的な詐欺で、将兵の士気をいたく阻喪することになってしまうでしょう。
>
> ただし、軍人・軍属の特権を利用して、彼らの給与の額をこえる大量の軍票が交換されることがないように防止策がとられていたと思います。戦地の軍人・軍属のほとんどは、生活に必要な最低限の品物(食糧、住居、衣類)はすべて官給されています。その必需品は内地から送られてくる物を除けば、それこそ軍が軍票でもって組織的に徴発したものですので、個々の将兵自身は、給与として支払われる軍票を個別に生活必需品にかえなくても、だいたいはやっていけるのです。そのかわり俸給は低くおさえられています。
> 
> なお、組織としての軍は現地での軍票の値打ちがいくら下がっても、物資の調達にはそれほど困りません。軍票はいくらでも印刷できますから。それこそ徴発の領収書なわけです。ただそれをやりすぎると、占領地の経済を破滅させかねないので、占領地統治という面からはマイナスになります。


この辺は私の予想をフォローしていただいた感じです。


>>4)慰安所の料金はインフレがあっても殆ど動かなかったそうですが、軍票決済でなぜそれが可能だったのか、それは多分慰安所のやりくりが外部のインフレ経済に晒されない内部経済だったからではないかと、私はおもうのですがいかがでしょうか。
>
> 慰安所は軍の後方施設であり、その料金を決めるのは軍ですから、それは可能です。つまり慰安所の料金は公定価格なのです。軍が慰安所を設置したのは、比較的低料金で兵士に性欲処理をさせることが目的ですので、価格をあげるわけにはいきません。一般企業でも、社員の福利厚生のために、保養施設の利用料金を決定し、それを低くおさえることは、よくあることです。その意味では、慰安所における慰安婦のサービス提供とそれに対する利用者の支払いは軍の内部経済といってよいでしょう。

> しかしながら、軍慰安所は内部経済として完全に閉じていたわけではなく、外部経済と接しています。慰安所経営者や慰安婦は、軍そのもののように軍票を必要なだけいくらでも印刷する権力はありませんから、自分たちの生活の維持と慰安所の経営維持のために、自分らが稼いだ軍票収入の範囲内で現地の物資を購入しなければいけない局面があるわけです。その局面では軍票のインフレと利用価格の据え置きは大きな問題とならざるをえません。つまり、そのしわよせは、軍票で現地でさまざまな品物を購買しなければいけない、慰安所の受託経営者や慰安婦にいくことになります。
> そこで地域によっては、インフレがあまりにひどくて慰安所経営者が困る場合に、軍が必要な物資(これも要するに徴発によるものでしょうが)を提供して、経営を続けさせた例もあるようです。こういう例になると、完全に内部経済に繰り入れられたとみてよいでしょう。

ビルマで物価が高騰しルピーの実勢が下落していた頃、戦闘地域に近いミッチナでは、慰安婦が購入するものも恐らく無くなり、玉代として集まった軍票を貯める以外にはなかったかと思います。そうなると、完全な内部経済に近くなりますね。

ちょっと見方を変えて喩えれば、前線地の慰安婦たちは戦争に勝ったら金(きん)に交換してもらえる「豊田商事ファミリー証券」を玉代としてもらい、枕の下に溜め込んでいたのですね。

>>5)また軍票を集めた朝鮮人慰安婦が、現地の実勢レートではなく公称レートで軍事郵便貯金ができたのは、送金や引出しの厳しい制限のもとに軍人軍属の特例がみとめられたからではないかと推察するのですが、いかがでしょうか?
>
> 軍事郵便貯金は原則として軍人・軍属のみが利用できます。野戦郵便局で普通郵便貯金を扱う場合、それは軍事郵便貯金とは別立てになります。ですから慰安婦は軍人・軍属に準じる存在だったとみてよいでしょう。
> 軍人や軍属と比べて、ご指摘のように送金や引き出しの際に制限があったと思われますが、実際にどうであったのかは私にはわかりません。送金に際して、上の述べたような、軍票と日本円との交換比率や交換額の制限が慰安婦にも適用されたのかどうか、そのへんについては材料をもちません。

金珠玉さんが、26000円もの軍事郵便貯金残高を持っていた、ということも、なにか軍属扱いの計らいがあったのでしょうか、それとも、貯金はたまっても引き出しさえ制限すればよかったということでしょうか。

貯めに貯めた軍票は、敗戦で即時に価値0。戦時国債や戦時郵便貯金も、貯めに貯めたものが引き出せたのは、新円切り替えののちで大幅下落でしたね。しかもそれは日本人だけに限られていたのでした。

これって、戦争に負けたから豊田商事状態になったのでしょうか?
私は、勝ったら勝ったでもっと酷い豊田商事状態が起きたのではないかと思います。
153 hits

[4509]Re(3):日本兵の給料、軍票、軍...
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 ピッポ E-MAIL  - 07/5/27(日) 14:32 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
ご回答ありがとうございます。

軍票が財政法的には「領収書」にすぎない、というのはおもしろい見解ですね。
しかし、その「領収書」に毎日をかけていた女性たちや、その「領収書」を巡って殺し合いを続けていた男たちがいたと考えると、戦争とは滑稽にしてズシリと哀れですね。

> 昭和12年に93万円分の軍票が第10軍に渡されています。用途は不明ですが金額からして、杭州湾上陸作戦以降の給料ではないかと思われます。

おお、これは物資兵站のためではなく?
149 hits

[4521]勘違いしていました(汗)
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/27(日) 20:51 -

引用なし
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    申し訳ございません。第十軍の兵士の数を1万人で考えていました(^^;
 兵站の可能性もあるでしょうが、兵士一人当たり10円の軍票ですから兵站にしては多すぎると思います。給料にしては少ないので、何らかの戦時手当てのようなものだったかも知れませんね。これ件は保留しましょう(^^)
161 hits

[4535]Re(1):勘違いしていました(汗...
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 ピッポ E-MAIL  - 07/5/28(月) 10:05 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
> 申し訳ございません。第十軍の兵士の数を1万人で考えていました(^^;
> 兵站の可能性もあるでしょうが、兵士一人当たり10円の軍票ですから兵站にしては多すぎると思います。給料にしては少ないので、何らかの戦時手当てのようなものだったかも知れませんね。これ件は保留しましょう(^^)

熊猫さんどうもです。
ところで、
>南京の繁華街太平路にある一角楼という軍指定慰安所
とはご存知ですか?

自分が買った朝鮮人女性をビルマに連れて行った慰安所楼主の話にでてくるのですが。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/keyword/Japanese%20Prisoner%20of%20War%20Interrogation%20Report%20No.%2049.
147 hits

[4537]Re(3):日本兵の給料、軍票、軍...
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 eichelberger_1999 E-MAIL  - 07/5/28(月) 20:57 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:

1)給与の支払い方式について

>つまり、慰安所通いとおこづかい分だけを、公定レートで軍票に交換したのですね。家族に一旦全額支払われ、兵士の小遣い分が、郵便貯金から引き落とされたと考えてもいいのでしょうか。

 職業軍人である将校や下士官とくに家族持ちと、徴兵された兵士とでは給与のもつ意味がかなりちがいます。職業軍人ならば、給与は自分と家族の生活の糧となるのですが、徴兵された兵士の場合その給与は低すぎて家族を養うことはできません。また、兵士が兵営にいる間はその生活に必要なものは、ほぼすべて軍隊が供給します(逆に言えば、軍隊から供給されるものの範囲でしか生活できない)ので、お金はそんなにいらないのです。もともと兵士の給料は小遣い程度にすぎません。
 ですので、家族に全額または一部の給与を支払うかたちにするのは、家族持ちの将校や下士官にかぎられていたと思われます。

 また、今から60年以上前のことですので、郵便貯金の出し入れや送金もそんなに簡単にできません。また給料の銀行振込制度というのもありません。
 給料は、現金で支給され(軍票支払いの場合、この時点で公定レートで換算されていることになります)、そこから通帳と印鑑を使って貯金するわけです。
 通帳と印鑑は本人だけがもっているので、内地にいる家族がその口座から直接出し入れはできません。軍事郵便貯金の通帳には、家族の名前と住所を書く欄があって、本人に万一のことがあった場合にはその口座のお金はそこに記された家族に渡されることになっていました。

 ですので、給料全額をまず家族に交付し、自分に必要な分を家族から送金してもらうというめんどうな手続きをする者は、少なくて、最初から何割かを家族に残りを自分が受け取るとしていたのではないでしょうか。


2)軍事郵便貯金と送金方式

>送金制限は厳しく、貯める一方だったのですね。eichelberger_1999さんはとっくにご承知でしょうが、じつは、ビルマ・ミッチナの楼主キタムラ某の豪快談がありますね。

 彼は郵便貯金ではなくて、外国為替銀行である横浜正金銀行を使って送金したので、これは完全にビジネスの世界の話です。もちろん、横浜正金による外貨取引そのものも、大蔵省によって厳しく規制されています。しかし、動く金額が全然ちがうと思います。
 慰安婦が横浜正金と取引できたかどうか疑問です。


>この従軍慰安婦という制度は、同時に巨大な官製談合の世界だった、ということは容易に想像できますね。

 これはなかななか決定的証拠はないのですが、大規模な作戦をおこなうことになり、大量の慰安婦(1000人単位)を一時に動員しなければいけない時、かなりの金額の前借金が一時的に必要になります。一人平均600円だとしても、1000人で60万円、3000人で180万円のお金が一時的に動くことになります。それだけの金をいくら金回りがいいからといって、売春業者が動かせるものかどうか。軍が一時的に前貸しのかたちで融通することはあったのではないかと思われます。

 明確なことはいえないのですが、どの軍も酒保流用資金というのを軍資金からプールしていたようです。支那派遣軍のような大規模な軍になると、この額もバカにならないので、時期によりちがうと思いますが、太平洋戦争がはじまってすぐの頃だと、6500万円くらいの金が運用されていました。経理月報という報告書に記されています。


4)軍票の価値下落

>ちょっと見方を変えて喩えれば、前線地の慰安婦たちは戦争に勝ったら金(きん)に交換してもらえる「豊田商事ファミリー証券」を玉代としてもらい、枕の下に溜め込んでいたのですね。

 その交換比率が問題ですね。軍としては軍人・軍属に対しては1対1で日本円に換えなければいけないでしょうが、それ以外の者に対してそうしたかどうか、保証のかぎりではないでしょう。日露戦争の時でも、軍人・軍属以外は、大蔵省の定めるレートで交換されています。


>金珠玉さんが、26000円もの軍事郵便貯金残高を持っていた、ということも、なにか軍属扱いの計らいがあったのでしょうか、それとも、貯金はたまっても引き出しさえ制限すればよかったということでしょうか。
>貯めに貯めた軍票は、敗戦で即時に価値0。戦時国債や戦時郵便貯金も、貯めに貯めたものが引き出せたのは、新円切り替えののちで大幅下落でしたね。しかもそれは日本人だけに限られていたのでした。
>

 scopedogさんがブログで明らかにしているように、文さんが20000万円預金したのは、、1945年4月以降ですね。すでにマンダレーは陥落し、ラングーン(ヤンゴン)の占領は5月3日ですから、この時点ですでに日本の軍票は紙切れ同然です。scopedogさんのブログで林博史氏がコメントしているように、敗走する日本軍の将校は文さんに惜しげもなく軍票を与えたのでしょう。それを彼女は後生大事に貯金した。豊田商事の債券をもらったようなものです。

>
>これって、戦争に負けたから豊田商事状態になったのでしょうか?
>私は、勝ったら勝ったでもっと酷い豊田商事状態が起きたのではないかと思います。

 軍票の交換については、日本人のそれよりも、軍票が垂れ流された地域の人々のほうが大変だと思います。
 これは想像ですが、勝った勝ったでいちばん酷い目にあうのは、東南アジアの占領地で軍票をつかまされた人ではないでしょうか。
 日本が勝った場合、これらの地域は日本の新領土になるか衛星国になるかどちらかでしょうが、いずれにせよ、軍票は現地通貨建てですので、日本円に換える必要はありません。現地通貨のお札を印刷して、それと交換すればすむだけの話です。すごいインフレになるでしょうが、それをどう終息させるかはまた別の話です。

 日本人の場合は、軍票の交換よりも、貯金や愛国公債のしまつの方が大きいかもしれません。
 賠償金がとれないと、公債の償還の繰り延べとか、貯金の債券化とかやらないと、もたないかもしれません。
149 hits

[4538]Re(4):訂正
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 eichelberger_1999 E-MAIL  - 07/5/28(月) 21:01 -

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   すみません。

> scopedogさんがブログで明らかにしているように、文さんが20000万円預金したのは、

 20000万円ではなくて、2万円でした。
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[4540]一角楼
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/29(火) 8:57 -

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・サイズ : 31.1KB
  
添付画像【1-1-157889_121310y.jpg : 31.1KB】 ▼ピッポさん:
>熊猫さんどうもです。
>ところで、
>>南京の繁華街太平路にある一角楼という軍指定慰安所
>とはご存知ですか?
 一角楼という慰安所はお初です。
 写真は下関の慰安所「華月楼」のものです。下関の華月ということで知っていたのですが所在地が解りましたので案内します。
 華月楼 商埠街恵安巷13号
南京には、40箇所程の慰安所があったそうですので、その中の1箇所だと思います。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=2794;id=sikousakugo#2794
(白下路219号が正しいかと?)
158 hits

[4541]Re(4):日本兵の給料、軍票、軍...
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 ピッポ E-MAIL  - 07/5/29(火) 10:08 -

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添付画像【genbo.jpg : 84.8KB】














▼eichelberger_1999さん:
再びみたびありがとうございます。
読ませていただいて、いいかげんでない理解と説明の大切さを痛感しました。


>1)給与の支払い方式について
>
>>つまり、慰安所通いとおこづかい分だけを、公定レートで軍票に交換したのですね。家族に一旦全額支払われ、兵士の小遣い分が、郵便貯金から引き落とされたと考えてもいいのでしょうか。
>
> 職業軍人である将校や下士官とくに家族持ちと、徴兵された兵士とでは給与のもつ意味がかなりちがいます。職業軍人ならば、給与は自分と家族の生活の糧となるのですが、徴兵された兵士の場合その給与は低すぎて家族を養うことはできません。また、兵士が兵営にいる間はその生活に必要なものは、ほぼすべて軍隊が供給します(逆に言えば、軍隊から供給されるものの範囲でしか生活できない)ので、お金はそんなにいらないのです。もともと兵士の給料は小遣い程度にすぎません。
> ですので、家族に全額または一部の給与を支払うかたちにするのは、家族持ちの将校や下士官にかぎられていたと思われます。

兵士や将校の生活状態というものも、よく知る必要がありますね。


> また、今から60年以上前のことですので、郵便貯金の出し入れや送金もそんなに簡単にできません。また給料の銀行振込制度というのもありません。
> 給料は、現金で支給され(軍票支払いの場合、この時点で公定レートで換算されていることになります)、そこから通帳と印鑑を使って貯金するわけです。

内地では現金(日本銀行券)で支払われ、外地では軍票または外地通貨で支払われた。

> 通帳と印鑑は本人だけがもっているので、内地にいる家族がその口座から直接出し入れはできません。軍事郵便貯金の通帳には、家族の名前と住所を書く欄があって、本人に万一のことがあった場合にはその口座のお金はそこに記された家族に渡されることになっていました。
>
> ですので、給料全額をまず家族に交付し、自分に必要な分を家族から送金してもらうというめんどうな手続きをする者は、少なくて、最初から何割かを家族に残りを自分が受け取るとしていたのではないでしょうか。


家族分(内地)と本人分(外地)の割合は、事前申告による。


>2)軍事郵便貯金と送金方式
>
>>送金制限は厳しく、貯める一方だったのですね。eichelberger_1999さんはとっくにご承知でしょうが、じつは、ビルマ・ミッチナの楼主キタムラ某の豪快談がありますね。
>
> 彼は郵便貯金ではなくて、外国為替銀行である横浜正金銀行を使って送金したので、これは完全にビジネスの世界の話です。もちろん、横浜正金による外貨取引そのものも、大蔵省によって厳しく規制されています。しかし、動く金額が全然ちがうと思います。
> 慰安婦が横浜正金と取引できたかどうか疑問です。

これは公定レートでなく実勢レートだったのですか?
キタムラ某の豪傑談では貯めに貯めたのは最初の1年以内だったそうですから、実勢レートでもかなりの貯金はできたとは思いますが。

>>この従軍慰安婦という制度は、同時に巨大な官製談合の世界だった、ということは容易に想像できますね。
>
> これはなかななか決定的証拠はないのですが、大規模な作戦をおこなうことになり、大量の慰安婦(1000人単位)を一時に動員しなければいけない時、かなりの金額の前借金が一時的に必要になります。一人平均600円だとしても、1000人で60万円、3000人で180万円のお金が一時的に動くことになります。それだけの金をいくら金回りがいいからといって、売春業者が動かせるものかどうか。軍が一時的に前貸しのかたちで融通することはあったのではないかと思われます。

この点は、私も異論はありませんが、証拠が欲しいですね。軍による資金融通があったのか無かったのか? 答えはどちらでもいいですが、米軍がキッチリ、キタムラ某に尋問しといてくれればよかったのに。(笑)


> 明確なことはいえないのですが、どの軍も酒保流用資金というのを軍資金からプールしていたようです。支那派遣軍のような大規模な軍になると、この額もバカにならないので、時期によりちがうと思いますが、太平洋戦争がはじまってすぐの頃だと、6500万円くらいの金が運用されていました。経理月報という報告書に記されています。

「酒保流用資金」、これは文書にある呼び名ですか(笑)?
言葉が当時なかったものは「なかった」という理論が感染っているので・・・・


>4)軍票の価値下落
>
>>ちょっと見方を変えて喩えれば、前線地の慰安婦たちは戦争に勝ったら金(きん)に交換してもらえる「豊田商事ファミリー証券」を玉代としてもらい、枕の下に溜め込んでいたのですね。
>
> その交換比率が問題ですね。軍としては軍人・軍属に対しては1対1で日本円に換えなければいけないでしょうが、それ以外の者に対してそうしたかどうか、保証のかぎりではないでしょう。日露戦争の時でも、軍人・軍属以外は、大蔵省の定めるレートで交換されています。

ほう、慰安婦とか楼主とかは、何割か値切られる。交換者にもよるでしょうね。
横浜正金と軍事郵便局ではまた違う。

>>金珠玉さんが、26000円もの軍事郵便貯金残高を持っていた、ということも、なにか軍属扱いの計らいがあったのでしょうか、それとも、貯金はたまっても引き出しさえ制限すればよかったということでしょうか。
>>貯めに貯めた軍票は、敗戦で即時に価値0。戦時国債や戦時郵便貯金も、貯めに貯めたものが引き出せたのは、新円切り替えののちで大幅下落でしたね。しかもそれは日本人だけに限られていたのでした。
>>

> scopedogさんがブログで明らかにしているように、文さんが20.000円預金したのは、、1945年4月以降ですね。すでにマンダレーは陥落し、ラングーン(ヤンゴン)の占領は5月3日ですから、この時点ですでに日本の軍票は紙切れ同然です。scopedogさんのブログで林博史氏がコメントしているように、敗走する日本軍の将校は文さんに惜しげもなく軍票を与えたのでしょう。それを彼女は後生大事に貯金した。豊田商事の債券をもらったようなものです。


・文玉珠さんの預金原簿見つけました。(上に貼りました)
・また、林博史氏のコメントも見つけました
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html のコメント欄です。一部引用します。

>ビルマの物価指数です(日本銀行外事局調査)。
1944.6  東京 121  ラングーン  3635   
シンガポール 4469  バタビア 1279
1945.8  東京 156  ラングーン 185,648  
シンガポール 35,000  バタビア 3197

ラングーンだけ見ると、次のようになっています。
1943.12   1718
1944.3    2629
1944.6    3635
1944.9    5765
1944.12   8707
1945.3   12700
1945.6   30629
1945.8  185648
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・この2つを見ると
敗走する日本軍の将校が、彼らにとって無価値になった軍票を、惜しげもなく文さんに与えたのがよくわかります。
・文さんはそれを『お駄賃』をもらった、と法廷で表現したそうですが、驚くことにそれをもってウヨさんたちは、「朝鮮人慰安婦は安月給の兵士から、規定料金以外にチップをせがんだ」とか、「規定料金は入場料で、サービス料は別だった」と、あたかも軍慰安所で「歌舞伎町商売」がなされていたかのようなデマをふりまいています。
・そうしたデマのヨスガになっているのが、wikipedia「慰安婦」での記述です。
>上野千鶴子の慰安婦裁判の取材によれば、郵便預金返還訴訟を起こした文玉珠の貯金は、性交労働の代償ではなく、軍人からのお駄賃をため込んだものであるという。
wikipedia「慰安婦」の記述は米軍尋問報告の訳文もひどいものです。なんとかならないものでしょうか?


>>これって、戦争に負けたから豊田商事状態になったのでしょうか?
>>私は、勝ったら勝ったでもっと酷い豊田商事状態が起きたのではないかと思います。
>
> 軍票の交換については、日本人のそれよりも、軍票が垂れ流された地域の人々のほうが大変だと思います。
> これは想像ですが、勝った勝ったでいちばん酷い目にあうのは、東南アジアの占領地で軍票をつかまされた人ではないでしょうか。
> 日本が勝った場合、これらの地域は日本の新領土になるか衛星国になるかどちらかでしょうが、いずれにせよ、軍票は現地通貨建てですので、日本円に換える必要はありません。現地通貨のお札を印刷して、それと交換すればすむだけの話です。すごいインフレになるでしょうが、それをどう終息させるかはまた別の話です。
>
> 日本人の場合は、軍票の交換よりも、貯金や愛国公債のしまつの方が大きいかもしれません。
> 賠償金がとれないと、公債の償還の繰り延べとか、貯金の債券化とかやらないと、もたないかもしれません。
322 hits

[4542]Re(1):一角楼
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 ピッポ E-MAIL  - 07/5/29(火) 10:15 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
調べていただいてありがとうございました。


>>>南京の繁華街太平路にある一角楼という軍指定慰安所
>>とはご存知ですか?
> 一角楼という慰安所はお初です。

もしかすると、後からできたものかもしれませんね。


> 写真は下関の慰安所「華月楼」のものです。下関の華月ということで知っていたのですが所在地が解りましたので案内します。
> 華月楼 商埠街恵安巷13号
> 南京には、40箇所程の慰安所があったそうですので、その中の1箇所だと思います。

写真はカラーですね。これは、戦後の調査かなにかの写真でしょうか?


>http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=2794;id=sikousakugo#2794
>(白下路219号が正しいかと?)
147 hits

[4544]南京の慰安所
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/30(水) 8:36 -

引用なし
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   南京の慰安所
■大華楼    白下路219号(別称「大観楼」)
■共楽館    桃源鴻3号
■東雲     利済巷普愛新村(利済巷2号)
■故郷楼    利済巷18号
■浪花     中山東路四条巷
■菊花館    湖北路楼子巷
■青南楼    太平路白菜園
■満月     相府営
■鼓楼飯店   鼓楼飯店
■珠江飯店   珠江飯店
■人民     夫子廟貢院東街2号(中国人、喬鴻年が経営)
■一二三楼   浦口大馬路10号
■江浦     浦口
■安楽酒店   太平南路江蘇飯店
■松下富貴楼  常府街細柳巷福安里5号
■吾妻楼    科巷南寿星橋口
■筑紫屋軍食堂 洪武路18号
■朝日屋軍食堂 洪武路
■華月楼    下関商埠街恵安巷13号
■鉄路橋    下関石梁路大街85号
■聖安里A所  下関(日本人慰安婦)
■聖安里B所  下関(中国人慰安婦)
■日升会館   下関
■東升楼    下関
■煤炭巷
■上軍南部   鉄管巷四達里
■上軍北部   山西路路口
■傅厚崗    傅厚崗
■一角楼    太平路

まだまだ、メモ程度のレベルです。
>写真はカラーですね。これは、戦後の調査かなにかの写真でしょうか?
解体撤去するときに近所の方が写真撮影したもののようです。
兵:1回30分1円(30分延長50銭)、将校1回1時間2円(1時間延長3円)
受付時間が10時〜18時、営業時間が10時〜22時ということで、順番を待ったり時間延長する兵隊さんがいたということでしょうかね。
145 hits

[4545]訂正
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/30(水) 8:39 -

引用なし
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   >受付時間が10時〜18時、営業時間が10時〜22時ということで
受付時間が10時〜18時、営業時間が10時〜21時ということで

申し訳ございません。
163 hits

[4546]またもや訂正
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/30(水) 9:03 -

引用なし
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   >兵:1回30分1円(30分延長50銭)、将校1回1時間2円(1時間延長3円)
兵:1回30分1円(30分延長50銭)、将校1回1時間2円(1時間延長1円)

度々申し訳ございません。
166 hits

[4547]Re(1):南京の慰安所
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 ピッポ E-MAIL  - 07/5/30(水) 9:21 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>南京の慰安所
>■大華楼    白下路219号(別称「大観楼」)
>■共楽館    桃源鴻3号
>■東雲     利済巷普愛新村(利済巷2号)
>■故郷楼    利済巷18号
>■浪花     中山東路四条巷
>■菊花館    湖北路楼子巷
>■青南楼    太平路白菜園
>■満月     相府営
>■鼓楼飯店   鼓楼飯店
>■珠江飯店   珠江飯店
>■人民     夫子廟貢院東街2号(中国人、喬鴻年が経営)
>■一二三楼   浦口大馬路10号
>■江浦     浦口
>■安楽酒店   太平南路江蘇飯店
>■松下富貴楼  常府街細柳巷福安里5号
>■吾妻楼    科巷南寿星橋口
>■筑紫屋軍食堂 洪武路18号
>■朝日屋軍食堂 洪武路
>■華月楼    下関商埠街恵安巷13号
>■鉄路橋    下関石梁路大街85号
>■聖安里A所  下関(日本人慰安婦)
>■聖安里B所  下関(中国人慰安婦)
>■日升会館   下関
>■東升楼    下関
>■煤炭巷
>■上軍南部   鉄管巷四達里
>■上軍北部   山西路路口
>■傅厚崗    傅厚崗
>■一角楼    太平路


一角楼 太平路 ありましたね。
凄い裏ドリ力、めぢから ですね。ありがとうございました。


>解体撤去するときに近所の方が写真撮影したもののようです。
>兵:兵:1回30分1円(30分延長50銭)、将校1回1時間2円(1時間延長1円)
>受付時間が10時〜18時、営業時間が10時〜21時
(集成済み)
>ということで、順番を待ったり時間延長する兵隊さんがいたということでしょうかね。

軍公定料金は、ビルマ1944年では変わっていますね。

兵卒    10:00〜15:00  料金   1円50銭
下士官   15:00〜17:00   料金   3円
将校    21:00〜23:59  料金   5円
将校    23:59〜朝    料金  20円

ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー
http://www22.atwiki.jp/doc_exam2007/pages/12.html
9.【料金と時間帯】
149 hits

[4549]Re(5):日本兵の給料、軍票、軍...
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 eichelberger_1999 E-MAIL  - 07/5/30(水) 19:42 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:

>>>送金制限は厳しく、貯める一方だったのですね。eichelberger_1999さんはとっくにご承知でしょうが、じつは、ビルマ・ミッチナの楼主キタムラ某の豪快談がありますね。
>>
>> 彼は郵便貯金ではなくて、外国為替銀行である横浜正金銀行を使って送金したので、これは完全にビジネスの世界の話です。もちろん、横浜正金による外貨取引そのものも、大蔵省によって厳しく規制されています。しかし、動く金額が全然ちがうと思います。
>> 慰安婦が横浜正金と取引できたかどうか疑問です。
>
>これは公定レートでなく実勢レートだったのですか?
>キタムラ某の豪傑談では貯めに貯めたのは最初の1年以内だったそうですから、実勢レートでもかなりの貯金はできたとは思いますが。

 まず訂正しなければいけないことがあります。今一度、ピッポさんが言及されたサイトの記事を読み直したところ、日本への送金には制限があったようです。

「石油缶に軍票を足で押し込みましたよ。103万円を横浜正金に預金しましたね。その頃内地への送金は800円までだったから400円を中国の義父に送ったりしました」

とありますので、ビルマの横浜正金に預金はできたが、内地に送ることができたのはごくわずかだったことがわかります。

 余談ですが、このサイトでは、「この捕虜M.739(慰安所経営者)は訊問資料(英語本文では末尾に記載)によれば「キタムラエイブン」(当時41才)であり、吉野瑠美子は1997年彼に取材し、以下のようなコメントを得ている。」としていますが、吉野さんではなくて、西野瑠美子氏のまちがいだと思われます。西野『戦場の「慰安婦」』(明石書店、2003年)によれば、西野さんが取材したのは、キタムラエイブンではなくて、香月久治氏です。義父が経営する南京の慰安所(「一角楼」)ではたらいていたのは、香月氏です。


>「酒保流用資金」、これは文書にある呼び名ですか(笑)?
>言葉が当時なかったものは「なかった」という理論が感染っているので・・・・

 すみません、経理月報では「酒保資金」が正式の名称です。「酒保資金」会計項目があって、そこへ毎月軍資金から「酒保資金へ流用」という費目で軍資金会計から金額が移転され、さらに「酒保資金」から軍資金会計に「酒保資金からの返還」という費目で入金があります。出入りを相殺すると、約6000万円くらいの「酒保資金」というのが残るわけです。

>
>ほう、慰安婦とか楼主とかは、何割か値切られる。交換者にもよるでしょうね。

 ここがいちばん難しいところでしょうね。軍事郵便貯金の口座であるかぎり、軍人・軍属以外でも同様に扱うのか、それとも区別するのか。結局それは、戦争に勝った時点での日本の財政状態と軍人・軍属以外で軍事郵便貯金に預金をもつ人間の数とその預金残高がいくらにのぼるかで、決まってくると思います。

>横浜正金と軍事郵便局ではまた違う。

 軍事郵便貯金の交換レートはやはり建前としては公定レートでないとまずいでしょうが、為替銀行の横浜正金なら実勢レートでの交換ということになると思います。
160 hits

[4551]Re(2):南京の慰安所
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 熊猫 E-MAIL  - 07/5/31(木) 9:04 -

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   ▼ピッポさん:
>一角楼 太平路 ありましたね。
>凄い裏ドリ力、めぢから ですね。ありがとうございました。

 いえいえ、一角楼だけは後から付け足したもので見つけたわけではありません。誤解を招く記述をしたことをお詫びいたします。

>軍公定料金は、ビルマ1944年では変わっていますね。
 私は慰安婦問題については、勉強不足なので詳しいことは解りませんが、中国において「軍公定料金」というのが定着していたかどうか疑問に思っています。常州の慰安所の料金が当時「将校5円、兵士2円」ではなかったので、万波部隊独自の金額だと思っていたのですが、元日本兵の方から「中国人1円、朝鮮人2円、日本人5円」と慰安婦の人種によって料金設定されていた話しを聞いたことがあります。常州の慰安所の料金と一致しますので、本人の記憶違いではなく、中支那派遣軍が占領した地域では当初、この料金が広範に渡って定着していたのではないかと思っています。

■人民     夫子廟貢院東街2号(中国人、喬鴻年が経営)
喬鴻年
 喬鴻年は南京では評判のヤクザで、王承典が特務機関の大西一大佐に推薦したつながりで人民慰安所を経営するようになりました。
 大西大佐と直接のつながりは不明ですが、特務機関、南京自治委員会とのつながりがあった人物ようです。慰安所をやらせるには適任者だったのではないかと思います。慰安婦は中国人で楊州から集めていたようです。
150 hits

[4552]Re(3):南京の慰安所
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 ピッポ E-MAIL  - 07/5/31(木) 13:04 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
どうもです

> いえいえ、一角楼だけは後から付け足したもので見つけたわけではありません。誤解を招く記述をしたことをお詫びいたします。

そうでしたか。

>>軍公定料金は、ビルマ1944年では変わっていますね。
> 私は慰安婦問題については、勉強不足なので詳しいことは解りませんが、中国において「軍公定料金」というのが定着していたかどうか疑問に思っています。常州の慰安所の料金が当時「将校5円、兵士2円」ではなかったので、万波部隊独自の金額だと思っていたのですが、元日本兵の方から「中国人1円、朝鮮人2円、日本人5円」と慰安婦の人種によって料金設定されていた話しを聞いたことがあります。常州の慰安所の料金と一致しますので、本人の記憶違いではなく、中支那派遣軍が占領した地域では当初、この料金が広範に渡って定着していたのではないかと思っています。

人種による違いも考えないと、ハイ。


>■人民     夫子廟貢院東街2号(中国人、喬鴻年が経営)
>喬鴻年
> 喬鴻年は南京では評判のヤクザで、王承典が特務機関の大西一大佐に推薦したつながりで人民慰安所を経営するようになりました。
> 大西大佐と直接のつながりは不明ですが、特務機関、南京自治委員会とのつながりがあった人物ようです。慰安所をやらせるには適任者だったのではないかと思います。慰安婦は中国人で楊州から集めていたようです。

この人物はもしかするとヴォートリンの日記に出てくる人物かな(要確認)
156 hits

[4610]Re(4):南京の慰安所
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 熊猫 E-MAIL  - 07/6/2(土) 16:59 -

引用なし
パスワード
    孫叔栄、王承典、喬鴻年の3人は南京の慰安所や慰安婦問題では更に調査する必要があると思っています。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/3/dzsqrf/hyzqrf.html


王承典(通称:ジミー)
 ラーベの日記ではジミーとなっています。日本軍占領後は自治委員会の仕事をして南京市工商課課長の役職についています。
ラーベの日記より
【2月8日】それからローゼン、スマイス、シュペアリング、私、自治委員会のジミーの五人で百子亭へいった。四つの死体は近くの小さな丘に葬られることになっており、すでに筵にくるまれていた。ジミーは、近所の中国人を探し出して事情を聞いた。


『第四十九号文書 救済状況にかんする覚書』より
 自治委員会の新食糧委員である王承(訳音)氏(地元では「ジミー」[Jimmy]で知られている)および運搬委員長のチャールズ・リッグズ氏(「チャーリー」[Charlie]のこと)の懸命な努力については、いつか感動的物語が書かれよう。
 洞富雄先生が『日中戦争史資料』を出版した頃は王承典の名前は解っていなかったのでしょう。


孫叔栄
http://latemhk.tdiary.net/19371201.html
 自治委員会だけではなく紅卍会にも籍をおいていました。途中からラーベはその本質を見抜たのではないかと思います。12月24日にヴォーリンの所に慰安婦を集めに行ったのは孫叔栄ではないかと思うのですが別人かもわかりません。
ヴォートリンの日記より
【12月24日】一〇時ごろわたしの執務室に呼び出されて、----師団の高級軍事顧問と会見することになった。さいわい、大使館付の年配の中国人通訳を同伴してきた。ここの避難民一万人のなかから売春婦一〇〇人を選別させてもらいたいというのが日本軍側の要求であった。

ラーベの日記より
【12月26日】我々がよく知っている上品な紅卍のメンバーが(彼がそんな社会の暗部に通じているとは思いも寄らなかったが)、なみいる娘たちに二言三言やさしく話しかけた。すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かせるのをちっとも苦にしてないようだった。
【1月2日】自治委員会の副代表孫氏は日本語を話す。また紅卍会のメンバーでもあるが、その孫氏がもったいぶって私に言った。「ある重要な件につき、近いうちにお話ししたいのですが」どうぞどうぞ!とっくに心づもりはできている。お宅たちがなにお狙っているかなんざ、お見通しだよ!
 
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[4611]Re(5):日本兵の給料、軍票、軍...
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 ピッポ E-MAIL  - 07/6/2(土) 21:04 -

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   訂正

>ビルマの物価指数です(日本銀行外事局調査)。



太平洋戦争が始まった1941年12月を100とした場合の物価指数です(日本銀行外事局調査)。
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[4612]Re(6):日本兵の給料、軍票、軍...
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 ピッポ E-MAIL  - 07/6/2(土) 21:31 -

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   ▼eichelberger_1999さん:

いろいろと有難うございます。


> 余談ですが、このサイトでは、「この捕虜M.739(慰安所経営者)は訊問資料(英語本文では末尾に記載)によれば「キタムラエイブン」(当時41才)であり、吉野瑠美子は1997年彼に取材し、以下のようなコメントを得ている。」としていますが、吉野さんではなくて、西野瑠美子氏のまちがいだと思われます。西野『戦場の「慰安婦」』(明石書店、2003年)によれば、西野さんが取材したのは、キタムラエイブンではなくて、香月久治氏です。義父が経営する南京の慰安所(「一角楼」)ではたらいていたのは、香月氏です。


おお、「キタムラエイブン」(当時41才)は、例の「Report49」に出てくる楼主ですが、西野さんが取材したのは、キタムラエイブンではなくて、別人の香月久治氏だったのですね。どうも、ATIS調査報告第120号(または、心理戦尋問調書第二号)の記述と違うところがある。

私に引用元はここです。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/keyword/Japanese%20Prisoner%20of%20War%20Interrogation%20Report%20No.%2049.


>>「酒保流用資金」、これは文書にある呼び名ですか(笑)?
>>言葉が当時なかったものは「なかった」という理論が感染っているので・・・・
>
> すみません、経理月報では「酒保資金」が正式の名称です。「酒保資金」会計項目があって、そこへ毎月軍資金から「酒保資金へ流用」という費目で軍資金会計から金額が移転され、さらに「酒保資金」から軍資金会計に「酒保資金からの返還」という費目で入金があります。出入りを相殺すると、約6000万円くらいの「酒保資金」というのが残るわけです。

「酒保資金」が正式の名称、有難うございます。いわば、キックバックですね。


>>ほう、慰安婦とか楼主とかは、何割か値切られる。交換者にもよるでしょうね。
>
> ここがいちばん難しいところでしょうね。軍事郵便貯金の口座であるかぎり、軍人・軍属以外でも同様に扱うのか、それとも区別するのか。結局それは、戦争に勝った時点での日本の財政状態と軍人・軍属以外で軍事郵便貯金に預金をもつ人間の数とその預金残高がいくらにのぼるかで、決まってくると思います。


>>横浜正金と軍事郵便局ではまた違う。
>
> 軍事郵便貯金の交換レートはやはり建前としては公定レートでないとまずいでしょうが、為替銀行の横浜正金なら実勢レートでの交換ということになると思います。

ありがとうございました。
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[4613]Re(2):南京の慰安所
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 熊猫 E-MAIL  - 07/6/2(土) 22:21 -

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   ■傅厚崗    傅厚崗(現在の高雲嶺19号)
 傅厚崗慰安所は、南京最初の慰安所で12月22日に開設したそうです。一般兵士は利用できない将校用の慰安所で、1時間3円、一泊10円の軍票支払いです。
 傅厚崗慰安所というのは、地名からの呼び名で皇軍慰安所と区別するための呼称ではないかと思います。特務機関長の大西が主任で、喬鴻年が副主任だったそうです。国民党政府施設の豪華な家具や装飾品が飾られていたとのことですので、中国人難民であった喬鴻年にそのような力があったとは到底考えられませんので、特務機関の後ろ盾があったから出来たことだと思います。
 首都飯店からも中央飯店からも近く、司令部のお偉いさんが利用しやすい場所を選んだものと思われます。一泊10円は下級将校には厳しいかと思います。

■皇軍   鉄管巷瑞福里
 皇軍慰安所は一般兵士と下級将校用の慰安所で、1時間1円で宿泊なし。12月24日に集められたヴォートリンの金陵女子学院の21名の女性は、喬鴻年が始めたこれら2つの慰安所のどちらかで働くことになったと思います。
 開設日は不明ですが年内に間に合ったものと思います。これら2つの慰安所に特務機関が如何に関わったかが、今後の課題となります。
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[4614]訂正
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 熊猫 E-MAIL  - 07/6/3(日) 7:32 -

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   >■皇軍   鉄管巷瑞福里
> 皇軍慰安所は一般兵士と下級将校用の慰安所で、1時間1円で宿泊なし。

 皇軍慰安所は一般兵士と下級将校用の慰安所で、1時間2円で宿泊なし。
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